今年の夏「才能がなかったんだろ」という歌が出来まして、すぐに録音、配信しましたね。
その歌の歌詞に「古宮さんは口が達者だから冷静に客観的に数字だけを見てみましょうよ スポティファイ ユーチューブ アップルミュージック」という一節がありました。
昨日一昨日はヤハタトシキ加入の事を、その前の日は文字通りヤケクソのクイズを、その前の日はシングル「音楽」配信の件を、書きました。
まあ、昔と変わらず一喜一憂激しいタイプみたいですが、今はやはり6枚完成の心の落ち着きが強いので「音楽」や「長野県のお月様」の再生数が少ないからと言って、大騒ぎせずに、この歌詞のように冷静に客観的に見てみる事にしました。
サブスク各社やこの「ニュース」の閲覧人数なんかも、改めて見て、分析してみたところ、、。
この文章を毎日楽しみにしてくれたり、シングルが配信されると聞いてくれるような熱心なレテパヘッズの人達は、全国で50人〜70人という感じでした。
そこで過去も冷静に分析してみた。
以下冷静な分析の模様
「音楽」を始めたのはいつですか?
あと、その後の活動の中でのターニングポイントがあれば教えて下さい。
と問われたら、、
①高2の時に聞いた阿部薫のサックスの音がキレイすぎて、アルトサックスを買いました。
学校にも行かなくなり、ひたすらにアルトサックスを吹きまくりました。アルトを第一言語にするために。
②1年後、修学旅行中の東京〜札幌の飛行機の中で初めて友部正人の「反復」を聞きまして、サックスはやめて歌を歌う事に決めました。上空10000メートルでの出来事でした。
地に足がついていない上空で決意した歌手生活でしたので、こんなにも安定しない20年の音楽活動になってしまったのかも知れません。
③ずっと古い音楽や死んだ人の歌ばかりを聞いてきましたが、20才の時に偶然試聴したROSSOの「シャロン」に感動して、バンドを組みたくなりました。
出来る歌も「札幌ナンバーの最後」「空知」「ミツバチ」「SFマンボ」等、自分としてはバンドモードで大きな変化が起きた気がしました。
ここから2年間くらい、その時代に(2002年頃)作られ、生きている、現在進行系の音楽を色々聞くようになりました。
若い同世代の友人なんかもたくさん出来るようになり(アディーに会ったのもこの頃)明るい生活になりました。
④会った事のない人(知り合いの彼氏さん)からいきなり自作曲40曲入りのCDが届きまして、恐る恐る聞いてみると、天才の音楽でした。
後にも先にも俺が手放しに天才、と言えるのは、有名無名含め彼くらいです。
その彼(名前は本人の希望で出せない、今は音信不通)と2年間くらい、新曲音源による文通を行い、その時期は俺にとって生涯で一番多作な時期になりました。
2007年〜2008年頃だな。
海へ行こうよ、夜明け前、プレスカブ〜、アズミ、君しかいない、ユーレイ、MOON PALACE、その他沢山。
⑤紆余曲折あり「僕のレテパシーズ」結成。
ライブハウスやインディーズバンドマンの人達と多く付き合うようになり(面白い人はほとんどいなかった。が、たまにいた。まあたまでもいたんだからラッキーなんだろう。)一喜千憂の日々。
⑥「17」という歌が出来たあたりから、バンドで歌う事が苦じゃなくなってきて(多分生粋のソリストだから、レテパに馴染むのに5年かかった)やっとレテパシーズになれた気がした。ありがとう「17」。
⑦2017年〜のアルコール依存症問題
⑧そして今、5th6thアルバムの録音が終わり、全然全然違う感じ。本当に新しい感じ。軽やか。
思い出や経験等は一切関係なく、ただ「才能」のみで軽やかにやっている感じ。(「才能」って自分がすごいとかそういう意味じゃないよ。分かるでしょ?)
長くなりましたが、何が言いたいかと言うと、、
①から②になった時、すごく変化した気分だった。
一人(やりたいのはソロでした)でパララパララとサックスを吹き狂ってるのと違い「歌」なら、ライブハウスに行けばいいんだし、行けばすぐに認められて「春一番」とかに呼ばれてフォークの重鎮達からチヤホヤされるんだと思っていた。
が、全然ダメだった。
②から③もすごい変化だった。
なんせ、現代の現在進行系のものには、過去のものには無い、生きている人のエネルギーが感じられた。
ちゃんとその時代に自分も生きている気がした。
バンドも組んだし、これでもう大丈夫、嫌なアルバイトの日々からも抜け出せる。と思ったが、全然ダメだった。
④と⑦はちょっと別次元ですが、他は毎回「これでもう大丈夫。歌だけ歌って生きていけるぞ。」と楽観視しては全然ダメ、の繰り返しでした。
毎回、自分としては分かりやすく言うと「ポップ」の階段を上っているつもりでいた。
もっと簡単に言うと毎回「売れる」方向に変化してるつもりだった。
売るために、自発的に自分を変えることは全く出来ないので、毎回数年かけて「自然の変化」を待っているような感じだった。
(「生命の進化」と同じタイプの「待ち」だね)
が、もしかしてレテパは「ポップ」じゃないのか?
