先日はレテパシーズのライブでした。
セットリストはこんな感じ。
1.さよならの合図
2.愛してる
3.若いバンド
4.SAIL AWAY
5.ホンダ
6.おるたな
7.まだもう
8.夏のアルバム
30分のセットだったので、過去作から入る余裕が無かったのもありますが、ご覧の通り今は11thレコーディングモード全開なのです。
11thの歌は1曲1曲が重い?長い?ドーン?といった感じなので、歌っててどうしても1曲1曲ライブの流れが切れる感じがします。
なので逆らわずに自然体で、1曲終わる毎に喋りたいだけ喋っていたら、ライブ後に玄人風のお客さんから「今日は1曲1曲大切に歌って話してて、ソロライブの時の雰囲気に似てましたよ。もちろんバンドの演奏が凄いので演奏は全然違いますけど。」と言われた。
俺はソロの時代が長かったので、バンドに合わせて歌うのに苦労した。
レテパを始めても最初の数年は上手くいかず、その後は酒でごまかしてたら、あんな顛末になってしまった。
最初の頃はよく「あーあ、ソロだったらいつでも良いライブ出来るのになあ。」と上手くいかなかったレテパライブの帰り道に思ったものだ。
でも今は、ソロよりもレテパの方が自分の本当の状態だと思えている。
こんな日が当然みたいな顔してやって来るなんてなあ。
あの頃の自分に教えてあげたい。
焦るな焦るな、悲しい顔したひろし君よ。大丈夫だから。
この日は俺の大好きな大泉咲という歌手が主宰のイベントでした。
大泉咲の出番は自分の直前だったので、集中するのに振り切って彼女のライブは見ませんでした。
でも、見た友人達はみんな大絶賛してた。
彼女のアルバム「一人っ子計画」はとても素晴らしいので、ぜひ皆さん聞いてみてね。
1曲目〜最後の13曲目まで、彼女は少しずつ明るくなっていくのです。
そういう曲順になっています。
なので、ぜひ通して聞くように。
その前の週には急遽新宿のマーブルでソロライブをしました。
その日はのっぺらが出ていました。
今年の2月にのっぺらのライブを見て、その時のライブが素晴らしすぎて、俺はしばらく大騒ぎしてたのだが、今回も無事かっこいいままだった。
「無事かっこいいまま」って感覚分かるかなあ?
水の綺麗な場所に住んでいた魚が、濁った場所ではいつまでもスイスイ泳げないだろう、という感覚が俺には恐怖観念のように付き纏っている。
25年間ライブハウスで歌ってきたからな。
たくさんの魚の死骸を見てきたからな。
でも、のっぺらは無事にスイスイどころかビュンビュン泳いでた。
次の朝起きると「星座」という歌が出来た。
のっぺらの3人の事を歌った歌なのだが、これはレテパではやりません。
それがどういう意味なのかは、また近いうちに書けると思います。
①昨年11月に出た10thアルバム「夏のアルバム」のレコ発ライブを今年の夏にやるぞ!
②「僕のレテパシーズ詩集」を今年中に出すぞ!
③「僕のレテパシーズに捧ぐ」を今年中に出すぞ!
※全120曲に捧げる120の文章を少しずつ書いています
④11thアルバムを今年中に出すぞ!
という夢を以前にもこのレテパシー通信で書きましたが、少し事情が変わってきました。
④以外は今年は実現しないでしょう。
でも、全て良い感じなのです。
新たな未来予想図はかなりの独自ルートですが、これは子供の頃からの性分なのでしょうがない。
どーせ同じ所に到着するんだから、おもしろルートを選ぶんだ。昔から俺は。
また近々ちゃんとお伝えします。
お楽しみに。
2025年7月30日
古宮大志
PS.最近息子が喋り出した。言語爆発とはこの事なのか。
今の所、彼は乗り物にしか興味が無いので「キシャポポ!」「デンシャ!」「ショボシャ!」「カンコーバシ!(観光バス)」とか乗り物関連用語しか喋らないのだが、最近ようやく「ヒロシ!」と言うようになった、と噂には聞いていた。(離婚して別に住んでるので、1週間に1度しか会わない。ので、俺は「ヒロシ」の現場には遭遇してなかった。呼んでよ、と言っても俺の顔を見て「キシャポポ!カンコーバシ!」としか言わない)
が、この前遊びに行った時の帰り際、いきなり「ヒロシバイバイオートバイ!」と言い放った。
俺は感動して「お前は日本初のラッパーになるぜ!」と褒めてやった。
彼は嬉しそうな顔をして「デンシャ!キシャポポ!」と叫んだ。
PS.先程書いた「玄人風のお客さん」とはレテパ初代ドラマーの五月リョウタ君です。
彼のバンド「5月と夜のバス停」の名曲「ドリンク&ミュージック」は皆さん聞きましたか?
