第5回レテパシーロックフェスティバル開催します。
2024年10月25日(金)
東高円寺ロサンゼルスクラブ
「第5回レテパシーロックフェスティバル」
開場18:30
開演19:00
前売3000円(1D別)
当日3500円(1D別)
※第4回のチケット提示で半額になります
※今回のチケットは第6回の半額券になります
出演
川崎テツシ
犬丸二
僕のレテパシーズ
【food出店】
トムヤム酒場イーダ屋
※レテパ3代目ベーシストの飯田裕が出店してくれます
川崎テツシの歌を初めて聞いたのは2017年。
この年は、自分が生まれた1982年から2024年の現在まででも、断トツで辛い年だった。
自分ではコントロール出来ない類の困難に襲われていた。
そんな時、自分と同じ匂いのする人間に会えた。
目の前には絶望が広がっていたが「ほらね。やっぱり。ざまあみろ。」といった感じでニヤリと笑う事ができた。
当時死ぬ事ばかりを考えていた俺にテツシ君の「インナースカイ」は優しく響いた。
そして今、この歌を久し振りに聞いたけど、やはり優しく響くね。
2017年頃は「6枚のアルバムだけは、6枚のアルバムだけは」とそれだけを考えて生きていた。
2024年の今は「12枚のアルバムを完成させるんだ。そして13枚目以降がもしあるのならば、13枚目以降のレテパの事を後期のレテパシーズと呼ぶ事にしよう。」なんて思えている。
1th〜6thが初期のレテパシーズ。
7th〜12thが中期のレテパシーズ。
13th以降があるのならば、それは後期のレテパシーズ。
死にたかった2017年。
ほとんど死ぬ事なんて考えなくなった2024年。
今の方が歌を歌えている気がする。
でも、もしかしたら、死ぬ確率なんて、今の方が高いのかも知れない。
生きるとか死ぬとかどーでも良くなっている絶好調の今の自分を、早くテツシ君に見てもらいたいな。
きっと気に入ってくれると思う。
犬丸ニの歌を初めて聞いたのは2023年。
THEドイ(犬丸二の大泉咲さんがボーカルだった)のライブを見て、犬丸二の音源に辿り着いた。
THEドイも良い歌だな、とは思ったが、犬丸二にはそれに加えて衝撃があった。
すぐにライブを見に行こうと思ったけど、残念ながら犬丸二は活動休止していた。
なので「犬犬波」というアルバムを繰り返し繰り返し聞いていた。
30歳を超えて今と同じこと言ってないんじゃないのって、うるせー
本当に優しいことが言えないなら何も話すな
アルバムの4曲目「ボーイズアンドガールズキラー」のこの部分はいつも一緒に歌ってしまう。
そして5曲目「犬っ走り」の世界に浸りながら、色んな事を思い出す。
このアルバムの「犬っ走り」の長さはとても素晴らしい。
自分の今までの思い出全てに、喜怒哀楽が出現する寸前のギリギリのちょうど良いスピードで、トントントンって触れて走っている感じがする。
いつ聞いても薄曇りの明るさな懐かしい気分になれる。
実は去年、THEドイにもレテパフェスにオファーしたのだが、待てど暮らせど全然返事が来なかった。
なんか変だな、と思っていたら「実は解散する事になりました。」と返事が来た。
悲しかったけど、犬丸二が活動再開するというニュースが届いたので、西荻窪のフラットにドキドキしながら見に行った。
ステージの無い狭い会場なので、あまり前だと緊張するな、とは思ったが、犬丸二以外を目に入れたく無い気分だったので、1番前で見た。
ライブが始まる前、セッティングしながら大泉咲さんはマイクを通さないくらいの小さな声で「ああ、なんでこんなに酔っ払っちゃったんだろう。」「あー、もう一回トイレ行きたいな。」とか、ぶつぶつ呟いていた。
ファンの勝手なイメージだが、その日みたいな出演者たくさん出る系のイベントを主宰出来る感じの人では無いのでは?(繊細で気苦労が絶えない純粋な印象を持っている)と思っていたので、長い長い自主企画の主宰のトリの演奏前、全然平気じゃない彼女の感じは、納得出来たし、あーやっぱりね、と思えて少し笑ってしまった。
そしてそんな平気じゃない彼女を支えるベースの人とドラムの人(まだ名前が分からず、すみません)の演奏や態度も素晴らしかった。
素敵な3人組だ、よかったね、と思った。
川崎テツシ、犬丸二、二組ともまだまだ書きたいけれど、もう少し近くなってからまた書きます。
今日はとりあえず、ご報告。
ご予約お待ちしています。
以下は少しだけ近況報告。
得意の日記風でお送りします。
○/○
3rdアルバム「永遠に、たまに」のリミックスを行う。
台風が接近していたが、元嫁のユキコは「湘南で行われるaikoの野外フリーライブ」を見に行くと言って嵐の中を飛び出したので、俺が息子のお守り当番。
しょうがないので、高円寺の家を会場にして息子を抱えながら作業する。
参加メンバーは馬場友美、カニユウヤ。
いつもの通り、まずは2人で作業してもらい、完成したやつを俺が聞いて微調整。
カニババ2人が作業している時は、作業内容を知りたく無いので、別室で息子に絵本を読ませて待っていた。
「あいうえお絵本」みたいなやつが食い付きが良いので読んでいたら「た」のページのタコの絵を見た後に立ち上がりタコのぬいぐるみを持って来たので驚いてしまった。
「そ」のページの空の絵を見た後は、窓の外の空を指差した。
へー、母親に仕込まれてやがるな、と思っていたら、下の階のカニババに呼ばれ作業に戻る。
そしてそこからが怖かった。
息子を膝に乗せながら「ユーレイ」という歌を聞いていたら、いきなり息子が立ち上がり、仏壇の遺影達を指差しちゃった。
「いやいや、さすがに偶然だろう、、」と思い、膝の上に戻すのだが、またすぐに遺影達を指差してしまう。
うーん、超能力ベイビーになってしまっているな。(まだ1才半)
まあ多分、成長と共に普通の人間になるのだろう。
3rdアルバム「永遠に、たまに」リミックスリマスター盤は今月中には皆さんに聞いてもらえると思う。
期待してていいよ。すごいから。
○/○
ユキコ、息子、と共に大槻さんのお見舞いへ。
ユキコには「あんた1人でやってるの?」と離婚の心配をしてくれていた。
俺には「いやあ、俺はもう死んだよ」と30分で5回くらい言っていた。
だけど先輩、幕はまだ下りてはくれないらしいですよ。
アンコール、アンコール。
もう少しだけ一緒に夢を見てみましょうよ。
※以下後日加筆
大槻さん関連?で一つ面白い事があったのを思い出した。
ので、以下加筆します。
○/○
元々嫁から、文章無しでこの画像だけが送られて来た。
俺は一瞬で全てを理解してニヤリと笑った。
こういうのがレテパシーだよな。最高。
時間とか関係無く、ただ風に吹かれて生きている人達だけが繋がっていれるのだと思うよ。
と、ここで結びたいところだが、意味分からない人の為に以下補足。
僕のレテパシーズ9thアルバム「RADIO LETEPA」の収録曲「ホワイトアルバム」に出てくるエピソード。
※以前解説をレテパツイッターに載せてもらっていたので、その画像も添付します。
2000年、20才の頃。
その頃はバイトもやめてしまい、ちょうどプラプラしていた。
出会って2ヶ月の女と同棲を始める事になり、相手のご両親に挨拶に行った。
すると、その父は「この娘は中学を辞めて以来、コソコソ色んな男と付き合っていたみたいだが、挨拶に来たのはお前が初めてだ。気に入った!」という事になり、俺もその頃マイブームだった「男はつらいよ」の歌を大声で歌ったりして意気投合。
「ところで結婚はしないのかい?」と聞かれたものだから「ああ、しますします。もうしちゃいましょう。」という事になり、そのまま出会って2ヶ月で籍を入れてしまった。(俺は大失恋の後で少しヤケになっていた)
その後も、こののんべえの義父とは気が合い、よく飲んだのだが、ある日「おいひろし。このレコード棚にあるビートルズのレコードを全部お前にやる。今すぐ持っていけい!」という事になった。
で、酔っ払ってるし、ビートルズには詳しく無かったし、義父も泥酔してるし、で「ホワイトアルバム」だけ見逃してしまったのでした。
最近義父はレテパの「ホワイトアルバム」を聞いてくれたのだろう。
いきなりこんな画像が送られて来たものだから、俺はレテパシーを感じ、ニヤリと笑った、というお話でした。
ちなみに、この話がなぜ大槻さんに関係があるのかというと、真黒毛ぼっくすのアルバム「夢の旅」収録曲の「大浜海岸へ」の中で大槻さんの事を怒鳴り散らしている男と、このホワイトアルバムの義父が同じ男なのです。
俺が離婚した後、この義父は大槻さんの義父になったので。(現在は大槻さんも離婚済み)
ただの札幌の床職人の男が東京のバンドの2つの歌に出てくる、というのは痛快ですね。
それだけ魅力的な男なのでしょう。
イカれてはいたけれど、頭の良い人だった。
以上、書き忘れていたので後日加筆でした。
多少大槻さん関連という事でここに載せたかった。
さあ、がんばろう。
「夢の旅」はまだ続くみたいだぞ。
今見たら、前回のレテパNEWSから1ヶ月も経っていますね。
前回のNEWSは第4回レテパシーロックフェスティバル直後だったので「第5回もやるぞ!」みたいな文章でした。
今、レテパシーズが何をやっているのか、少し分かりづらいかもな、と思ったので、今日は分かりやすくまとめてみようと思います。
そして、関口萌のお休み、復帰についてもご挨拶がてら経緯を書いてみますね。
「第5回レテパシーロックフェスティバルについて」
前回のNEWSで書いた通り、第5回は夏の終わりにやるぞ!と思い作戦を立て始めた。
前々から、いつか呼ぶぞ!と思っていたお馴染みのバンドがいるのだが「仲の良い彼らとやるのなら、身内ノリは嫌だから、もう少しレテパフェスが大きくなってから呼びたいな」と思い、今までオファーせずにいた。
が、ふと「いつまでも先延ばしにしていて、もし〇〇さんが死んだりしたら、すげえ後悔するな。うーん、もう少し先にしたい気はあるが、今回オファーしちゃおうかな。うん!そうしよう!」と思っていたら「〇〇さん、倒れたんだって」と知らされた。
なので、色々考え込んでいたら、1ヶ月が経ってしまった。
でも、ようやく動き出す気分になってきたので、また作戦立ててみます。
マイペースですみません。
夏の終わりと言ったけど、10月開催にしようと思います。
多分自分の時間感覚は壮大なタイプなので、10年単位くらいで大きく考えてしまう。
が、この感覚は自分以外には通用しないもんな。
あれこれ考えずに、好きな人にはさっさと好きと言う事にしよう。
というわけで、第5回についてはもう少しお待ちを。
秋のはじめに会いましょう。
「音源制作について」
今レテパシーズは、10thアルバムの制作をしています。
一度はマスタリングまで終わったのですが、同時に行っていた6thアルバムのリミックス、リマスターを聞いていたら、思うところがあり、ミックスに戻り再作業。
それもようやく終わりそうです。
10thは全曲夏の歌の「夏のアルバム」というアルバム。
リリースは冬のはじめ、かな。
そして関口萌も復帰したので、スタジオでは無事に11thアルバムのアレンジが始まりました。
色んなタイプのバンドがいると思うけど、レテパシーズは所謂「シンガーソングライターがいるバンド」なので、毎回アルバム1枚分10曲の宅録デモ音源と歌詞をみんなにまとめて配って「さあ!11thアルバムもがんばろー!打倒10thアルバムだ!」という感じです。
まずは前半5曲のアレンジを進めていますが、11thはなんだかすごそうです。
そして「シンガーソングライター」としては12thアルバムに入る予定の歌が7曲出来ました。
生活が混乱した状態だと歌は出来ないタイプなので、今回は時間がかかっています。
11thアルバム収録予定の歌の中で最後に出来た歌は2023年4月11日の「ホンダ」という歌。
その後は息子が産まれたり、断酒後初のバイトを始めたり、なんやかんやで混乱期。
なので、2023年12月1日に出来た「12月1日」という歌までは、歌が出来る気配は全く無かった。
「12月1日」以降は、またポンポン出来ていたのだが、離婚や引っ越し騒動で大混乱期を迎えてしまい、出来なくなった。
が、最近やっと落ち着いたのかな?
