東京も梅雨が始まりましたね。
俺は北海道で育ちましたので、梅雨を初めて経験したのは、2004年の事。
札幌から川崎の稲田堤に引っ越した年の事でした。
その年の梅雨は例年に比べてもかなり酷い蒸し暑さだったようです。
しかも、北海道ではエアコンなんて使った事が無かったので、とてつもなく電気代がかかるものだと勝手に思い込んでいて、最初の年は一度もエアコンを使いませんでした。
ので、梅雨が始まったとたんに「あれ?これは本当に無理じゃないか?」と一気に嫌になってしまい、酷いホームシックにかかり、北海道に帰りたい、とばかり思うようになり、酔いでごまかすしか無いな、と四六時中ビールばかり飲んでいました。
もともと何のアテもなく、ただ札幌に居づらいような気分になっていたから、逃げるように歌う拠点を東京に変えただけでしたので、梅雨の暑さとライブハウス達の冷遇(大絶賛以外は冷遇と捉えてしまう損な性格)に嫌気がさし、本当に毎日、帰りたい、と暗い気持ちで暮らしていました。
レテパのレパートリーには入っていませんが「二度目の夏の前に」という歌があります。
文字通り、引っ越しニ年目の夏の前に出来た歌ですが、その歌詞は、
千歳行きの切符を取り 荷物をまとめれば
全ては済むはずなのに 二度目の夏に入る
風が吹けば気付くような まとわりつく季節
僕は君の歌を聞き 酔っぱらったまま過ごす
というようなものでした。
故郷の空知では、いつも風の中にいるから、風が吹いても気付かない。
でも暑い東京では、ちょっとの風が吹いても、気付いてしまう。
そんな、ホームシックで悲しい歌ですが、レテパの「北」もこの時期の歌です。
(でも、ホームシックは高校卒業後に空知の岩見沢から札幌で一人暮らしを始めた時にも起こっていて、その時は「空知」という歌が出来ました。)
初めての梅雨からもう17回目の梅雨入りです。
今はもうこちらの季節にも愛おしさを感じれるようになりまして、今日は昼間、ギターの高野京介がいきなりやって来たので、カブで二ケツして、高井戸の温泉に行きました。
露天風呂から梅雨空を眺めながら、昔の事を思い出そうとしましたが、なんだかうまく思い出せず。
月末から再開する6thアルバムの為のレテパのスタジオの事とか、近未来の事ばかり頭に思い浮かぶのでした。
最近は、ファースト聞いてファースト聞いて、とばかり騒いでいますが、残りの二作も負けないくらいの名盤になるように、がんばんなきゃな、と思っています。
ここ数年は「アルバム6枚作るまでは〇〇ない。」(〇〇にはその都度色んな言葉が入っていましたが、、)を口癖に生きてきました。
やっとここまで来て、ほんとあともうちょっとなんだから。
絶対にしくじらない。
PS.「アジサイの始めとバラの終わりに」という歌詞が出てくるのは「君の思い出」という歌です。
梅雨の始めの日に 薄曇りの日に
アジサイの始めと バラの終わりに
この歌が出来た2011年頃からは、ホームシック気分も無くなっていった気がします。
昨日、6月3日は何の日だったか分かりますか?
5年前の2015年6月3日「僕を殺せるのは僕だけさ」が発売されました。
「猫より寝てんじゃねえかよ!」と罵倒される事もありますが、今年2枚アルバム出せれば(出す絶対。)1年で1枚だもん。
全然がんばってるじゃんねえ、と、昨日、年数と枚数を指折り数えながら思いました。
5年前に発売しているアルバムを、今回サブスク始めたからといって、また発売した時のような切羽詰まったドキドキした気分になれるのだから、前回書きましたが、俺もわりとアン・シャーリーなのかもしれません。
映画自体は観てないけれど「自分以外誰もビートルズを知らない世界」になったので、歌ってみたら大評判になる、みたいな映画の宣伝を何年か前に見た気がするが、2015年から1st好きでいてくれたあなたは、そんな気分でこれからのレテパを見守ってて下さいね。
Spotifyだと何人が聞いたか見れるんだけど、3日間で、知り合いの有名なバンド達は何千、何万人。
レテパは27人。
「自分以外誰も僕のレテパシーズを知らない世界」に毎月アルバムを流し込んでいったら、最終的にどうなるのか。
10月31日に6枚目を流す頃には、世界は変わっているのでしょうか?
とにかく俺は、1stをはじめ過去作品に負けないような5th、6thを完成させる事に今年の夏は全てを注ぐ。
秋に歓喜するにせよ絶望するにせよ「大傑作を6枚作る」のが最低条件なんだから。
先日からツイッターに1st収録曲の過去ライブ映像を投稿しています。
1st2ndの頃は、たくさん撮影していたので、未公開の映像もたくさんあります。
この機会に見てもらえたらな、と思います。
1日1映像載せますので、お楽しみに。
ここまで載せた中では、
アルバム収録曲映像第3弾!
