レテパシーロックフェスティバル(3/18今度の土曜!)の宣伝に何か出来ないかな?と考えました。
で、歌手なんだから歌うのが一番だな、と思い、共演者のカバーをする事にしました。
ほたるたち「いのち」です。
こちらで全編聞けます
録り終わったら一人遠い所に立っていて、ちょっとやり過ぎたかな?と不安な気がしたからカニユウヤに電話して聞いてもらったら褒めてくれた。
のでちょっと不安だが載せてみます。
気に入らない人は、セカンドアルバムに入ってるので、買って本物を聞いてみてね。(とても素晴らしいアルバムです)
明日か、明後日はYDOの歌も録ってみようと思います。
どれにしようかなー。
カバー楽しい!(なんかすごい疲れたけど)
まずは報告!
大変お待たせしました。
クラウドファンディングのリターン、先日郵送させて頂きました。
2〜3日で終わるだろう、なんてタカを括っていたら全然終わらず。
結局気付いたら10日も経ってました。
知らない住所を見ると性格的に一回一回妄想癖が止まらないので、あんな町かなあ、こんな街かなあ、どんな人かなあ、なんて考えながら手紙を書いていたら、23年選手の慢性腱鞘炎が大復活したりして「ああ、17才の頃からの腱鞘炎よ。あの頃から今でも続いているのはお前と歌う事くらいだよ」なんて手首に話しかける始末でした。
疲れたけれど、とても思い出深い時間になりました。
単純に嬉しかったしね。
不備無いように丁寧にやったつもりですが、もし何かあれば遠慮無く。(ご存知だと思いますが、天パなうえに髭も生えています。万が一変な毛が混入していても、髪か髭ですのでご心配無く。前も友達に料理作ったら「げ!あ、、違うか、、髪か髭だな、、びっくりしたー!よかったー!」と髪が混入していたのに、よかったー!と言われるラッキーボーイなので)
お礼や状況報告は手紙葉書に直接書いたので長くは書きませんが「HIROSHI DEMO」や葉書は買えなかったがレテパ好き、という人もたくさんいると思うので少しだけ書きます。
あらためましてありがとうございました。
おかげさまで9thアルバム制作も無事に始まっております。
前にこのレテパNEWSで「9thリリースは5月末予定」と書きました。
が、考えが変わりました。
ただリリースするだけならば、すぐにでも出せるのですが「9thアルバムの売り上げで10thアルバムを作る」という目標を達成するには、ちゃんと9th収録曲のPVとかも作って宣伝しなきゃな、無名の自主制作バンドなんだから、どんなに名盤でもただ出すだけじゃ広まらないんだもんな(いずれ無名の自主制作バンドでも「ただ出すだけ」で広まる世の中にするのが自分の使命な気がしてます)と思い直し、ちゃんと作戦立ててみたら6月末目標に変わりました。
で、10thアルバム「夏のアルバム」は夏リリースは無理だけど、絶対に年内に出したいな!が目標です。
おかげさまでたくさん資金があるので、9th録音+PV制作作戦でいこうと思います。
先日、録音、ミックスは終わりました。
後はマスタリングを残すのみ。
ではここからは9thレコーディング思い出写真館になります。
ヒリヒリと緊迫した殺伐レコーディングの様子をご覧下さい。
おはよーございまーす!
撮影はレテパスタッフソノダさん。
徒歩10分のご近所です。
8thアルバムのトレイラー(レテパツイッターに載ってるはず)もこんな風に家から出発してましたね。
性格的に極端なので、厚着する時はとことん厚着です。
除雪出来るレベルの厚着ですね。
北国の男だから仕方ない。
いつも春になって薄着になると「痩せました?大丈夫?」と言われます。
猫は太陽を求め、日々安住のスペースが変わります。
この時はバイクの上ですが、今は屋根の上で寝ています。
友達とかが「バイト先、嫌なやつがいてストレスなんだよね、、」とか言う時は「猫を見習って、日々最高の場所を探したまえ。ここは東京だよ?東京の良いところはバイト先が無限にあるところなんだから、ムカつく奴がいたら瞬殺で無断でやめるべし」と伝えます。
高円寺駅で電車を待つ。
自分で選んだのではなく、色々と導かれて住む事になった街だが、今年で10年目。
あと2年で人生で一番長く住んだ街になる。(現在1位は月形町の12年)
♫高円寺から阿佐ヶ谷へ♫阿佐ヶ谷から荻窪へ♫荻窪から西荻へ♫西荻から吉祥寺♫
(僕のレテパシーズ/天国から来た男※作詞/山下由)
名曲なうえに名演なので聞いてみてね。
7thアルバム「クレイなジー」収録曲です。
誰が言ったか忘れたが「この歌は1回しか演奏したくない。テイクワン以外は考えられない」なんて言い出したもんだから、やたらと緊迫感が増し、名演奏になった。
懐かしの吉祥寺GOK1発録り。
今回は西荻で録音です。
駅前の様子。
この場所は1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」収録曲の「17」のPVに出てきたね。
あの頃はスタジオが西荻だった。
このシーンですね。
寺中さんは元気だろうか。
最後はケンカ別れだったが、今振り返ると俺も悪かった気がするな。
まあ、みんな真剣でした。
はたから見たら滑稽だったかも知れないが。
道すがら、ハジメちゃんと遭遇。
ハジメちゃんは最近故郷に引っ越した。
鵠沼海岸の湘南ボーイなんです。
通うのは大変そうだが、海のおかげか、ドラムは引っ越してからますます良くなってる気がします。
7th、8thアルバムと一緒にやってきて明らかな事が一つある。
それは録音、ミックス、マスタリング、は全てカニユウヤに仕切らせるのが一番良い、という事。
明らかに俺より才能がある。
今回はこの場所を選んでくれた。
天井がめちゃくちゃ高い不思議な作りの部屋でした。
ね、天井高いでしょ?
これがミソみたいです。
手前のカラフルな首巻きは、9thアルバム2曲目の「無色の歌」の歌詞
♫おまわりの予告通りに懐かしい雨は降ってきて♫
の時に緊急避難の雨宿りをした道の駅で買いました。
地方の道の駅でよく見る、値札に製作者の名前が書いてある系のやつです。
セッティングをする馬場友美。
彼女がいなければ今のレテパはありません。
セッティングは2時間くらいかかります。
そういえばハジメちゃんいつの間にかタバコ吸わなくなったな。
俺は慢性気管支炎〜の声帯ポリープ治療の時にタバコはやめました。
小倉クリーム塩パンを買ったら、中が空洞で大騒ぎ。
騙された!と思ったら、塩パンというのはこういうものらしい。
菊竹南が教えてくれた。(この人とてもおもしろいんですよ)
まだセッティング中で和気藹々。
カニユウヤが書いてくれた初日の工程表。
「HIROSHI DEMO」の収録曲見たら分かるから、書いちゃうが、9thアルバムはこんな感じです。
1.四面道信号待ち
2.無色の歌
2.ヒーローと
4.イカレた人
5.最後のGB戦士
6.数学と国語
7.ホワイトアルバム
8.激めん
9.カニハウス
10.さんちゃんへ
ちなみに「HIROSHI DEMO」はこんな感じ。
※これは中ジャケですが、こう見ると、たくさん歌が出来たなあ、健康になったなあ、と思います。
※2020年〜2023年に出来た歌。ちなみに不健康だった2013年〜2019年までは7年間で10曲しか出来なかった。
さあ、そろそろ始まるぞ。
ヘッドホンがずれないように赤い紐を巻いています。
この赤い紐が何か分かりますか?
答え→横浜赤レンガあたりを歩いていると嫌でも目にする「カップヌードルミュージアムで自作のカップヌードルを作った人がカップヌードルを首からかける時に使う紐」です。
先日ひょんな事から行く事になったが、この紐が無料で置いてあったので「レコーディング時にみんなにあげたら喜ぶだろう!」と思い人数分失敬した。
が、ハジメちゃん以外からは断られた。
ハジメちゃんは気に入ったらしく「今度ライブでも巻いてみようかな」と言ってました。
3/18にもし巻いてたら温かく見守ってやって下さいね。
もちろん俺も付けてます。
写真撮ってくれてるのがスタッフソノダさん。
うちの実家に一緒に泊まった時に、父がパジャマに貸してくれたパーカーを気に入り、そのまま貰って愛用しています。
胸に「fantasista」と書いてます。
その旅の時に見た夕日。
この人もいなかったら今のレテパはありません。
さあ、録るぞ!
