昔から他人の誕生日を全く覚えられない。
父母の誕生日も妹のも未だに覚えていない。
恋人の誕生日は忘れると恐ろしいので、毎年手帳を買うと真っ先に丸を付けておく。
そんな日付健忘症の人生でしたが、なぜか覚えている日付があります。
それは「レテパシーズの全アルバムのリリース日」なのです。
今朝、テレビを見ていたら「今日は6月3日です。」と言っていて、ハッとした。
「ああ、しかもちょうど10年になるのか。色々あったけどまあ良い感じだよな。うん。がんばったがんばった。」
2015年6月3日、それは僕のレテパシーズの1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」がリリースされた日です。
途中でアル中ゴタゴタがあって出せていない年もあるけれど、こう数えると1年に1枚ペースで出せているんだな。
今年中に11枚目を絶対に出すぞ。
そして来年は12枚目で全120曲が終わるんだ。
その後はもし歌が出来なかったら、ライブ中心のバンドになって、新宿あたりの「ビートルズカバーのプロのバンドが常時居る音楽パブ」みたいなノリで、全120曲をいつでも演奏出来るイカレた状態にして、お客さんからのリクエストにその場で即座に答えられるバンドになったら面白いよね!なんて、昨日ロサクラで南ちゃんとも話したりしてました。
南ちゃんは「恐ろしい、、楽譜見ても良いですか?それならいけます!」
俺は「いやいや、楽譜無いのが素敵じゃないか。がんばろー!」
南「はい、、がんばります、、!」
想像するだけでワクワクする。
お客さん「君の思い出、演って!」
間髪入れずに「ワンツー!タータタタタタタタタタタ!」と始まるのを想像するだけで鳥肌が立つわ。
他にも色んな夢を見ています。
最近はちょっと面白い新しい夢も見つけて、こっそり動き出しています。
まあ、楽しみにしてて下さい。
相変わらず俺は何も諦めておりません。
そういえば先日、5月の空知に行ってきました。
思い出写真をお裾分け。
支笏湖のお土産屋にて。
昭和平成レトロリバイバルでは無く、本当の古いやつが北海道あたりの土産物屋にはまだ生き残っている。
千歳空港から実家の岩見沢へ向かう道。
長沼〜栗山〜栗沢〜岩見沢。
菜の花の季節。
あと、水田に水が張られてキレイな時期。
「でも、水田の光」というやつです。
一番好きな空知の5月。
翌日は富良野美瑛へ。
岩見沢から山道を1時間半くらいかな。
岩見沢〜三笠〜富良野〜美瑛。
三笠には昔、祖父が営む「古宮豆腐店」がありました。
炭鉱の町、まさにダーティーオールドタウン。
豆腐店跡地のそばにあった「旧唐松駅」にて。
母が「面白いもの見せてあげる。」と言うので唐松駅に立ち寄った。
壁を見ると唐松地区に住んでいた人達の思い出の写真が貼られてあった。
その中に祖父母一家の写真もあった。
三笠市立博物館。
3rdアルバムの1曲目「深海」に出てくる博物館です。
(3rdと4thはなぜか他のアルバムと比べて人気が無いが、リミックスリマスターして最高になったので、ぜひ聞いてみてね。名曲揃いのすごい2作だと思うんだけどなあ。)
炭住の赤い屋根。
だいぶボロボロになってきたな。
でもまだ住んでる人はいるようだ。
富良野に着いた。まだ雨。
でも母は天気を思い通りに出来るレベルの晴れ女らしく「そろそろ晴れるはずだけど、、」と言ってたらやはり晴れた。
仲良し両親。
俺は高校生の頃はあまり仲良くなかったが。
俺が1950年生まれのミュージシャン達、友部正人、友川かずき、遠藤ミチロウ、忌野清志郎、仲井戸麗市、板橋文夫、あたりの影響を受けて歌い出したのは、この両親からの影響が大きい。
遠くに見える右側の木は父が勝手に自分の名前を付けたお気に入りの木らしい。
この後、俺も真似して1本の木に「ひろしの木」と名付けました。
この後出て来ます。
珍しくはしゃいで観光客チックにジャンプした写真を撮ろうとしたが何度やってもうまくいかず。
地球に降り立った人、みたいな写真になってしまいました。
次の日。岩見沢〜月形へ。
ちなみに2才〜13才まで月形。
14才〜18才まで岩見沢。
18才〜22?23?才まで札幌。
その後は上京野郎です。
(「歳」という字が昔からピンとこないので「才」を使うタイプです。歌詞でもいつも「才」ですね。)
岩見沢〜月形への真っ直ぐな道「峰延道路」。
樺戸監獄の囚人達が作った道。
思い出の道ランキングでベスト3に絶対に入る道です。
元実家の三角屋根に到着。
古宮家が出て行った後、トラック会社に売ったのだが、今は放置状態で空き家みたい。
家の裏の廃庭を見たら、イチゴの花が咲いてた。
1990年くらいに古宮家が植えたイチゴが野生化してまだ生きてるんだなあ。
イチゴは食べるよりも花や葉を見るもの!と言い切れるくらい、イチゴの花と葉が好きです。
神社は家の隣の「南耕地神社」。
「昔隣に住んでたひろしです。全てがんばってますよ。まだまだがんばります。」とお参りした。
家の前の田んぼ道。
この木が「ひろしの木」です。
川は「まだもう」に出てくる「増水の灌漑溝」。
この木の下に座って見える景色が人生で好きな景色ベスト3に入ると思う。
もし死んで好きなところで地縛霊になれる権利をもらえたら、多分この木の下にいます。
レテパヘッズの皆さんは気付いたかな?
シングル「まだもう」の写真の木だよ。
木も俺も大きくなりました。
なんか、成長度合いが似てる気がするね。
1990年4月26日の写真。俺と妹と白い犬。
月形小学校と夕日。
10thアルバム「夏のアルバム」のジャケですね。
母校と夕日のセットを見れるなんて幸せ。
なんか最近少し燃え尽きた気もしていたが、ちゃんと心に風が吹き「まだまだ俺にはブルースがあるな。思い出させてくれてありがとう月形。」なんて思いました。
以上、5月の空知小旅行写真集でした。
最近はドタバタしてて、なかなかレテパ通信を書けてないけど、とにかく伝えたいのは「6/27の第6回レテパシーロックフェスティバルで会おう!」です。
本番当日は全員でリハを出来なそうなので、昨日ロサンゼルスクラブで8時間もリハしてきました。
センスあるPAの兄さんと共に、ロサクラ史上最高の音を作れたよ。
楽しみにしててね。
PS.6/27のセットリストに「まだもう」「空知」は絶対に入れると思う。
5月の空知を感じたブルース状態で歌います。
きっと最高の演奏になるだろう。
2025年6月3日
古宮大志
西宮灰鼠の新バンドのライブに衝撃を受けたので、急遽レテパフェス開催します。
親愛なるねずみ君については色々書きたいのですが、彼について書く事は2000年代の自分とも再会するような壮大な行為なので、並大抵ではありません。
なので、また今度ゆっくりと。
とりあえず、本日より予約開始します。
よろしく。
ご予約はこちら。
6月27日(金)
東高円寺ロサンゼルスクラブ
「第6回レテパシーロックフェスティバル」
開場18:30
開演19:30
チケット3000円(1D別)
※第5回のチケット提示で半額です
※今回のチケットは第7回の半額券になります
出演
西宮灰鼠の新バンド(仮名称)
僕のレテパシーズ
PS.ねずみ君の新バンドの名前は考え中だそうです。
決まったらまたお知らせしますね。
2025年4月27日
古宮大志
みなさん元気ですか?こちらは元気です。
前回のレテパシー通信から色々ありまして、書ける事も書けない事も本当に色々ありまして、どうやって書いたら良いものか、と考えていたら1ヶ月以上も経ってしまいました。
この間に起きた事でどうしても伝えたい事があります。
それは3/9と4/10に目撃したライブの事です。
人生で初めて使う言葉ですが「奇跡」だと思いました。
あと「約束」なんて言葉もライブ見ながら頭をよぎったな。
信じなきゃな、信じよう、がんばろ。
この二つのライブを見れて本当によかった。
120曲が終わって、やはり少し終わりモードだったのかも知れません。
3/9の真黒毛ぼっくす
4/10の西宮灰鼠(バンド編成/西宮、カリタ、コムラ)
おかげで目が覚めました。
こんな奇跡のライブが行われていた事なんて、この文章を読んでいる人達の何人が知っていたのだろう。
そして目撃者となると下手したらゼロなのではないか?