また歌が出来るムードになって来た気がする。
まあ、出来なくても全然構わないんですけどね。
でも、出来るとやはり嬉しいものです。
「僕のレテパシーズNEWSについて」
最近は「自分は文章を書くのが好きなんだ!」とようやく気付いたので、このレテパシーズNEWSを書くのも好きです。
その割には頻度が少ないのですが、その言い訳&夢、を書くと、、
12thアルバム用の10曲が出来たらレテパレパートリー全120曲の詩集を本にして出したいな。
多分120曲揃うのは、11thアルバムリリース(2025年の冬な気がする)よりも前になると思うから、せめて歌詞だけでも早く読んでもらえたら嬉しいな。
そして、120曲に対する手紙のような120の文章を書いて、これも本にしたいな。
詩集は「僕のレテパシーズ詩集」という題にしよう。
120曲への手紙の方は「僕のレテパシーズに捧ぐ」という題にしよう。
と夢見ているのです。
なので、1人で「僕のレテパシーズに捧ぐ」用の文章は書いているのです。
決してサボっている訳ではないのです。
アルバイトの喫茶店も当初の週4ではバンドの活動資金や借金返済には足りない事に気付いたので「週5寄りの週4」にしてもらっています。(「良いバンド活動は良いバイト探しから!」というのは本当ですね。悩める後輩達にこの格言を送りたいと思います)
私はがんばっている!会ったら褒めて下さいね。
以上、言い訳&夢、でした。
まあ、こんなところかな。
今のレテパシーズの活動報告は。
それでは、以下関口萌の復帰について書きますね。
「関口萌のお休み、復帰について」
結局、期間としては4ヶ月の短いお休みだった。
休む時にも文章を書いたのだが、その時はハッキリとは理由が書けなかったし、休み期間もこんなに短いものになるとは思っていなかった。
この前ハジメちゃんと話して、今となってはお休み、復帰、についてちゃんと書いておこうか?という事になり、文章については俺に任せると言ってくれたので、いつもの感じで思い付くまま、日記風で書いてみる事にする。
2021年7月3日
テレビをつけると「熱海伊豆山」の土石流のニュース。
レテパ通販の常連さんに「熱海伊豆山」の住所があった事を思い出し、心配になる。
返事は来ないだろう、と思いつつ、面識の無いお客さんにメールを送ってみた。
突然のメールですみません。
僕のレテパシーズの古宮大志です。
いつもありがとうございます。
テレビで土石流のニュースを見て心配になり、思い切ってメールしてしまいました。
大丈夫ですか?無事をお祈りしています。
古宮大志
まあ、どちらにせよ返信なんて来ないよな、なんて思っていたらすぐに返信が来た。
そのメールがあまりにも予想に反した内容だったので、嬉しいのとビックリしたのとで、興奮して涙目になってしまった。
以下、メールそのまま。
古宮大志様
ご心配、ありがとうございます!
土砂崩れの場所はかなり近かったのですが、私の所は大丈夫です。
ただ、まだ雨が降っていて心配なのです。
90才になる母と、避難所ではなく、伊豆長岡温泉の宿に泊まっています。
いままで内緒にしていましたが、実は私は関口萌の母です。すみません。
萌がお腹にいた時は大好きなジョニー・ウィンターの曲ばかりかけていたので、萌が影響されてしまったのかも…
古宮さんはすごい!と思います!
レテパシーズ、大好きです。
あ、それから私もハイロウズのライブは必ず行ってました。
即死を聞いた時からマーシーのファンになりましたが、ハイロウズが解散したとたん、裏切られた気がして聞くのをやめました。
色々事情があるでしょうけどね。なのでクロマニヨンズも聞きません。
今はブルースの曲か、ボブ・ディランばかり聞いています。
音楽がないといられないですよね。
すっかり長くなってしまいました。
これからもどうぞ宜しくお願いします。
ご心配いただき嬉しかったです。
古宮さんも、体調お気をつけてください。
ではまたいつか、ライブ見に行きます!
本当にありがとうございました。
関口千鶴子
無事だった事。
そしてハジメちゃんの母だった事。
そしてハイロウズの「即死」は俺も1番好きだったので、色々一気に押し寄せてきて、なんだか嬉し泣きしてしまった。
まだメンバー&妻だったユキコに大興奮の涙目でこのメールを見せた事を覚えている。
○/○
数日後のスタジオ。
はじめちゃんに「チヅコさん!レテパシーズのファンじゃん!なんで隠してたのさ!」と問い詰めると、はじめちゃんも知らなかったらしく、照れていた。
照れていた、というよりも、少し怒っている感じで照れていて、中学生みたいだった。
反抗期の少年のように、母の話をされるのは嫌そうだったので、チヅコさんの話はハジメちゃんとはしない事にした。
○/○
チヅコさんから仲井戸麗市のCDが送られて来た。
「ファンクラブ限定のやつだから持ってないと思って。」と手紙が添えられていた。
窓を開けて、雨を見ながら聞いた。
チヅコさんのお陰で、久し振りにチャボに会えた気がした。
○/○
はじめちゃんから「母が癌になった。」と聞かされた。
すぐにチヅコさんに連絡してみたら「数日後に東京の病院で検査を受けるんです。」と言うので、検査の日に病院に会いに行った。
この日が、はじめまして、だった。
神宮球場の横の大病院の前のベンチで話した。
「自分はこんなに元気なのに、癌だなんて信じられない。」と言っていた。
○/○
俺とユキコに息子が産まれた。
熱海のチヅコさんから熱海銘菓の「猫の舌」や「熱海七尾たくあん」やら、いっぱいお祝いが届いた。
添えられた手紙には、病状は落ち着いている、と書いてあった。
○/○
はじめちゃんに、明らかに疲れが見えてきた。
スタジオの遅刻や欠席が目に見えて増えていた。
話し合ってみると、チヅコさんの癌の進行、チヅコさんの高齢の母の体調悪化、その他家族のキツいあれこれ、新しい職場の過酷さ、等々、俺なら一つでも投げ出しそうな案件を全て抱え込んでいる事が分かった。
つまらない現実主義者の俺は「今はレテパ休んだら?その間はアディーに打診してみるよ。アディーなら叩いてくれると思う。」と提案した。
はじめちゃんは「うん、でももう少しがんばってみたい。限界になったら遠慮無く言うよ。」と言った。
確かこれは新宿ロフトの前の道での会話だった。
レテパのライブ後だったと思う。
2人で深刻に話していたら、遠くからカニ君が充実した顔で歩いて来た。
「カニイヤン。妙に良い顔してるじゃん。」と俺が言うと「そこのバッティングセンターに行って来ちゃいました。」と言っていた。
うまく言えないが、なんか自由で良いバンドだなあ、と思ったのを覚えている。
○/○
「最近は体調が悪いので、10thアルバム以降は多分私は聞けないと思う」とチヅコさんがメールをくれた。
10thアルバム収録予定の「そばにいる」という歌は、特にチヅコさんに聞いて貰いたい気がしていたので、宅録のデモテープを歌詞と共に送った。
この時はじめちゃんにこの話はしていないと思う。
が、スタジオではじめちゃんは妙にこの「そばにいる」にこだわった。
アレンジの時もすごく熱心だった。
多分、死んでいく人に聞かせたくなる歌なのだろう。
2023年11月25日
僕のレテパシーズ9thアルバム「RADIO LETEPA」レコ発ライブ。
チヅコさんは癌がだいぶキツくなっていたが「これを逃すともう行けないと思うから。」と言ってライブを予約してくれた。
予約のメールには写真が添付されていて、そこにはチヅコさん所有の友部正人のレコードが写っていた。(この日はゲストで友部さんが出演してくれた)
ライブ当日、体力の無いチヅコさんには物販席に座ってもらった。
俺はその後ろで友部さんのライブを見た。
友部さんのライブが終わり、俺はチヅコさんの背中を軽く叩いて「では、行ってまいります。」と言った。
チヅコさんは無言で深くお辞儀のように頷いた。
○/○
はじめちゃんから「限界なので休みたい。」と伝えられた。
俺はアディーに電話した。
アディーは快諾してくれた。
○/○
チヅコさんが亡くなった。
チヅコさんの母も後を追うようにすぐに亡くなった。
はじめちゃんから「落ち着いたので、戻りたい。」と連絡をもらった。
すぐに俺は11thアルバム用の10曲の歌詞をメンバー分コピーして、デモ音源と共にみんなに渡し「おかえりなさい、はじめちゃん。11thはすごいアルバムになるぞ!打倒10thだ!がんばろー!」と言った。
PS.
結局チヅコさんと会ったのは、神宮球場の横の大病院の前のベンチと、9thレコ発の時のライブ直前の一瞬、の2回だけ。
でも、この歌のように「そばにいる」という感じがします。
別にチヅコさんの為に作った歌では無いけれど、第4回レテパフェスではこの歌を歌いながらチヅコさんの事を思い出していました。
「そばにいる」
いつの間に ベイビーキッズ
いつの間に ボーイ&ガール
いつの間に ダーリンハニー
いつの間に とーちゃんかーちゃん
いつの間に ゴーストエンジェル
いつの間に シースカイウインド
いつの間にの人生なら
この街のどこかに
この街の明日に
この街の昨日に
この街の古い公園に
僕らが残すものなんて
きっとありきたりのもんさ
落ちてるのを見つけても
誰も拾わない落し物
そんな街の風景になれたら
なれてたらいいな
さよならさ ベイビーキッズ
さよならさ ボーイ&ガール
さよならさ ダーリンハニー
さよならさ とーちゃんかーちゃん
さよならさ ゴーストエンジェル
さよならさ シースカイウインド
さよならだけが人生なら
この街のどこかで
この街の明日で
この街の昨日で
この街の古い公園で
僕らが残すものなんて
きっとありきたりのもんで
朽ちていくのを見かけても
誰も気にしない忘れ物
そんな街の風景になれたら
なれてたら 僕ら
そばにいる
第4回レテパシーロックフェスティバル終了。
のりもの、メシアと人人、ロサンゼルスクラブ、目撃してくれた皆さん、目撃したかった皆さん、本当にありがとう。
どれか一つでも欠けてたら、我々はあんなライブ出来なかったと思う。
上記に名を連ね、アディーにもありがとう、と書いても良いんだろうけど、なんかアディーがレテパでタイコを叩くのは当然の行為な気がしてしまう。
だから、ありがとう、という感じとはちょっと違うんだよね。
でもほんと良い経験になりました。
しかも、お互いに良い経験になったんじゃないかな。
アディーがレテパで叩いていた2012年から2017年の間は、こういうライブは出来なかったもんね。
もちろん、あの頃にしか出来なかった事もあるんだろうけど、希望の光も絶望の影も、今の方が圧倒的に強いと思う。
だから、今の方が良いバンドだな。
という書き方は、よくないな。
あの頃もちゃんと今の一部。長い進化の途中だったのだろう。
ずいぶんと命懸けで大博打な二度とごめん系の進化だったけど。
全てが今に繋がっていると思える。
あんなにも、過去を全否定のリセット人生だったのにね。
いいぞ。いいね。要するに好調だな。
と、書きながらも、本当ならば「次のレテパフェスは⚪︎月⚪︎日!⚪︎⚪︎が出演します!」みたいな案内をライブ当日、少なくとも今日のレテパNEWSとかでは、発表するべきなのでしょう。
毎回ちゃんとそのつもりなのだが、レテパフェスが近くなると「うーん。もうだめだな。全然予約も入らない。やめたいな。何を?どこまでやめる?」という気持ちになってしまう。(結局たくさんの人が来てくれて嬉しかった。が、皆さん予約が直前なんだよな、、まあ良いんですけど。自分もそういうタイプだし。が、まあ心臓や精神に悪いや、、まあしょうがないんですけど、、)
そういえば、今回のレテパフェスは初めて一人暮らしの状態で準備しました。
離婚前、ユキコと暮らしていた時は「どうして毎回毎回レコーディングやレテパフェスとかの前になると、大規模な揉め事が起きるんだよ。俺が大事な時期になると喧嘩を売ってくるのはやめてくれ。支えてくれなんて思ってないから、せめて放っておいてくれ。」というようなセリフをこの数年間で何度吐いたか分かりません。
が、今回一人になってみて良く分かった。
俺が勝手に一人でデリケートでナイーブになっていただけだった。(アディーは昔から俺の事を「デリケートでナイーブ、だから古宮君はデリーブ」と評している)
昔は自己分析なんて一切しない性格だったが、アル中治療の中で「自分の行動を客観的に見て間違いを認める。しかも0か100かで大雑把に認めるのではなく、82対18みたいにちゃんと細かく具体的に向き合う」というクセが身に付いているので、今回の「一人暮らしでの初めてのレテパフェスでも一人で勝手にデリーブになっていた」という経験は大いに勉強になった。
なので、この前ユキコに会った時に「すまん。やっと分かりました。今まで大事な時期に喧嘩が多かったのは、俺がデリーブになっていただけでした。」と謝ったら「やっと気付いたのかバカめ。私は前から気付いてたけどね。」と息子に乳を与えながら勝ち誇った顔をしていた。
久し振りに見た息子はこんがり焼けていて、まるで「カントリーマアムチョコまみれ」みたいになっていた。
「え?チョコまみれみたいじゃん。1才児ってこんなにこんがり焼いて良いものなの?」と聞くと「バレたか、、」と苦笑いしていた。
ユキコの一族には「人生はレジャー。この世にはただ遊びに来ただけ」という強烈な家風が浸透しているので、きっと毎日どこかに連れ去られているのだろう。
がんばれ息子。
話が少しそれたが、ほんと毎回毎回自分でも嫌になるくらい落ち込んでしまう。
が、結局とても素晴らしい第4回だった。
もっと信じなきゃなあ。修行が足りないね。
ふと思ったが「フェス」って良いタイトルなのかもしれない。
今までの自主企画は全て自分一人で作ってた気がする。
メンバーもお客さんも関係無く、全て自分一人で。
でもレテパシーロックフェスティバルは一人では作れない。
もう、一人で作れるものには飽きてしまったのかも知れない。
変わっていく。何もかも。
が、自分一人で作っていたあの頃のライブよりも、今のレテパシーズのライブの方が圧倒的に好きだ。
なので、変わるの上等。
ざまあみろ。レッツゴー。(ああ、この歌6年振りに歌ったね)
2020年2月21日の復活ライブ以降はライブの回数も少なく、ライブがうまくいかなかった時期のトラウマもたまに思い出される。
なので、アスリートみたいで恥ずかしいのだが、ライブ直前には手帳のメモを見るようにしている。
そのメモには、
「歌は演奏されたがっている。(やさしくしてやろう)」
「興奮→演奏、では無く、演奏→興奮」
「下へ下へ」
なんて書いてある。
前回のレテパフェスの後には、
「もう一部屋あった」
と書き足した。
今回のライブ後には、
「テキトーで良い。もう全てOKになった」
「一人で作れるものには飽きた」
と書き足した。
もしかしたら、最近はアホで忘れっぽいので、次の第5回の前にはまたデリーブになっているかも知れない。
だけどそれすらも「テキトーで良い。もう全てOKになった。」の中での出来事と思える気がする。
第4回のおかげです。皆さんありがとう。
それでは第5回に向けて動き出そうと思います。
夏の終わりに会いましょう。
愛してるよ。またね。
PS.メシアと人人、のりもの、についてはライブ前にたくさん書いたので、サンキュー!アイラブユー!とだけ書いておこう。
いつか野外で盛大にやるぞ。
それまでちゃんとカッコいいままでいてね。
PS.レテパシーズのセットリスト。
せっかくのアディーだったので、1st,2nd多めでした。
PS.ロサンゼルスクラブ、どうでした?
