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「ひろしデモ」本日配信されました。
皆さん聞いてみましたか?
どうなんだろ?俺は気に入っています。

去年、4枚のアルバムやシングルを出した時も毎回そうなったからもう決定ですが、俺は38才にもなってまだ「自分はさすがにもうちょっと評価されていい人間だ」と思っているらしく、その期待とプレッシャーで、こんなに無名なのに勝手にストレスを感じて、リリース日には、耳閉感、頭痛、目が開かない、吐き気、等々の症状に襲われます。
ので、今日はこのくらいにしときます。
もし、俺より若い方がこれを読んでたら、38でもまだまだこんなに夢見がちですから(本当はドリーマーじゃなく、生粋のリアリストだと密かに思っていますが)どんなに無名でも皆さんも自信を持って、作品発表の日にはドキドキプレッシャーを感じてのたうち回るほど苦しんで下さいね。

どんなに笑われたって、毎回苦しんでやる。

目が開かん。
すみません、ではまた明日。

PS.気に入ってくれたあなた。
気が合うね。嬉しい!

「ひろしデモ」いよいよ明日配信販売スタートです。
ひと足お先に「歌詞」のページに全10曲掲載しました。
今夜日付が変わる頃には、多分聞けると思います。
良かったら聞きながら読んでみてね。

作詞作曲年数がバラバラの今までのアルバムと違い、今回は全部同じで「2020年作詞作曲」でした。
それがなんだか嬉しかったです。

では、2020年に古宮大志はどんな歌を作ったのか。
よかったら覗いて見て下さいね。

「ひろしデモ」の10曲目「天国から来た男」について説明します。
※現在「ひろしデモ」は廃盤。その後発表した7thアルバム「クレイなジー」の10曲目に収録しました。(後日追記)

昨年、友人の山下由さんが亡くなりました。
山下さんは歌手で、生前は何年かに一度のペースで共演していました。
いつか共演した際に、山下さんはこの「天国から来た男」を歌いました。
ライブ後、この歌が好きだと伝えると、ライブで使っていた歌詞の紙をくれました。
忌野清志郎の事を歌った歌だと言っていました。
キヨシローが亡くなった頃のライブだったのかもしれません。
その歌詞はずっと部屋に貼っていました。
何年後かに共演した際に、酔っ払った山下さんはうちに泊まりまして、壁に貼られた「天国から来た男」を見て照れていたのを覚えています。

この歌は一度しか聞いた事が無く、メロディーは全然覚えていませんでした。
ので、歌というよりは詩としてずっと身近にありました。
山下さんと最後に会ったのは2017年11月7日の吉祥寺マンダラ2での共演だったと思います。
俺はその頃からまた連続飲酒状態でしたので、その時の記憶はほとんど無く、どんどん生活も荒んでいきましたが、壁にはずっとこの歌詞が貼られていました。

今年4月に引っ越し、新しい部屋になりましたが、真っ先に「天国から来た男」を机の横に貼りました。
荷解きが落ち着き、遊びに来た友人と部屋でシングルマンを聞きながら「天国から来た男」の歌詞を眺めていたら、山下さんが亡くなったというメールが来ました。
後日、俺のソロの配信ライブがあったのですが「天国から来た男」の詩を朗読しようと考えました。
しかし、部屋で読んでいるうちにメロディーが付いてしまったので、その勝手につけたメロディーで歌ってしまいました。

元々のメロディーがある歌ですから、その日限りと思っていたのですが、今回新曲を集めた「ひろしデモ」を作るにあたり、どうしても収録したくなってしまいました。
どうしたらよいか分からないので、山下さんと親交の深いミュージシャン(一応名前はふせます。まあ分かる人は分かるでしょうが)の方に相談しました。
収録してよいものでしょうか?やめた方がいいと思うなら言って下さい。やめますので。と連絡すると、以下のメールを頂きました。

以下抜粋ですが

ご相談メール。ありがとう。
録音は詞の明記だけしてあれば、もちろん問題はないです。

山下くんのことは突然のことで、まだ実感がないんです。
でも、いろんな形で、山下くんの作品が出てゆくのは、良いと思います。

「天国から来た男」一回くらいしか歌っていないかも。
詞・山下由 だけ明記していただければ、問題ないと思います。
本人に確認しても、そう言うでしょう。

今も、新曲がどんどん出来ているんですね。
僕も山下くんも、たくさん作ってきたので、わかります。いずれ宝となるでしょう。

(以上抜粋)