がんばろ。
どうやら俺は他の人よりも元気なようなので。
音楽の世界、もっと良くなる気がしてしまう。
もっとイカレてて、もっと愛おしい、平気で飛び込んでね。サイコーだから。
若者にも老人にも迷いなくそんな風に言えるようになりたいのです。
6/27、第6回レテパシーロックフェスティバルやります。
詳細はもう少しお待ちを。
とりあえず信じて空けておいてね。
2025年4月16日
古宮大志
吉祥寺からの帰り道だった記憶があるから「愛してるよ」「クレイなジー」「エンデンジャードスピーシーズ」のどれかの時だろう。
今は無き吉祥寺GOKでの録音の帰り道、車中で俺が次のアルバムの構想をノリノリで話し出したら、運転していたハダユキコが「やめてよ!せっかく録音終わったのに!その帰り道に次の話をするなんて。今は完成の余韻に浸ってお祝いしようよ!」と怒り出したのを覚えている。
昔から、ライブの打ち上げとかも好きでは無く、ほとんど参加した事が無い。
何かが終わった瞬間には、次の事を考えてしまうから、余韻に浸るという感覚が分からない。
そんなバンドマン人生だったのですが、今珍しく余韻に浸っていて、ああ終わったなあ、という気分です。
誤解を恐れずに書くと、自分の選ぶ行動のコマンドをドラクエ風(「戦う」「逃げる」とか、そういうやつね)で考えた時に、珍しく「終わる」というコマンドが出現しています。
それはレテパシーズが終わるという意味です。
もちろん、そのコマンドを選んだりはしないんだけど、普段はコマンドにすら無い「終わる」というやつが、今は出現しています。
でもこれは悲しい話では無いのです。
むしろ嬉しい話をしようとしています。
今、珍しく打ち上げしたい気分。
ここ数日はそんな、終わったなあ、という余韻の中で暮らしています。
先日、海辺に住む友人夫婦の家に泊まりました。
家の目の前は、大根畑やキャベツ畑で崖の向こうには海と富士山。
俺一人、随分と早起きしてしまったので、朝の空気の中を散歩してみました。
30分くらい歩いていたら、大根農家の人達も働き始めて、スポンスポンと大根(立派な三浦大根)を抜いて、木製で可愛い手押しの荷台にキレイに並べていきます。
そんな光景を眺めていたら、いきなり歌が出来始めました。
急いで、友人宅に戻りました。
ペンも紙も持たずに家を出てしまっていたので。
友人はギタリストなので、リビングの壁には様々な種類のギターがかけられています。
俺は「最後の歌は、やはりガットでしょう。」と一人呟き、古いYAMAHAのクラシックギターを手に取りました。
歌い出した頃からずっと、弾き語りはクラシックギターでやっていたので、一番愛着があるのです。
豪華な別荘用の建物を自宅にしている友人の家には、大きなテラスがあるので、そこへ出て、小さな声で歌を作り始めました。
初めましてのギターを弾く時には、まずボディーに耳を直接当てて弾いてみます。
そうすると、ちゃんと挨拶した感じになって、どんなギターでも不思議と自分の好きな音が出るようになるのです。
その日も恒例の初めましての挨拶を済ませて、朝の雲と鳥達を眺めながら、最後の歌を作りました。
1時間くらいやっていたのかな?
気が付いたら、友人も起きていたようだったので、彼に「すまないが、3分だけスマホ貸して。歌が出来てしまったから録音したいのよ。俺、ガラケーだから録音出来ないんだ。」とお願いして、録音しました。
まだ寝ている人もいたので、小さな音と声で録音しましたが、海鳥達の鳴き声が入った素敵な録音になりました。
このレテパシー通信の熱心な読者の方なら、過去に書いていたのでお気付きでしょう。
そう、12thアルバム用の10曲目、最後の歌が出来たのです。
もし、この後1曲でも出来てしまうと、13thアルバムが始まってしまいます。
でも、今は完全なる終わり。
なんという達成感。燃え尽きた気分。
打ち上げしたい気持ちが分かる。
人生初めての余韻の感覚。
こう書いてみると、自分の本質はプレイするミュージシャンというよりは、やはりソングライター、作家寄りなのでしょう。
ライブや録音終了、アルバム完成、では達成感を感じないが「12thアルバム用の10曲の作曲が終わった」という事にはこんなにも達成感、そして「終わり」を感じるのです。(まだアレンジも録音もしてないのに)
しかも、12thまでの120曲に文章を書いて「僕のレテパシーズに捧ぐ」という本にする、という夢もあるので、なおさら強く、区切りや終わりを120曲目に感じています。
またどーせ、いつものように13thアルバムが始まるのかも知れないけどさ。
こんな「終わり感」は一生に一度あるかないかだろうから、少しだけのんびり余韻に浸らせておくれ。
最後の歌は「楽しかったから」というタイトルです。
「自分はこんな歌を作れるようになったのかあ。愛おしいぜ自分。」とたまに思う事があるのですが、今回は今までで一番強く思ったかも。
君と見た、あの光景達のおかげだね。ありがとう。
最後にこんな歌が出来て幸せだ。愛してるよ。
ああ、終わったー!バンザイ。
2025年3月4日
古宮大志
PS.ちなみに、、
↓
「自分はこんな歌を作れるようになったのかあ。愛おしいぜ自分。」とたまに思う事があるのですが、、
↑
と書きましたが、今までで印象に残っているそういう歌は、、
「夕立が降ってる」(2000年作曲)
「愛は風景」(2009年作曲)
「夜に名前を」(2011年作曲)
「17」(2014年作曲)
「青春」(2020年作曲)
「僕ら」(2021年作曲)
とか、ですね。
でも今回の「楽しかったから」は特に強く思いました。
ちなみに12thアルバムのタイトルは、だいぶ前に思いついてもう決めていました。
でも、この歌が出来てしまった今は「最後のアルバム」というのが相応しい気がしていて、ここ数日は「最後のアルバム」と勝手に俺は呼んでいます。
PS.レテパシー通信ビギナーの人の為に現状を書いておくと、、
現在バンドメンバーとアレンジしてるのは11thアルバムです。
2025年中のリリースを目指しています。
ちなみに10thアルバム「夏のアルバム」のレコ発ライブはまだ開催していません。
リリースが昨年の初冬だったので、レコ発ライブは今年の夏に開催しようかな!夏のアルバムだし!と作戦立てています。
そして12thアルバム「最後のアルバム」(仮)は2026年のリリースだろうね。
100枚限定で販売している11thアルバム用古宮大志宅録デモCD (11th録音資金調達が目的)もおかげさまで少なくなってきました。
買ってくれた人も、買いたいけど金無いなあ、の人もありがとう。
12thアルバムの時にも、もし同じようにデモを販売したら「楽しかったから」に入っている海鳥の声を聞いて微笑んで下さいね。
作曲したテラスからの光景。
PS.先日はライブでした。
パッションレコードのゲンキ君、呼んでくれてありがとう。
前回のレテパシー通信にも書いたけど、俺の好きな突き抜けるような光景や思い出とレテパシーズのライブは似ているなあ、あ!そういう事か!なんて思っていた時だったので、さっさとそれを確認出来て良かった。
やはりレテパシーズがやっているのは音楽では無い。
ただあの光景を体現して光景になっているだけなのさ。
11thアルバム収録の「おるたな」は最近歌ってて一番興奮する歌です。
興奮しながらも遠くまで見える、あの愛おしい感覚です。
「おるたな」
古い音がする さびた鉄弦で
もう一度チューニングを合わし
希望にふれるんだ
