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ただの出不精かもしれません。
でも「ギターがへし折れて、声帯が消滅しても、本当のミュージシャンはミュージシャンのままだろう」という気持ちがある。
だから、妙にツアーツアーうるさいバンドを見ると「ニセモノだからツアーにでも出て、深夜の高速を交替交替で運転なんかしてさ、俺達はバンドマンだ!という充実感を発生させないと、ミュージシャンじゃなくなる恐怖に駆り立てられるのでは?」なんて、意地悪な目で見てしまう。
※上記の「ツアーツアー」を「新曲」「ライブ」に置き換えてもOK。

ニセモノに限って「ツアー、新曲、ライブ」に頼っています。
本物はその偽3種の神器なんか無くっても、一生ミュージシャンだしバンドマンのままでしょう。

辞書のほとんどの意味が違うよ。

という言い訳をしては、遠征に出ないバンドでしたが、今回は豊川に行ってみました。
メンバーが写真を撮ってくれたので、豊川思い出アルバムです。

レンタカーを借りて、出発。
庭のバラがキレイ。
「アジサイの始めと バラの終わりに」なんて歌詞もありますね。
「君の思い出」という歌。
12年前の今時期かな。

「俺、名古屋に行きたいサウナがあるから、行きも帰りも別行動でお願いします!」なんて言ってたのに、急遽同乗する事になったヤハタトシキ。
4人だと思って、少し小さい車を借りてしまったので、パンパン。
でも、仲良しバンドなので和やかなムード。

富士川SA。
ヤハタは富士山のポーズかな?
俺は近年、山中湖に縁が出来たので、ツーリングしたりして富士山との距離が一気に近くなった。
北海道以外の自然には全く興味が無かったのに、変われば変わるものだな、というよりは、人生の中に人生が何回もある感じ、です。

富士山頂から煙が出ていた。
「お!煙だ!来るべき時が来たな。こういう時に傍観してる奴が痛い目に合うんだよ。今頃ニュースで大騒ぎしてるはずだよ。調べてみなよ。」と、スマホが無いので、人任せで仁王立ち。
「え?本当に?」と調べてくれるメンバー。
チームワークの良いバンド。(煙はよくある現象だそうです)

みんな注文が着いて食べ始めているのに、一人で迷い続け、やっと「冷やし山菜そば」に決めた。
が、売り切れてた。
で、また悩み「桜エビ富士山カレー」に決めた。(その頃俺はとっくに食べ終わり、デザートのアイスも食べ終わっていた)
が、いつまで経っても食券のブザーが鳴らず、厨房に問い合わせてみると、オーダーが通っていなかったみたいで、そこからさらに待って、ついに、いただきます!の瞬間。
そして食べ終わり「チョイスミスったな、、しかも足りないな。」と呟いて、追加で唐揚げを食べていた。
関口萌はそういう男。(なんだか懐かしい男なんです)

俺は「紅富士サーモン丼」
富士山の冷たい湧水しか知らない淡麗なしっとりサーモン。
近年の脂脂したサーモンとは一線を画すキリッとしたしなやかさ。
サイコー。
食べながら話してたのは「この写真見たら、きっと過去メンバーは泣くと思うよ。ああ、ごはん食べてる!しかも丼もの!いいぞ!健康になったね!」と。
2018年頃までは、メンバーの前でまともな食事をした事が無いんじゃないかな?
飲酒オンリーだったから。
アディーあたり、泣いてません?どうでしょうか?

豊川groovestockに到着。
はじめまして、のお店です。

リハ風景。
他の出演バンドもリハで苦戦してるように見えた。
メインスピーカーから出るボーカルの限界音量が他の店より小さかったので。
俺はリハに全てを賭けています。
絶対にすごい音を作るぞ、と燃えに燃えた。
小さい頃から、折り紙やプラモデルとか、完成が決まっている物では発狂して癇癪を起こしていたが、全部自由に考える系は、大得意だった。
ので、ここでも大発揮。
店長さんに「ありったけのビールケースを!あとはこのかえしのモニターを一個殺して、客に向けましょう!今日何人くらい来ます?なるほど。じゃあ、このトライアングルゾーンのみにサイコーの音が届くようにしちゃいましょう。フロアー全体に満遍ない70点よりも、局地的な120点を狙います。客にも俺からアナウンスします。なのでメインのスピーカーも方向変えて、トライアングルゾーンに全てを賭けましょう!」

そして、伝説の音が出来上がった。
店長さんも「この店でこんな音を体験した事が無いです!」と言ってくれた。
俺はいつもリハの音作りに全てを賭けている。(誤解無いように書くが、素敵なお店でした。ただ優等生なリハでは辿り着けない場所がある、という事を書きたかった。そしてどんな場所でも100点は出せます。自由に考える事が出来たならば。絶対に諦めてはいけない。そして100点の形は毎回変わります。そこがポイントです。)

伝説のリハが終わり、みんな観光に行っていたようですね。
豊川稲荷はすぐ近く。

店の近くのブラザータコスというお店だそうです。
俺はライブ前は動きたくないので不参加。
カニユウヤはタコス作りの名人だが、その名人が唸るくらい、おいしかったみたいですよ。
groovestockに出る人はリハの時に「レテパ方式でお願いします!」からの「ブラザータコス」でナイスライブ決定です。

ライブ本番。
最終的にはもう一個のかえしモニターもトライアングルゾーンに参加させてますね。

セットリストは、

1.青春
2.イカレた人
3.君しかいない
4.17
5.クレイなジー
6.ハローグッバイファックユー
7.海へ行こうよ
8.実家のハイロウズのリストバンド
9.夏のアルバム

でした。

ライブ後、この日出店していた花屋「SNOW DROPS」のゆきちゃんとパチリ。
この人とは、昔お付き合いしていた事があります。
そんな彼女からのライブのお誘いだったのもあり、出不精バンドは豊川にやって来たのでした。
写真は無いが、お店の人達も純粋さが溢れ出していて、とってもイカしたお店でしたよ。
もう一度誤解無いように書いておくが、最終的には、そんじょそこらのライブハウスを超える音が出せました。
皆さん、ぜひぜひ。
俺らもまた行きたいです。

ライブ後にまでごはん食べてる!
しかも麺類!餃子まで!
と、今、アディーあたりが泣いている事でしょう。
いーちゃんあたりは「古宮さん断酒して絶好調だな、、俺も少し考えようかな、、。」
なんて思っていると思います。

いきなりですが、帰宅。
俺は結局、今回も運転しませんでした。
次こそは!と書きたいところだが、ライブ前は絶対に嫌だし、ライブ後もやっぱり無理みたいですね。

庭の杏の実が「早く収穫してよー!今年の杏酒はどうするんだよー!」と怒っているようです。
俺は飲めないのに、この時期にヤハタトシキの誕生日があるので、毎年杏酒にしてプレゼントするのが恒例行事になっています。
この家に住んで、4回目の杏の季節か。
もうたくさん落ちてしまった。
でも、まだ間に合うかな。