「ロマンチック」カッコよかったのに最後やらかしてバカ編
の、冒頭で泣き顔のお客さんが、最後の「バカ」のせいで笑ってくれたシーンが好きです。
秘蔵映像、まだまだありますのでお楽しみに。
僕のレテパシーズ
1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」
サブスク配信スタート↓https://t.co/rwk2NagnGj
※次回は6/30、2nd「愛してるよ」を配信します。アルバム収録曲映像第3弾!
「ロマンチック」カッコよかったのに最後やらかしてバカ編 pic.twitter.com/3IXthaF8Pc— 僕のレテパシーズ (@letepathys) June 2, 2020
PS.NHKで未来少年コナンやってるみたいですね。
(夜中につけたらタバタバのシーンだった、、。)
写真は俺が20才の頃。ジムシーのファッションを意識していた頃。(ちゃんとオーバーオールも着ています。)
1999年5月31日。
21年前の今日、高校を早退して、友人の小田島くんとバスに乗り岩見沢から札幌へ。
サッポロファクトリーホールに着くと、ステージの上には悪魔(ハイロウズ)がいました。
ので、躊躇なく魂を売ると、歌が出来るようになりました。
俺もちゃんと悪魔になれたかな?確かめてみて下さいね。
本日より6ヶ月連続で毎月アルバムサブスク解禁です。
まずは衝撃のファーストアルバムをくらえ。
https://linkco.re/YrNUXdMz
PS.以下、僕のレテパシーズ1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」情報
録音メンバーは
ボーカル/古宮大志
ギター/はなえもん
ベース/寺中四
キーボード/ユキコトーキョー
ドラム/鈴木亜沙美
録音、ミックスは2015年。馬場友美による。
マスタリングはSZK。
CDでは6曲目タイトルが「精神障害者は天使 ちほう老人は神様」となっているが、今回の配信にあたり2002年作曲当時につけた曲名「SFマンボ」に戻しています。
経緯は長くなるので割愛しますが、CDの方も現在の在庫が無くなったら、重版では直すつもりです。
ジャケット写真は、新宿Marbleにて撮影。
撮影者は長谷川大。
全作詞作曲古宮大志ですが、10曲目「愛は風景」の2番は友人のホンダからもらったメールが元になっています。
以上。ファースト豆知識でした。
PS.やるとなったらとことんやるタイプなので、夜中、配信スタートと共に、AppleMusicやSpotifyで聞いてみた。
そしたら、Spotifyだと音が滅茶苦茶ダサくなっていて、一瞬で体温が2度ほど下がり、心臓は爆発しそうになり、受け入れがたい現実から逃れる為の危険な思想に脳みそが持っていかれそうになった。
でも全てが台無しになってしまうので、もしかしたら何か変な設定なのでは?と調べ「オーディオノーマライズ」というのをオフにしたら、音源どおりの音になった。
あれ、神経質なくせに命かけちゃってる早とちりのバンドマンなら、死ぬかもしれないぞ。
Spotifyの人はバンドマンの気持ちも考えてあげなきゃ。
PS.この無名バンドが、内容の素晴らしさだけでどこまで行けるのか。
皆さんも夢見てみましょう。
赤毛で有名なアン・シャーリーが「望みはたとえ叶わなくても、夢見て叶うのを想像して楽しんでいる時点で、半分は叶ったようなものなのよ。どんな悲しい結末が待っていようとね。」と言っていたのを最近聞きまして、そのように過ごすことに決めました。
周りには俺がアンに似ていると言う人もいますが、俺はこのアルバムでギターを弾いている、はなえもんがアンに似ている気がします。
というわけで、もう少しで(5/31)1st「僕を殺せるのは僕だけさ」〜Nobody But Me Can Kill Me〜サブスク解禁ですが、先駆けて全10曲の歌詞英語版を掲載しました。
翻訳者は織田泰菜さん。
この後6thアルバムまで、全60曲の翻訳をお願いしております。
随時、掲載させて頂きますので、外人の皆さんもお楽しみに。
俺は英語チンプンカンプンだが、素敵な翻訳なんだろうなあ、とレテパシーは感じました。
レテパシー、レテパシー、遠く知らない瞬間に触れられますように。
あと、友だちに聞いたら、すぐに変更出来ますよ、と言うので、Twitterのアカウント?名、ずっと「retepunk」だったのですが「letepathys」に変えました。
レテパのレはRじゃなくてLだからね。
本当は「letepunk」にしようとしたが、知らない誰かが使っているみたいなので、しょうがなく「letepathys」にしただけで、別にパンクじゃなくなったわけではありません。
ホームページのメニューの文字も、前から色が薄くてダサいな、と思っていたので、これを機に書きかえました。
パキッとしたね。嬉しい。