※キッズの為に今作の録音方法を書いておきます。
7th,8thは全部いっせーのせ!の一発録音でした。(アナログテープ)
今作は、ドラム、ベース、ピアノを同時に録り、その後で、ギター、歌、を録りました。
が、レテパはクリックNG(曲中で速度が変わるので)だから、いつもの速度感を出す為に、録ってはいないがギターも歌もいつも通り演奏しながらドラムベースピアノを録っています。
写真はそのセッティング状態。
鏡に映ったハジメちゃんの真剣な眼差しと赤い紐がプリティーです。
さあ、録るぞ!
の直前にヤハタトシキがとった行動は、、
「両方の靴の紐を固く結び直し天を仰ぐ」
でした。
これは動画の方が伝わるかな(お気付きかもですが、この写真は全部動画のスクショです)
このシーン、小学校の運動会のリレーの選手みたいで、ヤックンの人柄が出てる名シーンだから、この動画を見せる為にも9thのトレイラー作ろうかなあ、、
緊張感伝わったでしょうか。
メンバーみんな性格は違うけれど「自分達はすごくいいものを作ってるんだから、ちゃんとしなきゃな」というスタンスは同じです。
そして「すごくいいもの」の「すごくいい」のレベル。
「ちゃんとしなきゃな」の「ちゃんと」のレベル。
も全く同じ感覚を持てています。
これはなかなか共有出来ないものです。
同じ覚悟、という感じ。(全然明るく軽やかにですけどね。暗い覚悟では無いです。颯爽としたやつ。俺達は明るい!)
録音本番は撮影NGなので(気が散るから)ありませんが、このヤハタトシキの写真を見れば、どんな録音だったか分かるでしょう。
分からない鈍感な人のためにダメ押しでもう一枚。
帰る時のヤハタです。
もうお分かりでしょうが、大名盤です。
やったぜ。お楽しみに。
PS.カニ、俺、の録音シーンは撮影してなかったのですが、一瞬だけボーカル録りのセッティングのシーンがあったので、今日はそれでおしまい。
PS.右下に「激めん」がありますね。
9thアルバムの8曲目は「激めん」という歌です。
北海道(東北も?)限定の昔からあるカップ麺です。
ロマンチックなメンバーが「激めんに激めんを啜る音を入れてはどうか?」と言って持って来たが、録り忘れて、後日普通に食いました。
「激めん」の名前の由来は「激しく生きてほしい」というメッセージなんだそうです。
そんな事知らずに子供の頃から食べてましたが、去年テレビでやっててそれを知り、こんな歌が出来たのでした。
うん。激しく生きてるよ。
あとはレテパにまかせとけ。
昨日テレビのチャンネルをポチポチと変えていたら、ちょうどMステで、ブルーハーツのトレイントレインの映像を流していました。
懐かしの◯◯特集みたいなやつだと思うけれど、こういう懐かし特集みたいなやつで、ブルーハーツが流れるといつも「今、人生が変わった人が何人いるんだろう!運命のアンテナがビビビビビ!って感じで」と思いニヤニヤしてしまいます。
ネットとかで自分で検索して出会うのとは、ビビビビビ!の感度が違う気がします。
自分はネットやスマホは「速度」と「量」が不向きでほとんど見ません。(ツイッターの140文字の文章も、それを書く為だけのアカウントで140文字にまとめて、それをレテパツイッター部に送って投稿してもらっています)
家ではテレビと本ばかり。(図書館まで徒歩3分!駅近物件より、図書館近物件の方が家賃高くて良いと思う)
最近はテレビの話をしても友人達は興味が無く「うちテレビ無いんだよね。つーかひろしはテレビめっちゃ見るんだね、、」と意外そうな顔をされます。(昨日の金曜ロードショー見た?と言ったら「見た見た。やっぱり金曜ロードショーで見るのは一味違うよねえ。魅惑の深海パーティーが云々、、とツーカーで話せる友人にツナオジェットボーイというのがいます。彼の素晴らしいアルバム「ファースト!!」がいつの間にかひっそりとサブスクで配信されていました。みんな聞いてみたら良い。そしてセカンドの「未完成」も素晴らしいアルバムなので配信される日を待ちましょう)
※あと、彼が新バンド「ヴィンセンツ」を組んだらしいです。2/26にデビューライブとの事。俺はレテパのスタジオがどうしてもその日しか入れないので行けないが、皆さん伝説の始まりを目撃してみましょう。
シンガーソングライターの脳みそとしては、テレビ視聴は最適だと思う。
40%くらいは画面を見ているが、残りの60%は画面から派生する自分の世界を旅してます。
そういう意味では、ラジオも読書もネットも、それ自体に集中してしまうので、その最中に歌は出来ないが、テレビ程度の遊びのある脳への刺激は、シンガーソングライター脳にはちょうど良い気がします。テレビ見てる最中には歌がよく出来ます。
ツナオさんと出会ったのは2005年くらい?かな。
俺は毎年自分の手帳に「自主企画に出てほしいかっこいいバンドリスト!」というのを書いています。
毎年増えたり、減ったりしていきますが、2005年からずっと彼の名前は燦然と輝いております。
そして、去年の2022年の手帳に新たに書き加えられた(エラソーに聞こえますかね?すげー謙虚な気でいます。芸術に対してだけは)かっこいいバンドに、、
「ほたるたち」
「ヤスエでんじゃらすおじさんバンド」
がいます。
その2組にオファーしてレテパシーズ企画をやる事にしました。
出てくれる、と決まった時の自分の喜びようを思い出すと「ああ、これが自分の全てなんだな」と再認識させられます。
大好きなバンドに大好きです。とドキドキしながら伝えて、出演を快諾してもらえる。
これは何よりも嬉しいんです。
ヤスエさんも穂高亜希子も、かなり昔からの知り合い。
だが、去年のライブを見ての感動は本当にすごかった。
この3組が順番にライブをしていくと、一体どんなことになるのでしょう。
答えを目撃しに来て下さいね。
お待ちしております!
PS.最近ライブハウスによく行くけれど、ただの発表会みたいなイベントが多い気がする。
なんか自分はおせっかい気質なので、オープンから終演退場の瞬間まで、全時間に自分の手垢を付けたくなってしまう。
良くも悪くも(まあ俺は良いと思ってますが)レテパ企画はこってりしてますので、ライブハウスの雰囲気は嫌いだなあ、というあなたもレテパシーズが好きならば信じてご来場してみてね。(レテパ企画はそこらへんの宗教なんかよりもよっぽど老若男女森羅万象全生物ウェルカムなんですよ)
PS.イベントタイトル「レテパシーロックフェスティバル」にしちゃいました。
「ロックなんて一番自分から遠い言葉だなあ」と思って生きてきましたが、なんか最近さすがにロックという言葉が可哀想な気がしてきたので使っちゃいました。
上から目線でごめん。ロック。
PS.世界中に溢れる「ロック」「ロックンロール」という文字の95%は俺の人生に水を差すような白々しさを与えたが、思いっきり「ロックンロール」の世界の人なのにずっと好きだった人に鮎川誠さんがいました。
先日亡くなってしまったと聞いて、大切な思い出を思い出しました。
以下、大切な思い出
↓
2000年9月3日
自分は北海道岩見沢緑陵高校の進路未定の3年生でした。
進路未定と言っても色々あると思いますが、、
「とにかく世界中で一番キレイな音を出したい」と病的に思い込み、ひたすら一人でアルトサックスを吹き続けた高校2年生が、3年生の時に友部正人の「反復」(「ベストセレクション」というアルバム。歌手になったきっかけは?と問われたらこのアルバムになります)を聞き衝撃を受けてフォークシンガーになろうとした。(その前のハイロウズやブルーハーツ体験では衝撃は受けたが、自分でやろうとは全く思わなかった)
早速東京に旅立ち、ぴあ(ライブハウス情報が載っていた)を片手に「ライブ出演オーディションライブ!参加費1000円」みたいなやつに片っ端から出たが、全部門前払いされた。(あの時の冷たい対応。一生店名忘れません)
「これだ!歌だ!」と「反復」により希望に満ち溢れたのに、全部門前払い。(ちゃんと友川かずきや遠藤ミチロウとかがスケジュールに載っている、自分を分かってくれそうな店に行ったのに)
2000年9月3日は、まさに絶望状態「真の進路未定」の時期でした。(この1ヶ月後の10月1日に札幌東区161倉庫に救われる事になります)
自分は岩見沢にある実家に住んでいましたが、2才〜13才まで住んでいた隣町の我が故郷月形町でこの日「メロンジャム」という野外ライブフェスがあったのでした。
※メロンが特産品だからメロンジャム
※北喜常というライブレストランのオーナーが主宰していた
※北喜常には高田渡とかもライブをしに来ていて、親が見に行っていた。(泥酔した父はなんと渡さんのツアー車に乗せられて帰って来た事がある)
毎年、地元のアマチュア(月形刑務所の刑務官がメンバーのバンド「Jailhouse」が歌う「Jailhouse Rock」なんかが名物?だった気がする)とか、大都市札幌からちょっと偉そうなセミプロみたいなバンドが来ていました。
が、この年は「東京からすごいバンドがやってくる」というので、久しぶりに大好きな月形の空気も吸いたかったし、行ってみる事にしたのでした。
※実家の壁に今も貼ってあるポスター(長津さんの名前もありますね!)