というわけで、豊川思い出アルバムでした。

PS.最近はレテパツイッター部が張り切ってくれているので、このNEWSの情報が少し遅いです。
が、俺みたいにツイッター見ない人もいると思います。
なので、書いておきますが、明日(配信サイトによっては数日後かも?)僕のレテパシーズの2ndアルバム「愛してるよ」がサブスク配信サイトから、消えます。
どうして消えるかは、近日書きます。
ご心配なく。お楽しみに。

帰り道、小雨の降る中、新宿駅まで歩いた。
家の電気スタンドとラジカセを持ち込んでいたので、いつもよりも相当重く「俺はなんで電気スタンドとラジカセを持ってきたんだろう?」と改めて考えてみた。

自分は脚色は嫌いなので、レテパシーズのライブの照明は白一色で調光すらさせない。
それなのに、なぜ会場の明かりを電気スタンド一つ、BGMをラジカセにしたのか。
脚色はあんなに嫌いなのに。
という事は、自分では脚色のつもりではないのだろう。

駅が近付き、靖国通りの信号待ち。
横には、ヤハタ、カニ、南。
話半分、雑多な新宿を眺めていたら、ああ、そうか、と答えが出た。

あの電気スタンドの明かりとラジカセは、俺が眠る瞬間の部屋そのまま。
一番安心な瞬間か。
安心な自分の部屋のようにしたかったのでしょう。
レテパシーロックフェスティバルを。
部屋ではいつも一人だけど、今夜は誰かを招きたかった。
一番安心できる場所に。

そう考えると、合点がいきました。
静かな安心できる場所の横で大きな音でライブする。
うん、自分の人生、性格、そのものだなあ、と思います。
そして、続けてこんな事も思いました。
大きな音のレテパの演奏が、いつか無音と同等の静けさを持てた時、このバンドは誰も見た事のない場所に行けるのだろう。
ロックンロールさん、頼みますよ。
まだ隠し部屋があるんでしょう?
こんな事を思って、靖国通りを渡る。

そしたら、向こうから、さっき別れたばかりのひっしーが。

「なんか忘れ物ですか?」
「ええ、傘忘れましたわ、、」

うまく伝わるかな?
さっきちゃんと「また会いましょうね!」みたいなしっかりとした挨拶をして、別れて、その5分後に傘を取りに戻っているところで会う。
が、彼は全くバツの悪い感じがゼロ。
生まれてきてから、数々の失敗を繰り返して来た男なんだろうな。
歌舞伎町方面へ逆戻りしていく彼の背中に、頼もしさすら感じました。
「最後までチッツしてやがる。さすがや。」と思いました。

カニ君との会話に戻り、

「昨日の万波から伏見寅威へのバックホーム見た?」
「見ました。見ました。」
「土曜の神宮、チケット取ったの?」
「あ!まだだ。でもオリックス人気無いので大丈夫かと。」
「ヤクルトも今年は客少ないしね。」
「では、また!」
「はい!お疲れ様でした。」

新宿からはそれぞれの帰路へ。
家に着き、部屋がいつも同じ状態じゃないと落ち着かない、ので、疲れていたが、まずは原状回復。
電気スタンド、ラジカセ、を部屋の定位置に戻して、安心して、おやすみなさい。

こんな、帰り道。

皆さん来てくれてありがとう。
安心できたでしょうか?
俺は僕のレテパシーズに自信を持ってはいるが、それを超えて悲しい日ももちろんあります。
なので、やはりレテパフェスに来てくれると一番の励みになります。
第3回もがんばんなきゃなー!と思えます。

安心、安心、書くと、なんか傷の舐め合いみたいなフェスに思われるかな?
この安心は、山賊が狂気な日々を過ごした後の洞穴の安心です。
狂気は狂気で元気ですよ。

では、第3回で会いましょう!
(日にちも内容も未定だが、昨日から考え出しています。ワクワク。)

PS.ライブ後はすぐに「蛍の光」をラジカセで流しました。
あの蛍の光は2016年頃のレテパの登場SEでした。
あの頃、メンバーでSEを考えていた時に「蛍の光はどうだろう?普段は終わりに使われる歌だが、終わりは始まりという意味で、俺達にピッタリなのでは?」と提案したら、アディーが見つけてきました。
コロンビアレコードの古い蛍の光。
途中で入るスチールギターのソロが戦前しててカッコいい。(戦前じゃ無いかも。勝手に戦前感じてますが。)

面白かったのは、ライブ直後に楽屋で放心していたら、楽屋から出た南ちゃんが「人がもう全然いないですー。みんな帰っちゃってますね。古宮さんが蛍の光を流したからじゃないですかー?」と笑っていた事。
俺は心の中で「ああ、そうか、俺には始まりの歌だが、皆さんには閉店の歌に聞こえるよな。あはははは。」と笑いました。
今回は「飲みたい人はゆっくり歓談してね。レテパの通なお客さんは「ブルースマン」の歌詞の影響か、サッと帰る人が多いけれど、あの歌のせいで残りたい気分なのに残りづらくなっていたらごめんなさい!全然ゆっくり歓談してて良いからねー!」と伝えようと思っていたのに、忘れていた。

あれは、始まりの歌なのです。
多分次回もかけます。
閉店じゃないので気にしないように。

9thアルバム(未発表。現在リリース準備中!)の歌詞を全部「歌詞」のページに載せました。
「レテパフェス、もう少し予約が入ってくれたら嬉しいな。」と思った時に「よし!9thの歌詞を全部載せちゃおう。ライブでもたくさん歌うし。」と思い歌詞を載せる、これはなかなか硬派な純粋行動です。
我ながら、いいぞ!真っ当な歌手人生だ!と思います。
そして、このレテパホームページの毎日の閲覧者数を見ると、やはりこの歌詞のページが一番多い。
皆さんもなかなか硬派です。気が合いそうですね。

自分が歌い始めたのは2000年。
ライブを見て気に入った人が、ホームページを作ってくれる事になった時、俺はまず「歌詞を全部載せたい。歌詞を読めば分かる人には分かるだろう。」と思い、全掲載をお願いしました。

その後、2005年に東京に活動拠点を移した時にも、こんなチラシを作って配っていました。
やはり「歌詞読めば全て分かるだろう」と思っておりました。

※読まれたくない部分、消してます、、
※「古宮大志」に線引いた蛍光ペンに時代を感じますね。
※「ハイロウズのリストバンド」と「実家のハイロウズのリストバンド」は違う歌です。

以前は「歌詞」のページに、アルバム収録曲かどうか関係無く、歌が出来たら随時全曲載せていました。
が、最近は健康で歌がどんどん出来るし、出来るたびに載せてたら訳分からなくなるかなあ、と思い控えています。(レテパアルバムでの発表はどんなに急いでも作曲から1〜2年後になってしまうので)

でも、早く読んで貰いたいし、もしかしたら衝動的にドーンと全部載せる日も近いかもしれません。(最近はソロライブで新しい歌もガンガン歌ってるしね)
まあ、その時はお付き合い下さいな。

