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先週から僕のレテパシーズ5thアルバムの録音が始まっております。
とても順調だし、今までの「レコーディングまでに100%アレンジを固めておいて、それを演奏する。」というような録音では無く「レコーディングまでに70%くらいアレンジを固めておいて、残りはレコーディングしながら閃きで。」という感じなので、これからもっともっと素敵になっていく事でしょう。

考えてみたらレテパは今までに13人メンバーが変わっている。(ユキコとタカユキカトーは一度辞めたが復活した。ずっといるのは俺だけ。何か俺の性格に問題があるのだろうか?)廃盤にしたCDや発売されなかったCD(実は「僕を殺せるのは~」の後、幻のセカンドがあった。完成していたがベース寺中四の脱退、飯田裕の加入騒動があり、寺中さんとの録音だった幻のセカンドはお蔵入りとなった。)も含めるとレコーディングも大分ベテランだが、毎回見事に録音方法が違う。
録音に対して俺には変なこだわりは無く「完全な等身大。1ミリも大きくしたくも小さくしたくも無い。(実物よりもカッコ良くもカッコ悪くもしたく無い。色が変わる分には素敵ならOK。)」という鉄則以外は「その時のメンバーの特徴に合わせて、みんなが本領発揮できる録音方法が良い。」というスタンスなので、今回も今までと全然違う方法だ。
年明けには録り終わるだろう。

来年は、
5thアルバム完成
6thアルバム完成
僕のレテパシーズ全歌詞集(全曲英語訳付き)完成

ずっとやりたかったこの3つを終わらせて、あとは野となれ灰となれ、隠していたハードコア魂を爆発させてライブしまくりたい。
これが俺の来年の目標です。

PS.改めまして左後ろから
キーボード/ハダユキコ
(「そしてトンキーは死んだ」の超絶ピアノ演奏はこちら↓)
https://mobile.twitter.com/retepunk/status/1210190259343917063
ドラム/関口萌
(はじめって読むよ。はじめちゃん。)
ベース&レコーディング/タカユキカトー
(2014年在籍時はギター担当だった。あの「君しかいない」の素敵なギター全般など、実はタカユキ氏が考えたのを、そのままはなえもんが弾いているものもある。)
ギター/高野京介
(最近知ったがこの4人は来年年男&年女の同じ年。しかも誕生日も近いらしく1月2月3月4月と続いている。)

そして、左下のお兄さんは新キャラ登場でドラムテックの北村優一さんです。
事前に収録曲のデモを聞き込んで、その曲毎にドラムを替えてくれたのです。
はじめちゃんも大満足。
俺は聞いた事無いが「レッドツェッぺリン1」みたいに素敵な音なんだぜ。お楽しみに。

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PS.シンバルには「ダーククラッシュ」の文字が。
カッコ良いからこれジャケにしてアルバムタイトルにするか。
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僕のレテパシーズ/「DARK CRASH」
1.長野県のお月様
2.音楽
3.ミツバチ
4.たこ公園
5.地下室の外は
6.雪包丁
7.佐藤君と伊藤君
8.そしてトンキーは死んだ
9.東京の空で
10.水平線

PS.ユキコの楽譜には鋭いメモが。
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PS.KISSシャツも着た事だし、歌詞も素敵な英訳にしてもらって、海外進出するぞ。
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PS.というわけで、今年も終わります。
2010年結成の僕のレテパシーズ。
10年間お疲れさまでした。よく解散しなかったね。えらい!
20年代は僕のレテパシーズの時代が到来して、クレイジーな10年間になる事でしょう。
覚悟しとけよ。
では、良いお年を。
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というわけで、前回の「深海」の最後に書きましたが、昨日は地獄に行って来ました。
その様子をどーぞ。

前書いた通り、曲もほとんど知らないし、CDだってもちろん持っていない。
これで最後だという強迫に観念してGO。
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朝起きると、また例の激しい思い込みが襲う。
「メイクしないで行ったら負け犬だぞ。」「口ばっかりの汚い大人になっちゃうぞ。」心の声に導かれるまま中野のドンキホーテへ。
店員さんに事情を説明すると、バカ殿じるしを勧められ購入。
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ビフォー。断酒10ヶ月。超クリーン。
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アフター。地獄へようこそ。
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気分はもうロックスター。どけどけ凡人ども。
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ライブ終了。
一曲目デトロイトロックシティーイントロで涙が溢れてメイクが剥がれた。
令和になって泣いたのは2回目。
もう一回はキングオブコントのどぶろっく。
俺のロックはどぶとデトロイトか…。
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帰りの電車も乗客からヒソヒソと「キッスだ。」と囁かれロックスター気分を味わう。
が、駅に着いた瞬間、知人達に遭遇。
「え?マジで何やってんすか?」
「えーと…。あのー、キッスっす。」
夢から醒める。
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というわけで、録音がんばります。
超がんばれそうな気がします。
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「深海」は3rdアルバム「永遠に、たまに」の1曲目です。
このアルバムは2017年夏に録音しました。

前年の秋にキーボードのユキコが抜け、その後、ギターはなえもんも抜けると言い出したが、アディー、いーちゃんの二人が止めて、残る事になってのアルバム録音。
俺はボロボロだったらしく、6月に病院に連れてかれて、医者や自助グループに言われるがままの治療をしていたが(ライブがキャンセルになるので入院は拒否したのだから、完全な言われるがままでは無いが。)ライブがうまくいかなくなり、4本最悪のライブをした。
ミスターワンテイクと呼ばれるほど、一発OKが好きなタイプですが、このアルバムは一度歌ったボーカルが気に入らず、全部録り直した。
録音初日に全曲歌い一度OKを出したのに、2日目に聞いてみたら全然ダメで全曲録り直した。
テイクが良くない事よりも、こんなテイクに一度OKを出していた自分にショックを受けた。
なんでOKと言ったのだろう、自分の感覚が狂ってしまったのか、と怖くなり絶望した。

録音は泊りがけで、2日目はコーラスとか後録りの部分の予定だったと思うが、俺はボーカルを録り直したいと言い、みんなはいつも通り一発目ので全然良いと思う、と言ったが、もう一度歌った。

1曲目「深海」を歌い出すと奇跡的に(自分ではコントロール出来なくなっていたのだから、悲しいが、奇跡、だ。)前のように歌えた。
まわりもすぐにわかってくれたみたいで、そのまま10曲止めずに一言も話さずにぶっ続けで歌わせてくれた。

前日使った録音用のマイクでは無く、買ったばかりのライブ用のマイク(NEUMANN105)を使った。
初めて使ったので、今までのマイクと同じように持って歌っていたら、持ち方が悪くミュートバースト?みたいな状態になっていたみたいで、少し特殊な音質になってしまった。
が、これ以上はもう無い、と判断しOKを出した。今でもOKだと思っている。

俺も、アディーもいーちゃんもはなえもんも、ボロボロだったんだろう。
このアルバムには悲壮感が漂っている。
10曲目「永遠に、たまに」はエンドロールのように優しい。悲しい映画。だから、美しいラスト。

アルバム録音後、はなえもんはミックス作業の途中で脱退した。
アディーはアルバムを完成させ、レコ発ワンマンを最後に脱退した。
いーちゃんと俺はそのまま残り、ボロボロのまま4th「ブルースマン」制作に向い、完成後いーちゃんは脱退した。
俺は今、元気一杯ノリノリで、来週には5thアルバムの録音が始まります。

というわけで、解説。

「深海」は2016年に出来た歌で、歌の通り北海道三笠市にある博物館に行った時の歌ですね。
三笠市は南空知にある炭鉱町。
炭鉱が終わった後は、化石が採れるので、それで町おこしをしています。
小学生の頃、隣町の月形町に住んでいた俺は、化石掘りに夢中になり、三笠の山や河原(幾春別川、周りには炭住の赤い屋根が並んでた。)で貝や葉っぱや、時にはアンモナイトの化石を見つけたりした。
見た事の無い化石を見つけると博物館に持って行き、博士達に「もしかして新種じゃないですか?歴史的大発見では?」なんて質問していた。
博士達は優しかったが、俺の親戚には博士達の敵の商売系アンモナイトハンターの大物がいた。俺は博士達と学術的な話をしながらも、心の片隅では一攫千金を夢見てしまう自分もいて、チビッ子なりに葛藤した。

三笠市は化石掘り以外にも縁があって、父方の祖父、古宮喜一は戦後、美深で農家をしていたが脊椎カリエスになり、転職を考えていたら、空知地方が炭鉱で盛り上がっていて、そこでなら商売を始めたらすぐに上手くいくという噂を聞き、近所の豆腐屋で1週間修行をして、そのまま三笠に「古宮豆腐店」を1956年に出店させて、3人の子供を育て上げた。(閉山後は栗沢町に移転。今は「角」という蕎麦屋になっている。)

2015年冬、札幌でのライブのついでに帰省し(今実家は岩見沢。これまた三笠の隣町。)その時に久し振りで博物館に寄りました。
頭がクラクラするほど暖かい博物館のロビーの窓から見てた景色です。

「深海」

ここは昔 深海だったから アンモナイトの化石がとれるんだ
三笠市立博物館の窓から 潜水艦みたいな ぶ厚い窓から見てる

無音の雪はあの頃の海だね
無音の雪はあの頃の様だね

深海 僕にはなぜだか懐かしい
なんでだろう さようなら 全部

3rdアルバム「永遠に、たまに」収録
(2016年作詞作曲)

PS.この歌は歌った後、もう一周歌無しで演奏が続く。
これを後奏と思わずに、むしろ歌が前奏で、歌無い所がメインだと思って演奏しよう、とメンバーと話してた。
どうかな?うまくいったかな?聞いてみてね。

PS.その時の写真。炭住(炭鉱住宅)の赤い屋根と私。
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PS.古宮豆腐店。七が三つで喜。古宮喜一の喜。
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PS.5thアルバム録音前の最後のスタジオが終わりました。
皆さん自信満々です。
(上記の、はなえもんミックス途中で脱退、のレテパを救ったのがギター高野京介だ。超短い時間でワンマンのセットを覚えてくれて「永遠に、たまに」レコ発は素晴らしいライブになった。)
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左から
ハダユキコ(キーボード)
高野京介(ギター)
関口萌(ドラム)
タカユキカトー(ベース&レコーディング担当)
がんばろー!