魚達がスイスイ泳ぎ続けますように。
みんなで祈ろう、がんばろう、急ごう。
おかげさまで、11thアルバムの録音が始まっています。(11thデモCDの残りも少なくなってきました。ありがとう。あ!買おうと思ってた!な人はお早めに。11thは大名盤の予感に満ちています。このデモはきっとプレミアムなお宝になる事でしょう)
今作はカニユウヤの提案で「11thは3会場で録りましょう。6/12に4曲、7/8に4曲、8/28に2曲です。」という流れ。
7/8の第2回は西調布にあるREIMEIというスタジオ。
着くと隣には小さな畑があって、とうもろこしの髭が揺れていた。
俺は昔、稲田堤(調布とは多摩川を挟んだ隣駅。2005年〜2012年まで。1st〜6thの多くの歌はこの時期の作曲)に住んでいて、調布の深大寺にあった鬼太郎茶屋でバイトもしてたので、この辺りは懐かしい。
あの頃の懐かしさを感じる為に、この辺が舞台のつげ義春の中期後期作品を定期的に読んだりするくらい。
最近は恋人が多摩センターに住んでいるので、カブで向かう時にもこの辺りはよく通る。
少し前まではなんとなく悲しい感じがする懐かしさだったので、このエリアは敬遠していたが、今では明るい懐かしさ。
気が早いが12thアルバム収録予定の「経堂駅」という歌の頃には、まだ少し悲しさが残っていたようで、ホームから見える多摩丘陵方面を、悲しげに眺めたり眺めなかったり、といった感じの歌詞になっている。
この歌は2024年の2月7日作曲か。
11thを最高傑作にして、12thでサッと越える予定。
REIMEIの初めましての店長さんにも「お疲れ様でした。録音良い感じでしたか?」と聞かれたので「今日で確信しました。最高傑作になると思います。でも来年出る12thでサッと軽やかに越える予定なので、残念ながら1年間の王者ですね。店長さんはさすがに調布好きですよね?レテパの5thアルバムのジャケは調布飛行場で撮ったんですよ。あとややこしいけど6thアルバムの収録曲に調布飛行場という歌がありますよ。なんだこれ?今考えると本当にややこしいジャケだなあ、5thと6th。まあでも最高の11thになりますよ。期待して待ってて下さいね!」と興奮して一方的に捲し立ててしまった。
今回の4曲も仲良くいっせーのせで録音した。
終わった後、カニがギターを重ねると言うので、俺と南ちゃんとヤックンはロビーで過去の恋愛について総括していた。
ハジメちゃんが見当たらないな、と思ったら、録り終わったカニと共にビール片手で恍惚の表情で出てきた。
俺が「なんだ、カニギターを肴に飲んでたのか。嬉しそうな顔して、生粋のミュージシャンだなあ、ハジメちゃんは。」と言うと「だってこんな間近でカニ録音を見れるなんてサイコーの贅沢だよ。」とご満悦。
俺が「音楽家の鑑だな。それに比べてこっちの2人は、、」と茶化すと、ヤックンが「俺だって見たかったけど、あんまり人がたくさんいると邪魔かと思って遠慮したんだよ。ちぇっ。」と言っていたのが、THEヤックンという感じで面白かった。(ちぇっ、は俺にだけ聞こえた妄想です。実際には発していません)
南ちゃんは「私なんかには芸術よりも恋話がお似合いですよ」という顔をして微笑んでいたが、その1時間前には「ピアノの音を重ねる南ちゃんをヤックンが間近で見て部屋から出てきた。俺はやはりロビーにいた」という同じようなシーンがあった。
その時ヤックンは「改めて気付いたけど、南ちゃんって凄い事やってるんだなあ。」と愕然としつつも微笑していて、やはり素敵な表情だった。
まあ、こう書くと俺だけがミュージシャンじゃ無いみたいですね。
でもそれで良いんです。ナイスバランス。
なんて素晴らしい5人だ。
エンジニアの馬場ちゃんの機材車に乗ってカニは帰ったが、いきなり窓が壊れて閉まらなくなったらしく、窓全開で2人は夏の夜へと走り出した。
見送りながら、多摩の夏だなあ、と思った。
2025年7月12日
古宮大志
PS.あ、あともう一つ11thエピソード。
冒頭に書いた11thの古宮大志宅録デモ。
これはメンバーに聞かせる為だけに録ったデモで、みんなののびのびとした演奏やアレンジの邪魔にならないように、歌が出来た瞬間に備忘録的に歌ったやつをそのまま収録している。
なぜか歌は起床直後、起きた瞬間、に出来る事がほとんどなので、寝起きのガラガラ声で歌っている。
なるべく色の無いゼロの状態でみんなに渡しているつもりだが、それでもたまにハジメちゃんが「いや、ダメだ。まだひろしデモを超えてない。」なんてピリピリしているのが、頼もしい。
過去作の時にも録音資金調達の為にデモを販売していたので、聞いた人は分かると思うが、このデモからこんな演奏になるんだ!と感動すると思う。
でも曲順だけはこのデモのままになる事が多い。
記憶が曖昧だが、変えた事はほとんど無いんじゃないかな?
あったとしても1曲だけ入れ替える、とかのレべルだと思う。
うん。毎作曲順はデモの時点ですでに決定しているのです。
なのに、今作はめちゃくちゃ変わりそうです。
6/12の第1回録音終了時にハジメちゃんが「1曲目ホンダにしちゃダメかな?」と連絡してきた。
俺は「気持ちは分かるけど、それだと全体の流れが上手くいかない。」と反論した。
でも、第2回録音が終わって、考えが変わった。
というか、新しい曲順がパーっ!っと閃いた。
こんな事は初めてだ。(アルバム曲順にこだわりが無いバンドには意味不明な話でしょう。でもレテパシーズにとっては最重要事項なので、この大胆な曲順変更は革命的)
デモの曲順
↓
1.the world is mine
2.愛してる
3.さよならの合図
4.SAIL AWAY
5.若いバンド
6.真鶴漁港
7.岩見沢デパート変遷史
8.ホンダ
9.おるたな
10.次回予告なホーリーナイト
革命的新曲順
↓
1.ホンダ
2.さよならの合図
3.the world is mine
4.愛してる
5.若いバンド
6.真鶴漁港
7.岩見沢デパート変遷史
8.SAIL AWAY
9.おるたな
10.次回予告なホーリーナイト
書いてるだけでワクワクする。
よくグルメリポーターが「匂いだけで白飯何杯でもいけますわー。」とか「(まだ口に入れてないのに。箸に食材を持っただけの状態で)もう美味い!」なんて言っていますが、それに近いな。
「タイトルと曲順だけでもう大名盤!」といった感じ。
引き続き、我々の何もかもをお楽しみに。
PS.あ、今日は7月12日だ。
名曲「7月12日、13日」は4thアルバム「ブルースマン」収録です。
2009年だから16年前か。もっと昔な気がするな。
この7月12日、13日の2日間、さっき出てきた「ホンダ」のホンダさんとずっと一緒にいたのでした。
