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第4回レテパシーロックフェスティバル終了。
のりもの、メシアと人人、ロサンゼルスクラブ、目撃してくれた皆さん、目撃したかった皆さん、本当にありがとう。
どれか一つでも欠けてたら、我々はあんなライブ出来なかったと思う。

上記に名を連ね、アディーにもありがとう、と書いても良いんだろうけど、なんかアディーがレテパでタイコを叩くのは当然の行為な気がしてしまう。
だから、ありがとう、という感じとはちょっと違うんだよね。
でもほんと良い経験になりました。
しかも、お互いに良い経験になったんじゃないかな。
アディーがレテパで叩いていた2012年から2017年の間は、こういうライブは出来なかったもんね。
もちろん、あの頃にしか出来なかった事もあるんだろうけど、希望の光も絶望の影も、今の方が圧倒的に強いと思う。
だから、今の方が良いバンドだな。
という書き方は、よくないな。
あの頃もちゃんと今の一部。長い進化の途中だったのだろう。
ずいぶんと命懸けで大博打な二度とごめん系の進化だったけど。
全てが今に繋がっていると思える。
あんなにも、過去を全否定のリセット人生だったのにね。
いいぞ。いいね。要するに好調だな。

と、書きながらも、本当ならば「次のレテパフェスは⚪︎月⚪︎日!⚪︎⚪︎が出演します!」みたいな案内をライブ当日、少なくとも今日のレテパNEWSとかでは、発表するべきなのでしょう。
毎回ちゃんとそのつもりなのだが、レテパフェスが近くなると「うーん。もうだめだな。全然予約も入らない。やめたいな。何を?どこまでやめる?」という気持ちになってしまう。(結局たくさんの人が来てくれて嬉しかった。が、皆さん予約が直前なんだよな、、まあ良いんですけど。自分もそういうタイプだし。が、まあ心臓や精神に悪いや、、まあしょうがないんですけど、、)

そういえば、今回のレテパフェスは初めて一人暮らしの状態で準備しました。
離婚前、ユキコと暮らしていた時は「どうして毎回毎回レコーディングやレテパフェスとかの前になると、大規模な揉め事が起きるんだよ。俺が大事な時期になると喧嘩を売ってくるのはやめてくれ。支えてくれなんて思ってないから、せめて放っておいてくれ。」というようなセリフをこの数年間で何度吐いたか分かりません。
が、今回一人になってみて良く分かった。
俺が勝手に一人でデリケートでナイーブになっていただけだった。(アディーは昔から俺の事を「デリケートでナイーブ、だから古宮君はデリーブ」と評している)
昔は自己分析なんて一切しない性格だったが、アル中治療の中で「自分の行動を客観的に見て間違いを認める。しかも0か100かで大雑把に認めるのではなく、82対18みたいにちゃんと細かく具体的に向き合う」というクセが身に付いているので、今回の「一人暮らしでの初めてのレテパフェスでも一人で勝手にデリーブになっていた」という経験は大いに勉強になった。
なので、この前ユキコに会った時に「すまん。やっと分かりました。今まで大事な時期に喧嘩が多かったのは、俺がデリーブになっていただけでした。」と謝ったら「やっと気付いたのかバカめ。私は前から気付いてたけどね。」と息子に乳を与えながら勝ち誇った顔をしていた。
久し振りに見た息子はこんがり焼けていて、まるで「カントリーマアムチョコまみれ」みたいになっていた。
「え?チョコまみれみたいじゃん。1才児ってこんなにこんがり焼いて良いものなの?」と聞くと「バレたか、、」と苦笑いしていた。
ユキコの一族には「人生はレジャー。この世にはただ遊びに来ただけ」という強烈な家風が浸透しているので、きっと毎日どこかに連れ去られているのだろう。
がんばれ息子。

話が少しそれたが、ほんと毎回毎回自分でも嫌になるくらい落ち込んでしまう。
が、結局とても素晴らしい第4回だった。
もっと信じなきゃなあ。修行が足りないね。
ふと思ったが「フェス」って良いタイトルなのかもしれない。
今までの自主企画は全て自分一人で作ってた気がする。
メンバーもお客さんも関係無く、全て自分一人で。
でもレテパシーロックフェスティバルは一人では作れない。
もう、一人で作れるものには飽きてしまったのかも知れない。
変わっていく。何もかも。
が、自分一人で作っていたあの頃のライブよりも、今のレテパシーズのライブの方が圧倒的に好きだ。
なので、変わるの上等。
ざまあみろ。レッツゴー。(ああ、この歌6年振りに歌ったね)

2020年2月21日の復活ライブ以降はライブの回数も少なく、ライブがうまくいかなかった時期のトラウマもたまに思い出される。
なので、アスリートみたいで恥ずかしいのだが、ライブ直前には手帳のメモを見るようにしている。
そのメモには、
「歌は演奏されたがっている。(やさしくしてやろう)」
「興奮→演奏、では無く、演奏→興奮」
「下へ下へ」
なんて書いてある。

前回のレテパフェスの後には、
「もう一部屋あった」
と書き足した。

今回のライブ後には、
「テキトーで良い。もう全てOKになった」
「一人で作れるものには飽きた」
と書き足した。

もしかしたら、最近はアホで忘れっぽいので、次の第5回の前にはまたデリーブになっているかも知れない。
だけどそれすらも「テキトーで良い。もう全てOKになった。」の中での出来事と思える気がする。
第4回のおかげです。皆さんありがとう。
それでは第5回に向けて動き出そうと思います。

夏の終わりに会いましょう。
愛してるよ。またね。

PS.メシアと人人、のりもの、についてはライブ前にたくさん書いたので、サンキュー!アイラブユー!とだけ書いておこう。
いつか野外で盛大にやるぞ。
それまでちゃんとカッコいいままでいてね。

PS.レテパシーズのセットリスト。
せっかくのアディーだったので、1st,2nd多めでした。

PS.ロサンゼルスクラブ、どうでした?
次もここでやろうと思います。
今回は妙にデリーブになって、計画していた作戦を全然遂行出来なかった。
「計画していた作戦」

①フェスっぽくフードを出すぞ!
②来場者が記念写真を撮れるように「レテパシーロックフェスティバル」という文字のネオンサインを作るぞ!
③毎回来てくれる人に何かお礼をしたいから、割引スタンプを作るぞ!

次回に向け、怠け者の自分にプレッシャーをかける為にも書いてみました。
あ、③は今回の急な思い付きで「手書きチケットに次回の半額券を付けよう!」を実施出来たから、まあクリアだな。
腕もげそうになりましたが。
半額券、次回忘れずに持って来てね。

PS.というわけで、最近はデリーブモードだったせいもあり、今年から月一で書いていた「日記風シリーズ」を書いていませんでした。
4月以降書いてないや。もう何が起きたかも忘れかけている。
今日のおまけに一つだけ明るい感じのやつを書いておこうかな。
結構、心配してくれている人もいるので。

6/⚪︎
息子に太平洋を見せる。(写真は海を見せているところ)
もう3回目の海なので、全然動じない。
ちなみに2回目の海の時は、俺が立ちションしたら強風すぎて「宇宙飛行士がスペースシャトル内で水滴を浮かせて遊ぶ」みたいな状態になり、浮かんでは飛んでいく黄色い液体に息子は目を見張っていた。
まんまるの目玉。開いた口。
ほんといつでもナイスリアクションな小僧。
3回目の海は伊豆の海。
彼は海よりも砂浜に落ちている漂流物に夢中。
木の棒を2本拾い、両手に持っていつまでも離さず。
帰りの車内でもバナナを食べながらも棒は離さず。
バナナを口に入れた後に、棒を絶対に舐めるので、なんでだろう?面白いな、と思い俺も舐めてみたら海の味で塩辛かった。
やるな小僧。
甘いのとしょっぱいのを交互に楽しむなんて、グルメな男だな。
おい、夏が始まるぞ。ちゃんと日焼け止めは塗りましょうね。

親愛なるメシアと人人。
彼らとの出会いはいつだろう?

今、検索してみると、、
2016年10月23日(日)京都二条 nano
で対バンしていると書いてあるサイトを見つけた。
しかもこれはレテパシーズの2ndアルバム「愛してるよ」のツアーと書いてある。
※興味ある方はどうぞ↓

僕のレテパシーズ、9月14日発売の2ndアルバム『愛してるよ』からMV「札幌ナンバーの最後」公開。インストアライブも決定

俺はこの頃の記憶は全く無い。
このサイトに書かれている全日程全く覚えていない。(アルコール依存症の影響なので、うろ覚えとかでは無く全くのゼロ。)
ツアー最終日に「ツアーファイナル!詳細後日大発表!」と勿体つけて書いてあるファイナルに何が行われたのかも全く思い出せない。
心身共に限界を迎えつつあった俺に代わって、この頃は他のメンバー達が全てを仕切ってくれていた。
でも今、当時の「2016」と表紙に書かれた黒い手帳を開いてみると、ちゃんと「自主企画に呼びたいカッコいいバンドメモ」に「メシアと人人」と書いてある。(昨日も書いたが、ちゃんと「逃亡くそタわけ」とも書いてある。ついでに書いておくと、このあと出てくる「and young…」の名前もある。)
記憶は無くとも、真贋は見極めて生きていたのだな。えらい。

自分の中でメシアとの1番古い記憶はこの翌年になる。
忘れもしない悪夢の2017年。
第一次断酒治療を始めたが、治療法が合わず、断酒起因の鬱になり、ライブがうまく出来なくなったのだった。
今でも思い出すと「あー!ああああ!」と突発的に声が出てしまう程の「大後悔ライブ」は全てこの年の断酒鬱の時期のものだ。

そんな2017年の9月24日。
下北沢のベースメントとスリーの2会場で行われた「ボタヤマオリンピック」というイベントでは、and young…、僕のレテパシーズ、メシアと人人、というタイムテーブルで3バンドが並んでいた。
このライブの前に、もうすでに何回か鬱状態のライブを経験していて(心が全く動かない。ライブ中にも客と自分に対して「死ね」としか思えない。しかも全く熱の無い感情の「死ね」。全てが白々しく一つ一つが離れて見えていた。)この状態ではまともなライブは出来ない、と知ってしまっていたので、この日が来るのがとにかく嫌だった。
しかも、大好きなアンドヤングとメシアに挟まれている。
だけど、最低のライブになるのは目に見えている。
この数年前、京都のnanoでアンドヤングと対バンした時、メンバーの皆さんは随分とレテパを褒めてくれた。
その褒め方がすごく嬉しい感じの褒め方だったので、俺は今でもハッキリと覚えている。(連続飲酒状態だった2016年と2018年以外の年の事は割と覚えている。)

もちろんその日、レテパシーズは予定通り最低のライブをした。
ライブ後、楽屋に行くと、数年前にあんなに嬉しい言葉で褒めてくれたギターの方(お名前失念、すみません。カノウさんじゃ無い方。)から「随分と変わったんだね、、」と言われた。
自分が大好きなバンドの人の前で、自分でも最低のライブしか出来ないと確信した状態でステージに立つ。
そして案の定、大好きな人に失望される。
バンドをやっている人間にとっては、何よりも辛い事なんじゃないかな。
なので俺は自信を持って2017年を地獄と呼べる。

レテパの最低ライブの余韻に感化されたのか?
レテパの次の出順だったメシアのライブもあまり良くなかったと思う。
苛立った様子で、やたらと汗だくの北山君の姿を覚えている。
まあ、俺はそもそも鬱状態で何を見ても心が動かない時期ではあったのだが。
ライブ後に北山君がちゃんと落ち込んでいたので、やはり悪いライブだったのだろう。
メシアのライブ後、ベースメントスリーのビルの横の横の横?のコインランドリーの横あたりの駐車場に座って、北山君と話した。
その時に彼から「昔レテパのライブ盤LIVE AT MOTIONをタワレコで買って聞いていた」「とても素晴らしく、普段自分は日本人のバンドは聞かないがこのライブ盤には感動した」というような事を言われたのを覚えている。(多少言い方違うだろうが、許して。意味は合ってるはず。あと彼はコテコテの関西弁だから、関西弁に変換して下さい。)
一応関西弁に変換しておくと「普段日本人は聞かへんのに」という言い方が何だかとっても嬉しかったので、今でもこの会話は覚えている。

この後、レテパは崩壊や停滞や再生をして、2020年からは完全に復活した。
体調が回復して俺の外交も復活したので、ライブハウスにも足を運ぶようになった。
手帳の「好きなバンドメモ」に書いてあるバンド達のライブも久しく見ていなかったので、今でもちゃんとカッコいいかなー?どーかなー?元気かなー?と視察に行ったりしていた。
今日は自分の大変さばかりを書いてしまっているが、きっと他のバンドだって色々大変なのだろう。
俺が外交を遮断していた2〜3年の間に、消えてしまったり、続けていてもダメになっていたり、メモから消えていくバンドもたくさんいた。
そういう時、俺はとても悲しく悔しい気持ちになる。(レテパの「イカレた人」という歌がそういう気分の歌です。聞いてみて。)
あんなに素晴らしかったあの時期に、なぜもっとたくさんの人に見てもらえなかったのか、と。
バンドなんて、長く続ければ良い、というものでは無いので、短命なのは全然構わない。
が、素晴らしい時期があったのに、あんな白けて閑散とした、あるいはヘラヘラニヤニヤしたただの寂しがりやの社交場のようなライブハウス、で演奏していただけで終わってしまうなんて。
なんか、このまま舞台から去るのはどうしても気持ちが悪い。
これはもう、正しい正しくない、とかじゃなく、自分の性格の問題なのだろう。
なので、数年振りに見たメシアのライブには感動したうえ、とても嬉しかった。
とりわけ、去年ベースメントで見たメシアはとても素晴らしかった。
メシアのライブが良いか悪いかは素人でも簡単に判断が出来る。
今、彼らのアルバム「BOMB」を開き歌詞カードを見ているが、2曲目「band」の歌詞の通りなのだから。

バンドをやってる僕のこと
汚いでしょ ダサいでしょ
バンドをやってる僕の顔
醜いでしょ ブサイクでしょ
バンドをやってる僕の体
臭いでしょ 臭いがする
バンドをやってる僕の歌
綺麗だろ 綺麗になりたい

北山君の事がキレイに、美しく見えるんです。
そんな時はドラムのナツコの事もちゃんとキレイに美しく見える。
そしてきっと北山君が汚く見える時は、ナツコの事もちゃんと汚く見えるだろう。
要するに良いバンドという事。
一心同体、とかでは無く、一つの風景という感じだね。
美しい風景か、汚い風景か、今日の夕焼けがどんな風に見えるのか。
明日、そんな感じで眺めてみて下さい。
メシアと人人の2人の事を。

PS.来場した人に何か記念になるものを!と思い、急遽チケットを作る事にしたのだが、取り寄せたミシン目入りの用紙をコピーする術が分からず、、仕方が無いので昨日から全部手書きで書いています。
腕がもげそうになってきたが、たくさん来てくれると信じてまだまだ書いてみる事にしよう。
昨日これを見た友人に「え?なんでハンコ押してるの?」と言われてしまったが、俺が大切にしてきた思い出のチケット達には、何故かハンコが押してあったんだよね。
真似して押してみたが、変なのかな?
まあ、ご愛嬌という事で。
このチケットを宝物にしてくれる人がいると嬉しいです。
では明日!杉並のロサンゼルスで会おう!
ご来場お待ちしています!