そう言ってもらえてとても嬉しかった。

というわけで10曲目に収録させて頂きました。

以上収録に至った経緯でした。

2021年1月14日(木)

ひろしデモ/僕のレテパシーズ

1.クレイなジー(Demo)
2.青春(Demo)
3.としまえんど(Demo)
4.コロナの頃なら(Demo)
5.パンクな名古屋娘(Demo)
6.あのこは人間を描くのが苦手(Demo)
7.So.Ka.Be(Demo)
8.エレキギター(Demo)
9.才能がなかったんだろ(Demo)
10.天国から来た男(Demo)

※「天国から来た男」は山下由さんの作詞です。
経緯については明日ちゃんと書きますね。

※新曲をデモテープにしてメンバーに渡したところ好評だったので配信することにしました。

※5thアルバム「レテパシー」は1/28に発売します。
そのレコ発ワンマンは2/20です。予約受付中です。
状況により中止もあるかもしれませんが、もうちょっと近くなってから考えますね。
臨機応変にやりますので、どうぞよろしくお願いします。

PS.マスタリングの様子。
後ろ姿はタカユキカトーです。
映像では8曲ですが、結局このあと「青春」が出来て、「天国から来た男」も収録したくなってしまったので、計10曲になりました。

 

ラジオレテパシー第3回本日22時〜配信です。
毎回収録後にはスタッフの方やラジオマニアの人からの提言なんかもあり、みんな色々試行錯誤してくれて(俺は喋るだけですが)聞いてみると確かに今回で形が完成された気がします。
いい感じですよ。聞いてみてね。
また、ポッドキャスト用なのかな?紹介文を書いてと言われましたので、今回はこんな感じです↓

迷走する局長。しまいには虚偽の発言まで飛び出した。が、この不器用さこそが局長だ、と懸命にフォローするひろし。これこそがラジオ。本当のエンターテイメントだ。そして助け合う男達。真の友情がここにある。内容としては第3回にして最高傑作。無音と有音、ソロとバンドの違いを語るひろしの音楽論は秀逸。果たして「アンダーグラウンドの王様になる」の真意とは?名物CMコーナーは「札幌ナンバーの最後」にのせて。「口は災いの元の典型的な例がここにあったってわけさ」マスター渋い!もう一杯!

PS.ラジオ冒頭で宣言した約束はちゃんとどこかで果たされています。良かったら最後まで聞いてみてね。

PS.「マスター」の事故の話は本当です。皆さんも厄年には気をつけましょう。

「ひろしデモ」を配信会社に入稿したところ、またいちゃもんつけられました。
以下いちゃもんに対する俺の誠意ある回答です。

お世話になります。
ご指摘頂きました「アルバムタイトル」なのですが
「ひろしデモ」
というタイトルなのですが、これは「ひろし」というアルバムが存在していて、そのデモVerという訳ではなくて、たんにタイトルの一部としての「デモ」という言葉になります。
分かりやすく書くと「ひろし(人名)でも出来るんだ」みたいな意味での「でも」になります。
なので、このまま変更なしにさせて頂けましたらと思います。
ややこしくすみません、ご確認お願い致します。

古宮大志

デモなら「ひろしデモ」ではなく「ひろし」(Demo Version)にしろと言うのです。
前にも「ジャケに曲名以外の文字が入ってて誤解を招くから変更しろ」とか言われたし、友人なんかはタイトル文字無しの絵だけのジャケを入稿したところ「タイトルが無いと入稿できません」と言われて困って俺に相談してきたので「商人をつけあがらせるな。作品と商品は違うんだボケ、と言ってやれ」と助言してあげました。
友人はもっと柔らかい言い方で戦い、無事変更せずに入稿出来たとの事でしたが、本当に商人が調子にのっています。
皆さんも戦うべき時はちゃんと戦いましょうね。

PS.といいつつ、結果オーライ気質なので、今回のケースはややこしくなりそうな予感がしたから嘘(ひろしでも出来るんだ)で乗り切りましたが。
もちろんデモテープのデモです。
もしレテパに7thアルバムがあるのなら、7thアルバムになるであろう歌達です。
というわけで「ひろしデモ」は1/14配信スタートだよ。

昨日はマドベについて書きました。
正月に今年の目標を「アンダーグラウンドの王様になる」と書きましたが(真意はラジオ第3回にて)マドベみたいなバンドがyoasobiのポジションにいてくれたら、ほんとアンダーグラウンドの世界が確立すると思うんですけどね。(意味分からん人は明後日のラジオ第3回にて)

今日はツナオジェットボーイについて。(ラジオ第2回で「ヘタクソなうた」をかけさせて頂きました)

