「長野県のお月様」配信まであと1週間。(日付が変わり24時過ぎると聞ける事が多い。)
熱狂的なレテパヘッズの君は、わざわざ長野県の山奥に行ってその時を待つのも良いでしょう。
(木崎湖とかいう湖の辺りだった気がするよ。)
というわけで、これからは宣伝のためにも、小出しの出来る男になるんだ。と張り切っています。
オール・オア・ナッシングタイプなので(直したい。中道中道。)笑われるかも知れませんが、完成の1年も前から公開していた5thアルバム収録曲の歌詞10曲を、ひとまず非公開にしました。
形から入る男なんです。まあ、微笑ましく思ってやって下さい。
そして、小出し小出しにまたあげてやりますよ。
(今までは、これから口説くかもしれない初対面の女性に、貯金額や借金額も出会ったその日にブチまけるようなミスターせっかちだった。)
そういえば「才能がなかったんだろ」の英訳歌詞。
ずっと公開していなかったので、歌詞のページに載せました。
外人の皆さん、お待たせしました。
黙殺され続ける(まあ結構自業自得な気もするが)日本の才能豊かなシンガーソングライターの魂の叫びをお読み下さい。
訳者は毎度お馴染みの織田泰菜さん。ありがとう。
PS.黙殺といえば、前テレビで「一発屋芸人」達が集まってトークしてた。
スギちゃん、が40手前で売れたから、若手芸人の「売れないから辞める」引き際の年齢が高くなった。スギちゃんのせいだ、と言っていた。
音楽会では、黙殺チャンピオンは圧倒的にあの人ですよね。
俺も大好きな、影響を受けた一人です。
誰でしょう?
答えは、明日のPSコーナーにて。
PS.才能がなかったんだろ(Might Have No Talent)
視聴はこちら。
悲壮な作曲の経緯は「最初で最後の一人宅録多重録音」です。
5th6th関連を小出し小出しに発表していく。
このやり方に納得してみると「俺はなんであんなに生き急ぐ様に、1年も前から収録曲の歌詞だけを載せたり、「レテパシー」やら「アコースティック」やら、タイトルだけを謎に発表したりしていたのだろう。」
と、一瞬思ったが、答えは簡単。
答え「生き急いでいたから」
これに尽きるでしょう。
2017年以降は、2〜3年以内に死ぬな。と冷静に思っていたので、総決算の、言ってしまえば遺書のつもりでした。
が、6枚終わっても、元気だし(すげえ努力した。勉強あるのみ。)解散する気も全然起こらなかったし(戦時中に太宰治さんが妙に元気だったのとちょっと似てるかも。)ここからゆっくりと発表していくつもりです。(バイク的な速度で言うと減速だが、むしろ地球の自転的な速度を意識し出しているから、Kmにしたら全然スピードアップなんですけどね。)
2017年以降はまともな活動が出来なかった。
2017年、16才でレテパに出会った君は、もう20才になってしまう。
が、レテパは10代の衝動にも、臨終のレクイエムにもピッタリの老若男女のBGMですので、君が10代の頃はレテパは(まあ、俺だけか)ごろんごろんと昼寝ばかりしてましたが、許して下さい。
もう一生分寝ました。もう寝ません。
友人の初代レテパドラマーの五月リョウタ君から、ブログは短く(ブログじゃないよ、ニュースだよ)もっと回数を、と言われた。
彼の言うことは大抵聞くことにしているので、短く、回数多く、を心がけています。
ので、長くなる前に結論を書くと、、
11月20日シングル「長野県のお月様」5thアルバム「レテパシー」より先行配信リリースです。
お楽しみに。
5th6thアルバムの録音、そしてベースを担当してくれた、タカユキカトー。
大任を果たしたので、ここでお別れです。(メンバーとしてね。仲良いままです。一応。)
去年の春、酔っ払いの俺に嫌気が差して、4th制作の途中で消えてしまったエンジニアの代わりに、馬場友美とタカユキカトーが登場して助けてくれた。