まだ、アルバム発表前なので、多くは書きませんが、少しだけ補足解説。

1.四面道信号待ち
じいさん→井伏鱒二さんです。
じいさんよばわりすみません。
「人生足別離」というブルースを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳されています。
中央線沿線に住む人はまず井伏さんの「荻窪風土記」を読むと良いですよ。
俺はどうしようもなく辛い時には、音楽の先輩達よりも文学の先輩達の珍プレー好プレーなエピソードに励まされる事が多いです。

2.無色の歌
その頃知ったカッコいいバンドが、フジロックのルーキーステージに出ると聞いて、カブで旅がてら見に行った。
魚サン履いてたら、埼玉と群馬の境目あたりで埼玉県警に捕まった。
東京ではサンダルOK、埼玉ではNG、らしいです。

3.ヒーローと
レテパスタッフのソノダ氏は、俺に刺激を与えると歌が出来る事を知っているので、定期的に刺激を与えてきます。
2021年の年末「クロマニヨンズのチケット余ってるから行きましょう。」と誘ってくれて、行ったら出来た歌。

4.イカレた人
素晴らしい歌を歌う人には、デリケートでナイーブで傷つきやすく社会適応が苦手で集団行動が嫌いで歪でピュアな人間が多いと思う。
で、ライブハウスはそういう人間を排除しがち。
なので、消えていく。素晴らしい歌。素晴らしい人、が。
次の歌に出てくる、はなえもんなんかもその典型ですね。

5.最後のGB戦士
GBとはなんなのか、まあ、考えたら分かるでしょう。
BBBとかGBとか最近多いですね。
レテパ2代目ギタリストのはなえもんは、去年?一昨年?一時期「ちぇりーアイヴィ」という名前でyoutubeに自作曲を載せ続けていた。
カッコ良かったから、チェックしてた。
が、ある日全部消えてた。

6.数学と国語
レテパのスタジオで「俺は国語の暗記以外のとこは全て出来たよ。」と言ったらカニユウヤが「自分は数学のテストではいつも満点でした。」と言っていた。
で、次の日の朝出来た歌。
歌は80%が起きた瞬間に出来る。
残りの20%も午前中の早い時間に出来る。
起きるのは大抵6時前後。
寝るのは22時〜23時。
断酒後色々勉強したから、規則正しく自律神経が整いまくっています。
なので起きた瞬間が頭が働くピークです。(午後は副交感神経が上がり出すから歌が出来ないのでしょう)
整いすぎてるので、サウナ水風呂やっても、何も起きません。
いつも整ってるので。
※断酒後の話です。1st〜6thまでの歌は時間関係なく出来てた。と思う。

7.ホワイトアルバム
これは少し解説が必要だな。
相栄さんというのは俺が20才〜30才位まで義理の父だった男。
俺が31才?〜3?才(さすがに忘れた)までは真黒毛ぼっくすの大槻ヒロノリの義理の父だった。(彼ら年齢そんな変わらないが、、)
相栄さんは真黒毛ぼっくすの「大浜海岸へ」にも登場します。
あとはまあ、歌の通り。
うちにはビートルズのレコードがホワイトアルバム以外全部あります。(多分。全部あるから持っていけ!という感じだったはず)

8.激めん
最近は歌が出来た時に、日付も裏に書くようにしてるのでハッキリ分かるが、2021年9月14日放送のラヴィット(朝のテレビ)で「おいしいカップ麺、醤油編」みたいなのをやっていた。
北海道限定の「激めん」が見事ランクインし「名前の由来は、激しく生きてほしい、という創業者の願いから」と解説していて、衝撃を受けた。
子供の頃から食べていたが、そんなの全然知らなかった。
番組を見た後にすぐ歌が出来た。
最近は、マイバスやドンキでちらほら見ますね。がんばれ激めん。

9.カニハウス
最近引っ越してしまったが、少し前までカニユウヤは田無タワーの見えるアパートに住んでいた。
田無タワーは夜になると「次の日の天気の色」に光ります。
青→雨。紫→晴。
ツーリングからの帰り道、青梅街道で田無タワーが見えた頃、隣の車から言葉数の多い流行歌が流れてきて、出来た。

10.さんちゃんへ
最近は会わないが、以前は1年に一度必ず会っていた友人が今年高校3年生になります。
彼の事を思い出してたら、出来た歌。

※キャットキャットワンワンズ「突き抜けたバカ」
は、超レテパヘッズなら覚えているかも知れませんが、以前このレテパニュースで紹介した事がある歌です。
最初この歌詞の「命はそこではちょっと軽くて 約束は重くて」をアルバムタイトルにしようと思っていたが、やはり長すぎるので、ボツ。
しかも、どんどん歌が出来てしまい、9thの10曲(全アルバム同じ収録数じゃないとなんか気持ち悪いので、レテパは絶対に10曲)に収まりきらず、ボーナストラック的な電波ジャックで無理やり収録。
まあ、結果オーライでカッコいい感じになってますよ。
アルバムをお楽しみに!

PS.歌詞読んで気に入った人は6/11レテパフェスにゴー!
予約お待ちしています!

PS.10thの歌も4曲演奏予定です。
載せときます。

自分は同じ話をしてしまうタイプだと思います。(レテパメンバー、近所の友人、家族あたりが被害者だな。ごめん)
2019年〜の断酒後、記憶が弱くなっているのは事実なのですが、幸い思考回路や感性はブレないので、同じ刺激や同じ情報に対して、全くブレずに同じ回路を通り、全く同じ言葉を発してしまうのでしょう。

まあ、同じ刺激、同じ情報に対して、毎回違う事を言うよりはマシだとは思うので、ブレない男!という事にして、周りも温かく見守ってくれているようです。

最近は定期的にレテパツイッター部に「ひろし140」を送っています。
それをツイッター部のスタッフが投稿してくれています。(ツイッター文字制限の140文字を全部使う傾向にある古宮大志の文章なので、スタッフから「ひろし140」と呼ばれています。俺はツイッターとかネットは見ない。見ると気付いたらなぜかエロいページに辿り着いていて途方に暮れる傾向にあるので苦手)

なので、このレテパNEWSを書く機会が減ってしまっていますね。
月に2回は書こう!と決めているので、今日は朝から書く日と決めていました。

で、思い付くままにタイトルを書いてみたのですが「あれ?このタイトル過去に使ったかもしれない」と心配になり、調べてみると、去年の5月に同タイトルの「僕の一番好きなのは5月」がありました。(危ないなあ、こうやって普段同じ話をしているんだなあ、と思い冒頭の文章を書きました)

試しに読んでみると、去年の5月は8thアルバム制作の真っ只中。(そしてヤハタトシキと野球を見に行っていたようです)

今年はこんな事がありました。

●MVの撮影
都内某所のいわゆる白い壁のスタジオで9thアルバム収録曲のMVを撮りました。
制作費はクラウドファンディングのお金の中から使わせて頂きました。おかげさまでいい感じです。ありがとうございます。
宣言通り、9thアルバムを宣伝する行為(これをいつも飛ばしてしまうから、こんな有り様という分析結果です)をちゃんとやって、9thの売上で「全曲夏の歌の10thアルバム」を早く作りたいと思っています。

