昨日はタカユキカトーのスタジオファーストソングスに行ったと書きましたが、行った本来の目的はこのホームページのURLを変えてもらう事でした。
ホームページ作った時はレテパの海外進出の事なんて考えていなかったので、テキトーに「retepa.com」で良いんじゃない?という感じでしたが、その後、海外進出を視野に入れ出したレテパの英語表記は「LETEPATHYS」という事に正式に決まりまして、だったら「retepa」じゃダメじゃんという訳で、、、
昨夜から
letepathys.com
に変わりました。
が、タカユキ君が色々やってくれましたので、皆さんには多分何も関係無さそうですが。一応。
これを気に、レテパのレは「R」じゃなくて「L」。
英語表記はTHEとかMYとかも何もなく「LETEPATHYS」と覚えて下さいね。
最近は歌がやたらと出来ると書きましたが、なんか海外でも意識してるのか、自分でもコードが分からない歌なんかも出来まして(歌が出来る時は楽器は基本使わないタイプです)昨日はできたてホヤホヤでちょうどタカユキ君に会ったので、歌って聞かせて「コードつけてよ。階段を降りるような細かくドゥンドゥンドゥンという感じで。」と伝えたら、流石だなあ、瞬殺でイメージ通りのコードをつけてくれた。
押さえ方を丁寧に教えてくれるんだが、俺にはちょっと難しいコードだったから諦めて、弾いてもらったのを録音して帰りました。
それに合わせて今日は一日中歌ってました。
何か色々企んでます。
未来は僕達の手の中!!!!!!!
という感じの最近なんです。
PS.これは何をしてるところでしょうか?
(7/28の記事を読んでいる読者の皆さんに謝らなければ、、今日は疲れたのでまた今度謝ります)
「東京の空で」ご覧になりましたか?
気に入ってもらえたら嬉しいです。
昔は「自分に関わるものは全て自分で作らないと気が済まない」という感じでしたが、今はこうやって長谷川大君が作ってくれた完成品を、他の人と同じ様にフラットに見れるのがとても嬉しく、ごちゃごちゃ考えずにただ感動できますので、こういうのもいいな、と思えるようになりました。
長谷川大は、レテパがもっとたくさんの人に聞かれてほしいな、と強く思ってくれている人です。
今までのレテパのPVとは違う雰囲気の曲、映像、にしてみよう、と思ってくれた気がします。
はまいばさんが作ってくれた「札幌ナンバーの最後」とか、はなえもんが監督した「ロックンロール」「海へ行こうよ」のPVとかとは全然雰囲気が違います。
なので2015年〜2016年あたりとは違うな、と思う人も多いと思います。
それよりもっと前の「歌」が全ての中心にあった頃、を伝えたいな、と思って作ってくれた気がします。
まあ、それがなぜか「引っ越し映像」になるところが、大ちゃんの大ちゃんたるゆえんなのです。(愛すべき超ひねくれ者)
素敵な作品なので、まだ見てない人は見てみてね。
映像もそうだが、演奏の方も、どんどんどんどん「歌」が真ん中になってきてる気がします。
自信満々です。がんばるぞ。色々お楽しみに。
PS.昨日は「歌」じゃないものを録音してみた。さてなんでしょう?
良い感じか悪い感じのどっちかだな、と思ってたが良い感じの方だった。
お楽しみに。まだ準備中。
PS.今日はタカユキカトーのスタジオファーストソングスへ。
カブだと20分くらいです。街は師走全開だね。
こちらも何をしてたかはまた今度。
ほんとは早く言いたいけどまた今度。
PS.今、人生で一番活発です。
映像の舞台は高円寺。
長年空き家になっていたユキコの祖父母の家を、2ヶ月かけて片付け引っ越した時の記録です。
今年の春、長谷川大に5thアルバム「レテパシー」のデモを聞かせ「この中からPV作ってよ。」と言うと「東京の空で、でお願いします。古宮さんの引っ越しの様子を撮りたいです。」との事でこうなりました。
沢山の荷物を捨てました。でも全部ちゃんと見て、色々感じながら捨てました。
このPVを見ると、悲しくて温かい気持ちになります。
悲しくて温かいのは家族のニオイです。
これを見たみんながどう思うか分からないけど、家族のニオイのする映像に僕のレテパシーズの歌(内容に直接は関係の無い歌)が流れて、もし違和感なく溶け込めているのならば、愛を奏でる素敵なバンドにちょっとは近づけているのかな?と思います。
どうでしょう?全てを包み込めるようなバンドになれてるかな?