今日は夕方からお留守番の子守。
あの4thアルバムのジャケの熊の人形は、今では息子のオモチャになっています。
「熊のレビューだ!ヤッホ!」と歌って踊ってレビューをやってやると、いつでもキャッキャと喜びます。
あんな壮絶なアルバムのジャケにされた熊ですが、今ではこんなに丸くなって、普通の人形としての人生を全うしています。
第6回レテパシーロックフェスティバル、目撃してくれた皆さん、目撃したかったけど来れなかった皆さん、たくさんのレテパシーをありがとう。
共演してくれた「NEW NEZUMI PARADISE」も本当にありがとう。
おかげさまで俺も心置きなくニューパラダイスに行ける気がしてます。
ライブ中にボーカルの西宮灰鼠が話していたが、2005年頃に俺達は初めて対バンした。
あの頃の高円寺、無力無善寺やペンギンハウス、俺はとても苦手だった。(その後10年間高円寺に住む事になるが、それはユキコの実家が高円寺だったから)
歌っても話しても手応えのないあの感覚、最近ライブハウスで感じる「意志のある黙殺」とも違う、手応えのないあの感覚。
でも20年経って今、やっと理解出来る。
たくさんの経験をしてきたからな。
俺は今、42年間で一番優しくて厳しくて、まるで野生動物みたいな感じだよ。(しかも、元ペットが脱走したパターンで両方知ってる最強状態)
なんか、トラウマですらあったんだよね、あの頃の高円寺のライブハウスのあの感じ。
でも、今は喜怒哀楽、嘘も本当も丸見え、ねずみ君の人間がちゃんと見えてます。
ブルースはまだまだこれからよ。
お互い素敵なブルースマンを目指しましょう。
俺はがんばるぞ。
ライブ前に「素直全出し作戦」とか言ってごちゃごちゃしちゃったけど、そこに書いた通り今後は、ライブ情報、リリース情報、各メディア情報、なんかはレテパtwitterで告知してもらおうと思ってます。
でも、素直に全出ししたら、予約たくさん増えて嬉しかったよ。
ありがとう。いつも極端でごめんね。
昨日「ハイコーフェス2025」の予約も始まりましたね。
ハイコーフェスについてはまた今度書きます。
一つだけ言えるのは、ハイコーフェス主宰の進藤さんから「今年、6年振りにハイコーフェスやります。これで最後にします。」とオファーの連絡が来た時に「やったー!嬉しいな!ワクワク!」という感情では決して無かったという事。
悲壮感の上で大好きな恋人と最後だと思いながらキスする感じかな。
まあ、そんなフェスティバルです。ハイコーフェスはいつも。
楽しいって感じじゃないんだよな。
でも、今のレテパシーズなら、あの頃とは違う場所まで行けるかも知れません。
きっと行けると信じて、あの頃出来なかったような凄いライブをやりたいです。
皆さんも信じて目撃してね。
2018年で最後だと言っていたが、今年またやるという事は、あの時何かが足りなかったんだ。
絶対に今年で終わらせます。
今のレテパシーズなら、きっと終わらせられるはず。
2025年7月2日
古宮大志
PS.第6回レテパシーロックフェスティバルのセットリストはこんな感じでした。
1.the world is mine
2.愛してる
3.さよならの合図
4.SAIL AWAY
5.若いバンド
6.真鶴漁港
7.岩見沢デパート変遷史
8.ホンダ
9.おるたな
10.青春
11.クレイなジー
12.ハローグッバイファックユー
13.海へ行こうよ
14.空知
15.才能がなかったんだろ
16.まだもう
17.夏のアルバム
1曲目から9曲目は11thアルバム収録の歌達。
おかげさまでレコーディング真っ最中です。
絶対に今年中にはリリースしたい。
12月かなあ、と考えてます。
レテパフェスの最中にも話した気がするが(いや話してないかも?)札幌に住んでいた2001年〜2004年頃までの間は毎年「ライジングサンロックフェスティバル」を見に行ってました。
俺は踊るのが好きなので、何かのバンドを見ながら独創的なダンスを踊っていたら、それがスカパーで割と長時間生中継されたそうで、後日札幌で知らない女の人から「スカパーで踊ってた人ですよね?」と話しかけられた事もありました。
19才〜22才頃の事、レテパの歌で言うと「空知」「ミツバチ」「SFマンボ」「札幌ナンバーの最後」「東区が恋しくて」「雪包丁」「そしてトンキーは死んだ」「水平線」あたりです。
仲の良かったヌルマユというバンドの永井君の、今でも忘れられないとても危険な運転で、会場の石狩から札幌へ帰る時「あーあ、俺もライジングサンに出てーな。あの大きなステージで空知とか歌いたいな。」なんて思ったのを覚えています。
今は「ホンダ」という歌をライジングサンで歌いたい。
会場のすぐそばの海でホンダさんとドライブした思い出を歌った歌なのです。
あの最終コンビニ、まだあるのかなあ。
「ホンダ」
君の車に乗り
沈みだした夕日を追う
石狩 最終コンビニで
風強い日に
カップ麺にお湯入れて
のびないように急いで
3分以内に海へ
夕日と砂の混じった
カップ麺で大笑い
風が強くて世界は
夕日だけが動かずに
夕日だけが動かずに
PS.そういえば先日の「素直全出し作戦」をレテパtwitterに載せてもらった時に、スタッフのソノダ氏と「うーん、文章だけだと暗いかなあ?写真も付けちゃおうかな!」なんて言って、先日の空知小旅行写真から1枚付けてもらいました。
この写真です。
これ、故郷月形町の皆楽公園のサイクリングコースのスタート地点なんです。
ちなみに月形小学校のマラソン大会のスタート地点もここでした。
しゃがんで遠くを眺めていたら「まだまだ歌いたい事がありそうだな。いや、もしかしたら一生歌うのかもな。このブルースを。あーあ、ブルースがまだあるなあ。」なんて思いました。
今年の2月に死んだ柿生のばあちゃん(小田急線柿生駅に住んでいた母方の祖母)がちょうどマラソン大会の前日に遊びに来た事があったのですが、俺はあまりにも「おだって」しまい、発狂状態でマラソンの練習をなぜか家の中で延々と行っていて「この子は気が狂ってるのかも知れない。」と祖母が本気で思った、という古宮家では有名なエピソードがあります。
この祖母がまだギリギリ元気だった頃に「あ、ばあちゃん。昔高校生の頃、俺がここに泊まってた時にずっと聞いてた友部さんって人と今度ライブするよ。」と言ったら「まあ、落ち着いておやんなさい。」とベッドに横たわり目を瞑ったまま言っていた。
あれがまともな最後の会話だったと思う。
祖母は頭の回転の速い人だったから、俺もついつい本気のスピードで話してしまうので、大人になっても「おだってる」危なっかしい孫に見えていたのだろう。
あれ?なんで柿生のばあちゃんの話してるんだっけ?
まあいいか、読んでくれてありがと!