「商売だけは壊滅的に向いて無いから気を付けろ!」と新宿の母(占い師)に言われたが「最高の9thアルバムを作り、それを広め、その売上でもっとすごい10thアルバムを作る!」はきっと商売じゃないはずさ、と都合よく解釈して前進あるのみで行きたいと思います。

前も書いたかもしれませんが、9thアルバムのリリースは最遅で7月末になってしまうかも知れません。(どんどん遅くなってしまいごめんなさい!音源自体はとっくに完成してるのですが、、)
そのかわり、ちゃんと宣伝行為をして、10thとレテパフェスの大存続を目指したいと思っています。
よろしくお願いします。(第2回レテパシーロックフェスティバルも予約受付中ですよ!今まで「ライブハウス」や「インディーバンド」に悪印象を持っている人にこそ来て欲しい。我々がやっている事は真逆の行為です。ご安心を)

●子供が産まれた
5/5に産まれる予定だったので、いつでも病院に行けるように家で野球見ながら(ヤクルト対横浜、デーゲーム)待っていた。(立会い出産なのだが、コロナの影響で出産ギリギリに呼ばれるまでは家で待機。病院は近所)
試合は今まで見てきた野球の試合の中でも、ダントツにドラマチックな試合だった。

※こんな試合(さすがに新聞まで買っちゃった。本当にすごい試合だった)

もし予定時間に産まれていたら、途中までしか見れなかったので「ありがとう!おかげで歴史的な試合を見逃さずにすんだよ。もう出てきてもいいぞ。」と、まだ見ぬ我が子に心の中で呟きました。
正直試合中には「ああ、最後まで見たい。録画じゃダメなんだ。生で見たいんだ。出来たらもう少し出てこないでくれ。」なんて思っちゃってたので、きっとバチが当たったのでしょう。
その後、子宮口が狭くて出て来れなくなってしまい、予定日を超えて翌日に。
昼頃、帝王切開の判断リミットのギリギリでようやく出てきそうになったので、急いで病院に駆けつけ、いざ立会い出産。
俺は「妊婦がいきむ時に枕を持ち上げる」という地味な役割を任されたので、助産師のばあさんの「さあ!いきんで!」の掛け声に合わせて枕を持ち上げてみました。
ばあさん先生は「いいよ!その調子!」と景気いい感じだったので、俺も盛り上がってきて、その次のいきみの時には枕をあげながら「よっ!」と掛け声をかけてみました。
ばあさんは俺の掛け声なんて気にも留めずに「うまいよ!出てきてるよー!」と言って、出てきた赤ちゃんの頭を持ちました。(まだ頭だけ。体は中)
「さあ、もう一度!」とばあさんは言い、俺もさらに景気良く「よっ!」と掛け声をかけたら、なんとばあさんの横にいた弟子?の若い2人の助産師が俺につられてワンテンポ遅れながら「よっ!」「よっ!」と言ったので、俺は一気におもしろモードになってしまい「わお!祭りだ!祭りが始まった!あらよっと!」と思い始めたら笑いが止まらなくなり、必死に堪えていたら「産まれました!おめでとうございます!」「オギャーオギャー!」というわけで、無事誕生。

まあ、このレテパNEWSを読んでいる人は、相当なレテパヘッズで、過去の経緯も知ってる人が多いだろうから、以下ちゃんとご挨拶。

「ご挨拶」

いつ離婚しても嘘でした!と言えるように、心身ともに衰弱しきっていた2018年のエイプリルフールに結婚した古宮大志とハダユキコ(レテパ二代目キーボード)でしたが、今のところ本当のままです。
妊娠中にはユキコが車にはねられたり(軽傷。アバラだけ折れた)てんやわんやもありましたが、ついに無事子供が産まれました。
たくさんの人に大迷惑をかけながら行進していますが「素敵なライブをする」「素敵なアルバムを作る」のみが自分の罪滅ぼしの恩返しと思っております。(余裕でお釣りがくるくらい!と横柄に生きています)

自分は音楽や文学を本気で欲しだした高校生の頃から、作者が「怒涛の青春時代が終わり、家族を持ち一時代終わった落ち着きの中で書いたり歌ったりしている状態」に励まされる傾向にありました。
作者の作品を発表順に追っていき、明らかに落ち着いている(ぬるくなっている、とは違いますよ)状態を見ると「自分もいつかは落ち着いた気持ちになれるのかな。だとしたら唯一の希望だな。」と思えたからだと思います。

俺は2019年からのアルコール依存症の治療により、もうかなり落ち着いた気持ちを手に入れてしまっているので、今回の子供が出来た、ではあまり変化はないかも知れません。
が、子供が出来たら歌が出来なくなる、とか聞いた事があるし、次に歌が出来るのがずっと先だと困るので「産まれる前に10曲揃うといいなあ。揃ったら次の10曲以降が父状態になるもんなあ」なんて思っていました。
歌を作ろうと思って作れるタイプでは無いので、完全に「待ち」でしたが、無事10曲揃う事が出来ました。
10曲揃ったのは11thアルバム用の歌になります。
もし新しい歌が出来始め、12thアルバムがあるならば、全曲父状態の作曲になります。

また、悪い癖で先の先の先まで考えてしまっていますね。
レテパメンバーも最近は俺に感化されていて、あれ?9thってまだ出てないんでしたっけ?なんて言ってる始末です。
次回のレテパフェスのセットリストの1〜3曲目は10thの歌なので、そのアレンジに夢中になり過ぎての発言だと思います。

やはり未来を見るのが一番楽しいね。
引き続きがんばります!

PS.去年の「僕の一番好きなのは5月」はこちら!

僕の一番好きなのは5月

第2回レテパシーロックフェスティバル開催します。
(予約はこちら!)

僕のレテパシーズとは一体何をやりたい人達なのか。
今まで少し分かりづらかったかもしれません。
が、今はハッキリと2つ掲げられます。

「レテパシーズの夢」

①バンド消滅のその日まで素晴らしいアルバムを作り続ける!
→今は9thアルバムリリースの準備中。(制作は全て終了。大名盤!なんか今作は本格的!)
このアルバムを大評判の大絶賛状態にして、その売上で10thアルバムレコーディングをスタートさせたい。

②レテパシーロックフェスティバルを大行進させる!
→大好きなバンド(なかなかいない!がたまにいる!見つけると頭もげそうなくらい嬉しい!見つけられないと部屋から出られなくなるくらい悲しい!)を呼んで毎年3回づつくらい開催したい。
で、2025〜2026年頃に第10回記念大会を開催。
第10回はどっかの湖のほとりの森の中あたりで開催したい。
オールナイトの野外フェスにして、感動的な朝焼けを眺めたい。

本気でこんな風に考えています。
自主制作のインディーバンド(しかも無邪気に飛び込めるシーンが全く無い。自分達で作るしか無い。)がその状態になるには、どういう冒険ルートが良いのか、日々試行錯誤しながら行進しています。

今日は長くは書きません。
言いたいことは一つだけ。
上記を全て信じちゃう人は第2回レテパシーロックフェスティバルを目撃してみてね。

チッツとレテパシーズのツーマンなんてさ、
世界中で行われた過去現在未来全てのライブの中でも、トップ10くらいには入るんじゃないかなあ?(謙遜してます。ほんとはダントツ1位と書きたいくらい!)