良かったら確認してみてね。
昨日はスタジオでした。
噂のエピフォンベースは壊れてなかったので、昨日スタジオデビュー。
最初はちょっと難航したけど、最後は良い音になったね。よかったよかった。
タカノ君のギターは6thアルバムレコーディングでも活躍した、改造スクワイヤーストラト。
俺はよく分からんが、84年生のSQシリアルとの事。
彼と同じ年で同じ岩手出身のギターなんだそうです。
ピックアップをスキーウェアみたいな色のやつに変えたら、とても良い音になったそう。
(ちなみに、エピフォンは「ギブソン傘下になる前の70年代のマツモク社製」らしい)
レテパは今、5個で1つの音として感じれるように個人個人の意識改革をがんばろー、がテーマです。
地獄の特訓中ですので2/20までには達成出来ているはずです。(空けといてね)
昨日も書きましたが、明日はPV「東京の空で」を公開します。
で↓はその歌の、昨日のスタジオでの過酷な特訓の様子です。
この歌のPVを明日公開します
僕のレテパシーズ「東京の空で」
これは昨日のスタジオの様子です
話題のかわいいエピフォンベースがデビューしました
ちょっと難航したが結局良い音出た
ギターはスクワイヤー、スキーウェアみたいな色のピックアップを付けて改造したら、素敵な音になった pic.twitter.com/4u4QiYKJak— 僕のレテパシーズ (@letepathys) December 9, 2020
PS.昨日のクイズの答え
昨日でなんと、1ヶ月連続でニュースを書きました。
11/8の「全部終わりました」という文章から毎日書きました。
最初は毎日かけるかなあ?と思ったが、やってみたらとても楽しくて、すぐに1ヶ月経っちゃった。
そして、文章を書く事でリハビリになったみたいで、作曲脳が長い眠りから目を覚まし、たくさん歌も出来た。
まさに棚からぼた餅だ。ラッキー。
PS.今「全部終わりました」読み返してみた。
1ヶ月前なのに、全然考えが違う。書いてた時は1st〜6thの60曲の事しか頭になかった。
やっぱ歌が出来ると違うね。今を生きてる感じ。いい感じ。
急いでるつもりは無いんだけど、周りからはよく、変化が早すぎる、と言われますので、頑張ってついて来て下さい。
(多分小学生の時のバイブルだった「お~い!竜馬」の坂本龍馬の影響だ。竜馬も勤王だ開国だ勝を切るの切らないの、と考えがコロコロ変わり怒られてた。千葉道場の娘に。)
まあ、竜馬と一緒で中心部分は不動なので、許して。
昨日書きましたが、12/10に「東京の空で」という歌のPVを公開します。
長谷川大が作ってくれました。
いつもは自己主張の強いメンバー達が、あーだこーだと大ちゃんの邪魔をしていた気がしますが、今回は100%大ちゃんの思うがままに作ってくれています。
この歌は2011年の東北の地震の頃に出来た歌です。
ニュースが震災の事ばかりだった頃、テレビを見ながら出来た歌だった気がします。
いつも通り歌詞を先に載せますので、先に読むのが好きな方はどーぞ。
(英語歌詞「In Tokyo Sky」も歌詞のページに載せました、外人さんはそちらをどーぞ)
東京の空で
久しぶりの雨のおかげで 東京の空も
僕が見続けた空みたいに 遠くまで見える
君の住む夜の校庭も ハッキリと見えた
すぐに君は横にやって来て 僕の手をつなぐ
いつだって その手を離すのは僕の方からで
そのたびに ちゃんと君は悲しくなってた
今 僕が毎日少しずつ悲しくなるのは
あんな時に君みたいに ちゃんと過ごさなかったからさ
雨上がりの透明な街 東京の空は
僕の知ってる空みたいに 何もかも見える
