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事の顛末は前回の文章「僕のレテパシーズのSNS終了宣言」に全て書いたので、そちらをご覧下さい。
とにかく今は良い気分。
レテパシーズ結成以来、色々な困難があり過ぎて、溺れ死なないように目の前の藁ばかりを掴んでいた気がします。
でも今、断酒から6年が経ち、10枚のアルバムが完成した。
「あれ?もしかして俺はもう溺れてはいないのでは?」と思い、もがくのをやめて足を伸ばしてみたら、足が着き、ちゃんと立てて、目の前には愛おしい世界。
それは歌い出した17才の頃に見ていた世界と変わらないものでした。
歌い出して25年、レテパシーズ結成からは15年。
すごく遠回りしたかも知れないけれど、今の自分を気に入っています。
17才の頃に見ていた世界を、今の自分が進んでいく感じ。
分かるかなあ?この最高な行進状態。
あの世界を今の自分が行くんだよ。
嬉しいな。もう全て好きにやるんだ。

今までこのページは「僕のレテパシーズNEWS」という名称でしたが、カニユウヤから「これを機にホームページも少し精査しましょう。ディスコグラフィーのページも作りましょう。NEWSもNEWSって感じじゃ無いから名前変えても良いのでは?」と提案を受け「そうね。なんか知らない言葉ってしっくり来ないからブログって言うのが嫌でNEWSにしてたけど、別にNEWSじゃなくても良いもんな。じゃあレテパシー通信にしよう。」という感じです。
特に今までと変わりません。
気が向いた時や、何か特別なお知らせがある時に書きますね。
今までは書いた時にレテパシーズTwitterで案内してもらっていたので、それが無くなってしまい、読む人には不便だと思います。
でも、まあ、しょうがない。
レテパシーズは図書館の本になります。
彼らのような静けさで、手にとってもらうのをただ待つ日々も悪くない。
性に合ってる。あなたもその方が好きでしょう。
本来、本は喋らない。「読んで読んで。私を読んで。」なんて言わない。
ちゃんと出会い、ちゃんと別れよう。
そうすればいつでも僕らは会っていると思うんだ。

先日、大切な人と素晴らしい時間を過ごしました。
その友人は泣いていたんだけど、とても美しくて、その人に語りかける自分の声も優しくキレイに響いた。
夕焼けや初雪の朝の突き抜けるようなあの感じとも似ているけれど、それ以上に強くて美しい光景だった。
夕焼けも初雪の朝も好きだけどさ、突き抜けるようなあの感じを抱えて生きてきた人間と、同じ速度で同じ光景に触れ合った時、過去と未来の真ん中で、まるで待ち合わせをしたみたいに、今までとこれからの全部を抱きしめながら出会えている気がした。
自分はこんな瞬間のために生きているんだな、と思えた。

その数日後、あるバンドのライブを見に行った。
そのバンドの演奏はとても好きだったんだけど、最後のアンコールで謎の男?がステージにしゃしゃり出てきて歌い出し、なんだか汚された気分になった。
他の客はどう思ったんだろう。すごく冒瀆された気分。
こんな時、自分はライブハウスという場所が信じられなくなる。
帰り道ではいつも「こんな場所で歌ったって意味ないよな。なんでわざわざ金まで払って、信じられない場所に降りて行かなきゃいけないんだろう。外で環七の車のライトを眺めてる方が何百倍もキレイだったな。」なんて暗い気持ちになってしまう。
その日も定番のそんな気分で帰宅したのだが、電話を見ると父親からの留守番電話。
思い当たる事があったので、覚悟して聞いてみると、祖母が亡くなったとの連絡だった。
心配をかけまいと出来るだけ優しい声を出そうとしている父の留守電の声が、最近の自分の声とそっくりな気がして「ああ、俺も出来るだけ優しい声を出そうとしているんだなあ。偉いな最近の俺。」なんて思った。
ベッドに入り、暗い部屋で柿生のばあちゃんとの思い出を思い出していた。
俺と気が合う、少女のような可愛いばあさんだった。
そしていきなり、ふと思った。
「もうライブハウスに絶望するのはやめよう。ただ、俺がキレイな瞬間を知っているだけの話だ。そしてきっと本当はみんなキレイな瞬間を見たいと思っているんだ。ばあさんとの思い出も、友人とのあの時間も、なんだかレテパシーズのライブにそっくりだったじゃないか。冒瀆された気持ちになれたのは、自分がキレイな証拠だな。ありがとう謎のしゃしゃり男、おかげでキレイな自分に気付けたぜ。おやすみなさい。ばあさん、夢に出てきてもいいよ。カモン。」
そんな明るい気持ちで眠れました。

ばあさんは夢には出て来なかったが、朝目覚めるとこんな事を思い出した。
17才の頃、東京のライブハウスのオーディションを受けまくる為に(全部落ちたが)この祖母の家に泊まり込んでいた。(小田急線柿生駅)
その頃はその年(2000年)に出たポーグスのベストをよく聞いていたのだが、毎朝の自己流体操の時に音楽をかけるばあさんが「ちょっとそのCD貸してくださらない?」なんて言って、ポーグスをかけながら体操していたのを思い出し、笑ってしまった。
俺の携帯CDケースには友部正人、たま、シオン、どんと、アズミ、なんかが入っていたのだが、ポーグス以外は体操には不向きだったようで、見向きもされなかった。
彼女の喋り方は黒柳徹子のような東京の女の喋り方なので、子供の頃はよく真似をして妹と爆笑していた。

2025年2月11日
古宮大志

僕のレテパシーズは無名の自主制作インディーバンド。
だから自分達で宣伝しなくちゃいけない。
そう思い、苦手なSNSもみんなと協力して運営してきました。
でも、いつか近い未来、そんな宣伝なんかしなくても済むようになればいいな。
作品とライブ、ただそれだけのバンドになれたらいいな。
そんな風に思っていました。

それはきっと僕だけではないでしょう。
メンバーだってそうだろうし、レテパシーズを好きな人達の多くはそう思っていたと思います。
作品とライブ、それがバンドの全てですから。

昨年、長年の夢だった全曲夏の歌の10thアルバム「夏のアルバム」を発表する事が出来ました。
そして、長年の後悔だった過去の作品達(アルコール依存症の影響下にあった時期のアルバム達)をリミックス、リマスターして録音当時の世界を甦らせる事に成功しました。
明るくポップにした、とか、聞きやすい耳触りの良い音にした、とかそういう事ではありません。
あの頃の殺伐や絶望、それでも死なずに遠い空を眺めていたあの感覚、そういう大切な部分まで衰弱した自分の病的な作業で消してしまっていた。
それを本来の姿に戻したに過ぎません。

これで全10thアルバム、100曲の歌達、全部を好きになれました。
生まれて42年が経ちましたが、こんなに落ち着いた気持ちは42年間で初めてでした。
自分の後ろにやり残した事が無い感覚。(前にはまだまだあるけれど。11th、12th、、)

年が明け、2025年。
1人のレテパシーズ好きの人と話す機会がありました。
彼はひどく酔っ払っていましたが、彼の真剣さは伝わりました。
彼が酔い潰れて、部屋に(ヤハタトシキの部屋でした)大量の酒と氷をぶちまけながら派手に倒れるまで、喧嘩を売るような大声で言い続けていた事。
それは「ひろしさんはやりたくない事は一切やらなくて良いと思います!もう歌とライブだけで充分でしょう!俺はレテパシーズの歌とライブに救われたんです!レテパのSNSに救われたわけじゃありません!そんなもの見たくありません!」

その場では僕も反論しました。
なぜやりたくない宣伝活動をしなくてはいけないのか、大きく分けると3つの理由がありました。
金の事、大昔からずっと燃え続けていて今は自分の手元で燃えている気がするあの火を消したくない事、もう黙殺が理由で衰弱していく才能あるバンドマン達を見たくない事。

なるべく分かりやすく説明したつもりでしたが、泥酔した彼には全く伝わらず、上記の文言を何度も何度も繰り返して、最後は大量の酒と氷と共に倒れてしまいました。

家に帰り彼の言葉を思い出していました。
次の日も、その次の日も、思い出しました。
「うん、確かに。もうやめちゃダメかな。10枚のアルバムはいつでも聞ける状態になってるんだし。あの10枚とライブがレテパの全てだもん。下手な宣伝活動はあの100曲の邪魔になるよな。次のスタジオでみんなに相談してみよう。」

次のスタジオはヤックンは法事で欠席でした。
そして当日になりハジメちゃんから「関口家が風邪で全滅、、欠席したい、、」と連絡がありました。
いつもならば2人も欠席だとスタジオは無しにするのですが、その日はみんなの意見を聞きたかったので、カニと南と話し合う事にしました。

提案には2人とも大賛成。
目がキラキラしていました。
「ああ、この人達は生粋のアウトローミュージシャンだなあ。」と思いました。
まだ少し迷っていた僕の方が説得されるような形で頼もしかった。

次の日、レテパシーズのスタッフのソノダさんにも相談しました。
彼も目をキラキラさせて大賛成。
「僕がお客さんだったら、その方が絶対にしっくりきますね。」
そんな事を言って嬉しそうにしてました。

ヤックンとハジメちゃんにも電話して相談しました。
みんな賛成で満場一致でした。

というわけで、僕のレテパシーズは10枚のアルバム、そして自分達のライブを信じてSNSをやめる事にします。
レテパシーズのホームページはこれまで通りに続けます。
きっと灯台みたいな感じになるのかな。
ジタバタ動かずに、ただ光って待ってる事にします。
雨の日も風の日も。最初の日も最後の日も。
いつでもどーぞ。待ってるよ。

決して何かを諦めた訳ではありません。
こっちの道の方が気性に合っていてワクワクするから決めたのです。
そしてレテパシーズを好きな人達は同じような気性だと信じたのです。

やはり10枚全てを大好きになれたのが大きかったみたい。
この10枚が24時間全世界でいつでも聞ける状態にあるんだもん。
大丈夫な気がします。
蛇足や言い訳はもういらないよ。

「僕を殺せるのは僕だけさ」
「愛してるよ」
「永遠に、たまに」
「ブルースマン」
「レテパシー」
「アコースティック」
「クレイなジー」
「エンデンジャードスピーシーズ」
「RADIO LETEPA」
「夏のアルバム」

これが我々の全てです。
信じて聞いてみてね。

レテパシーがたくさんの人に届きますように。

2025年2月3日
僕のレテパシーズ代表
古宮大志


今年初めてのレテパNEWSです。
あけましておめでとうございます。
昨年は過去作達の大手術が残っていたので、前も後ろも見ながらの全方位戦闘状態、殺気立った新年スタートでしたが、今年からはもう前だけ。
レテパシーズは今年で結成15周年ですが、15年間で一番すっきりとした晴れやかな気分のスタートです。
まさに新年おめでとう!といった感じ。
たとえ綱渡りだとしても、晴れ晴れ。

2025年は、、

①11thアルバム
②僕のレテパシーズ詩集
③僕のレテパシーズに捧ぐ

を作りたい。
②はあと1曲出来たら1st〜12th用の120曲が揃うのでOK。
③は120曲への手紙のような文章を書いて1冊の本にしたい。
今年の夢はこの3つです。