おるたな おるたな
全ての方角へ
おるたな「そうだな」「ああ」
ぶっ飛ばしていく
白樺の緑 さらさらと揺れる
一番のお気に入りの季節
葉の光 走る風
おるたな おるたな
全ての方角へ
おるたな「そうだな」「ああ」
ぶっ飛ばしていく
(2023年2月12日作曲)
事の顛末は前回の文章「僕のレテパシーズのSNS終了宣言」に全て書いたので、そちらをご覧下さい。
とにかく今は良い気分。
レテパシーズ結成以来、色々な困難があり過ぎて、溺れ死なないように目の前の藁ばかりを掴んでいた気がします。
でも今、断酒から6年が経ち、10枚のアルバムが完成した。
「あれ?もしかして俺はもう溺れてはいないのでは?」と思い、もがくのをやめて足を伸ばしてみたら、足が着き、ちゃんと立てて、目の前には愛おしい世界。
それは歌い出した17才の頃に見ていた世界と変わらないものでした。
歌い出して25年、レテパシーズ結成からは15年。
すごく遠回りしたかも知れないけれど、今の自分を気に入っています。
17才の頃に見ていた世界を、今の自分が進んでいく感じ。
分かるかなあ?この最高な行進状態。
あの世界を今の自分が行くんだよ。
嬉しいな。もう全て好きにやるんだ。
今までこのページは「僕のレテパシーズNEWS」という名称でしたが、カニユウヤから「これを機にホームページも少し精査しましょう。ディスコグラフィーのページも作りましょう。NEWSもNEWSって感じじゃ無いから名前変えても良いのでは?」と提案を受け「そうね。なんか知らない言葉ってしっくり来ないからブログって言うのが嫌でNEWSにしてたけど、別にNEWSじゃなくても良いもんな。じゃあレテパシー通信にしよう。」という感じです。
特に今までと変わりません。
気が向いた時や、何か特別なお知らせがある時に書きますね。
今までは書いた時にレテパシーズTwitterで案内してもらっていたので、それが無くなってしまい、読む人には不便だと思います。
でも、まあ、しょうがない。
レテパシーズは図書館の本になります。
彼らのような静けさで、手にとってもらうのをただ待つ日々も悪くない。
性に合ってる。あなたもその方が好きでしょう。
本来、本は喋らない。「読んで読んで。私を読んで。」なんて言わない。
ちゃんと出会い、ちゃんと別れよう。
そうすればいつでも僕らは会っていると思うんだ。
先日、大切な人と素晴らしい時間を過ごしました。
その友人は泣いていたんだけど、とても美しくて、その人に語りかける自分の声も優しくキレイに響いた。
夕焼けや初雪の朝の突き抜けるようなあの感じとも似ているけれど、それ以上に強くて美しい光景だった。
夕焼けも初雪の朝も好きだけどさ、突き抜けるようなあの感じを抱えて生きてきた人間と、同じ速度で同じ光景に触れ合った時、過去と未来の真ん中で、まるで待ち合わせをしたみたいに、今までとこれからの全部を抱きしめながら出会えている気がした。
自分はこんな瞬間のために生きているんだな、と思えた。
その数日後、あるバンドのライブを見に行った。
そのバンドの演奏はとても好きだったんだけど、最後のアンコールで謎の男?がステージにしゃしゃり出てきて歌い出し、なんだか汚された気分になった。
他の客はどう思ったんだろう。すごく冒瀆された気分。
こんな時、自分はライブハウスという場所が信じられなくなる。
帰り道ではいつも「こんな場所で歌ったって意味ないよな。なんでわざわざ金まで払って、信じられない場所に降りて行かなきゃいけないんだろう。外で環七の車のライトを眺めてる方が何百倍もキレイだったな。」なんて暗い気持ちになってしまう。
その日も定番のそんな気分で帰宅したのだが、電話を見ると父親からの留守番電話。
思い当たる事があったので、覚悟して聞いてみると、祖母が亡くなったとの連絡だった。
心配をかけまいと出来るだけ優しい声を出そうとしている父の留守電の声が、最近の自分の声とそっくりな気がして「ああ、俺も出来るだけ優しい声を出そうとしているんだなあ。偉いな最近の俺。」なんて思った。
ベッドに入り、暗い部屋で柿生のばあちゃんとの思い出を思い出していた。
俺と気が合う、少女のような可愛いばあさんだった。
そしていきなり、ふと思った。
「もうライブハウスに絶望するのはやめよう。ただ、俺がキレイな瞬間を知っているだけの話だ。そしてきっと本当はみんなキレイな瞬間を見たいと思っているんだ。ばあさんとの思い出も、友人とのあの時間も、なんだかレテパシーズのライブにそっくりだったじゃないか。冒瀆された気持ちになれたのは、自分がキレイな証拠だな。ありがとう謎のしゃしゃり男、おかげでキレイな自分に気付けたぜ。おやすみなさい。ばあさん、夢に出てきてもいいよ。カモン。」
そんな明るい気持ちで眠れました。
ばあさんは夢には出て来なかったが、朝目覚めるとこんな事を思い出した。
17才の頃、東京のライブハウスのオーディションを受けまくる為に(全部落ちたが)この祖母の家に泊まり込んでいた。(小田急線柿生駅)
その頃はその年(2000年)に出たポーグスのベストをよく聞いていたのだが、毎朝の自己流体操の時に音楽をかけるばあさんが「ちょっとそのCD貸してくださらない?」なんて言って、ポーグスをかけながら体操していたのを思い出し、笑ってしまった。
俺の携帯CDケースには友部正人、たま、シオン、どんと、アズミ、なんかが入っていたのだが、ポーグス以外は体操には不向きだったようで、見向きもされなかった。
彼女の喋り方は黒柳徹子のような東京の女の喋り方なので、子供の頃はよく真似をして妹と爆笑していた。
2025年2月11日
古宮大志
僕のレテパシーズは無名の自主制作インディーバンド。
だから自分達で宣伝しなくちゃいけない。
そう思い、苦手なSNSもみんなと協力して運営してきました。
でも、いつか近い未来、そんな宣伝なんかしなくても済むようになればいいな。
作品とライブ、ただそれだけのバンドになれたらいいな。
そんな風に思っていました。
それはきっと僕だけではないでしょう。
メンバーだってそうだろうし、レテパシーズを好きな人達の多くはそう思っていたと思います。
作品とライブ、それがバンドの全てですから。
昨年、長年の夢だった全曲夏の歌の10thアルバム「夏のアルバム」を発表する事が出来ました。
そして、長年の後悔だった過去の作品達(アルコール依存症の影響下にあった時期のアルバム達)をリミックス、リマスターして録音当時の世界を甦らせる事に成功しました。
明るくポップにした、とか、聞きやすい耳触りの良い音にした、とかそういう事ではありません。
あの頃の殺伐や絶望、それでも死なずに遠い空を眺めていたあの感覚、そういう大切な部分まで衰弱した自分の病的な作業で消してしまっていた。
それを本来の姿に戻したに過ぎません。
これで全10thアルバム、100曲の歌達、全部を好きになれました。
生まれて42年が経ちましたが、こんなに落ち着いた気持ちは42年間で初めてでした。
自分の後ろにやり残した事が無い感覚。(前にはまだまだあるけれど。11th、12th、、)
年が明け、2025年。
1人のレテパシーズ好きの人と話す機会がありました。
彼はひどく酔っ払っていましたが、彼の真剣さは伝わりました。
彼が酔い潰れて、部屋に(ヤハタトシキの部屋でした)大量の酒と氷をぶちまけながら派手に倒れるまで、喧嘩を売るような大声で言い続けていた事。