君の住む夏の市営バスも 思い出すというより見えた
すぐに君は僕のとなりの席で 夏の町を見てる
いつだって その目をそらすのは僕の方からで
そのたびに ちゃんと君は涙を流してた
今 僕が毎日少しずつ泣きたくなるのは
あんな時に君みたいに ちゃんと過ごさなかったからさ
いつだって 話をやめるのは僕の方からで
そのたびに ちゃんと君は苦しくなってた
今 僕が毎日少しずつ苦しくなるのは
あんな時に君みたいに ちゃんと過ごさなかったからさ
今 僕が毎日少しずつ悲しくなるのは
あんな時に君みたいに ちゃんと過ごさなかったからさ
PS.最近レテパを知った人の為に補足。
2011年?ずいぶん昔だなあ、と思ったあなた。
そうなんです。
レテパは、2000年〜作詞作曲しだした古宮大志の今までに作った歌をバンド編成で録音演奏する、という主旨のバンドなので、10年前、20年前に出来た歌も、バンドで発表する際には「新曲」という言い方をしますので、発表と作曲に大きなズレが出来てしまっています。
これには沢山の理由があって、長くなるので今回は書きませんが、完全に俺のせいでそうなっています。
2020年の今出来た歌を今聞きたい、という方も多いでしょう。そりゃ、その方が健全ですよ。ですが俺は健全じゃなかったんです、ここ数年。
が、今は健全なので、ちょっと考えてみるね。
そりゃあ俺だって新しい歌はすぐに聞いてもらいたいよ。
PS.クイズ「今日は何の日でしょうか?」
正解は明日。
ヒント「褒めてもらいたいなあ。」
僕のレテパシーズは仲の良いバンドです。
たまにこういうのも載せないと、過去のメンバーチェンジが多すぎるから、なんか殺伐としたバンドだと思われそうなので、、。
タカユキ君も来てくれて、5th6thアルバム録音メンバー+新ベースヤックンで完成打ち上げです。
場所はうち。
何年もネズミの住処になっていた掘りごたつも復活して、家全体が嬉しそうです。
そういえば、5thアルバム「レテパシー」から先行シングルばかりで、PVは無いんですか?と聞かれましたが、ありますよ。
長谷川大がこの家への引っ越しをテーマに、PVを作ってくれました。
「東京の空で」という歌です。
歌は引っ越しの事を歌った歌ではないんだけど、俺なりのブルースですので、ブルースという点でこの映像、引っ越し、と共通してるから、見たら感動してもらえるんじゃないかなあ?と思っています。
本能が12/10〜公開にしなよ、と言ってるので、12/10に公開します。
昨日も書きましたが、これからは本能が全部決めることになっています。
今年の夏「才能がなかったんだろ」という歌が出来まして、すぐに録音、配信しましたね。
その歌の歌詞に「古宮さんは口が達者だから冷静に客観的に数字だけを見てみましょうよ スポティファイ ユーチューブ アップルミュージック」という一節がありました。
昨日一昨日はヤハタトシキ加入の事を、その前の日は文字通りヤケクソのクイズを、その前の日はシングル「音楽」配信の件を、書きました。
まあ、昔と変わらず一喜一憂激しいタイプみたいですが、今はやはり6枚完成の心の落ち着きが強いので「音楽」や「長野県のお月様」の再生数が少ないからと言って、大騒ぎせずに、この歌詞のように冷静に客観的に見てみる事にしました。
サブスク各社やこの「ニュース」の閲覧人数なんかも、改めて見て、分析してみたところ、、。
この文章を毎日楽しみにしてくれたり、シングルが配信されると聞いてくれるような熱心なレテパヘッズの人達は、全国で50人〜70人という感じでした。
そこで過去も冷静に分析してみた。
以下冷静な分析の模様
「音楽」を始めたのはいつですか?