その後の事は、先日レテパツイッターに載せてもらったこの140文字が全てかな。
以下引用
↓
地元の小さなお祭りにすごいバンドがやって来るという。
半信半疑で会場に着くと謎の生物が全力で何かをやっていた。
何をしてるのかは分からなかったけど「全力」なのと「自分の味方」なのはハッキリと分かった。
味方がいるなら頼もしいぞ、と進路未定の17才は自分も歌う事にしたのでした。(古宮大志)
※140文字(ツイッターは140文字が最大)では書ききれなかったのですが、本当は「歌う事にしたのでした」よりも「歌う事をやめない事にしたのでした」と書きたいところでした。
調べてみたら、その頃のシーナ&ロケッツのスタッフの方?のホームページがありまして、セットリストを載せてくれていました。
これ見て思い出したが、ラストは確かに「Johnny B. Goode」でした。
英語苦手なので歌詞の意味は分からなかったが「なんとでもなるからゴーだよ。大志。ゴーゴー!」と言われた気がして、とっても元気になったのを思い出しました。
思い出したらまた元気になりました。
そしてスタッフの方のページに載っていた、この写真の赤マル。
多分、俺ですね。
ずっと続いていくのです。
シーナ&ロケッツ、あの日はありがとうございました。
引き続きゴー!します。
PS.2/7で断酒4年になりました!
詳しくは専門的に長くなるので書きませんが、
レテパシーズが自分の全て→そしてそれは飲酒すると終わってしまう
というシンプルで最強の方程式が、この4年間の断酒を成功させてくれました。
メンバーだけでなく、レテパシーズを必要としている人達がいないと、この方程式は最強にはなりません。
おかげさま、だと勝手に思っております。
勝手にありがとう!
これまた引き続きゴー!ですね。
僕のレテパシーズのクラウドファンディング。
おかげさまで無事終了しました。
本当にありがとうございました!
色々書き出すと止まらないので、長くなる前にちゃんとした報告や約束を。
●目的
「僕のレテパシーズの9th,10thアルバムの制作」
※1枚約30万円かかる
※10thは全曲夏の歌だから2023年の夏に出したい
●目標金額と結果
※目標金額→アルバム2枚分の制作費60万円
※結果→398000円(60人の方が購入してくれました!)
なので、、
●9thアルバムについて
大名盤を作ります!思う存分。今に見てろよー!
2023年5月中のリリースを目標にします。
●10thアルバムについて
2023年夏リリースを目指していました。
が、これは多分無理だと思います。
が、夏が終わってしまっても、金ができたらすぐに作り出します。
歌は腐らないので!(バンドは腐るけどね。が、レテパは根がフォーク、ブルースタイプなので腐りにくいからご安心を!)
まあ、9thアルバムを大名盤の大評判の代表作にして、その売上で作ればいいんだ!と明るく夢見て大行進しようと思っています。
まずは最高の9thだ。
それだけを考える事にします。
●売れたリターンについて
※「ハガキ」
→2月中に発送
※「HIROSHI DEMO」
→3月中に発送
※「僕ら」歌詞草稿+「HIROSHI DEMO」2点セット
→3月中に発送
となっています。
が、多分2月中に全部発送出来るんじゃないかな、と思っています。
発送準備出来たらお知らせしますね。
(「HIROSHI DEMO」購入の方にはダウンロードURL(ギガファイル便)もメールにて送らせて頂きます。メールのタイミングは発送と同タイミングになります)
●その他補足
※「HIROSHI DEMO」購入の際に「備考欄が必須」となっていました。
俺のミスです。(公開後に訂正出来ない箇所だったので直せずにすみません、、)
特に何も備考する事は無いので、普通に到着をお待ち頂ければと思います。
※クラウドファンディング中に出来た歌「SAIL AWAY」も「HIROSHI DEMO」に急遽収録する事にしました。
ので計43曲になります。
「さよならの合図」と「SAIL AWAY」は11thアルバムに収録予定です。
※お金の事なので本当は、、
スタジオにいくら、ミックスにいくら、マスタリングにいくら、、と領収書を提示したい所なのですが、、
「普段はバリバリの高額で大手レコード会社の有名ミュージシャンと仕事をしているタイプの人達が、レテパ支持による粋な計らいによって、かなり安くしてくれている」パターンも多いです。
なので明細をお見せする事が出来ません。
粋な人達に迷惑をかけてしまう事になるので、、
ここは信じてもらうしかないです。
一応398000円の用途を書いておきますね。
※9th制作費
(練習スタジオ代、録音スタジオ代、録音エンジニア代、ミックスエンジニア代、マスタリングエンジニア代、配信リリース手数料、CD本体制作費)
※クラウドファンディング利用手数料
それが余ったら、、
※9th収録曲のPV制作
※9thレコ発ライブ地方遠征費
※10th制作費
という感じになると思います。
※余った場合は状況により、どれに使うか判断しようと思います
ちなみに、9th制作の為の練習スタジオはもうだいぶ進んでいます。
その費用は2ndアルバム収録曲「ロックンロール」の冒頭の歌詞の感じで捻出して、自転車操業してたので、この分のスタジオ代返済にも充てさせて頂きます。
一応明記しますが、、
クラウドファンディングのページに詳細を書いた通り、9thアルバム制作関連、10thアルバム制作関連以外の用途では1円たりとも使わない事をここに誓います。
※クラファンページはこちら
※色々分かりづらい部分もあるかと思います。
何か不明点や質問等あれば遠慮なく、
letepathys@gmail.com
までご連絡頂けたら、と思います。
以上、報告と約束でした!
(クラウドファンディングの期間、通販の注文やサブスクでの再生数もいつもより多かったです。こちらも嬉しかったです。この場を借りてありがとう!あとライブ目撃派のあなたもいつもありがとう!)
PS.お金の事なので色々堅苦しく書きました。
ここからは、通常通り書きますね。
クラウドファンディングをするか、かなり悩みました。
7thアルバムの時も8thアルバムの時もその話は出ました。
が、毎回最終的には俺が反対してしまい、実施されませんでした。
それは「とにかく最初は反抗する」という自分の良くない気質も多いに関係していたとは思いますが、それ以上に「レテパシーズとそれを好きな人との間に余計な物を持ち込みたくない」という気持ちが強かったと思います。
が、今のレテパシーズの
「録るべき歌があり、バンドも最高の演奏が出来る状態にある」
という状況で「金が貯まるまでは録音は出来ない」となると、何かがたくさん失われる気がしました。
録るべき歌があり、バンドの演奏も最高、ならば、何を悩む事があるんだろう。
どんな手を使ってでも録音スタートするべきだと思いました。
そして、レテパシーズとそれを聞く人との世界に、なるべく邪魔にならない方法を考えまくった結果、今回の「HIROSHI DEMO」聞きたい人はどーぞ!
というやり方に行き着きました。
どうだったでしょうか?
買ってくれた人も、買えなかった人も、買わなかった人も、このクラウドファンディングによって、レテパシーズとの世界に不和は生まれなかったでしょうか?
俺は全く生まれませんでした。(恐ろしいほどにゼロ!やったぜ!)
今はただ「9thアルバム作れるんだ!やったー!」という喜びに満ちています。
あと、勇気も湧いたな。
なんだかんだ大口叩いてても、不安になる瞬間が多い性格だと思います。
が、今は最高傑作の9thアルバム(そしてイカレた10thアルバムもいつか必ず)完成への道が明るく照らされている気分です。
この光の中を大行進していけるなんて!もう喜びでしかないね。
本当にありがとうございました。
クラウドファンディングやって良かった。
あなたの気分も今、俺と同じような明るい気分でありますように。
きっとそうだと信じています。
あとはレテパシーズの力を信じて下さいね。
最高傑作の9thアルバムの力で10thも必ず作ってみせるので。
とにかく嬉しい!ずんずん進む!
あとはすげーの作るのみ。
愛してるよ。ありがとう!
