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前回「日記風」というレテパNEWSを書いたら「日記のやつ、とても良かった。」とヤハタ君から褒められたので、今回も日記風にしてみようと思う。

でも、まずは少しだけ「第3回レテパシーロックフェスティバル」と親愛なるT.V. NOT JANUARYについて。

2023年3月10日(日)
新宿Marble
「第3回レテパシーロックフェスティバル」

開場18:30
開演19:00
前売3000円(1D別)
当日3500円(1D別)

出演
T.V. NOT JANUARY
僕のレテパシーズ

※ご予約はこちらまたはツイッターDMまで。

TVを知ったのはいつだろう。
いつかは忘れたが、経緯は覚えている。
その当時俺は結婚していたが、その相手とは元々恋仲という感じではなかったのだろう、かなり早い段階からセックスレスというか、そういう目では見れなかったので、まだ20代だし悪い気がして「お前とは同志だが恋人では無い。だから他に恋人作っても俺は一向に構わんよ。」と伝えておいた。
行動力?のある人だったので、善良な郵便屋さんやら、メガネで坊主のバンドマンやら、大槻さんやら、その他は忘れたが、色々な人と付き合っていて(彼女の名誉?の為に書くが、それは同時進行では無く、1人ずつとちゃんと恋人として)その都度きちんと俺にも紹介してきた。
その中の1人が「ハードコア」というジャンルで活動しているという。
一応札幌で散々「自称札幌ハードコア」を見てきた身としては、東京のハードコアとはどんなものだろう?と思い、音楽的な興味というよりは、年代が一緒でも風土により変わるのかなあ?という民俗学的な興味から見に行った。(多分小岩のブッシュバッシュ)
札幌とはまた違う感じだが、これはこれでなんか嫌だな、札幌のやつらと着ている服の感じは少し違うが「みんな同じような服を着ている」というのは同じなんだな、ふむふむ、まあこれが群れというやつか、これは似たのが集まるのか?それとも集まると似るのか?多分後者だな、なんて学者目線で楽しんだ。
そこにTVが出ていたんだと思う。(あるいは俺もソロで出演していたか?)
ライブの事は意外と記憶に無いが、とても感動したのだろう、じゃないとアルバムなんて絶対に買わないから。

今、朝の6時なんだけど久し振りにこのアルバムを聞いてみた。
隣の部屋の家族が起きないように小さい音でそっと。
この緑のツルツルケースに触って、CD-Rの盤面の黄色い絵や「息をしたらこころが潰れそうだに」の文字、全てが淋しく悲しい気持ちにさせる。
TVに触れると悲しくなる、のではなく、淋しくて悲しい時にTVに触れてきたのだろう。

この家に引っ越して4年が経つけれど、そういえばこの家で聞くの初めてだな。
淋しくなかったんだな、ずっと。
でも、今日聞いたって事は今日は淋しくて悲しいのだろう。

というわけで、淋しくて悲しい人はレテパシーロックフェスティバルに来るように。

PS.この後「日記風、2月前半編」を書くつもりでした。
が、すみません、次回にします。
今日はこのままTVな気分でいる事にする。
もう一回アルバム聞くわ。

PS.その後TVにはレテパのライブ盤「LIVE AT MOTION」のレコ発?(少し違うかも?でも確か「うみのて」とTVとスリーマンだった気がする。2012年)に出てもらったり、あとはなんと言っても「秋田ハイコーフェス」でいつも一緒だった。
ハイコーフェスって行った事が無い人には分からないと思うけど、普通のフェスとは大違い。
体育館のステージで演奏するんだけど、お客さんは基本静かで「イエーイ!」とかそんな感じでは全然無い。
なんなら三角座りのまま誰も立ち上がらないし、下手したら拍手も起きない(それは言い過ぎか?でもそんな可能性すらある雰囲気)なので、何も知らずにやって来た若手ロックバンドなんかが空回りして打ち上げで悲しい顔をしているのをたくさん見て来た。
空気が重い、お客さんが白けてる、決してそういう事じゃなくて、説明は難しいけれど、みんな平気じゃない「純粋な状況」ではあるので、俺は大好きだった。
まあ、ほんと誰もが平気では無かったね。客も演者も主宰者も。
そんなハイコーフェスなんだけど、TVは毎回最強だった。
それはTVの4人(あの頃は4人だった)が何も関係なく飄々としているから、では決して無い。
そんな風にTVを見ている人もいたかもしれないけれど、俺は真逆だと思うんだよね。
廃校の校舎、外からの風、田沢湖の無音、三角座りの人々、そこに声もギターもリコーダーも同じ速度、同じ力で、触れてくる。
彼ら全部に関係しようとしてた。それは強くなきゃできないよ。
たくましい本当の優しさ。

もうハイコーフェスは無いけどさ、この日のレテパフェスはハイコーフェスみたいな一日になるかもね。

なので、淋しくて悲しい人、あるいはハイコーフェスが好きだった人、あるいはハイコーフェスに行ってみたかった人、ぜひカモンです。

PS.せっかくなので、ハイコーの写真を一枚。
この男の子、この春高校を卒業して秋田から東京に来るんだよ。
俺はアル中騒動以降、独自の時間感覚で生きているので、年月や年齢の感覚は完全に欠如した。
でもこの写真を見ると、時は進む、というのは本当なんだなあ、と思わざるをえないね。
「RADIO LETEPA」の10曲目、この男の子に歌った歌なんですよ。

今年2回目のレテパNEWS。
「今年は月に2回は書くぞ!」と目標を立ててたので、ギリギリセーフ。
前回のNEWSの最後は「ベストライブ後半戦の映像が公開されますよ」でした。
まずはそれから。

ご覧になりました?
自分ではベストライブだなあ、と思っています。集大成。
そういえば最近「ライブに良いも悪いも無い。良いライブっていう概念が分からない」という話を友人から聞きました。
俺はめんどくさいし長くなるので「良いライブ」という言葉で片付けていますが、少し丁寧に書くと「純度が高い、純粋な現象」これに尽きると思っています。
それが、上手い演奏で起きる人もいれば、下手で緊張して手が震えてチューニングもままならない状態、で起きる人もいるでしょう。
それは人それぞれ。純粋ならなんでもいい。
この世には美しい瞬間がいっぱいあるのに、わざわざそこを選び、決められた時間に行って、金まで払って見るべきものは、人間の純粋のみでしょう。
歌が上手いなんてものは、足が速い、とか、ポコチンがデカい、とかと同類の話。(まあ、歌が上手い方が純度が高くなる性格の人はもちろんそれで良いんですけどね)

アンコール映像も公開されました。

前に書いたので、長くは書きませんが、この友部正人さんの「小さな町で」の中にずっといた日々がありました。
友部さんもこれを聞いてこの歌の素晴らしさを思い出したのか?最近のライブではちょくちょく歌っているようですよ。
確かに今まで何回もライブを見に行ったが、この歌を歌っているところは見たことがありませんでした。
何だか嬉しいね。イエイ。

2000年、18才。
机の中にはSONYの銀のウォークマン。
ブレザーの袖にイヤホンを通し、バレないように手のひらを耳に。
授業中、この歌をずっと繰り返し聞いていた。
そして授業が終わり、休み時間になっても。帰り道にも。
あれから23年。
あの頃の自分に歌っていたと思います。
一日中外せなかった、あの18才のイヤホンに向かって。
きっと届いたと思うなあ。
大丈夫。大丈夫。がんばりたまえ。

ベストライブ関連はこんな感じです。
この映像を見て感動した人は2024.3.10空けておいて下さいね。
「第3回レテパシーロックフェスティバル」です。
ベストライブ更新なるか。乞うご期待。
詳細はもう少しお待ちを。
夜公演です。多分18時?19時?くらいから。

前回のNEWS以降に起こった事を日記風に書いてみようかな。
なんか、色々あった気がする。
が、日付が不明(というか調べるのが面倒)なのでそこはご愛嬌。

1/○
正月が明けて、免許更新期日最終日に都庁の免許センターへ。
すごく混んでいたせいか、いつも繰り広げられる「前髪戦争」が起きなかった。
「前髪を横にズラしてくださーい。おでこ出してくださーい。」
「はーい。」
「では撮りまーす。」
※ここで無意識に髪を戻してしまう。というか多分髪が勝手に戻ってしまう。天パだから?
「ああ、ダメです。もう一度おでこ出してくださーい。」
「はーい。」
毎回これを何度も繰り返し、最終的にはおでこを出す係の人まで出現して、2人がかりで撮影する。
そして、なんか謎の髪型になり、自分じゃない人みたいな写真になる。
証明写真の意味無いじゃんね?
それが今年はなぜか何にも言われずに、普通の状態で撮影してくれた。
出来た免許を家族に見せると「なんか、良い顔だなあ。重みが出てきたね。いいぞ。」と褒められた。
確かに前回は断酒して数ヶ月でまだ不安げな顔だったし、その前はベロンベロンでしかも「前髪戦争」がツボに入ってしまい、イカレた感じの笑顔で写っていた。(基本笑顔はNGらしいが、多分彼らも「おでこ出てるかチェック」に集中しすぎて、笑顔をスルーしてしまったのだろう)
重みが出てきたのか。いいね。