では、目撃予約お待ちしております。

第1回レテパシーロックフェスティバル。
みなさんありがとうございました!
今日はご挨拶がわりに、これを始めた経緯とこれからの展望を。

最初は「なんか全然ライブオファー来ないな。でもライブしたいから自主企画でもやるか。」ってな感じでした。
で、タイトルを何にしようか考えました。
自分は昔から「〇〇コンサート」「〇〇コンクール」みたいに最後に何か付くタイトルが好きで、自主企画の時にはよく最後に何か付けてました。
が、コンサートとコンクールは過去に使った事があるし、今はなんかしっくりこない。
うーん、うーん、と考えてたら「あ、フェスティバルが良いな。」と思ったのでした。
これはなかなかの変化でした。
昔の自分だったら「フェスティバル?祭りじゃないんだから、そんな言葉は使いたくないな。だって楽しむためにやってるんじゃないんだから。」なんて言って却下していたと思います。
今は、音楽の「楽しい」という感覚が恐ろしい程に分かったので(音楽は自分が丸裸で高層ビルから飛び込んでも死なない程に大きな大きな海なのでした)楽しいのが良いな、なんて思って生きています。

フェスティバルは決定。
試しに「レテパシーフェスティバル」と紙に書いてみたら、バッチリなんだが、なんか物足りない気もする。
安牌というか、ドキドキ感は無いな、と。
でベタですが「レテパシーロックフェスティバル」と書いてみたら、少し恥ずかしい気もするし、勘違いされそうでドキドキもするし、勘違いする奴は勘違いすれば良いのさ、なんて突き放す爽快さもあるし、、
という訳で誤解を恐れずに「レテパシーロックフェスティバル」に決めたのでした。

ロックンロールといえば2016年頃。
高円寺の北口のアコムで金を借りてビルを出た時、借りた金でも現物を握りしめると金がある気になるなあ、なんて思いながら、隣のローソンで第3のビールではなく本物のビールを久し振りに買い、アコムのビルの入り口のメシ屋の有線がなぜか爆音でかかっていたので、聞きながら本物のビールを飲んでいた。(高円寺だからピュアな上京したてのパンク男がバイト初日にイキがって店長が来るまで有線を「60年代ロックチャンネル」とかにして爆音状態で頑張っていたのかもしれないね。ピュアな上京男、まだピュアでいますか?おかげさまで名曲が生まれたんですよ。あ、つーかレテパフェスで「ロックンロール」やればよかった。あの歌すごい好きなのに全然歌ってないや、、)

こんな歌もありましたが、自分にとっては最も遠い言葉だったロックンロール(ロックンロールをやっている、と自称する人間の中に素敵な反逆者を見つけた事が無いからだな。「南無阿弥陀仏」と唱えたら極楽浄土に行ける、と同義な幼さで「ロックンロール」と唱えるバンドマン。念仏じゃないんだからさあ)を今回使ったのは、一周回ってこれが反逆的で弱くて守りたい言葉に聞こえたのと、後はさっきの「音楽が大きな海」と同じで「ロックンロールは自分が丸裸で飛行機から飛び降りても死なない程に大きな大きな湖なのでした」という感覚も最近感じてるからですね。(音楽は海な気がするが、ロックンロールと言われると淡水、湖な感じがするな。ブルースは川で、フォークは雨。)

2023年3月18日第1回「レテパシーロックフェスティバル」をやってみて、俺は「やっぱり第2回もやりたいな。そしていつかキレイな湖のほとりの森の中でオールナイトで開催して、感動的な朝焼けを眺めたいな」と思いました。

まだ小規模なフェスティバルなのに快く出てくれた「ほたるたち」「ヤスエでんじゃらすおじさん(バンド)」
本当にありがとう。
記念すべき第1回にふさわしい素晴らしいライブでした。
いつか湖のほとりの森の中に招待したいから、その時までカッコいいバンドでいてね。

そして、こんな小さな光、太陽でも星でも街灯ですら無く、まだ部屋の明かりまでもいかないかな。
あ、せっかくだから蛍だな。
蛍の光のように小さな光を見つけてくれてありがとう。
来場してくれたあなたに書いています。
いつか自慢して下さい。
「今はこんな太陽のように大きな光のフェスだけど、蛍の光の頃から来てるんだよ。えへへへ。ざまあみろ。」と。

第10回までには実現させたい。
この光、ワクワク見つめてて下さいね。
それでは第2回に向けて動き出す事にします。

PS.「第1回から来てるんだぜー!」とレテパフェスマウントを取れるように何かグッズでも作れば良かった。
神宮球場に古いユニフォームで来てベテラン感出してるヤクルトレジェンドファンみたいな感じで。
次回からちょっと考えてみよう。

PS.酒の頃は飲むだけで食事をほとんどしなかったから気にならなかったが、断酒してからは空腹という状態に1秒も耐えられなくなってきた。(いつもカロリーメイトかバナナを持ち歩いています)
昔は「ライブ中に食べ物の匂いするの嫌だな。つーか見せ物じゃないんだからモグモグしながら見ないでよー。」なんて思って「あのーすみません。レテパの最中はフード調理止めて下さい。お詫びにその間の売上予想額をお支払いしますので。」なんてお願いしてた。
でも今は自分が腹ペコ野郎なので、19時スタートで終演後もワイワイ残る人は4時間以上もいるんだから、何かフードも出さないとお腹空くよな、なんて、フェスっぽい事も考えだしました。
これも次回は考えてみよう。
こう書いてみるとすげえ自分勝手だな。
よく言われるが、今、ついに自覚したかもしれません。

PS.さっき「蛍の光」と書いて思ったが、レテパ終わった瞬間に「蛍の光」流れたらカッコいいね。
次はそうしよう。
第1回は蛍の光のように小さな小さなフェスでした!というノスタルジーに浸る為にも、大きなフェスになっても最後はいつもそれにしよう。

PS.レテパシーロックフェスティバルって長いから、略せないかなあ、と考えた。
レテロ、レテロック、うーん、、変だし嫌だな、と思ってたが、友人がレテパフェスと普通に言っていた。
あ、それでいいじゃんねえ、、なんかロックに引きづられていた、、恐るべし。南無阿弥陀仏。
うん。レテパフェス。かわいい。がんばる!
あ、でもレテパロックフェスの方がかわいいか?どうかな?
考えるの楽しいですね。ワクワク。

ではでは最後になりますが、第1回本当にありがとうございました!
これからも目撃して下さいね。
そして、俺はカッコいい出演者捜しの旅に出る事にします。
きっと素敵な人達と出会えるだろう。
まだまだ小さなフェスだけど、粋に出演快諾してくれたら嬉しいな。
我々は本気。全部信じて待っててね。

PS.あ、もう一つだけ、、
レテパシーズの夢が何なのか分かりやすいように、ツイッター部に頼んで、プロフィール文を更新して貰いました。
まあ、簡単に書くとこの二つがレテパシーズの夢です。
がんばる。

レテパシーロックフェスティバルいよいよ明後日です。
先日はほたるたちのカバーをしてみたが、今日はYDOの「東京」を録ってみました。
こちらで全編聞けます

最初は張り切って「色々楽器入れて多重録音にしてやれ!」とか思ってたが、ちょっと不安な事が起きて、そういう気分じゃなくなったので、ただ普通に自分の為に歌いました。
歌ってたら救われました。ありがとうYDO。

出演者2組のカバーをして、一人勝手に盛り上がってますが、あなたも同じ気分なら嬉しい。
明後日!お待ちしてます!