2023年1月25日
僕のレテパシーズ
古宮大志
(すげー寒い部屋で希望に満ちながら)
PS.今「新車の除雪機買いました」というメールと共に写真が送られてきました。
昨日からの大雪で、テレビに岩見沢(実家がある)がよく映ります。
クラウドファンディングで購入者の住所を見ていたら、北国、海辺、山間、南国、本当に全国津々浦々で嬉しかった。
「こんなところにもレテパヘッズがいるのか!」と思うと嬉しくて小躍りしちゃいます。
いつかあなたの街(町)にも歌いに行きたいです。がんばる!
除雪車、ヤマハだな。
レテパベースヤハタトシキのベースもヤマハだな。
「HIROSHI DEMO」でも大活躍の足踏みオルガンもヤマハです。
ヤマハ色々サンキュー!がんばるよー!
まずはお礼。
レテパクラファンありがとうございます!(ちゃんとしたお礼は発送時に書かせて頂きます。今はご無沙汰お許しを)
残りあと3日です。(1/23の23時59分までとの事)
※クラファンページはこちら!
過去8作品を超える最高傑作の9thアルバムを5月に出し、大喝采を受けるが、9thの栄光はわずか3ヶ月。
8月に10thアルバムでその最高を余裕で更新します。
なので、HIROSHI DEMOを聞いて(レテパツイッターにちょくちょく試聴を載せてもらっています)気に入った人はこの機会にぜひ!
※くどいようですが、俺も貧乏だからこれをやるわけなので、貧乏人の気持ちは分かります。5000円も1000円も無い時は本当にあります。HIROSHI DEMOサイコー!だけど、金無いや、、な人も作品を聞けない事への後悔はあっても、クラファンに協力出来ない事は気にしないで下さいね。ハガキの人も嬉しいですよ。ありがとう!なんか書きます!
続いては、先日公開したライブ映像について。
2022年11月17日に下北沢SHELTERにて開催した8thのレコ発ワンマン。
長くなるのでいつもの「PS.」で下の方に書きますが、まともな音源が無くてお蔵入りかと諦めかけたが、奇跡的にカッコよく復活を遂げまして、無事公開する事が出来ました。
音源も手に入り、あとは公開するだけだ!と思ってたら、歌が出来てしまいました。
「SAIL AWAY」という歌です。(以前同名の文章をこのページで書きました。よかったらどーぞ!→SAIL AWAY)
「SAIL AWAY」
出航しよう SAIL AWAY
涙はふかず そのままキラキラと
世の中にエフェクトをかけて行こう
光る世界へ
出航しよう SAIL AWAY
君を通して見る この世界地図
滲んだら 虹色のかけらだな
光る世界へ
出航しようよ 帆を立て SAIL AWAY
出航しようよ 帆を立て
何もなくなったって 君が壊れても
僕ら 水たまりのように どこか光ってる
離ればなれになって 全部忘れても
僕ら あの光のように ずっと出会ってる
君はついに 死んでしまったんだ
僕の知らなかった 光を残して
出航しよう SAIL AWAY
僕が恐れていた この明るさや
輝きを 半ば強制的に
僕の涙で
出航しよう SAIL AWAY
かしこい君は全部分かっていて
乾くことのない この水透し
光る世界を
出航しようよ 帆を立て SAIL AWAY
出航しようよ 帆を立て
何もなくなったって 日々が壊れても
僕ら 水たまりのように いつも光ってる
離ればなれになって 全部忘れても
僕ら あの光のように きっと出会ってる
君はついに 死んでしまったんだ
僕の知らなかった 世界を渡して
僕の知らなかった 世界を教えてくれた
(2023年1月7日作曲)
どうしても入れたくなっちゃったので、ライブ映像のエンドロールでも流してもらいました。
90分の映画だと思って、時間ある時に見てみてね。
冒頭の部分、ランディーニューマンの「SAIL AWAY」が登場SEで流れてるんだが、著作権の関係で使えないので、無音にしてます。
ただ無音なのも変だな、と思い、少し説明文入れちゃいました。
こういう文章を入れても、レテパシーズはお涙頂戴な誇張やウソシリアスにはならないバンドだと信じているので、誤解を恐れずに素直に書きました。
まあ、良かったらどーぞ!(今見るとやはり少し悲しげな顔にも見えるが、全然この日は出航気分でした!多分泣きすぎて目が腫れてるだけ?一重瞼だから目が腫れると死活問題です、、腫れてる日はマッキーや桑田真澄に似てきます)
※この「SAIL AWAY」HIROSHI DEMOにも急遽入れる事に決めました。これで計43曲です。(「SAIL AWAY」は11thアルバムに収録予定)
※あ、あとギターキッズの為に書いておくと、、
この歌のギターのチューニング、カニユウヤ先生に教えてもらった「1弦と6弦がDの変則チューニング」になってます。
なんかカッコいいでしょ。最近ギターも好きです。
今日元気だからもう一つ書くと、、
「性の目覚めはいつですか?」と聞かれたら「小学4年くらい。お〜い!竜馬の5巻です。」と答える事にしています。(竜馬と身分違いの上士の娘、加代さんとのラブシーン)
この「お〜い!竜馬」という漫画の竜馬が小学校時代のヒーローでした。(剣道やってたが竹刀にバレないように小さく「和泉守兼定」と書いていた。いずみのかみかねさだ、竜馬の愛刀)
音楽とは関係無いのですが、この小学校時代の竜馬体験や「大志」という名前のせいで(読み方はふるみやひろし。たまに間違えてる人いるが気にしないでね。産まれてからずっとコミヤタイシと読まれ続けてきたので、、)「思いつく限りの1番大きな事をやりたいなー!」という性分みたいです。
なので、前回の2025年!にも野望作戦をたくさん具体的に書いたが、レテパシーズが有名になる、というのは、他のバンドが有名になる、というのとは少し違う気がしています。
車寅次郎的なお節介な性分なので、レテパを中心に大きな流れとなって、世の中はもっと素敵にイカレだす。
ライブハウス、音楽、ってこんなもんじゃないと思うんです。
変えたい!(もう歌ってたんだから2000年代にやれ!って話なんですけどね。あるいは2010年代に、、。すみませんグデングデンのゴロンゴロンでした、、「猫より寝てるなあ」とよく言われてた。俺は勝手に「失われた20年」と呼んでいます)
去年は音楽を聞く気分も完全復活して、色んな知らないバンドを見に行きました。
数組のカッコ良かったあのバンド達のおかげで、音楽ってやっぱりすごいんだな、と去年初めて本気で信じれた気がしています。
去年まではまだ「俺は音楽やってんじゃねーんだよ!」みたいな気持ちが強かった。
今は「ああこれが音楽か。やるな!音楽!」と思ってます。
まあ、レテパシーズに清き一票を!ってな感じのレテパクラファンもあと3日!
明日も明後日もレテパツイッターで「HIROSHI DEMO」収録曲を流して貰う予定です。
お楽しみに!
PS.昨日はソロライブでした。
なんかエレキギターで歌ってみたい気もしたので、フォークギター、エレキギター両方持って行きました。(17才の時からソロはずっとガットギターだったので、両方初めて)
エレキ弾いてると、なんかスイッチ入っちゃって、ついつい曲が長くなるみたいで、30分で5曲しか歌えなかった、、(レテパなら10〜12曲はいける)
最後に歌った「夏のアルバム」という歌(最後のつもりじゃなかったんだけどね。時計忘れたから、あと何分ですか?って聞いたら持ち時間過ぎてた、、恐るべしエレキギターの魅力魔力)が評判良かったので、歌詞掲載しときます。
※先日これもレテパツイに試聴で載せてもらってるはず。
※10thアルバムの最後の歌です。
「夏のアルバム」
いつかさ 僕もさ 夏のぬけがらの
ようなさ 夏のアルバムを作りたい
17の頃から 何回目の夏
僕にも 僕らという歌詞が増えた
川の光の色 変わらず
川の名前だけ変わってく
須部都川 幾春別川
豊平 多摩川 善福寺
未来はきっとさ 夏を思い出す
時のさ ひび割れた明るさに似てる
だからさ 僕らに 懐かしい夏が
あればさ ありきたりな言い方だが…
うまくいくよ
うまくいくよ きっと
ラララ…
(2022.5.21作曲)
PS.シェルター音源について
俺のミスで音源がライン音源(空気を通していないペタペタしたつまらない音源)しか無くて、絶望したのですが、馬場友美(レテパ全作品に関わっている大事な人)に相談したらナイスアイデアをくれた。
「ライン音源をスタジオで爆音で流そう。それをマイクで録ればライブ音源になる!はず!」という事で、彼女とスタジオで90分、無言で(録音してるから喋れない。映像は無い。音だけ)爆音の中、過ごした。
ライブが終わると馬場ちゃんは「すげえ、いいライブじゃん」と言ってくれた。
嬉しかった。なんか、とっても不思議で感慨深い時間でした。
この人とは基本録音時にしか会わないが、とても大切な人です。
皆さんも、もしこの人に会う事があったら、レテパヘッズとして丁重にお礼言って下さいね。
PS.シェルター映像。YouTubeに載せる時にタイトル迷った。
「LIVE AT SHELTER」は2016年のライブDVD(廃盤)で使ったタイトルなので。
紛らわしいし、どーしよーかなー、と思い、、
【出航編】LIVE AT SHERTER/僕のレテパシーズ
と付けちゃいました。
なんか気に入ってます。
ちなみに、今のレテパのアー写は、この日のライブ後の楽屋なんですよ。
明るくて良い写真。
さあ出航だ!
