僕のレテパシーズ結成15周年記念ワンマン、たくさんのご予約ありがとうございます。
本当は昨年11月にリリースした10thアルバム「夏のアルバム」のレコ発ライブを、今年の夏にやる予定でした。
でも、実現出来なかったので今年は諦めました。
もしかしたら11thアルバムのレコ発ライブを先にやっちゃうかも知れません。(今年の12月にリリース予定)
でも10thのレコ発ライブはなんとしてもあの内容でやりたい。
なので、実現するまでは永遠にやりません。
だけど「何かドーンとしたライブやりたいなあ。あ!今年結成15周年じゃん!これで行こう!」という流れなのです。
ご予約はこちら! 満員のシェルターで歌いたい!
11thアルバムの制作も佳境です。
先日ミックスが終わり、後はマスタリングのみ。
限定100枚で販売していた「11thアルバム古宮大志宅録デモCD」を購入してくれた方々、ありがとうございました。
おかげさまで火の車の自転車操業ですがギリギリセーフでぶっちぎる事が出来ました。
12th完成までは何とか逃げおおせたい。借金という化け物から。
でも作品は残るからね。歌は誰にも差し押さえられないのです。
あと14枚残ってますよ。よかったらぜひ。ご購入はこちら!
では、15周年ワンマンの前座バンド「Ⅱララ」について書きます。
もしかしたら、このレテパシーズのページでⅡララについて書く事に、違和感を覚える人もいるのかな?
このⅡララ、俺が作ったバンドです。
歌も自分で作ってます。(厳密には少し説明が必要だが、それはまた後で)
なので、俺は違和感ゼロです。
まあ、Ⅱララはレテパと違いSNSも人並みに普通にやっていく予定なので、今後はここで書く事はあまり無いと思いますが、今日は思いっきり書かせて下さい。
レテパシーズが好きな人はⅡララも絶対に好きだと思うから。
レテパとⅡララ、この2つのバンドで音楽の世界を変えたいのです。
ちなみに、Ⅱララの情報はこちら。
↓
https://www.instagram.com/2lala_band
写真右から
鈴木ほの(ドラム)
世田谷生まれ世田谷育ちの高校生。
ドラムは初心者。
鈴木りさ(ボーカル)
2ヶ月前までドラマー。
ピーナッズというバンドで叩いてた。
数年前からジストニアというドラマーには大敵の病気になり、試行錯誤していたが、スティックを置く決意をした。
でも音楽の化身なので、諦めきれず、歌う事にした。
ムタ(ベース)
古宮大志がファンだった「THEドイ」というバンドのベース。
ドイ解散後、色んなバンドでサポートとして大活躍していたが、ついに運命のバンド「Ⅱララ」と出会い、人生の全てを賭ける事にした。
古宮大志(ギター)
鈴木りさの学生時代の日記を読んでいたら歌が出来たのでⅡララ結成を決意。
学生時代の日記のせいで、学校関連の歌が多い。
最初はⅡララでエレキギターを弾こうとして、カニ先生から極意を学ぶが、どうも手の大きさに対してエレキギターは小さくて弾きづらく、結局「古宮夏希&コークスが燃えている!」時代に使用していたエレガットの封印を解く。
10年以上前のコークス解散ライブの時から張ったままの錆びた弦を張り替えた時、なぜか妙にがんばろうと思った。
【Ⅱララ結成物語】
<2022年9月23日>
下北沢THREEにて、偶然ピーナッズというバンドのライブを見た。
とても素晴らしく、ライブ後に物販を買いに行き、鈴木りさと初めて話した。
感動した事を伝えると、彼女は泣いて喜んでいた。
何でこんなに泣いて喜んでいるのだろう?と思ったが、よくよく話してみると、2020年2月21日のレテパシーズの復活ライブ(レテパというより俺の復活ライブか。断酒治療から1年後のシラフ初ライブ)で初めてレテパを見てくれて、その後もちょくちょくライブに来てくれてた人だった。
ちなみに復活ライブの映像に、彼女が写っているそうです。
でも、この後も何度かピーナッズを見たが、残念ながら感動したのはこの時の一回だけ。
このライブの数ヶ月後からジストニアや鬱が彼女を襲う事になる。
<2023年8月27日>
高円寺のドムスタにてピーナッズの企画に出る。
THEドイは相変わらずキラキラしてた。
ドイのベースのムタ君は、この日のレテパのライブを見て「いつか自分もこんなライブがしてみたい!」と大感動してくれたらしい。
レテパは10thアルバム制作直後だったのだろう、夏の歌多めだった気がする。
楽屋で鈴木りさとこんな話をした。
「俺、4年前に酒のせいでバイトをクビになってから、アルコール依存症の治療を始めたんだけど、ついに4年振りに労働者に戻るよ。」
「へー、何するんですか?」
「経堂の知り合いの喫茶店で雇ってもらえた。」
「え?経堂の喫茶店ってまさか〇〇ですか?」
「そうだよ。」
「えー!私、今年の春まで経堂に住んでいて、その喫茶店によく通ってました!」
<2023年11月>
無事に社会復帰を果たし、元気に労働する日々。
この頃はまだ高円寺のユキコの祖母の空き家に住んでいたので、電車通勤。
そんなある日、鈴木りさの彼氏さんに経堂駅で偶然すれ違い、声をかけられた。
「古宮さん、こんにちは!」
「こんにちは!あ!そういえば、彼女さん俺のバイト先の喫茶店のお客さんだったと聞いているのですが、バイトしないですかねえ?人手不足なのです。」
「分かりました!聞いてみます!」
で、結局バイト仲間になった。
<2024年冬>
眉毛が無く、顔中ピアスの高校生がバイト先の同僚になる。
彼女は卒業後に、バンドに命を賭けるか、ヘアメイクの仕事をするか、で悩んでいて、頻繁に進路の相談を受ける。
彼女が構想するバンドの、ドラム候補の友人は、鈴木ほのという名前で、高校を退学したばかり。(その後通信制の高校に入学したので、今は高校生)
2人ともレテパを好きになってくれたらしく、ライブを見にきたりする。
眉毛なしの子は悩んだ挙句、ヘアメイクの仕事に賭けることにした。
ほのは「私はドラマーになる!」と高らかに宣言した。
が、実際には全然叩かずに、メン地下(メンズ地下アイドルの略との事)のライブに入り浸り、ポップでライトな非行を繰り返す日々。
<2025年2月>
三浦半島にあるピーナッズのトミーの家へ遊びに行く。
まだピーナッズだった鈴木りさとカブで。
真夜中の帰り道、ブルートゥーススピーカーでジュディマリを流しながら爆走してた時、YUKIに合わせて歌うりさの声が素晴らしく、一緒にバンドやったら面白いかもな、とちょっと思った。
家に帰り、それから数日間ジュディマリを聞いていたのだが、どうもそこまでグッと来なくて「このグッと来ない部分を補った最高のバンドを組みたいかも」という思いが日増しに強くなる。
ちなみに、コークス時代の経験があったので、以前から「何も考えずにただギターを弾くバンドもやりたいな。ボーカルだと色々考えちゃう時もあるけれど、ギターのみだと音楽の化身になれて楽しいからな」という思いはずっと持っていた。
<2025年春>