サブスクを勉強しなきゃ、と始めてみて、色々聞いてみましたが、あんまり素敵な歌には出会わないものですね。
友達にそれを言ったら「カウントダウンTVの100位からのランキングに1組良いのがいるかいないかと同じレベルで、ほとんどダメなものだよ。」と分かりやすい説明をしてくれた。
小学生の頃、夜は20時前には眠ってしまう子供だったので、カウントダウンTVはビデオ録画で見てた。
夜が早い分、朝は4時には目覚めていたので、寒い部屋で目から上だけを毛布から出して、昨夜録画したビデオを見てた。
家の周りは田んぼだらけでしたが、この時期だと(もうちょい前かな?)シベリアから来た白鳥やマガンが、日の出とともに騒がしくお喋りをしていました。(雪が解けた田んぼの落穂を食べるのです。)
うん。確かに、月形の朝に似合うような素敵な歌には滅多に出会えなかったな。
そう考えると、類は友を呼ぶ、というのは本当かもね。
アップルミュージックは下の方に、同じタイプのアーティスト、みたいなのが出てくるから、どんどん進んでいったら出てきた「島崎智子」や「メシアと人人」とか、聞いてカッコいい人とはもう出会っているもんね。
17才からふらりふらりごろんごろんと適当に活動して来たように思っていましたが、20年間で20組位は、素敵な人達に出会っているから、もしかしてちゃんとした道を歩んで来たのかも知れませんね。
衝撃のファースト「僕を殺せるのは僕だけさ」サブスクまであと8日。
サブスクやった事ない人も、サブスク嫌いそうな人達も、こんな俺でも始められましたので、レテパを聞く為だけにでも始めてみては?
毎月1枚ずつ半年間に渡り、6thアルバムまで解禁していく。
なんか、とても特殊で素敵な最初で最後な聞き方のような気がしています。
なんかワクワクしません?
PS.こんな風に、日本語、英語、と並べた詩集も作りたい。
そしてレテパ詩集が昔のビートルズ詩集みたいに、おしゃれキッズの定番アイテムになるとよい。
読まなくても持っているだけでモテるような詩集。
「Nobody But Me Can Kill Me」
この前の文章の最後に書きましたが、どういう意味だか分かりましたか?
正解は1stアルバムのタイトル「僕を殺せるのは僕だけさ」でした。
俺は中学生で英語は放棄しましたので、ずっと知りませんでしたが、英語は日本語と順番が逆になるんですよ。
(ほんと完璧に苦手なので「Like A Rolling Stone」を「俺はローリングストーンズが好きだ!」という意味だとずっと思い込み「なんて素直な奴だ!かっこいい!」と思っていたら「転がる石のように」という意味だと知って拍子抜けした思い出がある。)
でも英語分からなくても「Nobody But Me Can Kill Me」は何か素敵な感じがしました。嬉しい。
前回は「サブスクを始めます。」と書きました。
現代人からすると、そんな事は当たり前の事で、何でもない事かも知れませんが、俺は多分日本一保守的なので、重い腰を上げるのに随分とかかりました。
始めるにあたり、しょうがないから自分も試してみるか、と一念発起して、義理の弟がくれたスマホをアップルミュージックに繋いでもらい、色んな歌を聞いてみました。
2バンドカッコいいバンドを見つけたのですが、こういう感じで曲を聞きまくるのが初めてだったので「あれ?何かこのバンドカッコいいけれど、そうなるともしかしてレテパってそんなにカッコ良く無いのかな?」と段々心配になってきたので、レテパもスマホで聞けるようにしてもらい、サブスクで聞いているような感じで、聞いてみました。
そしたら、当然っちゃあ当然なのかな?どうなのかな?レテパが一番好きでした。良かった。
まあ、好きか嫌いかは置いといたとして、なんかレテパの立ち位置というか、特徴というか、サブスクみたいに色んなのに混じって聞いてみると、今までのレテパヘッズの人達の反応とかが「あー、なるへそね。そういう事か!確かにこうなってくると、レテパのそういう部分が美しく見えるのかもね。」と改めて色々気付かされました。
レテパってこんなところに立っていたのね。今日知った。がんばる。
PS.クイズ。
ヒゲがイスラム教の指導者みたいに大きく伸びているように見えます。
何ででしょうか?
PS.
「Nobody But Me Can Kill Me」/My Letepathys
か、
「Nobody But Me Can Kill Me」/MY LETEPATHYS
大文字と小文字、どっちがかっこいいんだろう?
断然大文字かな?(ラモーンズが大文字だから。)と思っていたが、小文字混じりもレテパっぽくて良い気がしてきた。
PS.答えは「黒猫を抱っこしているから。」でした。
家のバラが満開です。
PS.サブスクで今は大人気の昔の友達のバンドを聞くと、単純なもので、俺もがんばろー!と思う。
ありがとうサブスク。
が、歌詞って表示されないのかな?