がんばりまーす!
2023年、始まりましたね。
今年もよろしくお願いします。
今年、自分は本厄との事ですが、色々あったせいで実年齢はあまり関係なくなっている気がするので、全く気にせずレッツゴーです。(フォーエバーヤング!とかそういう事じゃないよ。ちゃんとキレイに枯れていきたい)
実際に体の数値を測ったりしても、年々パワーアップしています。(2018年までが酷過ぎただけかもですが)
気力体力も今まで生きてきて一番元気な気がします。
普通高校生の頃とかすげえ元気なのでしょうが、詩人気取りだった俺はアウトローをはき違えて、フランスパンと水道水と蒸留酒と日本酒以外は摂取しない、という謎の行動に出ていたので、栄養不足のガリガリであまり元気もありませんでした。(身長も本来もう少し伸びた気がする。父がやたらとデカイので)
高校が終わってからは自活を始めて色々なアルバイトをしてきました。
仕出し屋、コンビニ数社、ダスキン、警備員、スープカレー屋(ピカンティ!)auのコールセンター、鬼太郎茶屋、動物病院、リサイクルボーイ、たこ焼き屋、ウーバーイーツ。
この中でも割と長く続いたバイト達が、年末年始は大忙しで人様に奉仕する側だったので、この時期に働いている人に接客されると、なんだかチップの一つでも渡したくなります。
※参考資料「ウーバーイーツ中にお客の前でしゃがんだらお客の家の猫がバッグに乗ってしまいパチリと撮られた写真」
が、チップを渡してる場合じゃありません。
とうとうクラウドファンディングが始まりました。
いくら無名の自主制作インディーバンドとは言っても、自分にもう少し、せめて常人くらいの商売っ気があれば、アルバム1作分の制作費くらいは残っていたかもしれません。
が、そういうのが出来ないからこそ、こんなバンドでいれるんだと思っています。
今更あがいても遠回りな気がしますし、ミイラ取りがミイラになったやつをたくさん見てきたし、一長一短の一長を「素晴らしいアルバム、素晴らしいライブ」一短を「世渡り下手、商売下手」と認め、そのかわり一長の部分は完璧にやるぞ!という風に決めちゃいました。(音楽業界が「世」じゃなければ良かったのですが。恐らくそんじょそこらのサラリーマンの出世街道の世界よりも圧倒的に俗っぽい「世」なのでした)
以前から、バンド友達にレテパの台所事情を話すと「全然変な事じゃないよ。レテパみたいなバンドこそクラウドファンディングするべきだよ」と言われ続けてきました。
が俺は昔から、金を貸したり借りたり貰ったりすると、昔気質のせいなのか、どうしても不和が生まれる気がしてしまいます。
俺は、レテパシーズの歌を自分のものと思っていません。
自分の歌詞やメロディーは、魔法使いで例えると、魔法を使うための呪文の言葉(ちちんぷいぷい、とかそういうやつね)に過ぎないと思っています。(昔はそうは思っていなかった。第一言語だと思っていた。が、今はもっと大きな事がバンドでやれているから、こういう感覚になれたんだと思う)
いつからか無意識に自然と、ライブ中に「愛してるよ」と言うようになっていました。
レテパシーというのは俺の造語ですが、人間の言葉で一番近いのは「愛」だと思います。
呪文を唱えて起きる魔法がレテパシー。
それを愛というからには、この感覚は、レテパを聞いている一人一人のものだと思っています。
なので、その一人一人の純粋な状況の中に、金による不和は持ち込みたく無い、と一生懸命考えました。
そして、クラウドファンディングの形を取った「HIROSHI DEMO」販売、という結論に至りました。
長くなるので、デモテープの内容や歌詞草稿の事は、また今度おもしろおかしく書いてみようと思いますが「HIROSHI DEMO」聞きたい人は買ってね!歌詞草稿は絶対に何倍もの価値になるから博打的に楽しんでね!みたいに俺は思えています。
このやり方なら皆さんと歌との間に不和は生まれないと信じております。
これから音楽をやろうと思っているキッズ達が絶望すると嫌なので、以下は野望説明。(カモンカモン。結局最終的にはメチャクチャ楽しいよ。サイコー)
俺はサブスク配信主流の今の時代が大好きです。
1940年〜2023年の中で「どの時代でも選べるから思う存分歌って生きてごらん」と神様に言われたとしても、今の時代を選ぶでしょう。
どこかに属すのが苦手なので、自分は結局自主制作のインディーでしょう。どの時代でも。(それをカッコイイとか思っていない。子供の頃から苦手なだけ。属しても純度が下がらないタイプの人もいると思う。自分に合ったやり方を探すべき。(まあそれを見つけるのが難しいんですが)なので焦らずゆっくりと(これも一番難しいんだけどね)俺は去年ようやく見つけた気がしています)
今の時代はどこにも属せない人でも、配信により直接歌を聞いてもらえます。(レテパ結成の頃はレコード会社、CD屋さん、ライブハウス関係者、その他諸々有象無象、との関係が良好じゃないと何も始まらなかった。そして「この人とは良好関係を築きたくないなあ、、」と思わせるタイプの人物は多かった)
ここには不純なものはなく、属せないアウトロー(くどいようだがカッコイイとは思っていない。アウトローとは結果の事。生き方やファッションでは無い。ただの結果)でもやっていける。(もう高校生の頃のようにアウトローを履き違えたりはしていない!朝からモリモリ食べてます)
「やっとレテパ向きの乱世がやってきたな」と希望に満ち溢れているんです。
こんなレテパでも大手レコード会社と色々話し合っていた時期はあります。
が、未来の意味をはき違えている低脳な会議内容に、結局俺が我慢出来ず、会社の会議室の大型冷蔵庫の中に入っていた「お歳暮」と書かれたエビスビールのギフトセットを、会議中に全部隠れ飲んだのがバレてブチ切れられて破談になった。(あんな世界ではレテパの良さは10%も出ないでしょう。彼らの感覚からすれば10%くらいがちょうど良い濃さだったんでしょうが。歴史ある超ビンテージの最高級ウイスキーでクソみたいな飲みやすいハイボールを作ろうとしやがった)
なんだかんだ言っても形はクラウドファンディングだし、せっかくだからお金の話も一つ。
「才能がなかったんだろ」という歌の「今月の配信売り上げは0.776円」の時よりはマシになっています。
今月の配信売り上げは9017円でした。(大体1再生0.5円〜1円)
レテパは自主制作なので、この金額ですが、これがどこかに属していると一桁低くなったりします。
すなわち901円ですね。(属す相手の規模によりますが)
その分、宣伝をしてくれる訳ですから、薄利多売な聞かれ方で大きく広がり、レテパの10倍聞かれれば9017円(一桁低いので)ですし、100倍聞かれていれば90170円です。
レテパは今の10倍聞かれていれば90170円になります。
1ヶ月にこの額になれば、こんな大騒ぎをしなくても普通にアルバム制作は出来ると思います。
今の規模感からの10倍は全然不可能ではないし、まだまだ伸び代しかないし、レテパはサブスクの管理画面で見ても、全年齢聞いてくれているから、ここから伸びる事はあっても、落ちる事は決して無いと信じております。
もう、無謀なホラをこくのはやめました。
レテパシーズは2023年と2024年をマイペースに行進して行くと思います。
少しづつ確実に前へ。
この2023年〜2024年の未踏の独自のルートの行進により、2025年にはドカーン!(俗っぽい言い方ですみません)なはずです。
自主レーベルを立ち上げたり(俺向いてると思う。カッコイイ他人見つけたり、紹介するの大好きだし。レテパを売る為のレーベルじゃなく「イカレた人」な他人を売るやつね)レテパシー野外フェスティバルを開催して素晴らしい朝を迎えたり、夢としてじゃなく現実的に考えると、きっと2025年だな、と思っています。
メンバーにも「2025年!2025年をもっと意識しようよ。焦るんじゃないよ!」と最近は口癖のように言っています。
新年早々、長くなっちゃったかな?