昨夜は途中で失礼しました。
続きを書きます。

「親愛なるのりものについて」

まずはこちらをご覧下さい。
素晴らしいので。

「控えめに高く飛ぶ」/のりもの



彼らとの出会いは10年以上前だろう。
「のりもの」の3人(クソ虫、キクチ、カゲヤマ)が在籍していた「逃亡くそタわけ」というバンドとレテパシーズはよく対バンしていた。
その頃の逃亡の印象を正直に書くと「クソ虫、カゲヤマ君、キクチ君の3人は天才肌の化け物だ。楽器を持つと無敵になれるが、ギターボーカルのノリ(人名。グルーブ的なノリと意味では無い。)だけがちゃんと普通の人間で、楽器を持ってもまだ人間を捨て切れないでいる」という印象だった。
そんなノリの人間らしい暗さも俺は好きだったし、大きく分けると自分もそっちのタイプだと思うので、プライベートでもノリとはよく飲んだ気がするが、他の3人とはライブハウスでしか会わなかったと思う。

その後、俺はアルコール問題で数年間ライブハウスにも行っていなかった。
なので、その頃の彼らの動向は全然知らない。
2020年にレテパが復活してからは、外交も復活し、昔の知人にもたまに会うようになった。
が、彼らには会わなかったな。
俺の手帳の「自主企画に呼びたいカッコいいバンドメモ」にも毎年手帳を新調する度に「逃亡くそタわけ」と書いていたものだが、多分その頃はもう書いていなかったと思う。
逃亡、活動してたのかな?
が、勝手にもう活動していないような気がしていた。

そんなある日、俺は珍しく他人を殺しそうになった。
その頃住んでいた高円寺の街を歩いていたら、いきなり泣き声の男に声をかけられた。
「ああ!ひろしさんだ!助けて下さいー!」
見ると、カゲヤマ君だった。
明らかにパニックな感じになっていた。
どうしたのか訳を聞いてみると、目の前にいたガールズバー?のキャッチの男にしつこく付き纏われ、店に引きずり込まれそうになって困って泣いていたらしかった。
それを認識した瞬間の俺の殺気は凄かったと思う。
明らかにそのキャッチを殺そうと思った。
それは、カゲヤマへの友情や義侠心なんかでは無く、自分の信じている音楽の世界の才能、芸術、歴史に対する攻撃への反撃、という感じだった。
お前なんかが触れて良いものじゃ無いんだ。殺す。
自分でも気持ち良いくらいの瞬間的な青ざめた炎の沸騰だった。
察したキャッチはすぐに謝り消えた。
「ありがとうございますー!」と泣きながら笑うカゲヤマ君を見ていたら「こいつは本当にギター弾くしか無いんだな。羨ましいなあ。」と思った。
自分は彼と比べると、やはりあまりにも人間だ。

そして去年。
逃亡くそタわけの「人間以外の3人」が「のりもの」というバンドを結成している事を知る。
いつもならまず音源を聞くのだが、音源はまだ配信されていないようだった。
仕方がないので、普段あまりMVは見ないのだが、唯一の情報源だったので「控えめに高く飛ぶ」の映像を見てみた。
あはははは、天才3人が音を鳴らすとこうなるよな。
その日はずっと何度も何度もこの映像を繰り返し見た。

そして、すぐにライブを見に行った。
大塚のミーツ。
螺旋階段?を降りる途中、階下のクソ虫と目が合った。
何年振りに会うのだろう。
もちろん断酒後初めて会うので、シラフで彼の顔を初めて見る事になる。
まあ、変わらないクソ虫だった。
都会も田舎も似合う顔をしているな。
地球どこでも似合いそう。
海でも山でもメトロポリスでも紀元前の世界でも縄文時代でも人類滅亡後の地球でもどこでも違和感無さそう。
要するに良い顔。
書いてて思い出したが、昔クソ虫企画?(多分新宿ナインスパイス?)かなんかで、彼がステージでダッチワイフと戯れていた時にも、上記のカゲヤマの時と同じ類の気持ちで、なんか音楽や芸術の神様に背中を押されて俺も参戦してダッチワイフと戯れた気がする。
ひどく厳粛な茶番劇。

のりもののライブは全くの予想通りだった。
「予想通り」というのはこういう意味だ。

その頃の俺はライブハウスに行く度に悩んでいた。
カッコ良い、カッコ悪い、センスが良い、センスが悪い、とかそんなのは抜きにしても、なんで2023年のライブハウスで流れる音楽がこんな感じなんだ?
何をどう感じて生きていたらこんな風になるのだろう。
自分が歌い出したのが2000年なので2000年から書くが、
2000,2001,2002,2003,2004,2005,2006,2007,2008,2009,2010,2011,2012,2013,2014,2015,2016,2017,2018,2019,2020,2021,2022
はどこに行ったのだろう?
この人達、どんな気持ちで生きているのだろう?
俺の感覚ってやっぱり少しズレてるのかな?
2023年のライブハウスに咲く花は、もっと違う花な気がするなあ。
ムカつくなあ、つらいなあ、もうやめた方がいいのかなあ、レテパ。

と思っていたが、目の前の「のりもの」の3輪の花は俺が想像していた花と全く同じ花なのでした。
大きさも、色も、香りも、根の強度も。(決して強い根では無い。意外と簡単に片手で抜けるコンクリートの隙間に生えてしまった雑草の花のあの感じだ。)
あーあ、安心した。
こうなるよね。そうこなくっちゃ。
俺と同じ気持ちの人達がいる。
なんて心強くて安心なんだろう。

終演後、キクチ君と少し話した。
あの素晴らしいのりものの歌達はキクチ君が作っているらしい。(ライブではクソ虫の作った歌も1曲?やっていて、それも良かった。)
キクチ君ともシラフでは初めてだし、あの頃の記憶はひどく曖昧なので、当時何を話したかなんて覚えていない。
ので、失礼ながら、初めて話した気になった。
初めて話したキクチ君は天才肌の化け物ではなく淋しそうな人間だった。
そういえばドラムを叩いている時も、昔と違いただの天才って感じでは無かったな。
あ、クソ虫もカゲヤマも前より全然人間だった気がする。
天才肌の化け物の3人が、自分の人生や人間の話を始めてしまった。
そんな感じがした。
そしてそれは、ずっと人間だった奴らなんかよりもずっと、人間の世界を純粋に見てしまっていると思う。
疲れる時もあると思うが、がんばって。
本当に貴重なバンドなんだよ。
引き続き、彼らの前に無遠慮な敵が現れたら迷わずぶっ殺してやりたいと思う。

PS.「親愛なるメシアと人人について」は明日にします。
すみません、今日はもう書けそうに無い。
お楽しみに。

PS.夏頃にレテパドラムの関口萌が復帰予定です。
これについては後日ちゃんと詳しくお伝えします。
よって鈴木亜沙美のドラムは今回のレテパフェスのみ。
せっかくなので初期のナンバーもたくさんやります。
あと、せっかくのブランキーなアディーとだから「思わずブランキー」もやる予定。
予習して来てね。(6thアルバム「アコースティック」収録曲です。あの歌の冒頭のタラタッタタがアディーは今の所苦手です。今夜もスタジオなのでみっちり扱こうと思っています。)

PS.予習して来てね、と言いつつ、未発表の10thアルバムからも4曲やります。
せっかくなので6/14までの期間限定で「歌詞」のページに歌詞載せますね。
読んで予習してみよう。

※加筆→文章冒頭に「①②③がある」と張り切って書いてます。
が、途中で力尽きました。
②③については明日書きます。ご容赦を。
以下本編。


第4回レテパフェス、いよいよ今度の金曜です。
今日は色々書きたいので、目次?みたいに番号振ってみます。

①レテパフェスについて

②親愛なるのりものについて

③親愛なるメシアと人人について

では、レッツゴー。

①「レテパフェスについて」

今回で4回目。
正式名称は「レテパシーロックフェスティバル」。
今となっては「ロックンロール」「ロックンロールⅡ」なんて歌もあるので、このイベントタイトルに違和感を感じない人も多いかも知れない。
でも、自分としては音楽ジャンル的にもフォーク、ブルース、ジャズ、という感じでロックというジャンルには一番親しみが無かった。
なんなら、例えばチャボとかシオンとかどんととか、ロックっぽいアレンジの歌よりも、遅くて静かな感じ(メロウ?ナロウ?英語は苦手)の歌の方が好きだったので、ボガンボよりも、どんとソロの「ゴマの世界」を何度も聞いたし、シオンも「蛍」「きれいだ」「元気か」「早く帰ろう」「Machiko」「Once Only Love」なんかが大好きで、シオンさんには悪いが、ロックっぽい歌は結構飛ばしてアルバムを聞いてしまっていた。(浅川マキなんかもたまにロックアレンジみたいなのが来ると台無しになる事が多かった。なのでハッキリ書くと「ロック」には恨みの方が強かった。)
今こうやって歌のタイトルを書いてても懐かしくなるが、10代の頃はシオンのこんな優しい歌達の中にずっと住んでた時期があった。
が、サブスク配信ではシオンは中期以降のアルバムしか配信されていないので、この辺りの歌はCD買わないと聞けないよ。
と書いてみて、今一応見てみたら、、
初期のシオン配信されてるじゃん!ぎゃー!大事件!
よく「ブランキー、ブルーハーツは配信されてない最後の砦だ!」なんて声を聞くが、俺としては「シオンの初期」と「友部正人の初期」と「AZUMIの全て」が配信されたら今後の日本の音楽は大きく変わるだろう、と思っていたので、嬉しい。
これで日本音楽史の未来が少し明るくなったな。
これから歌い出すキッズ達もガラスのハートをブンブン振り回しながらすくすく健やかに育つ事だろう。
上記のシオンの歌なんかを聞くと「お!古宮大志はシオンの影響でかいな。」と思う事でしょう。
でかいでかいよ。そりゃそうだ。
10代の頃、本当に助けられたんだから。

シオンのせいで話が外れた。
戻します。

何が言いたかったかと言うと、自分としては「ロックフェスティバル」というタイトルを付けるなんて夢にも思わない10代20代30代だった。
2度目の結婚式が偶然6月9日だったのだが、それを知った古い友人にも「らしくねーな。一体どうしたんだ?」と言われたくらいだった。
では、この「レテパシーロックフェスティバル」というタイトルをどうして付けたのか?と聞かれたら「なんか最近、ロックが、助けてー!とレテパに訴えかけているような気がしてきたから、、空耳かしら?でもハッキリと聞こえるんだよなあ、、」と答えるだろう。
ちなみに、レテパのメンバーで言うと、はなえもん(2015-2017)が唯一のロックンローラーだったと思う。
他のメンバーは、パンクス、ブルースマン、J-POPマン、バンドマン、という感じ。(もちろん全部褒め言葉。)

あと、最近のレテパのライブ中、いつもの「喜怒哀楽全てを出し尽くした後のレテパシー大放出」のその先に、もう一つ小部屋があるような気がする時がある。
なんかそこは「ロックンロール関連」の部屋な気がしている。
次のレテパフェスでも、無事にこの小部屋をノック出来たら嬉しいな、と思っている。
その部屋は決して大きな部屋じゃない気がする。
1人しか入れないくらいの小さな部屋の感覚。
このバンド、まだ次の部屋があるんだなあ。
まあ、幸せか。だってバンドマンなんだから。

久し振りに文章書いたら、なんか楽しくてイベントタイトル説明だけで長々と書いてしまった。
今日は②③と続くので①をまとめます。

さっきちょうどシオンとか書いたからちょうどいいや。
簡潔に書くと、有名無名関係無くカッコいい人々のみを集め、このフェスを野外でドカーンとやりたい、のです。
俺は昔の文学の世界のような感じにしたい。
有名な大家も無名の新人に影響を受けて、いつまでも緊張していてほしい。
無名の新人には「いいものを作れば先人達に絶対に評価される。もしかしたら酷評かも知れないが、少なくともちゃんと見ていてくれている」という安心感とドキドキで胸がいっぱいの日々を過ごしてほしい。
有名な大家にも無名の新人にも、ちゃんとした絶望や希望を胸に秘め音楽活動をやっていてほしい。
今の有名音楽界や無名ライブハウス界隈両者に蔓延っているあの諦めの感じでは無くてね。(心のないやさしさは敗北に似てる、か。ほんとそうだな。)
最近は「サブスク配信」により有名も無名も同じ土俵に立てるようになった。
これからは、昔の文学誌、同人誌の世界のように純粋な「作品至上主義」の世界になっていくと信じている。
もしかしたら、俺が生きている間には全然無理かもしれない。
そんな簡単な事じゃないんだなあ、と思い悲しくなる事も多い。
けど、なんか楽しくて嬉しくてうまくいきそうな気がする時もある。
でも、前方の光。といったところでしょうか。

まあ、20代だった2000年代。
30代だった2010年代。
グデングデンのゴーロゴロだった自分が悪い。
でも、歌だけは腐らずに残った。
から、良しとしよう。

レテパフェスは2024年に第4回、5回。
2025年に6回、7回、8回、9回。
そして、2026年夏の第10回でイメージ通りの野外フェスにしたい。
我々レテパシーズはそんな夢を見ています。

まずは次の金曜日。
第4回レテパシーロックフェスティバルでお待ちしております。

PS.自分はよく初対面の人に「暗くて怖いイメージだったが、こんなにも明るいおしゃべり男なんですね。」と言われます。
なんで、怖いと思われるのか分からないが、今日みたいな文章が真面目過ぎる印象なのかなあ?
ハッキリ言って、俺を含めレテパシーズは基本的に人生を舐めきった不真面目集団だと思う。
うまく言えないが、レテパフェスはちゃんと楽しい感じのフェスティバルでもあるので、しのごの言わずに楽しみたいあなたもぜひぜひ。
文章にすると固いかもだが、初見の人でも居心地の良い空間だと思いますよ。
そして、レテパフェスは映画館に似てる、という人もいます。
映画館に似ているのなら、やはり映画館を出た後の街の光がどんな風に見えるかが勝負な気がするね。


※ご予約は↓
こちらまたはツイッターDMまで!

あ、チラシの感じが暗いのかなあ。
次からは他の人に作ってもらおうかな、、

あ、しかもまだ梅雨来ないじゃんねえ、、
故郷の北国では梅雨が無いから、時期が未だに掴めない、、
まあ、雨じゃなくてもロサンゼルスクラブの目の前の青梅街道が帰り道にキレイに見えますよーに。

なんか、このPS.うまく書けなかった気がするな。伝わったかな?
要するにレテパフェスは「楽しみたい人も悲しみたい人もカモンカモン」なフェスなんです。
あ、キャッチコピーが出来ちゃった。

PS.今の無名状態のレテパフェスから見てくれている人がいつか「わしは伝説の第4回を見とるんじゃ。のりものではクソ虫が、メシアでは北山が、レテパではヤハタが楽器をへし折ってしまいそれはそれは壮絶な第4回じゃった。ほれチケットもあるぞい。」なんて自慢できるように自作のチケットを作ってみようかな、なんて思っています。
が、なんせデジタルに弱いバンドだから、結構手作り感満載になるかも。
いつも来てくれる人に何かお礼がしたいから「第4回のチケットを第5回来場時に持参すると入場料半額!」みたいな事も考えています。
お楽しみに。

PS.今回の会場はロサンセルスクラブです。東高円寺です。
第1回〜第3回までは新宿歌舞伎町のMarbleでした。
今回の会場変更、すごく迷いました。
昼間のマーブルにも行き、マーブル鈴木店長とも色々お話ししました。
一応誤解無いように少しだけ、今回の会場変更について書きますね。

今回の離婚騒動の時に改めて現実を見ようと思い、レテパシーズの運営についても直視してみました。
改めて見てみると、それはあまりにも赤字覚悟過ぎました。
良いものを作っているのだから金なんかどうでもいい、いつかなんとかなるさ、という考えの元、借金は膨らむ一方。
本来なら身分相応な活動に変えて「アルバムは数年に1枚出せたら幸い」「スタジオ回数も減らす」「集客が弱いのなら自主企画はやめる」「ましてや過去作のリミックス、リマスター、なんてもってのほか」といった事になるのでしょう。
でも、やはり自分達は回遊魚タイプなんです。
せっかく行きたい所があるのだから、やはりそこまで全速力で泳いで行きたいのです。

毎回のレテパフェスやレコ発ライブ、Marbleの厚意で滅茶苦茶ありがたい使い方をさせてもらっていました。
が、今のレテパフェスの規模感だと、恥ずかしながらマーブルの大きさでも大き過ぎたのです。
もう少し小さい場所じゃなきゃ、厳しいな、、と考えていた時に、ロサンゼルスクラブが浮上してきました。(今、カニ一族が経営している。最近カニ父がオーナーになったので。)

まずはロサンゼルスを満員にする。
そして次はマーブルを満員にする。
そして次は、、次は、、
なんだか、夢見るバンドマンって感じだね。
楽しいや。がんばります。見てろよ。見ててね。

冒頭に加筆したが、ここで力尽きた。
②③は明日書きます。
お楽しみに!