1/○
好きなバンドが解散すると知る。(発表されて無いと思うので、名前非公開)
悲しい。

1/○
次の日、街を歩いていたら家族から「SEAPOOL解散するんだって。」と知らされる。
前日とは違い、こっちは活動休止していたし、予感はしていたが、悲しい。悔しい。
エンデンジャードスピーシーズという歌はSEAPOOLの「Low pop baby」という歌を繰り返し聞いていたら出来た歌でした。
エンデンジャードスピーシーズというのは絶滅危惧種という意味です。
いきなりそんな話を聞かされて、急に街がよそよそしく見えてくる。
全部がバラバラなあの感じ。
そのせいか、街を歩きながら家族と喧嘩をする。
金の事で根本的な話にもなり、つーか、人の解散に動揺する前に、自分のバンドが一番危ういんじゃないか?なんて思ったりもする。
誤解無いように書くが、家族はすごく協力的で、子供にかかる金銭は一切俺に請求して来ない。
でも、折半の約束の光熱費とかそういうのすら払えていない。
なので、悪いのは自分。

1/○
二日連続で好きなバンドの解散の話を聞いて、しかも自分の置かれている状況を改めて知り、疲れた。
と思っていたら、高熱。
昔から知恵熱が出るタイプだが、なんか変。
病院に行くと「ヨーレンキン」との事。
薬を飲めばすぐに消えるが、薬を飲まない限りずっと保菌しているらしい。
保菌した状態で強いストレスとかを感じ免疫力が落ちると発熱するらしい。
「ああ、だからここ半年くらい悲しい事があると熱が出てたんですね。ストレスで。なんか変だなあと思ってたんですよ。」と医者に伝えると面白いお医者さんなので「そうです。ストレスで免疫力は大きく落ちます。でもこの薬を飲めばもう悲しくても大丈夫。」と仰った。

1/○
ヨーレイキンも消滅したので、少し元気になる。
好きな2つのバンドの解散話で飛び火して自分のピンチも露呈したので、まずは自分の心配をしてみよう、と思い、2023年のバンドの収入と支出を調べてみる。
正月に見た「お客さんを喜ばせるのが大好きなお人好しのラーメン屋。美味しいのに何故か赤字。なので一流ビジネスマンがリサーチしてみると、ラーメン一杯売り上げるごとに50円の赤字。なんと原価を超えていた」というテレビを見て「なんて間抜けなお人好しなんだ!」と呆れていたが、自分も同じ状況な事に気付く。
自分は歌を作り歌を歌う事以外は向いていないんだ!と今更ながら気付き、他人の意見を聞いてみようと思い立つ。

1/○
PASSiON RECORDSのゲンキ君とレーベルに所属しているピーナッズのみんながうちに飲みに来てくれる。
レテパのメンバーも来れる人は集まって、いざ作戦会議。
ゲンキ君とちゃんと話すのは初めてだったが、さすが同世代。
同じ道を歩み、同じ失敗を繰り広げているので嬉しくて笑っちゃった。
ああ、俺はそんなに狂ってないじゃないか。
自分の考えを話してみたが、気狂い扱いせずに賛同してくれた。
色々助言をもらう。やる気が出てくる。
自分の長所短所がハッキリと見えてきたな。
これからは向いてることだけをやろう。
向いてないことは人に任せよう。
人を信じる、というやつだな。これが。

1/○
THEこうがんずのキダ君がうちに飲みに来る。
初めて飲んだが、繊細で痛快な男。
でも、こうがんっていうのは繊細で痛快だもんね。
バンド名を体現しているね。
カブで駅まで迎えに行って、後ろに乗せる時「あ!モヒカンの人はヘルメット被れないのでは?」と気付いて聞いてみたが「大丈夫です。」との事なので、ヘルメット被ってもらったが、家に着いたらモヒカンがへし折れていた。台風の後みたいに。
そして終電で帰るまでモヒカンはへし折れたままでした。
録音しておけばよかった!と思うくらいに詳しく5時間もかけて彼の半生を聞いた。
不器用だなあ。純粋だなあ。さすがTHEこうがんず。

1/○
歌が出来た。「春の花」という歌。
好きな花は?と問われれば「エゾエンゴサク、フクジュソウ、ヤチブキ、カタクリ、ニリンソウ」という感じで故郷の春の花の名をあげると思う。
この歌、珍しく夜に出来たな。
断酒後の歌は全部朝に出来たのに。
53曲中この歌だけ夜作曲。
なぜだろう。不思議。

1/○
次の日、昼の12時頃に飼い猫の5月(ゴガツ)が癲癇を起こす。
この猫は色々障害があって、癲癇も起こすし、ジャンプも出来ない、本能に忠実でストーブに近づき過ぎてヒゲは焼けるし、餌が無いと俺を食べに来る(甘噛みじゃなく、怒るでもなく、キャットフードを食べるテンションで俺の足や手を食べ始める)日光で熱くなったベランダに置いてみると、肉球が熱くて痛いのを攻撃されたと思いこみウーウー唸り声をあげて空気と闘いだす。
しかも運動神経壊滅なので変な動きで。

そんな5月の癲癇はいつもは5分くらいで収まるのだが、この日は収まらない。
噂には聞いていたが、来るべき時が来たか、と覚悟を決めて抱っこしながら見守る。
1時間、2時間、もうずっと。

この猫とは不思議な出会いだった。
2011年の5月。俺は京王線の稲田堤に住んでいた。
友人のライブを見に行ったが、退屈なイベントで調子を崩し、珍しく稲田堤を乗り過ごして終点若葉台で降ろされた。
終電だったので、歩いて帰る。2時間くらい。
川沿いの道には田んぼがたくさんあったみたいで、カエルの合唱が聞こえてくる。
なんだかいい道だな、明日はバイトも無いし散歩してみようかな、と思いながらフラフラと帰宅。
次の日同じ道を散歩してみると、高架下の変電所の鉄条網の周りに人だかりが。
「どうしたんですか?」と聞いてみると「この中に子猫が迷い込んでて、今この大学生の兄さんが金網を登って助けようとしてるんだよ。」との事。
見守りたい気もしたが、もしも「この猫飼える人いませんか?」という流れになると手を挙げてしまう気がしたので、そのまま通り過ぎて昨夜の田んぼ道を散歩した。(その頃のアパートはペット禁止の狭いアパートなうえ、もうすでに猫がいたので)
1時間くらい歩いて同じ道を帰ってくると、変電所の前には人間が3人。
なんか、不思議な感じの老人3人がコンビニのビニール袋を持って立っていた。
妙に変な気がしたので「何してるんですか?」と聞いてみるとビニール袋を指さして「子猫を保護したから保健所の車を待っているのよ。」と言う。
これは殺されるな、と思ったので咄嗟に「あ、これうちの猫だわ。見つけてくれてありがとう。」と言ってビニール袋を奪ってしまった。
家に帰り袋の中を見てみると、産まれてから一度も毛づくろいをしていなかったのだろう、毛が大きく何箇所かに固まってしまってドラゴンボールの悟空みたいな髪型の子猫が出てきた。
でも、顔は病的なほど(実際病気だったんだが)異常に可愛いメスの猫だった。
5月だったので5月という名前にした。

そんな出会いから13年。ついにこの日がやって来た。
もう7時間が経った。
俺は迷ったが「今日はレコーディング前の大切なスタジオだからやはり行くよ。」と痙攣を続ける5月に伝えスタジオへ。
4時間後、帰ってくると、まだ生きていて、痙攣を続けていた。
抱っこすると、爪が自分の体に刺さっていて、もう顔も限界を超えていた。
覚悟を決めるしかないな、と思い「もう首を絞めてあげるしかないよなあ。でも首絞めた後にご飯食べれないと思うから、ご飯食べてから楽にしてやるよ。」と伝え、食事をした。
食事をしている最中、5月の声が変化して、唸り声から泣いているような声になったのを聞いた。
食事が終わり、抱っこする。
彼女の性格は分かっているので、もう覚悟を決めて「あと5分抱っこしたら楽にしてやる。」と言って痙攣する5月を抱きしめる。
すると、さすがなんだよね、この猫は。
まだ首を絞めてないのに、首を絞められたような声を一声あげると、水を少し吐いて、そのまま死んでしまった。
俺に気を使ってくれたんだな。
首なんか絞めさすのは悪いと思ったのだろう。

寒い季節だし、1日くらい大丈夫だろうと思い、次の日は部屋の日向に置いてあげて、過ごした。
その次の日、庭に大きな穴を掘って埋めた。
埋めてから気付いたが、偶然ツツジの横に埋めていた。
ツツジは5月に咲くからな。
きっと今年のツツジは5月の毛の色みたいな白黒茶色の花の色でしょう。
そんな怪奇現象も普通に起こすような、不思議で素敵な猫だった。