まあ、このクラウドファンディングに悲壮感は一切無いので、ワクワクしながら見守ってやって下さいね。
では、2023年もがんばろー!
PS.このページ作るのなかなか大変だった、、
ひやかしウェルカム。見るだけでも。
(レテパシークラウドファンディング)
PS.業務連絡→購入する際に書く事が無くても「備考欄への入力が必要です」と出てしまうらしいです。
備考欄設定を「必須」にしてしまったからだと思います。
ややこしくて、ごめんなさい。
特に無し、と書いて貰えれば大丈夫です。
PS.早速買ってくれたあなた!ありがとうございます。
俺はボガンボスのアルバムでは感動しなかったが、どんとの「ゴマの世界」には大感動したクチです。
実はブルーハーツのアルバムよりもマーシーの「夏のぬけがら」をたくさん聞いていたタイプです。
そんな感じで、バンドでは出せないものを「HIROSHI DEMO」では出せているかもしれません。(でも多分、レテパはそこは余裕で凌駕してる気がしますが)
そういうの好きな人はぜひぜひ!(ハガキだけの人も嬉しい!なんか書きますね!がんばりまーす!)
PS.40年前の正月。昨日は同じ所に行きました。(小田急柿生の祖母の家。本祖母義祖母入れて、俺のラストばあさん。じいさん達はとっくに全滅。男は弱い)
取り急ぎ、こんな感じでスタートです。(詳細はこちら)
後日またこのレテパNEWSでも詳しく書かせて頂きます。
がんばります。
PS.↓の添付動画「さよならの合図」に歌詞も入れてみました。
(黒猫帆立の最後の動画となりました。歌は義祖母が亡くなって出来た歌。俺が歌ってる事なんて知らなかったが、妙に気が合ったので、よく長時間一緒に過ごしてました)
★クラウドファンディングします★
理由
↓
9th,10thアルバムを作りたい
収録曲は揃いアレンジも好調
が、制作費が無い
なので先にデモを限定販売します
「HIROSHI DEMO」計42曲
(その他限定商品もあります)足踏みオルガンやギターで
こんな感じの42曲です
↓ pic.twitter.com/DGFKEl2ICF— 僕のレテパシーズ (@letepathys) December 29, 2022
「レテパも色んな歌が増えてきたから、ここらでいっちょプレイリストでも作りましょう!」との事で、ここ数日ずっと考えていました。
※プレイリスト→SpotifyやApple Music等の音楽配信サイトにて、自分の選曲で作る昔でいうところのオリジナルカセットテープ。
自分で聞くだけじゃなく他人に聞かせる事が可能。
ここでいうプレイリストは、他人の曲は入れずにレテパシーズオンリーの選曲集の意。
↑プレイリストの説明をしてみたが、レテパシーズを聞いてる人の年齢層(配信サイト管理画面で見れる)を見てみると、嬉しい事に10代〜60代以上まで見事に均等なので、世代によっては「プレイリスト」が分からないかも?と思い書いてみました。(厳密には少子高齢化のグラフと見事に重なるから少し年配が多い。が、それは単に人口比率の問題で、より一層「年齢が関係ない歌」の証明になるから嬉しい!)
レテパプレイリストを考えるにあたって、まずはアルバム収録曲を作曲順に並べて見る事にしました。
昔誰かが誰かを褒める時に書いていた文章で「彼がいかに世界に対して純粋な芸術家であるかは、彼の作品が引っ越しや生活環境の変化によって変わっているのを見ても分かる」みたいな事を書いていました。
こうやって並べて見てみると、自分もちゃんと世界と純粋に付き合えてそうだな、と安心しました。
世界は関係無しに、ただただ、、
絵を見て絵を描く、歌を聞いて歌を作る、漫画を読んで漫画を描く、落語を聞いて落語を話す、映画を見て映画を作る、ダンスを見てダンスを踊る、等々、、
をやっている人達は、恐らく自分の生活環境の変化では作品に大きな変化は生まれないでしょう。(逆に見た絵、聞いた歌、、によっては大いに変化するんだろうが)
この年代カタログにちょっと補足を書くと、、
●2020年以降(7thアルバム以降)は、出来た歌は全て収録して10曲毎にアルバムになっています。
これからもそうするつもりです。
●2000年〜2019年はレテパのアルバムに収録された60曲(1st〜6thアルバム)のみ掲載。
アルバムに入っていない歌もたくさんあります。
1st〜6thの60曲は作曲年は関係無く収録されています。
メンバーの変化や新曲の追加等により、多少の変化は生じたが、1stの収録曲を考えた2015年の段階で、6thアルバムまでの収録曲の構想はほとんど出来ていたと思います。(せっかち&近未来の予定を立てるのが1番好きなので)
●「僕のレテパシーズのテーマ」
あれ?なぜここに?という場所に入っています。
これは実は当時(2002年〜2003年)1年間だけバンドをやっていた時期がありまして、そのバンドのテーマ曲だった歌なんです。(とは言っても多分ライブでは演奏していないと思う)
テーマ曲と言っても、自分としては他の歌と変わらずにただの歌の感覚だったので、バンド名の部分を僕のレテパシーズに変えて4thアルバムに収録された、というわけなのでした。
(いつか解散ライブをする際は、この歌をラストにやると思うのでよろしく)
●「夕立が降ってる」
こう見ると、歌手人生がこの歌から始まっている、と思われてしまうかもしれないので補足。
この前にも、、
「僕の頭が火事になったら」
「よかった僕は恋をしていて」
「僕ははだしで」
「イチゴさんへ」
「またね」
等々、、
今では数少ないと思いますが、俺の歌を2000年代から聞いてくれている人からすると、懐かしいナンバーがたくさんあります。
「夕立が降ってる」は自分の中では一つの節目の歌という感じです。
歌詞にもありますが「本当はこんな歌ずっと歌いたかった」「なのになんて明るいんだろう」と「夕立が降ってる」以前の、死にたくて死にたくてしょうがなかった時期から「死ぬにしても、自分を殺せるのは自分だけなんだから、好きで選んで死のう。ざまあみろ。バーカ。」と前向き(その先に何があるにせよ)に生きれるようになった頃の思い出深い節目の歌です。
●ターニングポイントな歌
「夕立が降ってる」のように思い出深いターニングポイントな歌は他にもあります。
さっき書いたように、引っ越しとか新たな恋とか、触れている世界が変わると、歌も変化していた気がします。
ちょっと思い付くままに書いてみましょう。
「札幌ナンバーの最後」
高校が終わり、札幌に引っ越して、バイトとライブのフリーター人生スタート。
そんな中、同世代のバンドマンの友人がたくさん出現して、いわゆる青春っぽい生活が始まり、自分もバンドを組んでみた。
この歌から「雪包丁」あたりまでは、バンドサウンドが頭に鳴りながら歌が出来ていた時期です。
※札幌コーポ幌北時代(2001〜2004)
「北」
札幌に飽きてきたので上京。といっても調布から多摩川を挟んだ「稲田堤」に住みました。
なので上京と言っても川崎市多摩区になりますね。
引っ越してから1〜2年くらいは酷いホームシック(札幌ではなく空知地方への)にかかり、この「北」なんかもそんな気分の中、出来た歌です。
「北」〜「サマー」までは稲田堤ユアサハイム時代ですが、終盤は新しい恋の影響で「見知らぬ青年との会話」なんて最先端のラブソングなんかも出来たりして、この辺りから風向きが変わっていると思います。
レテパシーズの結成もあったしね。
レテパシーズの最初の歌は何か?と聞かれたら「見知らぬ青年との会話」という事になります。
※稲田堤ユアサハイム時代(2005〜2011)
「ハローグッバイファックユー」
新しい恋に伴う引っ越しにより、狂乱の高円寺時代が始まりました。
明らかに出来る歌に変化が生まれた気がします。
が、急激な変化に耐えられず、このあたりから酒量がみるみる増えてしまい、2015年からは完全なる連続飲酒状態が始まりました。
この高円寺大竹マンション時代は生活の荒廃により、断トツで作曲数が少ないです。
特に荒れていた2015年〜2019年の5年間はなんと7曲しか出来ていません。
※高円寺大竹マンション時代(2012〜2019)
「才能がなかったんだろ」
アルコール依存症の治療も順調に進み、現在の家に。
6thアルバムの完成を機に全て終わるんだろうなあ、と思っていたが、それまでCDのみの販売だった1st,2ndアルバムをサブスク配信してみた所、歌詞の通りの悲惨な有様だったので、ムカついていたら出来た歌。
この歌を機にまた歌が出来る生物に戻り、2020年〜本日までに43曲出来ました。
※今の家時代(2020〜)
断言できるのは、上京後最初に住んだ場所が稲田堤じゃなかったら、1st〜6thの内容はだいぶ違ったものになっていたという事。
平和な稲田堤のせいで、20代(23才〜29才)をのんびりと使い過ぎたきらいはありますが、今振り返ると、これで良かった気がしています。(これを当時の自分が読んだら「のんびりしてねーよ!」とブチ切れるでしょうが。まあドンキホーテ的な真剣さでしたね)
ようやく本題です。
こういう感じで昔を振り返っていたら、なかなか考えがまとまりませんでした。(プレイリストの話です)
作曲順プレイリスト?