「レテパシー通信」これからはもう少しちょいちょい書いていこうと思っています。
何もかもよろしく。
最近、人生相談を受ける事が多い。
深刻なやつから、ポップで滑稽なやつ(本人にとっては深刻なのだろうが)まで多岐に渡るが、どんなケースでもやはり「もっとシンプルに捉えれば良いと思うよ。本当の状態を素直に全部出して、それでダメならそれで良いじゃないか。」といった感じで「素直全出し作戦」を推奨する。
砂の上のお城、を建設する事ほど無駄な事は無い!と、最近S君にもRちゃんにも偉そうに話したなあ、、
うん。
あんだけ偉そうに話したのだから、自分もちゃんと「素直全出し作戦」で行く。
2日後に行われる「第6回レテパシーロックフェスティバル」。
現状チケット予約がたったの4枚です。
「僕のレテパシーズのSNS終了宣言」をしたのが今年の2月3日。
あれ以来、初めてのライブなのですが、まあ壊滅的ですね。
今までの自分だったら「今は本当じゃない。ひたすら待つ時だ。癇癪を起こさずに自滅だけを避ければ、近い未来全てうまく行くはずだ。」とイライラしながらも自分をどうにか励まして、レテパフェス当日に突入していたと思うのですが、もうどうにもそんな気分になれなくなってしまった。
なので、レテパTwitterでも告知してもらっちゃいました。
今後も「ライブ告知」「アルバムリリース告知」「レテパシー通信の更新」についてはレテパtwitterで告知しようと思います。
言う事がコロコロ変わっても、たとえ間違ったとしても、本当に素直な状態であれば大罪では無い!という事だけは、1週間に1度だけイチャイチャしに行く我が息子にも、もう少し大きくなったら伝えようと思っています。
なので、謝りません。
素直に素直に正直に。どうぞよろしく。
先日おかげさまで11thアルバムのレコーディングを開始しました。
(アルバム録音資金調達の為のデモテープを買ってくれた皆さんありがとう。絶対に最高傑作にします。)
カニ君の作戦で「今作は3会場で録りましょう。6/12に4曲、7/8に4曲、8/28に2曲です。」という事になり、先日「the world is mine」「さよならの合図」「真鶴漁港」「ホンダ」の4曲を録りました。
今作は今までの10アルバムの中でも一番アレンジに時間をかけました。
というよりも、アレンジに時間がかかってしまいました。
バンドの状態が悪い訳では無く、むしろ絶好調なのですが、まあ俺の作曲の問題でしょう。
11thアルバムの10曲が出来たのは2022年6月〜2023年4月の間なのですが、この頃は少し天才モードだったみたいで、今振り返っても、なんでこんな歌が出来たのだろう?ギターも変則チューニング?だし、なんか取り憑かれていたなあ、、といった感じで、今までのレテパとは少し毛色が違う歌が多くて、だから最初みんな戸惑い気味で、こんなにも時間がかかってしまったのだと思います。
だけど、録音は全曲1発で録れた。
ボーカルも含め全楽器1発で録ったのだが、オールテイクワン。
あんなに難航したのになあ、ずっと準備して、ずっと難航して、ずっと苦しんで、録る時は一瞬のワンテイクか。
「ホンダ」の長い長い後奏を、歌い終わり地面に座りながら眺めていた。
眺めていたのは、20才の頃に本田さんとドライブした石狩の海と、今目の前で鳴っている4人の凄まじい演奏。
違和感無く重なって見えたよ。あの頃と今が。
帰り道、カブに乗りながら考えた。
この時に疾走しながら思ったんです。
「こんなすごい状態のレテパシーズを4人のお客さんの前だけでやるのは、絶対に間違ってるわ。あっちが間違ってる、こっちが間違ってる、とかもうどうでもいいや。とにかく、このレテパシーズを4人の客の前だけでやるのは絶対に違う。」
だから、素直に好きにやります。
以下、変更点。
よろしく。
※入場料安くします。
1000円にします。
ご予約はこちら。
※予約特典の「手描きチケット」は現状予約してくれている方のみにお渡しします。
理由は、1000円にしてちゃんと告知したら、きっとたくさん来てくれるはず!
そうしたら、手描きするの無理だ、、腕がもげちゃう、、!という明るい理由です。
お許しを。
※前回のチケット持参で半額!の制度も、こうなると意味を成しません。
(半額で1500円だったので、、)
なので、忘れて下さい。ごめんなさい。
以上になります。
レテパシーズは17曲演奏予定です。
そのうち9曲は11thアルバムの歌です。
録音直後直前の最高の状態です。
誰が言ったか忘れたが、メンバーの誰かが言いました。
セットリストを決めて渡した時の事です。
「おー!これじゃまるで11thのレコ発ライブですね。10thのレコ発ライブもまだして無いのに、、まあ、カッコいいセットリストだから良いけど。」
そうなのです。昨年11月にリリースした10thアルバム「夏のアルバム」のレコ発ライブを今年の夏にやるぞ!と言っていたのですが、絶対に夏には出来なそう、、
作戦立てて動いていたのですが、白紙になり、予定は未定。
以上、素直全出し作戦でした!