俺はスタートが阿部薫のラッパの音でしたので、あれから考えると極上の聞きやすいポップなのですが、そもそもその認識が違ったのかな。
と、最近「プロ」の人達と話したり、サブスクで色々聞いたり、そしてこの結果を冷静に見たりすると、分かってきた気がしました。
レテパはそんなに多くの人がたくさん聞く音楽じゃないんだ。
そう思って、数字と過去を冷静に分析してみたら楽になった。
今の状態は異常じゃないんだ、正常なんだ。と思ったら、なんだかとても楽になりました。
勝手に異常事態だと思って騒いでた。
今、せっかく①〜⑧の中で初めて楽しいんだし、やりたい事を好きにやってみよう。
考えることはもう一生×3回分くらい考えた気がするから、ここからは本能に任せます。
今後の活動への文句は本能に言って下さい。
(本能は新しい歌を作りたがってたみたいで、今日も一曲作ってました。多作な本能。)
PS.①〜⑧の音楽遍歴はザックリですが、今度またちょっとずつ書いてみますね。
こんなのを聞いていました、読んでいました、とか。
PS.「音楽」を初めたのはいつですか?だと、高2のアルトサックススタートになりますが「悪魔に魂を売ったのはいつですか?」という質問なら「高1のハイロウズのロブスターツアーです。」と答えますので、ご安心?を。
PS.ツイッターの「音楽」の映像でヤハタ君が「バームクーヘン」Tシャツを着てますね。
実家に「ロブスター」Tシャツあるはずだから、今度彼にあげよう。
PS.レテパヘッズ50人〜70人のあなた!センス合うね。嬉しい。
昨日は新ベースのヤハタ君について書きました。
で、先程彼からこんなメールが来た。
以下ヤハタ君
レテパ加入を友達が喜んでくれてひさしぶりに遊んだら(レテパはサブスクで偶然見つけて超気に入ったらしい)そのロックンロール好きの彼からシブいベースを託されました。
片方のピックアップ音出なくてコヤーマ佐藤さんに見てもらってます。
ピックアップそのものが壊れてたらコヤーマではできないので時間かかるかもですが。
たぶんリッケンベースみたいな太い感じの音です。
レテパに合うかわからないけど今度スタジオで試してみようかなと!
との事でした。
嬉しいね。いいぞ。サイコーだね。
先日ツイッターに載せました、ぐるぐる回る「音楽」のスタジオ動画。
ご覧になりましたか?
あれの2番目に映っていたベーシストが、新メンバーのヤハタトシキ君です。
前ベースのタカユキカトーが加入したのは2019年の春頃。
その時はタカユキ君に「あと2枚、5thと6thアルバムが完成しないと死んでも死にきれん。手伝って欲しい。録音エンジニアとベースも弾いてくれ。」と、タカユキはギターリストなのに、レテパベーシストが不在だったから無理言って加入して貰ったのでした。
で、無事5th6thの録音が完了。
約束を果たし、タカユキカトーはお役御免のありがとうとなりました。
前も書いたが、ここで解散するんだろうなあ、と思っていました。
が、いざ全部終わってみると、笑っちゃうほど全然解散する気は起こらず、憑き物が落ちたみたいに新曲はじゃんじゃん出来るし(天才かもしれない、なんか新しいぞ)ライブもしたいし、で、新ベーシストを探そう、ということに。
俺は「ヤハタ君っていう、レテパ好きでベース弾けるやつが近所にいるんだけど、一回スタジオ入ってみてもいいかな?試験試験。」とタカノ、ユキコ、ハジメに伝えまして、みんな「どんなもんだか、試してみよー!」と厳しいスタジオ審査が行われました。
で、ハーバード大学の入学試験よりも狭き門と言われている、レテパベーシストの座を彼はみごとに勝ち取りました。
おめでとう。
彼は札幌出身ですが、俺が札幌に住んでいた頃(22才までかな?)はまだ小学生とかでしたので、知り合いではありませんでした。
2012年に発売した「LIVE AT MOTION」というライブ盤を偶然タワレコで見つけ、聞いてみたら大好きになってくれたそうです。
その後、彼は自分のバンド(いつもはシンガーソングライター)の札幌での企画にレテパを呼んでくれたりして、知り合いになりました。
(あの頃の俺は、レテパで歌うのがまだ苦手で、全然良いライブは出来ませんでしたが、、。)