「僕のレテパシーズに捧ぐ」正月に時間があったので書き始めてみました。
1stからアルバムの曲順で書いてみよう、と思いまずは「17」を書きました。
書き始めるともう一瞬で当時の教室に立っていた。
冷えた渡り廊下を渡り、雪を眺めながら図書室へと急いでた。
2曲目の「ロックンロールじゃ踊れない」も書いてみたけれど、この本を書く作業は今の自分にとってとても必要な時間なんだと思えました。
振り返りたい、という訳じゃ無く、ゆっくり1曲1曲と向き合いたい。といった感じかな。
手紙、小説、エッセイ、の様な文章を、深く考えずにバーっと書いています。
あまり長くてもキリが無いので、1曲1000文字程度と自分に制限をかけました。
このまま書いていけば今年中には本に出来るんじゃないかなあ。
レテパシーズがいつまで続くのかは分からないけれど、12thアルバムというのは自分の中では一つの区切りなんです。
もし13枚目以降もあるのなら、7th〜12th(2021年〜2026年予定)の6枚は「中期のレテパシーズ」と呼ばれる事でしょう。
なんて最近も考えていたので、先日公開したライブ映像のタイトルに「中期ライブ映像」と書いちゃいました。

【中期ライブ映像】僕のレテパシーズ/LIVE AT THREE

1.さよならの合図
2.T君の夏の歌
3.そばにいる
4.まだもう
5.夏のアルバム

撮影/白岩義行
2024.9.22 下北沢THREE

この映像の1曲目の「さよならの合図」は11thアルバム収録曲です。
11thアルバムの歌が出来た2022年後半から2023年前半にかけては、悲しみや音楽に取り憑かれたような時期で、全然弾けないくせにエレキギターのチューニングを直感で変則チューニングにして歌を作ったりして、自分で言うのもなんですが、今までに無い「大作」といった雰囲気のアルバムです。
録音作戦本部長のカニユウヤ(今年からライブブッキング本部長もカニ君です。レテパフェスのみ俺担当。よろしく!)も「今作の録音方法はかなりこだわりたいな。あの歌はあそこで、この歌はあそこで録って、、」と最高傑作を目指し新年早々、目をキラキラさせています。

なのですが、資金不足。
去年労働した金は全部バンドのみにつぎ込んでいるのですが(すまん。息子よ)過去作制作時の負債返済が凶暴で巨大なのです、、
まあ昨年のリミックス、リマスターで1st〜10th全部愛すべき名盤になれたから幸せなんですけどね。

で、考えた挙句思い付いたのが、、
メンバーに聞かせる為に録音していた「11thアルバム用の古宮大志宅録デモ」を販売しよう。
という作戦です。
このデモは歌が出来た直後にそのまま録音しています。
その時の気分で少し楽器を重ねたりもしています。
でも基本的にはあくまでもデモなので、録音物として絶対に完成させないようにしています。
それは、完成した完璧の状態だと、メンバーとアレンジする際にすでに色が付いていて支障が出てしまい、レテパシーズの可能性を狭めてしまう、という考えからです。
それでもなかなか素敵なデモらしく、関口萌はいつもスタジオでいきなり暗い深刻な顔になり「うーん、これじゃデモの方がいいな。」なんてネガティブな発言をかましたりします。
なので、音源としても未完成ながら魅力があるんじゃないかな。
関口萌は音楽に対しては真実一路な男なので。

というわけで、良かったらお願いします。
100枚限定。1枚3000円。
※売り上げは全額11thアルバム制作に使う事を誓います
※いつも通り俺が1人で配送作業するので、対応が少し遅れても許して下さいね
販売ページはこちら

では2025年もがんばろー!

PS.先程紹介した「中期ライブ映像」は菊竹南が歌詞を入れてくれました。
おかげさまでより素敵な映像になっているのですが、思いっきり歌詞を間違えている箇所があります。(映像の歌詞やアルバムの歌詞は、間違えたり、あえて変えて歌ったりした場合も掲載する歌詞は原詞を載せる事にしています)
ちょっと言い訳をすると、、
それは映像の4曲目「まだもう」の2番なのですが、

夕立が降った田んぼの道は 
自分の傘が一番高くて 
雷が落ちるかもしれないから
ずぶぬれて帰る なぜか楽しく

というのが正しいのですが、ライブの朝、テレビのニュースを見ていたら「野外フェスで落雷事故。観客数名が負傷。屋外で雷鳴が聞こえたら、こんな回避行動をとりましょう。」みたいなニュースをたくさんやっていて、それに影響を受けてしまったようで、、

雷が落ちるかもしれないから

の部分を、

雷が落ちると危ないから

と歌ってしまいました。
雷は危険だ!危ない!というテレビを見過ぎたようです。
最近の自分の脳はなかなかテキトーで面白い。

昨日もアルバイト先のコーヒーマシーンのコーヒー豆のカスを捨てる時に、いつもよりたくさん豆カスが入っていてずっしりとした感触で、なぜか息子の事を思い出した。
なぜだろう、と考えていたら、何時間も替えていなかった息子のずっしりとしたオムツの感じと感覚が似ていたからだと気付きました。
最近テキトーな自分の脳、我ながら愛おしく思う事が多いです。

PS.先日、小説を書く友人と飲んでいたら「今度太宰治賞が出来るらしいよ。」と言っていた。
友人は「太宰治賞なら私だろう。」と目をギラつかせていた。
俺も「いや、太宰治賞なら審査員に俺がいないとおかしいだろう。呼ばれて無いな。そんな賞は無効だ。」と言いました。
友人は「あ、審査する側のつもりなの?私は受賞側のつもりだったわ。」と笑っていた。
笑われて気付いたが、自分は当然審査する側だと思っていた。
今の自分の精神状態はかなり落ち着いているのだと思う。
ようやく1st〜10th全てを好きになれた、というのがこんなにも大きいのだな。
本当に心残りの過去作が多かったから。アル中の病的な精神錯乱のせいで。
15年間活動してやっと自信満々になれたから、自然に審査する側のつもりで話していた、という明るい笑い話でした。

PS.11thデモ早速注文してくれた方々ありがとうございます。
注文してくれた人の中に「過去作を持っているのですが、リミックスリマスター盤を持っていません。買えますか?」という質問をしてくださった方がいました。
過去作をお持ちでご希望の方には無料で送らせて頂きます。
ので、お気軽にお問い合わせ下さい。
悪いのは俺なので。

ご注文時の連絡欄に書いてくれても良いですし、レテパシーズのメール
letepathys@gmail.com
に問い合わせてくれても大丈夫ですよ。

昨日はスタジオ納め。
昔は必ず週に1回3時間のスタジオに入っていたけれど、今は月に2回が基本。
でもその2回は毎回8時間入ります。
今のメンバーの個性にはこっちの方が合っているみたい。
みんなその場でどんどんアイデアが出てくるタイプなので。
昨日はひたすらに次作11thアルバムのアレンジ。
11thは2022年後半〜2023年前半に出来た歌達。
この頃は少し取り憑かれたような感じで、自分で言うのもなんだが、なんかイカレた大天才モードな時期でした。
なので、大作?といった感じの歌が多く、アレンジもなかなか大変。
昨日のスタジオまでは少し不安もあったのだが、昨日で山を超えたね。
ほんとみんなすごいなあ。これでもう安心。
来年は最高傑作を作れると思います。

今年は10thアルバムをリリースしました。
そして、ずっと心残りだった3rdと4thアルバムのリミックス、リマスターも行いました。(あ、6thも今年だね。2ndは去年か)
これでもう過去作をいじることは無いでしょう。(1stと5thのみは発表当時のままです。この2作は「触れたら殺すぞ」という殺気に満ちていたので、触れれませんでした)
ライブの物販で「どのアルバムがオススメですか?」と聞かれた時に「全部!」と即答したいのに、今までは「ええと、3rdと4thは本当は名盤なんですけど、、俺が精神錯乱していたので職人の仕事に芸術家目線で口を出しまくってしまい、、でももうすぐカニババが手直しして名盤になるはずなんです、、」とか言い訳をして、他のアルバムを勧めていました。
でもこれからは「オススメは全部!どれでも好きにどーぞ!なんならジャケ買いでも良いと思います!もう直感でどーぞ!」と明るく朗らかにオススメできます。
最高の気分で新年を迎えられるね。
今までは寝ても覚めても3rdと4thの事がどこかで引っかかっていたからね。

あと、個人的には今年は「2015年以来9年振りにシラフで1年間アルバイト出来た」というのは大きかったです。
個人的、と書いたけど、そこで金稼いでレテパシーズに全てを使っているのだから、全然個人的では無いのか。えらい。たまには誰か褒めてあげてね。
2016年以降はアル中で、寝ている時以外は全時間酒飲みながら過ごしていました。(バイト中もトイレとかの隙を見つけては飲んで酒が抜けないように気を付けていた。万が一酒が抜けると大変な事になるので。バレないようにマスクしてブレスケアを大量に飲んで、10秒の隙を見つけてはポケットの焼酎を一気飲みしていた)
断酒治療後の2019年2月以降はアルバイトは出来ずに断酒のみに集中して生きていました。
そして2023年の冬から縁あって、古い知り合い夫婦の喫茶店に拾ってもらい、1年間本当に温かく楽しく働かせてもらいました。
断酒社会復帰1発目のアルバイトが全然違うストレスのあるバイト先だったら、こうスムーズにはいかなかったでしょう。
10thを作る金だって用意出来なかっただろうし。
ヤケになって酒飲んだら全て終わりだし。
ほんとありがたやです。

あ、離婚したのも今年なのか。
もう何がなんだか分からないが、2024年は頑張ったよ。
バイトして、久し振りの一人暮らしをして、最高の10thを作って、過去作も全て自信作に生まれ変わって。
あと、成長?と言って良いのかなあ。
「レテパに関わる全てを自分でやらなきゃ気が済まない」という感覚がだんだん消えてきた。
まあ、成長というか、今のメンバーへの信頼なのかもね。
ついに夢の「分業」が出来るようになってきましたよ。
俺は歌を作って、素敵なライブをやって、断酒出来ていれば合格みたいです。
むしろ、俺の自意識過剰で完璧主義な感覚は「バンド活動」には不向きみたい。
カニ、南、ヤハタ、ハジメ、みんな色々頑張ってくれています。
昨日もスタジオ終わりでみんなと「10thアルバムレコ発ライブ」について話し合ったが、中心にいたのはカニユウヤ。
今後はレテパのライブブッキングは全て彼に任せようと思っています。(レテパフェスだけは今後も俺が全てやるけどね)

あ、レテパフェスも今年は3回やりましたね。
出てくれた人達、目撃してくれたあなた、本当にありがとう。
なんか年末にM1見ていたら色々考え込んでしまったな。
今日は短い言葉で書くけれど「腐った音楽業界を変えるのは演者では無く、お客さんなんだな」なんて思いました。
これから起きる革命の中心にいるのはミュージシャンでは無く、好きな歌を自由に聞く素敵なお客さん達なのでしょう。
2024年は準備したよ色々。
2025年も準備で、2026年にドカーン!かな、と冷静に未来予想図していましたが、2025年はもう少し法定速度ちょいオーバーくらいにはアクセル踏んでも良いんじゃない?
どうでしょうか?レテパシーズの皆さん。
多分みんな微笑んでアクセル踏んでくれると思うなあ。

でも決してヤケは起こさずに。
でも命くらいは揺らしたい。ドキドキと。
そんな2025年でよろしく。

さようなら2024年。
君の事は忘れないよ。
なかなか素敵な1年だったね。
それでは良いお年を!