レテパシーロックフェスティバル(3/18今度の土曜!)の宣伝に何か出来ないかな?と考えました。
で、歌手なんだから歌うのが一番だな、と思い、共演者のカバーをする事にしました。

ほたるたち「いのち」です。
こちらで全編聞けます

録り終わったら一人遠い所に立っていて、ちょっとやり過ぎたかな?と不安な気がしたからカニユウヤに電話して聞いてもらったら褒めてくれた。
のでちょっと不安だが載せてみます。

気に入らない人は、セカンドアルバムに入ってるので、買って本物を聞いてみてね。(とても素晴らしいアルバムです)

明日か、明後日はYDOの歌も録ってみようと思います。
どれにしようかなー。
カバー楽しい!(なんかすごい疲れたけど)

まずは報告!

大変お待たせしました。
クラウドファンディングのリターン、先日郵送させて頂きました。
2〜3日で終わるだろう、なんてタカを括っていたら全然終わらず。
結局気付いたら10日も経ってました。
知らない住所を見ると性格的に一回一回妄想癖が止まらないので、あんな町かなあ、こんな街かなあ、どんな人かなあ、なんて考えながら手紙を書いていたら、23年選手の慢性腱鞘炎が大復活したりして「ああ、17才の頃からの腱鞘炎よ。あの頃から今でも続いているのはお前と歌う事くらいだよ」なんて手首に話しかける始末でした。
疲れたけれど、とても思い出深い時間になりました。
単純に嬉しかったしね。

不備無いように丁寧にやったつもりですが、もし何かあれば遠慮無く。(ご存知だと思いますが、天パなうえに髭も生えています。万が一変な毛が混入していても、髪か髭ですのでご心配無く。前も友達に料理作ったら「げ!あ、、違うか、、髪か髭だな、、びっくりしたー!よかったー!」と髪が混入していたのに、よかったー!と言われるラッキーボーイなので)

お礼や状況報告は手紙葉書に直接書いたので長くは書きませんが「HIROSHI DEMO」や葉書は買えなかったがレテパ好き、という人もたくさんいると思うので少しだけ書きます。

あらためましてありがとうございました。
おかげさまで9thアルバム制作も無事に始まっております。
前にこのレテパNEWSで「9thリリースは5月末予定」と書きました。
が、考えが変わりました。
ただリリースするだけならば、すぐにでも出せるのですが「9thアルバムの売り上げで10thアルバムを作る」という目標を達成するには、ちゃんと9th収録曲のPVとかも作って宣伝しなきゃな、無名の自主制作バンドなんだから、どんなに名盤でもただ出すだけじゃ広まらないんだもんな(いずれ無名の自主制作バンドでも「ただ出すだけ」で広まる世の中にするのが自分の使命な気がしてます)と思い直し、ちゃんと作戦立ててみたら6月末目標に変わりました。
で、10thアルバム「夏のアルバム」は夏リリースは無理だけど、絶対に年内に出したいな!が目標です。
おかげさまでたくさん資金があるので、9th録音+PV制作作戦でいこうと思います。

先日、録音、ミックスは終わりました。
後はマスタリングを残すのみ。

ではここからは9thレコーディング思い出写真館になります。
ヒリヒリと緊迫した殺伐レコーディングの様子をご覧下さい。

おはよーございまーす!
撮影はレテパスタッフソノダさん。
徒歩10分のご近所です。

8thアルバムのトレイラー(レテパツイッターに載ってるはず)もこんな風に家から出発してましたね。
性格的に極端なので、厚着する時はとことん厚着です。
除雪出来るレベルの厚着ですね。
北国の男だから仕方ない。
いつも春になって薄着になると「痩せました?大丈夫?」と言われます。

猫は太陽を求め、日々安住のスペースが変わります。
この時はバイクの上ですが、今は屋根の上で寝ています。
友達とかが「バイト先、嫌なやつがいてストレスなんだよね、、」とか言う時は「猫を見習って、日々最高の場所を探したまえ。ここは東京だよ?東京の良いところはバイト先が無限にあるところなんだから、ムカつく奴がいたら瞬殺で無断でやめるべし」と伝えます。

3/10現在の安住スペースはこちら。

高円寺駅で電車を待つ。
自分で選んだのではなく、色々と導かれて住む事になった街だが、今年で10年目。
あと2年で人生で一番長く住んだ街になる。(現在1位は月形町の12年)

♫高円寺から阿佐ヶ谷へ♫阿佐ヶ谷から荻窪へ♫荻窪から西荻へ♫西荻から吉祥寺♫
(僕のレテパシーズ/天国から来た男※作詞/山下由)
名曲なうえに名演なので聞いてみてね。
7thアルバム「クレイなジー」収録曲です。
誰が言ったか忘れたが「この歌は1回しか演奏したくない。テイクワン以外は考えられない」なんて言い出したもんだから、やたらと緊迫感が増し、名演奏になった。
懐かしの吉祥寺GOK1発録り。

今回は西荻で録音です。
駅前の様子。
この場所は1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」収録曲の「17」のPVに出てきたね。
あの頃はスタジオが西荻だった。

このシーンですね。
寺中さんは元気だろうか。
最後はケンカ別れだったが、今振り返ると俺も悪かった気がするな。
まあ、みんな真剣でした。
はたから見たら滑稽だったかも知れないが。

道すがら、ハジメちゃんと遭遇。
ハジメちゃんは最近故郷に引っ越した。
鵠沼海岸の湘南ボーイなんです。
通うのは大変そうだが、海のおかげか、ドラムは引っ越してからますます良くなってる気がします。

今回はここだ!
西荻フラットの地下の部屋。

7th、8thアルバムと一緒にやってきて明らかな事が一つある。
それは録音、ミックス、マスタリング、は全てカニユウヤに仕切らせるのが一番良い、という事。
明らかに俺より才能がある。
今回はこの場所を選んでくれた。
天井がめちゃくちゃ高い不思議な作りの部屋でした。