次もここでやろうと思います。
今回は妙にデリーブになって、計画していた作戦を全然遂行出来なかった。
「計画していた作戦」
↓
①フェスっぽくフードを出すぞ!
②来場者が記念写真を撮れるように「レテパシーロックフェスティバル」という文字のネオンサインを作るぞ!
③毎回来てくれる人に何かお礼をしたいから、割引スタンプを作るぞ!
次回に向け、怠け者の自分にプレッシャーをかける為にも書いてみました。
あ、③は今回の急な思い付きで「手書きチケットに次回の半額券を付けよう!」を実施出来たから、まあクリアだな。
腕もげそうになりましたが。
半額券、次回忘れずに持って来てね。
PS.というわけで、最近はデリーブモードだったせいもあり、今年から月一で書いていた「日記風シリーズ」を書いていませんでした。
4月以降書いてないや。もう何が起きたかも忘れかけている。
今日のおまけに一つだけ明るい感じのやつを書いておこうかな。
結構、心配してくれている人もいるので。
6/⚪︎
息子に太平洋を見せる。(写真は海を見せているところ)
もう3回目の海なので、全然動じない。
ちなみに2回目の海の時は、俺が立ちションしたら強風すぎて「宇宙飛行士がスペースシャトル内で水滴を浮かせて遊ぶ」みたいな状態になり、浮かんでは飛んでいく黄色い液体に息子は目を見張っていた。
まんまるの目玉。開いた口。
ほんといつでもナイスリアクションな小僧。
3回目の海は伊豆の海。
彼は海よりも砂浜に落ちている漂流物に夢中。
木の棒を2本拾い、両手に持っていつまでも離さず。
帰りの車内でもバナナを食べながらも棒は離さず。
バナナを口に入れた後に、棒を絶対に舐めるので、なんでだろう?面白いな、と思い俺も舐めてみたら海の味で塩辛かった。
やるな小僧。
甘いのとしょっぱいのを交互に楽しむなんて、グルメな男だな。
おい、夏が始まるぞ。ちゃんと日焼け止めは塗りましょうね。
親愛なるメシアと人人。
彼らとの出会いはいつだろう?
今、検索してみると、、
2016年10月23日(日)京都二条 nano
で対バンしていると書いてあるサイトを見つけた。
しかもこれはレテパシーズの2ndアルバム「愛してるよ」のツアーと書いてある。
※興味ある方はどうぞ↓
僕のレテパシーズ、9月14日発売の2ndアルバム『愛してるよ』からMV「札幌ナンバーの最後」公開。インストアライブも決定
俺はこの頃の記憶は全く無い。
このサイトに書かれている全日程全く覚えていない。(アルコール依存症の影響なので、うろ覚えとかでは無く全くのゼロ。)
ツアー最終日に「ツアーファイナル!詳細後日大発表!」と勿体つけて書いてあるファイナルに何が行われたのかも全く思い出せない。
心身共に限界を迎えつつあった俺に代わって、この頃は他のメンバー達が全てを仕切ってくれていた。
でも今、当時の「2016」と表紙に書かれた黒い手帳を開いてみると、ちゃんと「自主企画に呼びたいカッコいいバンドメモ」に「メシアと人人」と書いてある。(昨日も書いたが、ちゃんと「逃亡くそタわけ」とも書いてある。ついでに書いておくと、このあと出てくる「and young…」の名前もある。)
記憶は無くとも、真贋は見極めて生きていたのだな。えらい。
自分の中でメシアとの1番古い記憶はこの翌年になる。
忘れもしない悪夢の2017年。
第一次断酒治療を始めたが、治療法が合わず、断酒起因の鬱になり、ライブがうまく出来なくなったのだった。
今でも思い出すと「あー!ああああ!」と突発的に声が出てしまう程の「大後悔ライブ」は全てこの年の断酒鬱の時期のものだ。
そんな2017年の9月24日。
下北沢のベースメントとスリーの2会場で行われた「ボタヤマオリンピック」というイベントでは、and young…、僕のレテパシーズ、メシアと人人、というタイムテーブルで3バンドが並んでいた。
このライブの前に、もうすでに何回か鬱状態のライブを経験していて(心が全く動かない。ライブ中にも客と自分に対して「死ね」としか思えない。しかも全く熱の無い感情の「死ね」。全てが白々しく一つ一つが離れて見えていた。)この状態ではまともなライブは出来ない、と知ってしまっていたので、この日が来るのがとにかく嫌だった。
しかも、大好きなアンドヤングとメシアに挟まれている。
だけど、最低のライブになるのは目に見えている。
この数年前、京都のnanoでアンドヤングと対バンした時、メンバーの皆さんは随分とレテパを褒めてくれた。
その褒め方がすごく嬉しい感じの褒め方だったので、俺は今でもハッキリと覚えている。(連続飲酒状態だった2016年と2018年以外の年の事は割と覚えている。)
もちろんその日、レテパシーズは予定通り最低のライブをした。
ライブ後、楽屋に行くと、数年前にあんなに嬉しい言葉で褒めてくれたギターの方(お名前失念、すみません。カノウさんじゃ無い方。)から「随分と変わったんだね、、」と言われた。
自分が大好きなバンドの人の前で、自分でも最低のライブしか出来ないと確信した状態でステージに立つ。
そして案の定、大好きな人に失望される。
バンドをやっている人間にとっては、何よりも辛い事なんじゃないかな。
なので俺は自信を持って2017年を地獄と呼べる。
レテパの最低ライブの余韻に感化されたのか?
レテパの次の出順だったメシアのライブもあまり良くなかったと思う。
苛立った様子で、やたらと汗だくの北山君の姿を覚えている。
まあ、俺はそもそも鬱状態で何を見ても心が動かない時期ではあったのだが。
ライブ後に北山君がちゃんと落ち込んでいたので、やはり悪いライブだったのだろう。
メシアのライブ後、ベースメントスリーのビルの横の横の横?のコインランドリーの横あたりの駐車場に座って、北山君と話した。
その時に彼から「昔レテパのライブ盤LIVE AT MOTIONをタワレコで買って聞いていた」「とても素晴らしく、普段自分は日本人のバンドは聞かないがこのライブ盤には感動した」というような事を言われたのを覚えている。(多少言い方違うだろうが、許して。意味は合ってるはず。あと彼はコテコテの関西弁だから、関西弁に変換して下さい。)
一応関西弁に変換しておくと「普段日本人は聞かへんのに」という言い方が何だかとっても嬉しかったので、今でもこの会話は覚えている。
この後、レテパは崩壊や停滞や再生をして、2020年からは完全に復活した。
体調が回復して俺の外交も復活したので、ライブハウスにも足を運ぶようになった。
手帳の「好きなバンドメモ」に書いてあるバンド達のライブも久しく見ていなかったので、今でもちゃんとカッコいいかなー?どーかなー?元気かなー?と視察に行ったりしていた。
今日は自分の大変さばかりを書いてしまっているが、きっと他のバンドだって色々大変なのだろう。
俺が外交を遮断していた2〜3年の間に、消えてしまったり、続けていてもダメになっていたり、メモから消えていくバンドもたくさんいた。
そういう時、俺はとても悲しく悔しい気持ちになる。(レテパの「イカレた人」という歌がそういう気分の歌です。聞いてみて。)
あんなに素晴らしかったあの時期に、なぜもっとたくさんの人に見てもらえなかったのか、と。
バンドなんて、長く続ければ良い、というものでは無いので、短命なのは全然構わない。
が、素晴らしい時期があったのに、あんな白けて閑散とした、あるいはヘラヘラニヤニヤしたただの寂しがりやの社交場のようなライブハウス、で演奏していただけで終わってしまうなんて。
なんか、このまま舞台から去るのはどうしても気持ちが悪い。
これはもう、正しい正しくない、とかじゃなく、自分の性格の問題なのだろう。
なので、数年振りに見たメシアのライブには感動したうえ、とても嬉しかった。
とりわけ、去年ベースメントで見たメシアはとても素晴らしかった。
メシアのライブが良いか悪いかは素人でも簡単に判断が出来る。
今、彼らのアルバム「BOMB」を開き歌詞カードを見ているが、2曲目「band」の歌詞の通りなのだから。
バンドをやってる僕のこと
汚いでしょ ダサいでしょ
バンドをやってる僕の顔
醜いでしょ ブサイクでしょ
バンドをやってる僕の体
臭いでしょ 臭いがする
バンドをやってる僕の歌
綺麗だろ 綺麗になりたい
北山君の事がキレイに、美しく見えるんです。
そんな時はドラムのナツコの事もちゃんとキレイに美しく見える。
そしてきっと北山君が汚く見える時は、ナツコの事もちゃんと汚く見えるだろう。
要するに良いバンドという事。
一心同体、とかでは無く、一つの風景という感じだね。
美しい風景か、汚い風景か、今日の夕焼けがどんな風に見えるのか。
明日、そんな感じで眺めてみて下さい。
メシアと人人の2人の事を。
PS.来場した人に何か記念になるものを!と思い、急遽チケットを作る事にしたのだが、取り寄せたミシン目入りの用紙をコピーする術が分からず、、仕方が無いので昨日から全部手書きで書いています。
腕がもげそうになってきたが、たくさん来てくれると信じてまだまだ書いてみる事にしよう。
昨日これを見た友人に「え?なんでハンコ押してるの?」と言われてしまったが、俺が大切にしてきた思い出のチケット達には、何故かハンコが押してあったんだよね。
真似して押してみたが、変なのかな?
まあ、ご愛嬌という事で。
このチケットを宝物にしてくれる人がいると嬉しいです。
では明日!杉並のロサンゼルスで会おう!
ご来場お待ちしています!
昨夜は途中で失礼しました。
続きを書きます。
「親愛なるのりものについて」
まずはこちらをご覧下さい。
素晴らしいので。
「控えめに高く飛ぶ」/のりもの
彼らとの出会いは10年以上前だろう。
「のりもの」の3人(クソ虫、キクチ、カゲヤマ)が在籍していた「逃亡くそタわけ」というバンドとレテパシーズはよく対バンしていた。
その頃の逃亡の印象を正直に書くと「クソ虫、カゲヤマ君、キクチ君の3人は天才肌の化け物だ。楽器を持つと無敵になれるが、ギターボーカルのノリ(人名。グルーブ的なノリと意味では無い。)だけがちゃんと普通の人間で、楽器を持ってもまだ人間を捨て切れないでいる」という印象だった。
そんなノリの人間らしい暗さも俺は好きだったし、大きく分けると自分もそっちのタイプだと思うので、プライベートでもノリとはよく飲んだ気がするが、他の3人とはライブハウスでしか会わなかったと思う。
その後、俺はアルコール問題で数年間ライブハウスにも行っていなかった。
なので、その頃の彼らの動向は全然知らない。
2020年にレテパが復活してからは、外交も復活し、昔の知人にもたまに会うようになった。
が、彼らには会わなかったな。
俺の手帳の「自主企画に呼びたいカッコいいバンドメモ」にも毎年手帳を新調する度に「逃亡くそタわけ」と書いていたものだが、多分その頃はもう書いていなかったと思う。
逃亡、活動してたのかな?
が、勝手にもう活動していないような気がしていた。
そんなある日、俺は珍しく他人を殺しそうになった。
その頃住んでいた高円寺の街を歩いていたら、いきなり泣き声の男に声をかけられた。
「ああ!ひろしさんだ!助けて下さいー!」
見ると、カゲヤマ君だった。
明らかにパニックな感じになっていた。
どうしたのか訳を聞いてみると、目の前にいたガールズバー?のキャッチの男にしつこく付き纏われ、店に引きずり込まれそうになって困って泣いていたらしかった。
それを認識した瞬間の俺の殺気は凄かったと思う。
明らかにそのキャッチを殺そうと思った。
それは、カゲヤマへの友情や義侠心なんかでは無く、自分の信じている音楽の世界の才能、芸術、歴史に対する攻撃への反撃、という感じだった。
お前なんかが触れて良いものじゃ無いんだ。殺す。
自分でも気持ち良いくらいの瞬間的な青ざめた炎の沸騰だった。
察したキャッチはすぐに謝り消えた。
「ありがとうございますー!」と泣きながら笑うカゲヤマ君を見ていたら「こいつは本当にギター弾くしか無いんだな。羨ましいなあ。」と思った。
自分は彼と比べると、やはりあまりにも人間だ。
そして去年。
逃亡くそタわけの「人間以外の3人」が「のりもの」というバンドを結成している事を知る。
いつもならまず音源を聞くのだが、音源はまだ配信されていないようだった。
仕方がないので、普段あまりMVは見ないのだが、唯一の情報源だったので「控えめに高く飛ぶ」の映像を見てみた。
あはははは、天才3人が音を鳴らすとこうなるよな。
その日はずっと何度も何度もこの映像を繰り返し見た。
そして、すぐにライブを見に行った。
大塚のミーツ。
螺旋階段?を降りる途中、階下のクソ虫と目が合った。
何年振りに会うのだろう。
もちろん断酒後初めて会うので、シラフで彼の顔を初めて見る事になる。
まあ、変わらないクソ虫だった。
都会も田舎も似合う顔をしているな。
地球どこでも似合いそう。
海でも山でもメトロポリスでも紀元前の世界でも縄文時代でも人類滅亡後の地球でもどこでも違和感無さそう。
要するに良い顔。
書いてて思い出したが、昔クソ虫企画?(多分新宿ナインスパイス?)かなんかで、彼がステージでダッチワイフと戯れていた時にも、上記のカゲヤマの時と同じ類の気持ちで、なんか音楽や芸術の神様に背中を押されて俺も参戦してダッチワイフと戯れた気がする。
ひどく厳粛な茶番劇。
のりもののライブは全くの予想通りだった。
「予想通り」というのはこういう意味だ。
↓
その頃の俺はライブハウスに行く度に悩んでいた。
カッコ良い、カッコ悪い、センスが良い、センスが悪い、とかそんなのは抜きにしても、なんで2023年のライブハウスで流れる音楽がこんな感じなんだ?