なかなかおちゃめな男です。
「男はつらいよ」の2代目満男に雰囲気がよく似ています。
歴代のレテパメンバーの中でも1、2位を争うくらいにレテパの歌に思い入れ、思い出、を持ってくれていて、全曲歌えます。
それはやはり大きな事なんだな、と、この前もスタジオで歌いながら思いました。
期待していいよ。
2/20は空けとくように。
PS.先程、彼から貰った。
2015年の12月、札幌東区161倉庫(俺の母校)ですって。
「音楽」が全然聞かれず(聞いて気に入ってくれたあなた。本当にありがとう。嬉しいです。)ちょっとスネてますので(ちょっとだけね)真面目な文章を書く気がしないので、今日はふざけています。
真面目な文章が好きな人は、明日からはまた真面目ですので、今日は読まずに飛ばしてね。
先日こんな文章を書きました。
一昨日はスタジオでした。
6時間練習(2/20空けとくように)して、その全間奏で最近ブームの「パルプ・フィクションのビンセントのツイスト」を踊っていたら、家に帰ると、左上部の脇腹から背中にかけて激痛が。
ギックリ背中というそうです。(たまになる。普段の20%くらいの動きしか出来ない。80%は激痛。)
ウンコして右手でお尻が拭けなかったので、あ、やばいな、と思いましたが左手だと拭けたので、良かったです。
2018年飲酒末期の頃は、外食中やスキー中にウンコ(もうただの液体だが)漏らしても、家族も俺も気にせず食事やスキーを続けるような状態だったので、お尻を拭けないことに「やばいな」と思える健全な思考が嬉しい38才のバースデーです。
以上が先日からの引用ですが「そういえばスキー行った時の写真ってあるの?」と家族に聞いたら見せてくれました。
あの頃の写真(飲酒末期)はもちろん見たくは無いのですが、自戒を込め忘れないために定期的に見たり、その手の本もかかさずに読むようにしています。
一生の不治の病だと自覚することが大切なんです。
で、写真見ていたら思いついたので、今日はクイズです。
題してクイズ「漏れてる?漏れてない?」
以下の1〜4の写真を見て、漏れてるか漏れてないか当てて下さい。
場所:忘れた
時期:2018年冬
さあ、どの写真が漏れてるでしょう?
答え合わせがてら解説です。
①答「漏れてない」
「アルコール依存は家族の病気でもある」まあ言葉だけ聞くと「は?」という人も多いと思いますが、うちも他の例に漏れず、家族が精神的に参り、医者に通うように。
で、医者から「底付き、と言って、本人が「限界だ、病気だ、自分は異常だ」と自発的に治療を始めないと何の意味もないので、本人から言ってくるまでは好きに飲ませて、何があろうと放置するように。あなたはあなたで好きな事をやりなさい。自分のペースを崩さないように。」と言われ、彼女本来の明るさを取り戻した。
で、自分のペースだと冬はスキーなので、気にせずスキーへ。
②答「漏れてない」
家族も改めて感心していたがアルコール依存だと、酔ってるのが正常、シラフが異常、と脳が反対に判断してしまうので、全くふらつかず一度も転ばなかった。
スイスイと滑る俺を見て、改めて「病気なんだなあ、ちょっとはコケて骨折でもしろよ」と思ったという。
バイト中でも、葬式の最中でも、万が一アルコールが切れると離脱症状に襲われるので、常に酒を隠し持っていた。
丁度良くスキーウェアには10個以上のポケットが有り、便利便利、と言いながら、全ポケットに焼酎を忍ばせていた。
パンパンになったスキーウェアを見て「なんか、自爆テロに行くみたいだなあ」と家族と笑い合ったのだけは、何となく覚えている。
③答「漏れてる」
顔見りゃ分かるか。
頂上まで行き、多分リフトの途中で漏れているが、家族は全く気にしない。
「雪で拭く?そのまま行く?どっちでもいいから早く滑ろうよー!」と変わらない笑顔だ。
お医者さんナイスアドバイスありがとう。
おかげさまで、この頃は周囲が思うほどには悲惨では無かった。何が起きてもコメディー映画。
④答「漏れてる」
漏れたままスキーウェアから着替えロッジで食事。
俺はこの頃は基本食事はしなかった。飲むだけ。
体重は今より20キロ少なかった。
目の前でウンコ漏らしてるやつがいるのに、カレーを頼む家族。
ね、コメディーでしょ?