1/○
横浜野毛のドルフィーへライブを見に行く。
友部正人、板橋文夫。
板橋さんのライブを初めて見たのは小学校2年生の時。
母親に連れられて、岩見沢の西友の中にあるホールで見た。
ライブの内容は覚えていないが「わあ、西友の中にはこんな場所があったのか!」と、いつもの西友に意外な一面があった事に驚いた事だけを覚えている。
その後、1999年には自分の意思でライブを見に行った。
そのライブにはかなり影響を受けたと思う。
友部さんを初めて見たのはその次の年なので、実は板橋さんの方を先に知っていた事になる。
そんな2人の共演を見るのは2回目。
とても素晴らしいライブでした。
最近の友部さんのライブが特に素晴らしいのは昨年から知っていたが、久し振りに見た板橋さんも素晴らしかった。

ちなみに1999年-2000年(高校2年-3年)の頃の俺の携帯用CDケース(15枚入る)には、、

友部正人/ベストセレクション
友部正人/1976
友部正人/はじめぼくはひとりだった(ライブ盤)
友部正人/読みかけの本
板橋文夫/005
板橋文夫/うちちゅーめー お月さま
AZUMI/ブルースのいいなり ロックのどれい
AZUMI/VOLUME6(1999→2000)
真島昌利/夏のぬけがら
シオン/STRANGE LIVE/1986-1988
シオン/Strange But True
豊田勇造&THE YUZO BAND/雲遊天下
どんと/一頭象 どんとスーパーベスト
シバ/帰還
光玄/ばれたら終わりや

今、思い付くままに、在りし日のラインナップを15枚挙げてみたが、友部さん、板橋さん、は必ずケースに入れていたな。
学校には教科書なんて持って行かずに、どのCDを持っていくかだけ考えていた。

1/○
注文していたSEAPOOLのレコードが届く。
聞いてたら、初めて新宿ロフトで見た時の事を思い出した。
彼女達の自主企画のはずなのに、なんかとても居心地が悪そうに見えて、演奏も辛そうな演奏に見えた。
帰り道、新宿を歩きながら「子供の頃、海で釣った魚を水道水に入れた時の苦しんでる感じ」に似ていたなあ、と思った。呼吸困難。
飼いたいのに飼えないのかあ、と思って残念だった、あのかわいい砂がれい。
「あ!バンド名となんか繋がってるなあ!」と思い、1人で絶望的にひと笑いして歌舞伎町を歩いた思い出。

1/○
ソロライブ。
中野のPURPLE DOORというバー。
レテパシーズOB飯田裕の企画「夕暮れ音楽会」というイベント。
対バンは「おれ、夕子。」こと池ちゃん。
池ちゃんとはTV.NOT JANUARYとレテパシーズで昔何度も対バンしていた。
一番顔を合わせたのはハイコーフェスでの共演。
なので、この日は少しハイコーフェスの事を思い出しながら歌った。
青春、という歌を歌っている時に一番ハイコーの事を思い出したが、感極まって?構成がぐちゃぐちゃになってしまった。
が、それがハイコーらしくていい感じだったと思う。平気じゃない感情。
もうすぐ断酒して5年が経つが、断酒後に初めて会う人とはシラフで初めて会う、という事になる。
そうすると、ほとんどの人の顔が「あれ?こんな顔だったっけ?」という感じに見える。
が、池ちゃんの顔は誤差ゼロ。
なんでだろうね。うまく言えないけれど、そこが彼の美徳の素晴らしい何かな気がする。
うまく言えないけどさ。キチンと孤独を抱えてる優しい男なんだよ。

その日の自分のセットリスト

1.ハローグッバイファックユー
2.夜に名前を
3.さよならの合図
4.まだもう
5.12月1日
6.永遠に、たまに
7.ホンダ
8.青春
9.渋滞
10.夏のアルバム
11.数学と国語
12.札幌ナンバーの最後

1/○
目が覚めると布団の中で歌が出来た。
「ひだまり」という歌。
死んだ5月の歌がさっそく出来た。
帆立(2022年11月12日に死んだ)の時は「SAIL AWAY」という歌が出来たけど、5月にも出来て良かった。
これで12thの歌は4曲になった。
10th,11th,12th,順調に行進しなくちゃなあ。
昼からは、今年4度目のスタジオ。
カニ君に「板橋さんのライブ見た方がいいよ。小さな音を小さな石をぶつけて出すんじゃなくて、太陽をぶつけても小石のような音を出すんだから。そりゃあ下へ下への最終系の進化ですよ。一度見た方がいいよ。きっと今の君のテーマと同じはずだから。」と伝えたら嬉しそうに笑っていました。

1/31(本日)
庭の木を切る、という約束を半年くらい反故にしていたら、家族から「信用がなくなった」と本気で見放された。
ので、慌ててチェーンソーを用意してもらい、木を切る事に。
今、お昼の12時。
「今日、レテパNEWSを書き終わったら切るよ。」と朝に伝えた。
今から切る気分になれないけれど、本気で見放してる感じなので、切りますよ。
天気良いしね。がんばる。

ではさようなら1月&5月。

PS.せっかくなので、、

「ひだまり」

北国の人間はみんな 石油ストーブの上に
ヤカンやナベとか置かないと もったいないような気がするよ

部屋に日だまりが出来る時 いつでも君は逃さない
時間や季節が変わるたび 違う所で昼寝をしてた

君が死んだあと 日だまりに 君がいないのに気付いたよ
もったいなくて石油ストーブのヤカンの事を思い出した

さよなら白黒の5月 毛づくろいが下手だったから
ところどころ茶色くて正確には さよなら白黒茶色の5月

日だまりに君がいないので 君が死んだ事 思い出す
もったいないな むだな日だまり 今すぐ君を置きたいよ

さよなら白黒の5月 毛づくろいが下手だったから
ところどころ茶色くて正確には さよなら白黒茶色の5月

君のいない むだな日だまりは 石油ストーブに似てて
ヤカンやナベや君を置かないと もったいないような気がするよ

さあ、2024年が始まりましたね。
皆さんはどんな年にしたいですか?
俺は「2024年は2025年以降のレテパシーズ黄金期の為の大切な年になると思う。が、2025年以降のような派手さはないかも知れない。ので、少し黄昏た気分になるとしたら2024年だろう。が、2024年を1年スパンで小さく見ずに、黄金の2020年代の中の一部だと思って、明るく行進して下さい。」と昨年末メンバーに伝えました。
みんな良い顔で微笑みながら頷いていました。いいね。

まあ、派手さは無いとは言っても、、

●10thアルバム制作
※5曲は録音した。残り5曲は来月に録る。
今のところ一生に一度あるかないかの名盤。

●3rd,4thアルバム再録音の準備

●11thアルバムのアレンジ
※3rd,4thが先だから年内は無理かなあ、、?
まあ、焦らずやります。レテパの歌は腐らないので。レテパが腐らない限り。
そしてもしレテパが腐ったら、歌までは腐らせたくないので、腐ってない人々が勝手に歌ってくれる事を望みます。

●レテパシーロックフェスティバルがんばるぞ
※あ、3/10空けといてね。

こんな感じの2024年。
これを読んだ人は「一生に一度あるかないかの名盤」を発表出来るんだから、十分派手じゃん。サイコーじゃん。と思うかも知れません。
まあ、そりゃあそうなんだけど、最近は身をもって「ブルーハーツは好きだけど、ブルーハーツファンの99%は話が合わないなあ。太宰治さんは好きだけど、太宰さんを語る99%は何にも分かってないなあ。でも、1%の人達だけに届けながら続けるっていうのは、困難なんだなあ。」とようやく気付いたので「夏のアルバム」がどんなに大名盤だろうと1%の人達(気付いてますか?今めちゃくちゃあなたを褒め称えています。会えて嬉しい!ありがとう!)しか大名盤に気付かないんだもんなあ、なんて思うと、少し黄昏たくもなるのもしょうがないのです。

が、2025年以降はそんなしみったれたケチくさい世界を破壊していく時期になると思います。
昔の自分なら「2024年はやるぞ!破壊して創造して治安を乱して大行進だ!デストロイ!デストロイ!ファック!ファック!」なんてほざいていたと思いますが、近年は断酒治療のノウハウを活かし、現実をしっかり見る勇気と覚悟を持てたので、勢いだけのハッタリをかましたりしなくなりました。
現実主義者。リアリスト。一緒にいてつまらないかな?俺は楽しいよ。
(つーか、クセですね。現実を見る、過去を精査するクセ。こんなふうになれたのはまあアル中になってしまったおかげなので、このまま全てうまくいけば結果オーライで必要な病気だったのかも知れませんね。ここまで追い詰められなけりゃ、人の言う事を一切聞かない頑固なデストロイ野郎のままだったので。そういえば来月で断酒5年です。おめでとう俺。がんばったな。えらい。)