PS.薄々勘付いているでしょうが、俺は外国語の歌をほとんど聞かずに育ちました。(ポーグスくらいだ、聞きまくったのは。)
道民の方は懐かしいでしょうが、中学生の頃「まる音スーパーデラックス」という外人のバンドのPVばかり流すテレビがあり、毎週録画して見てた。
バンドを見ても歌詞にしか興味の無かった俺には、外人の歌はほとんど入ってこなかった。
が、当時珍しく気に入って、ビデオを何度も巻き戻して見てたPVがある。
暗い中でピエロ?が太鼓叩きながら歌ってたPV。

俺は思い込みが激しい方だと思う。
一度思い込むと、それをしないと全てが終わりのような気がしてきてしまう。
最近は少しはマシになってきたが、先日テレビでこのPVが一瞬流れ、何事かと思ったら、キッス最後の来日、との事。
「デトロイトロックシティー」という映画(キッスのコンサートに行く為にキッズ達が奮闘する。)も好きだったし、得意の思い込みで「最後のキッスも見ないなんて、嘘つきのイカサマ人間だ。」となぜか激しく思い込みだした。
「ハードラックウーマン」以外の歌はほとんど知らなかったし、そもそも家には11月分の家賃しか金が無い。
が、買ってしまった。地獄のスタンド。2万円。家族二人で4万円。すまん大家、年内にまとめて払います。
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新アルバムのスタジオで「地下室の外は」だけ、しっくりこず、他の歌に変えようかな、と思ってしまった。
と前に書きましたが、前回のスタジオで素晴らしくなったので、めでたしめでたし。
というわけで、

僕のレテパシーズ5thアルバム「タイトル未定」

1.長野県のお月様
2.音楽
3.ミツバチ
4.たこ公園
5.地下室の外は
6.雪包丁
7.佐藤君と伊藤君
8.そしてトンキーは死んだ
9.東京の空で
10.水平線

の10曲で決定。
もうちょい練習したら、録音します。

最近のレテパは高円寺スタジオコヤーマで練習ですが、この前練習後に店員さんが話しかけて来て「古宮さんですよね?僕、古宮さんと温泉に行った事があります。」と言うので、詳しく話してみたら確かに一度温泉に行った事がある人だったのですが、その人の名前が佐藤さんという名前だと言うので「お!今練習してる次のアルバムに入る歌に「佐藤君と伊藤君」というテクノ風ソングがありますよ。」と伝えたら「え!コヤーマの店員は店長のコヤーマさん以外は2人しかいなくて僕ともう一人は伊藤君って言うんです!」と言うので「わお!なんだか幸先が良いね。良いアルバムになりそうだ!」とゴキゲンなコヤーマでの一日でした。
地下室の外は、も本当に素敵になった。みんなすごいなあ。いいメンバーが揃ったなあ。

では、今日も元気に解説だ。

「見知らぬ青年との会話」

世界が終わるから 後悔ないように
生きて下さいと いきなり言われたが

この世界が終わっても 終われるものなんて
何一つもないから 僕は大丈夫です

そう答えたら その青年は
どちらかと言うと 嬉しそうでした

なあ 見知らぬ青年よ 世界が終わっても
終わることなんて できやしないんだよ

死んでしまっても 生きてしまっても
終わることなんて できやしないんだよ

で、気分のよくなった その青年は
あなたにとってジャズとはなんですか?と聞いてきた

JR南武線の久地駅から津田山駅の
進行方向の左の窓から見える

歩道の横に張ってある青い金網の鉄線が
各駅停車のスピードで僕の脳みそに刺さっていく

あの感覚が僕のラッパの音なんです、と答えたら
青年は満足そうに街へ消えてった

青年よ お前の恋がうまくいくといいな
もうちょっとオシャレにして 会話も選べよ

僕は今日あのこに会える ただそれだけで
ブルーハーツのファーストみたいさ

2ndアルバム「愛してるよ」収録
(2012年作詞作曲)

自分の歌はどれも好きですが、この歌は特にカッコいい気がしている。
音楽ジャンルの事は詳しく無いが勝手に「トーキングブルースのなれの果て」と位置付けている。
まあ、最新型のラブソングですね。

毎度毎度でキョーシュクですが、これもあった事をただただ歌ってますが、場面は下北沢の道端での事。
見知らぬ青年がいきなり話しかけて来て「もうすぐ世界が終わるそうですから、後悔無いように生きて下さいね。」との事。
俺は「OK!でも、この世界が終わっても、終われるものなんて何一つもないから僕は大丈夫ですよー。」

そのまんまですね。

後でわかったが、その時はマヤ文明の2012年終末論がブームだったみたいで、青年はそれを信じていたみたいでした。
その後、青年はレテパのライブにいつも来てくれるようになって、知ってる青年になりましたが、オシャレにはならず、恋人もいなそうです。多分。
レテパのお客は性別もファッションも年齢もみんなバラバラで、統一感が無いのがとても気に入っている。これぞレテパの真髄だ。

「JR南武線の久地駅から津田山駅の
進行方向の左の窓から見える
歩道の横に張ってある青い金網の鉄線が
各駅停車のスピードで僕の脳みそに刺さっていく
あの感覚が僕のラッパの音なんです」

の部分も本当なのでコアなレテパファンは体感すると良いでしょう。

当時稲田堤に住んでいたので、バイト(武闘派系リサイクルショップ、中高中退した横浜川崎系ヤンキーをブラックに労働させ勢力を拡大させていた。俺は居心地が良く4年位お世話になった。俺が辞める頃、警察に幹部の悪事がバレたみたいで今はもう無い。)に行くのにJR南武線を利用しており、歌の通り左の窓から金網が目に入って来る感覚が、滑らかな狂気のあのアルトサックスの音色に似てる気がして出勤時にいつも睨んでいた。

東京でのバイト生活は前に書いた調布深大寺「鬼太郎茶屋」~「リサイクルショップ」~「たこ焼き屋」で、どれも4年ずつ位お世話になりました。
鬼太郎やリサイクルの頃は、毎日二日酔いで出勤してはいたが、出勤前に朝から飲んだり(元嫁がバイト前に朝から飲むのを見て「こいつ終わってんな。」と本気で思っていた。)ましてや勤務中に隠れて飲んだりなんてしなかったし、出来なかった。(すぐバレるだろう。強くなかったので。)
しかし、1st「僕を殺せるのは僕だけさ」の2015年あたりからだんだん耐性がついてしまい、バイト前でも朝から飲むようになり、エスカレートしてバイト中も隠れて飲むようになってしまった。(逆に言うと飲まないと「離脱」が起きて外出も出来なくなった。)
出勤前にワインを1本空け、缶ビール片手にいってきまーす!で、途中のコンビニで「博多の華」麦水割り12度の200ミリを毎回決まって8本買い(近所のスリーエフ、全部俺が買い占めるので途中からツーフェイス展開してくれるようになった。この前久し振りに見てみたら、通常展開ワンフェイスに戻っていた。)わざと太めのポケット多めのズボンを履いていき、各ポッケにまるで爆弾隠したテロリストみたいに焼酎忍ばせて、同僚の目を盗みトイレなどで隠れて飲んでいた。
もちろん帰ってからも倒れるまで飲み、その繰り返しの連続飲酒状態。
つまみなんて一切食べないし、食事はほとんど出来なくなり、今回の断酒前には体重が53キロまで減ってしまっていた。
今は、63キロになったから、9ヶ月で10キロ増えました。どすこい。

歌詞の最後に「ブルーハーツのファーストみたいさ」とあります。
みなさんは、ブルーハーツとどんな出会い方をしましたか?