鈴木りさから、ジストニアの事やその他諸々の人生相談を受ける。
どう考えても彼女には音楽が必要そうに見えたので「だったらドラムやめて歌えばいいじゃん。ちょっと試してみたいんだけど、日記とか書いてたら読ませてよ。古い写真とか何でも良いから全て見せて。思い出話も出来る限り聞かせて。取材しまくったら、歌が出来るかも知れない。そしたらバンド組もう。でも歌が出来るかは分からないので、出来なかったらこの話は忘れて。」
それから1ヶ月程、彼女の日記や写真や思い出話に触れる日々が続く。
そしたらある日「Ⅱララのテーマ」という歌と「学校」という歌が出来た。
その後も「阿久和川」「友達」「ララ」、、とどんどん出来ていった。
なのでバンド結成を決定し、メンバー探しを始める。
俺は太宰治さんが好きなので、太宰さんが出来る事は自分にも出来ると思い込んでいる節がある。
逆境時にレテパが終わりそうな時には、彼の年表を見て、自分を励ます事も多かった。(この状況で、こんなにがんばれて、こんな作品を書けるんだから、俺もがんばれるはず。といつも思わせてくれた)
なので「女生徒」「斜陽」「盲人独笑」のように、他人の日記を元にして、俺も歌を作れるのではないか?と昔から思っていた。
Ⅱララの場合は、太宰さんのように日記の中身を大量に使っているわけではないが、彼女の影響下の元で書いているのは間違いないので、Ⅱララの歌の1人称「僕」は鈴木りさだと思ってくれて大丈夫です。
<2025年5月2日>
経堂駅の屋上テラスにムタ君を呼び出す。
偶然にも彼は経堂駅徒歩3分のアパートに住んでいた。
バンドに入って欲しいと伝えると、即快諾。
こんな時に言葉はいらないね。
もうすでに約束してたのさ。
<2025年5月30日>
経堂駅徒歩20分の俺のアパートに、眉毛なしのバイトの子と、その友人鈴木ほのを呼び出す。
ムタとりさも同席。
ほのにⅡララへの加入を打診すると、即OK。
その日の写真がこちら。伝説の始まり。
<2025年6月16日>
初スタジオ。
あまりにもつまらなく、俺は解散を決意。
が、クソ下手なのに目だけ輝いている鈴木ほのの顔を見ていたら、解散なんて言えなかった。
スタジオ後「正直全然ときめかなかった。このままでは解散だ。1ヶ月後にもう一度スタジオに入ろう。その日に継続か解散か決めよう。」と伝えた。
<2025年7月22日>
無事にサイコー状態になり、バンド継続を決意。
演奏が上手い下手の話ではなく、素直な気持ちを隠されている気がして、初回のスタジオでは絶望したのでした。
あれから曲もどんどん増えて、12曲揃ったので初ライブの構想を練る。
ちょうどレテパの15周年ワンマンの話が出てたので、その前座をデビューライブに決めた。
初心者バンドなので、早い方が良いと思って、セットリストももう決めてある。
1.学校
2.Ⅱララのテーマ
3.阿久和川
4.太陽みたいな女の子
5.音楽準備室
6.友達
7.星座
8.夏休みのチャイム
9.梅雨明け
10.ララ
11.レインレイン
12.伊豆
2025.12.15 下北沢シェルター
Ⅱララ初ライブ
<2025年9月8日>
東高円寺ロサンゼルスクラブでのスタジオ後に、近所の小学校のグラウンドでアー写を撮った。
丸の内線初心者のほのは、新宿駅で迷子になったらしく、ウロウロしていたらナンパされたので、その男に道を聞いて改札まで案内させたらしい。
彼女のエピソードはいつも真っ直ぐでイカレてて痛快だが、ほとんどが掲載不可案件。
先日「今度友達とお泊まりディズニーでシェラトンホテルに泊まるんです!楽しみ!」と言っていたので、次に会った時に「ディズニーどうだった?」と聞いたら「それが最悪で、シェラトンのフロントに着いたら予約されてなくて、調べてみたらアメリカのシェラトンホテルを間違えて予約してて、しょうがないから池袋のラブホに泊まりましたー!楽しかったー!」と言っていた。
ドラムの技量はまだまだだが、才能はすごくある。
いずれすごいドラマーになるんじゃないかな。
ある日いきなりバスドラが上手くなったので、何があったんだ!?と思って聞いてみたら「厚底グツを脱いでみた!良い感じ!」と言っていて、みんな爆笑してた。
彼女は今、バンドの中心人物です。
<2025年9月30日>
昨日ですね。
高円寺コヤーマでスタジオでした。
レテパスタッフのソノダさんが来てくれて、あれやこれや撮影とかした。
今後はⅡララのSNSにどんどん載せていくと思います。お楽しみに。
鈴木りさもSNSは得意じゃないのに1人でがんばっていて、最近は少しテンパリ気味だったのだが、ほのが「私も手伝う!ⅡララSNSの会長になります!」と宣言してくれて、その時のりさの安心した嬉しそうな顔を見た時に、このバンドは本当に良いバンドになってきたなあ、とまだ結成4ヶ月ですが思いました。
Ⅱララはすごい速度で駆け抜けるバンドだと思います。
まるで流れ星のように。(俺は速いとは思わないけど、見てる人からしたらマッハに見えるのだろう)
そういえば今年の初夏に北海道へ行った時に、月形と美唄の間の暗闇の田んぼ道で流れ星を2個見たな。
その時聞いた流れ星の音はやはり「はらり」という音でした。
やはり、というのは、俺は昔から流れ星の音が「はらり」と聞こえるのです。
なので、今回のライブのチラシの絵にも流れ星のはらりを描きました。
Ⅱララの歌に「太陽みたいな女の子」という歌があります。
鈴木りさは子供の頃から「太陽みたいに明るい子だね。」とよく言われてたそうです。
ピーナッズを辞める時にも、友人からの励ましのメールにそんな事が書いてあって、それを読ませて貰ってたらこんな歌が出来ました。
Ⅱララの歌の「僕」は全て鈴木りさです。
でもこの歌は唯一、俺が彼女の事を「君」として書きました。
「太陽みたいな女の子」
太陽みたいな女の子だから
最初と最後赤く染まっている
その間はただの光だから
ただ明るいだけ色なんて無いよ
太陽みたいな女の子だから
君が浮かぶ時 星は見えない
星は消えて君が消えて星が出て
君が浮かび消えた星を思う
星が落ちる音はきっと
はらり、やはり、はらり
星が落ちる音を見てよ
はらり、君は、一人
風に触れた時はいつも
ひゅるり、君は、遠く
風に触れる音を見てよ
ひゅるり、君は、一人だ
太陽みたいな女の子だから
明る過ぎる窓 何も見えない
ガラスの向こう 誰かが走った
思い出のよう 音なんか無いよ
太陽みたいな女の子だから
遠くのドアがバタンと閉まって
廊下の先の階段が見えて
踊り場の影で夏だと分かって
太陽みたいな女の子だから
(2025年7月18日作曲)
以上「Ⅱララ結成物語」でした。
今回はⅡララの事ばかり書いたので、次回はレテパの15年間を振り返ってみようと思います。
絶対に1回じゃ書き切れないだろうから、2010年から1年ずつ書いて、全15回にしてみようかな。
お楽しみに!
シェルター来てね!
2025年10月1日
古宮大志
PS.あ!10月1日じゃん!