とにかく今は10thアルバム「夏のアルバム」の事だけを考えます。
素晴らしい夏、そして素晴らしい2025年以降を迎える為に。
万が一大名盤にならなかったら、反動で解散に追い込まれるくらいの力を持ったアルバムだと思います。
要注意。用心してかからなきゃ。

というわけで、今年もよろしく。
俺はがんばる。楽しいぜ。

PS.2023年11月25日のベストライブ映像第2弾、明日夜公開です。
レテパシー大放出の後半戦から5曲選びました。
お楽しみに。

今年ももうすぐ終わりです。
このレテパNEWSも2023年のラストだと思います。
今年は何回書いたんだろう?と思い今見てみたら、今日の文章を入れて27回も書いていました。
意外と多くてびっくり。もっと少ないと思ってた。
今年は断酒後初の4年振りのアルバイトを始めたり、息子が産まれたり、と去年よりも時間が経つのが圧倒的に早く感じました。(まあ、息子に関しては俺は遊び担当大臣なだけで、ほとんど何もしていないのに等しいのですが)

こんなに時間が経つのが早いと、普通は焦りそうなものですが、今のレテパシーズは、、

①「来年の夏までに最高傑作の10thアルバム「夏のアルバム」を発表する」

②「レテパシーロックフェスティバルをどんどん大きくしていって、いつかお外でもやりたいな」

③「ほんと俺のせいですまないが、どうしても3rdアルバム、4thアルバムを再録音したい」

④「10thと3rd,4th再録が無事に終わったら1st〜10thの100曲の中から40曲を選んで4枚組のベストLPを作りたい」

という明確な夢があるので、粛々と大行進あるのみ。
なので、どんなに時間が経つのが早くても全然焦りません。
むしろ、早くて嬉しいくらい。
だけど油断は禁物。①②③④全て、命の危険に関わるくらいの綱渡りである事は確かなのです。
でも最近は、どんなに綱が細くても、たとえ切れかかっていたとしても、明るく元気に颯爽と進める気がしています。
なぜなら、バンドがこんなにも素敵になったので。
ほんと良いバンドになってきたと思う。5人全員がそう思っているはず。
仲良く全員で成長したんじゃないかなあ。この2023年で。

そんな成長が垣間見える、結成13年でようやく到達したベストライブの映像が公開されました。
撮影は二宮ユーキ。(ワガママ言って歌詞まで入れてもらっちゃいました。ありがとう!)

曲目は前半戦から4曲選曲してみました。

1.ヒーローと
2.最後のGB戦士
3.数学と国語
4.ホワイトアルバム

たくさんの人に見てもらいたいなあ、と思ったので、昨日は曲解説を書いてレテパツイッター部(部員3名!)に送りました。
俺は毎年同じ手帳を買うのですが、今年も例年通りメモページがたくさん余ってしまったので、手帳に書いてみた。
よかったら読んでみてね。

後半戦の映像も準備しています。
多分みなさんがお正月に飽き飽きした頃に公開されると思います。
新年早々おめでたいハツラツ映像をお届けできるかと。
お楽しみに。

あと先日はTHEこうがんずのセカンドアルバムのレコ発イベントに出演しました。
こうがんずのライブ中にキダ君がやたらと「セカンドアルバムっていうのはこういう事なんですよ。」と言っていたが、家に帰ってアルバムを聞いてみたら、ほんとにセカンドアルバムっぽかった。
それはファーストより劣るとかそういう事ではなく、ファーストがあって、セカンドがある、という続いてる感じの事です。
俺はもしインタビュアーに「音楽人生で後悔している事はありますか?」と聞かれたら「悪い時期があっても結局そのおかげで歌が出来たりするわけだから、全てしょうがないと思っている。が、強いて言うならば2000年〜2019年までの歌達は作曲したタイムリーな時期に発表出来なかった。それは後悔かも。レテパシーズの1st〜6thは言うなれば19年間のベストアルバムみたいなものなので。でも7th以降はタイムリーに発表出来ていて幸せです。」と答えます。
キダ君は25才と言っていたが、ここからずっと素晴らしいアルバムをタイムリーに作り続けてほしい。
喜怒哀楽色々な事があると思うけど、その色々な事を全てアルバムに残していってほしいです。
今年の5月に初めてライブを見た時は正直「1stアルバムが良すぎたせいか、ライブはあまりグッとこないなあ。こんなパターンもあるんだなあ。」と思ってしまいましたが、この前のライブは3人ともすげえカッコよかった。
その5月の時もこうがんず企画だったのですが、俺はソロで出演しました。
事前に聞いた1stアルバムが凄すぎて、毎日聞きまくり、ドキドキしながらついにライブを見て、でもあまりグッと来なくて、とても悲しい気持ちになった。
悲しかったので、キダ君に「ライブ終演後、出演者全員でステージに上がって挨拶しましょう。」と提案されていたのに、そんな気分になれなくて、そっと逃げて会場を出てしまった。
そんな風に冷たくしてしまった気がしていたのに、今回オファーをくれてとても嬉しかった。
そして「素晴らしいライブをしてくれますように。セカンドアルバムが素敵でありますように」と祈りながらこの日を迎えた。
で、その2つの願いは無事に叶ったのでした。
本当に嬉しかったです。

見た目とか活動の仕方とかで勘違いする人もいるかも知れないし、もしかしたら俺同様に一度ライブを見て失望した人もいるかも知れません。
が、断言しますがTHEこうがんずは素晴らしい。
不器用な3人なのです。
このナイーブな才能をみんなで見守りましょう。

この「十年」という歌を今回のライブで初めて聞いたが、泣きそうになってしまった。
この季節はドライアイのコンタクト野郎なのでなかなか涙は出てくれないが、湿気の多い時期ならば、何十滴も涙が溢れていたと思う。
皆さんもぜひ、1st〜2ndと順番に聞いてみてね。
THEこうがんず、最高のセカンドをありがとう。えらいよ。よくやった。
レテパシーズもがんばります。

1年の締めくくりに他人を褒めれて嬉しいな。
しかも上から目線でも下から目線でも無くて、きちんと横から目線でさ。
これで安心してごろごろ正月を過ごせます。
皆様良いお年を!今年も読んでくれてありがとう。
来年もがんばろうね。よろしく。

「鬱の本」について。
本の発売がレコ発ライブと重なってしまったので、このレテパNEWSではまだ紹介出来ていませんでした。
点滅社という出版社の屋良さんという方が、レテパを気に入ってくれたらしく、面識は無かったのですがオファーしてくださいました。
「10代の頃の鬱屈、鬱、読んでいた本」について1000文字で。
という事だったので「鬱、憂鬱、10代、本、と言われ放出したレテパシー」という文章を書いてみました。
鬱も憂鬱も10代も本も、自分にとっては身近なテーマだったので、スラスラと書けました。

発売直前まで他の執筆者が誰なのか知らなかったので、友部正人さんの名前を見てびっくりしました。
俺は偶然にも「読んでいた本」の紹介で友部さんと星野道夫さんの名前を出していたので。
「どこから読んでも良い本」との事なので、パラパラとめくって数人の文章を読んでみました。
みんな「1000文字で2ページ」という約束を守っているので、どこを開いても2ページびっしり文字が並んでいる。
そんな中、パラパラとめくっていたら、1人だけ片方のページが白紙の人が。
それは谷川俊太郎さんでした。
2ページどころか1ページにも満たない谷川さんの文章は圧倒的で、2ページどころか2億光年を感じちゃった。
友部さんの文章も素晴らしく、この前初めて話した印象も相まってか「友部正人は都会に住む野生動物だな」なんて思いました。
友川さんの「スマホ首」には声を立てて笑いました。(俺は20代前半の頃に友川カズキの前座をした事がある。移転する前のススキノLOG)

歌や小説や詩や映画や絵、とかなら、自分なりに優劣(分かりやすく、雑な言い方でごめん)をつけれるのですが、エッセイ的な文章はそういう気持ちで読んだ事が無かった。
好き嫌いはもちろんあるけれど。
他人と並ぶ自分の文章を読むのは初めてだったのですが、なんか自分の文章もいい文章だな、とちゃんと思えました。
文章を書くのは子供の頃から好きなので、今後はこういうオファーもたくさんくればいいなあ、なんて思いました。

「鬱の本」(点滅社)/1800円
書店や通販でどうぞ。

12月になりましたね。
12月1日になって街を歩くと毎年、ついついシオンの「12月」を口ずさんでしまいます。

12月
街はクリスマス気分
あちこちから想い出したようにジョンの声
そして俺ときたらいつもこのごろになると
なにかやり残したよなやわらかな後悔をする

でも、今年は違いました。
シオンじゃなくて自分の歌を口ずさんでいました。
12月1日の朝、起きたら「シェインが死んだ」との知らせ。
抱っこした赤ん坊のピカピカの顔を見つめながらシェインの事を考えていたら、久し振りに歌が出来たのでした。
だからアルバイトに行くために家を出ても、自分の作った歌が頭の中で流れていました。