俺は厳密には月形小学校5年生(1993年)の時になにかのテレビで出会っている。
が、バンド名が覚えられず「ブルーヘアーズ?みたいなの知ってる?」と都会からの転校生だった生意気な大島君(最終的には良い奴だった。)に聞いたら「なにそれ?ブルハじゃないの?ブルーハーツ。」とバカにした感じで言われたので、大島君と共にブルーハーツも嫌いになり忘れてしまい、尾崎豊とBOOWYの2本柱で小学校高学年の多感な時期を乗り切った。(前に占い師に言われたが、俺は2才から12才までが最悪の運気であとは良くなるから大丈夫。との事。)
父は少年院の教官だったので、俺が尾崎豊を聞き出した時、少し警戒してた気がする。
その頃、スマップのドラマかなんかで尾崎豊の「オーマイリトルガール」が使われて頻繁に流れていた。彼はもう死んでたが。
俺は東京の祖父母の家に遊びに行く飛行機の中で、飛行機に付いているラジオ?あのイヤホンがビニールに入ってるやつで「オーマイリトルガール」を聞いて、ビックリして感動した。
「歌というものを真剣に歌ってる人がこの世にいたのか。」
と思った。はじめて命がけの純粋な歌声を聞いた気がした。そこから尾崎ブーム。アルバム全部買ったわ。

そんな、尾崎ブームは小5~中2まで続いた。
中2の時、何があったかというと、ブルーハーツとの出会いでした。
近所のプチヤンキーの家でテレビを見ていたら「懐かしの平成バンドブーム特集」みたいなのがやっていて、白Tボロジーンズヒロトの「リンダリンダ」で完全に持ってかれた。
友達に話すと「俺のアニキがブルーハーツのアルバム全部置いたまま家出して帰って来ないから、1枚500円で全部売ってやるよ。」というので、買った。
友人は「あ、マーシーの夏のぬけがらも買った方がいいよ。Bクラブに100円で何枚かあったよ。」と教えてくれて、岩見沢キッズ御用達の中古CD屋Bクラブで買った。

ブルーハーツは解散していたが、ハイロウズというバンドがいるという事も友人に教えてもらい、その頃出てたファーストとセカンドを買ったが、ブルーハーツと比べるとそこまでじゃ無く、ブルーハーツ程には聞かなかった。
が、その後高1の時に目ざましテレビで「千年メダル」のPVが流れ、金髪のヒロトがカッコよくて千年メダルすぐに買いに行き「ロブスター」もサイコーで、初めて自分の意思と自分の小遣いでライブを見に行った。
メインロブスターツアー、札幌ファクトリーホール、客は全然満員では無くて、すげえ近くで見れた。1曲目は「千年メダル」。

ステージにいる人達は人間じゃないと思った。
少なくとも俺が16年間見てきたのが人間なのだとしたら、彼らは人間じゃなかった。
当時はまだ「悪魔に魂を売らないとブルースマンにはなれない」なんて事は知らなかったのに「悪魔みたいだ。」と思った。

その次のバームクーヘンツアーも最高で「見送り」という歌が当時の恋のメインテーマになった。
アルバムには入っていないがシングル「罪と罰」のB面「即死」は俺の全てのメインテーマになった。(今も。)

その次の「リラクシン」の時は高3で、以前書いたがハイロウズ離れしていた。
アルバムは聞いたが、ツアーに行く気分にはならず、見に行くという友達に「もし1曲目が岡本君だったら、まだハイロウズの事少しは好きかも。友部正人の「ジュークボックスに住む詩人」に岡本君の原曲の「ジャラマドーラ」の歌詞が載ってるよ。」などと、謎の上から目線で話したら(なかなか嫌なやつだな)ライブから帰った友人は興奮しながら「古宮君すごいよ!1曲目岡本君だったよ!」と言っていた。

卒業後、札幌のタワレコで「14才」を聞いて(B面「フルコート」も俺はNBA好きだったからサイコーだった。)ハイロウズ熱が戻り、チキポトツアーに行ったが、ヒロトは真っ赤な目でヘロヘロしてて、マーシーはギター間違えてはヘラヘラしてて、それでも客は「Oi!Oi!」と掛け声?をかけ続けてて、腹立って来て2、3曲で帰ってしまった。

でも、やっぱり一番影響を受けたバンドは?と聞かれたら「ハイロウズ」と即答するし、レテパの5人編成ももちろんハイロウズを意識したからです。

その後、何年も経って、2010年前後かな?新宿JAMでハイロウズキーボードだった白井幹夫さんと対バンした。
俺はコークスで出演してて、白井さんは俺達の演奏は見てなかっただろうし、歌い終わった後もかなり酔ってたみたいですぐにフラフラと消えてしまい話したりはしなかったが、キーボードを弾きながら歌う白井さんは何も変わらずに悪魔のままだった。

はじめて悪魔を見た時からもう21年も経つが、悪魔とはまだ何人かとしか出会えていない。
ライブハウスは人間ばっか。

PS.この前、日本は令和になったそうですが、その時に「さようなら平成」みたいなテレビでまた同じ映像の「リンダリンダ」が流れてた。
令和なんてどーでもいいが、改元のおかげでブルーハーツと出会えた少年少女がいるかと思うと、令和万歳だわ。

PS.尾崎豊は色々と大人の事情とかで世間にボロボロにされたんだろうが「遠い空」という歌一曲だけは、素直な彼の歌な気がする。
一人で勝手にそう思っていたら、ハイロウズ以外の数少ない悪魔の一人のツナオジェットボーイと昔カラオケに行ったらいきなり「遠い空」を歌い出して、ビックリした。
「遠い空」という歌一曲だけは、素直な彼の歌な気がする。
そう言ったら、ツナオさんもずっと一人でそう思ってたらしい。さすが悪魔。

PS.新宿JAM閉店の頃は全ての記憶があまり無く、閉店を人から聞いたかもしれないが何もかも忘れていて、閉店から1年以上経った今年の夏頃JAMの前を歩いたらJAMのビルを壊しててすごくビックリした。
東京のバンドマンで知らない人はいないであろう新宿JAMの閉店を知らないほどに、2018年あたりは記憶も無いし閉鎖的だった。
ライブもしてない。バイトと「ブルースマン」制作のスタジオだけの日々だった。

PS.リサイクルバイトの頃の川崎横浜系ヤンキーバイト達は本当にすごくて「古宮さん昨日の休み何してたんすかー?」と聞くから「本読んでた。」と答えると「すげー!俺本とか読めないんすよねー。アニメしか見れないんだよなー」と言う。
そう。彼はマンガの事を本と言い、マンガは難しくて読めないのです。アニメなら見れる。
「いや、マンガじゃないな。本は本だよ。ほら、こういうの。」と面白いからその店の中古本売り場から本を持って来て説明すると「え!本って文字だけのヤツっすか?すげー。神っすね。」と言った。現代ヤンキー恐るべし。

「愛は風景」

たとえば 雨の信号
たとえば 雨の少年
たとえば 笑う少年と僕ら
たとえば 思い出の海

愛は思うものじゃなくて
愛は感じるものじゃなくて
愛はただの風景だから
僕はただ眺めてる

たとえば あの頃の事が
たとえば 冗談みたいに
たとえば 思えるような静かな夜の
街を君が訪れても

愛は触れるものじゃなくて
愛は過ぎていくものじゃなくて
愛はただの風景だから
君もただ眺めてね

愛は消えるものじゃなくて
愛は消えないものじゃなくて
愛はただの風景だから
僕も君も眺めてる

1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」収録
(2009年作詞作曲)

「7月12日、13日」

色とりどりの光の下に集まる時は歌う時
蛍光灯の下に僕らが集まる時はどんな時?

君の家のそばの会館で今日は君のお葬式
はじめて来たよ 君のギターが君がいないのにあるとこへ

レスポールジュニア ジャズコーラス 
ジョニサン ラモーンズ RCサクセション

君の部屋から運ばれたもの

新琴似っぽい住宅が 夕焼けの中 続いている
黒い影よりも黒い服とそれよりもっと黒い夜と

みんなの吸いすぎたタバコの煙が空に昇っていく
煙は雲になり次の日の朝早くからの雨になる

トムとジェリー ドラフトワン
君のお父さんとお母さん

君と一緒に暮らしてた人

知ってる人や知らない人が色んな事を話している
怒る人 泣く人 笑う人 みんな君を意識しながら

未来の事も過去の事も同んなじように話しましょ
雨の中 君を忘れたら 君は僕になるのだろう

猫背 泥酔 ロックンロール
悪い評判 僕に優しい

僕も君に優しかったもんね

君は僕に優しかったもんな

4thアルバム「ブルースマン」収録
(2009年作詞作曲)

前回の「MOON PALACE」の解説で、少し触れましたので、今日は1st「僕を殺せるのは僕だけさ」から「愛は風景」と4th「ブルースマン」から「7月12日、13日」のダブル解説です。(同じ日の事を歌っている歌なのでダブル。)

MOON PALACEに出入りしていたのが、2002年頃、札幌での事。
その後、2004年に川崎市稲田堤に引っ越します。
引っ越してからの活動を簡単に振り返ると、、

2004年~2007年はひたすらに古宮大志ソロ。
自主企画「自画像コンサート」をやったり、10曲位出来たら「古宮MAP」というアルバムを録音する、という日々。
「古宮MAP」作りはレテパが始まるまで続き、古宮MAP7まで作りました。

2008年には「古宮夏希&コークスが燃えている!」を結成。
これは2014年まで続いた。

そんで、2010年に「僕のレテパシーズ」結成。

ざっくり書くとこんな感じでした。
(古宮MAPやコークスや初期レテパの事は話せば長いのでまた今度書きますね。)

そんな日々の中、誰から連絡が来たのだろう?
誰かは忘れたがムンパ時代の友人から、ムンパ常連だったヨシカワさんが亡くなったという電話。
で、久し振りに札幌に帰りました。

2009年7月12日がお通夜で13日がお葬式。
歌のおかげで俺にしては珍しく日付を覚えています。
(10月1日は「アズミ」。2017年11月20日は「ロックンロールⅡ」家族の誕生日も覚えられないタイプの脳ですが、歌詞に出てくるこれらの日付と、2回目にハイロウズを見た1999年5月31日、の日付だけは覚えている。バームクーヘンのツアー。俺高2。なぜか10代の頃は5/31という日にちに重大な事が起こる事が多く、なんか特別な感じの日でした。今は何とも思わんが。空知の5月の魔法でしょうか?多分そうだ。)