僕のレテパシーズ4thアルバム「ブルースマン」収録の「アズミ」をぜひ聞いてみてね。
あれから25年か。
レテパは15周年だが、ソロスタートからは25周年です。
あの日のアズミライブを161倉庫で見てなかったら、全然違う人生だったでしょう。
なんだかんだで性には合ってるから、この人生を気に入ってますよ。
なのでありがとうKC。
※2000年高校3年生の時に、大阪のブルースマンAZUMIのライブを札幌161倉庫へ見に行った。
その時に店主のKCさんにデモテープを渡して、初ライブをやらせてもらったのです。
デモテープは文字通りのカセットテープで、歌が2割、詩の朗読8割ってな感じでした。
ああ、ほのはあの時の俺と同じ歳なのか。
全然違うけど、ちょっと似てる気もするな。
ハイコーフェス、今回で終わりと言ってたけど、ちゃんと終われたのかな?
お客さんも心づもりがいるだろうから「もう、やらない、で良いんですよね?終わりですよね?」とライブ冒頭にマイクを通してみんなの前で聞きました。
「終わりです。もうやらない。」と主宰のシンドーさんは言いました。
なので俺も「じゃあ、ハイコーフェスはあと30分で終わりです。皆さん後悔の無い30分を。」と言いました。(レテパはトリだったので)
1曲目の「青春」のイントロのピアノが、まるで廃校式の最後の校歌のように体育館に響きました。
これで終われたなら、最高。
もし、終われたけど、また何かが始まってしまったのなら、なお最高。
やりたくなったらやればいい。
始まりを含めた最高の終わり、そんなエンディングになれてたら本望です。
俺の終わりはいつも何かの始まりだったので。
でも、もしハイコーフェスがまだ続くようでも、レテパシーズはもう出ません。
それは帰り際にもハイコースタッフの皆さんに伝えました。
「本当に終わりかなあ?怪しいなあ。まあでも、もしまたやるようでもレテパシーズは出ません。厳密に言うと、今の状態では出ません。昨日が最高のエンディングでしょう。もう今の状態のレテパが出ても、濁る一方の関係になると俺の直感が言っています。だから、もしハイコーが続いて、レテパがまた出るとしたら、レテパがハイコー以外のフェスにも呼ばれまくりの人気バンドになってなきゃダメだな。シンドーさんも書いてくれてたけど、ハイコーフェスだけがレテパシーズを愛してる状況じゃなくて、日本中のフェスがレテパシーズを大好きになって、それでも俺達はハイコーフェスが一番好き、そんな状態じゃなきゃ再会できない!なので、俺達が出世するまではレテパ抜きでハイコーフェスを続けて下さい!」
そんな素敵な密約を結びました。(ちなみにシンドーさんが書いてくれた文章はこちら)
皆さんも信じて待っててね。
メンバーのみんなが写真を撮ってくれてたので、お裾分けします。
あと、先日告知した12/15の結成15周年記念ワンマンと謎のバンド「Ⅱララ」については、また後日。
まずはこちらの特設ページをご覧下さい。
それでは、ハイコー思い出写真館スタート!
↓
この写真で感動する人は真のレテパヘッズでしょう。
「ああ!運転してる!」
以前、俺がちゃんとした食事をしている写真を載せただけで、前ドラマーのアディーは感動してくれた。
今回は運転だ。多分彼女は嗚咽状態だろう。
鱗雲、秋の始まり。
2ndアルバム「愛してるよ」の購入特典だったビートルズのインマイライフの古宮大志テキトー訳バージョンを思い出す。
あれもハイコーを思いながら訳した気がする。
僕が見てたのは夏の終わりで
君が見てたのは秋の始まり
東京の夏が過ぎてく
もう会えない気がして
東京の夏が過ぎてく
もう会えない気がした
↑
さすがにうろ覚え、多分合ってる。
インマイライフのメロディーで歌ってみてね。
ちなみにこれはライブの前日の朝に出発しています。
メンバーはひろし、ヤハタ、南、とスタッフソノダ氏。
カニはこの日の夜、ハジメはライブ当日の昼に着予定。
みんな多忙だ。トラブルも多い。
でもその分、純度は上がってきてる。
ギリギリのバンドだけど、この細い綱さえ渡り切ればいいんでしょ?
ソノダ氏に「持ち前のアングラ精神で渋めのSA探して下さい。」と伝えたら、さすがでした。
良い感じのSAで昼ごはん。
どうだ!
運転までして、ご飯もたくさん。
アディーは失神してるかもね。
俺のTシャツ。
なんて書いてあるでしょう?
最近お気に入りのTシャツです。
菊竹南はすごくよく食べる。
立ち寄ったSA全ててで、何かしらのご当地グルメを食べてた。
彼女がハイコーフェスに行くのは2回目。
前回は2015年でこの時は撮影スタッフだった。
2015年は帰りの車でメンバー間で強めの修羅場があった。
南ちゃんはその時は耐えてたが、後で1人になった車中で悲しくて号泣したらしい。
今回は平和でよかったね。
その平和は君のおかげです。いつもありがとう。
たくさんの珍プレーで笑わせてくれて。
秋の日は釣瓶落とし。
と、思うと、昔鬼太郎ショップでバイトしてたせいで、水木しげるの描く妖怪「釣瓶落とし」の顔が毎度浮かんでしまう。
今回の車中のBGMはキヨシロー多めでした。
あと、小学生の頃に聞いていた歌達も、月形の思い出と共に懐かしいので、こういう時はよく聞きます。
ドリカムの宇宙船に乗ったジャケのアルバム(眼鏡越しの空〜決戦は金曜日、の流れが好きだった)を聞きながら「もしレテパに13枚目があるのなら、こういうR&Bっつーの?こんなのになれば面白いな!」と軽い気持ちで言ったら、ヤックンも南も「今のメンバーならやれる。ひろしがこういう曲を作れるならね。」という感じだった。
ので、もし13枚目があって、レテパがいきなりR&B?になってたら今回の車中のドリカムの影響です。
「オレンジの光の体育館」に無事到着!
(詳しくは前回の通信「親愛なるハイコーフェスへ」参照)
主宰のシンドーさんが俺のTシャツを指さしてますね。
「OMAGARI AGURICULTURE BASKETBALL」と書いてます。
大曲農業高校バスケットボール部のTシャツなのでした。
以前は宿泊者全員で合宿所のような宿に泊まっていたが、今回は1泊目は全バンド別々。
俺らは湖畔のおしゃれな音楽ペンションでした。
夜の22時頃、カニ合流。
ペンション併設のライブバーでヤハタと飲んでます。
俺はこの日、久し振りにネガティブモードになったので、集中する為にほとんど車中で目を閉じてた。
リハは昼休み中に行ったが、直前のバンド「プルタタ+ジャイアントステップス+石丸だいこ」だけ少し見れた。
毎年共演してるのに、ちゃんと見たのは初めて。
なんか感動して泣きそうになった。
それに気付いたのか、デカいガイコツを操るじーさんが俺の頭をガイコツの大きな手でポンポンしてくれた。
うん、がんばんなきゃな。がんばりますよ。
プルタタのボーカルの人の名前すら俺は知らない。
毎年会うがほとんど話した事は無いだろう。
が、今回は俺の感動が伝わったのか、廊下や楽屋で確かに二回、目が合って一秒に満たない愛のコンタクトをとれた気がする。
刹那の会釈で永遠の交流。
ネガティブモードなのだから、中止にすれば良かったのに「11thアルバムのジャケをハイコーフェスで撮ろう!」と以前から計画してたので、トライする我々。
案の定、全て瞬殺のボツ。
詰め込み過ぎはNG!って昔から鉄則にしてたのになあ。
撮影失敗により、ネガティブモードに拍車がかかる。
が、こんな時も「演奏が全て、演奏が始まれば全て大丈夫だし、もし大丈夫じゃなきゃ1曲目でサッと帰れば良い。自由自由。」と思えるようになったのは、メンバーや聴衆への信頼からだろう。
色々あったからなあ。今のレテパシーズは強いです。
ライブ直後、元職員室の楽屋で話してる俺とカニ。
何を話してたかは内緒。
がんばろーね。
撤収を手伝ってあげたいが、燃え尽きたので断念。大人しく見守る。
ありがとうハイコーフェス。
ライブ後1人教室で、闇の中に消えていく車達を見送るのが好きでした。
さようならハイコーフェス。
が、俺は一瞬で2000キロカロリーくらいの食物を口に放り込んで、10分程度でリタイヤ。
でも、スタッフのお姉さんが「古宮君好きだったからみずのこぶ用意したんです。」と言ってくれたのが、本当に嬉しかった。
みずのこぶ大好き。
※「みず」という山菜の「こぶ」部分のおひたし
みんなは夜更かしして飲んでたみたい。
俺は1人で、みんなの布団を敷いて、シーツも敷いて、枕カバーも付けて、布団カバーも付けて、さっさと寝た。えらい。
翌日の朝、10時間は寝たので1人だけテンションが高い。
冒頭に書いた「本当に終わりかなあ?怪しいなあ。まあでも、もしまたやるようでもレテパシーズは出ません、、」の名シーン。
「わー!古宮君が運転してる!奇跡だ!」と感動して見送ってくれるハイコースタッフの皆様。
まあ、また会いましょ。俺がんばるよ。
以上です。
2025年9月23日
古宮大志
PS.この感動の別れのあと、田沢湖の地元スーパーで朝ご飯。
朝からカツ丼とカツカレーとポテトサラダ(大)だ!