ツナオさんとの出会いは、新宿JAMでした。
2005年とかかなあ?店長がまだ石塚さんじゃない頃です。
俺は札幌から上京したてで、友達もいなく、仲良くなれそうなカッコいい人を探していました。(最初に見つけたのが先日書いた平井さん)
JAMで元嫁がバイト始めたので、遊びに行ったのかなあ?なぜかJAMに行きまして、偶然彼のライブを見たというわけでした。

客席はガラガラ(演者以外は5人以下レベル)で、ビール片手のメガネのお兄さんがチープな鍵盤(X-5D!昨年の夏うちにあるのを発見して「才能がなかったんだろ」で弾いた。その経緯はこちら)を抱えて出てきた。
1曲目は「ぼくのじんせい」だったと思う。
♪からまったー、と始まった瞬間に、ハイロウズを初めて見た時と全く同じ衝撃を受けました。(メイン☆ロブスター98、サッポロファクトリーホール)
同じだった理由はただひとつで、どちらも「ロックンロール」という事なのでしょう。
弾けるようになったばかりのピアノは辿々しくて、天使が地上に舞い降りる時の音はこんな感じなんだろうな、と思いながら俺は一人踊っていました。
自分で言うのもなんですが、あの時のガラガラのフロアーでのダンスは、長かったJAMの歴史の中でも誰にも負けないナンバーワンのダンスだったと思います。
ライブが終わり、緊張しながら物販に行くと完成したばかりの2ndアルバム「未完成」がCDとカセットテープ(そーなんだよな。ツナオさんは時代を先取りし過ぎるんだ)の2種類売っていて、俺はとにかく好きだという事を伝えたくて、両方買ったのを覚えています。
ツナオさんは素直な男だから「えー、どっちか一つで良いんじゃないのー?」とあの特徴的な喋り方で言ってくれましたが。

JAMで思い出しましたが、ハイロウズ、ツナオジェットボーイ、と同じ類の衝撃を受けた人が1人だけいました。
俺がメンバーだったコークスが燃えている!というバンドで対バンした白井幹夫さん。これもJAMでの事でした。
白井さんも鍵盤弾き語りで、マーシャルにつないでいました。(記憶違いかなあ?マーシャル2台につないでいた気がする)
曲名は分かりませんが「サーカス」という単語がタイトルに入っている歌から始まったと思います。
1音目の美しい爆音を聞いた瞬間、やはりハイロウズ、ツナオジェットボーイ、の時と同じ気持ちになりました。
この「ロックンロール」の感じは以上の3組からしか感じたことはありません。
「泣かないで恋人よ」も歌ってたな。すげえよかったな。

PS.ツナオさんを初めて見た日は珍しくもう一組素敵なバンドが出てた。
ピッピロッターズ。
ボーカルの大出布由とは稲田堤が実家だという事もあり仲良しになった。
(彼女の父は内科医だったから、インフルエンザワクチンは毎年彼女の父に打ってもらってた)
が、一度彼女は調子が悪くなり、その時の彼女の事を歌ったのが「海へ行こうよ」です。

ラジオレテパシー2回放送しましたが、1回目はマドベの「リズム」2回目はツナオジェットボーイの「ヘタクソなうた」を流させて頂きました。
どちらも俺のチョイスでした。(今後は局長、スタッフも選曲すると思いますので、一緒に未知の世界へ旅立ちましょうね)

今日はマドベについて。

去年レテパのサブスク解禁にあたり、やるからには徹底的に聞いてみよう!と得意の生真面目さが爆発しまして、ついに現代音楽の世界に誘われたわけですが、すぐにさまよって落ち込んでしまいました。(素敵な歌が見つからず。あと嘘つきが多い気がした)
で、偶然見つけたのがマドベでした。(全然知り合いだったんですけどね。なんせ酒の海での海水浴時代に出会ってますので記憶が、、)
見つけてからはその4曲入りのEPをずっとエンドレスで聞いていました。
最後の曲の「えりあし」の「趣味も生きがいもない僕は歌うだけ」(文字使い違ったらごめんなさい)という箇所に差し掛かると、毎回涙ぐみながら部屋で一緒に歌っていました。
もし俺が「バンドマン育成専門学校」の先生だったら、音源制作の授業で学生に「これがバンドというものだよ。理想形。サイコーの音源。これを目指しなさい。」と教え込むことでしょう。
ライブは見たことありませんが、以前ボーカルのサニーサニーさんが「対バンした時にリハで泣きながら歌うひろしさんを見たら感動したよ」と言ってくれました。
海水浴中の事なのでうろ覚えですが、2018年の秋田ハイコーフェスの前日リハでの事だと思います。
長時間移動して会場に着いてすぐにリハで、俺は海水浴時代ですので、会場にいる顔馴染みのスタッフの顔を見ていたら、感極ってリハを本番と本気で思い込んでしまい、絶唱して号泣していたそうです。
マドベ、いつか共演したいなあ。(まあ、してるんですけどね、、)