葬式では色んな人と再会し、皆さんに「大人になったねー。」とずいぶん言われたのを覚えている。
あの頃のムンパで20才、葬式では27才か。まあ、幼かったのだろう。
ホンダとも再会し、2日間一緒に過ごした。
葬式は札幌の郊外、新琴似にある小さな町内会館で(まあ、歌の通りだな。)遺影と一緒にヨシカワさんの好きだったRCやラモーンズ、ジョニーサンダース関連のレコードが飾られ、愛用のギター(レスポールジュニア、まあ、全部歌詞のまんまっすね。)も運ばれて来て、参列者の中には「喪服ファック、皮ジャン参列。」みたいなのもチラホラ混じりながら、深夜テレビの前でドラフトワンを飲みながらの急死という事で、家族友人みんな受け入れる余裕は到底無く、とりあえず泣いたり笑ったり怒ったりしてる感じでした。

2日目の葬式の方は、友人の参列者も少なくなり、ムンパの主要メンバーだけがチラホラという感じで、いつもヨシカワさんがムンパにやって来てた深夜の閑散としたあの時間帯のムンパの感じに似てて、懐かしい気がした。

葬儀のあとは酔っ払ったホンダと2時間位かけて、東区まで歩いた。
強い雨は朝から降り続いていたが、傘はささず、履き慣れない葬式靴で靴ズレしたホンダは靴を投げ捨て裸足で歩いていた。
傍から見たら多分二人ともイカれた感じだっただろう、どこかの横断歩道で何度も赤青赤青になっても話に夢中で一向に渡らずに大声で笑っていた俺達に、少年が近付いて来て「さっきから青なのに、なんで渡らないのー?」と言って来て「なんで傘ささないのー?」「なんで靴履いてないのー?」と質問攻めで、「ほんとだね。なんでだろう?」と3人で爆笑したのが素敵な思い出になっている。
どこにも行きたくなかったんだな。あの少年も今頃は17才位だろうから、そんな気持ちも今ならわかるだろう。

目指す東区には山田家(山田相栄宅。古宮夏希(レッド)の実家。)があり、俺はそこに泊っていた。
相栄さんはカッコいい人で俺はとても気が合ったが、尖った酒飲みではあるので、人によっては怖い義父と感じたかもしれない。
その後、2011年に離婚して、レッドは真黒毛ぼっくすの大槻ヒロノリ氏と再婚したが、大槻さんは挨拶時に酔って調子こいて二ールヤングの話をしていたら、相栄に怒鳴られた。という歌がありますね。
※真黒毛ぼっくす/7thアルバム「夢の旅」収録「大浜海岸へ」
(大槻さんと俺は仲が良い。昨日も電話で世間話しした。夜の長電話。なんて昭和なコミニケーション。)

傍から見ると、びしょぬれの喪服の女連れの酔っ払いだったが、相栄もケイコ(義母)も優しく、ホンダ共々泊らしてもらった。
(相栄、ケイコ、と違い、自分の部屋に二人で泊った事を後日知ったレッドはビックリするほど怒り狂い、俺はその時初めてこいつが嫌になった。ちなみに彼女はこの頃も付き合っていた男がいたし、その前にもその後にも常に誰かいた。俺は彼女に恋愛感情は無かったので、彼女に彼氏が出来るとむしろ友人として喜んでいた。ので、ホンダと素敵な時間を過ごしたのを彼女も喜んでくれるかと思ったら、大間違いだった。女心はムズカシイ。)

後日、ホンダから短いメールが来た。
「愛は風景」の2番の歌詞はそのメールの文を引用しています。
ヨシカワさんのおかげで「愛は風景」が出来たが、この歌はヨシカワさんそっちのけの葬式というよりその帰り道の歌なので、その後すぐに、葬式本体?の「7月12日、13日」も出来たので、よかったよかった、と思った記憶がある。

演奏の方は、

「愛は風景」は当時のベースの寺中さんやアディーが、この曲には特に気合いが入っていて、こだわりの録音になっていると思う。(俺はよくわからんが、色々音楽用語が飛び出していた気がする。最後の最後のハモニカ&ギターソロにつながるよう、じょじょに盛り上がるように演奏するのをみんなで意識してた気がする。)

話は変わるが、この歌のコードはDEAの繰り返し(たまにF♯mが出てくるが、F弾けなきゃ無くても良い。)で簡単なので、ギター初心者の入門編にはピッタリだと思う。
俺が初めてギターを弾いたのは中2の頃。
溜まり場だった岡君(あだ名はおっちゃん)の部屋で。
おっちゃんはギターとマンガ書くのが上手く、部屋にはデカいアンプがあって、おっちゃんはBUCK-TICKファンだったので爆音で今井寿になっていた。
エロ真っ盛りの俺達は、みんなで好きなクラスメイトの裸をおっちゃんに描いてもらったが、永井豪崇拝者のおっちゃんのタッチで描かれた劇画ヌードは使い物にならなかった甘酸っぱい思い出がある。
ギターは興味なかったが、おっちゃんに頼まれBUCK-TICKの「悪の華」という曲の「てんてんててんてんてんてーててん」というギターを練習させられたが、つまらなくてそれ以降ギターは以前書いた17才の友部ショックまで触らなかった。

「7月12日、13日」も考えてみたらA、Fm、D、Eで同じようなもんか。
歌詞を英訳するのが夢、と先日書いたが、初心者でもカバーできるようにレテパの楽譜もいつか作りたい。
これは前作4th「ブルースマン」収録で、先日書いたがボーカルは派手に泣いてしまっている。
演奏後メンバーに「ちゃんと歌えたけど、泣いてしまってるので、聞いてみて録り直した方が良いなら、もう一度やろう。」と言ったが、みんな「いや、このままいこう。」との事でそのまま次の曲にいったが、次の「夜明け前」も泣いてしまい、が、みんな「大丈夫。これもこのまま次に進もう。」という事で、ポンポン録っていったのでした。
間奏のコーラスは、ユキコとはじめちゃん。いいでしょ。
前奏のトランペットは俺。
「ホープちゃん」のPVを作ってくれた浜本理紗がトランペットを吹けるというので、演奏を頼んだが、持ち前の真面目さを発揮して、吹くとなったらとことん本気になってしまうので、やっぱ止めときます、と言うので、しかたなく初心者の俺が浜本理紗から借りて練習して吹いた。
ギターの高野京介は「この初心者の吹いてる感じは初心者じゃなきゃ出せないね。いいね。」と褒めるのでまあ良しとした。

PS.これがB-Tの「てんてんててんてんてんてーててん」だ。
随所に出てくるボーカルの「うーあ、はっは。」みたいなのも誰か友人が担当して腹抱えて笑った青春。

PS.大槻先輩そろそろ仕事定年だから、暇しないように良い嫁でも探してやらねば。例の歌詞。

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昔のアルバムの解説ばかりしてますが、着々と新アルバム録音に向けて進んでおります。
ブルーハーツの「DUG OUT」「STICK OUT」のように、早い歌、遅い歌、を分けたアルバムを2枚同時に作りたいな、というかねてからの夢を以前ここで書きましたが、編曲するメンバー達からすると、やはりまず1枚録音してから考えよう、という意見も出て、一先ず早い歌?10曲を選び、編曲しています。

1.長野県のお月様
2.音楽
3.ミツバチ
4.たこ公園
5.地下室の外は
6.雪包丁
7.佐藤君と伊藤君
8.そしてトンキーは死んだ
9.東京の空で
10.水平線

今回も、古くは「地下室の外は」「たこ公園」これは10代の頃出来た歌。
一番新しいのは「音楽」。これは今年の歌。
毎回ですが新旧織り交ざっております。

前回スタジオで全曲歌い「地下室の外は」だけ少し編曲がしっくり来ず、他の歌に変えようかなあ、と思ってしまった。
が、いつも入ってるスタジオコヤーマの横の古本倉庫で鈴木翁二さんのトークライブがあり行ってみたら、歌も少し歌っていて(1曲目が「少年」という歌で2曲目が「15才」という歌だった。さすがに「コークスかよ!」って心の中でつっこんだわ。)それを聞いてたら「やっぱり地下室入れたいな。」と思ったので、次のスタジオでしっくりくるアレンジになればいいな。

まあ、引き続きこうご期待。

今日の解説は4枚目のアルバムから「MOON PALACE」でいってみよう。

「MOON PALACE」

あのスーパーは大手だから 潰れる事はないんだろう
でもムーンパレスがなくなって 永遠に買い物に行く事もないんだな
さようなら スーパーとムーンパレス

向いの北光病院の駐車場が駐車場で
思い返すのはやっぱ冬だな 白い息と排気ガスと街の流れ
さようなら 駐車場とムーンパレス

夜が少しでも長引くように 塞いだ窓 でも夜が明けて
朝日の中は恥ずかしいね お別れに振った手はすぐにポケットへ
さようなら 長い夜とムーンパレス

毎晩行ったり 久しぶりも その夜だけ動く時計
止めたり進めたり戻したり 僕の時間は自由自在

でもムーンパレスがなくなった 時計はただ進んでいく
どこにいても いつも 今だって 時計はただカチカチと進んでいく
さようなら 若い僕とムーンパレス

4thアルバム「ブルースマン」収録
(2008年作詞作曲)

MOON PALACE、俺は英語が苦手だ。つーか嫌いだ。
英語圏の国に行った事も無いし、行きたいとも思わない。
(そもそも外国に行った事がないや。でも、全曲英訳してもらいたい、という夢はある。外人にも聞いてもらいたいんです。そして俺のような歌詞のタイプは比喩とか無いし、直訳であまり誤差無く伝わる珍しいタイプでは?と楽観視している。)