6thアルバム「アコースティック」のリミックス、リマスターを行いました。
同時進行で新作10thアルバムのマスタリングも行っていたのですが、6thの出来が素晴らしすぎて、10thはミックス作業からやり直す事にしました。
それくらい素晴らしい6thアルバムになりました。
6thリミックスの作業は馬場友美が行い、カニユウヤと俺が立ち会ったのですが、作業中にカニ君に「この6thアルバムはレテパの作品の中でダントツに再生数が少ないんだよ。」と伝えると、たいそう驚いていました。
「え!?こんなにも名盤なのに?」と。
俺の予想だと「ジャケが俺1人の写真」「タイトルがアコースティック」という事で、特殊なソロ寄りのアルバムだと思われているのでは?と睨んでいます。

「アコースティック」ってタイトルですが、使っている楽器はいつもと同じです。
ただなんか「アコースティック」って言葉が似合うアルバムだと思い、このタイトルにしました。

「ジャケが俺1人の写真」なのはコロナの時期だったし、そもそもメンバー全員で撮影に行く金も無かったし、、で1人の写真になりました。
このジャケの写真は、俺の故郷月形町南耕地にある思い出の三角屋根の家の前の道で撮影しました。(ソロのアー写とかでよく使ううんこ座りの写真は、三角屋根の隣の南耕地神社の土俵の上で同日に撮影しました。今は草ボーボーで土俵だと分かりませんが。昔は相撲大会をやっていた)

今回、リミックス、リマスターを行ったのは「このアルバムが行きたい所に行くのを俺の古い感覚が邪魔をしているな」と前々から思って後悔していたからです。
今回の作業により、このアルバムが本来行きたかった所へ連れて行く事が出来たと思います。
これで無事、大名盤、代表作になれました。

でも、すぐに10thで必ず超えます。
最近俺はずっと10thアルバムの事を考えながら生きています。
6thアルバムの持つ緊張感のある儚さみたいな感覚が、10thにもちゃんと生まれれば10thアルバムが文句無しの代表作になると思う。
それまではこの6thに代表作の座を譲ろうと思っています。

みなさん聞いてみてね。

僕のレテパシーズ6thアルバム
「アコースティック」2024 Remaster

1.旅に出るなら
2.いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま
3.廃墟
4.春
5.調布飛行場
6.夕立が降ってる
7.炭住の赤い屋根に
8.月形
9.猫との午前
10.思わずブランキー

録音メンバー
Vo.古宮大志
G.高野京介
B.タカユキカトー
Key.ハダユキコ
Dr.関口萌

録音(2020年)/タカユキカトー
リミックス/馬場友美
リマスター/中村宗一郎

夜に名前を(YORU-06)

各配信サイトはこちら

PS.レテパツイッターの方で全曲解説してみようと思っています。
お楽しみに!

PS.一応説明しておきますが、上記の「夜に名前を」(YORU-06)はレーベル名と品番です。
1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」を流通する際にレーベル名と品番が必要だったので、その頃お気に入りだった「夜に名前を」という歌をレーベル名にしたのでした。(3rdアルバム収録曲)

PS.リミックス作業中にカニ君が「猫との午前のギターを弾く為に高野さんはレテパシーズにいたのかもしれないですね。」とポツリと呟きました。
もし俺の葬式のクライマックスで1曲流すとしたらこの歌が良いと思います。
それくらい素晴らしい。
誰が喪主になるのかは分かりませんが、ここに明記しておくのでよろしく。

PS.先程書いた「うんこ座りのアー写」と「在りし日の相撲大会」の写真です。
月形町南耕地神社の土俵の上。30年前の同じ場所。
三角屋根の元実家は神社の横に今も空き家で残っています。
7才から13才まで住んだ思い出の家、俺の故郷です。


↑奥が南耕地神社。


↑左が8才の私。
この頃は「若貴ブーム」だったので勝つと若貴カンペンや若貴シャーペンがもらえました。
すでに子供が少ない限界集落だったので、何度も何度も戦って若貴グッズをたくさんもらったものでした。

我が故郷の三角屋根。(この家は300坪の畑付きで200万円だったらしい!)

2000年5月
友人の家で新聞広告を見せられる。
そこには「最高傑作を世に放ち解散します」なんて書いてある。
その最高傑作を彼はもう入手していたので「聞く?サイコーだよ。」と勧めてくれたが、気に入らない歌を聞くと極度に疲れるので慎重になり「いや、とりあえず歌詞カードだけ見せて。」と1曲目の歌詞をだけを読んでみた。
そこには「Spark Jet City チェリーソーダとチェリーパイ」なんて書かれていて「チェリーにチェリーは合わないだろ。甘酸っぱ過ぎてお互いの良さを消しちゃうだろ。」とは思ったが、英語まじりの歌詞だったし、どうせビジュアル系の一種だろうと思い、その最高傑作を聞かずに彼の家を後にした。
外に出て1人になった瞬間、CDウォークマンのイヤホンを耳に刺す。
刺した傷穴に遠藤ミチロウの詩の朗読「パティ・スミスの『ラジオ・エチオピア』が聞こえる」を爆音で流し込み止血する。
親の影響だろう。周りよりも早熟だったので、音楽や文学の話は友人達と全く合わなかった生意気盛りの北国の高校3年生。
まさか、チェリーソーダとチェリーパイのビジュアル系バンドのドラマーがミチロウさんのスターリンに在籍していたなんて知りもしない、はやとちりの田舎者。

2001年夏
高校卒業後、札幌市東区にて一人暮らし。
バイトを転々としながらソロで歌ってた。
ある日友人から「タダでライジングサンに入れるよ。」と誘われる。
行ってはみたものの楽しくなくて、音楽の聞こえない場所を探し、会場内をフラフラとする。
すると20〜30人位の小さな人だかりが。
ステージも何もないところに、ドラムセットとキーボードだけがポツリと置いてあった。
そこへ、刺青だらけの男がトコトコと歩いて来た。
ドラムの前まで来る。
歩調や速度を全く変えずにバスドラの上にトンッと乗っかる。
そして「昨日ススキノ歩いとったらよー、おもしろいピアノのおっさん見つけたから何かやってみるわあー。」と言い放つ。
ひらりとそのまま椅子に着地したと同時にドコドコドコー!と叩き出した。

その一連の動きがあまりにも自然体で見事だった。
普通「バスドラに乗っかって客席に何かを言い放つ。しかもゲリラ的なライブ」という状況だと、誰もが力むだろう。良くも悪くも。
が、彼はあまりにも自然な動き。
バスドラに飛び乗る時にも、歩幅や速度が一切変わらない、普段通りの当然の一歩。
客席に口上をぶちまける時も「長年連れ添った老夫婦が交わす呼吸のようないつものおはよう」くらいの当たり前な態度。

こんな人間見た事ないな。何なんだろう、この人。と衝撃を受けていたら、隣の若者が「達也だよ!達也!」と騒いでいる。
俺は「どこぞの達也だろう?」と思いながら演奏を見ていたが、ピアノのおっさんは本当に「昨日ススキノで拾ってきた見ず知らずのオッサン」だったのだろう。
つまらない演奏だったので、彼のドラムにもそこまで感動せず、退散。

でも「一体どこぞの達也だろう?」との思いは心に残る。

2001年秋頃
札幌中心部のピヴォという大型書店で1冊の本が目に止まる。
直感的に開いてみると「どこぞの達也」がそこにいてビックリ。
さすがに運命を感じ、買って家で読んでみる。元気が出てくる。
小さい頃からの違和感が一気に解けていく。
ああ、俺と同じ感覚の人達は存在するんだな。

自分の「暗い部分」において上記の感動を与えてくれる人には何度も出会った。
そしてその人達に救われて生きてきた。
が、自分の「明るい部分」においてこの感覚を持つ事は今までに無かった。
おそらく自分は元来明るい性格なのだろう。
この本を境に、明るい部分が表に出て来て、暗い部分はたまーに現れて大暴れする、という感じになった。
今でもそうだ。

その頃住んでいたアパート(北17条西3丁目コーポ幌北)の裏の中古CD屋ビークラブで「歌詞カード無し、キズ有り、1000円」の「Bang!」を買う。
とても感動した上に、最近の音楽(それまで60年代〜70年代の音楽を中心に生きていた)で感動する事が極度に少なかったので、その部分でもえらく揺さぶられた。
現代、現実、が一気に自分に関係してきた感覚があった。
簡単に書くと、嬉しくて生きる力がどんどん湧いてきた。

ブランキーを聞いて、影響されて、まずやる事は人それぞれだろう。
俺はプレスカブを買い、テントと寝袋と地図だけを持って北海道ツーリングの旅に出た。

※上記の本のタイトルは「ワイルド・ウインター」です。
皆さんもぜひ。

2002年
上記の「現代、現在、が一気に自分に関係してきた感覚」はブランキーショック以降も続いた。
ガールフレンドが持っていた「ナンバーガール」もかっこ良かったし、この年の春に発見した「ROSSO」の1stアルバム「BIRD」を聞くと自分もバンドを組みたくなってきた。
出来る歌も明らかに変化した気がする。
歌が出来る時に頭の中でバンドサウンドが鳴るようになった。
この後、1年間だけバンドを組み、解散するまでの間はバンドっぽい歌がたくさん出来た。
解散後にはまたフォーク少年に戻ったのだが。
ちなみにこの頃の作曲でレテパシーズのアルバムに収録された歌は「SFマンボ」「空知」「札幌ナンバーの最後」「ミツバチ」「そしてトンキーは死んだ」「水平線」「東区が恋しくて」「雪包丁」。

バンドを組むと不思議なもので、同世代の友人がたくさん出来るようになった。

2003年初夏?
自分のバンドのレコーディングを161倉庫と同じビルの1Fにあるスタジオミックスで行った。
前日にロックンロールバンド(懐かしの「テキサスパコ」)を見ながら踊っていたら右手が折れてしいまい、風邪もひいて鼻声で、満身創痍のレコーディングだったが、ブランキーショックのおかげで平気に明るく録音出来た。
録音が終わり、地下の161倉庫に降りてみると、おしゃれな感じの若者のスリーピースバンドが演奏していた。
今時の売れ線な「ナンバーガールやフィッシュマンズあたりの影響下にある」感じのバンドに見えたが、後ろにいたドラマーに目を奪われた。
人間界に野生動物が混ざっちゃってるよ!と思った。
その野生動物は誰かに似ていた。そしてすぐに気付いた。
それは「どこぞの達也」だった。

演奏が終わり、話しかけた。
「すごくカッコいいね!これ俺のバンドの出来立てホヤホヤのアルバムなんです。良かったら聞いてみて下さい!あ、でもこれ入稿用のマスターCDらしいから必ず返してね。」

後日彼女はちゃんとCDを返してくれた。
そして無事に感動してくれたらしい。
俺達は仲良くなった。

2003年秋頃?
俺のバンドのドラムが抜けてしまい、急遽代打で彼女がドラムを叩く事になった。
ライブの前日に161倉庫を借りて練習したのだが、3人とも大興奮だった。(古宮大志、古宮夏希、鈴木亜沙美)
これはすごいバンドだ!運命の3人だ!と全員が同じ気持ちを持ったと思う。
が、おそらくそこで全てを出し尽くしてしまったのだろう。
次の日「MOON PALACE」で行われたライブはまあまあの感じだった。

2005年
2003年頃かな?ナンバーガールがいたメジャーレコード会社に「空知」のデモテープを送ったら東京から業界人が会いにきた。
それで舞い上がった俺は友達全員に「今度メジャーデビューするんだよねー。多分。おそらく。きっと。」と得意気に言いふらしてしまったが、すぐにバンドが解散してしまい、話は頓挫した。
ちなみに解散した原因は「ふるちゃんばっかりちやほやされるのは癪だ。私には私の歌がある。自分のバンドを組むわ。」と言い残し、古宮夏希が勝手に脱退したせいだ。
俺はメジャーデビューする、と言いふらしたくせに頓挫したのもきまりが悪いし、得意のリセット癖で「さようなら札幌。東京に引っ越そう。」とリセットボタンを押してしまった。

夢の東京だ!ワクワク。という感じの上京では無く、ヤケクソに似た逃避の上京だったので、ノープランですぐにホームシックにかかり、ボケーっとしながら悲しく暮らした。
が、多摩川や多摩丘陵をぼんやりと眺めながら出来たたくさんの歌達は、今でもレテパシーズの大切なレパートリーだから、絶対に必要な時間だったんだよなあ、と今では微笑む事が出来る。

2010年
「僕のレテパシーズ」結成。
札幌のアディーに電話してドラマーとして誘う。
が何やかんやと言い訳を言われ、断られむかつく。
ドラムは結局、藤原リョウタが叩く事になった。(現「五月リョウタ」※週刊ラジオレテパシー局長)

上京しないアディーにむかついていたら「旅に出るなら」という嫌味な歌が出来た。
※現在リミックス、リマスター中の6thアルバムの1曲目。
まもなくリリースです。お楽しみに。

2011年
「ケツが痛くてもうダメですわ。」と言い残し、藤原リョウタが脱退。
アディーに電話するも、何やかんやと言い訳を言われ、また断られた。むかつく。
ドラムはにたないけんが叩く事になった。

2013年
にたないけんがちょっとグロい失恋?のショック?でバンドを去る。
アディーに電話するも「今なら行きたい気持ちは山々なんだが、上京する金が無い。から金が貯まるまで待って。」と言う。
むかついたので「じゃあ、俺がアパートから引っ越すから俺のアパートにそのまま住めば良い。それなら敷金も礼金もかからずに飛行機代だけで明日にでも引っ越せるだろう。」と提案し、解決。
なので、アディーは古宮大志として方南町のアパートに住む事になった。

2017年
俺の第一次断酒の影響でレテパがダメになってきた。
3rdアルバム「永遠に、たまに」完成後、はなえもんとアディーが抜けた。

2024年4月
ハジメちゃんから「ここで一度休ませて。必ず戻るので。」と伝えられる。
俺はアディーに電話した。
アディーは「声かけてくれてありがとう。叩くよ。光栄です。」と言った。