その時にも「6枚のアルバムだけは」と呪文の様に言い続けていたら、タカユキが5thと6thのベースと録音をやってくれる事になって、ここまで辿り着けた。
ひとえにミュージシャンが純粋に音楽を愛する気持ちから「ほんといいバンドなんだから、ここで終わってはもったいない。」と言って、金にもならないのに一肌脱いでくれたタカユキカトー。
素晴らしい演奏、録音、本当にありがとう。
一生自慢できる2枚になりました。
タカユキ君もみんなに自慢してね。
PS.これは、5thの録音時だから、去年の暮。
PS.これは、2014年付近。
2013年「ぴりぴりのファースト」と2015年「僕を殺せるのは僕だけさ」の間にあった、幻の1年、4人体制の頃の写真。
タカユキはギター担当でした。この頃のタカユキのフレーズを何曲かはなえもんが引継いで、僕を殺せるのは〜で使っている。
君しかいない、の間奏と後奏の一周目のギターとか。
ちゃらんちゃらんちゃらんちゃらんちゃらん、ってやつだね。
色んな事があったな。
2019年に発売した4thアルバム「ブルースマン」
今年のサブスク解禁にともない、ボーカルを新録して8月に配信スタートしたのはご承知のとおりです。
その後、5th6thのミックス(馬場友美)やマスタリング(中村宗一郎)の中で色々と学んだら、もう少しカッコよくなる気がしたので、馬場、中村両氏にリミックス、リマスタリングしてもらっちゃいました。
熱心なレテパヘッズの人は気づいたかもしれませんが、先週一度配信サイトから消えまして、今また復活しています。
今あがっているのは、本当の最終版です。
もう死ぬまで一生いじりませんし、死んでも勝手にいじらないで下さい。(イタコでも使って俺の承諾を得て下さい。)
良かったら、聞いてみてね。
PS.2019年「ブルースマン」録音時のギター高野京介の足元。
PS.同じく2019年録音時。
ヘッドフォン固定のビニール紐がヘッドギアのようだ。
この時のボーカルが気に入らなく、今年再録した。再録してよかった。
全部終わりました。
去年の暮に5thアルバムの録音をして、2月には久しぶりの復活ライブがあり、その後6thアルバムのアレンジに3ヶ月程かけて、夏に録音。
その頃、友人の死をきっかけに、たくさんたくさん思うところがあり、ずっと嫌っていたサブスクでの配信を決断。
(大げさに聞こえるかもだが「決断」でした。名字に「古」がつくせいか、新しいものは理由なく嫌ってしまう事が多い。)
まずは過去作品を、と1st、2ndを配信するも全然聞かれず、ムカついて出来た「才能がなかったんだろ」を緊急配信。
(「サブスクは最後まで聞かれないよ。」とか言うバカがいたので、最後まで聞かないと意味が180度変わる歌にした。)
そして、アル中放置時代の録音の3rd、4thのボーカルを配信を機に録り直したくなり、ボーカルのみ新録。
9月、10月は5thと6thのミックスとマスタリングで、本当に色々と学び、考えさせられました。
苦しい時もありましたが、最後は美しい気持ちになれました。
レテパの集大成。2枚の名盤が出来ました。思い残すことはありません。
全部終わったな、と思った時、振り返ったのは、5thの録音が始まった去年の暮ではなく、新レテパ結成1stアルバムの頃の2015年でもなく、旧レテパ結成の2010年でもなく、歌い出した2000年、17才の頃からの旅が終わった、そんな感じでした。
子供の頃から人の言うことを聞かず、全て自己流に極端にやって来ましたので、6枚のアルバムを作りあげるのに、20年。
気付いたらこんなに遠くまで歩いてきてしまった。もうどこへも帰れそうにありません。
(旅が終わったのに、帰れないのなら、一生旅人決定です。)