そんな僕ですが、MOON PALACE、という英語だけは書けます。
逆に言うと、ギター、とか、ファックユー、とか、ロックンロール、とか、すら書けません。嘘じゃ無くマジで。

小学6年生まではクラスでも勉強出来た方だった。
で、中学1年生の最初の中間テストというのから、本当の意味でのテストが始まる、無い進展(内申点と書こうとしたら、こう変換された。うちの古いパソコンはたまに鋭い。)という高校受験にも関わる審査がついに始まる、と脅されたので、思い込みの激しい少年だった俺は、必死に勉強した。
で、英語以外はほぼ100点だった。英語は30点くらいだった。
完璧主義者だった俺は、その日から勉強を放棄して今に至ります。
とにかく、英語の事を考えると頭が思考停止になる。
あと、そもそも単語のスペルが覚えられないからどうしようもない。
SOCCER、が覚えられなくて(もちろん今調べた。)「そっかかいらー」とスペルを覚える。
GUITAR、も覚えられなくて(もちろん今調べた。「ギター ス」まで入れたら「ギター ストラップ」「ギター ストラト」「ギター スタンド」「ギター ストローク」等々、「ギター スペル」とは出てこない。みんな弾けなくても書けるんですね。)「ぎゅいたあら」と覚えた。
が、こんな覚え方ではテストでは忘れてしまい書けない。
選択式の問題だけ正解したから30点くらいだったのだろう。
なんで、ぎゅいたあら、なのに、ギター、って言うんだよ、アホか、と最近まで暮らしてたが、最近気付いた。外人は本当に、ぎゅいたあら、そっかかいらー、と言うんですね。日本人が訛ってただけだと、最近気付いた。勝手に訛るなよなー。

そんなこんなで、勉強を放棄したが、周りの友人は極度に勉強できない人種が多かったから、中学卒業の時に「古宮一人は市内の公立かー。がんばれよ。スパー。(セブンスター)」みたいな青春の一幕もあった。
地元岩見沢だと、市内の公立高に行くのがベストで、ダメなやつは近隣の、炭鉱が終わったダーティーオールドタウンの定員割れの高校(三笠、美唄、等)に行く。
だから優秀な高校を出たつもりだったが、この前友人がみんなの高校の偏差値を調べて遊んでたら、俺の高校が1番低かった。
岩見沢緑稜高校、偏差値47との事。
そうか、そもそもダーティーオールドタウンだから全てが次元低いんだな。
ちなみに俺の学歴は、
月形小学校~月形中学校(1年だけで転校)~岩見沢東光中学校~岩見沢緑稜高校
です。空知だなあ。

話はそれましたが、MOON PALACE。

これは、札幌市東区北27条東7丁目にあったライブバーの名前です。

1番の歌詞のスーパーは「ハッピー」というスーパーだった気がする。食材を買い出しに行ってた。
2番の北光病院は、北光記念病院という大きな病院で、ムンパ(MOON PALACE)の向いに病院の駐車場があり、そこを勝手にみんな使ってた。
ムンパは郊外にあり、お客は車が多かった。
2002年に飲酒運転の罰則が厳しくなり、ドライバーの意識もみるみる変わり、今ではもちろん俺だって飲酒運転しようなんて思いませんが、当時は少なくとも北海道ではほとんどの人が飲酒運転、少なくとも今の酒気帯び、くらいはやっていたんじゃないかな。
なので、車でしか行けないような郊外にも飲み屋はあったし、車客相手にやっていけていたが、飲酒運転がちゃんと悪になってからは、郊外の飲み屋は終わっていった。

まあ、ムンパはそういう理由で終わったのではないんだろうけど。
この歌は2002年頃のお話ですね。

以前「プレスカブのスピードで」の解説で書きました、失恋?の後、俺は落ち込んでいた。
テーマ曲はシオンのアルバム「ストレンジ・バット・トゥルー」の「Machiko」や「Once Only Love」で傷心だった。
(今思えばここから割とやけっぱちな恋愛遍歴になっていった気がする。次はムンパの店主ホンダに失恋?(違うか?まあいいや。)して、傷心の中、出会った人と会って2ヶ月で結婚した。当時なぜかとても結婚願望があり、イケイケだった。入籍時、就職どころかバイトすらしてなかったが。)

そんな俺を見かねた永井君(「プレスカブのスピードで」編参照、ヤンキーとの抗争に参加。)が、飲みに行こうと連れてってくれたのがMOON PALACEだった。
161倉庫はパンクやハードコアの人か、近所の北海道大学の学生バンド(なんかマリファナ臭いイメージがありムカつくやつが多かった。たまに良いやつもいた。)が多くて、ムンパの爽やかロック(店主のホンダのメアドがsawayaka-rock@ezweb~とかだった。)の感じは新鮮だった。
お客も曲者だが善良な人が多く、20才の俺は可愛がられた。
ムンパのお客の好きな音楽はあまり好きにはなれなかったが、店にあったキセルの「近未来」というアルバムを客のいない深夜に超超超爆音でかけるといい気分だった。
そのあと車で小さい音でかけてもいい気分だった。
雪の街のオレンジの街灯によく似合っていた。

店主のホンダは10才位?年上の美人だがそれを全力で隠しに行くタイプで、おもしろい奴だった。
とても気が合い、すぐにサイコーの友人になった。
俺はお店を手伝うようになり、半年間位だったが素敵な思い出になった。
今、たまに友人に料理を作る事があるが、もしそれを美味しいな、と思う人は、ムンパで習ったのでムンパに感謝して下さいね。

サイコーな友人で終わればいいのに、だんだん惚れてしまって(ちょっと違う気もするが、まあいいや。)失恋?気分の時にムンパに来た女とデキてしまい、2ヶ月後に結婚してしまった。
その後、その女とは以前書いたアシカラズを組み、1年で解散し、一緒に上京し、空知レコーズ、というチームを組み、古宮夏希&コークスが燃えている!というバンドを組み、その後離婚し、色々あって彼女は俺の視界から出禁という事になっており、今日に至る。

この前、上記のヌルマユ永井君が俺の色々な悪い噂?を聞いて心配したのか、何年か振りに会いに来てくれて色々話したが、「そーいえば、レッド(古宮夏希のあだ名)とは会ってないの?」と聞くから「あいつは俺の視界から出禁だよ。調子こいたから。」って言ったら出禁が気に入ったみたいで爆笑してた。
噂とは違い、俺が元気に張り切ってるのを見て、永井君は満足げに帰って行った。

ムンパが閉店したのがいつなのか知らない。俺が東京に来てから誰かに聞いたんだと思う。
ホンダとはその後は一度しか会っていないが、ずっとサイコーの友人だった。
もう何年も前から音信不通だけど、今でもそう思っている。
(一度会ったのは2009年の7月12日と13日。客だったヨシカワさんの葬式の時だ。「7月12日、13日」「愛は風景」がその時の歌だ。)

PS.結局まだ読んでないけど。これがモデルだろう。
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PS.チラシがこれだもん。
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PS.この歌のコードはF Am Dm Dm Am Fの繰り返し。
出来た2008年当時はギターの左手がずっと1フレットから動かないのが斬新な発明だ!と思ったが、誰にも褒められなかった。
「ブルースマン」収録。みんなほんと良い演奏。
このアルバムは曲順でポンポン録音していった。
聞いた人は知ってるだろうが、3曲目、4曲目で歌いながら派手に泣いてしまっている。でも録り直すのも違うと思い、そのまま進んだ。
5曲目のMOON PALACEはみんなの演奏のおかげで、前奏でちゃんと、しんとした気分になった。
6曲目アズミでは161倉庫が出てくる。1~4曲目まで感情が洪水しているが、ムンパと161のおかげで、5~6曲目の素敵な静かな時間帯が出来た。(と思ってたが、今聞いたら、まあ静かでは無いか。シャンとした、という感じかな?)

カチカチーと~の前の盛り上がりから、また戻るあの感じ、すげえ良い。このアルバムのハイライトだ。(それともアズミの間奏がハイライトかな?それかサマーの間奏か?意見の分かれる所です。)

PS.カスタネッツというバンドに「ムーンパレス」という歌があるみたいですね。
ホンダの車のカーステで聞いた気がするが、どんな歌か忘れた。

PS.コアなレテパファンなら知ってるかな?
谷口正造作の「君しかいない」の最後のラジカセにムーンパレスの文字が。(スペル間違ってるけど。)

最近は曲紹介を書いてますが、文が長い、とよく言われる。
話が長い、とはよく言われるが、文まで長いのか。
でも、歌は短い方だと思う。

と言うわけで、たまには箸休めに写真多めの歌とは関係の無いやつを。

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ガソリン漏れてたり、エンジンイカれてたり、2年も雨ざらしの放置で不機嫌だったスーパーカブもついに復活を遂げたので、さっそくツーリング。

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甲州街道をひたすらに。
今までの人生で1番聞いたアルバム「夏のぬけがら」に出てくる「日野橋」を渡ろうとするも、この前の台風で壊れたらしく通行止めだった。
♪日野橋をわたる時に 君を揺り起こしてあげる
多摩ニュータウンがみえる 僕の友達が住んでた

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田舎に行くと、日没を意識する。それだけでも良い事だ。いそげいそげ。

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ああ、沈む。近くて高い山に沈む透明な日没は久し振りっす。

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ひたすら甲州街道の終わりあたりのハルピンラーメン。
諏訪湖近辺ではこれを食べないとツーリング失格らしい。
とてもおいしい。(寒さでハードル2ミリ位になってたから、体温より温度高い物はなんでもおいしかっただろうが。)

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夜になった。夜の諏訪湖。

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着いた着いた。松本のmarsmoo(マーズモー)。

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猫がいた。名前はあっけ。
どーしても覚えられないから北海道の厚岸(あっけし)という地名と連動させて何とか覚えた。がんばれ前頭葉。

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近所の温泉に連れてってもらい「何食べたい?」とじゅん君が言うので「地元の野菜!」という事で地元野菜を買ってもらう。
何を食べてるでしょうか?