よかったら目撃してね。
こんなに最高の状態、いつまで続くかなんて誰にも分からないのだから。
2025年6月25日
古宮大志
昔から他人の誕生日を全く覚えられない。
父母の誕生日も妹のも未だに覚えていない。
恋人の誕生日は忘れると恐ろしいので、毎年手帳を買うと真っ先に丸を付けておく。
そんな日付健忘症の人生でしたが、なぜか覚えている日付があります。
それは「レテパシーズの全アルバムのリリース日」なのです。
今朝、テレビを見ていたら「今日は6月3日です。」と言っていて、ハッとした。
「ああ、しかもちょうど10年になるのか。色々あったけどまあ良い感じだよな。うん。がんばったがんばった。」
2015年6月3日、それは僕のレテパシーズの1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」がリリースされた日です。
途中でアル中ゴタゴタがあって出せていない年もあるけれど、こう数えると1年に1枚ペースで出せているんだな。
今年中に11枚目を絶対に出すぞ。
そして来年は12枚目で全120曲が終わるんだ。
その後はもし歌が出来なかったら、ライブ中心のバンドになって、新宿あたりの「ビートルズカバーのプロのバンドが常時居る音楽パブ」みたいなノリで、全120曲をいつでも演奏出来るイカレた状態に仕上げて、お客さんからのリクエストにその場で即座に応えられるバンドになってたらカッコいいよね!なんて、昨日ロサクラで南ちゃんとも話したりしてました。
南ちゃんは「恐ろしい、、楽譜見ても良いですか?それならいけます!」
俺は「いやいや、楽譜無いのが素敵じゃないか。がんばろー!」
南「はい、、がんばります、、!」
想像するだけでワクワクする。
お客さん「君の思い出、演って!」
間髪入れずに「ワンツー!タータタタタタタタタタタ!」と始まるのを想像するだけで鳥肌が立つわ。
他にも色んな夢を見ています。
最近はちょっと面白い新しい夢も見つけて、こっそり動き出しています。
まあ、楽しみにしてて下さい。
相変わらず俺は何も諦めておりません。
そういえば先日、5月の空知に行ってきました。
思い出写真をお裾分け。
支笏湖のお土産屋にて。
昭和平成レトロリバイバルでは無く、本当の古いやつが北海道あたりの土産物屋にはまだ生き残っている。
千歳空港から岩見沢の実家へと向かう道。
千歳〜長沼〜栗山〜栗沢〜岩見沢。
菜の花の季節。
あと、水田に水が張られてキレイな時期。
「でも、水田の光」というやつですね。
一番好きな空知の5月。
翌日は富良野美瑛へ。
岩見沢から山道を1時間半くらいかな。
岩見沢〜三笠〜富良野〜美瑛。
三笠には昔、祖父が営む「古宮豆腐店」がありました。
炭鉱の町、まさにダーティーオールドタウン。
豆腐店跡地のそばにある「旧唐松駅」にて。
母が「面白いもの見せてあげる。」と言うので唐松駅に立ち寄ったのだが、それは駅舎の壁一面に貼られた、在りし日の唐松地区の古い写真達だった。
その中に祖父母一家の写真もあった。
三笠市立博物館。
3rdアルバムの1曲目「深海」に出てくる博物館です。
(3rdと4thはなぜか他のアルバムと比べて人気が無いが、リミックスリマスターして最高になったので、ぜひ聞いてみてね。名曲揃いのすごい2作だと思うんだけどなあ。)
炭住の赤い屋根。
だいぶボロボロになってきたな。
でもまだ住んでる人はいるようだ。
富良野に着いた。懐かしい感じの雨。
でも母は天気を思い通りに出来るレベルの晴れ女らしく「そろそろ晴れるはずだけど、、」と言ってたらやはり晴れた。
仲良し両親。
俺は高校生の頃はあまり仲良くなかったが。
俺が1950年生まれのミュージシャン達、友部正人、友川かずき、遠藤ミチロウ、忌野清志郎、仲井戸麗市、板橋文夫、あたりの影響を受けて歌い出したのは、この両親からの影響が大きい。
遠くに見える右側の木は父が勝手に自分の名前を付けたお気に入りの木らしい。
この後、俺も真似して1本の木に「ひろしの木」と名付けました。
この後出て来ます。
珍しくはしゃいで観光客チックにジャンプした写真を撮ろうとしたが何度やってもうまくいかず。
地球に降り立った人、みたいな写真になってしまった。
次の日。岩見沢〜月形へ。
ちなみに2才〜13才まで月形。
14才〜18才まで岩見沢。
18才〜22?23?才まで札幌。
その後は上京野郎です。
(「歳」という字が昔からピンとこないので「才」を使うタイプです。歌詞でもいつも「才」ですね。)
岩見沢〜月形への真っ直ぐな道「峰延道路」。
樺戸監獄の囚人達が作ってくれた道。
思い出の道ランキングでベスト3に絶対に入る道です。
元実家の三角屋根に到着。
古宮家が出て行った後、トラック会社に売ったのだが、今は放置状態で空き家みたい。
家の裏の廃庭を見たら、イチゴの花が咲いてた。
1990年くらいに古宮家が植えたイチゴが野生化してまだ生きてるんだなあ。
イチゴは食べるよりも花や葉を見るもの!と言い切れるくらい、イチゴの花と葉が好きです。
神社は家の隣の「南耕地神社」。
「昔隣に住んでたひろしです。全てがんばってますよ。まだまだがんばります。」とお参りした。
家の前の田んぼ道。
この木が「ひろしの木」です。
川は「まだもう」に出てくる「増水の灌漑溝」。
この木の下に座って見える景色が人生で好きな景色ベスト3に入ると思う。
もし死んで好きなところで地縛霊になれる権利をもらえたら、多分この木の下にいます。
レテパヘッズの皆さんは気付いたかな?
シングル「まだもう」の写真の木だよ。
木も俺も大きくなりました。
なんか、成長度合いが似てる気がするね。
1990年4月26日の写真。
俺と白い犬と、それを追いかける妹。
月形小学校と夕日。
10thアルバム「夏のアルバム」のジャケですね。
母校と夕日のセットを見れるなんて幸せ。
なんか最近少し燃え尽きた気もしていたが、ちゃんと心に風が吹き「まだまだ俺にはブルースがあるな。思い出させてくれてありがとう月形。」なんて思いました。
以上、5月の空知小旅行写真集でした。
最近はドタバタしてて、なかなかレテパ通信を書けてないけど、とにかく伝えたいのは「6/27の第6回レテパシーロックフェスティバルで会おう!」です。
本番当日は全員でリハを出来なそうなので、昨日ロサンゼルスクラブで8時間もリハしてきました。
センスあるPAの兄さんと共に、ロサクラ史上最高の音を作れたよ。
楽しみにしててね。
PS.6/27のセットリストに「まだもう」「空知」は絶対に入れると思う。
5月の空知を感じたブルース状態で歌います。
きっと最高の演奏になるだろう。
2025年6月3日
古宮大志
西宮灰鼠の新バンドのライブに衝撃を受けたので、急遽レテパフェス開催します。
親愛なるねずみ君については色々書きたいのですが、彼について書く事は2000年代の自分とも再会するような壮大な行為なので、並大抵ではありません。
なので、また今度ゆっくりと。
とりあえず、本日より予約開始します。
よろしく。
ご予約はこちら。
6月27日(金)
東高円寺ロサンゼルスクラブ
「第6回レテパシーロックフェスティバル」
開場18:30
開演19:30
チケット3000円(1D別)
※第5回のチケット提示で半額です
※今回のチケットは第7回の半額券になります
出演
西宮灰鼠の新バンド(仮名称)
僕のレテパシーズ
PS.ねずみ君の新バンドの名前は考え中だそうです。
決まったらまたお知らせしますね。
2025年4月27日
古宮大志
みなさん元気ですか?こちらは元気です。
前回のレテパシー通信から色々ありまして、書ける事も書けない事も本当に色々ありまして、どうやって書いたら良いものか、と考えていたら1ヶ月以上も経ってしまいました。
この間に起きた事でどうしても伝えたい事があります。
それは3/9と4/10に目撃したライブの事です。
人生で初めて使う言葉ですが「奇跡」だと思いました。
あと「約束」なんて言葉もライブ見ながら頭をよぎったな。
信じなきゃな、信じよう、がんばろ。
この二つのライブを見れて本当によかった。
120曲が終わって、やはり少し終わりモードだったのかも知れません。
3/9の真黒毛ぼっくす
4/10の西宮灰鼠(バンド編成/西宮、カリタ、コムラ)
おかげで目が覚めました。
こんな奇跡のライブが行われていた事なんて、この文章を読んでいる人達の何人が知っていたのだろう。
そして目撃者となると下手したらゼロなのではないか?