実家編、コーポ幌北編、ユアサハイム編、大竹マンション編、と物件名プレイリスト?
ラブソング集?
夏の歌?雪の降る歌?
と、色々考えたのですが、、
「北国に住んでた時に出来た歌&東京から北国を思い出して出来た歌プレイリスト」にしよう、と決めました。
タイトルも考え「North Country Blues」か「North Country Songs」で迷いましたが、ブルースにしました。(作ってから気付いたが、ボブディランの歌で同名の歌があるんですね。が、ノースのカントリーのブルースについては、やつよりも俺の方が本場だと思うので許してねボブ)
※補足
→公開した時から少し変えたくなりまして、本日数曲順番変えちゃいました、、
(最初は季節や場所や人を重視して並べてみたんだが、曲調や演奏の熱量による違和感を補正した感じです)
僕のレテパシーズ
「North Country Blues」
説明文
→僕のレテパシーズ古宮大志の北国リメンバー集。
月形(2才〜13才)岩見沢(14才〜18才)札幌(18才〜22才)
在住時に作曲した歌や、遠い東京から思い出して生まれた歌達。
1.空知
2.たこ公園
3.いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま
4.夕立が降ってる
5.月形
6.夏のしっぽ
7.廃墟
8.深海
9.17
10.実家のハイロウズのリストバンド
11.雪解け
12.雪包丁
13.札幌ナンバーの最後
14.MOON PALACE
15.161倉庫
16.地下室の外は
17.東区が恋しくて
18.愛は風景
19.7月12日、13日
20.北
21.東京の空で
22.炭住の赤い屋根に
※Spotifyはこちら
※Apple Musicはこちら
(ヤハタトシキが作ってくれました。サンキュー!)
※歌詞
→見ながら聞けるように全部並べてみました!えらい!こちらからどーぞ。
その他の配信サイトユーザーの人や、CD派の人達は自作で並べて聞いてみて下さいね。
(21曲目「東京の空で」22曲目「炭住の赤い屋根に」がいかに感動的になるかを考えて1〜20まで並べた感じです。また気が変わったら並び替えるかも、、。が、この21,22の並びは変えないと思います)
1時間くらいなので短い映画だと思って、めくりめくノースカントリーの世界へレッツゴー。
PS.炭住というのは炭鉱住宅の略。
空知地方はかつて炭鉱で栄えた地域で、所謂アフターザゴールドラッシュな雰囲気です。
今はだいぶ壊されたけど、俺が住んでいた頃には、閉山になった炭鉱町に炭鉱住宅だけが残されていて、激安家賃の町営アパートなノリで使われていました。
PS. 「North Country Blues」のジャケ写
フジカラー85とあるので、1985年ですね。
月形町。雪が少し汚いから残雪の春先?
もしかしてまだスパイクタイヤの時代かも?
※今のスタッドレスタイヤの前はスパイクタイヤだったから、春先に雪が解けコンクリの路面が見えてくると、スパイクが削れて粉塵になってしまい、春先の雪は黒く汚れていた。
PS.前回書いた死んだ猫ホタテについて
読んだ人が心配して連絡くれたりしたので、追記。
最近俺は誕生日だったので、心配した家族が、ホタテの写真をプリントしたブランケットを作ってくれました。
ので、強制的に次の段階に進まされた感じです、、
サンキュー!がんばる!
PS.これも誕生日にもらったポストカード
なんか俺のやってる事に似ているとの事。
他人からはこう見えてるのか、、
レテパの花は今8本。来年は10本までいきたいです。
何かの時に書いたが使わなかった地図。
今回の「North Country Blues」にピッタリな気がするのでどーぞ!
8thアルバム「エンデンジャードスピーシーズ」レコ発、東京編ワンマンもおかげさまで無事に終わる事が出来ました。
何にも属していない無名のインディーバンド(しかもレテパにはその他の障害もたくさんあるよ)がアルバムを出し続けるというのは、なかなか綱渡りな瞬間もあるんです。
だからここは「無事」に終わった!と大声でバンザイしたい。
バンザーイ!バンザーイ!
というわけで、レテパシーズの綱渡りの大冒険は続きます。
次は9thアルバムへの旅です。
綱渡りな気分の時、レテパシーズを好きな人がいる、ライブや次のアルバムを待っている人がいる、というのは本当に心強いものです。
死者、生者、過去現在未来、すべてのレテパシーを感じながら、まだまだ行進していきますね。
いつもありがとう。がんばります。
PS.ワンマンのセットリスト
我ながら様々な歌が入った素敵なセットリストだったと思います。
今までのレテパシーズだと、その様々な歌をその歌が一番望むような形で演奏出来ていない時も多かったと思います。
が、今回のライブではそれが出来ていたと思う。
たこ公園、7月12日、13日、君しかいない、17、の流れとか、前までなら前半の勢いそのままに、ただただ自分達の道具として歌を利用してしまっていた気がします。(まあ、それはそれで良かった時期もあるんだろうけどさ。今は感覚が変わってしまったからしょうがない)
今回のライブは、ソロ、バンド、含め、今までで一番ちゃんと歌を歌えた気がしています。
PS.ライブ後の楽屋写真
さあ、ここからがんばるぞ!という意味も込めて、当分はこの写真をアー写にしてみますね。
PS.最後になりますが、、
前回のレテパNEWS「大阪思い出アルバム」は、こんな感じで終わっていました。
↓
というわけで、いきなりですが、帰宅。
次は11/17レコ発東京編!ワンマン!
目撃してね。あーあ楽しかったなー。
これは大阪ライブの翌日の朝、11/13の帰宅直後の写真なのですが、この猫(5月、ゴガツ)はあまり抱っこが好きじゃないので、本当は黒い猫(ほたて)を抱こうとしました。
が、見当たらず、仕方なく嫌がる5月とパチリ。
留守番の家族に聞くと、ほたては11/11の深夜、俺が車で出発した後、長い時間拗ねて、いつもと違う変なところでうずくまっていたらしいが、そのまま明け方、俺を捜しに出て行ってしまったとの事でした。
最近はレテパNEWSでもほたての動向を書いていましたが、ぐるぐる徘徊はしまくるが、ジャンプは出来なくなっていたので、きっとそう遠くへは行っていないと思い、13日はずっと近所を捜しました。
が、見つからず、14日の月曜日の朝に動物愛護センター、警察、清掃事務所に電話してみたら、清掃事務所のおじさんが「さっき新高円寺の交番から連絡があって、死んだ猫が一匹いると言うから、これから回収しに行くところだよ。」と言うので「うちの猫な気がするからちょっと待って下さい。交番に行ってみます。」と伝え、交番へ。
優しいお巡りさんが話すところによると、12日の早朝、環七(うちから歩いて1分)でペシャンコになっていたので、飼い主がいたら困ると思って、ぐちゃぐちゃの中、首輪を探してくれたとの事。(首輪はしてなかった)
回収したのが土曜日の早朝で、清掃事務所は土日休みだから、なんとか飼い主が来てくれないかな、と思って月曜の朝を迎えたが、仕方ないので清掃事務所に連絡したところだった、との事。
猫の入った袋を開ける前から、もうほたてな気がしていたが、袋を開けたらやはりほたてでした。
「うちの猫です。預かってもらって本当にありがとうございました。」と伝えると、お巡りさんは「よかった。お迎えが来て。本当によかった。」と、人通りの多い駅前の交番の前の道で、今思うと歩行者から見たら「ぐしゃぐしゃな猫」&「よかった!よかった!」は、なかなか異様な光景だっただろうが、最後にお巡りさんの善意に包まれながら、帰りました。
見事にペシャンコだったので、顔も分からなかったが、持ち上げたら重さがほたてでした。
ほたてと出会ったのは、2009年。
(レテパシーズ結成の前年)
京王線の終電で眠ってしまい、若葉台で降ろされて、金も無いから2時間歩いて稲田堤のアパートに辿り着き、部屋に入ろうと思ったら軒下から、ニャオンニャオンと子猫の声が。
出ておいでー、と1時間くらい呼び続けたら、やっと顔を出した黒猫の赤ちゃん。
あれから13年。
ほとんどの歌を最初に聞いたのは彼女でしょう。
家でのあだ名は「第一夫人」で、晩年は俺が抱いていないと徘徊してしまうので、ずっとお腹に入れて暮らしていました。
レテパの「猫との午前」という歌で「不安そうに見送った」のが彼女です。
(この歌は札幌からずっと一緒だったオスのヨモギネコがいなくなった時の歌です)
死んだほたてを迎えに行ってから3日後。
悲しいが、どこか明るく強い気持ちでシェルターのワンマンの日を迎えました。
ふと「あ、何かライブの登場曲のSEがほしいな」と思い、CDの棚を漁りました。
高校生の頃に買ったランディーニューマンの「SAIL AWAY」というアルバムの1曲目、同タイトルの「SAIL AWAY」という歌が今の気分に合う気がしました。
よしこれに決めた、と思ったが、そういえば「SAIL AWAY」ってどういう意味かも知らずに20年以上このアルバムを聞き続けてきました。(俺は英語が苦手だからどんな意味か見当もついていなかった)
「あまりにも変な意味だったらやだな。一応調べてみるか。でもなんか多分今の気分にぴったりな意味な気がするな。」と確信に似た答え合わせな気分で調べてみました。
そしたら、、
「SAIL AWAY」→「出航」
ああ、やはりね。
と笑いました。
ほたては漢字で書くと「帆立」です。
帆を立てて出航するんだよ。
ほたて今までありがとう。がんばるね。
金曜日の深夜、東京を出発。
運転手は菊竹南とレテパ映像関連でおなじみの長谷川大。
行ってきまーす!