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正解は野沢菜。
この手の生野菜でダントツに美味かった。地元の人も生では食べないらしい。
騙されたと思って食べてみて。

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寝床はマーズモーの屋根裏。

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おやすみなさい。

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おはようございます。
マーズモー外観。

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大人気のじゅんの車。
が、やはりカブに乗りたいので、今日もカブ三昧。

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排ガス規制で途中までしかカブ乗れないらしいが、昨日勧められたから上高地を目指す。

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俺は昔からこの看板が異常に怖い。
宇宙のはじまり(おわり)はきっとこんなだろう。
畏れのあまりいっそ腕にこの絵を彫ろうと思った事さえある。

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さすがにきれい。

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この苔触ってたらなんか知ってる感触だな、と思ったら自分の髭と同じだった。

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カブの鍵につけるキーホルダーを探していたので、良いのが見つかって良かった。
時の止まった土産物屋では、俺が少年の頃から売れ残っていたであろう上高地グッズがたくさん。
おばさんに「同年代だから懐かしいなー。安くならないかなー。」と値切り、半値以下で色々買う。

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今夜もマーズモー。
もう明日帰っちゃうのー?と寂しそうなあっけちゃん。

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それでは帰ります。
元気でがんばろー。

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地図を見てみるとマーズモーの裏はオススメの道らしい。
ので、帰りは違う道で帰る事にした。

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オススメの道はさすがだった。
と言うわけで、行きは20号をひたすらに。
帰りはビーナスライン~142~254~17です。(こういうのを書くとツーリングの人っぽいでしょ。)

なんにせよスーパーカブお疲れさまでした。
これからは大切にします。

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帰ったら、隠していた鍵を猫が咥えて持って行ったらしく、入れなかった。
コンビニで段ボールを貰い、鍵開けグッズを作り、2時間位試行錯誤の末、ただいま。

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じゅん君ありがとー。
またねー。

「雨の日々」

思い出をつくろう そしていつも思い出そう
僕らは今日が苦手で いつも昨日を話してる

今日を捨ててしまおう すぐに思い出せるように
昨日を語り、今日を捨て、そして明日をチラ見する

雨の日々が続いてるように 傘が増えてしまうように
増えすぎだね、なんて言っていた 傘が気付けば無いように

別に悲しくなく とても楽しくやってるよ
何だか少し遅いだけ 今が今も思い出のよう

だから今日を捨ててしまおう いつも思い出せるように
昨日に出会い、今日思い、そして明日をチラ見する

雨の日々が続いてるように 傘が増えてしまうように
増えすぎだね、なんて言っていた 傘が気付けば無いように

3rdアルバム「永遠に、たまに」収録
(2009年作詞作曲)

アルバム全曲解説。
全曲っつって始めましたが、1週間に1曲書いたとして、40曲書くのに10ヶ月。
それだとその間に新しいアルバムも出来てしまい、その歌も解説してたら1年経っても終わらない事になる。
時系列で曲を並べて書いた方がわかりやすいかな?と最近少し思ったが、そこまで考え出すと時間がかかり過ぎるから、やはり適当に思いつくまま書く事にする。
全部終わったら、わかりやすく年代順に並べますね。多分。

1st、2nd、4th、ときたので今日は3rd「永遠に、たまに」から「雨の日々」の解説です。
以前どこかで話した気もするが、これはまあ、傘の歌。
ライブやスタジオなんかに行く人は特にそうかもしれませんが、出かける時に雨が降っていなかったら、荷物も多いし面倒だから多少あやしくても傘を持たずに出かけます。
で、帰る時にはザンザン降り。
でもライブハウスやスタジオには忘れ物の傘が腐るほどあるので、貰って帰ります。
このパターンが続くと家は大量の傘で溢れかえる。

そして、傘さして出かけたが、帰りは止んでて傘忘れて帰る。
この反対パターンが続くと、どんどん傘は減っていきます。

歌が出来たのは2009年頃、稲田堤ユアサハイム時代の歌です。
出かけようとしたら雨が降って来たが、傘が1本も無かった。のでしょう。

2004年(22才)に札幌から東京(稲田堤は川崎だが)に引っ越して来て、最初の3年位は特にひどく落ち込んだ。
ホームシックとは少し違うかもしれないが、とにかく季節感の違いに参ってしまった。
俺は父が空知出身(三笠、栗沢)で母が東京もんのハーフなので、母の実家の祖父母の家にはよく遊びに行っていたし、所謂「田舎のコンプレックス」や「都会への憧れ」みたいなのは全く無く、どちらの良い面も悪い面もちゃんと感じてバッチリ育ったハーフ&ハーフだと思う。
が、住んでみるとこんなにもダメなものか、あらためて自分の体に染みついている北国の季節の大きさに気付かされた。
夜空も青空も夕焼けも朝焼けも、どんな空を見ても美しいと思えなかった。俺の知ってる空とは全然違った。
文化が、とか、風習が、とか、信仰が、とかそういう事では無く「北」の匂いを嗅ぎたいがために、萱野茂さん、藤本英夫さん、藤村久和さん等、アイヌ関連の本をひたすらに読んでは北国の季節を思っていた。
(同じ季節の中で暮らしていたのだから、当然の事だが、読むと心に知っている懐かしい風が吹いた。)
(昨日NHKにとても美しい顔をした人が出てて、誰かと思ったら藤村久和さんだった。俺は毎日テレビを見てるが、こんな美しい顔の人は滅多にテレビに映らない。美しい人を見たい人は10/31の0時から再放送みたいですよ。「アイヌらしく 人間らしく~北海道150年 家族の肖像~」)

その後、内地の季節感にもだんだんと慣れ、2007年~2009年くらいは、安定期というかのんびりと暮していて、歌もたくさん出来た。
この頃は調布の深大寺にある鬼太郎茶屋という所でアルバイトをしていて(ほんとにお世話になりました。)深大寺ものんびりしているし、水木さんものんびりしているし(何度かお見かけしたが眼光は鋭い。)レテパも始まる前だし(レテパは2010年~)人生で一番のんびりとしてたんじゃないかな?(当時の俺が聞いたら「そんな事ねえ!」と、殴りかかってくるかもしれないが。今はそう思う。ごめん。)
今のレテパのレパートリーだと「海へ行こうよ」「プレスカブのスピードで」「君とスピッツ」「夜明け前」「バスが来るまで」「ユーレイ」「MOON PALACE」「アズミ」「再会」「雨の日々」他にもレテパでやっていない歌もたくさん出来た。
不安定?だった2004年~2007年だと「北」「夕焼けより」「君しかいない」がレテパレパートリー。

2004年(22才)~2009年(27才)はスポーツ選手なら全盛期かもしれないが、俺の場合は完全なる準備期間でした。
今度のアルバムにもこの期間の歌が何曲も入るだろう。お楽しみに。

PS.毎日テレビを見てる、と書いたが現代人と比べるとかなり見る方だと思う。若い女なんかと同棲すると大抵驚かれる。
テレビ以外の事は頭の中に遊びが無いというか、そのものの事しか考えられない、ので、半分くらい他の事を考えながら見れるテレビ鑑賞が、ボーっとするにはちょうどよい。前頭葉も委縮してるみたいだし。(酒の時に脳ミソ撮ったら骨との間に隙間が出来てた。)
今朝もテレビ見てたら、奥田民生が、
「音楽はタダで聞く時代だから、確実にCDはこの世から無くなるでしょう。」と言うので以下のような妄想してた。
「ああ、音楽やってなくてよかった。」
「じゃあ、何をやってるんですか?」
「レテパシーの大量放出。」
「レテパシーって何ですか?」
「日本語だと「愛」に近いけど。ちょっと違うな。」
「「愛」とは何ですか?」
「僕のレテパシーズのファーストの10曲目を聞いて下さい。」

PS.先日、吾妻ひでおさんが亡くなったと聞きました。
「失踪日記」「アル中病棟」がこの世に無ければ、レテパは2枚目あたりで終わっていたでしょう。
とにかく6枚目までがんばります。
「おかげさまで諦めることなく完成出来ました。」と感謝の気持ちを伝えたかったな。

↓委縮した俺の脳ミソ。2017年6月。
医者には「アル中にしてはまだ若いし、がんばって栄養摂れば少しは隙間埋まるかもね。」と言われたがどうでしょう?文読んでて埋まってる感じしますか?スカスカですか?