何をどう感じて生きていたらこんな風になるのだろう。
自分が歌い出したのが2000年なので2000年から書くが、
2000,2001,2002,2003,2004,2005,2006,2007,2008,2009,2010,2011,2012,2013,2014,2015,2016,2017,2018,2019,2020,2021,2022
はどこに行ったのだろう?
この人達、どんな気持ちで生きているのだろう?
俺の感覚ってやっぱり少しズレてるのかな?
2023年のライブハウスに咲く花は、もっと違う花な気がするなあ。
ムカつくなあ、つらいなあ、もうやめた方がいいのかなあ、レテパ。
と思っていたが、目の前の「のりもの」の3輪の花は俺が想像していた花と全く同じ花なのでした。
大きさも、色も、香りも、根の強度も。(決して強い根では無い。意外と簡単に片手で抜けるコンクリートの隙間に生えてしまった雑草の花のあの感じだ。)
あーあ、安心した。
こうなるよね。そうこなくっちゃ。
俺と同じ気持ちの人達がいる。
なんて心強くて安心なんだろう。
終演後、キクチ君と少し話した。
あの素晴らしいのりものの歌達はキクチ君が作っているらしい。(ライブではクソ虫の作った歌も1曲?やっていて、それも良かった。)
キクチ君ともシラフでは初めてだし、あの頃の記憶はひどく曖昧なので、当時何を話したかなんて覚えていない。
ので、失礼ながら、初めて話した気になった。
初めて話したキクチ君は天才肌の化け物ではなく淋しそうな人間だった。
そういえばドラムを叩いている時も、昔と違いただの天才って感じでは無かったな。
あ、クソ虫もカゲヤマも前より全然人間だった気がする。
天才肌の化け物の3人が、自分の人生や人間の話を始めてしまった。
そんな感じがした。
そしてそれは、ずっと人間だった奴らなんかよりもずっと、人間の世界を純粋に見てしまっていると思う。
疲れる時もあると思うが、がんばって。
本当に貴重なバンドなんだよ。
引き続き、彼らの前に無遠慮な敵が現れたら迷わずぶっ殺してやりたいと思う。
PS.「親愛なるメシアと人人について」は明日にします。
すみません、今日はもう書けそうに無い。
お楽しみに。
PS.夏頃にレテパドラムの関口萌が復帰予定です。
これについては後日ちゃんと詳しくお伝えします。
よって鈴木亜沙美のドラムは今回のレテパフェスのみ。
せっかくなので初期のナンバーもたくさんやります。
あと、せっかくのブランキーなアディーとだから「思わずブランキー」もやる予定。
予習して来てね。(6thアルバム「アコースティック」収録曲です。あの歌の冒頭のタラタッタタがアディーは今の所苦手です。今夜もスタジオなのでみっちり扱こうと思っています。)
PS.予習して来てね、と言いつつ、未発表の10thアルバムからも4曲やります。
せっかくなので6/14までの期間限定で「歌詞」のページに歌詞載せますね。
読んで予習してみよう。
※加筆→文章冒頭に「①②③がある」と張り切って書いてます。
が、途中で力尽きました。
②③については明日書きます。ご容赦を。
以下本編。
↓
第4回レテパフェス、いよいよ今度の金曜です。
今日は色々書きたいので、目次?みたいに番号振ってみます。
①レテパフェスについて
②親愛なるのりものについて
③親愛なるメシアと人人について
では、レッツゴー。
①「レテパフェスについて」
今回で4回目。
正式名称は「レテパシーロックフェスティバル」。
今となっては「ロックンロール」「ロックンロールⅡ」なんて歌もあるので、このイベントタイトルに違和感を感じない人も多いかも知れない。
でも、自分としては音楽ジャンル的にもフォーク、ブルース、ジャズ、という感じでロックというジャンルには一番親しみが無かった。
なんなら、例えばチャボとかシオンとかどんととか、ロックっぽいアレンジの歌よりも、遅くて静かな感じ(メロウ?ナロウ?英語は苦手)の歌の方が好きだったので、ボガンボよりも、どんとソロの「ゴマの世界」を何度も聞いたし、シオンも「蛍」「きれいだ」「元気か」「早く帰ろう」「Machiko」「Once Only Love」なんかが大好きで、シオンさんには悪いが、ロックっぽい歌は結構飛ばしてアルバムを聞いてしまっていた。(浅川マキなんかもたまにロックアレンジみたいなのが来ると台無しになる事が多かった。なのでハッキリ書くと「ロック」には恨みの方が強かった。)
今こうやって歌のタイトルを書いてても懐かしくなるが、10代の頃はシオンのこんな優しい歌達の中にずっと住んでた時期があった。
が、サブスク配信ではシオンは中期以降のアルバムしか配信されていないので、この辺りの歌はCD買わないと聞けないよ。
と書いてみて、今一応見てみたら、、
初期のシオン配信されてるじゃん!ぎゃー!大事件!
よく「ブランキー、ブルーハーツは配信されてない最後の砦だ!」なんて声を聞くが、俺としては「シオンの初期」と「友部正人の初期」と「AZUMIの全て」が配信されたら今後の日本の音楽は大きく変わるだろう、と思っていたので、嬉しい。
これで日本音楽史の未来が少し明るくなったな。
これから歌い出すキッズ達もガラスのハートをブンブン振り回しながらすくすく健やかに育つ事だろう。
上記のシオンの歌なんかを聞くと「お!古宮大志はシオンの影響でかいな。」と思う事でしょう。
でかいでかいよ。そりゃそうだ。
10代の頃、本当に助けられたんだから。
シオンのせいで話が外れた。
戻します。
何が言いたかったかと言うと、自分としては「ロックフェスティバル」というタイトルを付けるなんて夢にも思わない10代20代30代だった。
2度目の結婚式が偶然6月9日だったのだが、それを知った古い友人にも「らしくねーな。一体どうしたんだ?」と言われたくらいだった。
では、この「レテパシーロックフェスティバル」というタイトルをどうして付けたのか?と聞かれたら「なんか最近、ロックが、助けてー!とレテパに訴えかけているような気がしてきたから、、空耳かしら?でもハッキリと聞こえるんだよなあ、、」と答えるだろう。
ちなみに、レテパのメンバーで言うと、はなえもん(2015-2017)が唯一のロックンローラーだったと思う。
他のメンバーは、パンクス、ブルースマン、J-POPマン、バンドマン、という感じ。(もちろん全部褒め言葉。)
あと、最近のレテパのライブ中、いつもの「喜怒哀楽全てを出し尽くした後のレテパシー大放出」のその先に、もう一つ小部屋があるような気がする時がある。
なんかそこは「ロックンロール関連」の部屋な気がしている。
次のレテパフェスでも、無事にこの小部屋をノック出来たら嬉しいな、と思っている。
その部屋は決して大きな部屋じゃない気がする。
1人しか入れないくらいの小さな部屋の感覚。
このバンド、まだ次の部屋があるんだなあ。
まあ、幸せか。だってバンドマンなんだから。
久し振りに文章書いたら、なんか楽しくてイベントタイトル説明だけで長々と書いてしまった。
今日は②③と続くので①をまとめます。
さっきちょうどシオンとか書いたからちょうどいいや。
簡潔に書くと、有名無名関係無くカッコいい人々のみを集め、このフェスを野外でドカーンとやりたい、のです。
俺は昔の文学の世界のような感じにしたい。
有名な大家も無名の新人に影響を受けて、いつまでも緊張していてほしい。
無名の新人には「いいものを作れば先人達に絶対に評価される。もしかしたら酷評かも知れないが、少なくともちゃんと見ていてくれている」という安心感とドキドキで胸がいっぱいの日々を過ごしてほしい。
有名な大家にも無名の新人にも、ちゃんとした絶望や希望を胸に秘め音楽活動をやっていてほしい。
今の有名音楽界や無名ライブハウス界隈両者に蔓延っているあの諦めの感じでは無くてね。(心のないやさしさは敗北に似てる、か。ほんとそうだな。)
最近は「サブスク配信」により有名も無名も同じ土俵に立てるようになった。
これからは、昔の文学誌、同人誌の世界のように純粋な「作品至上主義」の世界になっていくと信じている。
もしかしたら、俺が生きている間には全然無理かもしれない。
そんな簡単な事じゃないんだなあ、と思い悲しくなる事も多い。
けど、なんか楽しくて嬉しくてうまくいきそうな気がする時もある。
でも、前方の光。といったところでしょうか。
まあ、20代だった2000年代。
30代だった2010年代。
グデングデンのゴーロゴロだった自分が悪い。
でも、歌だけは腐らずに残った。
から、良しとしよう。
レテパフェスは2024年に第4回、5回。
2025年に6回、7回、8回、9回。
そして、2026年夏の第10回でイメージ通りの野外フェスにしたい。
我々レテパシーズはそんな夢を見ています。
まずは次の金曜日。
第4回レテパシーロックフェスティバルでお待ちしております。
PS.自分はよく初対面の人に「暗くて怖いイメージだったが、こんなにも明るいおしゃべり男なんですね。」と言われます。
なんで、怖いと思われるのか分からないが、今日みたいな文章が真面目過ぎる印象なのかなあ?
ハッキリ言って、俺を含めレテパシーズは基本的に人生を舐めきった不真面目集団だと思う。
うまく言えないが、レテパフェスはちゃんと楽しい感じのフェスティバルでもあるので、しのごの言わずに楽しみたいあなたもぜひぜひ。
文章にすると固いかもだが、初見の人でも居心地の良い空間だと思いますよ。
そして、レテパフェスは映画館に似てる、という人もいます。
映画館に似ているのなら、やはり映画館を出た後の街の光がどんな風に見えるかが勝負な気がするね。
あ、チラシの感じが暗いのかなあ。
次からは他の人に作ってもらおうかな、、
あ、しかもまだ梅雨来ないじゃんねえ、、
故郷の北国では梅雨が無いから、時期が未だに掴めない、、
まあ、雨じゃなくてもロサンゼルスクラブの目の前の青梅街道が帰り道にキレイに見えますよーに。
なんか、このPS.うまく書けなかった気がするな。伝わったかな?
要するにレテパフェスは「楽しみたい人も悲しみたい人もカモンカモン」なフェスなんです。
あ、キャッチコピーが出来ちゃった。
PS.今の無名状態のレテパフェスから見てくれている人がいつか「わしは伝説の第4回を見とるんじゃ。のりものではクソ虫が、メシアでは北山が、レテパではヤハタが楽器をへし折ってしまいそれはそれは壮絶な第4回じゃった。ほれチケットもあるぞい。」なんて自慢できるように自作のチケットを作ってみようかな、なんて思っています。
が、なんせデジタルに弱いバンドだから、結構手作り感満載になるかも。
いつも来てくれる人に何かお礼がしたいから「第4回のチケットを第5回来場時に持参すると入場料半額!」みたいな事も考えています。
お楽しみに。
PS.今回の会場はロサンセルスクラブです。東高円寺です。
第1回〜第3回までは新宿歌舞伎町のMarbleでした。
今回の会場変更、すごく迷いました。
昼間のマーブルにも行き、マーブル鈴木店長とも色々お話ししました。
一応誤解無いように少しだけ、今回の会場変更について書きますね。
今回の離婚騒動の時に改めて現実を見ようと思い、レテパシーズの運営についても直視してみました。
改めて見てみると、それはあまりにも赤字覚悟過ぎました。
良いものを作っているのだから金なんかどうでもいい、いつかなんとかなるさ、という考えの元、借金は膨らむ一方。
本来なら身分相応な活動に変えて「アルバムは数年に1枚出せたら幸い」「スタジオ回数も減らす」「集客が弱いのなら自主企画はやめる」「ましてや過去作のリミックス、リマスター、なんてもってのほか」といった事になるのでしょう。
でも、やはり自分達は回遊魚タイプなんです。
せっかく行きたい所があるのだから、やはりそこまで全速力で泳いで行きたいのです。
毎回のレテパフェスやレコ発ライブ、Marbleの厚意で滅茶苦茶ありがたい使い方をさせてもらっていました。
が、今のレテパフェスの規模感だと、恥ずかしながらマーブルの大きさでも大き過ぎたのです。
もう少し小さい場所じゃなきゃ、厳しいな、、と考えていた時に、ロサンゼルスクラブが浮上してきました。(今、カニ一族が経営している。最近カニ父がオーナーになったので。)
まずはロサンゼルスを満員にする。
そして次はマーブルを満員にする。
そして次は、、次は、、
なんだか、夢見るバンドマンって感じだね。
楽しいや。がんばります。見てろよ。見ててね。
冒頭に加筆したが、ここで力尽きた。
②③は明日書きます。
お楽しみに!