PS.写真ははなえもんが描いた2017年頃の4人のレテパシーズ。
この頃はこれをアー写にしてた。
さすが、はなえもん。
あの頃の絶望のカラーがよく表現されています。


これは2016年「愛してるよ」の頃のライブ。
この頃は崩壊寸前の明るさがあったね。


なんの写真だか分からんが、珍しくツーショット。
というわけで、アディーよろしくね。
2003年、俺達が初めて演奏したあの伝説の夜「MOON PALACEのライブの前日の161倉庫での最高の練習」を余裕で超えようぜ。

まだまだ旅は続くのです。

第4回レテパシーロックフェスティバル開催します。
共演は「のりもの」と「メシアと人人」の2組。
昨年からずっと夢見ていた3マンなので、書きたい事は山ほどあるが、両バンドへのラブレターはまた今度。
今日はレテパシーズのドラマー、関口萌と鈴木亜沙美について。
※加筆→書いてたら長くなったので、今日は「ハジメちゃん編」にします。


ご予約はこちら。
レテパフェスはライブハウスというよりも映画館に近い雰囲気だと思う。
なので、ライブハウスが苦手な人も我々の歌が好きならば楽しめると思います。(人が嫌いでも外出が嫌いでも梅雨が嫌いでも音楽が嫌いでも自分が嫌いでも)
帰り道、街がキレイに見えるかどうか。
そんなところに力を入れているフェスティバルです。
今回は梅雨のレテパフェス。
雨の青梅街道が何色に見えるかは人それぞれでしょうが、透き通ってキラキラしていたのならば、水色だろうがオレンジだろうが我々のフェスは大成功なのです。
ぜひお待ちしています。

では本題に。

レテパツイッターでは先日告知してもらいましたが、関口萌(以下ハジメちゃん)がレテパシーズをお休みする事になりました。
そしてその穴を埋めるべくレジェンドOBの鈴木亜沙美(以下アディー)が帰って来てくれます。

まずは、そうだなあ、2人との出会いでも書いてみましょうか。

関口萌との出会いは2000年代後半だと思う。
当時俺は古宮夏希&コークスが燃えている!というバンドでエレキガットギターを弾いていて、ライブもたくさんやっていた。
で、関口萌がドラムだったバンド「Paradise」と何度か対バンしているうちに話すようになったのだろう。
そのバンドと初めて対バンした時、主宰者の人から「ひろしさん、Paradiseのボーカルはマジでヤバいですからね。気を付けて下さいよ。ほんとイカレてて怖いですからね。彼はシャレにならないですよ。ライブ中に〇〇したりするんですよ。ほんとロックですよねえ!」というような事を言われたものだから、田舎者のへそ曲がり?の俺は、多分好戦的な敵意剥き出しな態度でいたはずなのだが、ハジメちゃんとだけは話すようになった。
そのバンドの演奏は全く思い出せないが、ハジメちゃんのドラムは印象に残った。
「もったいないな。あのドラマー。」
でも、別に連絡先を交換したり、対バン以外で会う事は無かったので、彼の特徴的な喋り方と特徴的なドラムだけが後年も記憶の片隅にいた。

それから10年くらいか。
人生最悪の地獄の2017年(第一次断酒治療が始まったが、鬱になりレテパがうまく出来なくなった)3rdアルバム「永遠に、たまに」のレコーディングが終わり、はなえもんが去り、アディーも去った。
で、俺はまた酒を飲み出して「6枚のアルバムだけは 6枚のアルバムだけは」と魔法のように呪文のように唱えながら(「遺書のように 遺言のように ずっと続くバトンのように」とそれのみを願いながら)残る3枚の録音だけを目指して生きていた。
で、早くドラマーを見つけなきゃ、と思った時、10年振りに彼の事を思い出したのでした。
人伝に連絡先を探し、電話した彼の喋り方は変わらなかった。
「あ、三鷹に住んでるんだ。俺は高円寺に住んでます。一度会って話しません?中間地点あたりで。」
「じゃあ、吉祥寺にしようか。」
「OK!よろしく。」

と言うわけで、公園口で待ち合わせ。
また中途半端な断酒を初めていた俺は、ノンアルコールビールのある店じゃなきゃ嫌だな、とワガママを言って、なかなか店が見つからず(当時ノンアルは今ほど市民権を得ていなかった)結局、井の頭公園へ。
ベンチに座り、彼を口説いた。

「3枚のアルバム、残り30曲をどうしても残したい。ライブはうまくいかないからもうやらない。3枚録音したらバンドはやめる。それまでどうかドラムを叩いてほしい。」
「分かった。ライブ無しという事なら自分も時間作れるよ。ぜひ3枚残すべきだと思う。叩くよ。」

それから色々あったねえ、ハジメちゃん!

2018年9月
もうライブはやらないと言ったくせに、オファーが来たからには「秋田ハイコーフェス」だけは出なくてはいけない!と言い、断酒状態でライブが上手くいかないのは2017年で何度も実証済みだったので、無理やり嫌々泣きながら飲んで飲んで連続飲酒の耐性を取り戻し、ハイコーフェスに臨み、バッチリ歌い、トリのレテパの最後の歌はなぜか「リンダリンダ」。
多分「今年で最後かも」と言いながら毎年やめないハイコーフェスにとどめを刺して成仏させるために、リンダリンダを歌ったのでは?と今振り返ると思う。
宿泊先の水沢温泉郷でハジメちゃんは何度も何度も「この人意外と貧乏性なのかな?」と思わせるくらい執拗に風呂に入っていたのを覚えている。
昨夜からもう10回くらい入ったのでは?と思って呆れていたら、出発直前にダメ押しで「あ、やっぱりもう一回入って来よう。」と急いで部屋を出ていった彼の背中を忘れない。

2019年2月
俺の体調が限界を迎え4thアルバムレコーディングが止まってしまった。
エンジニアも怒って途中で降りてしまった。
殺気立った狂気の帰りの小田急線、ハジメちゃんは自分の昔のバンドの失敗談?みたいなのをずっと話して俺を慰めてくれた。
この日を境に「底付き」を強く再確認。
一念発起して治療法を変えての第二次断酒治療が始まった。

2019年秋?
5thアルバムの録音の時、現場の雰囲気に濁ったものを感じてしまい、俺が少し感情的になった時、ハジメちゃんは素直に謝ってくれた。
その謝り方がいい感じだった。
俺もこんなふうに謝れるようになれたらなあ、と思った。
かなりの不思議ちゃんだが、とっても素直な男。

2020年2月
今なら出来るかも、と思い、第二次断酒後初めてライブをやってみた。
忘れもしない新高円寺LOFTX、のっぺら企画。
この日に向けて本当にたくさん勉強して、準備した。
そして最高のライブが出来た。
この日ダメならやはり6枚完成で解散するつもりだったので、この日が人生のターニングポイント。
極度に気が張っていたのだろう。
帰り道、頭がいきなりもげそうなくらい痛くなり、ゲロまで吐いた。
でも人生で1番と言ってもいいくらいに幸せな気分の帰り道だった。
目が開けられないくらいの頭痛と吐き気の中、幸せを噛み締めている人間は滅多にいないでしょう。
今思い出しても微笑んでしまう。本当に幸せだったな。

このライブのあたりから世間はコロナになり、俺はユキコの祖母の高円寺の空き家に引っ越して、ゴロゴロのんびりと断酒治療のみに集中して暮らし始めた。
そしたら歌がどんどん出来るようになり、みんなに「やっぱり6枚録っても解散しない事にする。これからはライブもやりまくる。」と伝え、もともと6枚を残すためだけのメンバーだったので、タカユキ君と高野君が去ったが、ハジメちゃんは残った。(ここの説明は本当はもっと丁寧に書きたいが、今日はやめときます。いつか愛情たっぷりに書こうと思う。この書き方だと少し事実と違うかも。だが、今日は許して)

2021年4月
カニユウヤとの初スタジオ。
なんの曲だか忘れたが、カニがギターソロを弾き終わった時のハジメちゃんの顔が忘れられない。
何年も一緒にいて、あんな顔初めて見た。
心底ミュージシャンなんだな、と思った。
カニの音に触れて、喜びに満ちていた。
今までこんな顔をさせれなくてごめん、これからはこの顔を何度でもさせてあげますよ、と心の中で誓った。
「無事に残して終わる為だけのバンド」が終わった瞬間だったと思う。

多分この前後だったと思う。
ハジメちゃんに子供が産まれた。
そして職場も変わり、三鷹も離れ、空き家になっていた湘南の実家に嫁と子供と移り住んだ。
ちゃんと父親するタイプの男なので、カニ加入による「ハジメちゃんのミュージシャンとしての喜び」の部分への発火が無ければ、もしかしたらレテパを続けるのは難しかったかも知れない。
そのくらい、このあたりから彼のミュージシャンとしての天才肌の部分に火が付いたと思う。
その証拠にそれまで「スネアは昔売ってしまってからずっと持っていなかった」彼が、自前のスネアを買い、ちゃんとスタジオに持参するようになった。

2021年7月
熱海の伊豆山で土砂崩れのニュース。
レテパの通販の常連さんの中に「熱海市伊豆山」の女性がいた事を思い出し、心配になる。
迷惑とは思ったが、大丈夫ですか?とメールしてみる。
会った事もない常連さんの女性。
すぐに返信が来た。
「心配して頂きありがとうございます。土砂崩れは山の反対側だったので私は大丈夫です。そしてこの際だからお伝えしますが、私は関口萌の母なんです。でも母だからレテパを好きなわけでは無いです。レテパシーズは本当にすごいと思います。私は「即死」を聞いてからマーシーのファンで、ハイロウズのライブには必ず行っていました。」
彼女が無事だった事と、まさかの母だった事で、びっくり嬉しくて泣きそうになってしまった。(そして俺も「即死」が1番好きだ。あと「見送り」も好き。)
この感動を後日ハジメちゃんに伝えると、露骨に恥ずかしそうな嫌な顔をして思春期丸出しの中学生のような反応だった。

2023年5月
俺とユキコに息子が産まれると、ハジメちゃんはとても喜んだ。
めちゃくちゃたくさんお下がりをくれて、ビンボーな古宮家を助けてくれた。
が、この頃からハジメちゃんの家では大変な事が続いた。
俺だったら1つでも根を上げてしまいそうな事柄がいくつもいくつも関口家を襲った。
スタジオをドタキャンで欠席する事も増えてきた。
無事にスタジオに着けても、かなり憔悴した様子。
ドラムを叩いてる時は意地でもサイコーの演奏をするのだが、それがかえって心配だった。

新宿ロフトでのライブの後、少し彼と話し合った。

「ハジメちゃんは限界までがんばるタイプだと思う。が、どんなにがんばったとしても、限界を迎えてはダメだと思う。だからもし辛いのならば限界になる前にレテパを休むべきだと思う。休んでる間はアディーに声をかけてみようと思う。アディーならきっと叩いてくれると思う。どうかな?」

「うん。ありがとう。でも今はまだ大丈夫。もし辛くなったら遠慮なく言うよ。」

2024年2月
10thアルバム制作。
ハジメちゃんは「そばにいる」という歌が大のお気に入り。
不謹慎かも知れないが、こういう本当に追い詰められた状況の人がこの歌を好きと言ってくれるのは、作曲者としては嬉しい。
必ず最高傑作にしなくちゃね。

2024年4月
10thアルバムレコーディングと第3回レテパシーロックフェスティバルが終わった。
そしてついにハジメちゃんから「ここで一度休ませて。必ず戻るので。」と伝えられた。

すぐにアディーに電話した。
アディーは「声かけてくれてありがとう。叩くよ。光栄です。」と言った。

PS.写真は「ハイコーフェスにリンダリンダでとどめを刺した帰り道」のレテパシーズ。
2018年だから6年前だね。
あれから俺達がんばったよなあ。
そしてまだまだがんばっちゃうのです。
なぜなら、お楽しみはこれからだからね。

ちなみにこの時のセットリストはこれ。

01.ブルースマン
02.空知
03.見知らぬ青年との会話
04.17
05.札幌ナンバーの最後
06.ハイコーフェスが終わったら
07.海へ行こうよ
08.ロックンロール
09.ハローグッバイファックユー
10.愛は風景
アンコール
11.リンダリンダ

PS.さっき書いた2021年4月のカニ初スタジオ。
もう一つ面白い話があるので書きますね。
カニが入ると聞いたヤハタトシキは「へー、カニ君ねえ。どんなもんでしょうねえ?俺は高野さんのギター好きでしたけどねえ。」みたいな生意気な態度をとっていた。
が、カニの初ギターソロ後、ハジメちゃんが喜びに満ちた表情をしている瞬間、隣のヤハタは「負けました!完敗です!シビれました!まいった!」という感じで、これまたサイコーの表情をしていた。
さっきまであんなに生意気な態度だったのに。
なんて素直な少年なんだろう!とハジメちゃんの表情同様に、俺はヤックンにも感動したのでした。
みんなほんとミュージシャンなんだよね。
多分、俺は少し違うんだよな。
1st,2ndの頃はこの違いが結構マイナスだったと思う。
でも、今はちゃんとプラスに出来ていると思う。
なんつーか、昔より自由なバンドになった気がします。

PS.ごめん、もう一つだけ補足。
同じく2021年4月の部分。
この書き方だと、カニのギターでは着火したが、先代の高野京介のギターでは着火しなかったかのような印象を与えるかも知れません。
確かに、ハジメちゃんのミュージシャンの部分に着火させたのはカニユウヤだと思う。
が、その前の5th,6thアルバムの時期のレテパシーズは、1st,2ndの頃や、7th以降のレテパには無い、俺の歌そのままの空気が特に残せている気がします。
これはなかなか難しい事なんです。(永遠の中学生、高野京介の美徳だと思う)

その証拠に、俺は2日前から久し振りに頭痛や耳鳴りや吐き気に襲われています。
これはストレスやプレッシャーを感じた時に出る症状です。
レテパは現在、10thアルバムと6thアルバムのマスタリングを行なっています。
6thアルバムは先日リミックスもして、リマスターをした状態。
それが正直素晴らしすぎて、10thへかなりのプレッシャーをかけてきています。

自分で自分を苦しめる人生。
ああ、なんて素晴らしいんだろう。
昔からよくドMと言われます。
が、俺は「自分というものを自分で苦しめて最終的には喜びを感じるんだから、自分に対してのドSなんじゃない?」と反論します。

それでは、今回も読んでくれてありがとう!
次回は「アディー編」です。
多分来週あたりかな?お楽しみに!