運転よろしくお願いしまーす!
※この2人は北海道出身だが、あちらでは面識は無かった。
ヤハタトシキは2012年発売の「LIVE AT MOTION」でレテパを好きになってくれた筋金入りのレテパヘッズ。
カニユウヤも南ちゃんも10代からレテパを聞いてくれてた人達。
そういう人達が演奏してくれると、歌達も喜んでいる気がします。
(ちなみに彼らがキッズだった頃、関口萌と俺はお互い別の荒くれ武闘派バンドでバチバチの仲でした)
レテパスタッフのソノダさんと待ち合わせなのでした。
※彼はそんじょそこらのバンドスタッフと違い、ピュア過ぎていわゆる「バンドを売る為の戦略」なんてものは一つも持ち合わせていない。
未だに「こんなにいい歌なのになー。なんでかなー。分っかんないなー。」の一点張り。
が、彼がいなかったら俺はとっくの間に終わっていた事でしょう。
この場を借りてありがとう。
なぜ、こんな所で待ち合わせかと言うと、彼の父に不幸があり、その打ち上げ(あえて「打ち上げ」と書かせて頂きます)で母との初めての2人旅行をしていたので、実家から岡崎SAまで真夜中3時間歩いて登場したという訳でした。
(父が亡くなった様子を俺に話した時の彼の顔が素晴らしく、俺はまた彼を好きになりました)
というわけで、この眠そうな4人+長谷川大で向かいます。
※カニユウヤ、関口萌は現地集合。
運転手2人の頑張りのおかげで早く着き、大阪の工業地帯で朝日がドーン!
俺はこういう夜から続くサンセットを見ると、浅川マキの「淋しさには名前がない」の「何にもいらない これからは 扉を開けたら 朝の光が」の部分がいつも頭の中を流れます。
貧乏バンドマン御用達でしょう「世界の大温泉」の前からの通天閣でパチリ。
1500円でずっと滞在できます。
着きました。ハードレイン。
今だから言うけど、俺は過去にこの店で良いライブを出来た事が一度も無かった。
さて今回はどうでしょう?
顔馴染みの超右腕と談笑していたら、チッツ登場。
俺は生粋のロマンチストなので、チッツのアルバムを聞きまくってるくせに、あえてYouTubeの映像とかは見ずに、まだネットが無かった頃のスターに会うような状態にしてこの時を迎えた。
ドキドキしながら「はじめまして!僕のレテパシーズのボーカルの古宮大志と言います!」と緊張のあまり大声で挨拶しているの図です。
それを見ている超右腕リリコの表情が素敵ですね。
オープン準備。
レテパ企画でお馴染みのラジカセ君。会場BGMはいつもこれで流してます。
なんか、変な理由かもしれないが、ライブハウスの大きなスピーカーからは、出演者が鳴らす音が第一音目であって欲しい気がしてしまうのです。
会場BGMもバンドの音も同じスピーカーから流れてると、なんかダレるというか好きじゃない。緊張感が無いというか。うーむ。伝わらないかな?
(こういうのをカニユウヤに言うと、全部バッチリ伝わるからいつも彼とは話が合います)
スタート直前のチッツ登場前に、前口上として言い訳的な挨拶で説明しましたが、、
作詞作曲家という意味では、歌が出来たら終了。
アルバム制作という意味では、録音したら終了。
なので、物販をせっせと用意するのは商人のする事だ!
自分は芸術至上主義者だからエンデンジャード〜のレコ発なのにエンデンジャード〜持ってくるの忘れました!(3枚だけ奇跡的に入ってた、、)
が、物販売れないと帰りのガソリン代が無さそうなので、今までセットで買ってくれた人達ごめんなさい!
この夜だけ「1st〜6thジャケ6枚セットTシャツ22000円」を1枚3000円でバラ売りしてしまいました。
許して下さい。(高いのに22000円セットで買ってくれた人達のおかげでアルバム作れました。本当にありがとうございました!)
おかげさまで当日券出せなかったのですが、アナウンス出来てなかったようです、、。
もし来て入れなかった人がいたら、ごめんなさい。失礼しました。
スタート直前。
前述の前口上的な言い訳中ですね。
「作詞作曲家という意味では、歌が出来たら終了なんです!ええと、、物販忘れました!」
ライブスタート。
分かるでしょうか。俺、泣いてます。
すげえカッコいいバンドを見つけて、聞きまくって、なんと共演まで出来るんだから、素晴らしい人生なんだろうな。
超右腕、ちゃんと全員が写っている写真が無くてごめんなさい。(終演後のリリコの素敵な写真を後で載せるから許して下さいね)
以下勝手な妄想感想です。(本人がどうだったかは分からん)
↓
チッツが素晴らし過ぎたのだろう。
ライブスタート時、ボーカルリリコは少し拗ねたような顔に見えた。
そしてライブが進むにつれて表情が変わっていった。
あのチッツの後の表情としては、一番純粋で素直な表情だと思う。
エンターテイメントやらショーやらプロフェッショナルやら、そんな言葉はリリコには通用しないね。
こういうところが好きなんだよなあ。
そして、その拗ねた表情では終わらなかった。
俺もリリコも昔はソロシンガーだったからね。お互い良い仲間見つけたね。元気にがんばろーね。
なんて思いながら見てました。
要するに素敵なライブでした。
そしてレテパシーズ。
リリコのMCを聞いていたら、急遽1曲目を変えたくなり「永遠に、たまに」から歌い始めました。
さあ、ハードレインで良いライブは出来たのでしょうか?
答えは次の写真にて。
これが答えだ!
この時カニユウヤは後ろで「すごい楽しい夜でした」と感慨深げに言っていた。言い方も良かった。
俺も同じ気持ちだった。
昔は客に「楽しかったです」と言われると「何が楽しかったんだろう?なんか違うな。分かってないな」と思ったものでした。
まあ「音楽」という歌の感じだったんだろうけど。
いつか「音楽Ⅱ」という歌が出来るかもね。(Ⅰが嫌いになった訳じゃないよ。出来た歌は全部ずっと好きです)
憧れの人達に褒められた。嬉しい。
「何が好きだったらこういうふうになるのだろう?何が好きなんですか?」と聞かれたから「いっぱいいるけど分かりやすく言いますと、ブルーハーツ、ブランキー、たま、の3本柱全部大好きタイプの人間です。こういうタイプは意外と少ない気がします。」と言ったら「俺らと同じや。」と言っていた。
俺は心の中でニヤリとしました。そんな気がしてたので!嬉しかったなー!
この2人は大学の軽音部?でコピバン仲間だったらしい。
それがこうやって対バンしてるんだから、これまた素敵な人生ですね。
先代のギタリスト高野京介がツアーで近所にいたみたいで、終演後に登場。
レテパの一番キツイ時期の3年間を支えてくれた男です。
おかげで今夜がある。ありがとね。
↓に+1曲目「永遠に、たまに」アンコール「17」でした。
※急遽、有料生配信もしました。(撮影/長谷川大)
https://twitcasting.tv/c:umedahardrain/shopcart/197149
で、2週間見れるとの事。ぜひぜひ。