アディーは歓喜で頭もげてるかもな。
今年のハイコーTシャツ、俺が絵を描きました。
シンドーさんは「ハローグッバイファックユー」のこの歌詞が好きらしいので、書いてあげました。
さんざん笑って作ったあんな夏の一日は
いつでもまた作れるから
ためらわず壊そうぜ
ま、そういうことです。
よろしく。
来週はいよいよハイコーフェスですね。
先日、主宰のシンドーさんが文章を書いてくれたので、読みました。
読んでいると、オレンジ色の明かりが遠くに浮かんで見えてきて、それはハイコーの体育館の明かりの色でした。
正直に書くと、ハイコーフェスに出てた頃、特に最後の3年間は、アルコール依存症の影響で、ほとんど記憶がありません。
でも、今思い出すあの体育館の明かりは愛おしくて懐かしい。
夏の終わりの東京から、秋の始まりの秋田へ。
リハをする為に、前日の朝に東京を出て高速を北へ8時間、暗くなった田沢湖を周り、田んぼ道に入り、コスモスが揺れる砂利道を少し行くと、あの体育館の明かりが見えてくるのです。
懐かしい明かりは冷たい空気で冷やされていて、はだしで歩く体育館も秋の温度で気持ちが良い。
そして、1年振りに会う子供はずいぶんと大きくなっていて、1年振りに会う大人は少し小さくなっている。
そんな愛しい、風景のような思い出しか覚えていない。
でも、その風景達は確実に俺の命やレテパシーズを救いました。
2017、2018年のラストの2回の頃はとても追い詰められていた。
ハイコーフェスが無かったら全て終わっていたと思います。
俺は2018年のハイコーフェスの半年後、酒の治療を始めて、少しずつ復活してきて、60曲の新しい歌が出来ました。
「青春」という歌が出来た時は歌詞に「廃校」という言葉が出てきて、ハイコーフェスの事を思い出しました。
新しい旅がこの歌から始まった気がして、そしてそれはハイコーフェスのおかげな気がして「この歌、ハイコーで歌いたかったなあ。ピッタリな歌なのに。」なんて思ったのを覚えています。
この60曲、7thアルバム〜10thアルバムまでで、40曲は無事に発表する事が出来ました。
11thアルバムの10曲は先日録音が終わりました。
来年作る予定の12thアルバムで60曲、今ある全ての歌の録音が終わります。
区切りの気分なので12thアルバムは「最後のアルバム」と名付けようと思っています。(12thアルバムは2024年頃に出来た歌達なので、生まれたばかりの息子の歌も多いです。でも離婚もして、新しい恋人の歌も入ってきたので、12thはなかなか混沌としてて面白いです)
レテパシーズ、すごいライブをすると思います。
ハイコーの皆さんは「わーすげえじゃん。俺達のおかげだな。ありがたく思えよレテパ。」と微笑んでやって下さい。
本当におかげ様なのです。
2018年のラストの時、前日の夜のリハで体育館の明かりが見えて来た時、俺はもう悲しくて嬉しくて泣いていた。
死にたくて死にたくてしょうがなかった、けど、残さなきゃ、と思えたのは、あの体育館の明かりのおかげ、あの時あれが俺の微かな微かな前方の光だった。
シンドーさんも書いてくれてたけど、俺も、もう一生そんな事は思わないと思うけど、もし思っても言わないと思うけど、2025年9月15日のハイコーのレテパだけは「僕らのレテパシーズ」って素直に思えるよ。
たくさん歌いたい歌があるし、シンドーさんは相変わらずとんでもない量のリクエストを送ってきたし、時間が無いから当日はほとんど喋らずにどんどん歌うと思います。
なので、ここで書いておきますね。
ただいま。ありがとう。ハイコーフェス。
あなた達がいなければ、あなた達が信じてくれなければ、俺は終わってた。
そして、レテパシーズは今、全盛期です。
でもハイコーはこれで最後なんだって。
だから、お互いに悔いのない30分を過ごそうね。
永遠、愛、自由、勇気。
軽々しく使われてるそんな言葉達の本当の意味を、風景みたいに眺められたらいいね。
そんなライブをしたいと思います。
あのオレンジの光の体育館の中で。
愛してるよ。
2025年9月10日
古宮大志
先日はレテパシーズのライブでした。
セットリストはこんな感じ。
1.さよならの合図
2.愛してる
3.若いバンド
4.SAIL AWAY
5.ホンダ
6.おるたな
7.まだもう
8.夏のアルバム
30分のセットだったので、過去作から入る余裕が無かったのもありますが、ご覧の通り今は11thレコーディングモード全開なのです。
11thの歌は1曲1曲が重い?長い?ドーン?といった感じなので、歌っててどうしても1曲1曲ライブの流れが切れる感じがします。
なので逆らわずに自然体で、1曲終わる毎に喋りたいだけ喋っていたら、ライブ後に玄人風のお客さんから「今日は1曲1曲大切に歌って話してて、ソロライブの時の雰囲気に似てましたよ。もちろんバンドの演奏が凄いので演奏は全然違いますけど。」と言われた。
俺はソロの時代が長かったので、バンドに合わせて歌うのに苦労した。
レテパを始めても最初の数年は上手くいかず、その後は酒でごまかしてたら、あんな顛末になってしまった。
最初の頃はよく「あーあ、ソロだったらいつでも良いライブ出来るのになあ。」と上手くいかなかったレテパライブの帰り道に思ったものだ。
でも今は、ソロよりもレテパの方が自分の本当の状態だと思えている。
こんな日が当然みたいな顔してやって来るなんてなあ。
あの頃の自分に教えてあげたい。
焦るな焦るな、悲しい顔したひろし君よ。大丈夫だから。
この日は俺の大好きな大泉咲という歌手が主宰のイベントでした。
大泉咲の出番は自分の直前だったので、集中するのに振り切って彼女のライブは見ませんでした。
でも、見た友人達はみんな大絶賛してた。
彼女のアルバム「一人っ子計画」はとても素晴らしいので、ぜひ皆さん聞いてみてね。
1曲目〜最後の13曲目まで、彼女は少しずつ明るくなっていくのです。
そういう曲順になっています。
なので、ぜひ通して聞くように。
その前の週には急遽新宿のマーブルでソロライブをしました。
その日はのっぺらが出ていました。
今年の2月にのっぺらのライブを見て、その時のライブが素晴らしすぎて、俺はしばらく大騒ぎしてたのだが、今回も無事かっこいいままだった。
「無事かっこいいまま」って感覚分かるかなあ?