3/⚪︎
息子とテレビ。
膝の上にはサンタナ。(元ノラ猫。2年前から家に入ってくるようになった。名前の由来はヤクルトスワローズの外国人選手ドミンゴ・サンタナより)
放送していたのはアメリカの歴史のドキュメンタリーだったが、いきなり息子が拍手のような動きをしたので、驚く。
その時画面では、同性のカップルに対し大勢の人が祝福の拍手をしている60年代?の白黒映像が流れていた。
やるなあ、息子。
が、ただの偶然かもしれないぞ、と思い、俺も拍手をしてみたら、やはり真似して拍手をした。
初拍手が白黒映像の恋人達に対してだなんて、なかなか渋いじゃないか。
と思っていたのも束の間、数分後、トランプ支持者達がUSA!USA!と拍手している時にも拍手しちゃった。

3/⚪︎
朝起きると、晴れているが少し積雪。
「日記風、2月編」にも書いたけど、故郷と雪の感じが全然違うので降る雪に対して懐かしい感じは全然しない。
でも、この雪が溶ける感じ、流れる水の音、反射する光、は懐かしさ満載。
東京の、降る雪には懐かしさを感じず、溶ける雪には懐かしさを感じる。
他の北国出身者も同じなのだろうか?
でもまあ、解けるではなく、溶けるだよなあ。
この雪解けの「解ける」という漢字はさすがに「長い間動かずに止まっていた冬の時間がようやく解ける」という「魔法が解ける」に近い感覚なので、東京の雪には「溶ける」で十分。
そんな事を思いながら、息子を抱き窓の外を見ていると、歌が出来そうな感じがした。
が、口をついて出たのは1月に出来た「春の花」という歌。
うん、もう歌ってたわ。この感じ。

今日は10thアルバムミックスの2回目。
藤沢から来るというエンジニアの馬場ちゃんに「雪大丈夫?」と連絡すると「もう少し溶けてから行こうかな。」との事。
なので、のんびりと15時頃にロサンゼルスクラブ(徒歩5分)へ向かう。
作業は絶好調で進んだが、スタート時間が遅かったので全部終わったのは深夜1時。
俺は断酒してからは完全なる朝型人間。
毎晩22時には子供のように激しく眠くなる。(断酒初期はマニュアル通りに不眠になり服薬していたが)
なので「今日は久し振りに日付変わるまで起きていたなあ。えらいぞ。がんばった!みんなお疲れさま!」なんて思っていたのだが、カニ君が「じゃあ、最後に全部通して爆音で聞きましょう!」なんて言いだした。
大名盤完成だ!という喜びに満ちた彼の純粋提案を断る事など誰にも出来るはずがなく「いいね!聞こうぜ!爆音で!サイコー!」とみんな眠い目をこすりながら賛同。
深夜1時、10曲全部夏の歌の「夏のアルバム」により、日本中、いや多分世界中で俺達が1番夏だったと思う。(ギラギラした夏では無く、いつも終わりかけてた短い夏の事ですけどね)
聞き終わるとヤハタ君はとても感動したらしく、キラキラした目で「うん。うん。いいね。素晴らしいよ。」と言っていた。
俺は「今更だけど、6曲目「まだもう」と7曲目「そばにいる」逆の方が大きな場所へ到達出来る気がする。変えません?曲順。」とみんなの感動に水を差した。
結局この提案は通り、僕のレテパシーズ10thアルバム「夏のアルバム」は完成した。(まだマスタリングが残ってるけどね)

馬場ちゃんにギャラを支払う時に俺はボケていて、昨年末の作業分のギャラもまとめて今日払う事を忘れていた。
つーか、もう払ったと勘違いしていた。
「ボケててすまん、、」と言いつつ馬場ちゃんにまとめて支払ったが、これで完全に妻に支払うべき借金を返すアテが消えた。(しかもそもそも全額では無く分割にしてくれると言ってくれているのに、分割分すら無い)
でも最高傑作が出来たんだよ。それでいいじゃないか。と以前なら思えたのだが、先月からのゴタゴタで弱っているので、とてもそうは思えなかった。
「最高傑作を作ったのにトボトボ帰る人ランキング」があったのなら歴史上第1位だったと思う。
この日の俺の帰り道は。

3/⚪︎
今日は「第3回レテパシーロックフェスティバル」。
前々回のレテパNEWSの「親愛なるT.V. NOT JANUARYについて」という文章でTVについては愛情たっぷりたくさん書いたので、ここでは長くは書きません。
つまりこの日もあの頃と同じような印象を、もちろん良い意味で持ったのでした。
なので、前の文章で全て書いた気がしています。

でも、せっかくだから一つだけ書くと、あの頃は俺も酔っ払っていて少し見落としていたかも知れないが、改めてTVの3人は本当に滅茶苦茶ピュアだなあ、と思った。
不器用なままなんだよね。ちゃんと色々うまくいっていない。
体の表面は大人になっているのにね。
中身、まだまだちゃんと青いんだよな。
本人達は長所と思っていないと思うけど。(きっと短所だと思っている。そこがまた良い。)

ライブ後に本島君がかなり大きな声で「レテパシーズは本当にロックしてる。俺達はまだまだ出来ていない。」とあまりにもハッキリと断言したのが面白かった。
隣で池ちゃんが「そこまで断言する!?」という顔をしていたのも面白かった。
横田川君は静岡で養蜂をしているので、終電があって途中で帰ったが、ライブ前に「さっきまで海の見える山の中で蜂と戯れていたのに、いきなりの新宿は真逆ですごいなあ。」と言っていたので「でも、ここまでくると大自然にも見えてくるよね。歌舞伎町。」と言ったら笑っていた。

今回のレテパフェスはボケーっとしていたら1ヶ月前になってしまい、告知のスタートもかなり遅くなってしまった。
予約も最初すごく少なくて、しかも色々弱っていた時期だったので「こんななら今回で終わりにしようかな。レテパフェス。」なんて思った夜もありました。
でも、始まってみたらそんな気持ちは吹っ飛んだ。
目撃してくれたあなた。本当にありがとう。
今回は特に弱っていたので、すごく励まされました。
レテパシーズのライブでは、他のバンドと違いお客さんの顔がよく見えるように、特別に俺らの後ろからも客席を照らしてもらっています。
レテパシーズを見ている時のお客さんの顔が好きだから。
リハでも入念に、客席の顔が見えるかチェックしています。(つーかレテパのライブでは照明は一切ライブ中に変えないので、照明さんの仕事はこれだけですね、、)
今回も素敵な顔がたくさん見えました。ありがとう。

第4回もやります。
次からはもう少しフェスっぽくしてみようかな。
お楽しみに。

あと、一つだけ書くと、レテパのライブがもう一つ先の部屋に行けた気がした。
何もかもがレテパシーになっていく。
これで良いのだと思う。
あの頃望んでいた通りなんだな。

3/⚪︎
レテパフェスの翌日。カブでソノダさんと温泉へ。
定番だった「稲城温泉 季の彩」がリニューアルで長期休業しているので、最近は「おふろの王様 和光店」一択。
この施設には「かまくらうんじ」という別料金の休憩所があるのだが、かまくら風の部屋?がたくさん並んでいて、その中で寝たり漫画を読んだり出来る。
でも、最近は「カップルがイチャイチャするのにピッタリ!」みたいな裏情報が流れているのでは?と疑ってしまう程、たくさんのカップルがかまくらを占領している。
俺の隣のかまくらでは20才くらいのカップルがおっ始めようとしていたが、最後の最後で彼女が「ダメ。ダメだよ。」と拒否したので彼は明らかにヘソを曲げてしまった。
「この女ギリギリまであんな甘えた声を出していたくせに!かわいそうに。分かるぜダンナ。」なんて思いながら、先月のハンターハンターの続きをやはり父親目線で読んだ。
今日も12時間くらい滞在。
ハンターハンターはドッジボールが始まるあたりまで読んだ。
ゴン、もうすぐジンに会えるぞ。がんばれよ。

真夜中の帰り道はいつもガラガラ。
12時間漫画を見んだ後のカブ走行はとても気持ちが良い。
脳ミソを洗われている感覚。
環八の手前の「笹目通り」という看板を見るたびにいつも「笹口騒音ハーモニカ」と「高1の頃に付き合っていた笹先輩」の事を一瞬だけ思い出す。
実物の笹を見ても思い出さないけどね。
漢字、恐るべし。

3/⚪︎
前回のレテパNEWSを読んで心配になった友人達が連日飲みに来てくれる。
みんな「大丈夫?一体何があったのさ?」と心配してくれた。
が、俺は「いや、君達の方が心配だね。俺は天才棋士や将棋AIもびっくりな一手を超序盤で指したに過ぎない。でもこの手が1番勝率が高いと思うんだ。そしてこの一手により数年後俺達は大勝利を得て、大笑いでこの日の事を思い出すんだ!君達こそ大丈夫?人生もう手遅れなんじゃないの?」と大見栄を切っておいた。

3/⚪︎
今日はいよいよ引っ越しの日。
レンタカーを借りて、いざ出発。
車の運転は妻、助手席にはヤックン、俺はカブ2ケツで後ろにはソノダさん。
高円寺→経堂は約20分。
前に一度、今となっては後悔レベルの尋常じゃない断捨離を行なっていたので、荷物は極端に少なく2往復で完了。(2018年頃、死期が近いような気がしていたので、捨てれるだけ捨てた。バイト先のたこ焼き屋の善意でどんな物も事業ゴミで捨ててくれたので)
今の部屋でずっと使っていた「妻の祖父の昭和な勉強机」と「妻の祖母の昭和なシングルベッド」も無事に貰えたので、引っ越し先でも元の部屋をほぼ再現出来た。

ソノダさんはバンドスタッフとしてはピュア過ぎて全く不向きなのだが(損得よりも名誉を重んじてしまうタイプ)実家が貧乏だったおかげ?で生活力は半端なく強い。
ので、引っ越しもそろそろ終わりだなあ、というタイミングで「ジモティー来ました!冷蔵庫!洗濯機!炊飯器!ケトル!4点セット!大田区旗の台!今から受け渡し可能!」とすごい情報を掴んでくれた。
が、レンタカーの返却が20時までなので、ギリギリ間に合わないよなあ、と思いながらダメもとでレンタカー屋に電話したら「閉店20時までですけど、良いですよ。待ちます!」と言ってくれた。しかも延長料金無しで。

意識高い系女子、といった感じの美人の姉さんから家電を受け取って(昔こういうバイトをしていたので、引き取り方がプロっぽかったのだろう「もしかして業者さんですか?」と怪しまれてしまったが)高円寺駅前のレンタカー屋に無事に車を返却。
妻をカブに乗せて家に帰る途中「あーあ、これでカブも乗り納めかあ。」と言うので「いや、別にカブには乗れるんじゃないの?離婚したって。」と言ったら嬉しそうにしていた。
この90CCのカブは、たこ焼きバイトの時のバイク乗りの上司が「ひろしも昔カブに乗っていたのなら、これをあげたら免許を取って酒もやめてまたツーリングしたりするかもな。」と言ってプレゼントしてくれたおんぼろカブ。(貰ったのに3年くらい雨ざらしで放置していたが、、ちなみに昔乗っていたプレスカブは原付なので普通免許で乗れた。🎵プレスカブのスピードでー🎵よく旅に出てました)
そして2019年頃、酒をやめてボーッとしていた俺に「私カブの後ろに乗りたいな。金出すからバイクの免許取ってきなよ。そのかわり私のバイトの送り迎え毎日してもらうけど。」と言って妻が免許代を出してくれたのだ。
なので、あんたが乗りたいと言うのなら地獄の果てまで乗せますよ。
あんたが金出してくれたんだからね。サンキュー。

3/⚪︎
新居で目覚める。
朝の光が部屋中に満ちている。
「あれ?思ったよりも全然日当たりがいいぞ。」と思って窓を開けたら、目の前の室外機の上で猫が昼寝をしていた。
引っ越しの時にも数匹の猫が様子を見に来ていたし、もしかして猫の通り道パターンの家なのでは?(高円寺の家がまさにそのパターン。たくさんの猫やハクビシンや狸の親子が縁側を通り道にしていた)と思って、ベランダの方をよく見てみたら、裏の大家さんの家のベランダからうちのベランダに木の板の橋がかかっていた。
明らかに猫の通り道。
「すげえな。もし俺が猫嫌いだったらどうしてたんだろう。ペット禁止物件なのに、、大家側が猫を送り込んで来るなんて、、」と思ったが、俺はもちろん猫好きなのでウェルカム。
考えてみたら人生で猫切らしたことほとんど無いな。
子供の頃は月形町で田舎だったから(レテパNEWSのタイトル写真がその頃に住んでいた家です)最大12匹くらい飼っていた事もある。
名前が思い付かず「ハンバーガーキッドとハンバーガーキッドⅡとパンダとニセパンンダと、、」みたいにテキトーに名付けていた始末。

生まれる時にオプション選択で「猫付き」の項目にチェックを入れたのでは?と疑いたくなる程、どこに行っても猫が俺に付いてくる。
今にこいつら部屋に入ってくるんだろうなあ。
ワクワクしながら猫を見つめた。
素敵な新居初日の朝。

3/⚪︎
近所を散策してみたが、内見の時の印象と全然違う。
大きな団地や体育館やプールもあって、なんか広々とした明るい地域だった。
すごいラッキー物件じゃん、これで家賃39000円バイク駐輪可だなんて。
サミットも近くにあったので、セールだったジャンボ豚バラのかたまりを買う。
ガス台だけまだ無いので、持ってきたホットプレートで焼こうとしたら、包丁も調理ハサミも無い事に気が付いた。
ホットプレートの火力ではかたまりのままでは焼けないので、しょうがなく素手で肉をちぎりまくる。
この前読んだハンターハンターにも素手で肉をちぎる殺人鬼(ジョネス)が出てきたな、あはははは、と笑いながら肉をちぎって焼いて、炊けた米を食べようとしたらしゃもじが無い事に気が付いたので、ヤケになり肉を炊飯器に入れてそのままジャーを丼にして食べた。
初日からぐちゃぐちゃになったジャーが「おい!なんて事するんだ!僕は意識高い系女子の雑穀米しか炊いた事がないんだぞ!」と怒っている気がして1人で笑った。
物が少ないから笑い声が響く響く。
うーん、久し振りの一人暮らしだ。

3/⚪︎
妻が「にたけん(レテパ2代目ドラマーのにたないけん)とカンボジア料理食べに行くから息子を見てて。」と言うので、カブで高円寺へ。
ほんとバイク駐輪出来て良かったな、電車じゃトータル1時間かかるもんなあ、と思いながら部屋の前からカブを出していると、大家のおばさんが登場。
「そんな狭い所に停めなくても、この辺りどこに停めても良いわよ。」との事。
さすが、猫好き。心が広いぜ。
ブーンと20分で息子のもとへ。
息子は風邪をひいたらしく、熱と鼻水でぐちゃぐちゃ。
でも元気いっぱいで、突進してくる。
高い高いをして遊んでいたら、すべって頭から垂直に落としてしまい彼は数秒間動かなかった。
「ああ、終わった、、」と思っていたら、急に動き出して大笑いしながら突進してきたので安心したのも束の間、笑いながらゲロを吐いたので、一瞬心配したが、大丈夫なようだった。
こういう時や電車とかでも全然泣かずに終始ゴキゲンなので、かなり助かるベイビーだ。
でも、きっと落とされた復讐だろう。
見事に風邪をうつされたらしく、数日間発熱。

3/⚪︎
ハジメちゃんとTEL。
今、彼の周辺では大変な事がたくさん起きている。
彼に比べたら俺の引っ越し騒動なんてただのコメディーに過ぎない。
色々と話し合うが、お互いに「今、レテパシーズはとても良い演奏が出来ている」という自負があるので、何を話していても絶望感は無い。
全てが音になっている。だから絶対大丈夫。
ここまで苦労したんだもん。何があってもどーんと構えていよう。

3/⚪︎
先日「シングルリリースしたから聞いてみてー!」と連絡があり、聞いてみたら素晴らしかったので、そのレコ発ワンマンを見に大久保ひかりのうまへ。
古宮夏希(元嫁。今に元々嫁になるのか)「SAIL AWAY」というシングルのタイトルは俺が2023年の1月に作った「SAIL AWAY」と同じにしたのだろう。(11thアルバムに収録予定。出航編「LIVE AT SHELTER」という映像のラストでこの歌の宅録デモテープが聞けます)
こちらが先に作曲していた事をここに書いておきます。(まあ、ランディーニューマンが先なんだけどね、、)