あと、その後の活動の中でのターニングポイントがあれば教えて下さい。
と問われたら、、
①高2の時に聞いた阿部薫のサックスの音がキレイすぎて、アルトサックスを買いました。
学校にも行かなくなり、ひたすらにアルトサックスを吹きまくりました。アルトを第一言語にするために。
②1年後、修学旅行中の東京〜札幌の飛行機の中で初めて友部正人の「反復」を聞きまして、サックスはやめて歌を歌う事に決めました。上空10000メートルでの出来事でした。
地に足がついていない上空で決意した歌手生活でしたので、こんなにも安定しない20年の音楽活動になってしまったのかも知れません。
③ずっと古い音楽や死んだ人の歌ばかりを聞いてきましたが、20才の時に偶然試聴したROSSOの「シャロン」に感動して、バンドを組みたくなりました。
出来る歌も「札幌ナンバーの最後」「空知」「ミツバチ」「SFマンボ」等、自分としてはバンドモードで大きな変化が起きた気がしました。
ここから2年間くらい、その時代に(2002年頃)作られ、生きている、現在進行系の音楽を色々聞くようになりました。
若い同世代の友人なんかもたくさん出来るようになり(アディーに会ったのもこの頃)明るい生活になりました。
④会った事のない人(知り合いの彼氏さん)からいきなり自作曲40曲入りのCDが届きまして、恐る恐る聞いてみると、天才の音楽でした。
後にも先にも俺が手放しに天才、と言えるのは、有名無名含め彼くらいです。
その彼(名前は本人の希望で出せない、今は音信不通)と2年間くらい、新曲音源による文通を行い、その時期は俺にとって生涯で一番多作な時期になりました。
2007年〜2008年頃だな。
海へ行こうよ、夜明け前、プレスカブ〜、アズミ、君しかいない、ユーレイ、MOON PALACE、その他沢山。
⑤紆余曲折あり「僕のレテパシーズ」結成。
ライブハウスやインディーズバンドマンの人達と多く付き合うようになり(面白い人はほとんどいなかった。が、たまにいた。まあたまでもいたんだからラッキーなんだろう。)一喜千憂の日々。
⑥「17」という歌が出来たあたりから、バンドで歌う事が苦じゃなくなってきて(多分生粋のソリストだから、レテパに馴染むのに5年かかった)やっとレテパシーズになれた気がした。ありがとう「17」。
⑦2017年〜のアルコール依存症問題
⑧そして今、5th6thアルバムの録音が終わり、全然全然違う感じ。本当に新しい感じ。軽やか。
思い出や経験等は一切関係なく、ただ「才能」のみで軽やかにやっている感じ。(「才能」って自分がすごいとかそういう意味じゃないよ。分かるでしょ?)
長くなりましたが、何が言いたいかと言うと、、
①から②になった時、すごく変化した気分だった。
一人(やりたいのはソロでした)でパララパララとサックスを吹き狂ってるのと違い「歌」なら、ライブハウスに行けばいいんだし、行けばすぐに認められて「春一番」とかに呼ばれてフォークの重鎮達からチヤホヤされるんだと思っていた。
が、全然ダメだった。
②から③もすごい変化だった。
なんせ、現代の現在進行系のものには、過去のものには無い、生きている人のエネルギーが感じられた。
ちゃんとその時代に自分も生きている気がした。
バンドも組んだし、これでもう大丈夫、嫌なアルバイトの日々からも抜け出せる。と思ったが、全然ダメだった。
④と⑦はちょっと別次元ですが、他は毎回「これでもう大丈夫。歌だけ歌って生きていけるぞ。」と楽観視しては全然ダメ、の繰り返しでした。
毎回、自分としては分かりやすく言うと「ポップ」の階段を上っているつもりでいた。
もっと簡単に言うと毎回「売れる」方向に変化してるつもりだった。
売るために、自発的に自分を変えることは全く出来ないので、毎回数年かけて「自然の変化」を待っているような感じだった。
(「生命の進化」と同じタイプの「待ち」だね)
が、もしかしてレテパは「ポップ」じゃないのか?