水の綺麗な場所に住んでいた魚が、濁った場所ではいつまでもスイスイ泳げないだろう、という感覚が俺には恐怖観念のように付き纏っている。
25年間ライブハウスで歌ってきたからな。
たくさんの魚の死骸を見てきたからな。
でも、のっぺらは無事にスイスイどころかビュンビュン泳いでた。
次の朝起きると「星座」という歌が出来た。
のっぺらの3人の事を歌った歌なのだが、これはレテパではやりません。
それがどういう意味なのかは、また近いうちに書けると思います。
①昨年11月に出た10thアルバム「夏のアルバム」のレコ発ライブを今年の夏にやるぞ!
②「僕のレテパシーズ詩集」を今年中に出すぞ!
③「僕のレテパシーズに捧ぐ」を今年中に出すぞ!
※全120曲に捧げる120の文章を少しずつ書いています
④11thアルバムを今年中に出すぞ!
という夢を以前にもこのレテパシー通信で書きましたが、少し事情が変わってきました。
④以外は今年は実現しないでしょう。
でも、全て良い感じなのです。
新たな未来予想図はかなりの独自ルートですが、これは子供の頃からの性分なのでしょうがない。
どーせ同じ所に到着するんだから、おもしろルートを選ぶんだ。昔から俺は。
また近々ちゃんとお伝えします。
お楽しみに。
2025年7月30日
古宮大志
PS.最近息子が喋り出した。言語爆発とはこの事なのか。
今の所、彼は乗り物にしか興味が無いので「キシャポポ!」「デンシャ!」「ショボシャ!」「カンコーバシ!(観光バス)」とか乗り物関連用語しか喋らないのだが、最近ようやく「ヒロシ!」と言うようになった、と噂には聞いていた。(離婚して別に住んでるので、1週間に1度しか会わない。ので、俺は「ヒロシ」の現場には遭遇してなかった。呼んでよ、と言っても俺の顔を見て「キシャポポ!カンコーバシ!」としか言わない)
が、この前遊びに行った時の帰り際、いきなり「ヒロシバイバイオートバイ!」と言い放った。
俺は感動して「お前は日本初のラッパーになるぜ!」と褒めてやった。
彼は嬉しそうな顔をして「デンシャ!キシャポポ!」と叫んだ。
PS.先程書いた「玄人風のお客さん」とはレテパ初代ドラマーの五月リョウタ君です。
彼のバンド「5月と夜のバス停」の名曲「ドリンク&ミュージック」は皆さん聞きましたか?
魚達がスイスイ泳ぎ続けますように。
みんなで祈ろう、がんばろう、急ごう。
おかげさまで、11thアルバムの録音が始まっています。(11thデモCDの残りも少なくなってきました。ありがとう。あ!買おうと思ってた!な人はお早めに。11thは大名盤の予感に満ちています。このデモはきっとプレミアムなお宝になる事でしょう)
今作はカニユウヤの提案で「11thは3会場で録りましょう。6/12に4曲、7/8に4曲、8/28に2曲です。」という流れ。
7/8の第2回は西調布にあるREIMEIというスタジオ。
着くと隣には小さな畑があって、とうもろこしの髭が揺れていた。
俺は昔、稲田堤(調布とは多摩川を挟んだ隣駅。2005年〜2012年まで。1st〜6thの多くの歌はこの時期の作曲)に住んでいて、調布の深大寺にあった鬼太郎茶屋でバイトもしてたので、この辺りは懐かしい。
あの頃の懐かしさを感じる為に、この辺が舞台のつげ義春の中期後期作品を定期的に読んだりするくらい。
最近は恋人が多摩センターに住んでいるので、カブで向かう時にもこの辺りはよく通る。
少し前まではなんとなく悲しい感じがする懐かしさだったので、このエリアは敬遠していたが、今では明るい懐かしさ。
気が早いが12thアルバム収録予定の「経堂駅」という歌の頃には、まだ少し悲しさが残っていたようで、ホームから見える多摩丘陵方面を、悲しげに眺めたり眺めなかったり、といった感じの歌詞になっている。
この歌は2024年の2月7日作曲か。
11thを最高傑作にして、12thでサッと越える予定。
REIMEIの初めましての店長さんにも「お疲れ様でした。録音良い感じでしたか?」と聞かれたので「今日で確信しました。最高傑作になると思います。でも来年出る12thでサッと軽やかに越える予定なので、残念ながら1年間の王者ですね。店長さんはさすがに調布好きですよね?レテパの5thアルバムのジャケは調布飛行場で撮ったんですよ。あとややこしいけど6thアルバムの収録曲に調布飛行場という歌がありますよ。なんだこれ?今考えると本当にややこしいジャケだなあ、5thと6th。まあでも最高の11thになりますよ。期待して待ってて下さいね!」と興奮して一方的に捲し立ててしまった。
今回の4曲も仲良くいっせーのせで録音した。
終わった後、カニがギターを重ねると言うので、俺と南ちゃんとヤックンはロビーで過去の恋愛について総括していた。
ハジメちゃんが見当たらないな、と思ったら、録り終わったカニと共にビール片手で恍惚の表情で出てきた。
俺が「なんだ、カニギターを肴に飲んでたのか。嬉しそうな顔して、生粋のミュージシャンだなあ、ハジメちゃんは。」と言うと「だってこんな間近でカニ録音を見れるなんてサイコーの贅沢だよ。」とご満悦。
俺が「音楽家の鑑だな。それに比べてこっちの2人は、、」と茶化すと、ヤックンが「俺だって見たかったけど、あんまり人がたくさんいると邪魔かと思って遠慮したんだよ。ちぇっ。」と言っていたのが、THEヤックンという感じで面白かった。(ちぇっ、は俺にだけ聞こえた妄想です。実際には発していません)
南ちゃんは「私なんかには芸術よりも恋話がお似合いですよ」という顔をして微笑んでいたが、その1時間前には「ピアノの音を重ねる南ちゃんをヤックンが間近で見て部屋から出てきた。俺はやはりロビーにいた」という同じようなシーンがあった。
その時ヤックンは「改めて気付いたけど、南ちゃんって凄い事やってるんだなあ。」と愕然としつつも微笑していて、やはり素敵な表情だった。
まあ、こう書くと俺だけがミュージシャンじゃ無いみたいですね。
でもそれで良いんです。ナイスバランス。
なんて素晴らしい5人だ。
エンジニアの馬場ちゃんの機材車に乗ってカニは帰ったが、いきなり窓が壊れて閉まらなくなったらしく、窓全開で2人は夏の夜へと走り出した。
見送りながら、多摩の夏だなあ、と思った。
2025年7月12日
古宮大志
PS.あ、あともう一つ11thエピソード。
冒頭に書いた11thの古宮大志宅録デモ。
これはメンバーに聞かせる為だけに録ったデモで、みんなののびのびとした演奏やアレンジの邪魔にならないように、歌が出来た瞬間に備忘録的に歌ったやつをそのまま収録している。
なぜか歌は起床直後、起きた瞬間、に出来る事がほとんどなので、寝起きのガラガラ声で歌っている。
なるべく色の無いゼロの状態でみんなに渡しているつもりだが、それでもたまにハジメちゃんが「いや、ダメだ。まだひろしデモを超えてない。」なんてピリピリしているのが、頼もしい。
過去作の時にも録音資金調達の為にデモを販売していたので、聞いた人は分かると思うが、このデモからこんな演奏になるんだ!と感動すると思う。
でも曲順だけはこのデモのままになる事が多い。
記憶が曖昧だが、変えた事はほとんど無いんじゃないかな?