明日はツナオジェットボーイについて書いてみます。

PS.ラジオレテパシー第1回は局長との出会いが高円寺無力無善寺だった、という話から始まっています。
で、サニーサニーさんは高円寺出身。(好きな男を追って岡山に移住したが)
そして「リズム」は「高円寺 ピンクのハコで〜」という歌詞から始まるんです。
素敵でしょう?

PS.ハイコーフェスで思い出しましたが、ラジオ第2回で流した「青春」の歌詞で「廃校の〜」と出てきますね。
この歌が出来た時に「あー、青春をハイコーフェスで歌いたかったなあ」とちょっと思った。がハイコーフェスはもう無い。

昨日はちょっと平井さんの事を書きましたが、当時の事を思い出したので、もう少し書いてみます。
その頃、高田渡さんが亡くなりました。
で、平井さんの家に遊びに行くと「今度、高田渡のトリビュートアルバムに「自転車にのって」で参加することになった」と言います。
俺は「うちの父親は月形町の北喜常というお店で高田渡のライブで酔っ払い過ぎて帰れなくなったから高田渡の車に乗せてもらって家まで送って貰ったんだ。俺は小さい頃から高田渡を聞いて育ったんだ。トンネルの唄が大好きなんだ。俺もトンネルの唄で参加したい。参加しないのはおかしいと思う。」とワガママを言うと、「じゃあ、社長に掛け合ってみよう」とレコード会社へ連れて行ってくれました。(断られましたが)
昨日は単純でいい男と書きましたが、純粋ないい男ですね。訂正致します。

歌いだした頃、友部正人、シバ、豊田勇造、高田渡、友川かずき、遠藤ミチロウ、三上寛、AZUMI、浅川マキ、どんと、板橋文夫、と弾き語りやソリストの人達に強く影響を受けていました。
ので「いずれそのあたりの人達から歓迎されて、日本中をツアーして歌い歩く人生になるのだろう」と思っていました。
が、全然違う人生になりました。

あと、平井さんの引っ越しを手伝った時に、マーガレットズロースの3rd「こんな日を待っていたんだ」のジャケの原画を見せてくれて「この絵は本当はこんな色だったんだよ。印刷したら感じが変わっちゃって」と残念そうに言っていたのを、強く覚えています。
本当に印象が180度変わるくらい、明るみが違っていたのを思い出したら、いまだに少し俺まで悲しい気持ちになります。
絵を描いたり、歌ったり、一番単純で純粋な事が、機械や作業を通した時に違ってしまうのは、本当に悔しいことです。
あの時の平井さんの絵の事を、俺はなにか入稿するたびに毎回思い出してしまいます。

昨日、出生地を「登戸」と書きました。
その後2才〜空知地方でスクスクと育ちましたが、高校卒業後に札幌で一人暮らしを始めまして、2004年に所謂上京をした時、最初に住んだのは京王線(南武線も)の稲田堤でした。
生まれた登戸までチャリで15分位の場所でしたが、ここを選んだのは生まれた場所に近いから、というよりは音楽的に影響を受けていた所謂「三多摩」の雰囲気が感じられる場所に住みたかった、というのが大きかったのでしょう。
それとも順番は逆で、生まれたのが三多摩(登戸はギリギリアウトか?まあいいや。)だったから、マーシーの夏のぬけがらやキヨシロー関連が妙に心にしみたのかな?

なんにせよ、三多摩の雰囲気の中で出来た歌は沢山あります。(2004年〜2011年)
レテパを語る上で空知地方と同じくらい三多摩は重要な要素となっております。評論家の皆さんよろしく。

PS.上京して最初に出来た友人はマーガレットズロースの平井正也さんと奥さんの平井有美子さんでした。
平井夫妻の家は登戸にありました。
梅雨が明けたちょうど夏のはじまりのような日に遊びに行くと、彼のスピーカーの上には夏のぬけがらが置いてありました。
夏が来たから夏のぬけがらを聞くなんて、なんて単純でいい男なんだ!と思ったのを今、思い出しました。