6thアルバム「アコースティック」のリミックス、リマスターを行いました。
同時進行で新作10thアルバムのマスタリングも行っていたのですが、6thの出来が素晴らしすぎて、10thはミックス作業からやり直す事にしました。
それくらい素晴らしい6thアルバムになりました。
6thリミックスの作業は馬場友美が行い、カニユウヤと俺が立ち会ったのですが、作業中にカニ君に「この6thアルバムはレテパの作品の中でダントツに再生数が少ないんだよ。」と伝えると、たいそう驚いていました。
「え!?こんなにも名盤なのに?」と。
俺の予想だと「ジャケが俺1人の写真」「タイトルがアコースティック」という事で、特殊なソロ寄りのアルバムだと思われているのでは?と睨んでいます。
「アコースティック」ってタイトルですが、使っている楽器はいつもと同じです。
ただなんか「アコースティック」って言葉が似合うアルバムだと思い、このタイトルにしました。
「ジャケが俺1人の写真」なのはコロナの時期だったし、そもそもメンバー全員で撮影に行く金も無かったし、、で1人の写真になりました。
このジャケの写真は、俺の故郷月形町南耕地にある思い出の三角屋根の家の前の道で撮影しました。(ソロのアー写とかでよく使ううんこ座りの写真は、三角屋根の隣の南耕地神社の土俵の上で同日に撮影しました。今は草ボーボーで土俵だと分かりませんが。昔は相撲大会をやっていた)
今回、リミックス、リマスターを行ったのは「このアルバムが行きたい所に行くのを俺の古い感覚が邪魔をしているな」と前々から思って後悔していたからです。
今回の作業により、このアルバムが本来行きたかった所へ連れて行く事が出来たと思います。
これで無事、大名盤、代表作になれました。
でも、すぐに10thで必ず超えます。
最近俺はずっと10thアルバムの事を考えながら生きています。
6thアルバムの持つ緊張感のある儚さみたいな感覚が、10thにもちゃんと生まれれば10thアルバムが文句無しの代表作になると思う。
それまではこの6thに代表作の座を譲ろうと思っています。
みなさん聞いてみてね。
僕のレテパシーズ6thアルバム
「アコースティック」2024 Remaster
1.旅に出るなら
2.いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま
3.廃墟
4.春
5.調布飛行場
6.夕立が降ってる
7.炭住の赤い屋根に
8.月形
9.猫との午前
10.思わずブランキー
録音メンバー
Vo.古宮大志
G.高野京介
B.タカユキカトー
Key.ハダユキコ
Dr.関口萌
録音(2020年)/タカユキカトー
リミックス/馬場友美
リマスター/中村宗一郎
夜に名前を(YORU-06)
各配信サイトはこちら。
PS.レテパツイッターの方で全曲解説してみようと思っています。
お楽しみに!
PS.一応説明しておきますが、上記の「夜に名前を」(YORU-06)はレーベル名と品番です。
1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」を流通する際にレーベル名と品番が必要だったので、その頃お気に入りだった「夜に名前を」という歌をレーベル名にしたのでした。(3rdアルバム収録曲)
PS.リミックス作業中にカニ君が「猫との午前のギターを弾く為に高野さんはレテパシーズにいたのかもしれないですね。」とポツリと呟きました。
もし俺の葬式のクライマックスで1曲流すとしたらこの歌が良いと思います。
それくらい素晴らしい。
誰が喪主になるのかは分かりませんが、ここに明記しておくのでよろしく。
PS.先程書いた「うんこ座りのアー写」と「在りし日の相撲大会」の写真です。
月形町南耕地神社の土俵の上。30年前の同じ場所。
三角屋根の元実家は神社の横に今も空き家で残っています。
7才から13才まで住んだ思い出の家、俺の故郷です。
↑左が8才の私。
この頃は「若貴ブーム」だったので勝つと若貴カンペンや若貴シャーペンがもらえました。
すでに子供が少ない限界集落だったので、何度も何度も戦って若貴グッズをたくさんもらったものでした。
2000年5月
友人の家で新聞広告を見せられる。
そこには「最高傑作を世に放ち解散します」なんて書いてある。
その最高傑作を彼はもう入手していたので「聞く?サイコーだよ。」と勧めてくれたが、気に入らない歌を聞くと極度に疲れるので慎重になり「いや、とりあえず歌詞カードだけ見せて。」と1曲目の歌詞をだけを読んでみた。
そこには「Spark Jet City チェリーソーダとチェリーパイ」なんて書かれていて「チェリーにチェリーは合わないだろ。甘酸っぱ過ぎてお互いの良さを消しちゃうだろ。」とは思ったが、英語まじりの歌詞だったし、どうせビジュアル系の一種だろうと思い、その最高傑作を聞かずに彼の家を後にした。
外に出て1人になった瞬間、CDウォークマンのイヤホンを耳に刺す。
刺した傷穴に遠藤ミチロウの詩の朗読「パティ・スミスの『ラジオ・エチオピア』が聞こえる」を爆音で流し込み止血する。
親の影響だろう。周りよりも早熟だったので、音楽や文学の話は友人達と全く合わなかった生意気盛りの北国の高校3年生。
まさか、チェリーソーダとチェリーパイのビジュアル系バンドのドラマーがミチロウさんのスターリンに在籍していたなんて知りもしない、はやとちりの田舎者。
2001年夏
高校卒業後、札幌市東区にて一人暮らし。
バイトを転々としながらソロで歌ってた。
ある日友人から「タダでライジングサンに入れるよ。」と誘われる。
行ってはみたものの楽しくなくて、音楽の聞こえない場所を探し、会場内をフラフラとする。
すると20〜30人位の小さな人だかりが。
ステージも何もないところに、ドラムセットとキーボードだけがポツリと置いてあった。
そこへ、刺青だらけの男がトコトコと歩いて来た。
ドラムの前まで来る。
歩調や速度を全く変えずにバスドラの上にトンッと乗っかる。
そして「昨日ススキノ歩いとったらよー、おもしろいピアノのおっさん見つけたから何かやってみるわあー。」と言い放つ。
ひらりとそのまま椅子に着地したと同時にドコドコドコー!と叩き出した。
その一連の動きがあまりにも自然体で見事だった。
普通「バスドラに乗っかって客席に何かを言い放つ。しかもゲリラ的なライブ」という状況だと、誰もが力むだろう。良くも悪くも。
が、彼はあまりにも自然な動き。
バスドラに飛び乗る時にも、歩幅や速度が一切変わらない、普段通りの当然の一歩。
客席に口上をぶちまける時も「長年連れ添った老夫婦が交わす呼吸のようないつものおはよう」くらいの当たり前な態度。
こんな人間見た事ないな。何なんだろう、この人。と衝撃を受けていたら、隣の若者が「達也だよ!達也!」と騒いでいる。
俺は「どこぞの達也だろう?」と思いながら演奏を見ていたが、ピアノのおっさんは本当に「昨日ススキノで拾ってきた見ず知らずのオッサン」だったのだろう。
つまらない演奏だったので、彼のドラムにもそこまで感動せず、退散。
でも「一体どこぞの達也だろう?」との思いは心に残る。
2001年秋頃
札幌中心部のピヴォという大型書店で1冊の本が目に止まる。
直感的に開いてみると「どこぞの達也」がそこにいてビックリ。
さすがに運命を感じ、買って家で読んでみる。元気が出てくる。
小さい頃からの違和感が一気に解けていく。
ああ、俺と同じ感覚の人達は存在するんだな。
自分の「暗い部分」において上記の感動を与えてくれる人には何度も出会った。
そしてその人達に救われて生きてきた。
が、自分の「明るい部分」においてこの感覚を持つ事は今までに無かった。
おそらく自分は元来明るい性格なのだろう。
この本を境に、明るい部分が表に出て来て、暗い部分はたまーに現れて大暴れする、という感じになった。
今でもそうだ。
その頃住んでいたアパート(北17条西3丁目コーポ幌北)の裏の中古CD屋ビークラブで「歌詞カード無し、キズ有り、1000円」の「Bang!」を買う。
とても感動した上に、最近の音楽(それまで60年代〜70年代の音楽を中心に生きていた)で感動する事が極度に少なかったので、その部分でもえらく揺さぶられた。
現代、現実、が一気に自分に関係してきた感覚があった。
簡単に書くと、嬉しくて生きる力がどんどん湧いてきた。
ブランキーを聞いて、影響されて、まずやる事は人それぞれだろう。
俺はプレスカブを買い、テントと寝袋と地図だけを持って北海道ツーリングの旅に出た。
※上記の本のタイトルは「ワイルド・ウインター」です。
皆さんもぜひ。
2002年
上記の「現代、現在、が一気に自分に関係してきた感覚」はブランキーショック以降も続いた。
ガールフレンドが持っていた「ナンバーガール」もかっこ良かったし、この年の春に発見した「ROSSO」の1stアルバム「BIRD」を聞くと自分もバンドを組みたくなってきた。
出来る歌も明らかに変化した気がする。
歌が出来る時に頭の中でバンドサウンドが鳴るようになった。
この後、1年間だけバンドを組み、解散するまでの間はバンドっぽい歌がたくさん出来た。
解散後にはまたフォーク少年に戻ったのだが。
ちなみにこの頃の作曲でレテパシーズのアルバムに収録された歌は「SFマンボ」「空知」「札幌ナンバーの最後」「ミツバチ」「そしてトンキーは死んだ」「水平線」「東区が恋しくて」「雪包丁」。
バンドを組むと不思議なもので、同世代の友人がたくさん出来るようになった。
2003年初夏?
自分のバンドのレコーディングを161倉庫と同じビルの1Fにあるスタジオミックスで行った。
前日にロックンロールバンド(懐かしの「テキサスパコ」)を見ながら踊っていたら右手が折れてしいまい、風邪もひいて鼻声で、満身創痍のレコーディングだったが、ブランキーショックのおかげで平気に明るく録音出来た。
録音が終わり、地下の161倉庫に降りてみると、おしゃれな感じの若者のスリーピースバンドが演奏していた。
今時の売れ線な「ナンバーガールやフィッシュマンズあたりの影響下にある」感じのバンドに見えたが、後ろにいたドラマーに目を奪われた。
人間界に野生動物が混ざっちゃってるよ!と思った。
その野生動物は誰かに似ていた。そしてすぐに気付いた。
それは「どこぞの達也」だった。
演奏が終わり、話しかけた。
「すごくカッコいいね!これ俺のバンドの出来立てホヤホヤのアルバムなんです。良かったら聞いてみて下さい!あ、でもこれ入稿用のマスターCDらしいから必ず返してね。」
後日彼女はちゃんとCDを返してくれた。
そして無事に感動してくれたらしい。
俺達は仲良くなった。
2003年秋頃?