あったとしても1曲だけ入れ替える、とかのレべルだと思う。
うん。毎作曲順はデモの時点ですでに決定しているのです。
なのに、今作はめちゃくちゃ変わりそうです。
6/12の第1回録音終了時にハジメちゃんが「1曲目ホンダにしちゃダメかな?」と連絡してきた。
俺は「気持ちは分かるけど、それだと全体の流れが上手くいかない。」と反論した。
でも、第2回録音が終わって、考えが変わった。
というか、新しい曲順がパーっ!っと閃いた。
こんな事は初めてだ。(アルバム曲順にこだわりが無いバンドには意味不明な話でしょう。でもレテパシーズにとっては最重要事項なので、この大胆な曲順変更は革命的)
デモの曲順
↓
1.the world is mine
2.愛してる
3.さよならの合図
4.SAIL AWAY
5.若いバンド
6.真鶴漁港
7.岩見沢デパート変遷史
8.ホンダ
9.おるたな
10.次回予告なホーリーナイト
革命的新曲順
↓
1.ホンダ
2.さよならの合図
3.the world is mine
4.愛してる
5.若いバンド
6.真鶴漁港
7.岩見沢デパート変遷史
8.SAIL AWAY
9.おるたな
10.次回予告なホーリーナイト
書いてるだけでワクワクする。
よくグルメリポーターが「匂いだけで白飯何杯でもいけますわー。」とか「(まだ口に入れてないのに。箸に食材を持っただけの状態で)もう美味い!」なんて言っていますが、それに近いな。
「タイトルと曲順だけでもう大名盤!」といった感じ。
引き続き、我々の何もかもをお楽しみに。
PS.あ、今日は7月12日だ。
名曲「7月12日、13日」は4thアルバム「ブルースマン」収録です。
2009年だから16年前か。もっと昔な気がするな。
この7月12日、13日の2日間、さっき出てきた「ホンダ」のホンダさんとずっと一緒にいたのでした。
今日は夕方からお留守番の子守。
あの4thアルバムのジャケの熊の人形は、今では息子のオモチャになっています。
「熊のレビューだ!ヤッホ!」と歌って踊ってレビューをやってやると、いつでもキャッキャと喜びます。
あんな壮絶なアルバムのジャケにされた熊ですが、今ではこんなに丸くなって、普通の人形としての人生を全うしています。
第6回レテパシーロックフェスティバル、目撃してくれた皆さん、目撃したかったけど来れなかった皆さん、たくさんのレテパシーをありがとう。
共演してくれた「NEW NEZUMI PARADISE」も本当にありがとう。
おかげさまで俺も心置きなくニューパラダイスに行ける気がしてます。
ライブ中にボーカルの西宮灰鼠が話していたが、2005年頃に俺達は初めて対バンした。
あの頃の高円寺、無力無善寺やペンギンハウス、俺はとても苦手だった。(その後10年間高円寺に住む事になるが、それはユキコの実家が高円寺だったから)
歌っても話しても手応えのないあの感覚、最近ライブハウスで感じる「意志のある黙殺」とも違う、手応えのないあの感覚。
でも20年経って今、やっと理解出来る。
たくさんの経験をしてきたからな。
俺は今、42年間で一番優しくて厳しくて、まるで野生動物みたいな感じだよ。(しかも、元ペットが脱走したパターンで両方知ってる最強状態)
なんか、トラウマですらあったんだよね、あの頃の高円寺のライブハウスのあの感じ。
でも、今は喜怒哀楽、嘘も本当も丸見え、ねずみ君の人間がちゃんと見えてます。
ブルースはまだまだこれからよ。
お互い素敵なブルースマンを目指しましょう。
俺はがんばるぞ。
ライブ前に「素直全出し作戦」とか言ってごちゃごちゃしちゃったけど、そこに書いた通り今後は、ライブ情報、リリース情報、各メディア情報、なんかはレテパtwitterで告知してもらおうと思ってます。
でも、素直に全出ししたら、予約たくさん増えて嬉しかったよ。
ありがとう。いつも極端でごめんね。
昨日「ハイコーフェス2025」の予約も始まりましたね。
ハイコーフェスについてはまた今度書きます。
一つだけ言えるのは、ハイコーフェス主宰の進藤さんから「今年、6年振りにハイコーフェスやります。これで最後にします。」とオファーの連絡が来た時に「やったー!嬉しいな!ワクワク!」という感情では決して無かったという事。
悲壮感の上で大好きな恋人と最後だと思いながらキスする感じかな。
まあ、そんなフェスティバルです。ハイコーフェスはいつも。
楽しいって感じじゃないんだよな。
でも、今のレテパシーズなら、あの頃とは違う場所まで行けるかも知れません。
きっと行けると信じて、あの頃出来なかったような凄いライブをやりたいです。
皆さんも信じて目撃してね。
2018年で最後だと言っていたが、今年またやるという事は、あの時何かが足りなかったんだ。
絶対に今年で終わらせます。
今のレテパシーズなら、きっと終わらせられるはず。
2025年7月2日
古宮大志
PS.第6回レテパシーロックフェスティバルのセットリストはこんな感じでした。
1.the world is mine
2.愛してる
3.さよならの合図
4.SAIL AWAY
5.若いバンド
6.真鶴漁港
7.岩見沢デパート変遷史
8.ホンダ
9.おるたな
10.青春
11.クレイなジー
12.ハローグッバイファックユー
13.海へ行こうよ
14.空知
15.才能がなかったんだろ
16.まだもう
17.夏のアルバム
1曲目から9曲目は11thアルバム収録の歌達。
おかげさまでレコーディング真っ最中です。
絶対に今年中にはリリースしたい。
12月かなあ、と考えてます。
レテパフェスの最中にも話した気がするが(いや話してないかも?)札幌に住んでいた2001年〜2004年頃までの間は毎年「ライジングサンロックフェスティバル」を見に行ってました。
俺は踊るのが好きなので、何かのバンドを見ながら独創的なダンスを踊っていたら、それがスカパーで割と長時間生中継されたそうで、後日札幌で知らない女の人から「スカパーで踊ってた人ですよね?」と話しかけられた事もありました。
19才〜22才頃の事、レテパの歌で言うと「空知」「ミツバチ」「SFマンボ」「札幌ナンバーの最後」「東区が恋しくて」「雪包丁」「そしてトンキーは死んだ」「水平線」あたりです。
仲の良かったヌルマユというバンドの永井君の、今でも忘れられないとても危険な運転で、会場の石狩から札幌へ帰る時「あーあ、俺もライジングサンに出てーな。あの大きなステージで空知とか歌いたいな。」なんて思ったのを覚えています。
今は「ホンダ」という歌をライジングサンで歌いたい。
会場のすぐそばの海でホンダさんとドライブした思い出を歌った歌なのです。
あの最終コンビニ、まだあるのかなあ。
「ホンダ」
君の車に乗り
沈みだした夕日を追う
石狩 最終コンビニで
風強い日に
カップ麺にお湯入れて
のびないように急いで
3分以内に海へ
夕日と砂の混じった
カップ麺で大笑い
風が強くて世界は
夕日だけが動かずに
夕日だけが動かずに
PS.そういえば先日の「素直全出し作戦」をレテパtwitterに載せてもらった時に、スタッフのソノダ氏と「うーん、文章だけだと暗いかなあ?写真も付けちゃおうかな!」なんて言って、先日の空知小旅行写真から1枚付けてもらいました。
この写真です。
これ、故郷月形町の皆楽公園のサイクリングコースのスタート地点なんです。
ちなみに月形小学校のマラソン大会のスタート地点もここでした。
しゃがんで遠くを眺めていたら「まだまだ歌いたい事がありそうだな。いや、もしかしたら一生歌うのかもな。このブルースを。あーあ、ブルースがまだあるなあ。」なんて思いました。
今年の2月に死んだ柿生のばあちゃん(小田急線柿生駅に住んでいた母方の祖母)がちょうどマラソン大会の前日に遊びに来た事があったのですが、俺はあまりにも「おだって」しまい、発狂状態でマラソンの練習をなぜか家の中で延々と行っていて「この子は気が狂ってるのかも知れない。」と祖母が本気で思った、という古宮家では有名なエピソードがあります。
この祖母がまだギリギリ元気だった頃に「あ、ばあちゃん。昔高校生の頃、俺がここに泊まってた時にずっと聞いてた友部さんって人と今度ライブするよ。」と言ったら「まあ、落ち着いておやんなさい。」とベッドに横たわり目を瞑ったまま言っていた。
あれがまともな最後の会話だったと思う。
祖母は頭の回転の速い人だったから、俺もついつい本気のスピードで話してしまうので、大人になっても「おだってる」危なっかしい孫に見えていたのだろう。
あれ?なんで柿生のばあちゃんの話してるんだっけ?