2017年以降体調が悪くなってからは「6枚のアルバムが完成するのなら、完成した瞬間に死んでもいいので、6枚のアルバムだけは。」と、何度念じたか分かりません。
あんなに念じたのに、全然死にそうも無いので、名盤2枚がどのくらい評価されるか、絶望か希望をしっかりと見届けてやろうと思っています。
せっかちなので、今までの自分なら、2枚まとめて発表してそれでオシマイでしたが、今回は周りの言うことを聞いて、一般常識的な小出し小出しで発表していこうと考えが変わりました。
大して変わらないかも知れませんが、アルバム発表前にアルバムから先行シングルを配信したりして、出来る範囲で宣伝に努めようと思っています。
というわけで、年内に2枚全部発表は無さそうです。
待ちくたびれた方、ごめんなさい。
でも、内容良いから許してね。
この名盤2枚でレテパがどう評価されるのか、一緒に目撃してみましょう。
ダメなら一緒にグレましょう。非行に走ろう。楽しいよ、きっと。
20年の長い旅は終わりましたが、レテパは続きます。
37才が何言ってんだ、と思われるかも知れませんが、17才からの青春がやっと終わった感じです。
17才〜37才が新米。
37才〜57才が若手。
57才〜77才が中堅。
77才〜が名人。
ブルースや沖縄民謡やアイヌの古老の武勇伝なんかが好きなので、こんな感じに思っています。
6枚作り終わった時の気分で解散するか決めよう、と思っていたのですが、全然解散する気になりませんでした。
多分解散するような気がしていたのですが。
しょうがないね。
ざまあみろ(レッツゴー)です。
PS.ハローグッバイファックユー でも水田の光
(故郷月形町南耕地、7月の田んぼにて)
そういえば、ちょっと前から所謂、アー写、が新しくなっています。
撮影は長谷川大。
(この前書いた録音エンジニアの馬場友美と、このカメラマンの長谷川大は、1stアルバムからずっとの付き合いだから、考えてみたら俺以外のどのメンバーよりも長いんだな。)
7月に6thアルバム「アコースティック」のジャケット撮影で故郷の南空知地方(主に月形、岩見沢、三笠)に行きまして、その時撮った写真の中の一枚です。
さてどこで撮影した写真でしょうか?
答えは「月形町の南耕地神社の土俵の上」でした。
この神社の隣がうちだったので、小学生の頃、父親にぶっ飛ばされて悲しい時なんかは、この神社に逃げ込んで尾崎豊を口ずさんだりしていました。
この土俵は今は使われていないみたいで、言われないと土俵だなんて気付かないでしょう。
相撲大会で勝つと、若貴(わかんねーか?若乃花貴乃花ね。)の文房具がもらえるので、みんな真剣な眼差しです。
あと、ツイッターのページには、この写真も載っています。
これは三笠市の幾春別にある炭鉱住宅(炭住)の前で撮りました。
「アコースティック」には「炭住の赤い屋根に」という歌が収録されています。
以上新アー写についてでした。
大ちゃんいつもありがとう。
PS.昨日も長谷川大と作戦会議でした。
やること一杯で大変だが、がんばろーと思えるような、爽やかな若々しい作戦会議でした。
がんばります。
色々もうちょっと待っててね。
PS.ちなみに、履いているジーパンは、父のおさがりなので、ジーパンも久しぶりの帰郷でした。
俺は昔から甲本ヒロトの真似をしてパンツを履かないので、いつもノーパンなのですが、このジーパン以外のジーパンは全部股間付近に大きな穴が空いてしまって、修理しないと履けなくなってしまったので、最近はこのジーパンばかり履いています。
父が50年前にアメ横で買った時に、もう古着だったのだから、多分すげえ古いジーパンだ。
俺は服屋が苦手なので、ほとんどの服は、父か母のおさがりです。
あ、10月1日ですね。
4thアルバム収録の「アズミ」の冒頭の歌詞は「8年前の10月1日〜」ですが、もしあの歌が今日出来ていたならば「20年前の10月1日〜」という歌になっていたでしょう。