俺のバンドのドラムが抜けてしまい、急遽代打で彼女がドラムを叩く事になった。
ライブの前日に161倉庫を借りて練習したのだが、3人とも大興奮だった。(古宮大志、古宮夏希、鈴木亜沙美)
これはすごいバンドだ!運命の3人だ!と全員が同じ気持ちを持ったと思う。
が、おそらくそこで全てを出し尽くしてしまったのだろう。
次の日「MOON PALACE」で行われたライブはまあまあの感じだった。
2005年
2003年頃かな?ナンバーガールがいたメジャーレコード会社に「空知」のデモテープを送ったら東京から業界人が会いにきた。
それで舞い上がった俺は友達全員に「今度メジャーデビューするんだよねー。多分。おそらく。きっと。」と得意気に言いふらしてしまったが、すぐにバンドが解散してしまい、話は頓挫した。
ちなみに解散した原因は「ふるちゃんばっかりちやほやされるのは癪だ。私には私の歌がある。自分のバンドを組むわ。」と言い残し、古宮夏希が勝手に脱退したせいだ。
俺はメジャーデビューする、と言いふらしたくせに頓挫したのもきまりが悪いし、得意のリセット癖で「さようなら札幌。東京に引っ越そう。」とリセットボタンを押してしまった。
夢の東京だ!ワクワク。という感じの上京では無く、ヤケクソに似た逃避の上京だったので、ノープランですぐにホームシックにかかり、ボケーっとしながら悲しく暮らした。
が、多摩川や多摩丘陵をぼんやりと眺めながら出来たたくさんの歌達は、今でもレテパシーズの大切なレパートリーだから、絶対に必要な時間だったんだよなあ、と今では微笑む事が出来る。
2010年
「僕のレテパシーズ」結成。
札幌のアディーに電話してドラマーとして誘う。
が何やかんやと言い訳を言われ、断られむかつく。
ドラムは結局、藤原リョウタが叩く事になった。(現「五月リョウタ」※週刊ラジオレテパシー局長)
上京しないアディーにむかついていたら「旅に出るなら」という嫌味な歌が出来た。
※現在リミックス、リマスター中の6thアルバムの1曲目。
まもなくリリースです。お楽しみに。
2011年
「ケツが痛くてもうダメですわ。」と言い残し、藤原リョウタが脱退。
アディーに電話するも、何やかんやと言い訳を言われ、また断られた。むかつく。
ドラムはにたないけんが叩く事になった。
2013年
にたないけんがちょっとグロい失恋?のショック?でバンドを去る。
アディーに電話するも「今なら行きたい気持ちは山々なんだが、上京する金が無い。から金が貯まるまで待って。」と言う。
むかついたので「じゃあ、俺がアパートから引っ越すから俺のアパートにそのまま住めば良い。それなら敷金も礼金もかからずに飛行機代だけで明日にでも引っ越せるだろう。」と提案し、解決。
なので、アディーは古宮大志として方南町のアパートに住む事になった。
2017年
俺の第一次断酒の影響でレテパがダメになってきた。
3rdアルバム「永遠に、たまに」完成後、はなえもんとアディーが抜けた。
2024年4月
ハジメちゃんから「ここで一度休ませて。必ず戻るので。」と伝えられる。
俺はアディーに電話した。
アディーは「声かけてくれてありがとう。叩くよ。光栄です。」と言った。
PS.写真ははなえもんが描いた2017年頃の4人のレテパシーズ。
この頃はこれをアー写にしてた。
さすが、はなえもん。
あの頃の絶望のカラーがよく表現されています。
これは2016年「愛してるよ」の頃のライブ。
この頃は崩壊寸前の明るさがあったね。
なんの写真だか分からんが、珍しくツーショット。
というわけで、アディーよろしくね。
2003年、俺達が初めて演奏したあの伝説の夜「MOON PALACEのライブの前日の161倉庫での最高の練習」を余裕で超えようぜ。
第4回レテパシーロックフェスティバル開催します。
共演は「のりもの」と「メシアと人人」の2組。
昨年からずっと夢見ていた3マンなので、書きたい事は山ほどあるが、両バンドへのラブレターはまた今度。
今日はレテパシーズのドラマー、関口萌と鈴木亜沙美について。
※加筆→書いてたら長くなったので、今日は「ハジメちゃん編」にします。
ご予約はこちら。
レテパフェスはライブハウスというよりも映画館に近い雰囲気だと思う。
なので、ライブハウスが苦手な人も我々の歌が好きならば楽しめると思います。(人が嫌いでも外出が嫌いでも梅雨が嫌いでも音楽が嫌いでも自分が嫌いでも)
帰り道、街がキレイに見えるかどうか。
そんなところに力を入れているフェスティバルです。
今回は梅雨のレテパフェス。
雨の青梅街道が何色に見えるかは人それぞれでしょうが、透き通ってキラキラしていたのならば、水色だろうがオレンジだろうが我々のフェスは大成功なのです。
ぜひお待ちしています。
では本題に。
レテパツイッターでは先日告知してもらいましたが、関口萌(以下ハジメちゃん)がレテパシーズをお休みする事になりました。
そしてその穴を埋めるべくレジェンドOBの鈴木亜沙美(以下アディー)が帰って来てくれます。
まずは、そうだなあ、2人との出会いでも書いてみましょうか。
関口萌との出会いは2000年代後半だと思う。
当時俺は古宮夏希&コークスが燃えている!というバンドでエレキガットギターを弾いていて、ライブもたくさんやっていた。
で、関口萌がドラムだったバンド「Paradise」と何度か対バンしているうちに話すようになったのだろう。
そのバンドと初めて対バンした時、主宰者の人から「ひろしさん、Paradiseのボーカルはマジでヤバいですからね。気を付けて下さいよ。ほんとイカレてて怖いですからね。彼はシャレにならないですよ。ライブ中に〇〇したりするんですよ。ほんとロックですよねえ!」というような事を言われたものだから、田舎者のへそ曲がり?の俺は、多分好戦的な敵意剥き出しな態度でいたはずなのだが、ハジメちゃんとだけは話すようになった。
そのバンドの演奏は全く思い出せないが、ハジメちゃんのドラムは印象に残った。
「もったいないな。あのドラマー。」
でも、別に連絡先を交換したり、対バン以外で会う事は無かったので、彼の特徴的な喋り方と特徴的なドラムだけが後年も記憶の片隅にいた。
それから10年くらいか。
人生最悪の地獄の2017年(第一次断酒治療が始まったが、鬱になりレテパがうまく出来なくなった)3rdアルバム「永遠に、たまに」のレコーディングが終わり、はなえもんが去り、アディーも去った。
で、俺はまた酒を飲み出して「6枚のアルバムだけは 6枚のアルバムだけは」と魔法のように呪文のように唱えながら(「遺書のように 遺言のように ずっと続くバトンのように」とそれのみを願いながら)残る3枚の録音だけを目指して生きていた。
で、早くドラマーを見つけなきゃ、と思った時、10年振りに彼の事を思い出したのでした。
人伝に連絡先を探し、電話した彼の喋り方は変わらなかった。
「あ、三鷹に住んでるんだ。俺は高円寺に住んでます。一度会って話しません?中間地点あたりで。」
「じゃあ、吉祥寺にしようか。」
「OK!よろしく。」
と言うわけで、公園口で待ち合わせ。
また中途半端な断酒を初めていた俺は、ノンアルコールビールのある店じゃなきゃ嫌だな、とワガママを言って、なかなか店が見つからず(当時ノンアルは今ほど市民権を得ていなかった)結局、井の頭公園へ。
ベンチに座り、彼を口説いた。
「3枚のアルバム、残り30曲をどうしても残したい。ライブはうまくいかないからもうやらない。3枚録音したらバンドはやめる。それまでどうかドラムを叩いてほしい。」
「分かった。ライブ無しという事なら自分も時間作れるよ。ぜひ3枚残すべきだと思う。叩くよ。」
それから色々あったねえ、ハジメちゃん!
2018年9月
もうライブはやらないと言ったくせに、オファーが来たからには「秋田ハイコーフェス」だけは出なくてはいけない!と言い、断酒状態でライブが上手くいかないのは2017年で何度も実証済みだったので、無理やり嫌々泣きながら飲んで飲んで連続飲酒の耐性を取り戻し、ハイコーフェスに臨み、バッチリ歌い、トリのレテパの最後の歌はなぜか「リンダリンダ」。
多分「今年で最後かも」と言いながら毎年やめないハイコーフェスにとどめを刺して成仏させるために、リンダリンダを歌ったのでは?と今振り返ると思う。
宿泊先の水沢温泉郷でハジメちゃんは何度も何度も「この人意外と貧乏性なのかな?」と思わせるくらい執拗に風呂に入っていたのを覚えている。
昨夜からもう10回くらい入ったのでは?と思って呆れていたら、出発直前にダメ押しで「あ、やっぱりもう一回入って来よう。」と急いで部屋を出ていった彼の背中を忘れない。
2019年2月
俺の体調が限界を迎え4thアルバムレコーディングが止まってしまった。
エンジニアも怒って途中で降りてしまった。
殺気立った狂気の帰りの小田急線、ハジメちゃんは自分の昔のバンドの失敗談?みたいなのをずっと話して俺を慰めてくれた。
この日を境に「底付き」を強く再確認。
一念発起して治療法を変えての第二次断酒治療が始まった。
2019年秋?
5thアルバムの録音の時、現場の雰囲気に濁ったものを感じてしまい、俺が少し感情的になった時、ハジメちゃんは素直に謝ってくれた。
その謝り方がいい感じだった。
俺もこんなふうに謝れるようになれたらなあ、と思った。
かなりの不思議ちゃんだが、とっても素直な男。
2020年2月
今なら出来るかも、と思い、第二次断酒後初めてライブをやってみた。
忘れもしない新高円寺LOFTX、のっぺら企画。
この日に向けて本当にたくさん勉強して、準備した。
そして最高のライブが出来た。
この日ダメならやはり6枚完成で解散するつもりだったので、この日が人生のターニングポイント。
極度に気が張っていたのだろう。
帰り道、頭がいきなりもげそうなくらい痛くなり、ゲロまで吐いた。
でも人生で1番と言ってもいいくらいに幸せな気分の帰り道だった。
目が開けられないくらいの頭痛と吐き気の中、幸せを噛み締めている人間は滅多にいないでしょう。
今思い出しても微笑んでしまう。本当に幸せだったな。
このライブのあたりから世間はコロナになり、俺はユキコの祖母の高円寺の空き家に引っ越して、ゴロゴロのんびりと断酒治療のみに集中して暮らし始めた。
そしたら歌がどんどん出来るようになり、みんなに「やっぱり6枚録っても解散しない事にする。これからはライブもやりまくる。」と伝え、もともと6枚を残すためだけのメンバーだったので、タカユキ君と高野君が去ったが、ハジメちゃんは残った。(ここの説明は本当はもっと丁寧に書きたいが、今日はやめときます。いつか愛情たっぷりに書こうと思う。この書き方だと少し事実と違うかも。だが、今日は許して)
2021年4月
カニユウヤとの初スタジオ。
なんの曲だか忘れたが、カニがギターソロを弾き終わった時のハジメちゃんの顔が忘れられない。
何年も一緒にいて、あんな顔初めて見た。
心底ミュージシャンなんだな、と思った。
カニの音に触れて、喜びに満ちていた。
今までこんな顔をさせれなくてごめん、これからはこの顔を何度でもさせてあげますよ、と心の中で誓った。
「無事に残して終わる為だけのバンド」が終わった瞬間だったと思う。
多分この前後だったと思う。
ハジメちゃんに子供が産まれた。
そして職場も変わり、三鷹も離れ、空き家になっていた湘南の実家に嫁と子供と移り住んだ。
ちゃんと父親するタイプの男なので、カニ加入による「ハジメちゃんのミュージシャンとしての喜び」の部分への発火が無ければ、もしかしたらレテパを続けるのは難しかったかも知れない。
そのくらい、このあたりから彼のミュージシャンとしての天才肌の部分に火が付いたと思う。
その証拠にそれまで「スネアは昔売ってしまってからずっと持っていなかった」彼が、自前のスネアを買い、ちゃんとスタジオに持参するようになった。
2021年7月
熱海の伊豆山で土砂崩れのニュース。
レテパの通販の常連さんの中に「熱海市伊豆山」の女性がいた事を思い出し、心配になる。
迷惑とは思ったが、大丈夫ですか?とメールしてみる。
会った事もない常連さんの女性。
すぐに返信が来た。
「心配して頂きありがとうございます。土砂崩れは山の反対側だったので私は大丈夫です。そしてこの際だからお伝えしますが、私は関口萌の母なんです。でも母だからレテパを好きなわけでは無いです。レテパシーズは本当にすごいと思います。私は「即死」を聞いてからマーシーのファンで、ハイロウズのライブには必ず行っていました。」
彼女が無事だった事と、まさかの母だった事で、びっくり嬉しくて泣きそうになってしまった。(そして俺も「即死」が1番好きだ。あと「見送り」も好き。)
この感動を後日ハジメちゃんに伝えると、露骨に恥ずかしそうな嫌な顔をして思春期丸出しの中学生のような反応だった。
2023年5月
俺とユキコに息子が産まれると、ハジメちゃんはとても喜んだ。
めちゃくちゃたくさんお下がりをくれて、ビンボーな古宮家を助けてくれた。
が、この頃からハジメちゃんの家では大変な事が続いた。
俺だったら1つでも根を上げてしまいそうな事柄がいくつもいくつも関口家を襲った。
スタジオをドタキャンで欠席する事も増えてきた。
無事にスタジオに着けても、かなり憔悴した様子。
ドラムを叩いてる時は意地でもサイコーの演奏をするのだが、それがかえって心配だった。
新宿ロフトでのライブの後、少し彼と話し合った。
「ハジメちゃんは限界までがんばるタイプだと思う。が、どんなにがんばったとしても、限界を迎えてはダメだと思う。だからもし辛いのならば限界になる前にレテパを休むべきだと思う。休んでる間はアディーに声をかけてみようと思う。アディーならきっと叩いてくれると思う。どうかな?」
「うん。ありがとう。でも今はまだ大丈夫。もし辛くなったら遠慮なく言うよ。」
2024年2月
10thアルバム制作。
ハジメちゃんは「そばにいる」という歌が大のお気に入り。
不謹慎かも知れないが、こういう本当に追い詰められた状況の人がこの歌を好きと言ってくれるのは、作曲者としては嬉しい。
必ず最高傑作にしなくちゃね。
2024年4月
10thアルバムレコーディングと第3回レテパシーロックフェスティバルが終わった。
そしてついにハジメちゃんから「ここで一度休ませて。必ず戻るので。」と伝えられた。
すぐにアディーに電話した。
アディーは「声かけてくれてありがとう。叩くよ。光栄です。」と言った。
PS.写真は「ハイコーフェスにリンダリンダでとどめを刺した帰り道」のレテパシーズ。
2018年だから6年前だね。
あれから俺達がんばったよなあ。
そしてまだまだがんばっちゃうのです。
なぜなら、お楽しみはこれからだからね。
ちなみにこの時のセットリストはこれ。
01.ブルースマン
02.空知
03.見知らぬ青年との会話
04.17
05.札幌ナンバーの最後
06.ハイコーフェスが終わったら
07.海へ行こうよ
08.ロックンロール
09.ハローグッバイファックユー
10.愛は風景
アンコール
11.リンダリンダ
PS.さっき書いた2021年4月のカニ初スタジオ。
もう一つ面白い話があるので書きますね。
カニが入ると聞いたヤハタトシキは「へー、カニ君ねえ。どんなもんでしょうねえ?俺は高野さんのギター好きでしたけどねえ。」みたいな生意気な態度をとっていた。
が、カニの初ギターソロ後、ハジメちゃんが喜びに満ちた表情をしている瞬間、隣のヤハタは「負けました!完敗です!シビれました!まいった!」という感じで、これまたサイコーの表情をしていた。
さっきまであんなに生意気な態度だったのに。
なんて素直な少年なんだろう!とハジメちゃんの表情同様に、俺はヤックンにも感動したのでした。
みんなほんとミュージシャンなんだよね。
多分、俺は少し違うんだよな。
1st,2ndの頃はこの違いが結構マイナスだったと思う。
でも、今はちゃんとプラスに出来ていると思う。
なんつーか、昔より自由なバンドになった気がします。
PS.ごめん、もう一つだけ補足。
同じく2021年4月の部分。
この書き方だと、カニのギターでは着火したが、先代の高野京介のギターでは着火しなかったかのような印象を与えるかも知れません。
確かに、ハジメちゃんのミュージシャンの部分に着火させたのはカニユウヤだと思う。
が、その前の5th,6thアルバムの時期のレテパシーズは、1st,2ndの頃や、7th以降のレテパには無い、俺の歌そのままの空気が特に残せている気がします。
これはなかなか難しい事なんです。(永遠の中学生、高野京介の美徳だと思う)
その証拠に、俺は2日前から久し振りに頭痛や耳鳴りや吐き気に襲われています。
これはストレスやプレッシャーを感じた時に出る症状です。
レテパは現在、10thアルバムと6thアルバムのマスタリングを行なっています。
6thアルバムは先日リミックスもして、リマスターをした状態。
それが正直素晴らしすぎて、10thへかなりのプレッシャーをかけてきています。
自分で自分を苦しめる人生。
ああ、なんて素晴らしいんだろう。
昔からよくドMと言われます。
が、俺は「自分というものを自分で苦しめて最終的には喜びを感じるんだから、自分に対してのドSなんじゃない?」と反論します。
それでは、今回も読んでくれてありがとう!