それは「ひろしさんはやりたくない事は一切やらなくて良いと思います!もう歌とライブだけで充分でしょう!俺はレテパシーズの歌とライブに救われたんです!レテパのSNSに救われたわけじゃありません!そんなもの見たくありません!」
その場では僕も反論しました。
なぜやりたくない宣伝活動をしなくてはいけないのか、大きく分けると3つの理由がありました。
金の事、大昔からずっと燃え続けていて今は自分の手元で燃えている気がするあの火を消したくない事、もう黙殺が理由で衰弱していく才能あるバンドマン達を見たくない事。
なるべく分かりやすく説明したつもりでしたが、泥酔した彼には全く伝わらず、上記の文言を何度も何度も繰り返して、最後は大量の酒と氷と共に倒れてしまいました。
家に帰り彼の言葉を思い出していました。
次の日も、その次の日も、思い出しました。
「うん、確かに。もうやめちゃダメかな。10枚のアルバムはいつでも聞ける状態になってるんだし。あの10枚とライブがレテパの全てだもん。下手な宣伝活動はあの100曲の邪魔になるよな。次のスタジオでみんなに相談してみよう。」
次のスタジオはヤックンは法事で欠席でした。
そして当日になりハジメちゃんから「関口家が風邪で全滅、、欠席したい、、」と連絡がありました。
いつもならば2人も欠席だとスタジオは無しにするのですが、その日はみんなの意見を聞きたかったので、カニと南と話し合う事にしました。
提案には2人とも大賛成。
目がキラキラしていました。
「ああ、この人達は生粋のアウトローミュージシャンだなあ。」と思いました。
まだ少し迷っていた僕の方が説得されるような形で頼もしかった。
次の日、レテパシーズのスタッフのソノダさんにも相談しました。
彼も目をキラキラさせて大賛成。
「僕がお客さんだったら、その方が絶対にしっくりきますね。」
そんな事を言って嬉しそうにしてました。
ヤックンとハジメちゃんにも電話して相談しました。
みんな賛成で満場一致でした。
というわけで、僕のレテパシーズは10枚のアルバム、そして自分達のライブを信じてSNSをやめる事にします。
レテパシーズのホームページはこれまで通りに続けます。
きっと灯台みたいな感じになるのかな。
ジタバタ動かずに、ただ光って待ってる事にします。
雨の日も風の日も。最初の日も最後の日も。
いつでもどーぞ。待ってるよ。
決して何かを諦めた訳ではありません。
こっちの道の方が気性に合っていてワクワクするから決めたのです。
そしてレテパシーズを好きな人達は同じような気性だと信じたのです。
やはり10枚全てを大好きになれたのが大きかったみたい。
この10枚が24時間全世界でいつでも聞ける状態にあるんだもん。
大丈夫な気がします。
蛇足や言い訳はもういらないよ。
「僕を殺せるのは僕だけさ」
「愛してるよ」
「永遠に、たまに」
「ブルースマン」
「レテパシー」
「アコースティック」
「クレイなジー」
「エンデンジャードスピーシーズ」
「RADIO LETEPA」
「夏のアルバム」
これが我々の全てです。
信じて聞いてみてね。
レテパシーがたくさんの人に届きますように。
2025年2月3日
僕のレテパシーズ代表
古宮大志
今年初めてのレテパNEWSです。
あけましておめでとうございます。
昨年は過去作達の大手術が残っていたので、前も後ろも見ながらの全方位戦闘状態、殺気立った新年スタートでしたが、今年からはもう前だけ。
レテパシーズは今年で結成15周年ですが、15年間で一番すっきりとした晴れやかな気分のスタートです。
まさに新年おめでとう!といった感じ。
たとえ綱渡りだとしても、晴れ晴れ。
2025年は、、
①11thアルバム
②僕のレテパシーズ詩集
③僕のレテパシーズに捧ぐ
を作りたい。
②はあと1曲出来たら1st〜12th用の120曲が揃うのでOK。
③は120曲への手紙のような文章を書いて1冊の本にしたい。
今年の夢はこの3つです。
「僕のレテパシーズに捧ぐ」正月に時間があったので書き始めてみました。
1stからアルバムの曲順で書いてみよう、と思いまずは「17」を書きました。
書き始めるともう一瞬で当時の教室に立っていた。
冷えた渡り廊下を渡り、雪を眺めながら図書室へと急いでた。
2曲目の「ロックンロールじゃ踊れない」も書いてみたけれど、この本を書く作業は今の自分にとってとても必要な時間なんだと思えました。
振り返りたい、という訳じゃ無く、ゆっくり1曲1曲と向き合いたい。といった感じかな。
手紙、小説、エッセイ、の様な文章を、深く考えずにバーっと書いています。
あまり長くてもキリが無いので、1曲1000文字程度と自分に制限をかけました。
このまま書いていけば今年中には本に出来るんじゃないかなあ。
レテパシーズがいつまで続くのかは分からないけれど、12thアルバムというのは自分の中では一つの区切りなんです。
もし13枚目以降もあるのなら、7th〜12th(2021年〜2026年予定)の6枚は「中期のレテパシーズ」と呼ばれる事でしょう。
なんて最近も考えていたので、先日公開したライブ映像のタイトルに「中期ライブ映像」と書いちゃいました。
【中期ライブ映像】僕のレテパシーズ/LIVE AT THREE
1.さよならの合図
2.T君の夏の歌
3.そばにいる
4.まだもう
5.夏のアルバム
撮影/白岩義行
2024.9.22 下北沢THREE
この映像の1曲目の「さよならの合図」は11thアルバム収録曲です。
11thアルバムの歌が出来た2022年後半から2023年前半にかけては、悲しみや音楽に取り憑かれたような時期で、全然弾けないくせにエレキギターのチューニングを直感で変則チューニングにして歌を作ったりして、自分で言うのもなんですが、今までに無い「大作」といった雰囲気のアルバムです。
録音作戦本部長のカニユウヤ(今年からライブブッキング本部長もカニ君です。レテパフェスのみ俺担当。よろしく!)も「今作の録音方法はかなりこだわりたいな。あの歌はあそこで、この歌はあそこで録って、、」と最高傑作を目指し新年早々、目をキラキラさせています。
なのですが、資金不足。
去年労働した金は全部バンドのみにつぎ込んでいるのですが(すまん。息子よ)過去作制作時の負債返済が凶暴で巨大なのです、、
まあ昨年のリミックス、リマスターで1st〜10th全部愛すべき名盤になれたから幸せなんですけどね。
で、考えた挙句思い付いたのが、、
メンバーに聞かせる為に録音していた「11thアルバム用の古宮大志宅録デモ」を販売しよう。
という作戦です。
このデモは歌が出来た直後にそのまま録音しています。
その時の気分で少し楽器を重ねたりもしています。
でも基本的にはあくまでもデモなので、録音物として絶対に完成させないようにしています。
それは、完成した完璧の状態だと、メンバーとアレンジする際にすでに色が付いていて支障が出てしまい、レテパシーズの可能性を狭めてしまう、という考えからです。
それでもなかなか素敵なデモらしく、関口萌はいつもスタジオでいきなり暗い深刻な顔になり「うーん、これじゃデモの方がいいな。」なんてネガティブな発言をかましたりします。
なので、音源としても未完成ながら魅力があるんじゃないかな。
関口萌は音楽に対しては真実一路な男なので。
というわけで、良かったらお願いします。
100枚限定。1枚3000円。
※売り上げは全額11thアルバム制作に使う事を誓います
※いつも通り俺が1人で配送作業するので、対応が少し遅れても許して下さいね
販売ページはこちら。
では2025年もがんばろー!