がんばろ。
どうやら俺は他の人よりも元気なようなので。
音楽の世界、もっと良くなる気がしてしまう。
もっとイカレてて、もっと愛おしい、平気で飛び込んでね。サイコーだから。
若者にも老人にも迷いなくそんな風に言えるようになりたいのです。
6/27、第6回レテパシーロックフェスティバルやります。
詳細はもう少しお待ちを。
とりあえず信じて空けておいてね。
2025年4月16日
古宮大志
吉祥寺からの帰り道だった記憶があるから「愛してるよ」「クレイなジー」「エンデンジャードスピーシーズ」のどれかの時だろう。
今は無き吉祥寺GOKでの録音の帰り道、車中で俺が次のアルバムの構想をノリノリで話し出したら、運転していたハダユキコが「やめてよ!せっかく録音終わったのに!その帰り道に次の話をするなんて。今は完成の余韻に浸ってお祝いしようよ!」と怒り出したのを覚えている。
昔から、ライブの打ち上げとかも好きでは無く、ほとんど参加した事が無い。
何かが終わった瞬間には、次の事を考えてしまうから、余韻に浸るという感覚が分からない。
そんなバンドマン人生だったのですが、今珍しく余韻に浸っていて、ああ終わったなあ、という気分です。
誤解を恐れずに書くと、自分の選ぶ行動のコマンドをドラクエ風(「戦う」「逃げる」とか、そういうやつね)で考えた時に、珍しく「終わる」というコマンドが出現しています。
それはレテパシーズが終わるという意味です。
もちろん、そのコマンドを選んだりはしないんだけど、普段はコマンドにすら無い「終わる」というやつが、今は出現しています。
でもこれは悲しい話では無いのです。
むしろ嬉しい話をしようとしています。
今、珍しく打ち上げしたい気分。
ここ数日はそんな、終わったなあ、という余韻の中で暮らしています。
先日、海辺に住む友人夫婦の家に泊まりました。
家の目の前は、大根畑やキャベツ畑で崖の向こうには海と富士山。
俺一人、随分と早起きしてしまったので、朝の空気の中を散歩してみました。
30分くらい歩いていたら、大根農家の人達も働き始めて、スポンスポンと大根(立派な三浦大根)を抜いて、木製で可愛い手押しの荷台にキレイに並べていきます。
そんな光景を眺めていたら、いきなり歌が出来始めました。
急いで、友人宅に戻りました。
ペンも紙も持たずに家を出てしまっていたので。
友人はギタリストなので、リビングの壁には様々な種類のギターがかけられています。
俺は「最後の歌は、やはりガットでしょう。」と一人呟き、古いYAMAHAのクラシックギターを手に取りました。
歌い出した頃からずっと、弾き語りはクラシックギターでやっていたので、一番愛着があるのです。
豪華な別荘用の建物を自宅にしている友人の家には、大きなテラスがあるので、そこへ出て、小さな声で歌を作り始めました。
初めましてのギターを弾く時には、まずボディーに耳を直接当てて弾いてみます。
そうすると、ちゃんと挨拶した感じになって、どんなギターでも不思議と自分の好きな音が出るようになるのです。
その日も恒例の初めましての挨拶を済ませて、朝の雲と鳥達を眺めながら、最後の歌を作りました。
1時間くらいやっていたのかな?
気が付いたら、友人も起きていたようだったので、彼に「すまないが、3分だけスマホ貸して。歌が出来てしまったから録音したいのよ。俺、ガラケーだから録音出来ないんだ。」とお願いして、録音しました。
まだ寝ている人もいたので、小さな音と声で録音しましたが、海鳥達の鳴き声が入った素敵な録音になりました。
このレテパシー通信の熱心な読者の方なら、過去に書いていたのでお気付きでしょう。
そう、12thアルバム用の10曲目、最後の歌が出来たのです。
もし、この後1曲でも出来てしまうと、13thアルバムが始まってしまいます。
でも、今は完全なる終わり。
なんという達成感。燃え尽きた気分。
打ち上げしたい気持ちが分かる。
人生初めての余韻の感覚。
こう書いてみると、自分の本質はプレイするミュージシャンというよりは、やはりソングライター、作家寄りなのでしょう。
ライブや録音終了、アルバム完成、では達成感を感じないが「12thアルバム用の10曲の作曲が終わった」という事にはこんなにも達成感、そして「終わり」を感じるのです。(まだアレンジも録音もしてないのに)
しかも、12thまでの120曲に文章を書いて「僕のレテパシーズに捧ぐ」という本にする、という夢もあるので、なおさら強く、区切りや終わりを120曲目に感じています。
またどーせ、いつものように13thアルバムが始まるのかも知れないけどさ。
こんな「終わり感」は一生に一度あるかないかだろうから、少しだけのんびり余韻に浸らせておくれ。
最後の歌は「楽しかったから」というタイトルです。
「自分はこんな歌を作れるようになったのかあ。愛おしいぜ自分。」とたまに思う事があるのですが、今回は今までで一番強く思ったかも。
君と見た、あの光景達のおかげだね。ありがとう。
最後にこんな歌が出来て幸せだ。愛してるよ。
ああ、終わったー!バンザイ。
2025年3月4日
古宮大志
PS.ちなみに、、
↓
「自分はこんな歌を作れるようになったのかあ。愛おしいぜ自分。」とたまに思う事があるのですが、、
↑
と書きましたが、今までで印象に残っているそういう歌は、、
「夕立が降ってる」(2000年作曲)
「愛は風景」(2009年作曲)
「夜に名前を」(2011年作曲)
「17」(2014年作曲)
「青春」(2020年作曲)
「僕ら」(2021年作曲)
とか、ですね。
でも今回の「楽しかったから」は特に強く思いました。
ちなみに12thアルバムのタイトルは、だいぶ前に思いついてもう決めていました。
でも、この歌が出来てしまった今は「最後のアルバム」というのが相応しい気がしていて、ここ数日は「最後のアルバム」と勝手に俺は呼んでいます。
PS.レテパシー通信ビギナーの人の為に現状を書いておくと、、
現在バンドメンバーとアレンジしてるのは11thアルバムです。
2025年中のリリースを目指しています。