今年の5月に子供が産まれてからは、まだ1曲も出来ていなかったのですが、シェインのおかげで出来てしまいましたね。
11thアルバム用の10曲完成以降、子供が産まれたり、断酒後初のアルバイトを始めたり、ドタバタしていたせいもあってか、歌が出来るような感じじゃありませんでした。
もしかしたらこのまま一生出来ないのかもな、なんて思ったりもしました。
別にそれならそれで全然構わないのですが。(古い歌を歌うのも好きなので)

というわけで、12thアルバム用のデモテープは「12月1日」という歌で始まりました。
こうなるといつものようにポンポン出来ちゃうような気もしています。
シェインのおかげ。
さすがだね。サンキュー。

「12月1日」

君が死んで悲しい
君に会えてうれしい

ティンカーベルやマガウアンと
今日から街は12月

いつの事か知らない
いつも僕は死なない

ピーターパンやマガウアンと
雪の無い街の12月

明日は僕のバースデイ
雪の早い年にはいつも
おたんじょうび会でソリ遊びができる
だからもっと降れと祈っていた

何の事か知らない
いつも僕ら死なない

マガウアンやフック船長と
ソリ遊びのような旅に出る

雪の無い街の12月

今日から街は12月

2023.11.25
新宿Marble
僕のレテパシーズ9thアルバム
「RADIO LETEPA」レコ発ライブ

1.四面道信号待ち
2.無色の歌
3.ヒーローと
4.イカレた人
5.最後のGB戦士
6.数学と国語
7.ホワイトアルバム
8.夏の中で
9.コード泥棒
10.そばにいる
11.まだもう
12.夏のアルバム
13.17
14.君しかいない
15.青春
16.クレイなジー
17.ハローグッバイファックユー
18.海へ行こうよ
19.空知
20.愛は風景

アンコール
21.小さな町で(友部正人cover)
22.カニハウス
23.さんちゃんへ〜突き抜けたバカ(キャットキャットワンワンズcover)

信じるっていうのはこういう事なんだな、と思えた夜でした。
今まで23年歌ってきましたが、この夜は一番歌に近づけたと思います。
歌そのものになれた、とすら思っています。

危ない綱渡りな時期もあったけど、こんなに元気に辿り着けた。
あとはどこまでも行進あるのみ。
本当によかった。めでたしめでたし。

新しい物語が始まると思います。
この旅はまだまだ終わらない。
上中下、全3巻の旅ならば、ついに上が終わった気分。
最高の結末。感動のラストシーン。
まさにクライマックス。

来てくれた皆さん。
目撃してくれてありがとう。
なんか自分も目撃している気分でしたよ。
「何を目撃したの?」って聞かれたらさ「レテパシーを見てたんだ。」って答えたい。
まあ、20曲目の歌詞の最後の1行の感じです。

愛はただの風景だから
僕も君も眺めてる

10曲目の「そばにいる」という歌は次作10thアルバムの歌だけど、この歌の歌詞もそうです。

そんな街の風景になれたら
なれてたら僕ら
そばにいる

こんな感じの夜でした。
そう思いませんか?
きっと、同じ気持ちだと思います。
ありがとう。愛してるよ。

これからも、懐かしい風が吹く風景のようなバンドでいたい。
あなたも素敵な風景でいて下さい。
そしたら僕ら「そばにいる」と思います。


PS.夏は普通に物干し竿に洗濯物を干しますが、今の時期は庭木にしか日が当たらないのでこうなります。
これはライブで着てたツナギ。
キラキラ光ってて、近くで見ると湯気が立っていた。
日光ってすごいなあ。
洗剤のいい匂いの蒸気を見てたらさ、なんか希望に満ちた気分になったよ。
「中巻」は素敵な事が続くような気がします。楽しみ。

PS.「自分が歌い出すキッカケになった人」の目の前で歌ったので、歌達も喜んでいました。
まあ父みたいなものですからね。
アンコールでは友部さんのカバーで「小さな町で」も歌いました。
17才〜18才の頃、この歌を何時間もリピートして聞いていた。
授業中も制服のワイシャツの中からイヤホンを通してバレないようにエンドレスで。
自分のくだらない人生とは関係の無い、遠い夏の夜の世界に逃げ込んで、安心した気持ちになっていたのでしょう。
でも、今回あらためてこの歌と向き合い、歌詞を紙に書き、何度も歌っていたら、あの頃とは違う歌に聞こえてきたんです。

まるで、あの頃の自分と今の自分が糸電話でつながっているような。
制服の中に忍ばせたウォークマンのイヤホンを通して、あの頃の自分に教えてあげているような。
アンコール、そんな気分で18才の自分に歌ってあげていました。

「大丈夫。うまくやっていけるさ。」

なんか、今も書いてて涙が出てきたよ。
ほんとよかったね。

「小さな町で」友部正人

小さな町で車を止めて
コーヒーを飲み本を読む
そんなことができるなら
そんなことがしてみたい

夜の向こうには何もない
ぼくらはどこへも向かってはいない
ラジオから流れるロックンロールが
ぼくらを古い時代に連れ戻す

制限速度の標識のように
君はぼくの前に立っていた
その時君はまだ18歳
ぼくらは制限速度を置き去りにした

光の中にたたずむ橋を
向こう側から渡ってみたい
ハンドルのない車みたいに
世界がぼくに近づくだろう

さあ、あと2日です。
我々は最後のスタジオも終え、準備万端です。
セットリストも新旧織り交ぜた素敵な曲目になったと思います。
「伝説の2023.11.25のセットリストTシャツ」を作りたくなるくらいのセットリストだと思います。

Tシャツといえば「RADIO LETEPA」Tシャツを元メンバーのハダユキコが作ってくれました。
前から彼女に「このジャケはTシャツにしなきゃ勿体無いよ。」と言われていたのですが、時間に追われ(週4でバイトしてるしね!)諦めておりました。
いつまで経っても作ろうとしない俺を見て、業を煮やしたユキコが「じゃあ勝手に作っちゃうからね。そのかわり売り上げ何割か貰うからね!」と言い放ち、作ってくれました。

【RADIO LETEPAジャケTシャツ】
白とグレーの2色。
Lサイズのみ。
2500円。
各20枚の枚数限定販売。
11/25の会場のみでの限定販売。

で、一つ業務連絡を書くと、、

各所に置かせて頂いた「RADIO LETEPAのフライヤー」を持参すると「RADIO LETEPAの缶バッジ」が貰えるのですが、遠方から来てくれる人とか大変だろうなあ、と思い(新宿にも各所置かせて貰ってるが、ディスクユニオンとか、ちょっと遠回りですしね、、)このTシャツやアルバムとか、物販を買ってくれた人にもプレゼントする事にしちゃいます。
フライヤー持参の方の缶バッジも当日物販コーナーでお渡ししようと思っています。
開演前でも終演後でも好きな時に貰いに来て下さいね。

※「1st〜6thアルバムジャケ6枚セットTシャツ¥22000」の在庫もおかげさまで数少なくなりました。
買ってくれた方々、本当にありがとうございました。
おかげさまで在庫少なく、セット売りが難しくなったので、11/25は残った在庫をバラで販売しようと思っています。
粋にパッとセットで買ってくれた方々、ありがとう。お許しを。

さっきセットリストの事を書きましたが、今回のセットリストには次作10thアルバムからも5曲入っています。
この5曲、実は先月末にレコーディングをしました。
いつもはアルバム10曲をまとめて録音するのですが、今回はカニユウヤが「10thの歌はドッシリしてるので、10曲まとめてじゃなく、5曲ずつアレンジして録音しましょう。10月に5曲。2月に5曲。」と提案してくれたので、そういう運びとなりました。
せっかくなので歌詞を読んでから聞いて貰いたいな、と思ったので「歌詞」のページに載せてみました。
11/25のライブが終わったら消そうと思ってますので、今のうちに読んでみてね。
10thアルバムは全曲夏の歌。
タイトルは「夏のアルバム」です。
来年の初夏には出したいな、と思っています。

今日は長くは書きません。
前回、前々回のレテパNEWSに全て書いたので。
とにかく「RADIO LETEPA」を聞いてみてね。
そして大好きだったら11/25目撃してね。

昔はこの純粋現象を起こすのも大変でした。
無名の自主制作インディーのエンデンジャードスピーシーズ(絶滅危惧種)なバンドの「アルバムを聞いてもらう」のは一苦労だったので。
今はこの文章を読んだ数秒後には「四面道信号待ち」のイントロが始まります。
で、その25分後(今作はジャスト25:00でした)には「サンキューレディオレテパ。バイバイ。タラッタラタラララ🎵タラッタラタラララ🎵」となります。
で、余韻のままにチケット購入。
なんて純粋な現象だろう。最高に好き。