俺はスタートが阿部薫のラッパの音でしたので、あれから考えると極上の聞きやすいポップなのですが、そもそもその認識が違ったのかな。
と、最近「プロ」の人達と話したり、サブスクで色々聞いたり、そしてこの結果を冷静に見たりすると、分かってきた気がしました。
レテパはそんなに多くの人がたくさん聞く音楽じゃないんだ。
そう思って、数字と過去を冷静に分析してみたら楽になった。
今の状態は異常じゃないんだ、正常なんだ。と思ったら、なんだかとても楽になりました。
勝手に異常事態だと思って騒いでた。
今、せっかく①〜⑧の中で初めて楽しいんだし、やりたい事を好きにやってみよう。
考えることはもう一生×3回分くらい考えた気がするから、ここからは本能に任せます。
今後の活動への文句は本能に言って下さい。
(本能は新しい歌を作りたがってたみたいで、今日も一曲作ってました。多作な本能。)
PS.①〜⑧の音楽遍歴はザックリですが、今度またちょっとずつ書いてみますね。
こんなのを聞いていました、読んでいました、とか。
PS.「音楽」を初めたのはいつですか?だと、高2のアルトサックススタートになりますが「悪魔に魂を売ったのはいつですか?」という質問なら「高1のハイロウズのロブスターツアーです。」と答えますので、ご安心?を。
PS.ツイッターの「音楽」の映像でヤハタ君が「バームクーヘン」Tシャツを着てますね。
実家に「ロブスター」Tシャツあるはずだから、今度彼にあげよう。
PS.レテパヘッズ50人〜70人のあなた!センス合うね。嬉しい。
昨日は新ベースのヤハタ君について書きました。
で、先程彼からこんなメールが来た。
以下ヤハタ君
レテパ加入を友達が喜んでくれてひさしぶりに遊んだら(レテパはサブスクで偶然見つけて超気に入ったらしい)そのロックンロール好きの彼からシブいベースを託されました。
片方のピックアップ音出なくてコヤーマ佐藤さんに見てもらってます。
ピックアップそのものが壊れてたらコヤーマではできないので時間かかるかもですが。
たぶんリッケンベースみたいな太い感じの音です。
レテパに合うかわからないけど今度スタジオで試してみようかなと!
との事でした。
嬉しいね。いいぞ。サイコーだね。
先日ツイッターに載せました、ぐるぐる回る「音楽」のスタジオ動画。
ご覧になりましたか?
あれの2番目に映っていたベーシストが、新メンバーのヤハタトシキ君です。
前ベースのタカユキカトーが加入したのは2019年の春頃。
その時はタカユキ君に「あと2枚、5thと6thアルバムが完成しないと死んでも死にきれん。手伝って欲しい。録音エンジニアとベースも弾いてくれ。」と、タカユキはギターリストなのに、レテパベーシストが不在だったから無理言って加入して貰ったのでした。
で、無事5th6thの録音が完了。
約束を果たし、タカユキカトーはお役御免のありがとうとなりました。
前も書いたが、ここで解散するんだろうなあ、と思っていました。
が、いざ全部終わってみると、笑っちゃうほど全然解散する気は起こらず、憑き物が落ちたみたいに新曲はじゃんじゃん出来るし(天才かもしれない、なんか新しいぞ)ライブもしたいし、で、新ベーシストを探そう、ということに。
俺は「ヤハタ君っていう、レテパ好きでベース弾けるやつが近所にいるんだけど、一回スタジオ入ってみてもいいかな?試験試験。」とタカノ、ユキコ、ハジメに伝えまして、みんな「どんなもんだか、試してみよー!」と厳しいスタジオ審査が行われました。
で、ハーバード大学の入学試験よりも狭き門と言われている、レテパベーシストの座を彼はみごとに勝ち取りました。
おめでとう。
彼は札幌出身ですが、俺が札幌に住んでいた頃(22才までかな?)はまだ小学生とかでしたので、知り合いではありませんでした。
2012年に発売した「LIVE AT MOTION」というライブ盤を偶然タワレコで見つけ、聞いてみたら大好きになってくれたそうです。
その後、彼は自分のバンド(いつもはシンガーソングライター)の札幌での企画にレテパを呼んでくれたりして、知り合いになりました。
(あの頃の俺は、レテパで歌うのがまだ苦手で、全然良いライブは出来ませんでしたが、、。)
なかなかおちゃめな男です。
「男はつらいよ」の2代目満男に雰囲気がよく似ています。
歴代のレテパメンバーの中でも1、2位を争うくらいにレテパの歌に思い入れ、思い出、を持ってくれていて、全曲歌えます。