ちなみに10thアルバム「夏のアルバム」のレコ発ライブはまだ開催していません。
リリースが昨年の初冬だったので、レコ発ライブは今年の夏に開催しようかな!夏のアルバムだし!と作戦立てています。
そして12thアルバム「最後のアルバム」(仮)は2026年のリリースだろうね。
100枚限定で販売している11thアルバム用古宮大志宅録デモCD (11th録音資金調達が目的)もおかげさまで少なくなってきました。
買ってくれた人も、買いたいけど金無いなあ、の人もありがとう。
12thアルバムの時にも、もし同じようにデモを販売したら「楽しかったから」に入っている海鳥の声を聞いて微笑んで下さいね。
作曲したテラスからの光景。
PS.先日はライブでした。
パッションレコードのゲンキ君、呼んでくれてありがとう。
前回のレテパシー通信にも書いたけど、俺の好きな突き抜けるような光景や思い出とレテパシーズのライブは似ているなあ、あ!そういう事か!なんて思っていた時だったので、さっさとそれを確認出来て良かった。
やはりレテパシーズがやっているのは音楽では無い。
ただあの光景を体現して光景になっているだけなのさ。
11thアルバム収録の「おるたな」は最近歌ってて一番興奮する歌です。
興奮しながらも遠くまで見える、あの愛おしい感覚です。
「おるたな」
古い音がする さびた鉄弦で
もう一度チューニングを合わし
希望にふれるんだ
おるたな おるたな
全ての方角へ
おるたな「そうだな」「ああ」
ぶっ飛ばしていく
白樺の緑 さらさらと揺れる
一番のお気に入りの季節
葉の光 走る風
おるたな おるたな
全ての方角へ
おるたな「そうだな」「ああ」
ぶっ飛ばしていく
(2023年2月12日作曲)
事の顛末は前回の文章「僕のレテパシーズのSNS終了宣言」に全て書いたので、そちらをご覧下さい。
とにかく今は良い気分。
レテパシーズ結成以来、色々な困難があり過ぎて、溺れ死なないように目の前の藁ばかりを掴んでいた気がします。
でも今、断酒から6年が経ち、10枚のアルバムが完成した。
「あれ?もしかして俺はもう溺れてはいないのでは?」と思い、もがくのをやめて足を伸ばしてみたら、足が着き、ちゃんと立てて、目の前には愛おしい世界。
それは歌い出した17才の頃に見ていた世界と変わらないものでした。
歌い出して25年、レテパシーズ結成からは15年。
すごく遠回りしたかも知れないけれど、今の自分を気に入っています。
17才の頃に見ていた世界を、今の自分が進んでいく感じ。
分かるかなあ?この最高な行進状態。
あの世界を今の自分が行くんだよ。
嬉しいな。もう全て好きにやるんだ。
今までこのページは「僕のレテパシーズNEWS」という名称でしたが、カニユウヤから「これを機にホームページも少し精査しましょう。ディスコグラフィーのページも作りましょう。NEWSもNEWSって感じじゃ無いから名前変えても良いのでは?」と提案を受け「そうね。なんか知らない言葉ってしっくり来ないからブログって言うのが嫌でNEWSにしてたけど、別にNEWSじゃなくても良いもんな。じゃあレテパシー通信にしよう。」という感じです。
特に今までと変わりません。
気が向いた時や、何か特別なお知らせがある時に書きますね。
今までは書いた時にレテパシーズTwitterで案内してもらっていたので、それが無くなってしまい、読む人には不便だと思います。
でも、まあ、しょうがない。
レテパシーズは図書館の本になります。
彼らのような静けさで、手にとってもらうのをただ待つ日々も悪くない。
性に合ってる。あなたもその方が好きでしょう。
本来、本は喋らない。「読んで読んで。私を読んで。」なんて言わない。
ちゃんと出会い、ちゃんと別れよう。
そうすればいつでも僕らは会っていると思うんだ。
先日、大切な人と素晴らしい時間を過ごしました。
その友人は泣いていたんだけど、とても美しくて、その人に語りかける自分の声も優しくキレイに響いた。
夕焼けや初雪の朝の突き抜けるようなあの感じとも似ているけれど、それ以上に強くて美しい光景だった。
夕焼けも初雪の朝も好きだけどさ、突き抜けるようなあの感じを抱えて生きてきた人間と、同じ速度で同じ光景に触れ合った時、過去と未来の真ん中で、まるで待ち合わせをしたみたいに、今までとこれからの全部を抱きしめながら出会えている気がした。
自分はこんな瞬間のために生きているんだな、と思えた。
その数日後、あるバンドのライブを見に行った。
そのバンドの演奏はとても好きだったんだけど、最後のアンコールで謎の男?がステージにしゃしゃり出てきて歌い出し、なんだか汚された気分になった。
他の客はどう思ったんだろう。すごく冒瀆された気分。
こんな時、自分はライブハウスという場所が信じられなくなる。
帰り道ではいつも「こんな場所で歌ったって意味ないよな。なんでわざわざ金まで払って、信じられない場所に降りて行かなきゃいけないんだろう。外で環七の車のライトを眺めてる方が何百倍もキレイだったな。」なんて暗い気持ちになってしまう。
その日も定番のそんな気分で帰宅したのだが、電話を見ると父親からの留守番電話。
思い当たる事があったので、覚悟して聞いてみると、祖母が亡くなったとの連絡だった。
心配をかけまいと出来るだけ優しい声を出そうとしている父の留守電の声が、最近の自分の声とそっくりな気がして「ああ、俺も出来るだけ優しい声を出そうとしているんだなあ。偉いな最近の俺。」なんて思った。
ベッドに入り、暗い部屋で柿生のばあちゃんとの思い出を思い出していた。
俺と気が合う、少女のような可愛いばあさんだった。
そしていきなり、ふと思った。
「もうライブハウスに絶望するのはやめよう。ただ、俺がキレイな瞬間を知っているだけの話だ。そしてきっと本当はみんなキレイな瞬間を見たいと思っているんだ。ばあさんとの思い出も、友人とのあの時間も、なんだかレテパシーズのライブにそっくりだったじゃないか。冒瀆された気持ちになれたのは、自分がキレイな証拠だな。ありがとう謎のしゃしゃり男、おかげでキレイな自分に気付けたぜ。おやすみなさい。ばあさん、夢に出てきてもいいよ。カモン。」