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「札幌ナンバーの最後」

死にたくなる時は左手を胸に置き 
出来るだけ遠くの空を見つめていよう

海まで9kmの青い看板の下で
優しくなりたいね お前の言葉を聞いた

もしも今、キヨシローに愛し合ってるかと聞かれても
僕にはただヘラヘラと笑うしか出来ないだろう

あいつが死んだ時 キャメルのラクダが泣いた
その歌が遠くの戦場で雨になった

生まれ変わる時はテレビなんかないとこで
戦争が起きても気付かずに笑っていよう

もしも今、キヨシローに夢を持ってるかと聞かれても
僕にはただヘラヘラと笑うしか出来ないだろう

夜の街 雪が降り 札幌ナンバー ペシャンコ
あーキレイだなあ

もしも今、キヨシローに愛し合ってるかと聞かれても
僕にはただヘラヘラと笑うしか出来ないだろう

夜の街 雪が降り 札幌ナンバー ペシャンコ
あーキレイだなあ

2ndアルバム「愛してるよ」収録
(2002年作詞作曲)

前回の「プレスカブのスピードで」の解説で、色々なアルバイトをしていた事を書きましたが、この歌は警備員をやっていた頃、2002年に出来た歌だと思います。
警備のバイトはどの現場に行っても、大体ムカつく先輩がみたいのがいたから、いつもなら初日で辞めるパターンだったのですが、世話になったエルビス系ロカビリー歌手(名前は確かトマソン清水)の人が紹介してくれたバイトだったので、その人の顔に泥を塗るようなマネは出来ず、仕方なく契約の3ヶ月間働きました。
3か月の間に、10か所以上の現場に行きました。

厚田の山奥の現場では、近所の漁師の人が大量のホタテ(数にしたら100個以上)をくれたり、地元岩見沢(札幌から車で1時間位です。)の国道12号線沿いの現場は母校の生徒の通学路なので、卒業からまだ2年しか経っていないのに、俺はもう優しい気分になっていて、学生を眺めながら、あの頃の事を懐かしく思い出したりしてました。(あんなに殺伐荒涼としてたのにね。)

そんな中でも思い出深い現場が、札幌市南区(「芸術の森」あたり)の住宅街の現場だ。
この現場は深夜の時間帯で、ほとんど車も通らないような道を片側交互通行(カタコー)にする現場。
よく札幌で熊が出た、というニュースをやっていますが、これは大体この南区のあたりですね。まあ山の中に住宅街がある感じです。

真夜中、シーンとしていて、現場も一人でやっていたから、邪魔するものが何も無く、何曲か出来た。
「ミツバチ」「SFマンボ」「札幌ナンバーの最後」他にも多分何曲か。
※「SFマンボ」はアルバム収録時「精神障害者は天使 ちほう老人は神様」というタイトルに改題されてますが、やはり最初の「SFマンボ」の方がしっくりくるので、増版の際は戻す予定です。この経緯はSFの解説の時に詳しく書きます。

余談だが、この現場の道を通る数少ない車の中に、アディー(元レテパドラマー鈴木亜沙美)の母親がいたらしく、俺はまだアディーとは知り合いでは無かったが、ヘルメットから溢れ出る尋常じゃ無い毛量がこの住宅街にインパクトを与えていたらしく「凄い頭の警備員がいるよ!」と町内の噂になっていたらしい。
後日、知り合いになったアディー母が「ああ!あの時の!」と言っていた。

もし、俺の歌を前期やら中期やら時期を分ける評論家がいたならば、最初の歌「僕の頭が火事になったら」~「夕立が降ってる」あるいは「地下室の外は」で一区切り。(これは「夕立派」「地下室派」意見の分かれるところだろう。評論家泣かせだ。)
そして「札幌ナンバーの最後」で第二部スタート。これは皆様満場一致だろう。

そして本人にも明確に変わった意識がある。
アルトサックスを投げ出して、歌い出してからずっと、ガットギター(そう言えば2000年頃ガットと複音ハーモニカでやってたら、いつも珍しがられた。今は珍しくないけど。いつも時代を先取りし過ぎる傾向にある。「食べるラー油」も世間のブームの5年前にはブーム去ってたし。)でソロで歌ってました。
ジャズの影響か、歌いながら感情で速度を速めたり遅めたりとか、無音と有音を同等に扱うとか、それはソロでしか出来ないし、自分がバンドを組んだり合奏したり、なんて一生無いと思ってた。
普段はソロのくせに、CDだとバンドになっていたり、のCDも嫌いだった。
(今でもそうだが「普段通り」じゃ無い事が極度に苦手だ。)
普段をなめんな、という気持ち。クレイジーで素敵な普段を目指そーね。

で、変化は2002年の春、北12条の環状線沿いのツタヤにて起きた。
ROSSOの「BIRD」を試聴したのです。
1曲目を聞いて「お!カッコいいー!」2曲目「シャロン」で「俺もこういうバンドを組もう。」というわけです。(先日の「アズミ」の学祭のステージで「ミッシェル」とありますが、これまた悪い意味で早熟だった俺は小馬鹿にして聞く耳を持たなかった。ので、正式?純粋?に未知の新人バンドとして聞いた。)
16才のハイロウズ「千年メダル」の衝撃も「バンド組もう」とは全く思わなかった。バンド組もうなんて、人生で今回初めて。
CDはとても素晴らしかったし、歌詞カードの最後のページの照ちゃんの笑顔がサイコーにイカしてた。
ボーカルのチバ(レテパ初期に西荻窪のスタジオUENで練習してると、他の部屋で歌うチバの歌声がよく混線して俺の部屋のアンプから聞こえてきてた。彼らは2階の大きな部屋、俺らは宇宙船みたいな白い照明の小さな部屋。セブンティーンのPVに出てくる。あのPV雪じゃない部分は大体西荻。)はパンクな笑顔でキメてたが、照ちゃんは二カッ!と笑ってて、その笑顔を見てたら、バンド組むしかない、と思った。

それで、その頃から歌が出来る時は、頭の中でバンドサウンドで出来るようになってしまった。(2004年~2010年はまたソロの頭に戻る。)

周りにいた人間の中からメンバーを捜し「アシカラズ」というバンドを組んだ。
https://tower.jp/item/1079219
↑アルバムも作った。レテパでやってる歌だと「空知」「札幌ナンバーの最後」「SFマンボ」がアルバムに入ってる。
この辺りの事は長くなるから、ちょっとだけ書くと、

活動自体は1年位(2002年~2003年頃)だったし、ライブもCDも力んでばかりいて、まともな活動は出来なかった。と思う。
アルバム録音時はひどい風邪で鼻声で、しかも前日161倉庫でテキサスパコというバンドのライブで踊って手を骨折してた。
それでも、噂を聞いた(どこからだ?マジで。)東京のレコード会社の人が「原石だ!」っつって札幌まで会いに来たりした。
だがやはり原石過ぎたのか(原石っつーか調査発掘前の鉱山みたいなレベルだった。まあ、信じて掘れば大金稼げただろうがね。)業界人は去って行き、その後その部署からはフジファブリックというバンドがデビューしてた。
すげえ探したら当時の試聴サイトとかあるかもだが、恥ずかしいから探さないでね。

札幌ナンバーの最後の歌詞に出てくる
「海まで9キロの青い看板」は161倉庫の前の旧石狩街道に「石狩 9Km」という青看板があって、それの事だが、後で考えてみたら、これは石狩市まで9キロなのであって、海まででは無い。
札幌市民だった2001年~2004年までは海と言えば石狩か小樽だった。(カブで一人でよく釣りに行った。)

「キャメルのラクダ~」周りにキャメルの愛煙家達が多かった。

「もしも今、キヨシローに」忌野清志郎、昔、何かのインタビューでキヨシが「愛しあってるかい?ってこっちは本気で言ってるのに、あいつらヘラヘラ笑ってるんだよ。」って言ってたのが忘れられない。
もし不良少年に「ひろしさん、俺キヨシローって聞いた事無いんすけど、何から聞けば良いですか?」って聞かれたら、「ライブ帝国 RCサクセション70’s」のDVDを薦めます。

「その歌が遠くの戦場で」当時テレビではアフガニスタンの戦争の映像が毎日流れてた。
(前年の9.11の時は部屋にテレビもネットも無かったから、ラジオで聞いてた。)

この歌は2ndアルバム「愛してるよ」に収録されています。
廃盤になっている「アシカラズかっこいい」「LIVE AT MOTION」「ぴりぴりのファースト」全てに収録されていて、過去に一度アレンジした歌を再アレンジするのは難航する事もあるが「愛してるよ」では素晴らしいアレンジをメンバーが考えてくれた。
この辺りからアレンジの際にメンバーに最初からあれこれイメージを伝えるのは止めて、まずはメンバーの感じを聞いてみる、というやり方に変わって来た。
ハッキリ書けば、メンバーを信頼するようになった。

ギターのはなえもんはこういう演奏が得意分野なのか、いつもは上手く弾けずに大変そうだったが、水を得た魚のように、得意気に弾きたおしてた。
逆にアディーはこの手のは苦手だったらしく、最初苦戦していたが、数日経つと何かの訓練?修行?をしてきたらしく、自分の物にしていた。(イントロのスネアをタララララララー!ってやるやつね。)

このアルバムは吉祥寺にあるGOKというスタジオで馬場友美が録音した。
GOKはアナログテープ?(俺はよくわからん。)での録音で、大きなオープンリール?がクルクルカシャカシャ鳴っていたのを覚えている。
アナログ録音でみんな嬉しそうだった。
レテパは貧乏なのに、録音時には金に糸目をつけない事で有名だが、多分4枚中1番金かかったアルバム。