昔の方が良かったとかさ、ギャーギャー言う人もいるけれど、俺はこの2023年のやり方が一番純粋で大好きです。
歌が出来て、録音して、聞いてもらって、見てもらう。
邪魔者はいない。
歌とあなただけ。

まさに純粋現象。
これでダメなら純粋現象として悲しむのみ。
全然平気。余裕の行進。

では、ライブで会いましょう。
バイバイ。

PS.🎵タラッタラタラララのあの音はカニイヤン(カニ君の呼び名ね)の持っていたFMシンセ(KORG Volca FM)という見た目もかわいいマシーンです。
あのジングルを当日は生で聞けるかも知れませんよ。
色々用意しています。お楽しみに。

レテパNEWS、ずいぶんご無沙汰になってしまいました。
前回書いた「歌う事に決めたのは高度1万メートルだった」に今伝えたい事を全て書いたので、それ以上書きたい気分にならなかった、というのもあるのですが、単純に忙しく、ゆっくり文章を書く時間が無かった。

2019年2月に酒問題でたこ焼き屋のバイトをクビになって以降、アルバイトをしていませんでした。(いわゆる売れないバンドマンなので、ずっと労働しながら活動してきた)
高校を卒業し、2001年の春に岩見沢から札幌に出てきて、フリーターの一人暮らし。
それから18年、さまざまなバイトを経験しました。
仕出し屋、コンビニ、掃除屋、警備員、スープカレー屋(札幌ピカンティ)、auお客様センター、鬼太郎茶屋(調布市深大寺)、動物病院、リサイクルショップ、たこ焼き屋。
そして2019年2月、たこ焼き屋もクビになり、バンドもアルバム作り(4thアルバム「ブルースマン」制作中だった)もアルコール依存症による心身衰弱&錯乱で崩壊寸前、借金も限界を超えていて、いわゆる「底つき」を再確認、2度目の本格的なアル中治療に入りました。(おかげさまで4年8ヶ月断酒続いています。たまに勘違いされるから書くが、ライブ中に飲んでるのはノンアルです。ご心配なく。ありがとう)

その後、幸運な事に、高円寺の古い空き家に住める事になり、家賃がかからなくなりました。(妻の祖夫母が住んでいた家。7thアルバム「クレイなジー」収録曲「コロナの頃なら」で歌っています。ちなみに「さよならの合図」のおばあさんとは別のおばあさん)
そこの駐車場を中古電動チャリ屋のおじさんに貸して収入を得たり、思いがけない大きな臨時収入が続いたり、と、歌い出してから初めて、何年もアルバイトをしない生活を経験しました。(あ、一時期運動不足解消の為にウーバーイーツの配達員をやってたか。ウーバーは今までの人生で3本の指に入るくらい夏を感じられた。良い思い出)
そして今までの賃貸アパートと違い、大きな声で気兼ねなく歌えるのも影響したのでしょう、この家に住んだ2020年の春からの3年半で50曲(レテパで言うと7th〜11thアルバム収録曲)も歌が出来ました。

①「断酒も続いている」
②「歌もたくさん出来る」
③「ライブもシラフで良いライブが出来ている」(2017年の1回目の治療時はこれがクリア出来なかった。シラフで会場に着くと「なんでこんなとこで歌わなきゃいけないのだろう」と思い、ライブが始まっても「こんな人達の前で歌ったってなんの意味も無い。死ね。死にたい。」と思いながら歌っていた。端的に書くと断酒起因の鬱状態だった)
この①②③がバッチリ出来ているのに、なんでまたバイトをしなきゃいけないのか、これが全てなんだから、バイトなんてしなくて良いはずだ!良いアルバム、良いライブ、が出来ている以上はこの生活を続ける権利がある!と迷い無くノリノリで前進あるのみ状態でした。
なので、昨年妻が妊娠した時も「どう考えても、子供にかかる金は一銭も出せそうに無い。今の良い状態を崩したくない。だから、産まれるまでの金も産まれてからの金も全部そっちでなんとかしてくれ。その代わり家事は全部俺がやります。」と伝え、後で揉めないように正式に約束してもらいました。(我が家は金銭を完全に別にしている。なので俺がどんな状態にあっても妻は俺に一銭も貸さない。共依存防止)
しかし、今年の初めあたりにはとうとう金が底を付き、そろそろ限界か、と思いながらも、また消費者金融(2ndアルバム「愛してるよ」収録曲「ロックンロール」でも歌われてますね)それも足りなくなり、中古自転車屋のおじさんに「あと3年貸すので3年分の場所代をまとめて払ってくれませんか?」とダメ元で言ってみたら、快くOK!そんな感じでだましだまし過ごしていました。(クラウドファンディングもありがとうございました。これは9thアルバム「RADIO LETEPA」の制作費に使わせて頂きました。残った分は10thアルバムのアレンジの為のスタジオ代に使わせて頂いています)
そして何よりも「RADIO LETEPAが夏に出る。これが評判になれば何とかなる!」と思う事にして、現実逃避しておりました。(音楽で収入を得られる時代じゃない、とは思っていません。むしろレテパのような無所属で、しかも飛び込むジャンル、シーン、も見当たらないバンドには好都合の時代です。ただ、まだ数年はかかる山登りなのが現実。その「現実」から逃避していた、という意味です。2020年代のサブスク乱世は大好きです。山賊気分。楽しい)
が「RADIO LETEPA」による収入は制作費にも遠く及ばず、、(良いんです。分かってた事です。もっと長い目で大きな山を見てるんで大丈夫です)

前置きが長くなりました。
冒頭に書いた「レテパNEWS、ずいぶんご無沙汰になってしまいました」「単純に忙しく、ゆっくり文章を書く時間が無かった」のは、アルバイトを始めたからなんです。(週4だ!)

いまさら、
「ええと、コミヤタイシさん?」
「あ、分かりづらくてすみません、、フルミヤヒロシです。」

「バンドマンなんですって?夢追ってるって素敵ですよね。応援しちゃいますよ!うちにはバンドマンや芸人の卵がいっぱいいますからね。きっと仲良くやれますよ。フルミヤさんはどんなジャンルなんですか?」
「ええと、うーんと、まあ、普通のよくある編成のいわゆる普通のバンドって感じっす。」

みたいな、やり取りをするのはめんどくさいなあ(まあ、意外と平気で出来るんですが。そしてどのバイトでも優遇、厚遇される傾向にある。多分仕事が出来る方なんだと思う。どこでも優しい扱いを受ける事が多かった)と思い「来月になったらバイト探すぞ」と言いながら早数ヶ月、、が経ったある日、ひょんなキッカケでとある喫茶店のバイトを紹介されたのでした。
その喫茶店はご夫婦でやっていて、しかもその店のマスターは歌手で俺も昔何度か共演していて、分かりやすくゲスな書き方をすると「負けた!」と何度も思わされた素晴らしい人だったので、社会復帰するならこのバイトしか無い!と覚悟を決め、お願いする事にしたのでした。

働き出して、早1ヶ月、思っていた通りの素敵なバイト先で、本当に楽しく労働させて頂いてます。(チャボ?キヨシロー?のどっちかが昔「週4超えたら仕事になっちゃうからね、バイトは週4までだ!」みたいな事言ってたから、教えに背かず週4です)
ただ、週4でバイトしてみて分かったが、時間が一気に無くなりますね。
まあ、しょうがない。
10thアルバムの制作資金が無いんだもん。
稼ぐしか無いよ。がんばります。

というわけで、今後レテパNEWSやレテパツイッターへ文章を書く回数が露骨に減ると思います。
が、そのかわりアルバムを出すペースは落とさないつもりです。
まあ、歌が全てだから大丈夫。
レテパシーに触れたい時はアルバムを聞いて下さいな。
そして、今言いたい事は「11/25のレコ発はぜひ目撃を!」のみなので、ちょうど良い。
もう来月ですよ。
11/25!新宿Marbleで会いましょう。

PS.レテパツイッターでお知らせしていますが、レコ発ライブのチラシを手に入れて当日会場に持参すると「RADIO LETEPA缶バッジ」が貰えます。
チラシ、都内を中心に色んなお店に置かせて頂いています。
本当にありがとうございます。

PS.前作8thアルバム「エンデンジャードスピーシーズ」(これは「絶滅危惧種」という意味です)のレコ発ライブは、大阪でも開催しました。
とても楽しかったし「9thの時もまた来ます!」みたいに言った気もします。
が、悲しいけど行けません。ごめんなさい。
そちらから来てくれたら嬉しいです。(もちろん他の遠方の方々も)
絶対に素晴らしいライブにするので。

PS.「最近発見したカッコいい人々紹介コーナー」
※唐突に思われるかもですが、素敵な人を発見した時は勿体ぶらずに大騒ぎしよう!という方針で生きています。
ので、たまに大騒ぎします。