PS.11thアルバムのレコーディングは花粉症の季節が終わったらスタートすると思います。(俺、花粉症です)
でも、録音資金が足りなそう、、
なので、年明けあたりに「11thアルバムの古宮大志宅録デモCD」を通販限定で販売すると思います。
メンバーに聞かせる為にサッと録音した音源ですが、作曲直後にそのままぶっ飛んだ状態で録音しているので、多分これはこれでカッコいい!と思います。
いつもハジメちゃんが「これじゃ、まだデモを超えていないと思うんだよね、、」とスタジオでのアレンジの際にこぼしているので。
まあ、興味のある方はお楽しみに。(貧乏人は無理せずに。俺も仲間だ)

PS.11thアルバム収録の歌は、、

the world is mine
愛してる
さよならの合図
SAIL AWAY
若いバンド
真鶴漁港
岩見沢デパート変遷史
ホンダ
おるたな
次回予告なホーリーナイト

という歌達で、さっきも書いたけど2022年後半から2023年前半に出来た歌。
もう少し詳しく書くと、2023年5月に息子が産まれたのだが、全曲その前に出来た歌です。
産まれた後はさすがに心身ともにドタバタしていたのか、半年間歌が出来ませんでした。
でも2023年の12月1日に大好きなポーグスのシェインが死んだというニュースが舞い込んできて「12月1日」という歌が出来ました。
それを皮切りに(サンキューシェイン。さすがだね)また歌が出来るようになり、12thアルバム用の歌も9曲まで出来ました。
あと1曲で10曲揃います。(レテパは毎アルバム10曲なのです。数字が揃っていないと気持ち悪いのです、、)

ちなみに12thの歌達は、、

12月1日
渋滞
ひだまり
経堂駅
悲しい夏の一日
荒玉水道爆走中
ラララポートモノレールブルー
春の花
教えてあげたい

といったラインナップです。
あと1曲早く出来ないかなあ。
でもこればかりは完全「待ち」タイプなので、どうしようもない。
いつ出来ても良いように、良く寝て良く食べてキレイな景色を眺めているしかないのです。

そしてやはり2024年に見た一番キレイな景色はレテパフェスで歌いながら見た目の前の景色です。
早くライブしたい。早く11thも作りたい。
早く12thも作りたい。
早くイカレた音楽業界にしたい。
早く革命を起こしたい。
心優しい才能あるバンドマン達が解散したり脱退したり、まるで流れ星のように落ちていってしまう。
今年も4つくらい流れ星を見たよ。

我が息子がいつか音楽をやるのかは知らないが、もしやるとしたら残念だったな。
君が歌い出す頃にはもう革命は終わっているのだろう。
革命のチャンスなんて、100年に一度くらいだろうから。
君は平和な世界で好きに楽しみなさい。
父は冒険大好きなので勝手に革命を楽しんじゃいます。

2024年11月21日リリース
僕のレテパシーズ10thアルバム
「夏のアルバム」

1.春雷
2.遠雷
3.T君の夏の歌
4.夏の中で
5.SAPPORO
6.コード泥棒
7.そばにいる
8.まだもう
9.夏のような5月
10.夏のアルバム

録音/ミックス/馬場友美
マスタリング/中村宗一郎
録音場所/Rinky Dink Studio西荻窪,東高円寺ロサンゼルスクラブ
ジャケット写真/2013年初夏、月形小学校のグラウンドにて(撮影/ハダユキコ)

昔からずっと「いつか全曲夏の歌のアルバムを作りたいな」と思っていた。
1989年11月21日にリリースされた「夏のぬけがら」の影響で。
実は6thアルバム「アコースティック」の時にもそんな思惑があり、10曲夏の歌を並べようとしたのだが「春」という歌をどうしても収録したくなって、惜しくも念願叶わなかった。
1st〜6thの頃は、ソロ時代の20年間に作った歌の中から選曲するだけだったので、やろうと思えば全曲夏の歌にするのはたやすかった。
でも7th以降は基本的に新曲のみを10曲並べているから、10曲連続で夏の歌が出来ないと念願は叶わない。
自分は意識的に歌を作れるタイプでは無いので「次も夏の歌が出来ますように!」と祈るしか無い2022年だった。(10thは2022年、11thは2023年、12thは2024年作曲が中心。大体1年に10曲ペースの人間みたい。決して多いタイプでは無い)

なぜそう思ったのかは直感としか言いようが無いが、3曲目の「T君の夏の歌」のT君の歌の中にずっといたら、夏の歌ばかり出来るような気がした。
なので2022年はT君の歌ばかりを聞いていた。
T君は無名歌手な上にライブもしない。(というか精神疾患で出来なかったのかな)
音源も知り合いにしか配らない人だったので、知り合い以外は誰も知らない人。
名前も決して明かして欲しくない人なのでT君とした。
そして俺の直感は当たっていたらしい。
無事に10曲の夏の歌が揃った。

レテパシーズにとって大きな転機のアルバムだと思う。
俺はこのアルバムから足踏みオルガンで作曲するようになり、メンバーに聞かせる為のデモテープを作る時にも、足踏みオルガンやキーボードで演奏する事が多くなった。
ギターの時と違い、自分でも何を弾いているのか理解せずに弾いているので、結果的に謎のコードになっている事が多かったらしい。
なのでアレンジの際のコード解釈の自由度が増えたらしく、変わったコード大好き人間のカニユウヤの目の色が今作以降は明らかに変わった。
今までもアレンジは全員で行っていたが、今作はよりいっそう俺以外のメンバーの才能が発揮されていると思う。

今書いていて思い出したが、そういえばこの足踏みオルガンは、2003年頃にT君に貰った物だった。
そうだ、忘れてた。すげえ繋がってるな。
その頃はオルガンなんて興味も無かったので(そもそも弾けなかったし)全然弾かずに本棚代わりになっていたのだが。
2012年に古宮夏希と離婚した際にオルガンは彼女の再婚先の大槻ヒロノリの家に連れていかれてしまった。
そして2022年に大槻さんから「ひろし、もう金が無いから安いアパートに引っ越すよ。足踏みオルガン引き取ってよ。」と連絡があり舞い戻って来たのだった。
舞い戻ったオルガンに触れてみるとなぜか弾けるようになっていた。
そしてどんどん夏の歌が出来ていった。

少しだけ曲解説。

1.春雷(2022年2月25日作曲)
冒頭のオルガンは「T君の夏の歌」のデモテープのオルガンを抜粋。
雨と雷の音はちゃんと春に録音しておいた。
全曲夏の歌じゃ無いじゃん!1曲目から春の歌じゃん!というクレームが聞こえて来そうだが、この歌は2曲目とセットのイメージなので許して。
ブルーハーツ「手紙」の1番の春と2番の夏を2曲でやったイメージ。

2.遠雷(2022年3月5日作曲)
これもちゃんと夏の遠雷を録音しておいた。
この頃はバイトもしてなかったので、天気予報を見て遠雷の音が録れそうな日は、一日中窓のそばで構えてた。
今はもう懐かしくなってしまった高円寺の古い一軒家のトタン屋根に落ちる雨の音。
「春雷はプロローグ扱いで良い。遠雷のギターソロの前の8拍で曇天の夏空を全員で作り、直後のギターソロで過去と未来の夏全てを表現しよう」なんて壮大な事をアレンジの時から話してた。
どうかな?ちゃんと夏になりました?

3.T君の夏の歌(2022年4月15日作曲)
2004年〜2009年頃まで東京の俺と札幌のT君は手紙と音源で文通していた。
その5年間でT君から送られてきた歌を今数えてみたが、12アルバム全289曲だった。(その間俺が彼に送ったのは7アルバム全70曲)
彼の歌はいつでも平気で聞けるタイプの歌では無いので、あれからもう10年以上聞いていなかった。
2022年、10何年ぶりに彼の歌に向き合いこのアルバムが出来た。
T君に聞かせたいな。
15年ぶりに手紙とこのアルバムを送ってみようかな。

4.夏の中で(2007年作曲)
この歌は古い歌。
今までのアルバムには入れなかったが、今回ついに収録。
当時、川崎市多摩区稲田堤に住んでいたので、多摩川の歌は多い。
「3車線の100の光」の大きな橋は多摩川原橋。
3車線の100の光に死にかけのセミが毎年照らされていた。

ちなみに2007年の同期には「春」「夜明け前」「夕焼けより」「廃墟」「海へ行こうよ」「君しかいない」「バスが来るまで」がいる。
こう見るとなかなか黄金世代だな。
10歳年上の大天才T君に聞かせる為、歌が出来ては張り切って送っていた。
俺の歌を好きな人が全然いなかった頃なので、彼との文通が唯一の励みだった。

5.SAPPORO(2021年夏作曲)
2022年以降は作曲時に日付をメモる事にしたので明記出来るのだが、この曲は2021年作曲なので日付は不明。
だが、調べれば分かると思う。
なぜならこの曲は「2020年開催予定だった東京オリンピックがコロナで2021年に延期になり、しかも暑さ対策でマラソンの会場が札幌になり、それをテレビでぼーっと見ていたら自分の住んでいた北18条駅付近をランナーが走っていて、ランナーの速度で昔を思い出していたらメロディーが浮かんできて、そのままオルガンを弾いてみたら出来た曲」なので。
東京オリンピックの札幌マラソン(確か男子)の日にちを調べれば作曲日が分かる。

噂によるとこの世には「歌詞に重きを置いていないバンド」というのが存在するらしい。
そんなバンドは本来存在するべきじゃないと思う。
なぜなら歌詞を書く、歌う、というのはバンドにとって必須では無いから。
この世にはインストバンドがもっと増えるべきだと思う。
楽器で歌えるのなら、歌詞や歌なんか不要。
9割がインストバンドで歌アリは1割くらいが本当なんじゃないかな。
と昔から思っている。
レテパでもいつかインスト曲をやりたかったから、この曲が出来た時は特に嬉しかった。

ミックスが終わり、10曲を並べてみた時、このアルバムにはまだ何かが足りない気がした。
その時ちょうどアディーが札幌に行っている、と聞いていたので、思い付きで連絡し北18条駅付近の街の音を録音してもらった。
それを「SAPPORO」と「コード泥棒」の間に入れる事によって、このアルバムは完成した。
鼻啜ったり、ライターに火を点けたり、車のドアをバタンと閉めたり、これら全て北18条駅付近で鈴木亜沙美が鳴らした音です。
アディーありがとう。

ちなみに作曲時期的にはこの曲は本来9thアルバム収録の曲。
そして9th収録の「最後のGB戦士」は2022年5月19日作曲とあるので、本来10thアルバム収録の曲。
実は入れ替えて1曲だけズルしちゃった。許して。(GB戦士、そばにいるの次の日に出来たのか、、)

あ、あと2番3番の絶妙なアルトサックスは菊竹南が吹いています。

6.コード泥棒(2022年6月9日作曲)
彼女のバンド「ミチノヒ」が解散したタイミングだったのかな?ちゃんとは覚えていないが「もう歌を歌うのはやめる」と古宮夏希が酔って泣きながら電話してきた。
じゃああの歌のコード貰っちゃおう、と思い彼女と俺と遊佐春菜の3人でやっていた「古宮夏希&コークスが燃えている!」の「きみの星のカオを見送って」という歌のコード進行をパクった。
この歌は彼女の札幌の実家の猫が死にそうだったのに、会いに行けなくて作った歌だったと思う。(コークスの作詞作曲は古宮夏希。この歌もそう。たまに作詞/古宮夏希で作曲/古宮大志のパターンもあったが)
ちなみに歌詞に出てくる「あの友達」というのはT君の妻。(古宮夏希とT君の妻が中学の同級生だった。その縁でT君と知り合えた。今もまだ妻なのかは知らないが)
コード進行が同じとはいえ全然違う歌に聞こえると思うが、後奏は意図的に「きみの星のカオを見送って」と同じ感じにした。(もちろん弾いている事、吹いている事は全然違うけどね)