PS.先程紹介した「中期ライブ映像」は菊竹南が歌詞を入れてくれました。
おかげさまでより素敵な映像になっているのですが、思いっきり歌詞を間違えている箇所があります。(映像の歌詞やアルバムの歌詞は、間違えたり、あえて変えて歌ったりした場合も掲載する歌詞は原詞を載せる事にしています)
ちょっと言い訳をすると、、
それは映像の4曲目「まだもう」の2番なのですが、
夕立が降った田んぼの道は
自分の傘が一番高くて
雷が落ちるかもしれないから
ずぶぬれて帰る なぜか楽しく
というのが正しいのですが、ライブの朝、テレビのニュースを見ていたら「野外フェスで落雷事故。観客数名が負傷。屋外で雷鳴が聞こえたら、こんな回避行動をとりましょう。」みたいなニュースをたくさんやっていて、それに影響を受けてしまったようで、、
雷が落ちるかもしれないから
の部分を、
雷が落ちると危ないから
と歌ってしまいました。
雷は危険だ!危ない!というテレビを見過ぎたようです。
最近の自分の脳はなかなかテキトーで面白い。
昨日もアルバイト先のコーヒーマシーンのコーヒー豆のカスを捨てる時に、いつもよりたくさん豆カスが入っていてずっしりとした感触で、なぜか息子の事を思い出した。
なぜだろう、と考えていたら、何時間も替えていなかった息子のずっしりとしたオムツの感じと感覚が似ていたからだと気付きました。
最近テキトーな自分の脳、我ながら愛おしく思う事が多いです。
PS.先日、小説を書く友人と飲んでいたら「今度太宰治賞が出来るらしいよ。」と言っていた。
友人は「太宰治賞なら私だろう。」と目をギラつかせていた。
俺も「いや、太宰治賞なら審査員に俺がいないとおかしいだろう。呼ばれて無いな。そんな賞は無効だ。」と言いました。
友人は「あ、審査する側のつもりなの?私は受賞側のつもりだったわ。」と笑っていた。
笑われて気付いたが、自分は当然審査する側だと思っていた。
今の自分の精神状態はかなり落ち着いているのだと思う。
ようやく1st〜10th全てを好きになれた、というのがこんなにも大きいのだな。
本当に心残りの過去作が多かったから。アル中の病的な精神錯乱のせいで。
15年間活動してやっと自信満々になれたから、自然に審査する側のつもりで話していた、という明るい笑い話でした。
PS.11thデモ早速注文してくれた方々ありがとうございます。
注文してくれた人の中に「過去作を持っているのですが、リミックスリマスター盤を持っていません。買えますか?」という質問をしてくださった方がいました。
過去作をお持ちでご希望の方には無料で送らせて頂きます。
ので、お気軽にお問い合わせ下さい。
悪いのは俺なので。
ご注文時の連絡欄に書いてくれても良いですし、レテパシーズのメール
letepathys@gmail.com
に問い合わせてくれても大丈夫ですよ。
昨日はスタジオ納め。
昔は必ず週に1回3時間のスタジオに入っていたけれど、今は月に2回が基本。
でもその2回は毎回8時間入ります。
今のメンバーの個性にはこっちの方が合っているみたい。
みんなその場でどんどんアイデアが出てくるタイプなので。
昨日はひたすらに次作11thアルバムのアレンジ。
11thは2022年後半〜2023年前半に出来た歌達。
この頃は少し取り憑かれたような感じで、自分で言うのもなんだが、なんかイカレた大天才モードな時期でした。
なので、大作?といった感じの歌が多く、アレンジもなかなか大変。
昨日のスタジオまでは少し不安もあったのだが、昨日で山を超えたね。
ほんとみんなすごいなあ。これでもう安心。
来年は最高傑作を作れると思います。
今年は10thアルバムをリリースしました。
そして、ずっと心残りだった3rdと4thアルバムのリミックス、リマスターも行いました。(あ、6thも今年だね。2ndは去年か)
これでもう過去作をいじることは無いでしょう。(1stと5thのみは発表当時のままです。この2作は「触れたら殺すぞ」という殺気に満ちていたので、触れれませんでした)
ライブの物販で「どのアルバムがオススメですか?」と聞かれた時に「全部!」と即答したいのに、今までは「ええと、3rdと4thは本当は名盤なんですけど、、俺が精神錯乱していたので職人の仕事に芸術家目線で口を出しまくってしまい、、でももうすぐカニババが手直しして名盤になるはずなんです、、」とか言い訳をして、他のアルバムを勧めていました。
でもこれからは「オススメは全部!どれでも好きにどーぞ!なんならジャケ買いでも良いと思います!もう直感でどーぞ!」と明るく朗らかにオススメできます。
最高の気分で新年を迎えられるね。
今までは寝ても覚めても3rdと4thの事がどこかで引っかかっていたからね。
あと、個人的には今年は「2015年以来9年振りにシラフで1年間アルバイト出来た」というのは大きかったです。
個人的、と書いたけど、そこで金稼いでレテパシーズに全てを使っているのだから、全然個人的では無いのか。えらい。たまには誰か褒めてあげてね。
2016年以降はアル中で、寝ている時以外は全時間酒飲みながら過ごしていました。(バイト中もトイレとかの隙を見つけては飲んで酒が抜けないように気を付けていた。万が一酒が抜けると大変な事になるので。バレないようにマスクしてブレスケアを大量に飲んで、10秒の隙を見つけてはポケットの焼酎を一気飲みしていた)
断酒治療後の2019年2月以降はアルバイトは出来ずに断酒のみに集中して生きていました。
そして2023年の冬から縁あって、古い知り合い夫婦の喫茶店に拾ってもらい、1年間本当に温かく楽しく働かせてもらいました。
断酒社会復帰1発目のアルバイトが全然違うストレスのあるバイト先だったら、こうスムーズにはいかなかったでしょう。
10thを作る金だって用意出来なかっただろうし。
ヤケになって酒飲んだら全て終わりだし。
ほんとありがたやです。
あ、離婚したのも今年なのか。
もう何がなんだか分からないが、2024年は頑張ったよ。
バイトして、久し振りの一人暮らしをして、最高の10thを作って、過去作も全て自信作に生まれ変わって。
あと、成長?と言って良いのかなあ。
「レテパに関わる全てを自分でやらなきゃ気が済まない」という感覚がだんだん消えてきた。
まあ、成長というか、今のメンバーへの信頼なのかもね。
ついに夢の「分業」が出来るようになってきましたよ。
俺は歌を作って、素敵なライブをやって、断酒出来ていれば合格みたいです。
むしろ、俺の自意識過剰で完璧主義な感覚は「バンド活動」には不向きみたい。
カニ、南、ヤハタ、ハジメ、みんな色々頑張ってくれています。
昨日もスタジオ終わりでみんなと「10thアルバムレコ発ライブ」について話し合ったが、中心にいたのはカニユウヤ。
今後はレテパのライブブッキングは全て彼に任せようと思っています。(レテパフェスだけは今後も俺が全てやるけどね)
あ、レテパフェスも今年は3回やりましたね。
出てくれた人達、目撃してくれたあなた、本当にありがとう。
なんか年末にM1見ていたら色々考え込んでしまったな。
今日は短い言葉で書くけれど「腐った音楽業界を変えるのは演者では無く、お客さんなんだな」なんて思いました。
これから起きる革命の中心にいるのはミュージシャンでは無く、好きな歌を自由に聞く素敵なお客さん達なのでしょう。
2024年は準備したよ色々。
2025年も準備で、2026年にドカーン!かな、と冷静に未来予想図していましたが、2025年はもう少し法定速度ちょいオーバーくらいにはアクセル踏んでも良いんじゃない?
どうでしょうか?レテパシーズの皆さん。
多分みんな微笑んでアクセル踏んでくれると思うなあ。
でも決してヤケは起こさずに。
でも命くらいは揺らしたい。ドキドキと。
そんな2025年でよろしく。
さようなら2024年。
君の事は忘れないよ。
なかなか素敵な1年だったね。
それでは良いお年を!