まあいいか、読んでくれてありがと!
「レテパシー通信」これからはもう少しちょいちょい書いていこうと思っています。
何もかもよろしく。
最近、人生相談を受ける事が多い。
深刻なやつから、ポップで滑稽なやつ(本人にとっては深刻なのだろうが)まで多岐に渡るが、どんなケースでもやはり「もっとシンプルに捉えれば良いと思うよ。本当の状態を素直に全部出して、それでダメならそれで良いじゃないか。」といった感じで「素直全出し作戦」を推奨する。
砂の上のお城、を建設する事ほど無駄な事は無い!と、最近S君にもRちゃんにも偉そうに話したなあ、、
うん。
あんだけ偉そうに話したのだから、自分もちゃんと「素直全出し作戦」で行く。
2日後に行われる「第6回レテパシーロックフェスティバル」。
現状チケット予約がたったの4枚です。
「僕のレテパシーズのSNS終了宣言」をしたのが今年の2月3日。
あれ以来、初めてのライブなのですが、まあ壊滅的ですね。
今までの自分だったら「今は本当じゃない。ひたすら待つ時だ。癇癪を起こさずに自滅だけを避ければ、近い未来全てうまく行くはずだ。」とイライラしながらも自分をどうにか励まして、レテパフェス当日に突入していたと思うのですが、もうどうにもそんな気分になれなくなってしまった。
なので、レテパTwitterでも告知してもらっちゃいました。
今後も「ライブ告知」「アルバムリリース告知」「レテパシー通信の更新」についてはレテパtwitterで告知しようと思います。
言う事がコロコロ変わっても、たとえ間違ったとしても、本当に素直な状態であれば大罪では無い!という事だけは、1週間に1度だけイチャイチャしに行く我が息子にも、もう少し大きくなったら伝えようと思っています。
なので、謝りません。
素直に素直に正直に。どうぞよろしく。
先日おかげさまで11thアルバムのレコーディングを開始しました。
(アルバム録音資金調達の為のデモテープを買ってくれた皆さんありがとう。絶対に最高傑作にします。)
カニ君の作戦で「今作は3会場で録りましょう。6/12に4曲、7/8に4曲、8/28に2曲です。」という事になり、先日「the world is mine」「さよならの合図」「真鶴漁港」「ホンダ」の4曲を録りました。
今作は今までの10アルバムの中でも一番アレンジに時間をかけました。
というよりも、アレンジに時間がかかってしまいました。
バンドの状態が悪い訳では無く、むしろ絶好調なのですが、まあ俺の作曲の問題でしょう。
11thアルバムの10曲が出来たのは2022年6月〜2023年4月の間なのですが、この頃は少し天才モードだったみたいで、今振り返っても、なんでこんな歌が出来たのだろう?ギターも変則チューニング?だし、なんか取り憑かれていたなあ、、といった感じで、今までのレテパとは少し毛色が違う歌が多くて、だから最初みんな戸惑い気味で、こんなにも時間がかかってしまったのだと思います。
だけど、録音は全曲1発で録れた。
ボーカルも含め全楽器1発で録ったのだが、オールテイクワン。
あんなに難航したのになあ、ずっと準備して、ずっと難航して、ずっと苦しんで、録る時は一瞬のワンテイクか。
「ホンダ」の長い長い後奏を、歌い終わり地面に座りながら眺めていた。
眺めていたのは、20才の頃に本田さんとドライブした石狩の海と、今目の前で鳴っている4人の凄まじい演奏。
違和感無く重なって見えたよ。あの頃と今が。
帰り道、カブに乗りながら考えた。
この時に疾走しながら思ったんです。
「こんなすごい状態のレテパシーズを4人のお客さんの前だけでやるのは、絶対に間違ってるわ。あっちが間違ってる、こっちが間違ってる、とかもうどうでもいいや。とにかく、このレテパシーズを4人の客の前だけでやるのは絶対に違う。」
だから、素直に好きにやります。
以下、変更点。
よろしく。
※入場料安くします。
1000円にします。
ご予約はこちら。
※予約特典の「手描きチケット」は現状予約してくれている方のみにお渡しします。
理由は、1000円にしてちゃんと告知したら、きっとたくさん来てくれるはず!
そうしたら、手描きするの無理だ、、腕がもげちゃう、、!という明るい理由です。
お許しを。
※前回のチケット持参で半額!の制度も、こうなると意味を成しません。
(半額で1500円だったので、、)
なので、忘れて下さい。ごめんなさい。
以上になります。
レテパシーズは17曲演奏予定です。
そのうち9曲は11thアルバムの歌です。
録音直後直前の最高の状態です。
誰が言ったか忘れたが、メンバーの誰かが言いました。
セットリストを決めて渡した時の事です。
「おー!これじゃまるで11thのレコ発ライブですね。10thのレコ発ライブもまだして無いのに、、まあ、カッコいいセットリストだから良いけど。」
そうなのです。昨年11月にリリースした10thアルバム「夏のアルバム」のレコ発ライブを今年の夏にやるぞ!と言っていたのですが、絶対に夏には出来なそう、、
作戦立てて動いていたのですが、白紙になり、予定は未定。
以上、素直全出し作戦でした!