次回は「アディー編」です。
多分来週あたりかな?お楽しみに!
3/⚪︎
息子とテレビ。
膝の上にはサンタナ。(元ノラ猫。2年前から家に入ってくるようになった。名前の由来はヤクルトスワローズの外国人選手ドミンゴ・サンタナより)
放送していたのはアメリカの歴史のドキュメンタリーだったが、いきなり息子が拍手のような動きをしたので、驚く。
その時画面では、同性のカップルに対し大勢の人が祝福の拍手をしている60年代?の白黒映像が流れていた。
やるなあ、息子。
が、ただの偶然かもしれないぞ、と思い、俺も拍手をしてみたら、やはり真似して拍手をした。
初拍手が白黒映像の恋人達に対してだなんて、なかなか渋いじゃないか。
と思っていたのも束の間、数分後、トランプ支持者達がUSA!USA!と拍手している時にも拍手しちゃった。
3/⚪︎
朝起きると、晴れているが少し積雪。
「日記風、2月編」にも書いたけど、故郷と雪の感じが全然違うので降る雪に対して懐かしい感じは全然しない。
でも、この雪が溶ける感じ、流れる水の音、反射する光、は懐かしさ満載。
東京の、降る雪には懐かしさを感じず、溶ける雪には懐かしさを感じる。
他の北国出身者も同じなのだろうか?
でもまあ、解けるではなく、溶けるだよなあ。
この雪解けの「解ける」という漢字はさすがに「長い間動かずに止まっていた冬の時間がようやく解ける」という「魔法が解ける」に近い感覚なので、東京の雪には「溶ける」で十分。
そんな事を思いながら、息子を抱き窓の外を見ていると、歌が出来そうな感じがした。
が、口をついて出たのは1月に出来た「春の花」という歌。
うん、もう歌ってたわ。この感じ。
今日は10thアルバムミックスの2回目。
藤沢から来るというエンジニアの馬場ちゃんに「雪大丈夫?」と連絡すると「もう少し溶けてから行こうかな。」との事。
なので、のんびりと15時頃にロサンゼルスクラブ(徒歩5分)へ向かう。
作業は絶好調で進んだが、スタート時間が遅かったので全部終わったのは深夜1時。
俺は断酒してからは完全なる朝型人間。
毎晩22時には子供のように激しく眠くなる。(断酒初期はマニュアル通りに不眠になり服薬していたが)
なので「今日は久し振りに日付変わるまで起きていたなあ。えらいぞ。がんばった!みんなお疲れさま!」なんて思っていたのだが、カニ君が「じゃあ、最後に全部通して爆音で聞きましょう!」なんて言いだした。
大名盤完成だ!という喜びに満ちた彼の純粋提案を断る事など誰にも出来るはずがなく「いいね!聞こうぜ!爆音で!サイコー!」とみんな眠い目をこすりながら賛同。
深夜1時、10曲全部夏の歌の「夏のアルバム」により、日本中、いや多分世界中で俺達が1番夏だったと思う。(ギラギラした夏では無く、いつも終わりかけてた短い夏の事ですけどね)
聞き終わるとヤハタ君はとても感動したらしく、キラキラした目で「うん。うん。いいね。素晴らしいよ。」と言っていた。
俺は「今更だけど、6曲目「まだもう」と7曲目「そばにいる」逆の方が大きな場所へ到達出来る気がする。変えません?曲順。」とみんなの感動に水を差した。
結局この提案は通り、僕のレテパシーズ10thアルバム「夏のアルバム」は完成した。(まだマスタリングが残ってるけどね)
馬場ちゃんにギャラを支払う時に俺はボケていて、昨年末の作業分のギャラもまとめて今日払う事を忘れていた。
つーか、もう払ったと勘違いしていた。
「ボケててすまん、、」と言いつつ馬場ちゃんにまとめて支払ったが、これで完全に妻に支払うべき借金を返すアテが消えた。(しかもそもそも全額では無く分割にしてくれると言ってくれているのに、分割分すら無い)
でも最高傑作が出来たんだよ。それでいいじゃないか。と以前なら思えたのだが、先月からのゴタゴタで弱っているので、とてもそうは思えなかった。
「最高傑作を作ったのにトボトボ帰る人ランキング」があったのなら歴史上第1位だったと思う。
この日の俺の帰り道は。
3/⚪︎
今日は「第3回レテパシーロックフェスティバル」。
前々回のレテパNEWSの「親愛なるT.V. NOT JANUARYについて」という文章でTVについては愛情たっぷりたくさん書いたので、ここでは長くは書きません。
つまりこの日もあの頃と同じような印象を、もちろん良い意味で持ったのでした。
なので、前の文章で全て書いた気がしています。
でも、せっかくだから一つだけ書くと、あの頃は俺も酔っ払っていて少し見落としていたかも知れないが、改めてTVの3人は本当に滅茶苦茶ピュアだなあ、と思った。
不器用なままなんだよね。ちゃんと色々うまくいっていない。
体の表面は大人になっているのにね。
中身、まだまだちゃんと青いんだよな。
本人達は長所と思っていないと思うけど。(きっと短所だと思っている。そこがまた良い。)
ライブ後に本島君がかなり大きな声で「レテパシーズは本当にロックしてる。俺達はまだまだ出来ていない。」とあまりにもハッキリと断言したのが面白かった。
隣で池ちゃんが「そこまで断言する!?」という顔をしていたのも面白かった。
横田川君は静岡で養蜂をしているので、終電があって途中で帰ったが、ライブ前に「さっきまで海の見える山の中で蜂と戯れていたのに、いきなりの新宿は真逆ですごいなあ。」と言っていたので「でも、ここまでくると大自然にも見えてくるよね。歌舞伎町。」と言ったら笑っていた。
今回のレテパフェスはボケーっとしていたら1ヶ月前になってしまい、告知のスタートもかなり遅くなってしまった。
予約も最初すごく少なくて、しかも色々弱っていた時期だったので「こんななら今回で終わりにしようかな。レテパフェス。」なんて思った夜もありました。
でも、始まってみたらそんな気持ちは吹っ飛んだ。
目撃してくれたあなた。本当にありがとう。
今回は特に弱っていたので、すごく励まされました。
レテパシーズのライブでは、他のバンドと違いお客さんの顔がよく見えるように、特別に俺らの後ろからも客席を照らしてもらっています。
レテパシーズを見ている時のお客さんの顔が好きだから。
リハでも入念に、客席の顔が見えるかチェックしています。(つーかレテパのライブでは照明は一切ライブ中に変えないので、照明さんの仕事はこれだけですね、、)
今回も素敵な顔がたくさん見えました。ありがとう。
第4回もやります。
次からはもう少しフェスっぽくしてみようかな。
お楽しみに。
あと、一つだけ書くと、レテパのライブがもう一つ先の部屋に行けた気がした。
何もかもがレテパシーになっていく。
これで良いのだと思う。
あの頃望んでいた通りなんだな。
3/⚪︎
レテパフェスの翌日。カブでソノダさんと温泉へ。
定番だった「稲城温泉 季の彩」がリニューアルで長期休業しているので、最近は「おふろの王様 和光店」一択。
この施設には「かまくらうんじ」という別料金の休憩所があるのだが、かまくら風の部屋?がたくさん並んでいて、その中で寝たり漫画を読んだり出来る。
でも、最近は「カップルがイチャイチャするのにピッタリ!」みたいな裏情報が流れているのでは?と疑ってしまう程、たくさんのカップルがかまくらを占領している。
俺の隣のかまくらでは20才くらいのカップルがおっ始めようとしていたが、最後の最後で彼女が「ダメ。ダメだよ。」と拒否したので彼は明らかにヘソを曲げてしまった。
「この女ギリギリまであんな甘えた声を出していたくせに!かわいそうに。分かるぜダンナ。」なんて思いながら、先月のハンターハンターの続きをやはり父親目線で読んだ。
今日も12時間くらい滞在。
ハンターハンターはドッジボールが始まるあたりまで読んだ。
ゴン、もうすぐジンに会えるぞ。がんばれよ。
真夜中の帰り道はいつもガラガラ。
12時間漫画を見んだ後のカブ走行はとても気持ちが良い。
脳ミソを洗われている感覚。
環八の手前の「笹目通り」という看板を見るたびにいつも「笹口騒音ハーモニカ」と「高1の頃に付き合っていた笹先輩」の事を一瞬だけ思い出す。
実物の笹を見ても思い出さないけどね。
漢字、恐るべし。
3/⚪︎
前回のレテパNEWSを読んで心配になった友人達が連日飲みに来てくれる。
みんな「大丈夫?一体何があったのさ?」と心配してくれた。
が、俺は「いや、君達の方が心配だね。俺は天才棋士や将棋AIもびっくりな一手を超序盤で指したに過ぎない。でもこの手が1番勝率が高いと思うんだ。そしてこの一手により数年後俺達は大勝利を得て、大笑いでこの日の事を思い出すんだ!君達こそ大丈夫?人生もう手遅れなんじゃないの?」と大見栄を切っておいた。
3/⚪︎
今日はいよいよ引っ越しの日。
レンタカーを借りて、いざ出発。
車の運転は妻、助手席にはヤックン、俺はカブ2ケツで後ろにはソノダさん。
高円寺→経堂は約20分。
前に一度、今となっては後悔レベルの尋常じゃない断捨離を行なっていたので、荷物は極端に少なく2往復で完了。(2018年頃、死期が近いような気がしていたので、捨てれるだけ捨てた。バイト先のたこ焼き屋の善意でどんな物も事業ゴミで捨ててくれたので)
今の部屋でずっと使っていた「妻の祖父の昭和な勉強机」と「妻の祖母の昭和なシングルベッド」も無事に貰えたので、引っ越し先でも元の部屋をほぼ再現出来た。
ソノダさんはバンドスタッフとしてはピュア過ぎて全く不向きなのだが(損得よりも名誉を重んじてしまうタイプ)実家が貧乏だったおかげ?で生活力は半端なく強い。
ので、引っ越しもそろそろ終わりだなあ、というタイミングで「ジモティー来ました!冷蔵庫!洗濯機!炊飯器!ケトル!4点セット!大田区旗の台!今から受け渡し可能!」とすごい情報を掴んでくれた。
が、レンタカーの返却が20時までなので、ギリギリ間に合わないよなあ、と思いながらダメもとでレンタカー屋に電話したら「閉店20時までですけど、良いですよ。待ちます!」と言ってくれた。しかも延長料金無しで。
意識高い系女子、といった感じの美人の姉さんから家電を受け取って(昔こういうバイトをしていたので、引き取り方がプロっぽかったのだろう「もしかして業者さんですか?」と怪しまれてしまったが)高円寺駅前のレンタカー屋に無事に車を返却。
妻をカブに乗せて家に帰る途中「あーあ、これでカブも乗り納めかあ。」と言うので「いや、別にカブには乗れるんじゃないの?離婚したって。」と言ったら嬉しそうにしていた。
この90CCのカブは、たこ焼きバイトの時のバイク乗りの上司が「ひろしも昔カブに乗っていたのなら、これをあげたら免許を取って酒もやめてまたツーリングしたりするかもな。」と言ってプレゼントしてくれたおんぼろカブ。(貰ったのに3年くらい雨ざらしで放置していたが、、ちなみに昔乗っていたプレスカブは原付なので普通免許で乗れた。🎵プレスカブのスピードでー🎵よく旅に出てました)
そして2019年頃、酒をやめてボーッとしていた俺に「私カブの後ろに乗りたいな。金出すからバイクの免許取ってきなよ。そのかわり私のバイトの送り迎え毎日してもらうけど。」と言って妻が免許代を出してくれたのだ。
なので、あんたが乗りたいと言うのなら地獄の果てまで乗せますよ。
あんたが金出してくれたんだからね。サンキュー。
3/⚪︎
新居で目覚める。
朝の光が部屋中に満ちている。
「あれ?思ったよりも全然日当たりがいいぞ。」と思って窓を開けたら、目の前の室外機の上で猫が昼寝をしていた。
引っ越しの時にも数匹の猫が様子を見に来ていたし、もしかして猫の通り道パターンの家なのでは?(高円寺の家がまさにそのパターン。たくさんの猫やハクビシンや狸の親子が縁側を通り道にしていた)と思って、ベランダの方をよく見てみたら、裏の大家さんの家のベランダからうちのベランダに木の板の橋がかかっていた。
明らかに猫の通り道。
「すげえな。もし俺が猫嫌いだったらどうしてたんだろう。ペット禁止物件なのに、、大家側が猫を送り込んで来るなんて、、」と思ったが、俺はもちろん猫好きなのでウェルカム。
考えてみたら人生で猫切らしたことほとんど無いな。
子供の頃は月形町で田舎だったから(レテパNEWSのタイトル写真がその頃に住んでいた家です)最大12匹くらい飼っていた事もある。