サブスクマスター目指して、もうちょっとやり方勉強してみます。
レテパは歌詞英語訳を載せてアメリカンドリームを掴むんだから、歌詞載せれなきゃ嫌だよ。
こういう日々だと、俺のような元々底辺あたりをうろうろしている人間の声を聞くと、安心出来るのだろうか。
最近、久し振りの人達から連絡をもらう事が多い気がします。
数年前から、アル中の治療の度に勝手に長期自粛していたし、平時ですらバイトもクビになり無職だったし、レテパも2/21LOFTXでライブバンドとして奇跡の復活をしたが、その後レコーディングに向けてライブは入れていなかったから、コロナの影響は小さい方だったと思います。
レテパの目指すところは「15才の衝撃後も、死ぬまで、いや、死んであの世ですら、いつでもどこでもどんな時でも違和感無く聞けるバンド。」ですので、こういう有事の際も、ギャーギャー騒いだり、慌てて新曲を作ったりしなくても、今までの歌でバッチリだと思うので、多くは語らない事にします。
「僕を殺せるのは僕だけさ」「愛してるよ」「永遠に、たまに」「ブルースマン」アルバムタイトルだけでも、伝えたい事、全部言えてる気すらします。
作り出していた、5thアルバム「レテパシー」6thアルバム「アコースティック」夏頃には同時発売出来るだろう、と考えていましたが、コロナで予定が狂い出したので、新たに作戦考えました。
2020年レテパ大作戦の全貌です。
俺は2017年頃にボロボロになっていった頃から「僕」の「僕のレテパシーズ」は死にそうだったのですが「君」の「僕のレテパシーズ」が全然死にそうになかったので、なんとか続ける事ができたんだな、と思っています。
なので、ちょこちょこ小出しに予定を発表したりするのは、隠し事をしているようで気持ち悪いので、全部書いておきますから、皆さんもそのつもりで待っていて下さいね。
2020年
5月31日1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」サブスクスタート
6月30日2ndアルバム「愛してるよ」サブスクスタート
7月31日3rdアルバム「永遠に、たまに」サブスクスタート
8月31日4thアルバム「ブルースマン」サブスクスタート
9月30日5thアルバム「レテパシー」CD発売、サブスクスタート
10月31日6thアルバム「アコースティック」CD発売、サブスクスタート
11月吉日5th「レテパシー」6th「アコースティック」レコ発記念ライブ
※「僕のレテパシーズ詩集」はタイミングを見計らい発売します。
※歌詞英語訳はサブスクスタートと共に、各アルバム掲載予定です。
※夏頃でもスタジオ入れなければ「アコースティック」の発売は遅れるが、そうなっても「レテパシー」はもう録り終えているので、そこまではこれで行く。
と、まあ、こんな感じに夢見ています。レッツゴー。
PS.以前ロサンゼルスから注文してくれた人から「あなたのバンドはなぜこんなアナログな販売方法しかやらないのか?普通にすればアメリカ人も聞くと思う。」と英語で問いただされた事がある。
今回サブスクをして、歌詞も英語訳を載せれば(俺の歌詞は難解な比喩とかも無いから、そのまま伝わるはず。)アメリカンドリームを掴む事が出来るのだろうか?
万が一、掴んだ場合に備えて、英語版のバンド名も考えています。
訳者の織田泰菜さんに「あなたの外人の知り合いで一番不良の人に「MY LETEPATHYS」でダサくないか、聞いてみて。ダサいならただ「LETEPATHYS」にするから。」と頼んだら、スイスのアルプスに住むイタリア人の不良に聞いてくれて「シンプルでいいじゃん。」とお墨付きを貰えたみたいなので、マイレテパでいこうと思う。
昔からこういう時は不良のセンスに任せる事にしています。
【注】この後、考えが変わり「MY LETEPATHYS」はやめて「LETEPATHYS」に決定しました。(後日追記)
PS.ホームページのURLとか全部「retepa」になってるんだよな。
「テレパシー」の造語なんだから「R」じゃなくて「L」なんだよな。
当時はアメリカンドリーム掴むつもりはなかったから、適当にやってしまった。
PS.整理してたらこんなん出てきた。CD屋さんが作って貼ってくれてたポップ。
レテパは2010年結成だから10年経ちました。
これから10年がもっともっとクレイジーでありますように。
PS.他人の家の猫の写真なんてどーでも良いと思うんですが、二匹の関係を知っている人が見たら感動すると思うので。
5月(ゴガツ)と帆立(ホタテ)。引っ越したら、たまにくっついて寝るようになった。奇跡だ。
5月は5月に拾ったから5月。
ビニール袋に入れられて、殺されそうになっていたところを偶然通りかかったので、奪ってうちの子にした。
震災の後だから、9年前の今頃だ。
PS.「ほたて、ステイホーム。」と覚えたての英語を一日に何度も言います。
あと「Nobody But Me Can Kill Me」というのも最近覚えました。
さて、どういう意味でしょう?答えは次回のお楽しみ。