「THEドイ」(「犬丸二」も)
知ってから毎日聞いています。
ライブもカッコ良かった。大好き。
繊細で不安定な人がキラキラ(時にはイライラ。それも良い。)しているのを見ると、感動する。
喜怒哀楽全部に平等に付き合ってる感じがする。それはとても大変な事。偉いよ。すごい。
そして、いつか平気な顔をして喜怒哀楽の向こう側ですらクルクル回りながら歌ってしまうのでしょう。
そういう状態の事をディーバっていうのかもね。本当は。

「のりもの」
俺は昔からこの3人のファンだった。
ので、この3人が新しいバンドをやっていると知ってすぐに見に行った。
案の定すごかったし、その頃モヤモヤと思っていた事を一瞬で解決してくれた。
俺達は正しい。
※「その頃モヤモヤと思っていた事」

「初めて、パンク、ロック、ブルース、とかの伝説を聞いた10代の時とかに、自分の暮らす平凡な世界と比べて遠い出来事のように感じてたんじゃないの?お前。でも今お前はようやくちゃんと辛くて暗い世界で虐げられてるじゃん。サイテーの暮らし。なのになんで、そんな自分と無関係な歌しか歌わないんだろう?せっかくようやく絶望の先の(明るさでも暗さでもそれはどっちでも良い。同じ事だから。)歌を歌える状態になったのに!せっかくここまで来たのに!変だよ!もったいないよ!」と、何人かの昔カッコよかった友人達の現在の歌を聞いてモヤモヤしていました。
どうしても嘘の茶番に見えてしまい、モヤモヤ分からなくなっていた。
なぜだ?と。
明るくても暗くてもどっちでも良いからさ、輝いてよ、と思ってました。
パンクもロックもブルースも、ジャンルやスタイルじゃなくて、ただの現象じゃん。状態じゃん。
お前はそんな事絶対に知っているはずなのに。なぜだ?分からん!何がどうなったらこうなる?と。(その後思った結論を書くと「歌う事をやめる」という選択肢が欠如してしまうとそうなってしまうのかな?と思いました)
が「のりもの」は俺と同じ世界を見てて、俺と同じ土の上に、俺とは違う芽を出して、3輪の可憐な花を咲かせていた。(最近発見、では無いが、先月久し振りに見た「メシアと人人」にも同じ事を思った。ドキドキしながらボーカルの人に熱い思いを伝えたら「うちら今日はあんまり良くなかったでえ」なんて関西弁丸出しで仰っていましたが。俺はとても感動したよ)

近年はサブスクで色々聞いて、グッときたら必ずライブを見に行くようにしています。
その際はなるべくドラマチックにしたいので、歌とジャケ写以外の情報は極力未知の状態で当日を迎えます。
ドキドキ!キャー!出たー!わー!こんな顔かよ!素敵!ってな感じで、メンバーが登場するだけで、ドラマチックに鳥肌まで立ってしまうのです。
でも、時給1100円の労働を始めると、貧乏臭い金銭感覚も復活するみたいで、ライブハウスのチケット代って高いなあ、と最近改めて思います。
誤解無いように書くと、3000円+ドリンクで3600円も払うんだから、出演バンド全部とはいかないまでも、せめて半分は素敵にしてくれよ、と思う。(せめて2組でも素敵なら全然安いと思う)
いくら、ドラマチック状態とはいえ、お目当てのバンドが30分の演奏で、他の3組がボロボロじゃあ、なかなか悲しくもなる。
その点、先月見に行ったPASSiON RECORDSのイベントは素敵なバンドがたくさん出ていて嬉しかった。
でも、なんか自分が不安定だったのか、疎外感的な気分がその後何日も続いた。
そんな落ち込みモードのある日、ふと思い出したんだけど「ロックンロールじゃ踊れない」ってこんな気分の時に出来た歌だったなあ、と思った。
「あはは。もう歌ってんじゃん、やるな2010年の俺。サンキュー。」と思ったら救われた。
自分は昔から本当に落ち込んだ時はレテパシーズのアルバムを聞きます。(レテパすら疑いたくなるくらいに落ち込んだ時、レテパを続けるか確認する為かもしれません)
この前は7thアルバム「クレイなジー」を久し振りに聞きました。
とても良くて元気が出た。全然大丈夫じゃん!問題無し!と思えました。

他にも書きたかった最近カッコよかった人々もいるけれど、もう時間切れ。
長くなるのでまた今度。丁寧に書きたいしね。
俺は時間に追われる労働者。(今「週4のくせに!」と思ったあなた!いいね。鋭い。)
売れないバンドマンはつらいぜ。
さあ、勝負はいよいよここから。バイトマン、バンドマン。
楽しく颯爽と山登り。がんばろう。

11月25日は「RADIO LETEPA」レコ発ライブです。
チケットはこちらからお願いします。

1999年。17才。
北国の高校2年生。
5月の最後の日にはハイロウズのバームクーヘンのツアーを札幌ファクトリーホールに見に行った。
周りの人々は進路を決めていたが、自分は何になりたいのか、まだ全く分からなかった。
ハイロウズを見ても、不思議なもので、自分もやりたい、とは1ミリも思わなかった。
ただ、人間じゃない人間もこの世にはいるんだな。カッコイイな。
と、体がちぎれるほど興奮した。

ある日、新篠津村のガールフレンドと地元岩見沢の本屋で待ち合わせをしていたが、待てど暮らせど現れなかった。
ケータイは普及し始めていたが、自分は嫌いで持っていなかった。
田舎の本屋には読みたい本も置いておらず、ただひたすらにボーッと待っていたが、しびれを切らしテキトーに一冊の雑誌を手に取った。
阿部薫特集のBURSTだった。
その日からアルトサックスを吹いてみたいような気がした。

阿部薫のCDは、地元にはもちろん、札幌のタワレコにも売っていなかった。
確か、廃盤になっていて取り寄せも出来なかった。
なので代わりに阿部薫の事を色々な人が書いている本を見つけて読んだ。
その中に友部正人さんの名前もあった。
友部さんの歌はまだ知らなかったが、素敵な文章だと思った。(浅川マキさんの文章もよかった。翌年には札幌でライブも見れた。本当にすごかった。)
友部さんの文章を読んだ後「あれ?この名前見た事あるな。誰だっけ?」と考えたら思い出した。
大好きだったマーシーの「夏のぬけがら」の「地球の一番はげた場所」の人だった。

ようやく手に入れた阿部薫のCDは、想像していたとおり、優しくてキレイな音だった。
音を聞く前に、色んな人の書いた、破滅的に神格化された文章を読んでから聞いた事になるのだが、どれも的外れで、やっぱり俺の睨んだ通り友部さんという人の文章に近い音だった。
その頃CDウォークマンからは阿部薫、チャーリーパーカー、エリックドルフィー、、とサックスの音ばかりが鳴り響いていた。
雪深い北海道の田舎町。
学校にもほとんど行かなくなった進路未定の17才。
死者達のラッパの音はどこまでも続く氷点下の中で唯一の熱だった。
その頃、生きている人間が全員嫌いだったからかも知れない。
遠い死者の音色が何よりも近くて熱かった。
その熱だけを頼りに生きていた時期だった。

自分でもアルトサックスを吹き出した。
とにかく朝も昼も夜も吹き続けた。
目的は無かった。
ただ吹いていないと呼吸が出来ないような感覚だった。
そんなある日、母がCDを買って帰って来た。
栗山町の小林酒造で行われた西岡恭蔵さんの追悼ライブの帰りだった。
そのCDは友部正人の「読みかけの本」だった。
早速ウォークマンで聞いてみた。
自分が今まで聞いてきた歌とは全く違う歌だった。
11曲目の「小さな町で」という歌が流れて来た時、救われたような、未来を提示されたような、希望に満ちた気分になった。
アルバムを全部聞き終わった後、その歌を何回も何回も繰り返して聞いた。
「その時君はまだ18歳 ぼくらは制限速度を置き去りにした」という歌詞が、死ではなく生の方角にアクセルを踏んでいるような気持ちにさせた。
かつて自分のような感覚を持って生きていた人が、今も50才になって生きている。
そんな風に思って救われたのだろう。

その後、修学旅行で東京へ。
東京のCD屋には色んなCDが売っていた。
廃盤になっていたアルバムもたくさん手に入った。
渋谷のタワレコで母へのお土産も何か買ってやろうと思い、友部正人のCDを探してみた。
「CD選書ベストセレクション」というシリーズもののやつが、沢山入っているのに1500円と安価だったのでそれにした。
そして帰りの飛行機。
相変わらずジャズのラッパを爆音で聞いていたが、ふと母へのお土産も聞いてみる事に。
再生ボタンを押す。1曲目は「反復」。
ハーモニカ、ギター、咳払い、そして歌が始まった。
この瞬間、喉に刺さっていたサキソフォンは抜けていた。
俺は歌を歌う事に決めた。

あれから23年。
高度1万メートルで始まった「歌を歌おう」という気分は今も変わらず続いています。

ちょっとドラマチックに書き過ぎたかな?
要するに2023年11月25日「RADIO LETEPA」レコ発ライブは必見ですよ、というお知らせでした。
ご来場ぜひお待ちしております。