名前が思い付かず「ハンバーガーキッドとハンバーガーキッドⅡとパンダとニセパンンダと、、」みたいにテキトーに名付けていた始末。
生まれる時にオプション選択で「猫付き」の項目にチェックを入れたのでは?と疑いたくなる程、どこに行っても猫が俺に付いてくる。
今にこいつら部屋に入ってくるんだろうなあ。
ワクワクしながら猫を見つめた。
素敵な新居初日の朝。
3/⚪︎
近所を散策してみたが、内見の時の印象と全然違う。
大きな団地や体育館やプールもあって、なんか広々とした明るい地域だった。
すごいラッキー物件じゃん、これで家賃39000円バイク駐輪可だなんて。
サミットも近くにあったので、セールだったジャンボ豚バラのかたまりを買う。
ガス台だけまだ無いので、持ってきたホットプレートで焼こうとしたら、包丁も調理ハサミも無い事に気が付いた。
ホットプレートの火力ではかたまりのままでは焼けないので、しょうがなく素手で肉をちぎりまくる。
この前読んだハンターハンターにも素手で肉をちぎる殺人鬼(ジョネス)が出てきたな、あはははは、と笑いながら肉をちぎって焼いて、炊けた米を食べようとしたらしゃもじが無い事に気が付いたので、ヤケになり肉を炊飯器に入れてそのままジャーを丼にして食べた。
初日からぐちゃぐちゃになったジャーが「おい!なんて事するんだ!僕は意識高い系女子の雑穀米しか炊いた事がないんだぞ!」と怒っている気がして1人で笑った。
物が少ないから笑い声が響く響く。
うーん、久し振りの一人暮らしだ。
3/⚪︎
妻が「にたけん(レテパ2代目ドラマーのにたないけん)とカンボジア料理食べに行くから息子を見てて。」と言うので、カブで高円寺へ。
ほんとバイク駐輪出来て良かったな、電車じゃトータル1時間かかるもんなあ、と思いながら部屋の前からカブを出していると、大家のおばさんが登場。
「そんな狭い所に停めなくても、この辺りどこに停めても良いわよ。」との事。
さすが、猫好き。心が広いぜ。
ブーンと20分で息子のもとへ。
息子は風邪をひいたらしく、熱と鼻水でぐちゃぐちゃ。
でも元気いっぱいで、突進してくる。
高い高いをして遊んでいたら、すべって頭から垂直に落としてしまい彼は数秒間動かなかった。
「ああ、終わった、、」と思っていたら、急に動き出して大笑いしながら突進してきたので安心したのも束の間、笑いながらゲロを吐いたので、一瞬心配したが、大丈夫なようだった。
こういう時や電車とかでも全然泣かずに終始ゴキゲンなので、かなり助かるベイビーだ。
でも、きっと落とされた復讐だろう。
見事に風邪をうつされたらしく、数日間発熱。
3/⚪︎
ハジメちゃんとTEL。
今、彼の周辺では大変な事がたくさん起きている。
彼に比べたら俺の引っ越し騒動なんてただのコメディーに過ぎない。
色々と話し合うが、お互いに「今、レテパシーズはとても良い演奏が出来ている」という自負があるので、何を話していても絶望感は無い。
全てが音になっている。だから絶対大丈夫。
ここまで苦労したんだもん。何があってもどーんと構えていよう。
3/⚪︎
先日「シングルリリースしたから聞いてみてー!」と連絡があり、聞いてみたら素晴らしかったので、そのレコ発ワンマンを見に大久保ひかりのうまへ。
古宮夏希(元嫁。今に元々嫁になるのか)「SAIL AWAY」というシングルのタイトルは俺が2023年の1月に作った「SAIL AWAY」と同じにしたのだろう。(11thアルバムに収録予定。出航編「LIVE AT SHELTER」という映像のラストでこの歌の宅録デモテープが聞けます)
こちらが先に作曲していた事をここに書いておきます。(まあ、ランディーニューマンが先なんだけどね、、)
ライブ後、ライブの感想を求めている顔をしていたので正直に伝えた。
「エレキギターは危険物状態じゃないと意味が無いよ。小さい音をボリューム調整で小さくするのではなく、ボリューム自体は触れるのが怖いくらいの危険物レベルにしておいて、あとは弦への触れ具合で調節しなきゃ、見てるこっちは安心状態になってしまうよ。少なくとも感情の危険は一切感じなかった。歌とギター、同等に扱わなきゃ。お前なら出来るかも知れないけれど、なかなか大変な命懸けの道だから無理せずに。健闘を祈る。」と伝えて帰った。
3/⚪︎
俺の新居を見つけてくれたスーパー不動産屋であり、のっぺらのアコーディオンでもある高林君が高円寺の家に飲みに来た。
宴会の名目は「高林先生を招いて〜レテパシーズSNS強化への道〜」
俺はSNSどころかスマホも苦手なので(脳が止まる感じがする)高林先生と南、ヤハタ、ソノダさんの話を聞いていただけなのだが「どこにも属さずに、嘘をつかず、ただただ歌を聞いてもらいたいだけ」という古き良きアウトローな姿勢が高林君には感じられるので、今回講師として招かせて頂いた。
ショートな動画、と言うと拒絶反応を起こす人も多いかも知れないが、俺が中学生の時に衝撃を受けたのは、ジャニスジョップリンやセックスピストルズやエルビスコステロなんかの数秒のショートな動画だった。(BSロック大全集的なやつ)
先月の物件内見の時に高林君に「レテパシーズの見た目や歌詞はショート動画にピッタリですよ!」と言われ嬉しくなり、レテパメンバーみんなに「というわけで、SNSショート動画部を作りますが、やれる人ー!」と挙手を求めたら、南ちゃんとヤハタ君が立候補してくれた。
あとはみんなにお任せしたので、いつから始まるかも分からないが、いつか始まると思うのでお楽しみに。
3/30
2ヶ月程前、バイト先の喫茶店に行くとマスター夫妻がAJICOの「深緑」を聞きながら仕込みをしていた。
俺も大好きなアルバムだったので「お!アジコですね!」と言ったら「3/30に野音でアジコのライブがあって、そのチケットが取れたのさ。」と言っていた。
家に帰り妻にその話をしたら、すぐに妻もチケットを勝手に2枚取ったらしく、今日がその3月30日。
俺はギリギリまで「うーん。もしベンジーがカッコ悪かったら嫌だから行きたくないな。」とゴネていたのだが、離婚もする事になったし、これが夫婦での最後のデートなら付き合ってやるか、と意を決し、早閉めした店を後にしてマスター夫妻と野音へ向かう。
野音には初めて来たが、映像では「黒いゴミ袋をマントにした大雨のブルーハーツの野音」や「西岡恭蔵さん追悼ライブでのめちゃくちゃカッコいいシバのバイバイブルース」の印象があるので、思い入れは多少ある。
いつかレテパシーズでも野音に出てみたいな、と思っていたが、近々壊すらしい。残念。
AJICOのライブは素晴らしかった。
と言うより、ベンジーが本当に素晴らしく、想像していた「今のベンジーがこうなっていたら本当に最高だな!」の状態になっていた。
頼もしいなあ、少しでも疑ってすみませんでした。
俺、まだまだ全然甘いですね。ベンジーを少しでも疑うなんて。
この人に会えて本当に良かった。
小さい頃から世の中とのズレに悩んだり、熱が冷めていったり。
いつも自分の心に冷たい水をぶっかけられている感覚だった。
まっすぐ進もうと思えば思うほど。
危険だとか、みんなと違うとか、そんな理由で。
自分が間違っているのかなあ、と思っていた時に「全然間違ってないよ」と言ってくれたのがベンジー。
色んな人や物に影響を受けてここまで来たんだろうけど、実際の生き方に1番影響を与えてくれたのはベンジーな気がする。
他人の目を気にしない。
自分が正しいと思うのなら迷わずにやる。
頭と心と体の時差が消えた感じ。
これはベンジーのおかげなんです。
おかげで、駅とかで困ってる婆さんとかがいると、誰よりも早く動いちゃう気がします。
あと、道に迷った婆さんとかが寄ってくる傾向にもある。
1日に3人の老人に道を聞かれた事もある。俺ガラケーなのに。(そのうちの1人は目的地のホテルまで連れて行ったらホテルのレストランで飯まで奢ってくれた)
こんなのもやはりベンジーの教えのおかげな気がするんだよね。
そんな素晴らしいラストデートをありがとう。
と言いつつ、帰り道に一瞬ケンカになりそうになった。
が、UAが最後に「みんな仲良く帰ってねー!」と言っていたのを思い出し、堪えた。
3/31
テレビを見ていたら、先日解散したTHEドイの大泉咲さんが出ていた。(「家ついていっていいですか?」という番組。ちなみに来週はカニ一族が出るらしいよ)
半年前の夏から別居している、という父親との話。
半年前の夏、というと俺はドイと高円寺ドムスタで対バンしている。
あの時彼女はそんな状態だったのか、と思いながら見ていたら、泣けてきた。
昨日のベンジーに続き、同じ類の純粋さを彼女から感じて。
この日は別のテレビにも泣かされた。
能登半島の地震で崖の上の道の駅に何日も取り残され孤立した大勢の観光客がいる、というのは地震直後のニュースでもやっていたが、その中には愛知県からのヤンキー(ああ、まるでブランキーだ)のグループもいて、最初は怖がられていたが、何日か経つと徐々に人々を助けるようになり、救助後には少年から「僕もいつかお兄ちゃん達みたいなカッコいいヤンキーになります」と手紙が届いた、という話。
照れた表情のヤンキーと咲ちゃんとベンジー。
なんだか、共通の優しさを感じた。
🎵ベイビー、ああ
こんなはずじゃなかったことは
この世にあといくつあるだろう🎵
(月/THEドイ)
明日はいよいよエイプリルフール。
4/1
息子をベビーカーに乗せ、3人仲良く杉並区役所へ。
年度初めの初平日、すげえ混んでるのかなあ、と覚悟はしていたが、案の定激混み。
が、俺達が用のある戸籍係は全然空いていて、待ち人数2人。
しかもその2組共が婚姻届を提出するラブラブカップルで、手には茶色の婚姻届を持っていた。
戸籍係の壁には、なみすけ(杉並区のゆるキャラ)のイラストと共に「Just Married!」と書かれた撮影スポットがあり、婚姻届を掲げたラブラブカップルが職員さんに撮影されていた。
妻は「うちらも撮ってもらおうか。」なんて言ってジロジロ見ていたが、せっかくのおめでたムードに水を差しては悪いので「多分俺達も婚姻届と思われてるんだから、その緑色の離婚届を隠せ隠せ。色でバレちまう。」とふざけあって笑った。
俺達の番になって窓口に行くと、前回の裁判官風女職員(日記風、2月編参照)では無く、ドランクドラゴンの塚地風の中年おじさん。
「お願いしまーす!」と明るく渡すと、おじさんも笑顔で「お!明るい離婚だな!いいね!」というリアクション。
椅子に座る時に、荷物の置き方で妻と一瞬小競り合いになりそうになると、おじさんはまるで「おうおう。これが最後の夫婦喧嘩ですぞ!」と言わんばかりの笑顔。
なので俺も心得て「はっはっは。まさに最後の夫婦喧嘩ですな。」と言って笑った。
このおじさん、本当に素敵な雰囲気のおじさんで、俺が免許証を出すと「おお!写真と見事に同じですねえ!これはすごい!」と笑い出した。
俺は「いやいや、一緒じゃなきゃ証明写真じゃ無いじゃないですかー!」と明るくつっこんだ。
届けは無事に受理された。
協議離婚というやつで、ユキコも息子も古宮性のままらしい。(息子の名前にハダを付けるとちょっと面白い言葉になってしまうので、、)
いつ離婚しても「嘘でしたー!」と笑えるように、2018年4月1日のエイプリルフールに結婚した我々でしたが、2024年4月1日、無事に離婚致しました。
ユキコと出会ったのは2010年のクリスマスイブ。
下北沢の道端でまさに運命的な出会いでした。
あれから本当に色々あったね。
辛い事も多かったけど、どう考えてもトータルでは楽しいが圧勝だったよ。
すっとこどっこいの君のおかげで。
それでは、日記風3月編これにておしまい。
めでたしめでたし。
どんな4月が待ってるのかなあ。
1月2月3月と、なかなかヘビーだったので、どうぞお手柔らかによろしく。
PS.写真は在りし日の夏の我々。
というよりも夏の終わりの我々かな?
浜辺にはほとんど誰もいないのに、海に突入しようとするユキコ。
そしてそれをただ眺めている俺。
2人はいつもこんな感じでした。
皆さん今までありがとう。
たくさんの迷惑をかけました。
そして、これからも迷惑かける気満々です。
引き続き、笑いながら見守ってやって下さいね。