7.そばにいる(2022年5月18日作曲)
作曲した頃は俺にもまだベイビーはいなかったし、とーちゃんでもかーちゃんでも無かったし、あの人達もゴーストにもエンジェルにも海にも空にも風にもなっていなかったが、歌はちゃんと用意されていた。えらい。
いつでも高らかに鳴り響いているから安心して行進してね。

関口萌はこの歌が特に好きみたいで、今MVを制作してくれている。
俺の誕生日に合わせて公開してくれるとの事。
12月2日をお楽しみに。(谷内六郎、マリアカラス、ドラミちゃん、と同じです)

8.まだもう(2022年6月5日作曲)
この歌は先日解説したので割愛。
詳しくはこちらで。

9.夏のような5月(2022年6月2日作曲)
書いてて気付いたが「夏のような5月(6/2)」「まだもう(6/5)」「コード泥棒(6/9)」とあるので、1週間で3曲出来ている。
昔から歌が出来ない時は平気で何ヶ月も出来ないけれど、一度出来出すとポンポン出来るタイプだった。
そして今思い出したが「コード泥棒」が一番最後に出来たので「あぶねー、大丈夫だよな?ギリ夏の歌だよなこれ。うん、大丈夫。夏って漢字出てくるし。OK!やったー!これで10曲夏の歌だ!」と1人でバンザイしたのだった。

自分としては不遇のバンド人生だと思っているので定期的に「こんなバンド続けているから全て滅茶苦茶になるんだ。早く終わればいいのに」と落ち込む時期がある。
この頃もそんな状態だったので、自暴自棄になり「今一番評判のインディーバンドとやらを見に行ってみよう。そして無事に素晴らしかったらさっさと引退しよう」という気分で、当時の妻のハダユキコとスーパーカブをニケツして横須賀のかぼちゃ屋というライブハウスへ行ってみた。

ゴールデンウィークの2日間の出来事をただ歌っている歌。
時系列はこんな感じ。

①保土ヶ谷バイパスはカブ禁止な上に一度乗ったら降りられない、でも無事に捕まらなかった
②横須賀どぶ板通りのハニービーというバーガーショップ
③かぼちゃ屋
④ライブ後、真っ暗な三浦半島を横切ってマーメイドというラブホへ
窓を開けて寝たら蚊が入り込んだので真夜中に目覚め蚊を退治
白い壁は蚊を発見しやすい
全部退治して、さあ寝よう!と思ったらベッド横のボタンは有線のスイッチだったらしくチャゲアスのヤーヤーヤーが爆音で流れた、、
⑤翌日も快晴、昼ごはんはホテルのそばのまるい食堂
連休で混み合うお店で平和な人々を眺めていたら世界を救ったあの人の事を思い出した
微笑んでいたのだろう、笑われた
ソースカツ丼がおいしかった

10.夏のアルバム(2022年5月21日作曲)
須部都川、幾春別川、豊平川、多摩川、善福寺川。
眺める川の名前は変わるけど、光の色は変わらない。

これはCDの裏ジャケに使った写真。
1989年7月30日、月形町須部都川上流にて。

このアルバムを聞いた人が今までの夏とこれからの夏の両方を思い出せるといいな。

PS.友部正人さんがコメントを寄せてくれました。嬉しい。

PS.↑が表で↓が裏のチラシをヤハタトシキが作ってくれた。
この裏面を眺めながら一日中ウイスキー飲めたら最高だな、なんて久し振りに少し思いました。
なかなか頑張ってるじゃないか、レテパシーズ。

PS.チラシ制作時にジャケット写真の撮影日時を知ったヤハタ君が「あ!この日付だと俺がレテパシーズを札幌のイベントに呼んだ時だ!つながっている!」と喜んでいた。
当時ヤハタ君とは面識が無かったが、札幌のバンドマンだった彼はレテパシーズを札幌のイベントに呼んでくれたのだった。
多分その時に月形にも寄って母校のグラウンドを一周走ってみたのだろう。
こんな写真を撮られていたなんて全然知らなかった。
今回のジャケを考えている時に過去の写真を振り返っていたらいきなり出てきた。
あまりにも今作のジャケにぴったりなのでビックリした。
全て用意されているんだなあ。ちゃんと行進していると。

PS.毎回何かしら大変だけど、今作の制作期間もメンバーみんな色々大変な時期でした。
これからも大変かも知れないけどさ、11th、12thも絶対にこの5人で作ろうね。
絶望も希望もちゃんと引っさげて、ずんずん行進して行きましょう。
俺達は全て連れて行く。そんなエンデンジャードスピーシーズ(絶滅危惧種)です。
無事に絶滅するその日まで!目撃してて下さいね。

それでは10thレコ発ライブで会いましょう。
多分3月?4月?今作戦会議中。
お楽しみに。

PS.「一番高いやつ」のレシート

10thアルバム「夏のアルバム」通販予約スタートします。
リリース日は11/21になります。(配信も11/21スタート)
いつも通り、俺が一人で切ったり貼ったり書いたりして郵送するので、11/21必着希望の人は11/18までに購入してね。
※通販ページはこちら

切ったり貼ったり梱包したり、ほんと苦手な作業なので丁寧にやっているつもりでも他の人よりはグチャグチャかも知れません。
子供の頃からこういうの本当に苦手。
でも知らない町の名前に出会い、嬉しいな!と微笑しながら梱包しています。
良かったらどしどしどーぞ。
11th制作費もとっくに底をついてしまったので(明日もバイトだ。がんばるぞ。)余裕ある人は配信派でもCDを買ってくれると助かります。
が、全然無理せずで。
本音を言うと歌を聞いてくれるだけで嬉しい気持ちは100%完結しています。
70年前から変わらない、古き良きオールドスタイルのバンドだから、アレンジ、録音、に時間と金がかかるんだよな。(作詞作曲は瞬殺タイプなのだが、、)
デスクトップとやらでミュージックが完結する連中が羨ましい。
我々は顔を突き合わせいちいちレテパシーを放出しないとアレンジや録音が全く出来ないのです。

10thアルバムの詳しい話はリリース時にまた書きますね。
今日は3rdアルバム「永遠に、たまに」4thアルバム「ブルースマン」のリミックス、リマスター盤について。
と思ったのですが、絶対に昔たくさん書いてるよな、と思い確認してみました。
そうしたら、やはり張り切った文章を書いており、これを読めば全て伝わると思いました。
断酒からまだ1年半くらいの文章なので、今より少し悲壮感がある気がしますが、読んでいたら「おー、断酒1年半君よ。がんばってますな。俺の名前は断酒もうすぐ6年君です。これから良い事も悪い事もたくさんあるけれど、全部歌になるので安心して行進したまえ。」なんて思えました。

ので、今日は過去の文章+補足を書いて、あとは歌達に任せようと思います。

※今振り返るとまだ不安定だった時期の文章なので、読みづらいかも知れません。
でも当時の雰囲気が伝わると思い加筆修正せずそのままにしています。

①3rd、4thの頃の状況説明はこちら

②「永遠に、たまに」解説はこちら

③「ブルースマン」解説はこちら

この①②③の順に読むと良いですよ。

ちなみに上記の文章の補足で年表を書くと、、

【2017年6月】
第一次断酒治療スタート

【2017年秋】
3rdアルバムレコーディング
※録音終了と同時にギターはなえもん脱退

【2017年12月4日】
3rd「永遠に、たまに」リリース
※レコ発ワンマン終了後、ドラム鈴木亜沙美脱退
※レコ発ワンマンのサポートで高野京介がギターを弾き、そのまま加入
※ドラム関口萌加入
※キーボードハダユキコ再加入

【2018年6月3日】
4th「ブルースマン」リリース
※ベース飯田裕脱退

【2019年2月】
第二次断酒治療スタート

【2020年7月】
3rd「永遠に、たまに」4th「ブルースマン」ボーカルのみ新録して再リリース

【2024年11月13日】
3rd「永遠に、たまに」4th「ブルースマン」リミックス、リマスター盤リリース
※4thのみ予定から少し遅れています。お待ちを。

という流れです。
※ちなみに先程の①②③の文章は「2020年7月ボーカル新録」の際に書いた文章

今回リミックス、リマスター、を行った理由を簡潔に書くと、、
「ミックス、マスタリングという職人的要素も大きい作業を100%芸術的な感覚でしゃしゃり出てグチャグチャにしてしまっていた。カニユウヤは芸術感覚と職人感覚の両方を兼ね備えている。なので、この芸術でグチャグチャの両アルバムをカニユウヤ&馬場友美のゴールデンコンビで生まれ変わらせてほしい」
と思ったからでした。
以前リマスター盤を出した2nd「愛してるよ」や6th「アコースティック」も同じ理由でゴールデンコンビに託しました。
ちなみに、1st「僕を殺せるのは僕だけさ」と5th「レテパシー」は二度と誰も踏み込めない好戦的な雰囲気満々のアルバムだったので、そのまま作業無しで良いと判断しました。

今回のブルースマンのリミックス作業はロサンゼルスクラブで、俺とカニババの3人で行いました。
作業の途中でカニ君の顔つきが少し変わったので、何かあったな、と思い聞いてみたが「大丈夫っす。」と言っていた。
次の日の朝「父が亡くなりました。」と連絡してくれたので、顔つきが変わった理由が分かった。
そんな状況だったのにカニ君は「MOON PALACEってどんなお店でした?どのくらいの広さです?ストーブはどんなストーブですか?」とか歌をより理解しようと細かく質問しながら(音楽には直接関係無い質問ばかりするカニの事が好きだ)馬場ちゃんと共にがんばってくれていた。

完成したミックスを聞くと、当時のメンバー達がいかに歌に真摯に向き合っていたのかがよく分かった。
あの頃、俺だけが歌に真摯に向き合ってなかったな。
衰弱してたからしょうがないけど。
死にたくて死にたくてしょうがなかった。

先程の①②③の文章の中で素敵な箇所があったので抜粋します。
※「旧録」→Vo旧録音バージョンの意

旧録の方が好きな人もいると思います。
その時の記録が正解、という考えは、むしろ俺自身が昔から強く思っていたものでした。
が、やはり、アル中を病気(異常な状態)と認め、そして何より、自分で聞いていて、ただただ悲しく辛いアルバムを残すより、自分でも聞けるアルバムを残したい。と思いました。

旧録を聞くと、録音当時を思い出します。

再録を聞くと、その歌が歌っている頃の事を思い出します。

旧録の「深海」を聞くと、2017年のレコーディングの時の事が。

再録の「深海」を聞くと、2015年、真冬の三笠市立博物館の中から見た、雪に反射してとても明るかった夕暮れを思い出します。

※以上抜粋

全部好きだけど、3rdと4thの歌は特にお気に入りの歌ばかりでした。(1st〜6thは2000年〜2019年の歌が作曲年関係無くランダムに収録されている。7th以降は10曲出来る毎に録音しているので同時期の歌達)
なので、寝ても覚めても心のどこかで「3rdと4thは本当は名盤なんだ!」と思いながら生きていました。
今回やっと心残りを破壊出来ました。
みんなありがとう。
あとは前だけ向いて行進します。