2020.4.15 LIVE AT 高円寺コヤーマ 古宮大志ソロ
1.ブルースマン
2.アズミ
3.夜明け前
4.バスが来るまで
5.少年
6.愛は風景
7.17
8.見知らぬ青年との会話
9.思わずブランキー
10.天国から来た男
11.トンネルの唄
12.ハローグッバイファックユー
13.永遠に、たまに
14.海へ行こうよ
15.僕のレテパシーズのテーマ
生放送でしたが、レテパTwitterのページで、永遠に見れるみたいなので、見逃した方も是非ご覧下さいね。
#Periscope で見る: 古宮大志(僕のレテパシーズ)配信ライブ https://t.co/Rlx8o7AhoT
— 僕のレテパシーズ (@retepunk) April 15, 2020
メロディーが分からずに、勝手に曲つけて勝手にリフレインまでして歌ってしまいごめんなさい。
山下由「天国から来た男」はこんな歌詞です。
「天国から来た男」
ん〜んん どっかで
バラードが聞こえる
猫たちも路地裏で
聞いている
贅沢な春の雨の中を
もといた街へ帰る
ん〜んん どっかで
ブルースが聞こえる
青く錆びたギターの
弦の音
とても静かな春の夜に
もといた街へ帰る
高円寺から阿佐ヶ谷へ
阿佐ヶ谷から荻窪へ
荻窪から西荻へ
西荻から吉祥寺
眩しい春の青空へ
もといたとこへ帰る
ロックン・ロールの
旅は続く
今夜も君の
真上にいるよ
僕はいつまでも
君のクラウン
君が僕を知ってるから
君が僕を知ってるから
君が名前を呼んだから
僕は歌を歌ったのさ
あと、コークスで使っていたゴダンのエレガット、コークスの解散ライブ以来、俺の手を離れていましたが、先日いきなり帰ってきました。
解散ライブの最後の曲で、ガンガン叩いていたら途中で音が変になった記憶があったので、壊れている、という認識でした。
ギターに申し訳ない気持ちが強く、帰ってきてからもケースから出すのが怖くて、放置していました。
が、この機会に音を出してみるか、と使ってみると絶好調でしたので、全編このギターで歌いました。
弦はコークスだと激しく弾くので30分のライブでも絶対に4弦が切れてしまうので、4弦に5弦を張って、切れづらくして使っていたのですが、今回見たら4弦に5弦の俺使用のままだったので、あのライブから6年間、ずっと張りっぱなしだったんだな。
この日切って過去を終わらせてやろう、と思っていたが、なかなかしぶとく、最後の「僕のレテパシーズのテーマ」で飛び込んだらやっと切れた。
そんで今日、新しい弦を張ったら、やっとゴダンと和解できた気がしました。これからもよろしく。
もう何年もずっと、部屋では音楽も聞かないし、ギターも弾かない歌わない、という生活でしたので、そういう人間になったんだな、と思って暮らしていましたが、新居でこういう風にちゃんと並べてみると、聞くし歌うしミュージシャン丸出しで恥ずかしいくらいです。
しょうがないから、ここいらでちょっとミュージシャンっぽく生きてみるかな、と、思い始めています。
「天国から来た男」歌ってみたら、救われた気持ちになったので、俺には歌が必要みたいだし。
近所の図書館も閉館なので、家にある本を読み返していますが、井伏鱒二の「珍品堂主人」に「めくら千人、目あき千人」という言葉が出てきて、ハッとしたらなぜか「レテパのサブスクか。」と、読んだ瞬間に思ってしまった。
「めくら千人、目あき千人」がほんとにせよ、二千人に聞いてもらってからの話なんだもんなあ。
とりあえずは、サブスクとか使った事がないからちょっと勉強して考えてみます。
SNSもサブスクも使えないんだから、めくら目あき以前の問題だよな。全然ガラケーですもん。
今のメカオンチの時点でレテパを見つけて好きになってくれた君の事は一生忘れません。えらい。
新居は風呂も壊れていて銭湯通いだし、雨漏りも笑っちゃうくらいジャンジャン漏るが、ベランダで本が読めます。
ベランダには野良猫達もやって来るので、うちの猫と共に毎日大騒ぎです。
ビーチパラソルは新居にあった物で、広げたら海の砂がついていた。もう何十年も前の砂だろう。
レコーディングもいつになるか分からないし、色々学んでみて、やれる事はもう全部やってみようかな、と思っています。
PS.故郷は?と聞かれたら迷い無く、月形町!と答えます。
ザ空知な、ド田舎の月形の中でも、さらに郊外で少年期を過ごしましたが、最寄りの駅は札沼線「知来乙」駅。
今年の5月で廃線が決まっていたみたいですが、コロナの影響で4月末に変更、で、さらに変更して昨日いきなり廃線になったみたいですね。
騒がしい鉄道マニアも駆けつけられずに、地元住民だけに見送られて、サッと終わらせた札沼線。さすがです。
月形は南空知。レテパの「空知」という歌で「古い線路の上は今だって 何も変わらずにしゃべり続けている」という歌詞がありますが、これは1987年に廃線になった幌内線の事です。
前にこのページで(「僕のレテパシーズ詩集」の英語訳制作の際に訳者の織田泰菜さんからの問いに答えて)
「どんなに飲んだって酔わないね いつもはあんなに酔っぱらうのに」(ブルースマン)
問い→酔わないのはひろしさんですか?