よかったら目撃してね。
こんなに最高の状態、いつまで続くかなんて誰にも分からないのだから。
2025年6月25日
古宮大志
昔から他人の誕生日を全く覚えられない。
父母の誕生日も妹のも未だに覚えていない。
恋人の誕生日は忘れると恐ろしいので、毎年手帳を買うと真っ先に丸を付けておく。
そんな日付健忘症の人生でしたが、なぜか覚えている日付があります。
それは「レテパシーズの全アルバムのリリース日」なのです。
今朝、テレビを見ていたら「今日は6月3日です。」と言っていて、ハッとした。
「ああ、しかもちょうど10年になるのか。色々あったけどまあ良い感じだよな。うん。がんばったがんばった。」
2015年6月3日、それは僕のレテパシーズの1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」がリリースされた日です。
途中でアル中ゴタゴタがあって出せていない年もあるけれど、こう数えると1年に1枚ペースで出せているんだな。
今年中に11枚目を絶対に出すぞ。
そして来年は12枚目で全120曲が終わるんだ。
その後はもし歌が出来なかったら、ライブ中心のバンドになって、新宿あたりの「ビートルズカバーのプロのバンドが常時居る音楽パブ」みたいなノリで、全120曲をいつでも演奏出来るイカレた状態に仕上げて、お客さんからのリクエストにその場で即座に応えられるバンドになってたらカッコいいよね!なんて、昨日ロサクラで南ちゃんとも話したりしてました。
南ちゃんは「恐ろしい、、楽譜見ても良いですか?それならいけます!」
俺は「いやいや、楽譜無いのが素敵じゃないか。がんばろー!」
南「はい、、がんばります、、!」
想像するだけでワクワクする。
お客さん「君の思い出、演って!」
間髪入れずに「ワンツー!タータタタタタタタタタタ!」と始まるのを想像するだけで鳥肌が立つわ。
他にも色んな夢を見ています。
最近はちょっと面白い新しい夢も見つけて、こっそり動き出しています。
まあ、楽しみにしてて下さい。
相変わらず俺は何も諦めておりません。
そういえば先日、5月の空知に行ってきました。
思い出写真をお裾分け。
支笏湖のお土産屋にて。
昭和平成レトロリバイバルでは無く、本当の古いやつが北海道あたりの土産物屋にはまだ生き残っている。
千歳空港から岩見沢の実家へと向かう道。
千歳〜長沼〜栗山〜栗沢〜岩見沢。
菜の花の季節。
あと、水田に水が張られてキレイな時期。
「でも、水田の光」というやつですね。
一番好きな空知の5月。
翌日は富良野美瑛へ。
岩見沢から山道を1時間半くらいかな。
岩見沢〜三笠〜富良野〜美瑛。
三笠には昔、祖父が営む「古宮豆腐店」がありました。
炭鉱の町、まさにダーティーオールドタウン。
豆腐店跡地のそばにある「旧唐松駅」にて。
母が「面白いもの見せてあげる。」と言うので唐松駅に立ち寄ったのだが、それは駅舎の壁一面に貼られた、在りし日の唐松地区の古い写真達だった。
その中に祖父母一家の写真もあった。
三笠市立博物館。
3rdアルバムの1曲目「深海」に出てくる博物館です。
(3rdと4thはなぜか他のアルバムと比べて人気が無いが、リミックスリマスターして最高になったので、ぜひ聞いてみてね。名曲揃いのすごい2作だと思うんだけどなあ。)
炭住の赤い屋根。
だいぶボロボロになってきたな。
でもまだ住んでる人はいるようだ。
富良野に着いた。懐かしい感じの雨。
でも母は天気を思い通りに出来るレベルの晴れ女らしく「そろそろ晴れるはずだけど、、」と言ってたらやはり晴れた。
仲良し両親。
俺は高校生の頃はあまり仲良くなかったが。
俺が1950年生まれのミュージシャン達、友部正人、友川かずき、遠藤ミチロウ、忌野清志郎、仲井戸麗市、板橋文夫、あたりの影響を受けて歌い出したのは、この両親からの影響が大きい。
遠くに見える右側の木は父が勝手に自分の名前を付けたお気に入りの木らしい。
この後、俺も真似して1本の木に「ひろしの木」と名付けました。
この後出て来ます。
珍しくはしゃいで観光客チックにジャンプした写真を撮ろうとしたが何度やってもうまくいかず。
地球に降り立った人、みたいな写真になってしまった。
次の日。岩見沢〜月形へ。
ちなみに2才〜13才まで月形。
14才〜18才まで岩見沢。
18才〜22?23?才まで札幌。
その後は上京野郎です。
(「歳」という字が昔からピンとこないので「才」を使うタイプです。歌詞でもいつも「才」ですね。)
岩見沢〜月形への真っ直ぐな道「峰延道路」。
樺戸監獄の囚人達が作ってくれた道。
思い出の道ランキングでベスト3に絶対に入る道です。
元実家の三角屋根に到着。
古宮家が出て行った後、トラック会社に売ったのだが、今は放置状態で空き家みたい。
家の裏の廃庭を見たら、イチゴの花が咲いてた。
1990年くらいに古宮家が植えたイチゴが野生化してまだ生きてるんだなあ。
イチゴは食べるよりも花や葉を見るもの!と言い切れるくらい、イチゴの花と葉が好きです。
神社は家の隣の「南耕地神社」。
「昔隣に住んでたひろしです。全てがんばってますよ。まだまだがんばります。」とお参りした。
家の前の田んぼ道。
この木が「ひろしの木」です。
川は「まだもう」に出てくる「増水の灌漑溝」。
この木の下に座って見える景色が人生で好きな景色ベスト3に入ると思う。
もし死んで好きなところで地縛霊になれる権利をもらえたら、多分この木の下にいます。
レテパヘッズの皆さんは気付いたかな?
シングル「まだもう」の写真の木だよ。
木も俺も大きくなりました。
なんか、成長度合いが似てる気がするね。
1990年4月26日の写真。
俺と白い犬と、それを追いかける妹。
月形小学校と夕日。
10thアルバム「夏のアルバム」のジャケですね。
母校と夕日のセットを見れるなんて幸せ。
なんか最近少し燃え尽きた気もしていたが、ちゃんと心に風が吹き「まだまだ俺にはブルースがあるな。思い出させてくれてありがとう月形。」なんて思いました。
以上、5月の空知小旅行写真集でした。
最近はドタバタしてて、なかなかレテパ通信を書けてないけど、とにかく伝えたいのは「6/27の第6回レテパシーロックフェスティバルで会おう!」です。
本番当日は全員でリハを出来なそうなので、昨日ロサンゼルスクラブで8時間もリハしてきました。
センスあるPAの兄さんと共に、ロサクラ史上最高の音を作れたよ。
楽しみにしててね。
PS.6/27のセットリストに「まだもう」「空知」は絶対に入れると思う。
5月の空知を感じたブルース状態で歌います。
きっと最高の演奏になるだろう。
2025年6月3日
古宮大志
西宮灰鼠の新バンドのライブに衝撃を受けたので、急遽レテパフェス開催します。
親愛なるねずみ君については色々書きたいのですが、彼について書く事は2000年代の自分とも再会するような壮大な行為なので、並大抵ではありません。
なので、また今度ゆっくりと。
とりあえず、本日より予約開始します。
よろしく。
ご予約はこちら。
6月27日(金)
東高円寺ロサンゼルスクラブ
「第6回レテパシーロックフェスティバル」
開場18:30
開演19:30
チケット3000円(1D別)
※第5回のチケット提示で半額です
※今回のチケットは第7回の半額券になります
出演
西宮灰鼠の新バンド(仮名称)
僕のレテパシーズ
PS.ねずみ君の新バンドの名前は考え中だそうです。
決まったらまたお知らせしますね。
2025年4月27日
古宮大志