PS.
リリース日変更の補足を、、
3rdアルバム「永遠に、たまに」(2024 Remaster)は告知通り11/13に配信リリースしました。
同日リリース予定だった4thアルバム「ブルースマン」(2024 Remaster)の方はマスタリングが1発で終わらず(良い意味で、です。ちょっと壮大な作業になって来たので)もう一度行う事になったので、リリースは11月末頃かなあ?と思います。
またお知らせします。乞うご期待。

PS.
はなえもんが描いた3rdの頃のアー写。
あの頃のレテパの不安感がよく描かれていると思う。

4thの頃のアー写。
秋田ハイコーフェスの帰り道。
6枚のアルバムをさっさと作って死にたかった頃。

PS.
さっきも書いたが1st〜6thは2000年から2019年の歌が作曲年関係無く収録されています。
ディスクガイドのおまけとして、3rd4thの歌の作曲年も書いておきますね。
昔聞いた事ある人も、レテパを信じてもう一度だけ聞いてみよう。
きっと気にいると思うよ。

僕のレテパシーズ3rdアルバム
「永遠に、たまに」

1.深海(2016年作曲)
2.夜に名前を(2011年作曲)
3.ホープちゃん(2013年作曲)
4.ラブソング(2016年作曲)
5.雨の日々(2009年作曲)
6.ていくいっといーじー(2013年作曲)
7.君の思い出(2011年作曲)
8.ユーレイ(2008年作曲)
9.バスが来るまで(2007年作曲)
10.永遠に、たまに(2017年作曲)

録音メンバー
Vo.古宮大志
G.はなえもん
B.飯田裕
Dr.鈴木亜沙美

僕のレテパシーズ4thアルバム
「ブルースマン」

1.ブルースマン(2011年作曲)
2.ロックンロールⅡ (2017年作曲)
3.7月12日、13日(2009年作曲)
4.夜明け前(2007年作曲)
5.MOON PALACE (2008年作曲)
6.アズミ(2008年作曲)
7.丘の上の学校からどっかへ行っちゃった君へ(2010年作曲)
8.サマー(2012年作曲)
9.ヘルメットヘアー(2018年作曲)
10.僕のレテパシーズのテーマ(2003年作曲)

録音メンバー
Vo.古宮大志
G.高野京介
B.飯田裕
Key.ハダユキコ
Dr.関口萌

あれ?僕のレテパシーズの結成が2010年なのにテーマが2003年ってどういう事?
と思ったあなたは鋭い。
先程の①②③の文章にその訳が書いてあるので読んでみよう。

PS.
さあ、さんざん3rd4thを絶賛してきましたが、過去作をこんなに褒めれるのは10thが自信満々の大名盤な証拠です。
11月21日ですよ。(この日にした理由は俺の大好きなあの人の夏の歌のアルバムが1989年11月21日にリリースされたから)
レテパの「夏のアルバム」に感動したあなたも、いつか11月21日に全曲夏の歌のアルバムをリリースすれば良い。
日本の音楽界に謎の伝統を作ろう。

では、あと6日。
夏の中で会いましょう。

シングル「まだもう」リリースしました。
11月21日リリースの10thアルバム収録曲になります。
この前のレテパフェスの時にも話したけれど、メンバー全員に「10thから1曲だけシングル出すとしたらどの歌が良い?」と聞いてみた。
すると「まだもう」に3票。「T君の夏の歌」に1票。「棄権」が1票。
棄権は俺で、その理由は「どの歌も同じように好きなので選べない」から。
なぜ「どの歌も同じように好き」なのか、というのも書いたらなかなか面白い話な気がするけれど「作詞作曲」の壮大な話になってしまい長くなるのでまた今度。
とにかく公正公平に「まだもう」が選出されました。
がんばれまだもう。

この写真は「まだもう」のジャケ。
10thアルバムのジャケットを考えていた時、色んな写真を母から送ってもらったのだが、その中にあった1枚。(白い犬を散歩する俺を妹が追いかけている)
こんな写真の存在は知らなかったが、2番の歌詞の「田んぼの道」はこの農道。
そして「増水の灌漑溝」の灌漑溝まで写っているので(写真右側のやつ)こんなにも「まだもう」のジャケに相応しい写真は無いだろう、と思い採用。
ちなみに灌漑溝とは用水路の水を溜める所。
俺はいつもここで魚を釣って食べていた。
しかし心配性の母は「農業用の水路だから農薬がたくさん入り込んでいるのでは?」と何やら一人で調べていた。
魚を釣ったからには「食べる」か「飼う」かしないと気が済まない子供だったので、食べられる種類の魚は全部食べていた。
危険な行動を頭ごなしに止めるのではなく、ちゃんと調べて納得させて止める、というスタイルは今思うと最高の教育スタイルだな、と思う。
まあ、母に言わせれば「相当の正当な理由を突き付けないと絶対に言う事を聞かない子供だったからね!」と文句を言いそうな気もするが。
用水路の農薬が安全レベルと分かってからは、両親総出で俺の釣ってくる「食べられるが決して美味しくはない魚」の調理法を研究してくれた。
焼く、煮る、味噌汁に入れる、燻製にする、全部美味しくなかったが、最終的に近所の農家の長老が「あれは刺身だ。小骨さえ根気よく取れば最高の刺身になるぞ。」と教えてくれた。
「焼いて美味しくもない淡水魚が刺身だと美味しい」という斬新な発想は古宮家には無かったので半信半疑で試してみたのだが、その刺身は本当に美味で、東京から遊びに来た母方の祖父(母方は東京。祖父は高度成長期のバリバリのサラリーマンで食には特に煩かった)にその刺身を食べさせると「うん。こりゃ美味いな。」と言ったのが今でも忘れられない。
ワガママな祖父だったので用水路の魚なんて絶対に食べないし、おじいちゃんの為に孫が釣ってきたとかの理由も全く響かないタイプの人だったので「北海道の高級魚の刺身だよ。」と嘘をつき、裏で妹と舌を出して笑ったのだった。

こうやって少年期の事を思い出してみると、自分の行動原理はあまり変わらないな、と思う。
最初は周りと同じようにビックリマンシール(本当は「ドキドキ学園」派だった)やガンダムのカードダス(1枚20円の時代)なんかを集めていたが、所詮既製品の中の出来事なので、冒険心が満たされなかった。
生死に関わるような本当の大冒険がしたかったので(漫画やアニメの主人公は必ずそういう大冒険をしていたから、それが本当の状態だと信じていた)夢の無い既製品はやめて、魚釣り(月形町で絶滅したと言われていた幻の魚を追い続けた。「石狩川の大チョウザメ」はついに見つけられなかったが「樺戸監獄の囚人達の赤い血により染まった伝説の赤ドジョウ」は何匹も発見して飼っていた)
そしてその後は化石掘りに夢中になり、新種の化石を探し続け、化石で有名な隣町の三笠市の博物館の職員とも仲良くなって、職員御用達の業務用の発掘地図をこっそり見せてもらったりしていた。
そして今「歌が出来たら録音してアルバムにする」という行動も行動原理としては同じような気がしてる。
あの頃夢見ていた「生きるか死ぬかの大冒険」
喜怒哀楽全てドカーン。ああ楽しい。
子供の頃は「こんな町飛び出して冒険の旅に出よう!レッツ家出だ!」と熱く誓い合った友達も、いざ旅立ちの朝を迎えると引き返してしまって、寂しい思いをたくさんした。
でも今は同じ思いの仲間がちゃんと出来たもんね。

この歌はフランクザッパの「Watermelon In Easter Hay」という曲を聞きながら食器を洗っていたら出来た。
フランクザッパなんて全く聞かずに育ったのだが、レテパスタッフのソノダ氏がザッパのドキュメンタリーを見たらしく「音楽に対する姿勢がひろし君に似てる気がしたのでひろし君も一緒に観に行こう。」と誘ってくれて映画館に行ってみた。
似てる気は全然しなかったのだが、エンドロールで流れていた曲はすごく好きだった。(その後ソノダ氏はポーグスのシェインの映画も観に行き「すみませんでした。ザッパじゃなくシェインに似てました。」と謝罪してきた)
長いインストの曲なのだが、聞いているとなぜか故郷の事を思い出す。
その日(2022年6月5日作曲)も食器を洗いながら聞いていたのだが、洗いの途中でふと振り返りすぐ後ろに置いてある足踏みオルガンの前に座ったらこの歌が出来た。
皆さんが聞き比べても全然違う曲に聞こえると思いますが、自分としては「サンキューザッパ。おかげで歌が出来ました。」という感じです。
英語は苦手なので「Watermelon In Easter Hay」がどういう意味なのかは分かりませんが、カニ君にこの話をしたらWatermelonというのはスイカだと教えてくれたので「月形町はスイカの名産地でゴジラのたまごっていうスイカがあるんだよ!」とタイトルに縁を感じて嬉しかったのを覚えています。

10thアルバムの曲は2022年頃の歌達です。
このアルバム以降は足踏みオルガンやピアノを弾いて歌が出来る事が多くなりました。
ギターと違い、ピアノは全然何弾いてるのか分からずに取り憑かれたように触っているだけなので、デモテープを聞いたメンバー達もコードの解釈の自由度が増えたらしく、10thアルバム以降の歌達は少し雰囲気が違うかも知れません。
まあ、11月21日を楽しみにしてて下さいね。(なぜ11月21日にしたか分かるかな?)

先日レテパシーズTwitterに今後のスケジュールを載せてもらいました。

【10/30】
シングル「まだもう」リリース

【11/6】
僕のレテパシーズTikTok登場

【11/13】
3rdアルバム「永遠に、たまに」
4thアルバム「ブルースマン」
リミックス、リマスター盤リリース

【11/21】
10thアルバム「夏のアルバム」リリース

【12/2】
MV「そばにいる」公開

明日の11/6は「僕のレテパシーズTikTok登場」となっています。
これは以前「日記風」のどこかでも書いたけど、俺が失意の中、不動産屋で働くのっぺらの高林君に連れられて物件の内見へ行く途中に「のっぺらはTikTokを始めてお客さんが増えたし、音源も聞かれるようになりました。レテパは歌詞も見た目も古宮さんの歌い方も個性的でTikTokに向いていると思いますよ。」と言われ「うーん、確かに俺が中学生の時に見て衝撃を受けたセックスピストルズやジャニスジョップリンの映像も数十秒のダイジェストで大衝撃だったもんなあ。」なんて思い、メンバーに話したところ、菊竹南と先日の「レテパシーロックフェスティバルの光景」の進藤三太の二人が中心となってTikTokを始めてくれる事になりました。
そういう縁なので俺はTikTokの事を「高林部」と呼んでいます。

前にも書いたが、俺はTwitterとかTikTokが苦手というよりはネット自体が苦手なので(頭がごちゃごちゃすると歌が出来なくなる気がしてる)いまだにガラケー野郎です。
なので、今回の高林部に関しても、TikTokどころか使用する映像も見ていませんし、今後も見る事は無いと思います。
でも完全に信頼して任せられる仲間が出来て嬉しいです。
「ライブを見てほしい」「音源を聞いてほしい」この二つの純粋衝動の助けになるといいなあ。
なんの後ろ盾も無い無名の自主制作軍団ですからね。
孤軍奮闘。使えるものは使わないと。
俺は何も出来ないが、歌だけは出来るので、まあミュージシャンとしては合格ラインなのではないでしょうか?