2000年10月1日、俺は高校3年生。
240人いた3年生の中で唯一の「進路未定」でしたが、この日進路が決まったのでした。
その進路とは「161倉庫のそばで一人暮らしをして、ライブをさせてもらう」
普通の人からしたら訳の分からない進路だったかもしれませんが、俺にとってはやっと具体的な未来が見えたので、それはとてつもない光でした。
この日「AZUMI」さんのライブを見て、161倉庫の店主KCさんにデモテープを渡して、その場で聞かれて、ライブが決まった。
他のライブハウスからは何店も出演拒否され続けていたので、本当に救われた気持ちだった。
最近は、何もかもが佳境で、なかなかここで文章書けませんが、便りのないのは絶好調の証拠です。
6thアルバム「アコースティック」のボーカル録音、ミックス、はレテパアルバムではお馴染みの馬場友美さん。
今度また、ゆっくり書きますが、感動しましたよ。
俺の好きな音、想像に近い事、が、素晴らしいミックスなのだと思い込んでいました。
間違いでした。
いや、間違いじゃないか。成長したんだ、多分。みんな。
幸せなミックス作業でしたよ。
何にせよ、待つ価値あると思うから、期待して待っててね。
PS.昔、凄腕の占い師に「あんたは商売だけは絶対に向いていない。諦めな。」と言われたから、ただただ美しい作品を、と、作ったら作りっぱなしの人生でしたが、さすがに素晴らしいアルバムが出来そうだから、少しはちゃんと段取りして宣伝するか、という考えも浮かんできたので、10/31と言っていた発売日等、ちょっとずれるかも。
でも、年内には絶対に全て終わらせます。
PVとかさ、先に流すとかさ、そういうの全然段どってなくて、少しはちゃんとしようかと。
PS.前回載せた写真とかの、傍らに置いてある缶を見て「あ、ビール飲んでんじゃん。」と早とちりのご指摘を受ける事があったので、一応書いときますが、全てノンアルです。
心配されるといけないので。一応書きました。
というわけで、今日はみんなを連れて調布飛行場へ。
アルバムのジャケット撮影です。(カメラマンはおなじみの長谷川大)
夏の終わり8割、秋のはじまり2割、といった感じの素晴らしい空でした。
実は「調布飛行場」という歌は6thアルバム「アコースティック」の収録曲なのですが、今日の撮影は5thアルバム「レテパシー」のジャケ撮影。
というのも「アコースティック」収録曲は故郷の北海道空知地方の歌が多く(5曲かな)それならジャケは俺一人の写真を空知で撮ろう、と7月に撮影しに行ってしまっていて(月形で撮ったよ。お楽しみに)その時に、オマケでこんな写真も撮れまして、、(これも長谷川大、撮影)
これを、メンバー5人で撮ったら「レテパシー」のジャケに良いんじゃない?これなら東京でも撮れるし。という事で、この感じの車内写真を撮るけど、せっかくなら思い入れのある「調布飛行場」の駐車場で撮ろう。メンバーにも歌の舞台を見せたいし。という事で本日やって来たのでした。
が、結局、先日のロケハンのおかげで、着陸態勢のセスナとの最高の一枚が撮れてしまったので、車内写真は撮らず、飛行機との写真になってしまいました。
ややこしいですね。
簡単に書くと、
「調布飛行場」という歌は6th「アコースティック」収録。
だが、5th「レテパシー」のジャケ写が「調布飛行場」での写真。
まあ、良い写真だから別にいいんだ。
お楽しみに。
明日は6thのボーカル録音。がんばりまーす。
皆さん西荻窪の方に向かって、成功を祈っていて下さいね。
PS.「いいね。」「うん。飛行機だけど、レテパシーって感じするし。これで決定で。」という会話の場面。
皆さん4thアルバム「ブルースマン」聞いてみました?どーでした?