ライブ後、ライブの感想を求めている顔をしていたので正直に伝えた。
「エレキギターは危険物状態じゃないと意味が無いよ。小さい音をボリューム調整で小さくするのではなく、ボリューム自体は触れるのが怖いくらいの危険物レベルにしておいて、あとは弦への触れ具合で調節しなきゃ、見てるこっちは安心状態になってしまうよ。少なくとも感情の危険は一切感じなかった。歌とギター、同等に扱わなきゃ。お前なら出来るかも知れないけれど、なかなか大変な命懸けの道だから無理せずに。健闘を祈る。」と伝えて帰った。

3/⚪︎
俺の新居を見つけてくれたスーパー不動産屋であり、のっぺらのアコーディオンでもある高林君が高円寺の家に飲みに来た。
宴会の名目は「高林先生を招いて〜レテパシーズSNS強化への道〜」
俺はSNSどころかスマホも苦手なので(脳が止まる感じがする)高林先生と南、ヤハタ、ソノダさんの話を聞いていただけなのだが「どこにも属さずに、嘘をつかず、ただただ歌を聞いてもらいたいだけ」という古き良きアウトローな姿勢が高林君には感じられるので、今回講師として招かせて頂いた。
ショートな動画、と言うと拒絶反応を起こす人も多いかも知れないが、俺が中学生の時に衝撃を受けたのは、ジャニスジョップリンやセックスピストルズやエルビスコステロなんかの数秒のショートな動画だった。(BSロック大全集的なやつ)
先月の物件内見の時に高林君に「レテパシーズの見た目や歌詞はショート動画にピッタリですよ!」と言われ嬉しくなり、レテパメンバーみんなに「というわけで、SNSショート動画部を作りますが、やれる人ー!」と挙手を求めたら、南ちゃんとヤハタ君が立候補してくれた。
あとはみんなにお任せしたので、いつから始まるかも分からないが、いつか始まると思うのでお楽しみに。

3/30
2ヶ月程前、バイト先の喫茶店に行くとマスター夫妻がAJICOの「深緑」を聞きながら仕込みをしていた。
俺も大好きなアルバムだったので「お!アジコですね!」と言ったら「3/30に野音でアジコのライブがあって、そのチケットが取れたのさ。」と言っていた。
家に帰り妻にその話をしたら、すぐに妻もチケットを勝手に2枚取ったらしく、今日がその3月30日。
俺はギリギリまで「うーん。もしベンジーがカッコ悪かったら嫌だから行きたくないな。」とゴネていたのだが、離婚もする事になったし、これが夫婦での最後のデートなら付き合ってやるか、と意を決し、早閉めした店を後にしてマスター夫妻と野音へ向かう。
野音には初めて来たが、映像では「黒いゴミ袋をマントにした大雨のブルーハーツの野音」や「西岡恭蔵さん追悼ライブでのめちゃくちゃカッコいいシバのバイバイブルース」の印象があるので、思い入れは多少ある。
いつかレテパシーズでも野音に出てみたいな、と思っていたが、近々壊すらしい。残念。

AJICOのライブは素晴らしかった。
と言うより、ベンジーが本当に素晴らしく、想像していた「今のベンジーがこうなっていたら本当に最高だな!」の状態になっていた。
頼もしいなあ、少しでも疑ってすみませんでした。
俺、まだまだ全然甘いですね。ベンジーを少しでも疑うなんて。
この人に会えて本当に良かった。

小さい頃から世の中とのズレに悩んだり、熱が冷めていったり。
いつも自分の心に冷たい水をぶっかけられている感覚だった。
まっすぐ進もうと思えば思うほど。
危険だとか、みんなと違うとか、そんな理由で。
自分が間違っているのかなあ、と思っていた時に「全然間違ってないよ」と言ってくれたのがベンジー。
色んな人や物に影響を受けてここまで来たんだろうけど、実際の生き方に1番影響を与えてくれたのはベンジーな気がする。
他人の目を気にしない。
自分が正しいと思うのなら迷わずにやる。
頭と心と体の時差が消えた感じ。
これはベンジーのおかげなんです。
おかげで、駅とかで困ってる婆さんとかがいると、誰よりも早く動いちゃう気がします。
あと、道に迷った婆さんとかが寄ってくる傾向にもある。
1日に3人の老人に道を聞かれた事もある。俺ガラケーなのに。(そのうちの1人は目的地のホテルまで連れて行ったらホテルのレストランで飯まで奢ってくれた)
こんなのもやはりベンジーの教えのおかげな気がするんだよね。

そんな素晴らしいラストデートをありがとう。
と言いつつ、帰り道に一瞬ケンカになりそうになった。
が、UAが最後に「みんな仲良く帰ってねー!」と言っていたのを思い出し、堪えた。

3/31
テレビを見ていたら、先日解散したTHEドイの大泉咲さんが出ていた。(「家ついていっていいですか?」という番組。ちなみに来週はカニ一族が出るらしいよ)
半年前の夏から別居している、という父親との話。
半年前の夏、というと俺はドイと高円寺ドムスタで対バンしている。
あの時彼女はそんな状態だったのか、と思いながら見ていたら、泣けてきた。
昨日のベンジーに続き、同じ類の純粋さを彼女から感じて。
この日は別のテレビにも泣かされた。
能登半島の地震で崖の上の道の駅に何日も取り残され孤立した大勢の観光客がいる、というのは地震直後のニュースでもやっていたが、その中には愛知県からのヤンキー(ああ、まるでブランキーだ)のグループもいて、最初は怖がられていたが、何日か経つと徐々に人々を助けるようになり、救助後には少年から「僕もいつかお兄ちゃん達みたいなカッコいいヤンキーになります」と手紙が届いた、という話。
照れた表情のヤンキーと咲ちゃんとベンジー。
なんだか、共通の優しさを感じた。

🎵ベイビー、ああ
こんなはずじゃなかったことは
この世にあといくつあるだろう🎵
(月/THEドイ)

明日はいよいよエイプリルフール。

4/1
息子をベビーカーに乗せ、3人仲良く杉並区役所へ。
年度初めの初平日、すげえ混んでるのかなあ、と覚悟はしていたが、案の定激混み。
が、俺達が用のある戸籍係は全然空いていて、待ち人数2人。
しかもその2組共が婚姻届を提出するラブラブカップルで、手には茶色の婚姻届を持っていた。
戸籍係の壁には、なみすけ(杉並区のゆるキャラ)のイラストと共に「Just Married!」と書かれた撮影スポットがあり、婚姻届を掲げたラブラブカップルが職員さんに撮影されていた。
妻は「うちらも撮ってもらおうか。」なんて言ってジロジロ見ていたが、せっかくのおめでたムードに水を差しては悪いので「多分俺達も婚姻届と思われてるんだから、その緑色の離婚届を隠せ隠せ。色でバレちまう。」とふざけあって笑った。
俺達の番になって窓口に行くと、前回の裁判官風女職員(日記風、2月編参照)では無く、ドランクドラゴンの塚地風の中年おじさん。
「お願いしまーす!」と明るく渡すと、おじさんも笑顔で「お!明るい離婚だな!いいね!」というリアクション。
椅子に座る時に、荷物の置き方で妻と一瞬小競り合いになりそうになると、おじさんはまるで「おうおう。これが最後の夫婦喧嘩ですぞ!」と言わんばかりの笑顔。
なので俺も心得て「はっはっは。まさに最後の夫婦喧嘩ですな。」と言って笑った。
このおじさん、本当に素敵な雰囲気のおじさんで、俺が免許証を出すと「おお!写真と見事に同じですねえ!これはすごい!」と笑い出した。
俺は「いやいや、一緒じゃなきゃ証明写真じゃ無いじゃないですかー!」と明るくつっこんだ。

届けは無事に受理された。
協議離婚というやつで、ユキコも息子も古宮性のままらしい。(息子の名前にハダを付けるとちょっと面白い言葉になってしまうので、、)
いつ離婚しても「嘘でしたー!」と笑えるように、2018年4月1日のエイプリルフールに結婚した我々でしたが、2024年4月1日、無事に離婚致しました。
ユキコと出会ったのは2010年のクリスマスイブ。
下北沢の道端でまさに運命的な出会いでした。
あれから本当に色々あったね。
辛い事も多かったけど、どう考えてもトータルでは楽しいが圧勝だったよ。
すっとこどっこいの君のおかげで。

それでは、日記風3月編これにておしまい。
めでたしめでたし。
どんな4月が待ってるのかなあ。
1月2月3月と、なかなかヘビーだったので、どうぞお手柔らかによろしく。

PS.写真は在りし日の夏の我々。
というよりも夏の終わりの我々かな?
浜辺にはほとんど誰もいないのに、海に突入しようとするユキコ。
そしてそれをただ眺めている俺。
2人はいつもこんな感じでした。
皆さん今までありがとう。
たくさんの迷惑をかけました。
そして、これからも迷惑かける気満々です。
引き続き、笑いながら見守ってやって下さいね。

日記風。2月編。(1月編はこちら。)
日記では無く、日記風、なのは、その月の出来事をいちいちメモしていないので。
今手帳のカレンダーを見ながら、思い出すままに書いています。
時系列もめちゃくちゃかも。まあ、そこはご愛嬌。

読んだら分かると思うけど、ちょっと大変な2月でした。
今もドタバタしていて、3/10のレテパフェスまでもう書けないと思います。(レテパフェス行くか迷ってる人はこちらをお読み下さい→ 親愛なるT.V. NOT JANUARYについて)
もちろんいつでも嬉しいんだけど、今回のレテパフェスに来てくれたら特に嬉しいなあ!という心境ではあります。
どーせいつかレテパシーズを見てみよう!と思っている人はこの機会にぜひ。
東京以外の町に住んでいる人も、レテパシーズは滅多に東京から出ませんよ。
待ってても多分無駄なので、ディズニーランドやエベレストや江ノ島なんかと同じ扱いで自ら出向いて下さいね。
そのくらいの価値のあるバンドじゃなきゃとっくにやめてます。
やめてないという事は、バンドが最高の状態であると思って下さい。

天秤の左にはいつだってレテパシーズ。
そして右には色んな物を乗せては消えた。
右が重ければバンドなんてあっさりやめます。
というよりは左がもっと軽くなれば、今までだってやめる機会はあったでしょう。
たくさんの重い右が消えていった。
でもまだまだ左が重いまま。
重くて輝いてて燃え盛っている。
自分が生まれるずっと前から流れ続けている流れ星。
そんな風に思っています。
自分達のやっている事を。

それでは、日記風2月編スタート。

2/○
法事。本駒込の瑞泰寺。
妻の祖母の3回忌。(「鬱の本」にも書いた「さよならの合図」の義祖母とは違う。今住んでいる高円寺の一軒家にずっと住んでいたおばあさん)
妻の母方のお寺なので、この祖母の1周忌、その夫(妻の祖父)の13回忌、17回忌、ともう何回も来ている。
ここの和尚は妻の親族から「昔、酔っ払ってお経をあげながら寝てしまった事がある。とんでもないアル中坊主だ。」と、まるで高田渡のような伝説を持ち合わせていて、すこぶる評判が悪い。
前回の義祖父の17回忌の時にも、説法の途中で何を話しているのか忘れてしまったり、最終的に全てが終わった後で「モゴモゴ、、では、、ええと、、これにて13回忌の法要を終わります。」と17回忌なのに13回忌と勘違いしていた事が発覚し、親族は呆れ返り、和尚は「モゴモゴ、、では書き直します。」と卒塔婆の数字を書き直したりしていた。
俺は、この和尚(恐らく80才は超えている)が好きなので、和尚がお経や説法に詰まってしまうといつも「がんばれ和尚!もう少しだ!負けるな!」と心の中で応援していたのだが、この17回忌の時には、お寺の裏の小学校がちょうど運動会だったので、グラウンドから「フレー!フレー!ドンドンドン!」と応援のマーチが大音量で聞こえてきて、和尚のお経はかき消されてしまい「応援のマーチにかき消されそうになる和尚を心の中で応援する俺」という状況がツボに入ってしまい、笑いを堪えるのに必死だった。
この時は息子も法要デビューで俺の膝の上にいたのだが、手が震える和尚は力の加減が出来ないと見え「ジャンボおりん」を「カーン!!!!!!」と大音量で鳴らしてしまい、息子は見事に泣き出した。
なので、今回の義祖母の3回忌では、親族もみんなその名場面を心待ちにしていて、和尚がジャンボおりんを叩こうとする瞬間、みんなでこちらを振り返り、息子の様子を伺っていた。
俺は心得ていて「カーン!!!!!!」の瞬間に息子の耳を両手で塞ぎ、親族の笑いをとった。大成功。
そんな、すこぶる評判の悪い和尚様だが、俺達が帰る時にはいつも袈裟からスポーティーな服装にさっさと着替え、大きな白い犬と散歩がてらお見送りしてくれる。
そのスポーティーないでたちと、白いわんわんの名前が「ユキちゃん」という可愛い名前のギャップ萌えで、最終的には親族全員微笑ましい感じで帰るのが定番だったのだが、今回ユキちゃんは現れなかった。
よく見ると、お寺の至る所にユキちゃんの写真や絵が飾られていたので、多分死んでしまったのだろう。
和尚もどことなく淋しそうだったから。
今回の説法はいつもとは違い、ロシアとウクライナや中東の戦争について語っていた。
和尚の本来の仕事は法要での形式的なお経なんかではなく、平和、平穏、について考える事なんだな、と思った。
たどたどしく言葉に詰まるのはいつも通りだったが、真剣さが全く違う和尚だった。

2/○
雪が降る。積もる。
妻は「息子が見る初めての雪だ。」と嬉しそう。
俺はこの日、10thアルバム録音前の大切なスタジオだったので、全然嬉しくなかった。
案の定、湘南に住んでいるハジメちゃんが欠席。
でも、やれる事をやるしかないので、ハジメちゃんには藤沢のスタジオに個人練で入ってもらい、残りの4人は高円寺のスタジオへ。
電話で意見を言い合いながら、ハジメちゃんには1人でドラムを叩いてもらい、それを聞いてまた意見を言い合う。
まあ、最終盤の微調整の時期のスタジオだったので、このやり方でも大いに意味があった。
帰り道に南ちゃんが「雪が降るとやっぱり嬉しいですか?」と聞いてきた。
札幌出身のヤックンは「うん。嬉しいね。」と答えたが、俺は「スタジオだったから全然嬉しくなかった。そもそも東京の雪は全然違う感じがしてときめかない。」と答えた。
が、帰り道1人になってから「というよりは、北国の春夏秋を全て過ごしてからの初雪、じゃないと初雪という感じがしないんだろうな。だから今北海道に旅行して初雪だけを見たってきっと何も感じない。」と思った。