というわけで、今月は盛りだくさん。
お楽しみに!

PS.この写真は以前にも登場した気がするが「あれは刺身だ。小骨さえ根気よく取れば最高の刺身になるぞ。」と教えてくれた農家の長老のタケダさんはこの子供相撲の行司です。

PS.最近アー写が新しくなりました。
撮影は平田Kさん。
場所は我らが新故郷ロサンゼルスクラブ。
トイレの前のレトロソファーゾーンです。
いつかこの場所が聖地になりますように。

どうです?みんな良い顔になった気がしません?
たくましい感じ。
全60巻の漫画の42巻くらいのたくましさが出てきたね。
だいぶ強くなってきたぞ。色々あったもんね。

PS.10thアルバムのリリースは11月21日です。
「今作はレコードにするぞ」と以前書いた?ライブ中に話した?気がするが、やめました。
色々考えて、最終的には本能でやめました。
これについてはまた書きます。
なのでいつも通りの「配信リリース」と「CDのレテパホームページ通販」という形になります。
もしレテパのレコードを楽しみにしてレコードプレイヤーを買ってしまった人がいたらごめんなさい。
お詫びに2026年以降の遠くない未来に全アルバム12枚をレコードに出来るようがんばります。

PS.レテパTwitterには載せてもらったのですが、レテパNEWSには未掲載でした。
先日は第5回レテパシーロックフェスティバルありがとうございました。
ライブ後、川崎テツシ&犬丸二と「2026年に感動的な朝焼けを眺めましょう!」と約束しちゃいました。
必ず実現させます。
その日までカッコいいままでいてね。
俺達も素敵でいられるようにがんばります。

以下はレテパTwitterに掲載した第5回閉会のご挨拶と同文です。

【ごあいさつ】

東高円寺のロサンゼルスで歌った次の日の朝、ベッドに寝転びながらアメリカのロサンゼルスの野球を見た。
体が動かなかったので。
ベッドに寝転びながら最初から最後まで見た。
だけど頭は割と動くようだったので、色んな事を思い出した。
あんな事、こんな事、を思い出しているうちに、昨夜歌いながら見た光景の事も思い出した。
もしも今「あなたが生涯に見た景色の中で一番キレイだったのはどこですか?」と問われたら「うーん、二つ答えて良いですか?屋外だと故郷の宮島沼の春。空一面の渡り鳥と夕焼けの光景。屋内だと僕のレテパシーズで歌っている時の目の前の光景。」と答えると思う。
今回も一番キレイな光景だった。(本当にありがとう)

アンコールでは「才能がなかったんだろ」を久し振りに歌った。
この歌を歌ったせいか、作曲した2020年頃の事も思い出した。
2020年2月21日の復活ライブ。
ライブとしてはこのライブが「中期のレテパシーズ」の始まりだった。
そして作曲としてはこの「才能がなかったんだろ」が中期の1曲目。
初期の終わり頃は「6枚のアルバムだけは、6枚のアルバムだけは」とそれだけを思いながらギリギリで生きていた。
今は「12枚のアルバムまでは、12枚のアルバムまでは」とそれだけを思いながらノリノリで生きている。
ノリノリではあるが、ふと「レテパはあと何回ライブが出来るんだろう?」と思う事がある。
今回のレテパフェスの前にはそう思う事が特に多かった。(多分カニユウヤのギターがいつもと違う色だったのがその理由)
最近頭で思い描く残りライブの回数は決して多い数字では無い。
だけども焦らずにこのまま行進を続けようと思う。
焦って自暴自棄になってばかりだった俺が、こんな風に思えるようになったのは、やはり歌いながら見ているあの光景のおかげだよな、と思う。
初期のレテパシーズの頃には見れなかった光景。
今の俺は確実にこの光景に支えられている。
中期が始まり4年半。
7th以降の3枚のアルバム(来月4枚目の10thが出るよ)と59曲の歌達(あと1曲で12th用の10曲が揃う)が出来た。(そういえば可愛いエンジェルも一羽出来たな)
「才能がなかったんだろ」を歌ったせいで、中期をこんな風に振り返っていたら、テレビの野球はロサンゼルスがサヨナラ満塁ホームランで劇的な勝利。
喜ぶ大谷君を見ながら「おう、元北海道。がんばって良かったな。俺も引き続きがんばるぜ。」とテレビを消して、長い長い昼寝をした。

いつか「あなたが生涯に見た景色の中で一番キレイだったのはどこですか?」と同じ質問をされた時にはこう答えたい。
「前は屋外と屋内で二つ答えたんだけど、今は屋外でも屋内でもレテパシーズで歌いながら見てるあの光景だな。そしてレテパフェスの終わりの感動的な朝焼け。」

犬丸二、川崎テツシ、そして「光景」のあなた。
本当にありがとう。
あとロサンゼルスクラブはカニユウヤが店長になりました。
アメリカのロサンゼルスも良いけれど、ロサンゼルスといえば東高円寺!と言われるくらいにがんばろーぜ。
ロサクラを俺達の故郷にしよう。
俺はセブンティーンの時に札幌161倉庫に救われた。
カニ君の事だから、あの頃の俺のような駆け出しで命知らずのセブンティーンをたくさん救う事でしょう。
安心して素敵な店長になりたまえ。
みんな応援してるから。

では、今年のレテパシーズライブはこれにて終了。
次回は未定。
ひたすらに11thアルバムのアレンジを進めます。

愛してるよ光景。
また会おう。

僕のレテパシーズ
古宮大志

今日は親愛なる犬丸二について。
日記風で書いてみます。
読んでピンと来たら、金曜の夜、ロサンゼルスクラブに来てね。
必ずや素敵な夜にしますので。

○/○
レテパのスタジオ。
9thアルバムのアレンジの頃。
やりたい事が終わらなかったので「今日このまま延長出来る?」とみんなに聞くとカニ君が「あ、この後急遽スタジオのバイトに行かなきゃいけなくて、、他の人が出れなくなったので。」と言った。
俺は「なんだよー、せっかく盛り上がってきたのに、大名盤完成の邪魔をしやがって。〇〇の野郎。」とテキトーなスタジオスタッフの名前を言った。
カニ君は「いや、その人じゃなくてTHEドイの人です。」と言った。
俺はそのバンドは知らなかったので、土井というおっさんのバンドを想像して「あの土井のジジイめ。さっさと引退しろ。」と言った。
カニ君は「いや、女です。」と言った。
俺は「あの土井のババアか。」と言った。
カニ君は「そうっす。」と言った。
彼はテキトーな事案にはテキトーに返事をする事が多い。
俺の中でTHEドイはTHE土井という60歳くらいのババアがフロントマンの古いロックのバンドというイメージになった。

○/○
カニ君に用事があり連絡。
「○/○空いてる?」と聞くと「あ、その日はスタジオのバイトっすね。」と答えた。
俺が「土井のババアに代わってもらえば良いじゃん。」と冗談を言うと、カニ君は「土井のババアは多分無理っすね。他の日にしましょう。」と言った。

○/○
レテパのスタジオ。
俺はスタジオ後は他人と関わる気分になれない。
全部出し尽くしているので早く1人になりたいのだと思う。
なので、スタジオ後は真っ直ぐ家に帰る。
他のバンドは結構飲んだりするらしく、菊竹南は加入した最初のスタジオの後「ごはん行ったりしないんですね。レテパって。」と不思議そうに言っていた。
カニ、南、ハジメ、の3人とは駅で別れるが、ヤハタトシキは高円寺在住なので、缶ビール片手に帰り道のギリギリまで一緒に歩いて色々話してくれる。(スタジオは高円寺。そしてこの頃は俺もユキコの祖母の空き家に住んでいたので高円寺在住だった)
毎回、天下一品のところで右と左に分かれてバイバイする感じが、少年時代の下校の時みたいで面白い。
その時ヤハタ君は「今度ベースメントで企画やるから良かったらぜひ。」と言った。
俺が「へー、ワンマン?」と聞くとヤハタ君は「いや、スリーマン。〇〇とTHEドイだね。」
俺はビックリしてOKストアの前あたりで大声を出した。
「え!THE土井!?あの土井のばあさんが出るの!?」と叫ぶとヤハタ君は「全然おばあちゃんじゃ無いよ。かっこいいバンドだよ。まあ、俺らがもっとかっこいいライブするけどね。ふふん。」みたいな感じだった。
天下一品の分かれ道に来たので、それ以上話さずに別れた。

○/○
下北沢ベースメントバー。
ヤハタトシキのバンド、半夏生の企画。
階段を降りると今日の出演者のポスターが貼ってある。
THE土井はTHEドイだった。(ガラケーラブの俺はSNSとか見ないので、この日まで表記を見る事は無かった)
心の中で「へー、土井のばあさん、調子こいて土井をカタカナにしてやがる。」と思いながら受付へ。
アル中の断酒治療(2019年2月〜)以降は世俗と断絶してたので、ベースメントやTHREEも数年振り。
昔対バンしていた同年代の人達が店長になっていてビックリ。
時の流れを感じるが、自分は独自時間で生きている感じなので(2019年2月以降は完全に独自時間の感覚)いくら時が経っていようとも自分とは関係が無い気がする。

トップバッターはTHEドイ。
かっこいい感じのSEで颯爽と登場した土井さんは、全然ばあさんじゃなく、若いねえちゃんだった。
本当にばあさん(少なくとも絶対に俺よりは年上を想像していた)と思っていた俺は驚いて「カニめ!あいつテキトーに相槌打つ時あるからなー。」なんて思ったのも束の間。
キラキラとカッコいいバンドだったので、見入ってしまった。

ライブが終わると、土井のねえちゃんが話しかけてくれた。
あちらはこちらを知っていてくれたようだった。
話してみると、土井ですらなく大泉咲さんという名前だった。
ドイというのはメンバーに名古屋方面の人間が多くて「ど良い」→「とても良い」という方言が由来と説明してくれた。

色々話したのだが「元々は犬丸二というバンドをやっていたのだが、メンバーの都合で休止してしまい、代わりにその頃同じような状況で暇そうだったバンドのメンバーの寄せ集めがTHEドイなんです。」と言っていた。
彼女の話し方で「犬丸二、というのを本当はやりたかったんだな。この人は。」と思ったので、犬丸二、大泉咲、という名前を忘れないように頭の中で復唱した。

※半夏生の事は今日は割愛。
先日リリースされた「MOMOZONO」というアルバム、とても良いので聞いてみてね。
彼の歌には中野→高円寺あたりの線路沿いの道がよく出てきます。
井伏鱒二の「荻窪風土記」で関東大震災の描写があるのだが、あの時、学生だった井伏さんが野宿したのもこの辺り。
井伏さんが野宿した中野桃園あたりで恋をしているヤックンを思うと、なんだか面白くて微笑んでしまいます。
中央線の大先輩と100年後の後輩と。

○/○
早速、THEドイ、犬丸二、の音源を聞いてみた。
どちらも素晴らしかった。感動した。
でも正直に書くと、最初犬丸二が素晴らし過ぎて、THEドイが少しかすんだ。
だけど、その後THEドイもちゃんと染み込んできて、両方大好きになった。
「犬丸二、見てみたかったなあ」と強く思ったが、先日の大泉咲さんの話し方からすると、もう活動しないタイプの活動休止に聞こえたので、叶わない夢なのだと諦める事にした。