PS.11thアルバムのレコーディングは花粉症の季節が終わったらスタートすると思います。(俺、花粉症です)
でも、録音資金が足りなそう、、
なので、年明けあたりに「11thアルバムの古宮大志宅録デモCD」を通販限定で販売すると思います。
メンバーに聞かせる為にサッと録音した音源ですが、作曲直後にそのままぶっ飛んだ状態で録音しているので、多分これはこれでカッコいい!と思います。
いつもハジメちゃんが「これじゃ、まだデモを超えていないと思うんだよね、、」とスタジオでのアレンジの際にこぼしているので。
まあ、興味のある方はお楽しみに。(貧乏人は無理せずに。俺も仲間だ)
PS.11thアルバム収録の歌は、、
the world is mine
愛してる
さよならの合図
SAIL AWAY
若いバンド
真鶴漁港
岩見沢デパート変遷史
ホンダ
おるたな
次回予告なホーリーナイト
という歌達で、さっきも書いたけど2022年後半から2023年前半に出来た歌。
もう少し詳しく書くと、2023年5月に息子が産まれたのだが、全曲その前に出来た歌です。
産まれた後はさすがに心身ともにドタバタしていたのか、半年間歌が出来ませんでした。
でも2023年の12月1日に大好きなポーグスのシェインが死んだというニュースが舞い込んできて「12月1日」という歌が出来ました。
それを皮切りに(サンキューシェイン。さすがだね)また歌が出来るようになり、12thアルバム用の歌も9曲まで出来ました。
あと1曲で10曲揃います。(レテパは毎アルバム10曲なのです。数字が揃っていないと気持ち悪いのです、、)
ちなみに12thの歌達は、、
12月1日
渋滞
ひだまり
経堂駅
悲しい夏の一日
荒玉水道爆走中
ラララポートモノレールブルー
春の花
教えてあげたい
といったラインナップです。
あと1曲早く出来ないかなあ。
でもこればかりは完全「待ち」タイプなので、どうしようもない。
いつ出来ても良いように、良く寝て良く食べてキレイな景色を眺めているしかないのです。
そしてやはり2024年に見た一番キレイな景色はレテパフェスで歌いながら見た目の前の景色です。
早くライブしたい。早く11thも作りたい。
早く12thも作りたい。
早くイカレた音楽業界にしたい。
早く革命を起こしたい。
心優しい才能あるバンドマン達が解散したり脱退したり、まるで流れ星のように落ちていってしまう。
今年も4つくらい流れ星を見たよ。
我が息子がいつか音楽をやるのかは知らないが、もしやるとしたら残念だったな。
君が歌い出す頃にはもう革命は終わっているのだろう。
革命のチャンスなんて、100年に一度くらいだろうから。
君は平和な世界で好きに楽しみなさい。
父は冒険大好きなので勝手に革命を楽しんじゃいます。
2024年11月21日リリース
僕のレテパシーズ10thアルバム
「夏のアルバム」
1.春雷
2.遠雷
3.T君の夏の歌
4.夏の中で
5.SAPPORO
6.コード泥棒
7.そばにいる
8.まだもう
9.夏のような5月
10.夏のアルバム
録音/ミックス/馬場友美
マスタリング/中村宗一郎
録音場所/Rinky Dink Studio西荻窪,東高円寺ロサンゼルスクラブ
ジャケット写真/2013年初夏、月形小学校のグラウンドにて(撮影/ハダユキコ)
昔からずっと「いつか全曲夏の歌のアルバムを作りたいな」と思っていた。
1989年11月21日にリリースされた「夏のぬけがら」の影響で。
実は6thアルバム「アコースティック」の時にもそんな思惑があり、10曲夏の歌を並べようとしたのだが「春」という歌をどうしても収録したくなって、惜しくも念願叶わなかった。
1st〜6thの頃は、ソロ時代の20年間に作った歌の中から選曲するだけだったので、やろうと思えば全曲夏の歌にするのはたやすかった。
でも7th以降は基本的に新曲のみを10曲並べているから、10曲連続で夏の歌が出来ないと念願は叶わない。
自分は意識的に歌を作れるタイプでは無いので「次も夏の歌が出来ますように!」と祈るしか無い2022年だった。(10thは2022年、11thは2023年、12thは2024年作曲が中心。大体1年に10曲ペースの人間みたい。決して多いタイプでは無い)
なぜそう思ったのかは直感としか言いようが無いが、3曲目の「T君の夏の歌」のT君の歌の中にずっといたら、夏の歌ばかり出来るような気がした。
なので2022年はT君の歌ばかりを聞いていた。
T君は無名歌手な上にライブもしない。(というか精神疾患で出来なかったのかな)
音源も知り合いにしか配らない人だったので、知り合い以外は誰も知らない人。
名前も決して明かして欲しくない人なのでT君とした。
そして俺の直感は当たっていたらしい。
無事に10曲の夏の歌が揃った。
レテパシーズにとって大きな転機のアルバムだと思う。
俺はこのアルバムから足踏みオルガンで作曲するようになり、メンバーに聞かせる為のデモテープを作る時にも、足踏みオルガンやキーボードで演奏する事が多くなった。
ギターの時と違い、自分でも何を弾いているのか理解せずに弾いているので、結果的に謎のコードになっている事が多かったらしい。
なのでアレンジの際のコード解釈の自由度が増えたらしく、変わったコード大好き人間のカニユウヤの目の色が今作以降は明らかに変わった。
今までもアレンジは全員で行っていたが、今作はよりいっそう俺以外のメンバーの才能が発揮されていると思う。
今書いていて思い出したが、そういえばこの足踏みオルガンは、2003年頃にT君に貰った物だった。
そうだ、忘れてた。すげえ繋がってるな。
その頃はオルガンなんて興味も無かったので(そもそも弾けなかったし)全然弾かずに本棚代わりになっていたのだが。
2012年に古宮夏希と離婚した際にオルガンは彼女の再婚先の大槻ヒロノリの家に連れていかれてしまった。
そして2022年に大槻さんから「ひろし、もう金が無いから安いアパートに引っ越すよ。足踏みオルガン引き取ってよ。」と連絡があり舞い戻って来たのだった。
舞い戻ったオルガンに触れてみるとなぜか弾けるようになっていた。
そしてどんどん夏の歌が出来ていった。
少しだけ曲解説。
1.春雷(2022年2月25日作曲)
冒頭のオルガンは「T君の夏の歌」のデモテープのオルガンを抜粋。
雨と雷の音はちゃんと春に録音しておいた。
全曲夏の歌じゃ無いじゃん!1曲目から春の歌じゃん!というクレームが聞こえて来そうだが、この歌は2曲目とセットのイメージなので許して。
ブルーハーツ「手紙」の1番の春と2番の夏を2曲でやったイメージ。
2.遠雷(2022年3月5日作曲)
これもちゃんと夏の遠雷を録音しておいた。
この頃はバイトもしてなかったので、天気予報を見て遠雷の音が録れそうな日は、一日中窓のそばで構えてた。
今はもう懐かしくなってしまった高円寺の古い一軒家のトタン屋根に落ちる雨の音。
「春雷はプロローグ扱いで良い。遠雷のギターソロの前の8拍で曇天の夏空を全員で作り、直後のギターソロで過去と未来の夏全てを表現しよう」なんて壮大な事をアレンジの時から話してた。
どうかな?ちゃんと夏になりました?
3.T君の夏の歌(2022年4月15日作曲)
2004年〜2009年頃まで東京の俺と札幌のT君は手紙と音源で文通していた。
その5年間でT君から送られてきた歌を今数えてみたが、12アルバム全289曲だった。(その間俺が彼に送ったのは7アルバム全70曲)
彼の歌はいつでも平気で聞けるタイプの歌では無いので、あれからもう10年以上聞いていなかった。
2022年、10何年ぶりに彼の歌に向き合いこのアルバムが出来た。
T君に聞かせたいな。
15年ぶりに手紙とこのアルバムを送ってみようかな。
4.夏の中で(2007年作曲)
この歌は古い歌。
今までのアルバムには入れなかったが、今回ついに収録。
当時、川崎市多摩区稲田堤に住んでいたので、多摩川の歌は多い。
「3車線の100の光」の大きな橋は多摩川原橋。
3車線の100の光に死にかけのセミが毎年照らされていた。
ちなみに2007年の同期には「春」「夜明け前」「夕焼けより」「廃墟」「海へ行こうよ」「君しかいない」「バスが来るまで」がいる。