以上クイズ「漏れてる?漏れてない?」でした。
まあ、こうやって書いてみると全然真面目な文章かもしれませんね。
ちょっとスネてると書きましたが、スネてるだけで、元気なので御心配なく。
6枚が終わり、本当に自分でも驚くほど軽やかで明るいのです。
前だったら家出してるよ、一生の。
では、また明日。
誕生日おめでとう。
そしてシングル配信おめでとう。
(聞いて気に入ってくれたら、何よりのバースデープレゼントです。こちらからどーぞ。)
今までは誕生日になると、
例:2017年12月2日35才の朝
「今日で、35才か。太宰さんで言ったら「津軽」だな。ヒロトで言ったら「ロブスター」だな、星野さんなら「アラスカ 光と風」を書いてる頃だな。」
とか、考えながら「急がなきゃ。間に合わん。」
と、レテパ全6アルバム完成への焦る気持ちを爆発させるバースデーでした。
今回は(発売はまだですが)音源は全部完成してますので、焦る気持ちもない、子供の頃のようなバースデーです。
家族に「何食いたい?」と聞かれたので「昼が高いハンバーガーで、夜は高くなくていいから寿司。」と答えました。
が、焦りが消えたから丸くなって終わっていくと思ったら大間違いのようで、最近歌が出来まくると書きましたが、肩の荷が下りて楽しく好きに本能の赴くまま、軽やかにデモテープを作ってみたら、なんかすげえ良い気がしたから、2、3の友人に聞かせたら「パワーアップして原点回帰してる」「あの頃の無秩序感が爆発してる」「つーか、アレンジ力すげえ」「永遠にリピートできる」「こんなひろしも聞きたかった」とか、大絶賛してくれました。
こんなに軽やかに活動出来てるのは、20才の「空知」「SFマンボ」「札幌ナンバーの最後」「ミツバチ」とかの時期以来です。
あの頃は、色々あって(ありがとう中村達也。またいつか書くね。)生命力が爆発した時期でした。
あの頃に似てるな。今。とても軽やか。
一昨日はスタジオでした。
6時間練習(2/20空けとくように)して、その全間奏で最近ブームの「パルプ・フィクションのビンセントのツイスト」を踊っていたら、家に帰ると、左上部の脇腹から背中にかけて激痛が。
ギックリ背中というそうです。(たまになる。普段の20%くらいの動きしか出来ない。80%は激痛。)
ウンコして右手でお尻が拭けなかったので、あ、やばいな、と思いましたが左手だと拭けたので、良かったです。
2018年飲酒末期の頃は、外食中やスキー中にウンコ(もうただの液体だが)漏らしても、家族も俺も気にせず食事やスキーを続けるような状態だったので、お尻を拭けないことに「やばいな」と思える健全な思考が嬉しい38才のバースデーです。
それでは、絶望からの幽かな光。
めくるめく「音楽」の世界をご堪能下さい。
「音楽」データ
2020年初頭レコーディング
今後発売予定の5thアルバム「レテパシー」収録曲
作詞作曲(2019年作):古宮大志
編曲:僕のレテパシーズ
ボーカル:古宮大志
ギター:高野京介
ベース:タカユキカトー
キーボード:ハダユキコ
ドラム:関口萌
録音:タカユキカトー
ミックス:馬場友美
マスタリング:中村宗一郎
ドラムテック:北村優一
ジャケットデザイン:長谷川大
PS.ビンセントのツイストはカッコよかったが、ミアの踊りは嫌い。
つーかあの映画、全登場人物の中でミアだけがカッコよくない(あとは全員カッコいい。ブッチの彼女ですらミアの何百倍もカッコいい。)いいとこ一つもない。なんであんな唯一の魅力のない女がDVDのジャケットなんだ?