世界は狂っていると思う。
生きるため感覚を鈍感にした人。
それが出来ず敏感で壊れてしまう人。
壊れないけど、歩くのをやめる人。
彼女はどれでもなくて、敏感なまま歌い続ける人だった。
よくこの感じで壊れないな、と思った。
それくらい、真っ直ぐに世界を見て、それを素直に歌っていた。

今日(2024年10月22日本日)も彼女のソロ、犬丸二、THEドイを聞いていたが、今日はTHEドイの「また出会えた」がやけに心に沁みた。
あのメロディーであの声で「昔から知ってる遊びが同じだったんだよ」と歌われた時、泣きそうになってしまった。
唐突だが「もし俺の息子が将来歌う人間になったとしたら、彼女のように素直な歌を作れる人間になったらいいな。」なんて思った。

そして、彼女のソロの「きみと海」を聞くといつも全てがどうでも良くなる。
こんな気分にさせてくれる歌は滅多に無い。

○/○
この日はピーナッズとHOGO地球の共同企画。
場所は高円寺のドムスタ。
「集合演奏解散」という潔い素敵なタイトルのイベントだったが、この日は高円寺阿波踊り。(主宰はそれを知らずに組んだらしい)
高円寺駅からドムスタに辿り着くまで通常5分のところ、1時間はかかるという大混雑で、集合も解散も困難な中、イベントは行われた。
レテパシーズで出演したのだが、THEドイも出ていて嬉しかった。
咲ちゃんと話すのはベースメント以来2回目だったけど、家で彼女の歌を聞きまくっていたので、勝手に身近な人に感じてたくさん話した。
この日はみんなドムスタの音作りに苦戦しているように見えた。
レテパはこういう困難なハコで最高の音を出すのが大好きなので、ライブ前にみんなで相談して、いつも通り自由な発想でとんでもない音を出してやった。(こういう時は模様替えレベルの自由な発想が大事)
ドムスタの長い歴史の中でもあの部屋であんな音を出したバンドはいないだろう。
ざまあみろ!という最高の気分でトリのピーナッズを見たがボロボロ。
このバンドもほんと不器用で、10回に1回くらい感動的なライブをする。
10回に1回の大当たりの時は、全人類ときめくタイプの夢のようなポップな時間なので、この日でピーナッズを見限った人も、諦めずにまた見てみると良いと思う。

○/○
次のレテパフェスはTHEドイにオファーしてみようと思い立つ。
一応最近のドイも見ておこう、と思い西永福のJAMへ。
ガラガラの客席でドイの出番を待っていたら、THEこうがんずのドラムのしんちゃんが入ってきた。
長身の彼がのっそりとした動きで右と左の両方の靴紐を交互に結び直している姿がなんだか寂しそうに見えた。
後日こうがんずのキダ君と飲んだ時、しんちゃんの苦悩を聞いた。
なんて、ボロボロでやけっぱちな人達なんだろう。
しんちゃんはその後こうがんずを抜けた。

この日のドイは少し元気が無いように見えた。
でも、俺は構わずに大好きな歌を一緒に歌って踊って帰った。
歌って踊った後に人と話すのは照れくさいので、誰とも話さずにさっさと店を出て、家に帰ってから、レテパフェスに出てくれませんか?とオファーのメールを送った。

みんなと相談させて下さい、とベースのムタ君から返事が来た後、長い間連絡が無かった。
なんかあったな、と心配していたらやっと連絡が来た。
そのメールには「解散する事になりました」と書いてあった。

俺の好きなバンドはどんどん消えていってしまう。
純粋な人達には活動しにくい場所なのだろう。
ライブハウスって場所は。

ドイが解散すると連絡が来た次の日には大好きだったSEAPOOLというバンドも解散してしまった。
どんどん消えていく、愛しのエンデンジャードスピーシーズ達。
(エンデンジャードスピーシーズ→絶滅危惧種)

○/○
年が明け、最後の猫も壮絶な死に方をした。
離婚する事にして、引っ越した。
この頃は、THEドイの「月」という歌の「ベイビー、ああ こんなはずじゃなかったことは この世にあといくつあるだろう」という歌詞がとても自分の近くにいて、助けられた。
彼女の歌にはよく月が出てくるが、この頃いつもこの歌詞が俺の上に月のように浮かんで照らしてくれていた。

○/○
大興奮のすごい情報を聞いた。
犬丸二が復活するという。
絶対にもう見れないと思い込んでいたので、めちゃくちゃ嬉しかった。
ブルーハーツ、ハイロウズ、ブランキー、たま、俺の好きなどんなバンドだって再結成なんかしてほしくない。
が、犬丸二だけは別だ。
バンザイ。

○/○
西荻窪のフラットに犬丸二企画を見に行く。
すげえたくさんのバンドが出演する昼からのイベント。
俺は勝手に「彼女は、真面目で人に気を使うタイプだから、こういうたくさんのバンドが出る自主企画の主宰は向いていないのでは?ちゃんと出来るのだろうか?」と思っていたのだが、案の定トリの犬丸二の出番の時には疲れ果て(勝手に書いている。俺にはそう見えた)あまり良いライブは出来なかったのでは?という感じに見えた。
でも、そんなのを超えてこっちは「絶対に生では聞けないと思っていた歌達が目の前で演奏されている」という喜びと興奮で、歌って踊ってゴキゲンで帰った。
思った通りに素敵で不器用で分かりやすい人だなあ、なんて思いながらカブで環八を爆走して、高円寺では無く、新居のボロアパートがある経堂に帰った。

このライブの後、彼女はこの日の事をどう思っているのだろう?と気になり、彼女のホームページを見てみた。
そこに彼女のブログがあったのだが「もう最高のイベントでした!共演者の皆さんありがとうございました!」みたいな普通の事が書いてなかったらいいなあ、なんて期待して見てみたら、案の定ダークな感じの文章でサイコーだった。

○/○
大泉咲/「夏のGO!GO!」というシングルがリリースされた。
歌詞に出てくる平和という言葉。
最近よく聞く言葉だが、彼女が歌う「平和」という言葉が俺には一番素直に響いた。

以上、思い付くままに犬丸二、THEドイ、大泉咲、の事を書きました。
ほんと勝手な解釈で思うままに書いてますが、俺が彼女の歌を好きだという事が伝われば大成功です。
それでは金曜の夜、ロサンゼルスクラブで会おう。

PS.レテパフェスについて少し連絡事項。

①前回の第4回の来場者の方、前回のチケットの半券提示で入場料が半額の1500円になります。
受付で提示して下さいね。
※前回のチケットを持っている方もご予約メール頂けると助かります。
※もし紛失した方はメールで教えてくれたら半額で大丈夫ですよ。

②今回のチケットは第6回の半額券になります。
第6回は来年の予定。
今年のレテパライブはこれで終わり。
なのでぜひぜひ。

③フード出店してくれる「トムヤム酒場イーダ屋」はレテパ3代目ベーシストの飯田裕です。(参加作品→2nd「愛してるよ」3rd「永遠に、たまに」4th「ブルースマン」)
ちなみに今、3rdと4thはリミックス、リマスターしています。
また今度詳しく書きますが、当時の愚かな俺が極端なミックスで消してしまっていた、あの頃の雰囲気をちゃんと再現出来ました。
楽しみにしてて下さい。絶対にみんな驚くと思う。
あの頃のレテパは凄いんだから。

④今回のレテパフェスはレテパ全アルバムに関わっている馬場友美がPA(音響)です。
彼女がいなければ、レテパシーズの行進はとっくに止まっていたでしょう。
PAも馬場ちゃんで百人力だし、この夜のロサンゼルスクラブは絶対にサイコーの音が鳴ると思う。
先日オーナーのロハスさんが亡くなってしまい、今後はカニユウヤがこの店を続けていきます。
素晴らしい場所です。みんなで応援しようね。

第5回レテパシーロックフェスティバル、近づいて来ましたね。
確か前に「12月にもレテパフェスをやるぞ!」と書いた(ライブ中に話した?)気がします。
ですが、やらない事にしました。
なので、レテパシーズのライブは10/25が年内最後です。(そういえばこのバンドよくある、年末イベント、みたいなライブのオファーが来た事が無い。なんでだろ?年末っぽく無いのだろうか?)
また今度詳しくお伝えしますが、第5回レテパフェスの後はリリースラッシュが続きます。
そして春頃には11thアルバムのレコーディングを予定しています。
労働しながら、年1枚のアルバムを作るとなると、どうしてもライブの回数は減ってしまいます。
昔は「6枚のアルバムだけは」と思って生きていましたが、今は「12枚のアルバムまでは」と思って行進しています。
それは今出来ている歌が12thアルバム用の歌なのもありますが、ここを一区切りにして、アルバム12枚分120曲の歌詞を載せた「僕のレテパシーズ詩集」と、120曲へ送る120の文章を書いて「僕のレテパシーズへ捧ぐ」という本にしたいな、と夢見ているからであります。

こうやって、いちいち区切りをつけてしまうのは、少年時代から変わらないので、こういう性格なのでしょう。
計画通りいけば、2026年には全て終わっているはずです。
それまでにあと何回ライブを出来るか分からないが、そんなに多くはないと思う。

なので、ぜひ10/25の第5回を目撃してね。
先日ロサンゼルスクラブのオーナーで、カニユウヤの父でもあるロハスさんが亡くなってしまったので、この日のロサンゼルスクラブでは凄い音が出る事がもうすでに決定しています。
安心して覚悟して来るように。

では本題。
今回出演してくれる親愛なる川崎テツシについて。

俺が初めてライブをしたのは2000年で高校3年生だった。
あれから24年歌っているが、カッコいいなと思えたバンドや歌手はどれくらいいただろう。
多分、30もいないと思う。
20〜30くらいではないだろうか?
昔は今と違って少なくとも月に3回以上は何かしらのライブをしていた。
年に30回対バンのあるライブをしていたとして、そして客としてもライブを見に行くので、1年に200くらいは見る計算になる。
今はそんなにライブをしなくなったので、それを差し引いたとしても、少なくとも1000以上は見たのではないだろうか。

1000見て、30に感動したとしたら、確率としては3%。
今、初めて数字にしてみたが、意外と多い気がする。
体感としてはもっと低い感じ(0,03%くらい)の暗くて寂しい音楽人生だった。

※正直に書くが、俺は数学が苦手なので、最初答えを間違えて30÷1000は0,03なので、0,03%なのだと勘違いしてしまった。
そして「やはり0,03%とかなんだなあ。そんな感じだよなあ。」と納得してしまった。
今回のNEWSは昨日の朝、バイト前に書いたのだが、最後の部分が書き終わらず、途中でバイトに行った。
で、バイト先の友人に「24年間で1000見て30に感動したんだから0,03%の確率だったわ。でもそんなもんだよなあ。」と言ったら「いや、古宮さん間違ってます。3%が正解です。」と指摘され、家に帰ってから上記の3行を書き直した。
でも、下の方にもその%が出てくるのだが、体感としては0,03%の方がしっくりくるので(3%じゃ100見て3に感動だもんね。絶対にそんなに多くない)上の3行のみ書き直し、下の方はそのままにします。