それはやはり大きな事なんだな、と、この前もスタジオで歌いながら思いました。
期待していいよ。
2/20は空けとくように。
PS.先程、彼から貰った。
2015年の12月、札幌東区161倉庫(俺の母校)ですって。
「音楽」が全然聞かれず(聞いて気に入ってくれたあなた。本当にありがとう。嬉しいです。)ちょっとスネてますので(ちょっとだけね)真面目な文章を書く気がしないので、今日はふざけています。
真面目な文章が好きな人は、明日からはまた真面目ですので、今日は読まずに飛ばしてね。
先日こんな文章を書きました。
一昨日はスタジオでした。
6時間練習(2/20空けとくように)して、その全間奏で最近ブームの「パルプ・フィクションのビンセントのツイスト」を踊っていたら、家に帰ると、左上部の脇腹から背中にかけて激痛が。
ギックリ背中というそうです。(たまになる。普段の20%くらいの動きしか出来ない。80%は激痛。)
ウンコして右手でお尻が拭けなかったので、あ、やばいな、と思いましたが左手だと拭けたので、良かったです。
2018年飲酒末期の頃は、外食中やスキー中にウンコ(もうただの液体だが)漏らしても、家族も俺も気にせず食事やスキーを続けるような状態だったので、お尻を拭けないことに「やばいな」と思える健全な思考が嬉しい38才のバースデーです。
以上が先日からの引用ですが「そういえばスキー行った時の写真ってあるの?」と家族に聞いたら見せてくれました。
あの頃の写真(飲酒末期)はもちろん見たくは無いのですが、自戒を込め忘れないために定期的に見たり、その手の本もかかさずに読むようにしています。
一生の不治の病だと自覚することが大切なんです。
で、写真見ていたら思いついたので、今日はクイズです。
題してクイズ「漏れてる?漏れてない?」
以下の1〜4の写真を見て、漏れてるか漏れてないか当てて下さい。
場所:忘れた
時期:2018年冬
さあ、どの写真が漏れてるでしょう?
答え合わせがてら解説です。
①答「漏れてない」
「アルコール依存は家族の病気でもある」まあ言葉だけ聞くと「は?」という人も多いと思いますが、うちも他の例に漏れず、家族が精神的に参り、医者に通うように。
で、医者から「底付き、と言って、本人が「限界だ、病気だ、自分は異常だ」と自発的に治療を始めないと何の意味もないので、本人から言ってくるまでは好きに飲ませて、何があろうと放置するように。あなたはあなたで好きな事をやりなさい。自分のペースを崩さないように。」と言われ、彼女本来の明るさを取り戻した。
で、自分のペースだと冬はスキーなので、気にせずスキーへ。
②答「漏れてない」
家族も改めて感心していたがアルコール依存だと、酔ってるのが正常、シラフが異常、と脳が反対に判断してしまうので、全くふらつかず一度も転ばなかった。
スイスイと滑る俺を見て、改めて「病気なんだなあ、ちょっとはコケて骨折でもしろよ」と思ったという。
バイト中でも、葬式の最中でも、万が一アルコールが切れると離脱症状に襲われるので、常に酒を隠し持っていた。
丁度良くスキーウェアには10個以上のポケットが有り、便利便利、と言いながら、全ポケットに焼酎を忍ばせていた。
パンパンになったスキーウェアを見て「なんか、自爆テロに行くみたいだなあ」と家族と笑い合ったのだけは、何となく覚えている。
③答「漏れてる」
顔見りゃ分かるか。
頂上まで行き、多分リフトの途中で漏れているが、家族は全く気にしない。
「雪で拭く?そのまま行く?どっちでもいいから早く滑ろうよー!」と変わらない笑顔だ。
お医者さんナイスアドバイスありがとう。
おかげさまで、この頃は周囲が思うほどには悲惨では無かった。何が起きてもコメディー映画。
④答「漏れてる」
漏れたままスキーウェアから着替えロッジで食事。
俺はこの頃は基本食事はしなかった。飲むだけ。
体重は今より20キロ少なかった。
目の前でウンコ漏らしてるやつがいるのに、カレーを頼む家族。
ね、コメディーでしょ?
以上クイズ「漏れてる?漏れてない?」でした。
まあ、こうやって書いてみると全然真面目な文章かもしれませんね。
ちょっとスネてると書きましたが、スネてるだけで、元気なので御心配なく。
6枚が終わり、本当に自分でも驚くほど軽やかで明るいのです。
前だったら家出してるよ、一生の。
では、また明日。