こう見るとなかなか黄金世代だな。
10歳年上の大天才T君に聞かせる為、歌が出来ては張り切って送っていた。
俺の歌を好きな人が全然いなかった頃なので、彼との文通が唯一の励みだった。
5.SAPPORO(2021年夏作曲)
2022年以降は作曲時に日付をメモる事にしたので明記出来るのだが、この曲は2021年作曲なので日付は不明。
だが、調べれば分かると思う。
なぜならこの曲は「2020年開催予定だった東京オリンピックがコロナで2021年に延期になり、しかも暑さ対策でマラソンの会場が札幌になり、それをテレビでぼーっと見ていたら自分の住んでいた北18条駅付近をランナーが走っていて、ランナーの速度で昔を思い出していたらメロディーが浮かんできて、そのままオルガンを弾いてみたら出来た曲」なので。
東京オリンピックの札幌マラソン(確か男子)の日にちを調べれば作曲日が分かる。
噂によるとこの世には「歌詞に重きを置いていないバンド」というのが存在するらしい。
そんなバンドは本来存在するべきじゃないと思う。
なぜなら歌詞を書く、歌う、というのはバンドにとって必須では無いから。
この世にはインストバンドがもっと増えるべきだと思う。
楽器で歌えるのなら、歌詞や歌なんか不要。
9割がインストバンドで歌アリは1割くらいが本当なんじゃないかな。
と昔から思っている。
レテパでもいつかインスト曲をやりたかったから、この曲が出来た時は特に嬉しかった。
ミックスが終わり、10曲を並べてみた時、このアルバムにはまだ何かが足りない気がした。
その時ちょうどアディーが札幌に行っている、と聞いていたので、思い付きで連絡し北18条駅付近の街の音を録音してもらった。
それを「SAPPORO」と「コード泥棒」の間に入れる事によって、このアルバムは完成した。
鼻啜ったり、ライターに火を点けたり、車のドアをバタンと閉めたり、これら全て北18条駅付近で鈴木亜沙美が鳴らした音です。
アディーありがとう。
ちなみに作曲時期的にはこの曲は本来9thアルバム収録の曲。
そして9th収録の「最後のGB戦士」は2022年5月19日作曲とあるので、本来10thアルバム収録の曲。
実は入れ替えて1曲だけズルしちゃった。許して。(GB戦士、そばにいるの次の日に出来たのか、、)
あ、あと2番3番の絶妙なアルトサックスは菊竹南が吹いています。
6.コード泥棒(2022年6月9日作曲)
彼女のバンド「ミチノヒ」が解散したタイミングだったのかな?ちゃんとは覚えていないが「もう歌を歌うのはやめる」と古宮夏希が酔って泣きながら電話してきた。
じゃああの歌のコード貰っちゃおう、と思い彼女と俺と遊佐春菜の3人でやっていた「古宮夏希&コークスが燃えている!」の「きみの星のカオを見送って」という歌のコード進行をパクった。
この歌は彼女の札幌の実家の猫が死にそうだったのに、会いに行けなくて作った歌だったと思う。(コークスの作詞作曲は古宮夏希。この歌もそう。たまに作詞/古宮夏希で作曲/古宮大志のパターンもあったが)
ちなみに歌詞に出てくる「あの友達」というのはT君の妻。(古宮夏希とT君の妻が中学の同級生だった。その縁でT君と知り合えた。今もまだ妻なのかは知らないが)
コード進行が同じとはいえ全然違う歌に聞こえると思うが、後奏は意図的に「きみの星のカオを見送って」と同じ感じにした。(もちろん弾いている事、吹いている事は全然違うけどね)
7.そばにいる(2022年5月18日作曲)
作曲した頃は俺にもまだベイビーはいなかったし、とーちゃんでもかーちゃんでも無かったし、あの人達もゴーストにもエンジェルにも海にも空にも風にもなっていなかったが、歌はちゃんと用意されていた。えらい。
いつでも高らかに鳴り響いているから安心して行進してね。
関口萌はこの歌が特に好きみたいで、今MVを制作してくれている。
俺の誕生日に合わせて公開してくれるとの事。
12月2日をお楽しみに。(谷内六郎、マリアカラス、ドラミちゃん、と同じです)
8.まだもう(2022年6月5日作曲)
この歌は先日解説したので割愛。
詳しくはこちらで。
9.夏のような5月(2022年6月2日作曲)
書いてて気付いたが「夏のような5月(6/2)」「まだもう(6/5)」「コード泥棒(6/9)」とあるので、1週間で3曲出来ている。
昔から歌が出来ない時は平気で何ヶ月も出来ないけれど、一度出来出すとポンポン出来るタイプだった。
そして今思い出したが「コード泥棒」が一番最後に出来たので「あぶねー、大丈夫だよな?ギリ夏の歌だよなこれ。うん、大丈夫。夏って漢字出てくるし。OK!やったー!これで10曲夏の歌だ!」と1人でバンザイしたのだった。
自分としては不遇のバンド人生だと思っているので定期的に「こんなバンド続けているから全て滅茶苦茶になるんだ。早く終わればいいのに」と落ち込む時期がある。
この頃もそんな状態だったので、自暴自棄になり「今一番評判のインディーバンドとやらを見に行ってみよう。そして無事に素晴らしかったらさっさと引退しよう」という気分で、当時の妻のハダユキコとスーパーカブをニケツして横須賀のかぼちゃ屋というライブハウスへ行ってみた。
ゴールデンウィークの2日間の出来事をただ歌っている歌。
時系列はこんな感じ。
↓
①保土ヶ谷バイパスはカブ禁止な上に一度乗ったら降りられない、でも無事に捕まらなかった
②横須賀どぶ板通りのハニービーというバーガーショップ
③かぼちゃ屋
④ライブ後、真っ暗な三浦半島を横切ってマーメイドというラブホへ
窓を開けて寝たら蚊が入り込んだので真夜中に目覚め蚊を退治
白い壁は蚊を発見しやすい
全部退治して、さあ寝よう!と思ったらベッド横のボタンは有線のスイッチだったらしくチャゲアスのヤーヤーヤーが爆音で流れた、、
⑤翌日も快晴、昼ごはんはホテルのそばのまるい食堂
連休で混み合うお店で平和な人々を眺めていたら世界を救ったあの人の事を思い出した
微笑んでいたのだろう、笑われた
ソースカツ丼がおいしかった
10.夏のアルバム(2022年5月21日作曲)
須部都川、幾春別川、豊平川、多摩川、善福寺川。
眺める川の名前は変わるけど、光の色は変わらない。
これはCDの裏ジャケに使った写真。
1989年7月30日、月形町須部都川上流にて。
このアルバムを聞いた人が今までの夏とこれからの夏の両方を思い出せるといいな。
PS.友部正人さんがコメントを寄せてくれました。嬉しい。
PS.↑が表で↓が裏のチラシをヤハタトシキが作ってくれた。
この裏面を眺めながら一日中ウイスキー飲めたら最高だな、なんて久し振りに少し思いました。
なかなか頑張ってるじゃないか、レテパシーズ。
PS.チラシ制作時にジャケット写真の撮影日時を知ったヤハタ君が「あ!この日付だと俺がレテパシーズを札幌のイベントに呼んだ時だ!つながっている!」と喜んでいた。
当時ヤハタ君とは面識が無かったが、札幌のバンドマンだった彼はレテパシーズを札幌のイベントに呼んでくれたのだった。
多分その時に月形にも寄って母校のグラウンドを一周走ってみたのだろう。
こんな写真を撮られていたなんて全然知らなかった。
今回のジャケを考えている時に過去の写真を振り返っていたらいきなり出てきた。
あまりにも今作のジャケにぴったりなのでビックリした。
全て用意されているんだなあ。ちゃんと行進していると。
PS.毎回何かしら大変だけど、今作の制作期間もメンバーみんな色々大変な時期でした。
これからも大変かも知れないけどさ、11th、12thも絶対にこの5人で作ろうね。
絶望も希望もちゃんと引っさげて、ずんずん行進して行きましょう。
俺達は全て連れて行く。そんなエンデンジャードスピーシーズ(絶滅危惧種)です。
無事に絶滅するその日まで!目撃してて下さいね。
それでは10thレコ発ライブで会いましょう。
多分3月?4月?今作戦会議中。
お楽しみに。
10thアルバム「夏のアルバム」通販予約スタートします。
リリース日は11/21になります。(配信も11/21スタート)
いつも通り、俺が一人で切ったり貼ったり書いたりして郵送するので、11/21必着希望の人は11/18までに購入してね。
※通販ページはこちら!