2/○
朝起きると、一人暮らしの妻の母(徒歩10分の距離)から鬼のように着信が来ていた。
電話してみると「大雪で家の木が倒れた。近所の人に苦情を言われ、最終的におまわりまで来た。早くなんとかして。」との事。
俺は先月強制的にチェーンソーデビュー(前回の「日記風」のラストに書いてます。まじで大きなチェーンソー)したばかり。
なので、張り切って担いで義母の元へ。
これ人に当たってたら死んでたんじゃないか?と思うくらい重い木をチェーンソーで切りまくる。
途中で妻と喧嘩になる。俺は木を切ってサッサと1人家に帰った。
この日は息子が産まれて9ヶ月のお祝いらしい。
近所の華屋与兵衛でお祝いしてるからおいで、と夜に義母からメール。
でも、行く気になれず断って、1人で「断酒5年」をお祝いした。
最近マイバスにはノンアルのバドワイザーが置いてある。
それが思い出の中の「薄くて水のように飲んでしまうバドワイザーの夏の味」と完全一致して懐かしいので、最近はバド一択。
2019年2月6日の第二次断酒スタートから今日で5年が経った。
この間に出来た歌は5thアルバムに収録した「音楽」と7thアルバム以降の54曲で計55曲。
断酒前の数年間は全く歌が出来なかったのに。
こうやって「酒をやめたら歌がたくさん出来る」「酒をやめた方が良いライブができる」「酒を飲んでた頃よりもレテパシーズを好きな人が増えてきている」というような成功体験を積み重ね、断酒の継続をより強固なものにしてきた5年間だった。
えらいぞ。いいぞ。引き続きがんばれ。
本当にみなさんのおかげ。
このNEWSを読んでくれる、というのも大きな励みになっています。
いつもありがとう。

2/○
歌が出来る。「経堂駅」という歌。
断酒後初のアルバイトは経堂にある夫婦経営の喫茶店。
去年の9月からお世話になっていて、とても楽しく働かせてもらっている。
「バイト帰り。経堂駅のホームから昔住んでいた多摩丘陵の方角に夕闇が見える。それを見ていたら強制的に昔を思い出して少し疲れるので、さっさと電車に乗りたいな、と思っていたら間違えて千代田線直通の綾瀬行きに乗ってしまった。新宿駅に止まらないじゃん。ガーン。」という内容の歌。
順調にいけば2年後?の12thアルバムに入るだろう。

夜は10th録音前の最終スタジオ。
そういえばスタジオの前には歌が出来る事が多い気がする。
スタジオの日は無意識に多少ミュージシャンモードになっているのだろうか?
スタジオでみんなに「さっき歌が出来たばかりで頭がぶっ飛んでる気がするから、変な行動をしても気にしないでね。」というセリフを今までに何度も言った気がする。
最終スタジオはバッチリ。
いつも思うが「大会前の最後の練習の後の部室の雰囲気」によく似てる。
録音前の最終スタジオは。

2/○
気付かなかったが、うちの木(木蓮)も倒れているのに気付く。
この木は毎年梅雨の時期にキクラゲが大量発生する。
いつか息子と採取して一緒に中華でも調理しようと夢見ていた。残念。
夜、クドカンのドラマを妻と見た後でまた喧嘩。
今回は完全に終わりな気がする。

2/○
アルバイトの後、ライブを見に行く。
でもライブまではかなり時間があったので、バイト先のマスターおすすめの銭湯に行ってから渋谷に向かう事にする。
経堂の隣駅、千歳船橋「世田谷温泉 四季の湯」。
さすがマスターのおすすめなだけあって「地元の人も他所の人もお互いに居心地の良い銭湯」という意外と難しい状態が見事に保たれた素晴らしい銭湯だった。
「男の子とお父さん」の客も何組かいて、見ていたら涙が出そうになる。
朝の電車の中で親子連れを見ても同じ感じになった。(この時期はドライアイなので実際には涙は出ないのだが。夏なら出てたね。2、3滴)
昨日の喧嘩を引きずっていて、もう家を出て行くしか無いと思っていたからだろう。
センチメンタルな気分のまま、銭湯を出て渋谷へ。
この店は昔よく平井さんに誘われてマーガレットズロースを見に来た。
あの頃はもっと広く感じたが、今はそんなに広く感じなかった。
お客さんは満員。ぎゅうぎゅう詰め。
気が晴れる事を期待していたが、より一層落ち込んでしまった。
久し振りだな、この感じ。
渋谷の人通りの多い坂を「今、肩にぶつかって喧嘩売られたら絶対に苛立ちを止められないから嫌だな」と思いつつ、ズンズンと気狂いのように道の真ん中を早足で帰った。

2/○
ついに10thアルバムの録音。
今作はカニ君の提案で「10thはどっしりした歌が多いので5曲ずつアレンジして録音しましょう。」という事になった。
なので、昨年10月に5曲録音、この日は残りの5曲の録音、という流れ。
今回の録音は東高円寺のロサンゼルスクラブ。(前半の5曲は西荻窪のリンキーの地下の天井の高い部屋。「チッツのひっしーさんがたまに個人練で入っている部屋っす。」という話をカニ君から聞き、チッツファンとして即決した部屋)
久し振りに訪れたロサンゼルスクラブ、こんなに良い場所だったっけ?と思った。
が、至る所にフジファブリックの人のポスターが貼ってあり(昔ここで働いていたらしい)一昨年の夏、山中湖にカブ2ケツでキャンプに行った際に、隣町の富士吉田に寄った時にもこの人(富士吉田出身との事)の関連グッズが至る所にあった事を思い出した。
なので「山中湖(妻の父方の先祖が「秦の始皇帝に不老不死を与えるために徐福と共に海を渡り山中湖に住み着いた」秦→ハタ→羽田。2000年以上前から山中湖に住んでいる、という伝説がある。今も親族がたくさんいる)にいつか息子と行きたいなあ。」と思っていたのに、もう行けないのか、と思ったら悲しい気分になってきたので、店員さん(カニ君が店員なのだが)に「フジファブリックのポスター、さすがに多過ぎるんじゃない?1枚くらいにすれば良いのにさあ。少し剥がせば良いじゃん。」と文句を言ってしまった。
店員さん、ひどく個人的な事情なので気にしないで下さいね。
録音は、俺の精神状態が良い方に転んだのだろう、みんなも呼応してすごい演奏をした。

レテパの録音は1テイクや2テイクでアッサリ終わる事が多い。
が、その状態に至るまでにはかなり時間をかけている。
歌が出来る時も同じで、出来る時はサッと出来てしまうが、その他の全ての時間がその数分につながっている。
ので、たとえ3分の歌が3分で出来たとしても、やはり41年間かけて出来た歌、と言いたい。
今回の録音もサッと終わったが、ここに来るまでにたくさんの夏を過ごしてきた。
10thアルバムのタイトルは「夏のアルバム」。
全曲夏の歌。

家に帰ると、カレーが作ってあった。
バレンタインデイは毎回カレーを作ってくれていたのを思い出した。
今日は2/14か。
南ちゃんも馬場ちゃん(録音エンジニア。女)もチョコなんか一切くれないから忘れていた。
でも、とても食べる気にはなれず、買ってきたすき家の牛丼並を二つ食べた。
酒を止めてからは健康になり大食いになった。
ので、牛丼の時は大盛りとかにせず、並を二つ食べる事にしている。

2/○
喧嘩してから、妻と息子とは顔を合わせないようにしている。
テレビでやっていたが、赤ちゃんに触れていると、男もホルモンの影響が出て、母性が爆発するらしい。
今日はアルバイト先に赤ちゃん連れが何組か来たが、前みたいに胸が締め付けられるような感覚は無くなっている事に気付く。
帰りの電車で赤ちゃんを見ても、ただ普通に悲しいだけだった。
もう胸は締め付けられない。
10日以上息子に触れていないから、ホルモンの分泌が終了したのだろう。
断酒関連で脳とか神経の勉強をしたので、妙に人体実験的な冷めた考えの時がある。

2/○
どう考えても、もう終わりだと思う。
喧嘩している状況が異常なのではなく、置かれている状況にキチンと向き合うと喧嘩になるのだから、喧嘩の方が正常の状態なのだろう。
お互いに楽観主義の快楽主義者だから、現実を見ず、すぐに仲直りして同じ事を繰り返す。
それをもう何年もやって来た。
でも、お互い昔とは状況が違っている。
もう笑えなくなって来ているな、お互いの良いところが消されている。
2人とも悪くない。悪いのは狂った世の中だ。
と思いながら、経堂駅からバイト先に歩いていたら、途中の不動産屋に思いのほか安い家賃の部屋が張り出されていた。
これしか無いよな、と思い内見の予約を取った。

2/○
家にソノダさん(家まで徒歩10分)がリンゴを持ってやって来る。
青森旅行のお土産との事。
俺は用があったので、少しだけ話して出かけた。
ソノダさんは「この後、ユキちゃん(妻)と話すから残ります。」と言っていた。
この人は昔、俺とユキコが長期の大喧嘩をして仲直りした時「本当に良かった。」と言ってオイオイ泣いた事がある。
いつも本当にすみません、と思いながらソノダさんを残して出かけた。

2/○
経堂駅徒歩10分の部屋の内見をする。
全ての条件を満たしたサイコーの部屋なので「決めました。よろしく。」と伝えたが、審査で落ちた。
その後、他の物件も当たるが、俺の収入が壊滅的なので全部ダメ。
築40年越え家賃5万円のボロアパートにも断られたら、一体どうしろというのだろう。

その答え↓
●赤字のバンドなんてやめる
あるいは、
●赤字にならないように、スタジオの回数を減らし、アルバム制作も数年に一度にして、身の丈にあったアマチュア活動に方針転換する
その上で、
●収入をもっと増やすために労働しまくる

といったところなのだろう。

2/○
のっぺらのアコーディオンの高林君が不動産屋だった事を思い出す。
連絡して、事情を話す。
「なんか僕○○の別居の時や、○○が別れた時とか、死神みたいな役になってますね、、ユキコさんに怨まれないかなあ。」なんて言いながらも素晴らしい物件をすぐにたくさん出してくれた。
その中でもダントツに安い、経堂駅徒歩18分、1K、築47年、家賃39000円、という部屋に目星をつける。
こっちもヤケになっているので「もう内見しなくても良いから、入れるならばすぐに入りたい。」と伝えるが「いや、やはり一度見てみましょう。」という事で、後日内見する事に。
飛び込みで入った不動産屋から冷たくあしらわれ(あ!ブルーハーツじゃん!って今書いてて思ったが、この時はそんな心の余裕は無くただただ悲しかった。「ロクデナシに貸す部屋はねえ🎵」)た直後だったので(収入を伝えた瞬間に露骨に。まあ当然か。月給12万円。売れないバンドマン41才)高林君の親切さが心に沁みた。

帰り道、阿佐ヶ谷の杉並区役所へ。
「離婚届下さーい!」と伝えると窓口の女があからさまに嫌な顔をして冷たい態度をとってきた。
それで思い出したが、前回の時も多摩区役所で変に冷たい態度をとられた。
人の気も知らないでよくそんなに振り切った態度に出れるもんだな。
なんだか笑えてきたので、正義感?倫理観?丸出しの女を煽るために、わざとひどい男の感じで話してやった。
「子供?ああ、いますよ。妻が引き取るんじゃないっすか?よく知らないけど。」
女はどんどん煽られていき、最終的には裁判官みたいに俺を裁くような態度になった。
堪えきれずに俺は声を出して笑っちゃった。
彼女には俺が気狂いに見えただろう。
区役所って色んな思い出があるけれど、なんか変な場所だよね。

2/○
ソノダさんとヤックンと和光のお風呂の王様へ。
ヤックンは俺のカブの後ろ、ソノダさんは自分のカブで。
結構な雨だったが、今の気分にピッタリなので「もっと降れ!ザマアミロ!」といった気分で走った。
「趣味はなんですか?」と聞かれたら「近所の温泉に朝から行って閉店までずっと12時間くらいダラダラする事です。」と答えるだろう。
家にいると、どうしても何かしらしてしまうので、何も出来ない場所でゆっくりするのが好きだ。
休憩スペースでハンターハンターを久し振りに1巻から読む。(昔持っていたが、レテパ4代目ベースのタカユキカトーに進呈してしまったので今は家には無い)
まさかハンターハンターをそんな目線で読む事になるとは夢にも思わなかったが「ゴン母子家庭じゃん!しかもゴンとジン今の俺と同じ状況じゃん、、。つーか俺、滅茶苦茶ジンじゃん、、。」と思ったらなんかこの日も気狂いみたいに1人で笑ってしまった。
何度も読んだ漫画だが、まさか「つーか俺、滅茶苦茶ジンじゃん、、。」と思う日が来るとは。

18時前までハンターハンターを読んでいたが、18時には外の休憩スペースに集合。
小雨が降り、俺達3人以外は誰もいない。
18時になる。「THE SECOND」の結果発表映像が始まる。
ソノダさんは「ガロイン」というお笑いコンビをやっている。
もう長年やっているので、彼らはM-1では無くセカンド。
予選を直接は見ていないが、反響を見せてもらった限り、かなりブチかました様子なので、期待しながら結果を待つ。
俺は「通ったんじゃないですか?」とドキドキしていたが、ソノダさんは「でも相方が、死ねとか言ったり、唾とか吐いちゃってるしなあ、、ウケたはウケてたけど。」と自信無さげ。
俺は「え!?唾?漫才中にそんなもん吐くなよ!」と心の中で思いながらも「いや。お笑い界がこんな時だからこそ、ガロインみたいなコンビをみんなが待ってるんじゃないですか?」なんて言いながらドキドキと映像が始まるのを待っていた。
結果は残念ながら通過ならず、だったが、雨の中、俺はウオー!とか叫んじゃって、良い思い出になった。
高校というよりは、小学校や中学校くらいの友人と遊んでいる感覚。

2/○
THEこうがんずのキダ君から連絡が来て「やはりしんちゃんはドラムを辞めて青森でリンゴ農家になります。」との事。
先月、事の顛末を聞いていただけに、残念だが仕方ないね、という感じ。
セカンドアルバムの最後、しんちゃんが歌う「あばずれジェシー」がとても良く、息子と踊りながら何度も聞いていた。(サブスク配信も始まったようですよ。ぜひぜひ)
昔からこんなリズムの歌を俺は好きなので、レテパのメンバーに「このリズムってなんていう名前なの?」と聞いたら「これはシャッフルっす。」と教えられた。
「あ!だから中3の時にガールフレンドがかけていたマイラバのシングルのタイトルがシャッフルだったんだ!確かにあの歌こんなリズムだった!」なんて思ったりした。
キダ君に「しんちゃんが抜けるのは大きいけれど、あばずれジェシーからの流れで、ジェシー(あばずれ)って名前の女ドラマーが入れば全てが丸く収まるね!がんばって探したまえ。」と伝えた。
最近は音楽をちゃんとファン目線でも聞くようになったので、解散、脱退、って悲しいものだなあ、と思う。
レテパシーズは今までに何回も何回もこれをやっていたんだ。

2/○
先日の物件を高林君と見に行く。
現場に着くと、その一角だけなぜか「人類が荒廃した数千年後の世界からこの一角だけ時空を超えて突如現れた」といった感じの異空間な荒れっぷり。
なので、なんかSFな気分になりながら物件の前に立つ。
高林君が先に玄関に入ったのだが、続けて俺が入ろうとすると、ドアの隙間からお行儀の悪い高林君の靴が脱ぎ捨てられて飛んできた。
擬音にすると、ギャギャギャギャー!という衝撃。
一瞬、頭がどうにかなってしまったのか?2秒くらい時空がよじれたのか?という感覚になるくらい頭がくらくらしたが、なんと高林君の靴が俺と全く同じ靴で、その靴が玄関の中から飛んできたものだから、まさに入ろうとしていた俺はビックリしてしまったのだった。
こんなの履いてる人見た事無いよ、という感じの長靴風の作業用の靴。だから、すごい偶然。
よくよく話してみると、レテパのレコーディングをしてくれている馬場ちゃんと高林君は幼稚園からずっと一緒の幼馴染らしい。
今月は、馬場ちゃんと録音、高林君と部屋探し、という事でなんだかすごい偶然だ。
そして部屋の中は、全て俺の好みの感じの昭和木造1Kアパート。
風呂とトイレもレトロなタイル張りで素敵。
昔の家だから押入れもデカい。(売れないバンドマンあるあるで在庫がすごいから押入れは必須)
しかも大きなベランダまである。そして角部屋。
「ぜひここの審査受けたいです!部屋探しの神様に、住みたい部屋の間取りと家賃を好きに書いてみなさい。と言われてダメ元で好き勝手に書いたくらい俺の理想の部屋だわ。」と伝えた。