答え→あー、基本は俺なんだけど「君」の事も言ってるところはあるね。
※「ブルースマン」は誰の事か?多分、大槻ヒロノリだった気がするが、もしかしたら山下由か?とも思っていたが、同席したレテパスタッフのソノダ氏が「大槻さんだって当時言ってましたよ。」と教えてくれて解決。
という形で、山下由さんの名前が出ました。
「ブルースマン」という言葉を初めて意識したのは、高校生の頃に読んだ、忌野清志郎の「十年ゴム消し」のあとがきに「俺みたいなブルースマンのやる事と言ったら、、」という一文があって「へー、ブルースマンなんだ。なんか一番良さそうだな。」と思い込み、それ以来一番下が「ロックンローラー」でその上は「パンクス」で一番上は「ブルースマン」という認識で生きてきました。
ので、俺の中で山下由は一番上の男なんです。
2004年に何のアテも無く、ただ札幌から逃げたい一心で上京したのですが、どこのお店とも上手くいかず、まともなイベントに出演させてもらえなかったので、それなら自分で企画しよう、と始めたのが「自画像コンサート」でした。
毎回俺ともう1人のツーマンで、下北沢のLOFTでやっていました。
その最終回の12回目に出てくれたのが、山下由さんでした。
それから10年間、おそらく10回位は共演したんじゃないかな。
2017年、吉祥寺マンダラ2での山下さん企画に出させてもらったのが最後だったと思います。
シャイな分だけ酒量の多い人だったと思いますが、最初の頃はお互い好意が空回りして、酒の海の嵐の中で難破した小舟同士が「おーい!こんにちは!」「おーい!こんばんは!」と昼夜もあべこべに、ただ「敵じゃない。仲間だな。」と認識してただけのような関係でした。
呼ばれ方も確か最初は「コミヤくん!」とか「タイシくん!」とか全滅でしたが、徐々に「ふるみやくん!」と認識してくれて、最後の方は「ひろし!」と呼んでくれていました。
八王子の野外のライブで一緒になった時は、楽屋が運動会のようなテントで、そこにあった酒コーナーに虫のように群がっていたのが、俺と山下さんと、はじめましての大槻ヒロノリさんでした。(2010年だな。そこで大槻さんと俺の嫁は恋に落ち、最終的に結婚した。厳密には最終的に離婚した、が正しいが。)
その日、山下さんは俺の写真をたくさん撮ってくれて、後日現像して渡してくれたのが、親戚のおじさんみたいで面白かった。
かなり記憶が薄い時期の事で、事実と異なるかもしれないが、俺や山下さんのような関係だと、覚えている事だけが事実なので気にせずに書きますが、一度、俺の住む高円寺大竹マンションにも泊まりに来てくれた事があった。
その時の事は、ほぼ記憶に無いが、朝起きると山下さんは酒じゃなく食事をした事と(確か俺が山下さんのリクエストに応え、みそ汁やら作った気がする。)部屋の壁に貼ってあった山下さんの「天国から来た男」の歌詞を見て、恥ずかしがったか、喜んだか、多分照れていた気がするが、それを見せる事で「俺は本当にあなたのファンなんですよ。」と示せて嬉しかった思い出がある。
これももう確認出来ないから、俺の危うい記憶が事実だとするしかないが、いつか共演した時に山下さんはその「天国から来た男」という歌を歌い、この歌は忌野清志郎の事を歌っている、と教えてくれて、俺がねだったら歌詞をくれたのだったと思う。
それで前の大竹マンションでも壁に貼り、今回の新居でもすぐに貼った。
この歌は一度しか聞いた事が無く、CDにもなっていないので、どんな歌かは覚えていない。ただ、いい歌詞だ。
せっかく引っ越して自分の部屋も出来たので、壊れていたレコードプレイヤーやスピーカーを捨てて、新しい物を設置した。
スピーカーは近所に住むヤハタ君が譲ってくれる事になったので、早速試聴してみよう、とレコードを抱えてやって来てくれた。
それは、昨日の事ですが、レコードの中には「シングルマン」もあったので、聞きながら自然と壁に貼ってある「天国から来た男」の歌詞を読んでいた。
読みながら「前は大したおもてなしも出来なかったが、この家ならゆっくりくつろいでもらえるな。いつか山下さんが来ると良いな。」と思っていました。
そしたら、珍しく元嫁からメールが来て「山下さんが亡くなったよ。」との事。
いつかは忘れたが「ひろしとは魂が似てる。」と言ってくれた山下さん。
俺も同意見です。
PS.山下さんが八王子で写してくれた写真達。
俺の髪がまだ重力に勝っていた2010年。(ほんとの天パだよ。)