最近は、3rd、4thのボーカル再録音や再マスタリングなどもあり、過去作をいじくり回してばかりいて、なかなか神経を使いましたが、これからは前だけ見ての新作制作なので、のびのびと思いっ切りイカれてやろうと思います。
今は6thアルバム「アコースティック」制作の真っ只中です。(ちなみに5thアルバム「レテパシー」と同時発売を目指しています。)
今作はボーカルは別録りなので、俺以外のメンバーの録音を先にやりまして、みんなのパートは終わりました。
6thの5曲目は「調布飛行場」という歌ですが、コードはAの一つだけ、というレテパでも最小コード数の歌になっています。
この歌で高野京介は凄まじいギターを弾いて、知恵熱まで出して、才能をいかんなく発揮しておりました。
「レテパには、やはりストラトだな。しかも俺と同じ年で同じ岩手出身のストラトを買ってきて改造したんだ。」と、彼の好きな紫色のストラトを用意してきたのですが、この改造が奇跡を起こしたらしく、ギターにはうるさいタカユキカトー(ベース&録音担当)も衝撃を受ける程の美音を奏でておりました。
結局、今作はこの紫のストラト1本で全曲録ってしまいました。(あ、「アコースティック」だけどアコギの曲は無いよ。全エレキだよ。)
エフェクターもギターも、好きな人が見たら興味あるんだろうから、写真の一枚でも撮れば良かったね。
俺は前作5thの録音の時から、傑作意識が強すぎるのか、メンバー録音時に集中し過ぎて激しい頭痛と吐き気に襲われるので、写真を撮る余裕はありませんで、すみません。(自分のパート以外の時だけね。歌う時は全然大丈夫。)
90年代のスキー靴みたいな見た目のギターでした。ライブで披露できたら良いですね。
あと、エフェクター関連では「やっぱりラットだね。」というタカユキ君と高野君の会話だけは覚えています。(あと俺は「トレモロ」というのが大好きな事が判明した。9曲目「猫との午前」でトレモロ大活躍するよ。)
昨日は暇だったので、歌の舞台の「調布飛行場」に行ってみました。
歌が出来たのは2008年だから、12年振りで記憶も曖昧でしたが、歌の舞台の調布飛行場に隣接した「武蔵野の森公園」に着くと、歌に出てくる「滑走路」「一番見渡せるベンチ」「貯水池」果ては「自分の足ばかり見ている30代と思われる男性」までちゃんといて、歌のまんま過ぎて、我ながら面白かった。
そして、忘れた頃に、ブーンとセスナが着陸。
アルバムが完成したら、皆さんも行ってみて下さい。
笑っちゃうくらい歌のまんまなので。
(まあ、どの歌もそうですが。いつか「レテパ歌舞台MAP」でも出すか。)
「調布飛行場」
調布市の離島行きの飛行場 やって来たプロペラはセスナ
平日の滑走路に降りて来た 今日ここに用のある家族
離着陸よく見える公園でも 一番見渡せるベンチで
30代と思われる男性 自分の足ばかり見ている
夏がやって来たのが今日の僕は 慣れない日焼け止めのニオイ
もう一機来るまで待ってるか だけども静かすぎる夏の空
貯水池の水 心通さずに見てる人達 神様みたいに
誰も何も見ていない そんな時 エンジン音 みんな見上げた
調布市の離島行きの飛行場
こんな歌詞です。
この頃は、近所に住んでいたので、暇な時よくここでボーッとしていました。
ちょうど、アルバムのジャケット撮影の場所を捜していたので、明後日またメンバーみんなで行って、撮影してみようと思っています。
色々と佳境で、ゆっくり文章を書けなくて、すみません。
でもあまり書かないと、心配してくれる人もいるので、とりあえずの乱筆で失礼。
とにかく、勝手に人生の集大成のクライマックスを迎えている気分になって燃えていますので、5th、6th、ご期待下さい。
「いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま」
病院のニオイ セーターのニオイ 急ブレーキでゴムが焼けるニオイ
思い出したのは岩見沢の事 僕の住んでた岩見沢の事
いなくなったのは僕の方じゃなく 岩見沢市の方がいなくなったのさ
僕は今でも12号線国道の放置自転車のつくる日陰で涼んでます
通る車 7割は札幌ナンバー 2割は旭川で 残りは見知らぬ土地
行ってみたのさ いつだって どこだって
いつも心だけはこの日陰で涼ませたまま
りょ~ゆ~の裏道 りょ~ゆ~は岩見沢のスーパー そこを歩いてくと放置自転車があって
サドルの錆がとってもいい感じ 僕の体も同じ部分が錆ていく
僕に触れた君は赤錆に気付くか 僕は覚えてる全ての風景を
なんだってやれるさ いつだって どこだって
いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま
今日はどこで何をしよう 何を言おうか 赤錆に吹く風を日陰で感じて
どうにでもなれるさ いつだって どこだって
いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま
4th歌詞英訳、読みましたか?