カニ先生到着。
さあセッティングです。

ね、天井高いでしょ?
これがミソみたいです。
手前のカラフルな首巻きは、9thアルバム2曲目の「無色の歌」の歌詞
♫おまわりの予告通りに懐かしい雨は降ってきて♫
の時に緊急避難の雨宿りをした道の駅で買いました。
地方の道の駅でよく見る、値札に製作者の名前が書いてある系のやつです。

あ、写真あった。
ありがとう!こずえばあさん。

セッティングをする馬場友美。
彼女がいなければ今のレテパはありません。

セッティングは2時間くらいかかります。
そういえばハジメちゃんいつの間にかタバコ吸わなくなったな。
俺は慢性気管支炎〜の声帯ポリープ治療の時にタバコはやめました。

小倉クリーム塩パンを買ったら、中が空洞で大騒ぎ。
騙された!と思ったら、塩パンというのはこういうものらしい。
菊竹南が教えてくれた。(この人とてもおもしろいんですよ)
まだセッティング中で和気藹々。

カニユウヤが書いてくれた初日の工程表。
「HIROSHI DEMO」の収録曲見たら分かるから、書いちゃうが、9thアルバムはこんな感じです。

1.四面道信号待ち
2.無色の歌
2.ヒーローと
4.イカレた人
5.最後のGB戦士
6.数学と国語
7.ホワイトアルバム
8.激めん
9.カニハウス
10.さんちゃんへ

ちなみに「HIROSHI DEMO」はこんな感じ。
※これは中ジャケですが、こう見ると、たくさん歌が出来たなあ、健康になったなあ、と思います。
※2020年〜2023年に出来た歌。ちなみに不健康だった2013年〜2019年までは7年間で10曲しか出来なかった。

さあ、そろそろ始まるぞ。
ヘッドホンがずれないように赤い紐を巻いています。
この赤い紐が何か分かりますか?

答え→横浜赤レンガあたりを歩いていると嫌でも目にする「カップヌードルミュージアムで自作のカップヌードルを作った人がカップヌードルを首からかける時に使う紐」です。
先日ひょんな事から行く事になったが、この紐が無料で置いてあったので「レコーディング時にみんなにあげたら喜ぶだろう!」と思い人数分失敬した。
が、ハジメちゃん以外からは断られた。
ハジメちゃんは気に入ったらしく「今度ライブでも巻いてみようかな」と言ってました。
3/18にもし巻いてたら温かく見守ってやって下さいね。

もちろん俺も付けてます。
写真撮ってくれてるのがスタッフソノダさん。
うちの実家に一緒に泊まった時に、父がパジャマに貸してくれたパーカーを気に入り、そのまま貰って愛用しています。
胸に「fantasista」と書いてます。

その旅の時に見た夕日。
この人もいなかったら今のレテパはありません。

さあ、録るぞ!
※キッズの為に今作の録音方法を書いておきます。
7th,8thは全部いっせーのせ!の一発録音でした。(アナログテープ)
今作は、ドラム、ベース、ピアノを同時に録り、その後で、ギター、歌、を録りました。
が、レテパはクリックNG(曲中で速度が変わるので)だから、いつもの速度感を出す為に、録ってはいないがギターも歌もいつも通り演奏しながらドラムベースピアノを録っています。
写真はそのセッティング状態。

鏡に映ったハジメちゃんの真剣な眼差しと赤い紐がプリティーです。

さあ、録るぞ!
の直前にヤハタトシキがとった行動は、、
「両方の靴の紐を固く結び直し天を仰ぐ」
でした。
これは動画の方が伝わるかな(お気付きかもですが、この写真は全部動画のスクショです)
このシーン、小学校の運動会のリレーの選手みたいで、ヤックンの人柄が出てる名シーンだから、この動画を見せる為にも9thのトレイラー作ろうかなあ、、

まず左足

次は右足

天を仰ぐ

緊張感伝わったでしょうか。
メンバーみんな性格は違うけれど「自分達はすごくいいものを作ってるんだから、ちゃんとしなきゃな」というスタンスは同じです。
そして「すごくいいもの」の「すごくいい」のレベル。
「ちゃんとしなきゃな」の「ちゃんと」のレベル。
も全く同じ感覚を持てています。
これはなかなか共有出来ないものです。
同じ覚悟、という感じ。(全然明るく軽やかにですけどね。暗い覚悟では無いです。颯爽としたやつ。俺達は明るい!)

で、録音終了の瞬間の表情がこれだ!

録音本番は撮影NGなので(気が散るから)ありませんが、このヤハタトシキの写真を見れば、どんな録音だったか分かるでしょう。

分からない鈍感な人のためにダメ押しでもう一枚。
帰る時のヤハタです。

もうお分かりでしょうが、大名盤です。
やったぜ。お楽しみに。

PS.カニ、俺、の録音シーンは撮影してなかったのですが、一瞬だけボーカル録りのセッティングのシーンがあったので、今日はそれでおしまい。

PS.右下に「激めん」がありますね。
9thアルバムの8曲目は「激めん」という歌です。
北海道(東北も?)限定の昔からあるカップ麺です。
ロマンチックなメンバーが「激めんに激めんを啜る音を入れてはどうか?」と言って持って来たが、録り忘れて、後日普通に食いました。
「激めん」の名前の由来は「激しく生きてほしい」というメッセージなんだそうです。
そんな事知らずに子供の頃から食べてましたが、去年テレビでやっててそれを知り、こんな歌が出来たのでした。

うん。激しく生きてるよ。
あとはレテパにまかせとけ。

昨日テレビのチャンネルをポチポチと変えていたら、ちょうどMステで、ブルーハーツのトレイントレインの映像を流していました。
懐かしの◯◯特集みたいなやつだと思うけれど、こういう懐かし特集みたいなやつで、ブルーハーツが流れるといつも「今、人生が変わった人が何人いるんだろう!運命のアンテナがビビビビビ!って感じで」と思いニヤニヤしてしまいます。

ネットとかで自分で検索して出会うのとは、ビビビビビ!の感度が違う気がします。
自分はネットやスマホは「速度」と「量」が不向きでほとんど見ません。(ツイッターの140文字の文章も、それを書く為だけのアカウントで140文字にまとめて、それをレテパツイッター部に送って投稿してもらっています)

家ではテレビと本ばかり。(図書館まで徒歩3分!駅近物件より、図書館近物件の方が家賃高くて良いと思う)
最近はテレビの話をしても友人達は興味が無く「うちテレビ無いんだよね。つーかひろしはテレビめっちゃ見るんだね、、」と意外そうな顔をされます。(昨日の金曜ロードショー見た?と言ったら「見た見た。やっぱり金曜ロードショーで見るのは一味違うよねえ。魅惑の深海パーティーが云々、、とツーカーで話せる友人にツナオジェットボーイというのがいます。彼の素晴らしいアルバム「ファースト!!」がいつの間にかひっそりとサブスクで配信されていました。みんな聞いてみたら良い。そしてセカンドの「未完成」も素晴らしいアルバムなので配信される日を待ちましょう)