「軽薄な顔してんなあ。」と言うと「ルーリードのようだ。」と褒めてくれた。優しい。
PS.これが最後だったと思う。
俺達の共演はいつも客席がガラガラだったから、思い返すと、ライブというよりは、シーンとしてるが感度の良いところ、宇宙のような時間とか関係のないところで会っていたような気がします。
PS.あと2回スタジオに入ったら、5月の頭にレコーディングで6thアルバムが完成。
俺の重い重い肩の荷がやっとおりる予定でしたが、コロナの影響で延期になった。
明日もスタジオでしたが、キャンセル料かかるし、もったいないから1人で歌うか、と思いましたが、昨日ヤハタ君に「どーせ歌うなら配信とかできないの?人に聞かせたい気分なんだけど。」と言うと「手伝うのでやりましょう」と言ってくれたので、明日配信します。
無知なので、説明が下手ですが、
明日4/15(水)レテパTwitterにて生配信。21時から1時間程度歌います。
と伝えると、皆さん見れるという事なので、大丈夫ですか?見れますか?
多分最初で最後でしょう。お見逃し無く。
僕のレテパシーズLIVE AT LOFTご覧になりましたか?
この日はのっぺらのレコ発で(のっぺらありがとう。のっぺらは4人共いい奴。)レテパは1年だか2年振りだかの久し振りの復活ライブでした。
俺のせいで追い込まれていたレテパでしたが、高野君、ユキコ、はじめちゃんが続けよう、と言ってくれて、その後タカユキが加入してくれて、5thアルバムのレコーディング準備が始まって、傍目には復活したように見えたかも知れませんが、自分としては2017年の断酒治療の際も結局ライブがうまくいかなくなり(4本くらい最悪のライブをした。)また元の連続飲酒の日々に戻っていたので、今回もライブがうまくいくまでは、何も始まっていないと思っていました。
そして、ライブがうまくいかなければ、またダメになり、5th6thアルバムの完成すら危うくなるので、ライブ入れるのを怖がっていました。
キッスの帰り道に、いーちゃん&もみじに偶然会ってライブに誘われた時も出るか迷ったが、メンバーもやってみよう、と言ってくれたし、これでダメならライブは一生やめて、アルバム完成させたら、消えよう。と決めて(実際の性格的にはライブダメだったら、そのまま店から家出して消えてたと思うが)出演する事にしたのでした。
で、どんなライブだったかは、映像見れば分かると思います。
ずっとこんな風になりたかったんです。
ライブ来てくれたあなた、ありがとう。感動をもう一度。
来たかったのに来れなかったあなた、映像でも伝わるくらいにレテパシー多めに出してやったから大いに感じたまえ。
そして、みんな素敵な演奏です。
(個人的には6:15あたりのはじめちゃんの笑顔がオススメ。)
1.長野県のお月様
2.音楽
3.たこ公園
4.地下室の外は
5.夜明け前
6.君しかいない
7.雪包丁
8.佐藤君と伊藤君
9.そしてトンキーは死んだ
10.東京の空で
11.水平線
12.札幌ナンバーの最後
13.海へ行こうよ
14.ハローグッバイファックユー
15.空知
の、ラスト3曲の映像です。
本当のタンゴってのを教えてやるよ、というわけで、僕のレテパシーズは、ワントゥースリートゥートゥースリーで、また始まりました。
めでたしめでたし。
PS.引っ越しも家族友人総出で戦い、無事終わりました。ありがとうございました。
新居は東京オリンピックの頃に建てられた、ザ昭和住宅です。
荷造りは1日しか猶予が無く、無心で詰め込みましたが、荷解きは色々思い出に浸りながらで、時間がかかりそうです。
PS.引っ越し荷物シリーズ、慌てて詰めたCDの一部。
うーん、まさに俺のCDという感じ。
ほとんど高校生の頃に買ったやつだ。
(このシオンのライブ盤。あまり皆さん聞いてないのでは?そんな事無いかな?素晴らしいですよ。あ、五月リョウタの同じCDが二枚あるのは、恐らくユキコと離縁していた時期に別々にもらったから、二枚あるのだろう。)
PS.引っ越し荷物シリーズ②、高校2年の時の絵。
クラスメートの那須君を描く、という美術の授業で描いた絵。
ゴッホが先にそんな事をしてるとか知らずに、手で描いたり、チューブから直接カンバスに塗ったり、ノリノリでした。
描き終わったら夜20時位になっていた。
美術の先生は「ぼくの好きな先生」ばりの素敵な先生(下田先生)で、俺が集中してるのを途切れさせないように、授業から書き終わるまで、ずっと放置してくれていた。