俺は英語はチンプンカンプンですが、
Good-bye the long night and MOON PALACE
というのが、素敵な気がしたので、今、中学生だったら教室の机に彫っていた事でしょう。
というわけで、明日8/31は4thアルバム「ブルースマン」(ボーカル新録盤)のサブスク解禁です。
(多分、今日の24時になるとここで聞けるよ。)
今回も色々解説してみようと思います。
「ブルースマン」は2019年6月3日発売でした。
発売と言っても、3rdアルバム以降は、商売をする余裕がなく、CD屋では取り扱っていないので、このページでの通販開始の日にちになります。
予約特典では、俺の手書きの歌詞(手首の腱鞘炎をおして、がんばって書きました。昔剣道部だった時の古傷がまだ治らない)を付けました。
収録曲から好きな歌詞を選んで貰いましたが、一番人気は「夜明け前」でした。
発売は2019年ですが、アレンジのスタジオ、録音は2018年でした。
ジャケットのクマは、チェコのアンティーク。
クマの持っている、鍵盤も、チェコのアンティーク。
カメラの長谷川大とうちで「ジャケどうしましょうかねえ?」と話してて、思いつきで撮ったら素敵なジャケになった。
撮影した時は、断酒治療も3ヶ月経ち、俺は邪気が抜けて神々しくボーッとしてまして、その様子を大ちゃんが面白がり撮影した写真もジャケ候補になったが、改めて見るとクマにして良かったね。ちょっと神々しすぎる。
全曲解説を始めるにあたり、まず最初に書いておきたいことは、ここまでのメンバーの推移だ。
1st「僕を殺せるのは僕だけさ」
ボーカル、古宮大志
ギター、はなえもん
ベース、寺中四
キーボード、ユキコトーキョー
ドラム、鈴木亜沙美
2nd「愛してるよ」
ボーカル、古宮大志
ギター、はなえもん
ベース、飯田裕
キーボード、ユキコトーキョー
ドラム、鈴木亜沙美
3rd「永遠に、たまに」
ボーカル、古宮大志
ギター、はなえもん
ベース、飯田裕
ドラム、鈴木亜沙美
そして、4th
ボーカル、古宮大志
ギター、高野京介
ベース、飯田裕
キーボード、ハダユキコ
ドラム、関口萌
※ユキコトーキョーとハダユキコは同一人物。
昔ユキコは「ずぶぬれシアター」というバンドでメンバーに「ユキコロンドン」と勝手に名付けられ、池袋あたりではロンドンと呼ばれていた。
レテパ加入にあたり「ロンドンじゃピンとこないから、東京出身だからトーキョーにしよう。」という事でこうなったが、飽きたみたいで、本名のハダユキコになった。
メンバーの推移を見て分かると思いますが、毎回ちょこちょこ変わっています。
が、4thは劇的に変わっています。
ので、レテパを前期後期に分けるなら、間違いなく1〜3、4〜6でしょう。
2018年の記憶はほとんど無いが、バンド自体は新メンバーとユキコの復活により活性化されまして、実はとても充実した状態だったと思う。
ベースの飯田裕は、高野京介の事をミュージシャンとして昔からライバル視していたらしく、一緒に演奏出来るのをとても喜んでいて、スタジオでも時には挑みかかるように演奏していました。
関口萌とは、彼がParadiseというバンドでドラムを叩いていた頃から面識はあったが、その頃は一緒にバンドをやる事になるなんて、思いもしなかった。
が、叩いてみてもらうと「このメンバーならアディーよりも萌ちゃんだな。」とすぐに思えた。とてもしっくり来た。
アディーは最高のドラマー(札幌時代、20才からの戦友)だったから、次のドラマーがすぐにしっくり来るなんて、滅多にある事じゃ無い。
俺の体調のせいで、この5人でのライブは2018年のハイコーフェスのみで、もったいない事になってしまったが、奇跡の5人が揃っていたと思う。
レテパは俺がもう作ってある歌を、アルバム制作ごとに10曲選びアレンジしていく。
曲を選ぶ際は、メンバーの個性に合いそうな曲を選び、そして選曲の時点でアルバムの曲順も基本的にはイメージしておく。
「7月12日、13日」「夜明け前」「MOON PALACE」「アズミ」なんかは、ソロでもよく歌っていたお得意のナンバーでした。
1st〜3rdの時にも毎回入れたいなとは思いつつ、でも何か違うな、と諦めていたので、このメンバーで音を出した瞬間に「この曲にはこの5人だ。今しかない。」と張り切って選曲した事を覚えています。
長くなりましたが、レテパにとってものすごい変化、そしてとっても重要な一枚だという事です。
まあ、聞いてみて下さいね。
では、全曲解説。
「ブルースマン」
俺にとって、ブルースマンと言えば「山下由」「大槻ヒロノリ」「アズミ」あたりです。
この歌が出来て、数年経ち、山下さんのライブを見た時の歌か、大槻さんのライブだったか、忘れてしまっていましたが、出来た当時周りに「大槻さんの事を歌った歌だ。」と言っていたらしいので、大槻さん(真黒毛ぼっくす)が正解です。
どこのライブハウスだったかは忘れたが、美しく見えた街は歌舞伎町だったから、マーブル、モーション、ジャムあたりか?