と、友人に言ったら「いや、そんな変わった感想はじめて聞いた。」と言われた。
今日も色々偉そうに書いてますが、全部「僕のレテパシーズカッコいい!」を前提に書いてます。
売れてないんだし、ミア嫌いだし、少数派なのかもしれません。
「音楽」も少数派なのかなあ?祈ろう。
もう金がないんだ。5th6thレコーディングに全部(バンドのお金が、とかじゃなく全財産)使っちゃった。
このままじゃスタジオも入れん。祈ろう。
シングル「音楽」いよいよ明日ですね。
日付が変わるとこちらで聞けます。
明日12/2は俺の誕生日でもあります。
故郷の月形町では12/2だと、もちろん雪は降っていますが、友達が集まる「お誕生日会」で、田舎特有の大きな納屋の屋根から滑り降りる危険なソリ遊びが出来るかどうかは、毎年五分五分でした。
除雪は親任せの無責任な田舎少年は「12/2までにもっともっと積もってくれ!」といつも誕生日前には祈っていたのでした。
では、皆さん聞いてみてね。
PS.先程テレビのニュースで、今日は美唄が大雪で今日本で一番雪が積もっているのは美唄市です、とやっていました。
美唄は月形の隣町です。
というわけで、今年の誕生日は文句無しでソリ遊びが出来たことでしょう。
南空知は豪雪地帯です。
シングル「音楽」配信、いよいよ明後日ですね。
明後日になるとこちらで聞けますよ。
この歌は、レテパのレパートリーの中では、1番新しい歌という事になります。
2019年の2月から第2次断酒治療が始まりまして(世界大戦と同じで第2次で終わりになることを祈る)3ヶ月経ち、離脱症状が落ち着き出した頃、不安の中、ボーッとしていたら出来た歌です。
歌が出来た時は、いつも救われた気分になるものですが、この歌の時は状況が状況なだけに、特にそんな感じだったと思います。
年単位で、すごく久しぶりに出来た歌だったのも覚えています。
2017年以降は、心のどこかで「多分6枚目で力尽きるから、これ以上、歌は出来なくていいよ。出来ても録音してあげられないから。」と、どこかで止めていた気がします。
その証拠に、最近タガが外れたように、バカみたいに出来てしまいます。
何に謝ったらいいのか分かりませんが、もし自分の中に「作曲担当」の部署があるとしたら「なんか、ここ数年無視しててごめんね。これからは好きにやって下さい。」と謝りたい気分です。
今日はスタジオでした。「音楽」も歌いました。
ちょっとだけよ。覗いてみたまえ。
本日は僕のレテパシーズのスタジオでした。
明後日12/2はシングル「音楽」配信です。
映像はその「音楽」です。
12/2になると↓https://t.co/PeYIVIampb
で、聞けます。 pic.twitter.com/YvnNS1nXxG— 僕のレテパシーズ (@letepathys) November 30, 2020
前書いた、ヒロトのテレビでヒロトが「若い人達は歌詞を聞きすぎる。大事にしすぎる。」と言っていました。
俺もハイロウズの子供なので、表現は違うが同じ事(多分)を思っていて、俺の場合は「歌を作る時に、良い歌詞を書こうと考えるのは良くない。」と思っていました。
歌詞なんてテキトーに思いつきで書くものだと思っています。
ただそれは、歌詞を書く瞬間は「もっといい言葉が無いかな」とか考えるな、という意味で、普段はテキトーではなく、素敵にクレイジーに過ごさなきゃ、イカしたナンバーは書けないよ、とは思っています。
鉛筆なめなめひねり上げたような歌詞は嘘のニオイがします。
ので、勝手に「お、ヒロト同じ事思ってんじゃん。」と思いながら見てました。
(全然違ったらごめん。多分同じ。だって子供だから。)
あと「歌詞はあんまり重視してないんだよね」とかいうバンドがたまにいるけれど、だったらインストバンドやればいいのに、とも思います。
歌詞を書く、歌を歌う、というのはバンドにとって絶対に必要なものでは無いのに、古い慣習に無意志に従って、いなくても良いようなボーカルがいるバンドが多い気がします。
「歌無ければ、カッコいいのにな」というバンドがよくいます。
エレキギターが、喋る事よりも全てを表せれる「第一言語」になれているのなら、わざわざ苦手な歌詞を書くことは無いでしょう。
「第一言語」が楽器だから、あなたは「ミュージシャン」なのですから。
というわけで、12/2配信のシングル「音楽」の歌詞を「歌詞」ページに先行公開です。
(英語版「Ongaku」も載せました。)
歌聞く前に歌詞読むのが好きなタイプの方はどーぞ。
今年はレテパ10周年、ソロ20周年のメモリアルイヤーなのに誰も祝ってくれない、と、この前は心の叫びを書きました。
お祝いといえば、12/2は俺の誕生日です。
谷内六郎とマリアカラスと同じ日です。光栄です。
せめて、誕生日くらい自分で祝うか。
という事で、、
12月2日シングル「音楽」配信スタートします。
5thアルバム「レテパシー」より先行配信シングル第二弾です。
「本当はメモリアルイヤーも祝ってあげたかったのに、祝い方が分からなかっただけなんです。レテパ大好き。」
という感じの人には、祝う絶好の機会ですね。
「音楽」聞いてくれて、気に入ってもらえましたら、何より嬉しいお祝いです。
お楽しみに。