描き終わると、熱が39度まで出た。
教師は、教師なんかになりたくなかったんだよな、ほんとは絵描きや天文学者になりたかったんだよ、しょうがないから子供に教えてるが、自分もその学問の中においては君達と同じ勉強中の生徒なんだよ、というスタンスの先生が好きだ。
絵は他の生徒の「那須君の絵」と一緒に並べられたから、学校中が騒然となっていた、気がする。
多分歌い出す直前くらいかなあ?2-C古宮大志。
PS.2年前、いつ離婚しても良いように4/1エイプリールフールに結婚した僕達ですが、おかげさまでまだ離婚していません。
しかし、結婚したのは、新宿の母的な占い師に「どうせ離婚するんだから、結婚しなさい。」と言われたからなので、まだまだ油断は禁物です。
PS.さらば、高円寺大竹マンション。
ガランとした部屋を見たら少しセンチメンタルになったが、新居から駅行く時に前通るんで、まあ、寂しがらずにがんばります。
大竹マンションに思い出がある人も多いでしょう。
今までありがとうございました。
先週にはもう引っ越してるはずでしたが、案の定間に合わず、明日引っ越す事になりました。
なりました、というよりは、今のアパートは3/31には出なきゃならないので、引っ越さなければなりません。
昨日の深夜、ようやく新居の片付けが終わり、毎日通った約1ヶ月にわたる戦いが終わりました。
そしてようやく今のアパートの引っ越し準備。
普段はほとんど音楽を聞きませんが、20年選手のスピーカーが、片方鳴らなくなったから、粗大ゴミに出す事にしたので、これが最後だな、という事で久しぶりに活躍させてあげました。
家電は大体そうだが、捨てる、と伝えると直るので、スピーカーも、ちゃっかり直ってやがりますが、せっかくだから、暖かい部屋、外は雪、崩れゆく部屋、と、センチメンタルにCDを聞きながら片付けしています。
昔、海へ行った時(確か星置)ラジオから流れた時も同じセリフを吐いた気がするが、今日の高田渡が今までで一番良かった。(口癖らしい。下の動画のラスト参照。)
部屋から桜が見えますが、雪と桜と高田渡では、さすがに少し飲酒欲求。(100パーセント中3パーセント位ですが。)
両親が、高田渡好きで、地元月形の北喜常というライブレストランに渡さんが来る時には、いつも聞きに行っていました。
一度は酔っ払って運転出来なくなった父を、ライブ後、札幌に向かう渡さん一向が、方向が同じだから、と乗せてくれた事もありました。
高田渡の歌は子供の頃から、あまりにも身近にありすぎて、もちろん好きだが、素朴にじんわりとした感じで好きな気がしていたが、違うね。
久しぶりに聞いて分かった。少し好戦的な気分になった。
俺の心に触れられる歌声は、こういう声だけ。
月形の頃は小学生でしたが、20才くらいの時かな?地元岩見沢に帰省した時、駅前を渡さんが歩いていたので、びっくりして「こんにちは。」と言ってしまったら、俺の事を知り合いと勘違いして、思い出そうとしてる顔をしてたので「あ、ただのファンですよ。」と言ったら、ハニカミながらおじぎしてくれた思い出がある。
面倒くさがりだから、引っ越しなんて嫌いなはずなのに、なんだかんだで、一人暮らし始めた時から6回目の引っ越しです。
高円寺大竹マンション。
まさに、レテパの時代でした。
「僕を殺せるのは僕だけさ」「愛してるよ」「永遠に、たまに」「ブルースマン」そして今制作中の「レテパシー」「アコースティック」全部大竹時代。
色々あって、思い出すとめちゃくちゃになりそうだから、思い出しませんが、まあすげえ7年でした。
あ、雪も終わりました、雨になりましたね。
これなら溶けて、明日は引っ越し、がんばります。
遅くなりましたが、先日のライブ、福田洸弥さんが撮影してくれてましたので、YouTubeに掲載します。
ラスト3曲の様子をご覧下さい。(まぎらわしいですが、飲んでるのはノンアルです。とても心配してくれる人もいるので、一応。)
元気いっぱい輝いてるでしょ?レッツゴー。
PS.新居のタンスから、おばあちゃんの女学生時代の宝物入れ、みたいなのが出てきた。
写真や小物に混じり、絵葉書が何枚か。その中の一枚。
無知だから知らなかった。コロナって元々はキレイな宇宙現象の事なのね。
昭和11年、北海道か。
俺の祖父母もチビの時に見上げてたかもね。
滝上の女の子と美深の男の子が。