それでも馬場ちゃんの愛の力により、かなりありがたい金額なんです。
そろそろ出世払いしなきゃなあ。

↓俺のハートをわしづかみにした照ちゃんのニカッ。

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↓PVはベース飯田裕の知り合いの、はまいばひろやさんが撮影。
場所は千葉の方だったはず。多分。
なかなか過酷な撮影で、1日の予定が日が暮れてしまい、急遽近くに宿泊し、日の出と共に残りのシーンを撮影した。
(宿泊所には卓球台があり、みんな死ぬほど疲れてたのに、飯田とユキコは遊具を見ると遊ばずにはいられない根っからの遊び人で、寝ないでずっと戦っていた。エンジョイ気質もここまで来るとさすがに凄味があるな、と少し尊敬した。)
俺は言われるがままに、道路に寝転んだり喫煙したりした。
最後のシーンはずっと激しい尿意と戦っていたが、なかなかカットにならず、小便できず、監督の「はい!自由に動いてー!」の鶴の一声で自由に動きました。

昨日はスタジオでした。もちろんコヤーマ。
2時間と短い時間でしたので「調布飛行場」「東京の空で」の2曲だけやりました。
「東京の空で」はソロのライブでも歌った事が無く、今回思い出し部屋で何度か歌ってみたが、歌ってると悲しい気分になるので、やっぱりアルバムに入れるのやめようかな、と思いかけていましたが、昨日スタジオで本気で歌ってみたら、悲しくならなかった。
みんなも、絶対に入れた方が良い、と言ってくれたし、歌っててちゃんと喜怒哀楽関係無い感じになれたので、めでたく候補曲入り。

「調布飛行場」は昔、調布近辺に住んでた時によく飛行場に隣接している大きな公園でぼーっとしてたので、その時出来た歌。
ユキコは調布やらの多摩地域に思い入れが強いらしく、この歌を聞いてると泣きそうになる、と言っていた。

アルバム録音に向けて順調です。

では、前回の「アズミ」に続きアルバム全曲解説第二弾です。

※一つ訂正。
前回の解説で最後に
「恋人は何十人~」あたりのベースが飯田裕曰く本人のベストプレイらしい。
と、書きましたが、飯田裕から訂正が入りましたので訂正。
正しくは、
「恋人は何十人~」あたりのベースが高野京介曰く飯田裕のベストプレイらしい。
とのこと。
言われてみたらそうだった。記憶違い。失礼しました。

では、全曲解説「プレスカブのスピードで」編

 

「プレスカブのスピードで」

プレスカブのスピードで 旅に出るの
プレスカブのスピードで 新しい朝へと

時速40kmの風になるの
時速40kmの歌にのせて

プレスカブのスピードで お前らの事など
プレスカブのスピードで 忘れてしまえるの

プレスカブのスピードで 旅に出たの
プレスカブのスピードで 夜風と並走

時速80kmじゃ 風を切り裂くだけ
時速40kmなら 風になるの

プレスカブのスピードで お前らの事など
プレスカブのスピードで 忘れてしまえるの

忘れてしまうの

 

2015年に発売された1st「僕を殺せるのは僕だけさ」収録。
歌が出来たのは2008年です。

前回解説で書きましたが、高校卒業後は161倉庫付近のアパートに住み、色んなバイト(コンビニ、警備員、スープカレー屋等々)を転々としながら、161倉庫を中心にソロで歌いながら暮らしていました。
そんなある日、高校時代の恋人からいきなり電話がかかってきて(携帯は嫌いだったが、無いとバイト雇ってもらえないのでプリペイド携帯を買った。彼女は俺の実家に電話して母から俺の番号を聞いたらしい。やはり全て母のせいだ。)会った。

一つ先輩だった彼女とは、彼女の卒業以来会っていなく、しかもその頃俺は前回書いたようにアルトの音に取り憑かれていて、少しイカれポンチだった。
ので、彼女の父親が自殺してしまったり、色々とあったのに、誰とも話す気分になれなかった俺は、彼女の事を避けて、そのまま彼女は卒業してしまった。

久し振りで懐かしかったし、その頃は彼女と楽しく話していた高校1年生の頃のような気さくさ(2年から気さくじゃ無くなった、と思う。)が戻ってきていたので、楽しく1週間位過ごした。
が、短大生になっていた彼女にはヤンキーの高校生の恋人がいたらしく、そのヤンキーに俺は呼び出された。(呼び出し場所は、新札幌あたりの郊外の使われていない駐車場。)
向おうとしたら、アパートの1階にあった喫茶店(北17条西3丁目ウエストウッド)の人達が「危ないから行かない方が良い。」と助言してくれたが、俺はその頃遅れてきたブランキージェットシティブーム(高校の頃友達は好きだったみたいだが、悪い意味で早熟過ぎた俺は当時バカにしてた。が、その頃、偶然見た中村達也の目つきと当時発売された「ワイルドウインター」という本が素敵で、大好きになった。)で、イケイケだったので、行くことにした。
止めても無駄だと判断した喫茶店の常連達は「それなら、永井(ヌルマユというバンドの永井君)に付いていって貰えば良い。」と言い出し、永井君も張り切ってやって来て、二人で人気のない深夜の駐車場に向った。

そこからは、まあ、あんま覚えてないし割愛する。(案の定ヤンキーは仲間を10人以上集めてやがった。)

結局彼女とはそれ以降会っていない。
が、色々ショックだった俺はバイトも辞めてしまい、落ち込んで自棄になった。
貯金が10万円位あったので、近所の雑居ビルのテナントが敷金無しで家賃3万円で借りれるという噂を聞き、スナックでもやるか、と思いビルのオーナーに会いに行った。
が、俺が若過ぎて不安だったのか断られ、同行してくれた紹介者に連れられて「輪茶館」という喫茶店に入った。
マスターはバイク乗りの間では有名な人らしく、俺にバイクの事を色々話してくれた。
で、「お前、時速40キロの風って知ってるか?」という名台詞がここで飛び出す。
長くなるから簡単に書くと、
マスターは当時50歳前後か?マイク真木を不良にした感じの見た目。
若い頃から暴走行為やらなんやら数々のバイクで数々の伝説を作る。
が、40歳を超えたあたりから、暴走行為では感じられない風がある事に気付く。
その風は、北海道の大自然の中、カブに乗りウォークマンで好きな歌を聞きながら「時速40キロ」で走る、と感じられるらしい。
他のバイクじゃダメで、30キロでも50キロでもダメで40キロ。
音楽と、景色とが、40キロで脳にダイレクトに溶けていく感じ。それが時速40キロの風。

「お前、スナックやるのにいくら持って来たんだ?」と言うので「10万円です。」
店の奥からカブを出して来て「このカブ6万円で売ってやるから、残りの4万で旅に出て、風になって来いよ。」「はい。行ってきます。」

というわけで、前回「アズミ」の放浪以来の放浪。
めでたく40キロの風を感じられたのでした。

それが多分19才あたりの話で、その後23才の頃東京(正確には川崎市多摩区稲田堤だ。)に引っ越した時にカブを運んで来る金が無く、札幌に見捨てて来たが、当時から友人だった元レテパドラムのアディー(鈴木亜沙美)が見かねて札幌からカブに乗って持って来てくれた。

で、2008年、26才の頃、なんか多分悲しい気分にでもなったのか、またカブで放浪してたら「長野県のお月様」「プレスカブのスピードで」「思わずブランキー」と、走りながら3曲も出来たのでした。ラッキー。

その時の歌ですね。

PS.輪茶館、まだあるのかな?と思い今調べてみたら、当時の北区から移転してるが、石狩にあるみたいですね。

PS.上記にスープカレー屋でバイト、とありますが「ピカンティ」の事です。有名店。
カブ買って旅に出て帰って来て一文無しなのでバイトを探してたら、アパート1階ウエストウッドに来てたピカンティオーナーのオサムさんが、君暇ならうちで働きなよ、と言ってくれたのでした。
一番おいしいお店です。2種類のスープの「かいびゃく」の方が特にオススメです。

PS.この歌はちょうど1分なので、時計無い時に1分計らなきゃいけない場面では心の中で歌い、ちょうど1分計ります。
近所の銭湯の温冷浴(水風呂、熱風呂を交互に1分)とかの時に重宝します。

PS.演奏では、最後の最後の「ジャラン!」という感じが、最初なかなか出なくて、メンバーみんなに「ジャン!」じゃなくて「ジャラン!」ね。「ジャラーン!」でも無いよ。と苦心してもらったが、皆さんさすがでアルバムのテイクは見事な「ジャラン!」です。
ギターやピアノはジャラン!にしやすいかも知れないが、当時のベースの寺中さんにまで、ジャラン!を強要してたので、一本の弦でジャランを表現するのは大変そうにしてたのを記憶しています。

PS.そのプレスカブは、稲田堤からの引っ越しの際に、次のアパートに置き場所が無くて売ってしまいました。
が、今から2年位前に、当時お世話になってた方が俺の飲酒を心配して、またカブに乗り出したら少しは飲酒が減るのでは?とスーパーカブを譲ってくれました。
が、90CCのスーパーカブなのでバイク免許取らないと乗れないし、案の定放置してましたが、最近思う所ありまして免許取りに行きました。
普通自動2輪。
無精な俺は最初乗り気ではありませんでしたが、金出してやるから行って来い、とバイクニケツに憧れる嫁に言われ、嫌々通い出したが、途中から楽しくなってきて、教官も驚くほどのスピードで卒業した。(単に生徒の中で一番暇だったのだろう。毎日通い、最速で卒業した。)

↓卒業証書と教習初日に勝手に写されたスナップ写真。
初日だからまだ嫌々で、嫌な事がある時猫背になる癖が出ています。

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