PS.その後、初めてライブを見に行ったのはこれ。
札幌時計台。高校3年生の冬でした。
会場の都合?(借りられる時間が決まっていたのでは?)なのか、雪の降る中、外で物販を買った記憶がある。
札幌でCDを買うと帰りの高速バス(札幌-岩見沢)の中で初めて聞く事になる。
岩見沢三井グリーンランドの観覧車が見える頃に大抵のアルバムは終わりを告げる。
友部さんの「ジュークボックスに住む詩人」に載っていた、たま、どんと、チャボ、シオン、シバ、三宅伸治、遠藤ミチロウ、ポーグス、トムウェイツ、ランディーニューマン、、
札幌のCD屋で買っての帰り道、初めて聞くのはいつもこの高速バスの中でした。
書いててとても懐かしい。あのバスの中の冬の感じ。

PS.「読みかけの本」は母のやつをそのまま貰ってきたので、今見たらチケットと新聞の切り抜きが入っていた。

PS.今回の文章の頃の事(アルトサックスが喉に刺さっていた頃の事)をよく表している歌に「雪解け」という歌があります。
8thアルバム「エンデンジャードスピーシーズ」収録曲。
良かったら文章と合わせて聞いてみて下さいね。

「雪解け」

3月の通学路はみずうみで
歩きやすい道を選んでく

サキソフォンをのどに刺してたから
息をしたら音になっただけさ

残雪は黒く汚れてたが
解けた水は春は美しいな

革命は白いミズバショウ
ふるえてる 僕の目の中で

サキソフォンをのどに刺してたから
息をしたら歌になっただけで

僕の心 黒く汚れてたが
解けた水は春は美しいな

「冬の寒い道を歩き丘の上の学校に行く時
僕の息が白く白く舞い上がるのが嫌だったので
僕はアルトサックスを買ってそれをのどの奥に刺した
それから僕の吐く息は全ておかしな音に変わった」

8thアルバム「エンデンジャードスピーシーズ」収録収録
(2021年作詞作曲)

「RADIO LETEPA」リリースから2週間が経ちましたね。
今日は「RADIO LETEPAが出来るまで」という題で、アルバム完成までの道のりを振り返ってみようと思います。

「RADIO LETEPAが出来るまで」

アルバム制作をどこからと捉えるか。
それは各メンバー違うと思う。
自分が振り返る場合は作曲からになりますね。
歌が無けりゃあ、始まらないです。

全曲振り返るのは長すぎるので、アルバム2曲目の「無色の歌」を例にとってみます。
2021年の夏。カブで東京から北へ。
埼玉で白バイに捕まる。
罪状は「サンダルでの走行」
東京では捕まらないが、埼玉ではダメらしい。
で、仕方なく犯行現場の近所のホームセンターで一番安い履き物を買ってパチリ。500円。

おまわりの予告通りに懐かしい雨が降って罰金6000円がチャラになる直前の空。

これは違う旅の時ですが、同じ服着てるからバレないかな、と思って流れで載せようと思ったら、一つだけ違うところがありました。
間違い探しみたいで面白いので載せときます。分かるかな?

そして旅から帰って忘れた頃に歌は勝手にやって来ます。
今見たら、懐かしい雨が振ったあの日は2021年8月20日。
歌が出来たのは2022年1月28日。(アルバムリリースは2023年8月2日)

歌は「多重録音DubDub」というやつに録音して、メンバーに渡します。
すごくアナログなので、自分の性に合っています。
出来る作業が「録る」「重ねて録る」「リバーブをかける」「LRに振る」のみで、音を重ねる時も箇所箇所では出来ずに、いちいちその部分まで静かに待っていないといけない。好みです。
高校生の頃、テープに吹き込んでいたのと同じ感覚。
制約があるのは良い事だと思う。
魔法を使うためには。

過去の写真を振り返っていたら、この写真が去年の明日(2022年8月17日)でした。

その1週間後。
8thアルバムのCDが出来たよー!とメンバーに渡した日の写真。
一番右の顔を隠しているのは先代のキーボードのハダユキコ。
この時はもう脱退していたのに、スタジオにいるのには訳があります。

この頃ユキコはキーボードの菊竹南に色々引き継ぐ為、スタジオにやって来てくれていた。
彼女達は元々仲が良いので、ユキコ→南への引き継ぎはとてもスムーズにいったと思います。

少し戻るがこれは2022年の4月。
菊竹南加入の時の記念写真。

それから約半年でこの写真か。
そう思うと南ちゃん、すごいなあ。たくましい。
ちゃんとレテパシーズになれました。
この写真は2022年11月18日下北沢シェルターでのワンマンライブ後の楽屋。

半年で、このセットリスト+この日やらなかった9thアルバムの歌5曲、をレテパシー放出しながら弾けるようになるのは、結構大変だったんじゃない?えらい!

1.ライブハウス
2.実家のハイロウズのリストバンド
3.年末年始音楽番組感想
4.島崎智子へ
5.161倉庫
6.エンデンジャードスピーシーズ
7.雪解け
8.さよならさよならB.B.B
9.たこ公園
10.7月12日、13日
11.君しかいない
12.17
13.ロックンロールじゃ踊れない
14.イカレた人
15.無色の歌
16.ヒーローと
17.数学と国語
18.ホワイトアルバム
19.青春
20.クレイなジー
21.ハローグッバイファックユー
22.海へ行こうよ
23.水平線
24.札幌ナンバーの最後
25.大丈夫このまま
26.僕ら

さあ、バンドも好調。
あとは録音するだけだ!
と思ったら、金が無い。
無いというよりも、今までのツケがたまり借金しかない、、。

そこで悩んだ挙げ句、クラウドファンディングをする事に。
物販を売るとか、ただの金集めには抵抗があったので「メンバーに聞かす為に多重録音DubDubで録音してたデモテープをリターン限定で販売しよう!それならば10thや11thの新曲も聞いてもらえて嬉しいから一石二鳥だ!」という感じの内容になりました。
その名も「HIROSHI DEMO」
7th〜10thアルバム用のデモ40曲と、その時出来たばかりの11th用の2曲が収録されていました。

一応おもしろ高額商品も用意するか、と思い用意した「母のお下がりの赤いジャンバー(PVやライブでよく着てるやつ)」を30万円で販売しましたが、これは売れず、、。

ですが、無事9thアルバム用の資金が集まったのでした!
本当にありがとうございました!

すぐに録音!
7th,8thを録った吉祥寺GOKが閉店してしまったので、今作は違うスタジオ。
西荻のリンキーの地下の部屋です。
カニユウヤからこの部屋を勧められた時に「チッツのひっしーさんもよく利用してます。あと幽霊も出ます。」と言われ、なんか良いじゃん!と思い即決した。
大正解だったと思います。

録音の合間の喫煙者チーム。
全然違うタイプの2人ですが共通点が1つだけある。
それは「10代の頃からレテパシーズを好きだった」です。
それで十分なんです。

さあ、バッチリ録れたからジャケット写真を撮らなくちゃ!
という事で、さっそくイメージ絵を描きました。

MV「ヒーローと」撮影の合間に絵の通り撮影してみた。
が、絵の方がジャケには合っている気がしたので、絵がジャケになってしまった。
そして写真はアー写になったのでした。

そして毎回この写真を撮ると「9thも終わったなー!」という気持ちになります。
これにておしまい。

というわけで、今日は「RADIO LETEPAが出来るまで」でした。
色々懐かしい写真を振り返っていたら、去年の今日(2022年8月16日)がこれでした。
この黒い猫はもういない。
そして、、

今書きながら、後ろを振り向くとこんな光景です。

歌が出来てからバンドでアルバムにするまでには1〜2年くらいかかってしまいます。
例えば、もし今日歌が出来たとしてもアルバムに入るのは12thアルバムです。(毎作同じ10曲入りにしたい。数字が違うと気持ちが悪い。のと、出来た歌は全部アルバムに入れたい。ので。)
今出来た歌を聞いて貰えるのはまだまだ先になっちゃうけれど、自分さえしっかりしていれば歌は腐らないので、気長に待ってやって下さいね。
今見てる星の光は何年前の光、、とかいうけれど、それとちょっと似てるのかな?
要するに、しっかり光っていれば問題無い、という事ですね。
なんだか素敵な歌がどんどん出来そうな予感がします。

というわけで「RADIO LETEPA」よかったら聞いてみてね。
これを評判にして10thアルバム録音の資金にしたいので、好きだった人は大騒ぎしてやって下さいな。
9th,10th,11th,12th、、、、!
あせらずびびらず落ち着いて大行進するのみ!
がんばります。

PS.今度の金曜の夜、告知あります。
お楽しみに!

PS.ほたるたちの穂高亜希子がソロライブに誘ってくれました!
9/17(日)下北沢leteにて。
嬉しいので、この件は今度またゆっくり書きますね。
店狭いみたいです。ご予約お早めに!