※あと、彼が新バンド「ヴィンセンツ」を組んだらしいです。2/26にデビューライブとの事。俺はレテパのスタジオがどうしてもその日しか入れないので行けないが、皆さん伝説の始まりを目撃してみましょう。

シンガーソングライターの脳みそとしては、テレビ視聴は最適だと思う。
40%くらいは画面を見ているが、残りの60%は画面から派生する自分の世界を旅してます。
そういう意味では、ラジオも読書もネットも、それ自体に集中してしまうので、その最中に歌は出来ないが、テレビ程度の遊びのある脳への刺激は、シンガーソングライター脳にはちょうど良い気がします。テレビ見てる最中には歌がよく出来ます。

ツナオさんと出会ったのは2005年くらい?かな。
俺は毎年自分の手帳に「自主企画に出てほしいかっこいいバンドリスト!」というのを書いています。
毎年増えたり、減ったりしていきますが、2005年からずっと彼の名前は燦然と輝いております。

そして、去年の2022年の手帳に新たに書き加えられた(エラソーに聞こえますかね?すげー謙虚な気でいます。芸術に対してだけは)かっこいいバンドに、、

「ほたるたち」
「ヤスエでんじゃらすおじさんバンド」

がいます。
その2組にオファーしてレテパシーズ企画をやる事にしました。

出てくれる、と決まった時の自分の喜びようを思い出すと「ああ、これが自分の全てなんだな」と再認識させられます。
大好きなバンドに大好きです。とドキドキしながら伝えて、出演を快諾してもらえる。
これは何よりも嬉しいんです。

ヤスエさんも穂高亜希子も、かなり昔からの知り合い。
だが、去年のライブを見ての感動は本当にすごかった。
この3組が順番にライブをしていくと、一体どんなことになるのでしょう。

答えを目撃しに来て下さいね。
お待ちしております!

PS.最近ライブハウスによく行くけれど、ただの発表会みたいなイベントが多い気がする。
なんか自分はおせっかい気質なので、オープンから終演退場の瞬間まで、全時間に自分の手垢を付けたくなってしまう。
良くも悪くも(まあ俺は良いと思ってますが)レテパ企画はこってりしてますので、ライブハウスの雰囲気は嫌いだなあ、というあなたもレテパシーズが好きならば信じてご来場してみてね。(レテパ企画はそこらへんの宗教なんかよりもよっぽど老若男女森羅万象全生物ウェルカムなんですよ)

PS.イベントタイトル「レテパシーロックフェスティバル」にしちゃいました。
「ロックなんて一番自分から遠い言葉だなあ」と思って生きてきましたが、なんか最近さすがにロックという言葉が可哀想な気がしてきたので使っちゃいました。
上から目線でごめん。ロック。

PS.世界中に溢れる「ロック」「ロックンロール」という文字の95%は俺の人生に水を差すような白々しさを与えたが、思いっきり「ロックンロール」の世界の人なのにずっと好きだった人に鮎川誠さんがいました。
先日亡くなってしまったと聞いて、大切な思い出を思い出しました。

以下、大切な思い出

2000年9月3日
自分は北海道岩見沢緑陵高校の進路未定の3年生でした。
進路未定と言っても色々あると思いますが、、

「とにかく世界中で一番キレイな音を出したい」と病的に思い込み、ひたすら一人でアルトサックスを吹き続けた高校2年生が、3年生の時に友部正人の「反復」(「ベストセレクション」というアルバム。歌手になったきっかけは?と問われたらこのアルバムになります)を聞き衝撃を受けてフォークシンガーになろうとした。(その前のハイロウズやブルーハーツ体験では衝撃は受けたが、自分でやろうとは全く思わなかった)

早速東京に旅立ち、ぴあ(ライブハウス情報が載っていた)を片手に「ライブ出演オーディションライブ!参加費1000円」みたいなやつに片っ端から出たが、全部門前払いされた。(あの時の冷たい対応。一生店名忘れません)

「これだ!歌だ!」と「反復」により希望に満ち溢れたのに、全部門前払い。(ちゃんと友川かずきや遠藤ミチロウとかがスケジュールに載っている、自分を分かってくれそうな店に行ったのに)

2000年9月3日は、まさに絶望状態「真の進路未定」の時期でした。(この1ヶ月後の10月1日に札幌東区161倉庫に救われる事になります)

自分は岩見沢にある実家に住んでいましたが、2才〜13才まで住んでいた隣町の我が故郷月形町でこの日「メロンジャム」という野外ライブフェスがあったのでした。
※メロンが特産品だからメロンジャム
※北喜常というライブレストランのオーナーが主宰していた
※北喜常には高田渡とかもライブをしに来ていて、親が見に行っていた。(泥酔した父はなんと渡さんのツアー車に乗せられて帰って来た事がある)

毎年、地元のアマチュア(月形刑務所の刑務官がメンバーのバンド「Jailhouse」が歌う「Jailhouse Rock」なんかが名物?だった気がする)とか、大都市札幌からちょっと偉そうなセミプロみたいなバンドが来ていました。

が、この年は「東京からすごいバンドがやってくる」というので、久しぶりに大好きな月形の空気も吸いたかったし、行ってみる事にしたのでした。


※実家の壁に今も貼ってあるポスター(長津さんの名前もありますね!)

その後の事は、先日レテパツイッターに載せてもらったこの140文字が全てかな。

以下引用

地元の小さなお祭りにすごいバンドがやって来るという。
半信半疑で会場に着くと謎の生物が全力で何かをやっていた。
何をしてるのかは分からなかったけど「全力」なのと「自分の味方」なのはハッキリと分かった。
味方がいるなら頼もしいぞ、と進路未定の17才は自分も歌う事にしたのでした。(古宮大志)

※140文字(ツイッターは140文字が最大)では書ききれなかったのですが、本当は「歌う事にしたのでした」よりも「歌う事をやめない事にしたのでした」と書きたいところでした。

調べてみたら、その頃のシーナ&ロケッツのスタッフの方?のホームページがありまして、セットリストを載せてくれていました。

これ見て思い出したが、ラストは確かに「Johnny B. Goode」でした。
英語苦手なので歌詞の意味は分からなかったが「なんとでもなるからゴーだよ。大志。ゴーゴー!」と言われた気がして、とっても元気になったのを思い出しました。

思い出したらまた元気になりました。

そしてスタッフの方のページに載っていた、この写真の赤マル。
多分、俺ですね。

ずっと続いていくのです。
シーナ&ロケッツ、あの日はありがとうございました。
引き続きゴー!します。

PS.2/7で断酒4年になりました!
詳しくは専門的に長くなるので書きませんが、

レテパシーズが自分の全て→そしてそれは飲酒すると終わってしまう

というシンプルで最強の方程式が、この4年間の断酒を成功させてくれました。
メンバーだけでなく、レテパシーズを必要としている人達がいないと、この方程式は最強にはなりません。
おかげさま、だと勝手に思っております。
勝手にありがとう!
これまた引き続きゴー!ですね。