そんな明るい気持ちで眠れました。
ばあさんは夢には出て来なかったが、朝目覚めるとこんな事を思い出した。
17才の頃、東京のライブハウスのオーディションを受けまくる為に(全部落ちたが)この祖母の家に泊まり込んでいた。(小田急線柿生駅)
その頃はその年(2000年)に出たポーグスのベストをよく聞いていたのだが、毎朝の自己流体操の時に音楽をかけるばあさんが「ちょっとそのCD貸してくださらない?」なんて言って、ポーグスをかけながら体操していたのを思い出し、笑ってしまった。
俺の携帯CDケースには友部正人、たま、シオン、どんと、アズミ、なんかが入っていたのだが、ポーグス以外は体操には不向きだったようで、見向きもされなかった。
彼女の喋り方は黒柳徹子のような東京の女の喋り方なので、子供の頃はよく真似をして妹と爆笑していた。
2025年2月11日
古宮大志
僕のレテパシーズは無名の自主制作インディーバンド。
だから自分達で宣伝しなくちゃいけない。
そう思い、苦手なSNSもみんなと協力して運営してきました。
でも、いつか近い未来、そんな宣伝なんかしなくても済むようになればいいな。
作品とライブ、ただそれだけのバンドになれたらいいな。
そんな風に思っていました。
それはきっと僕だけではないでしょう。
メンバーだってそうだろうし、レテパシーズを好きな人達の多くはそう思っていたと思います。
作品とライブ、それがバンドの全てですから。
昨年、長年の夢だった全曲夏の歌の10thアルバム「夏のアルバム」を発表する事が出来ました。
そして、長年の後悔だった過去の作品達(アルコール依存症の影響下にあった時期のアルバム達)をリミックス、リマスターして録音当時の世界を甦らせる事に成功しました。
明るくポップにした、とか、聞きやすい耳触りの良い音にした、とかそういう事ではありません。
あの頃の殺伐や絶望、それでも死なずに遠い空を眺めていたあの感覚、そういう大切な部分まで衰弱した自分の病的な作業で消してしまっていた。
それを本来の姿に戻したに過ぎません。
これで全10thアルバム、100曲の歌達、全部を好きになれました。
生まれて42年が経ちましたが、こんなに落ち着いた気持ちは42年間で初めてでした。
自分の後ろにやり残した事が無い感覚。(前にはまだまだあるけれど。11th、12th、、)
年が明け、2025年。
1人のレテパシーズ好きの人と話す機会がありました。
彼はひどく酔っ払っていましたが、彼の真剣さは伝わりました。
彼が酔い潰れて、部屋に(ヤハタトシキの部屋でした)大量の酒と氷をぶちまけながら派手に倒れるまで、喧嘩を売るような大声で言い続けていた事。
それは「ひろしさんはやりたくない事は一切やらなくて良いと思います!もう歌とライブだけで充分でしょう!俺はレテパシーズの歌とライブに救われたんです!レテパのSNSに救われたわけじゃありません!そんなもの見たくありません!」
その場では僕も反論しました。
なぜやりたくない宣伝活動をしなくてはいけないのか、大きく分けると3つの理由がありました。
金の事、大昔からずっと燃え続けていて今は自分の手元で燃えている気がするあの火を消したくない事、もう黙殺が理由で衰弱していく才能あるバンドマン達を見たくない事。
なるべく分かりやすく説明したつもりでしたが、泥酔した彼には全く伝わらず、上記の文言を何度も何度も繰り返して、最後は大量の酒と氷と共に倒れてしまいました。
家に帰り彼の言葉を思い出していました。
次の日も、その次の日も、思い出しました。
「うん、確かに。もうやめちゃダメかな。10枚のアルバムはいつでも聞ける状態になってるんだし。あの10枚とライブがレテパの全てだもん。下手な宣伝活動はあの100曲の邪魔になるよな。次のスタジオでみんなに相談してみよう。」
次のスタジオはヤックンは法事で欠席でした。
そして当日になりハジメちゃんから「関口家が風邪で全滅、、欠席したい、、」と連絡がありました。
いつもならば2人も欠席だとスタジオは無しにするのですが、その日はみんなの意見を聞きたかったので、カニと南と話し合う事にしました。
提案には2人とも大賛成。
目がキラキラしていました。
「ああ、この人達は生粋のアウトローミュージシャンだなあ。」と思いました。
まだ少し迷っていた僕の方が説得されるような形で頼もしかった。
次の日、レテパシーズのスタッフのソノダさんにも相談しました。
彼も目をキラキラさせて大賛成。
「僕がお客さんだったら、その方が絶対にしっくりきますね。」
そんな事を言って嬉しそうにしてました。
ヤックンとハジメちゃんにも電話して相談しました。
みんな賛成で満場一致でした。
というわけで、僕のレテパシーズは10枚のアルバム、そして自分達のライブを信じてSNSをやめる事にします。
レテパシーズのホームページはこれまで通りに続けます。
きっと灯台みたいな感じになるのかな。
ジタバタ動かずに、ただ光って待ってる事にします。
雨の日も風の日も。最初の日も最後の日も。
いつでもどーぞ。待ってるよ。
決して何かを諦めた訳ではありません。
こっちの道の方が気性に合っていてワクワクするから決めたのです。
そしてレテパシーズを好きな人達は同じような気性だと信じたのです。
やはり10枚全てを大好きになれたのが大きかったみたい。
この10枚が24時間全世界でいつでも聞ける状態にあるんだもん。
大丈夫な気がします。
蛇足や言い訳はもういらないよ。
「僕を殺せるのは僕だけさ」
「愛してるよ」
「永遠に、たまに」
「ブルースマン」
「レテパシー」
「アコースティック」
「クレイなジー」
「エンデンジャードスピーシーズ」
「RADIO LETEPA」
「夏のアルバム」
これが我々の全てです。
信じて聞いてみてね。
レテパシーがたくさんの人に届きますように。
2025年2月3日
僕のレテパシーズ代表
古宮大志