切ったり貼ったり梱包したり、ほんと苦手な作業なので丁寧にやっているつもりでも他の人よりはグチャグチャかも知れません。
子供の頃からこういうの本当に苦手。
でも知らない町の名前に出会い、嬉しいな!と微笑しながら梱包しています。
良かったらどしどしどーぞ。
11th制作費もとっくに底をついてしまったので(明日もバイトだ。がんばるぞ。)余裕ある人は配信派でもCDを買ってくれると助かります。
が、全然無理せずで。
本音を言うと歌を聞いてくれるだけで嬉しい気持ちは100%完結しています。
70年前から変わらない、古き良きオールドスタイルのバンドだから、アレンジ、録音、に時間と金がかかるんだよな。(作詞作曲は瞬殺タイプなのだが、、)
デスクトップとやらでミュージックが完結する連中が羨ましい。
我々は顔を突き合わせいちいちレテパシーを放出しないとアレンジや録音が全く出来ないのです。
10thアルバムの詳しい話はリリース時にまた書きますね。
今日は3rdアルバム「永遠に、たまに」4thアルバム「ブルースマン」のリミックス、リマスター盤について。
と思ったのですが、絶対に昔たくさん書いてるよな、と思い確認してみました。
そうしたら、やはり張り切った文章を書いており、これを読めば全て伝わると思いました。
断酒からまだ1年半くらいの文章なので、今より少し悲壮感がある気がしますが、読んでいたら「おー、断酒1年半君よ。がんばってますな。俺の名前は断酒もうすぐ6年君です。これから良い事も悪い事もたくさんあるけれど、全部歌になるので安心して行進したまえ。」なんて思えました。
ので、今日は過去の文章+補足を書いて、あとは歌達に任せようと思います。
※今振り返るとまだ不安定だった時期の文章なので、読みづらいかも知れません。
でも当時の雰囲気が伝わると思い加筆修正せずそのままにしています。
①3rd、4thの頃の状況説明はこちら。
②「永遠に、たまに」解説はこちら。
③「ブルースマン」解説はこちら。
この①②③の順に読むと良いですよ。
ちなみに上記の文章の補足で年表を書くと、、
【2017年6月】
第一次断酒治療スタート
【2017年秋】
3rdアルバムレコーディング
※録音終了と同時にギターはなえもん脱退
【2017年12月4日】
3rd「永遠に、たまに」リリース
※レコ発ワンマン終了後、ドラム鈴木亜沙美脱退
※レコ発ワンマンのサポートで高野京介がギターを弾き、そのまま加入
※ドラム関口萌加入
※キーボードハダユキコ再加入
【2018年6月3日】
4th「ブルースマン」リリース
※ベース飯田裕脱退
【2019年2月】
第二次断酒治療スタート
【2020年7月】
3rd「永遠に、たまに」4th「ブルースマン」ボーカルのみ新録して再リリース
【2024年11月13日】
3rd「永遠に、たまに」4th「ブルースマン」リミックス、リマスター盤リリース
※4thのみ予定から少し遅れています。お待ちを。
という流れです。
※ちなみに先程の①②③の文章は「2020年7月ボーカル新録」の際に書いた文章
今回リミックス、リマスター、を行った理由を簡潔に書くと、、
「ミックス、マスタリングという職人的要素も大きい作業を100%芸術的な感覚でしゃしゃり出てグチャグチャにしてしまっていた。カニユウヤは芸術感覚と職人感覚の両方を兼ね備えている。なので、この芸術でグチャグチャの両アルバムをカニユウヤ&馬場友美のゴールデンコンビで生まれ変わらせてほしい」
と思ったからでした。
以前リマスター盤を出した2nd「愛してるよ」や6th「アコースティック」も同じ理由でゴールデンコンビに託しました。
ちなみに、1st「僕を殺せるのは僕だけさ」と5th「レテパシー」は二度と誰も踏み込めない好戦的な雰囲気満々のアルバムだったので、そのまま作業無しで良いと判断しました。
今回のブルースマンのリミックス作業はロサンゼルスクラブで、俺とカニババの3人で行いました。
作業の途中でカニ君の顔つきが少し変わったので、何かあったな、と思い聞いてみたが「大丈夫っす。」と言っていた。
次の日の朝「父が亡くなりました。」と連絡してくれたので、顔つきが変わった理由が分かった。
そんな状況だったのにカニ君は「MOON PALACEってどんなお店でした?どのくらいの広さです?ストーブはどんなストーブですか?」とか歌をより理解しようと細かく質問しながら(音楽には直接関係無い質問ばかりするカニの事が好きだ)馬場ちゃんと共にがんばってくれていた。
完成したミックスを聞くと、当時のメンバー達がいかに歌に真摯に向き合っていたのかがよく分かった。
あの頃、俺だけが歌に真摯に向き合ってなかったな。
衰弱してたからしょうがないけど。
死にたくて死にたくてしょうがなかった。
先程の①②③の文章の中で素敵な箇所があったので抜粋します。
※「旧録」→Vo旧録音バージョンの意
↓
旧録の方が好きな人もいると思います。
その時の記録が正解、という考えは、むしろ俺自身が昔から強く思っていたものでした。
が、やはり、アル中を病気(異常な状態)と認め、そして何より、自分で聞いていて、ただただ悲しく辛いアルバムを残すより、自分でも聞けるアルバムを残したい。と思いました。
旧録を聞くと、録音当時を思い出します。
再録を聞くと、その歌が歌っている頃の事を思い出します。
旧録の「深海」を聞くと、2017年のレコーディングの時の事が。
再録の「深海」を聞くと、2015年、真冬の三笠市立博物館の中から見た、雪に反射してとても明るかった夕暮れを思い出します。
↑
※以上抜粋
全部好きだけど、3rdと4thの歌は特にお気に入りの歌ばかりでした。(1st〜6thは2000年〜2019年の歌が作曲年関係無くランダムに収録されている。7th以降は10曲出来る毎に録音しているので同時期の歌達)
なので、寝ても覚めても心のどこかで「3rdと4thは本当は名盤なんだ!」と思いながら生きていました。
今回やっと心残りを破壊出来ました。
みんなありがとう。
あとは前だけ向いて行進します。
PS.
リリース日変更の補足を、、
3rdアルバム「永遠に、たまに」(2024 Remaster)は告知通り11/13に配信リリースしました。
同日リリース予定だった4thアルバム「ブルースマン」(2024 Remaster)の方はマスタリングが1発で終わらず(良い意味で、です。ちょっと壮大な作業になって来たので)もう一度行う事になったので、リリースは11月末頃かなあ?と思います。
またお知らせします。乞うご期待。
PS.
はなえもんが描いた3rdの頃のアー写。
あの頃のレテパの不安感がよく描かれていると思う。
4thの頃のアー写。
秋田ハイコーフェスの帰り道。
6枚のアルバムをさっさと作って死にたかった頃。
PS.
さっきも書いたが1st〜6thは2000年から2019年の歌が作曲年関係無く収録されています。
ディスクガイドのおまけとして、3rd4thの歌の作曲年も書いておきますね。
昔聞いた事ある人も、レテパを信じてもう一度だけ聞いてみよう。
きっと気にいると思うよ。
僕のレテパシーズ3rdアルバム
「永遠に、たまに」
1.深海(2016年作曲)
2.夜に名前を(2011年作曲)
3.ホープちゃん(2013年作曲)
4.ラブソング(2016年作曲)
5.雨の日々(2009年作曲)
6.ていくいっといーじー(2013年作曲)
7.君の思い出(2011年作曲)
8.ユーレイ(2008年作曲)
9.バスが来るまで(2007年作曲)
10.永遠に、たまに(2017年作曲)
録音メンバー
Vo.古宮大志
G.はなえもん
B.飯田裕
Dr.鈴木亜沙美
僕のレテパシーズ4thアルバム
「ブルースマン」
1.ブルースマン(2011年作曲)
2.ロックンロールⅡ (2017年作曲)
3.7月12日、13日(2009年作曲)
4.夜明け前(2007年作曲)
5.MOON PALACE (2008年作曲)
6.アズミ(2008年作曲)
7.丘の上の学校からどっかへ行っちゃった君へ(2010年作曲)
8.サマー(2012年作曲)
9.ヘルメットヘアー(2018年作曲)
10.僕のレテパシーズのテーマ(2003年作曲)
録音メンバー
Vo.古宮大志
G.高野京介
B.飯田裕
Key.ハダユキコ
Dr.関口萌
あれ?僕のレテパシーズの結成が2010年なのにテーマが2003年ってどういう事?
と思ったあなたは鋭い。
先程の①②③の文章にその訳が書いてあるので読んでみよう。
PS.
さあ、さんざん3rd4thを絶賛してきましたが、過去作をこんなに褒めれるのは10thが自信満々の大名盤な証拠です。
11月21日ですよ。(この日にした理由は俺の大好きなあの人の夏の歌のアルバムが1989年11月21日にリリースされたから)
レテパの「夏のアルバム」に感動したあなたも、いつか11月21日に全曲夏の歌のアルバムをリリースすれば良い。
日本の音楽界に謎の伝統を作ろう。
では、あと6日。
夏の中で会いましょう。