帰り道、経堂駅までの徒歩18分はバンドマン同士の会話。
のっぺらの活動方法なんかを聞いてみる。
高林君の考え方は、素直で前向きで合理的。
変にカッコつけたり、頑固なスタイル重視の人達よりも元来俺もこっち側。
なのですごく勉強になった18分だった。
一応最新の宣伝方法の話しをしているのだが、アメリカのゴールドラッシュの時とかに地図を広げながらバーボン片手に具体的な作戦を立てているアウトロー野郎な雰囲気で、楽しかった。
しかもちゃんと「最終的には歌が全て。ただそれを聞いてもらいたいだけ。」という姿勢を高林君は1ミリも崩していない。
かっこいいー!俺もがんばろうと思う。

帰りの電車では先月死んだ5月(ゴガツ。猫)の事を思い出した。
今回引っ越しを決めれたのは5月がいないからだよな。
今までも大喧嘩のたびに家を出て行こうとは思うものの、癲癇(テンカン)持ちの5月の事を考えると住める部屋も限られてきて、自然と腰が重くなり、気が付いたら仲直りをしていた。
なんか、5月が色々考えてこのタイミングで死んだような気がしてくる。
気狂いだと思われても、早めに一番良い手を打って、全員ノリノリで生きろよな。
と、5月が言っている気がした。
あの死ぬ間際の壮絶な顔で。

2/○
カニ、俺、馬場ちゃん、の3人でミックス作業。
この日も東高円寺ロサンゼルスクラブ。
最近はずっとこの作戦で、カニババがミックス、完成したやつを俺がその場で聞いて微調整。
で、それを他メンバーも家で聞いてみて、意見を持ち寄り、もう一日全員で立ち会いミックス。そういう流れ。
このミックス作業の日は俺は待ち時間が長いので、それを見越して前日にバイト先(喫茶店なので本や漫画がたくさんある)から「まんが道」を借りてきた。
子供の頃からずっと、人生は漫画や映画のように壮絶に生きるものだと思っていた。
漫画や映画のように壮絶に生きたい!ではなく、普通に自然と嫌でもそうなるものだと思っていた。
で、今「まんが道」を読んでいても、自分の今の感じとそっくりで勇気づけられる。
やはり、子供の頃に思っていた通りになったな、全部。なんて考えていたら、別室のカニババに呼ばれ、2人が作った名ミックスを聞く。
で、微調整したら、またまんが道。を一日中繰り返す、という素敵な時間。

途中「そばにいる」という歌のミックスを聞いていたら、泣けてきた。
「いつもそうだ。もうとっくに全部歌ってやがる。」そう思った。

ミックスが終わって馬場ちゃんは別件で藤沢へ。(いつも本当にありがとう。レテパより1日でも長生きしてね。じゃないと困るので)
残ったカニ君と色々話す。
カニ君が「もしこの大名盤が評価されなかったら、さすがに俺は、、」と言うので「グレる?」と聞いたら頷いた。
カニがグレたらどうなってしまうのだろう?
やはりオリックスバッファローズ(野球チーム。大ファン)のマークの入れ墨でも彫るのだろうか?

この後、俺は家に帰りまんが道の続きを読むだけだが、カニ君は「ライブで神戸っす。今夜の夜行バスで池袋から出発っす。」と言っていた。
話している顔が少し疲れた様子に見えた。
俺も泥酔時期だったからハッキリとは覚えていないが、2015年頃?20才くらいのカニ君から深夜電話がかかってきて「今、ツアーで〇〇にいます。なんか電話したくなっちゃって。」と真夜中に長々と話した事を思い出した。
あの時は辛そうだったな。

みんなマイペースを確立するまでは大変だ。
俺はいつからかハッキリと確立したと思う。
他人からは急いでいるように見える時もあるかも知れないが、自分としてはのんびりとマイペースにやっているつもり。
なので、決して無理をしてはいない。
無理をしてまでやらなきゃいけない事はこの世に一つもないと思う。

家に帰り、ベッドの中でもまんが道。
劇河大介の「それにしてもわいらはしあわせもんやなあ!わいらはまんがという男が一生賭けられる夢を持っているからのう!わいらがこの夢を持ってるかぎり、たとえ金が一銭もなくても百万長者とおんなじじゃわい!ワハハハハ!」というセリフに思わず「そーだ!そーだ!」と返事してしまった。
おそらく月形小学校での学級会以来だ。
そーだ!そーだ!なんて言ったのは。

そして明日は学級会では無く、家族会議。
そーだ!そーだ!さんせーい!はんたーい!
荒れなきゃ良いけれど。
どちらにせよ、もう声を荒げたりはしたくない。
喧嘩なんか一生したくない。疲れるだけだ。

2/○
2人ではまともに話せないので、ソノダさん、南ちゃん、と俺とユキコの4人で会議。
もう家を借りた、離婚するしかないと思う、そういう事を伝えた。
途中でユキコが変な事を言ったので、ソノダさんは悔しくて泣き出した。
俺はもうだいぶ感覚が狂ってきているのだろう。近年修羅場が多すぎたので。
ソノダさんは泣いているのに、見ていたら笑い出しそうになってしまった。
さすがに堪えたけど。

俺は勝手な思い込みが激しいらしいが、今回も「家を出ていって離婚したら、もう息子には一生会わせてもらえない」と思い込んでいた。
当然、息子を育てるのもユキコだと。
が、話の流れで「俺が息子を育てる」という可能性もゼロじゃないという事が分かってきた。
その時俺は自分でもビックリするような事をスラスラと喋った。
「じゃあ、俺が育てるよ。落ち着くまでレテパは活動休止するよ。その間は働くよ。どーせアルバムを出そうが出すまいが、それはバンドが世に広まるという意味では大して意味が無い狂った音楽業界だから。過去の作品を放っておいて配信だけしていても、ニューアルバムを出すのと大して変わらないもの。ライブだって、今みたいに全然お客が来ないんだったら、もう何年かやめた方がかえってレア度が増して良いんじゃないの?ただ、今バンドを離れたら俺の中で何かが終わるような気はするけれど、それはいつもの悲観的な勝手な思い込みかも知れないしね。なんにせよ、息子を育てて良いのなら俺が育てます。」
自分でもこんな事を言うとは驚きだった。

結局、息子はユキコが育てる事になった。
そして、俺は好きな時に息子に会って良いらしい。
カブで30分だもん。めちゃくちゃ会いに行けばいい。
最後にユキコから「あ、でも新しい父親が現れた時に混乱させると悪いから、あんたはもう父ちゃんじゃなくて、ただのひろしね。よろしく。」
と言われ、父ちゃんの称号は剥奪されて、ただのひろしになった。
なんだか面白くて笑っていたらユキコが「そういえば、あんた分娩室でも産まれた瞬間に、ようこそ地球へ!俺がひろしだ!なんて言ってお医者さんに、あなた息子さんにひろしって呼ばせる気?ってツッコまれてたもんね。なんかあれ、予言的な暗示の場面だったのかもね。」と言って苦笑していた。

2/○
次の日、3週間ぶりに息子に会う。
思っていた顔と全然違う顔になっていて、なんか一丁前にやさぐれていた。
やさぐれて硬くなった顔を30分くらいもみほぐしていたら、元の顔に戻った。
よく笑う男だ。我が息子は。
アルバイトに行く。途中の電車で赤ちゃんを見る。
胸が締め付けられてキューっとなり苦しい。
今朝、息子とたくさん触れ合ったからホルモンの活動が爆発状態に戻ったのだろう。
人体は不思議だなあ、と思いながら元気に出勤。
金を稼いでバンドを続けるんだ。
素敵なライブ、素敵なアルバム、ただもうそれだけ。

2/○
レテパフェスのセットリストを考える。
1曲目は「永遠に、たまに」にしようと思う。
なんか、この歌を歌いたい気分なので。

そして2曲目は「まだもう」。
この歌には幼少期の月形での思い出が出てくる。
「かぜひくなよ ちゃんとふけよ」という歌詞のところではいつも息子を思い出す。

3曲目は「そばにいる」にしよう。
今回の騒動ではこの歌に救われた。
セルフ自己救済。
あ、でもレテパシーズのみんなの演奏があっての救済だもの。
全然セルフじゃないね。
ほんと良いバンド。
このままでは絶対に終わらせない。

3/3
妻の実家へ報告へ。
ひな祭りなのでちらし寿司を食べながら、義母に話す。
義母は優しく「別に人間としての縁が切れるわけじゃないし。」と言ってくれた。
義母は最終的には酔っ払い、ユキコも知らなかった過去の自分の不倫話までしてくれて、大サービス。
びっくり仰天の切なくも楽しいひな祭りになった。
息子は2階の部屋で爆睡。
ひな祭りなんて女の祭りさ、といったところか。
端午の節句は盛大にお祝いしてあげよう。
もう、鯉のぼりもメルカリで買ったからね。

3/4
レテパのスタジオ。
最近はずっとレコーディングのアレンジスタジオだった。
でも今日は久しぶりのライブ練習。
なのでみんな野蛮で粗暴でかっこいい。
俺もどーんと歌えた。
先日考えたセットリストもバッチリ。
全20曲。新旧おり混ぜ約1時間。
前回の9thレコ発のライブから、もう一段階すごいバンドになった気がする。
なかなかの荒療治でしたが。(他のメンバーも俺に負けず色々と大変なんです)
でも、私事が音に反映するのは良いバンドの証拠だと思う。
なんでも来い、人生。
全部歌にしてやるから。

PS.前にも期間限定で載せたけど、せっかく今回紹介したので、また載せておきます。
3/10の2曲目と3曲目の歌詞です。

「まだもう」2022年6月5日作曲

「そばにいる」2022年5月18日作曲


PS.おまけ画像
「ぎゃー!時空が2秒くらい歪んだ!というくらいの衝撃を与えたお揃いの靴」

前回「日記風」というレテパNEWSを書いたら「日記のやつ、とても良かった。」とヤハタ君から褒められたので、今回も日記風にしてみようと思う。

でも、まずは少しだけ「第3回レテパシーロックフェスティバル」と親愛なるT.V. NOT JANUARYについて。

2023年3月10日(日)
新宿Marble
「第3回レテパシーロックフェスティバル」

開場18:30
開演19:00
前売3000円(1D別)
当日3500円(1D別)

出演
T.V. NOT JANUARY
僕のレテパシーズ

※ご予約はこちらまたはツイッターDMまで。

TVを知ったのはいつだろう。
いつかは忘れたが、経緯は覚えている。
その当時俺は結婚していたが、その相手とは元々恋仲という感じではなかったのだろう、かなり早い段階からセックスレスというか、そういう目では見れなかったので、まだ20代だし悪い気がして「お前とは同志だが恋人では無い。だから他に恋人作っても俺は一向に構わんよ。」と伝えておいた。
行動力?のある人だったので、善良な郵便屋さんやら、メガネで坊主のバンドマンやら、大槻さんやら、その他は忘れたが、色々な人と付き合っていて(彼女の名誉?の為に書くが、それは同時進行では無く、1人ずつとちゃんと恋人として)その都度きちんと俺にも紹介してきた。
その中の1人が「ハードコア」というジャンルで活動しているという。
一応札幌で散々「自称札幌ハードコア」を見てきた身としては、東京のハードコアとはどんなものだろう?と思い、音楽的な興味というよりは、年代が一緒でも風土により変わるのかなあ?という民俗学的な興味から見に行った。(多分小岩のブッシュバッシュ)
札幌とはまた違う感じだが、これはこれでなんか嫌だな、札幌のやつらと着ている服の感じは少し違うが「みんな同じような服を着ている」というのは同じなんだな、ふむふむ、まあこれが群れというやつか、これは似たのが集まるのか?それとも集まると似るのか?多分後者だな、なんて学者目線で楽しんだ。
そこにTVが出ていたんだと思う。(あるいは俺もソロで出演していたか?)
ライブの事は意外と記憶に無いが、とても感動したのだろう、じゃないとアルバムなんて絶対に買わないから。

今、朝の6時なんだけど久し振りにこのアルバムを聞いてみた。
隣の部屋の家族が起きないように小さい音でそっと。
この緑のツルツルケースに触って、CD-Rの盤面の黄色い絵や「息をしたらこころが潰れそうだに」の文字、全てが淋しく悲しい気持ちにさせる。
TVに触れると悲しくなる、のではなく、淋しくて悲しい時にTVに触れてきたのだろう。

この家に引っ越して4年が経つけれど、そういえばこの家で聞くの初めてだな。
淋しくなかったんだな、ずっと。
でも、今日聞いたって事は今日は淋しくて悲しいのだろう。

というわけで、淋しくて悲しい人はレテパシーロックフェスティバルに来るように。

PS.この後「日記風、2月前半編」を書くつもりでした。
が、すみません、次回にします。
今日はこのままTVな気分でいる事にする。
もう一回アルバム聞くわ。

PS.その後TVにはレテパのライブ盤「LIVE AT MOTION」のレコ発?(少し違うかも?でも確か「うみのて」とTVとスリーマンだった気がする。2012年)に出てもらったり、あとはなんと言っても「秋田ハイコーフェス」でいつも一緒だった。
ハイコーフェスって行った事が無い人には分からないと思うけど、普通のフェスとは大違い。
体育館のステージで演奏するんだけど、お客さんは基本静かで「イエーイ!」とかそんな感じでは全然無い。
なんなら三角座りのまま誰も立ち上がらないし、下手したら拍手も起きない(それは言い過ぎか?でもそんな可能性すらある雰囲気)なので、何も知らずにやって来た若手ロックバンドなんかが空回りして打ち上げで悲しい顔をしているのをたくさん見て来た。
空気が重い、お客さんが白けてる、決してそういう事じゃなくて、説明は難しいけれど、みんな平気じゃない「純粋な状況」ではあるので、俺は大好きだった。
まあ、ほんと誰もが平気では無かったね。客も演者も主宰者も。
そんなハイコーフェスなんだけど、TVは毎回最強だった。
それはTVの4人(あの頃は4人だった)が何も関係なく飄々としているから、では決して無い。
そんな風にTVを見ている人もいたかもしれないけれど、俺は真逆だと思うんだよね。
廃校の校舎、外からの風、田沢湖の無音、三角座りの人々、そこに声もギターもリコーダーも同じ速度、同じ力で、触れてくる。
彼ら全部に関係しようとしてた。それは強くなきゃできないよ。
たくましい本当の優しさ。

もうハイコーフェスは無いけどさ、この日のレテパフェスはハイコーフェスみたいな一日になるかもね。

なので、淋しくて悲しい人、あるいはハイコーフェスが好きだった人、あるいはハイコーフェスに行ってみたかった人、ぜひカモンです。

PS.せっかくなので、ハイコーの写真を一枚。
この男の子、この春高校を卒業して秋田から東京に来るんだよ。
俺はアル中騒動以降、独自の時間感覚で生きているので、年月や年齢の感覚は完全に欠如した。
でもこの写真を見ると、時は進む、というのは本当なんだなあ、と思わざるをえないね。
「RADIO LETEPA」の10曲目、この男の子に歌った歌なんですよ。