そんな0,03%の確率で川崎テツシに会ったのは2017年の事。

この「★&×ミー」(「スタンドバイミー、と読む。星→スター、&→アンド、×→かける=倍(バイ)、ミー)は岡沢じゅんと俺の共同企画。
1回毎に順番で好きな歌手を1組呼んで3マンにしていた。
ちなみにこの頃の俺は衰弱モードだったので、ライブをやるのが面倒くさく、家から徒歩2分のギャラリー?のような場所を会場にしてもらっていた。
この第4回の川崎テツシは岡沢じゅんが呼んで来た人。
正直じゅん君が呼んで来る人は必ず毎回素敵という訳ではなかったので、この日も見るまでは半信半疑のドキドキ。
が、川崎テツシは0,03%の人だった。
しかも、その0,03%の中でも「俺はその人の事を好きだが、多分相手は俺の事を好きじゃないな」というパターンも多かった。
今思えば、極度にネガティブだった自分の思い込みでそう感じていただけのパターンもある気がするが。(俺は好きな人には大好きですと言わないと嘘な気がして後悔するので、頭がもげそうなくらいに緊張しながらも言ってしまうのだが、思っていても言わない人が多いみたいなので)
そんなのも入れると「こっちは相手を大好き。そして相手も自分の事を好きそう」という状態は0,01%くらいになってしまう。
で、川崎テツシは0,01%の人だった。
その日のライブの事は実は全然覚えていない。(2017、2018はかなり抜けている)
ただ、確実に0,01%の人だったという事と、彼のCDを手に入れた事は事実。
辛かったあの時期、彼のCDをリピートして何回も聞いていた。(今、探してみたが、このCD紛失しているね。見つからなかった。あの頃は酔っ払って人に物を貸したりあげたりしまくっていた)
「インナースカイ」「ギンズバーグ」「ブルーライト」今配信されているやつとは別の演奏だった。(今配信されている、川崎テツシと燃えるキリン「燃えるキリンの話を聴いた」も素晴らしいのでぜひ)
あの頃、本当に文字通りこの歌達に救われた。
絶望してる時に、同類に会えるというのは、何よりも嬉しく励まされるものだ。

それから数ヶ月?さすがにいつなのかは記憶に無いが、もう一度彼と対バンした。
場所も覚えていないが、確実に東京では無かった、でも新幹線や高速バスとかに乗る距離でも無い、普通の電車で行ける距離の少しだけ遠い町でのライブだったと思う。
記憶が抜けている時期なのに、なぜ「普通の電車で行ける距離」と覚えているのか。
それは、帰りの電車の中での記憶が強く残っているからだ。

その日のライブは少しだけ覚えていて、確か地べたに座って見るタイプの店だった気がする。
お客さんはまばらで、川崎テツシが歌っている立ち姿が今でもシルエットで浮かんでくる。
地べたに座っていたのもあるのだろうか、見上げて見た彼は、とてつもなく大きく、そして頼もしく見えた。
俺達のやっている事や学びたかった事を教えてくれる学校なんてどこにも無いけれど、もしそんな学校があるのならば、同じ学校の卒業生な気がする。
彼とは、同じ季節、同じ本、同じ音楽に触れて来た気がする。

で、思い出の帰り道。
ここだけは鮮明に覚えている。

一緒に電車で帰った。
ブランキーの話になった。

俺は「初めて聞いたのはセカンドのBANG!だった。20才の頃だった。高校生の頃、同級生がブランキーを聞いていたが早熟な俺はバカにして一切聞かなかった。でもBANG!を聞いて感動して、ラストアルバムのHARLEM JETSも聞いてみた。感動した。元気が出てきた。で、こうなったら順番に最初から全部聞いてみよう、と思いファーストのRed Guitar and the truthを買ってみたが、全然良くなかった。で、次にサードのC.B.Jimを買ってみたのだが、あまり良くなかった。だけど、ライラックという歌は今でも大好きな歌で、たまに道路標識を蹴飛ばしながら口ずさんでいる。」という事を話した。

満員電車では無いけれど、そこそこに混み合う帰宅時間の普通電車。
テツシ君は何かしらの酒を飲みながら、うんうんと頷いていた。
その「うんうん」と頷く自然な感じを一切崩さずに、彼の手がギターケースに伸びる。
顔もごく自然で「うんうん」の声のトーンも変わらない。
そのまま頷きながら自然な当たり前の日常のような様子で、彼の手はギターを取り出し、いきなりライラックを弾き出した。
乗客達は一瞬ギョッとしただろう。
が、全員見て見ぬふりをしていた。

俺はこういう「イカレた行動」を特別好きでも嫌いでもない。
パンクを気取って力んで行う場合のこの手の行動はむしろ嫌い。
でも、この時のテツシ君のライラックは、野生動物の動きのように自然で当たり前の日常な感じだった。
なので、大好きな思い出として今でも覚えている。

あれから会っていない。
でも、あのライラックの続きのような顔をして会えると思う。
2回しか会った事無いけどね。
回数や時間ではなく、会った瞬間に前の続きが始まる。
そういうのが友達だと思う。
再会。再開。そういう事です。

PS.ブランキー、最近サブスクでも聞けるみたいですよ。
ライラック聞いてみてね。
きっとあなたも嬉しすぎて道路標識を蹴飛ばしたくなる事でしょう。
俺はこの歌を聞くといつも、室蘭の海の見える坂を友達と歩いてた時の事を思い出す。

第4回レテパシーロックフェスティバルの映像を公開しました。

レテパシーロックフェスティバルの光景/僕のレテパシーズ

経緯(レテパNEWS「そばにいる」)は前にも書いたので、長くは書きませんが、この日は関口萌の代わりに鈴木亜沙美がドラムを叩きました。
当初、ハジメちゃん(関口萌→セキグチハジメ)のお休みは長いものになる予定だったので、アディー(鈴木亜沙美→アディー)とは、もっと何回もライブをやると思っていましたが、結局この日の1回限りとなりました。
それでも俺やメンバー、そしてアディーにとっても、すごく貴重な経験になったと思います。
ライブ中にも話していますが、この日のライブの為だけに、かなりスタジオに入りました。
今、手帳を見たら1ヶ月半の間に計20時間も入っています。
アディーがレテパシーズをやっていた頃(2012-2017、1st-3rdアルバム)は、アディー以外のメンバーにぶっ飛んでいるパンクな人が多かったので、何となくアディーが「優秀な上手いミュージシャン」の役を担っていたと思います。
が、今回スタジオに入ってみて気付いたが、別に上手いわけじゃ無いんだよね。
彼女のドラムを初めて見たのは2002年頃、札幌東区161倉庫での事でしたが、あの時も上手いなんて思わなかったもんな。
ただ、彼女の純度に衝撃を受けた。
今回アディーは「クレイなジー」が特に苦手で、全然上手く叩けずに苦戦していました。
が、ハジメちゃんが苦手でレパートリーから長く外れていた「ロックンロール」や「SFマンボ」は、さすがにお手のものなので、6、7年振りにセットリストに入りました。
カニ、ヤハタ、南、の3人は、まだお客さんだった頃にアディー時代のレテパシーズを見ています。
なので「アディーさんと演奏出来る!」というトキメキでスタジオではずっと目が輝いていました。

今回アディーとは古い約束を果たせたような気分なんです。
2002年に俺と古宮夏希とカプリでやっていた3人組パンクバンドがあったんだけど、カプリが急遽ライブに出れなくなったので、アディーに打診して叩いてもらった事がある。
ライブの前日、深夜の161倉庫を借りて練習したのだが、その時の演奏が素晴らし過ぎて完全燃焼、次の日のMOON PALACEでのライブはまあまあだった、、
あれから22年。
ずっとこの第4回レテパシーロックフェスティバルみたいなライブをアディーとやりたかった。
もちろん、アディーがレテパシーズだった頃もカッコいいレテパだったとは思うけどね。
俺は今の方が気に入ってます。

まあ、どんなもんか見てみて下さいな。

撮影は進藤三太(さんちゃん)の初撮影でした。
彼は秋田ハイコーフェス時代からの友人で、この春、高校を卒業して東京へやって来た。
カメラマンになるぞー!という事なので、今回撮影してもらったのです。
今はカメラの学校に通って勉強しているみたいですが、高校時代はカメラなんか触った事も無かったらしく、このレテパフェスの時も学校のカメラを借りてドキドキで初撮影してくれました。
カメラマン目線で言うとヘタクソな映像なのでしょうが、一番肝心なレテパシーの大放出はバッチリ映り込んでいたので、全編公開する事にしました。
いつか伝説のカメラマンになって「俺の初撮影は第4回レテパフェスだったんだよ。東高円寺の汚え小さな店でよ。今はレテパフェスもあんなに大きくなっちまったけどな。あの頃が懐かしいぜ。みんなギラギラしててよお。」なんて遠い目をして語ってね。

2024年6月14日
東高円寺ロサンゼルスクラブ
「第4回レテパシーロックフェスティバル」

1.T君の夏の歌
2.そばにいる
3.まだもう
4.夏のアルバム
5.見知らぬ青年との会話
6.空知
7.ハローグッバイファックユー
8.SFマンボ
9.君しかいない
10.17
11.青春
12.クレイなジー
13.数学と国語
14.ホワイトアルバム
15.ロックンロールじゃ踊れない
16.海へ行こうよ
17.思わずブランキー

アンコール
18.ロックンロール
19.札幌ナンバーの最後
20.愛は風景

PS.昨日はロサンゼルスクラブにて4thアルバム「ブルースマン」のリミックス。
馬場友美、カニ、俺、の3人で行いました。
いつも通りアルバムの曲順で作業したのですが、1曲目「ブルースマン」の間奏が始まった瞬間に、あの頃のスタジオの爆音の雰囲気を鮮明に思い出せました。
もうこの瞬間、今回のリミックスの大成功を確信しました。
ただあの頃の雰囲気を再現したかっただけなんだな。
2018年、絶望期のレテパシーズは全然ライブをする余裕も無かったんだけど、代わりにこの1枚を残してくれた。
レテパシーの大放出なんてくそ食らえ!といった最高の気分でしたよ。
昨日の作業中の俺は。

3rdと4thのリミックスが終わり、後は両作リマスターしたらすぐにリリースします。
もう少しだけお待ち下さい。
※最近レテパシーズを好きになった人とかは、何がなんやら分からないでしょう。
また、リリース時に詳しく書きますね。

なんにせよ、3rd、4thの事はずっと心に引っかかっていたので、ついに終わってすっきりした。
「過去作いじりは全て終わったぞー!あとは10th、11th、12thと前進あるのみだ!」と雨上がりの東高円寺、ババカニと明るく笑い合いました。
作り手のマニアックな微調整、とかでは決して無く「あの頃のレテパシーズを再現したかった」だけなのです。
ちゃんと演奏はしてたはずなのに、当時の俺の病的な思い込みでミックスをし、音像を捻り曲げてしまっていた。
やっぱり3rdも4thもちゃんと演奏してたんだね。
全部俺が悪かったんだな。
レテパシーの大放出なんて知らなかった、あの頃のデストロイヤーなレテパシーズ。
カッコいいが、もう戻れないし、戻りたくもないが、こうやって残せたのはサイコーです。
ああ、やっと前だけ見れるんだ。嬉しい。

PS.さんちゃんとの懐かし写真、と今の写真。
身長が逆転してるのが面白い。

最近の俺達↓

まだ健康だった。2014年?2015年?

もう健康ではない。2017年。

これはいつだろう?