大槻さんのアパートに行った事がある人は知っていると思いますが、大槻さんちの玄関のドアには「大槻」以外に「古宮」と紙の切れ端のようなボロボロの表札が貼ってあります。
さて、なぜでしょう?
なぜか分かる人は、東京インディーズバンド検定3級くらいです。
「ロックンロールⅡ」
らーららーらー、で始まる短い歌。
この、らーららーらー、を聞いて、聞いた事あるぞ、と気付いた人は、東京インディーズバンド検定8段くらいです。
レテパがライブで本番前のリハが出来なかった時に、ちゃちゃっと音出して確認する際、いつもこの、らーららーらー、のメロディーで音出ししていました。
2017年11月20日にムカつく2人組(片方は女性の性感帯みたいな名前のミュージシャンだったみたい。俺は知らなかったが。ライブ中うるさいからビールの缶を投げつけたら喧嘩になった。性感帯じゃない方が「この人を誰だと思ってるんだ!」とキレてきて、今でも思い出すだけでムカつく。ちなみに自分のライブ中では無く、性感帯も俺も客席側でした)と喧嘩して、のちのちもムカついていたら、らーららーらーのメロディーにこんな歌詞が付いた。
余談だが閉園直前の20:30頃のとしまえんでは、閑散とした園内の、あちこちにあるBOSEのスピーカーから、古いロックンロールが大きな音で流れていて(音量はずっと昼間から一緒なんだろうが、閉園直前のひっそりで、あんなに大きく鳴り響くのだろう)この間、久しぶりに「ロックンロール」と再会しました。
あんなのタイムマシーンでもないと体験できないよ。ラッキー。
「7月12日、13日」
札幌時代の友人ヨシカワさんの通夜と葬式の時の歌。
その頃はもう東京に住んでいて、札幌の新琴似での葬式に行くと、久しぶりの人達が「よく来たねえ。」と懐かしがって喜んでくれたのを思い出す。
葬式は町内会館で行われ、まあ、全て歌のとおりです。
この歌と「愛は風景」は同日の事を歌っているので「朝早くからの雨」と「雨の信号」の雨は同じ日の雨です。
演奏では、2番の間奏、美しいでしょう。
ユキコの階段のようなシンセの音と、その階段に響く鐘の音のような高野君のギター、萌ちゃんのコーラス、それを柄にもなく支えるいーちゃん。素晴らしい。
ちなみに冒頭のトランペットは俺。
「夜明け前」
高校の時に悲しい別れ方をした彼女の事を思い出して歌っています。
彼女のお父さんは自殺してしまい、そんな彼女を大切にしてやりたい気持ちはあったのですが、俺はアルトサックスや歌に夢中で、今までの全てが嫌になってしまっていたので、彼女を避けてしまい、後々悪かったな、と思っていた。
卒業後、数年経って彼女とは再会したが、彼女の彼氏のヤンキー軍団に札幌ドームの近くの駐車場で囲まれたりして、最終的にはポップな喜劇で終わりました。
実はこの歌のピアノは高野京介。ユキコはピーンピーンというシンセの音担当。
そう言われて聞いてみると、非常に男性的なピアノです。
「MOON PALACE」
札幌市東区にあった「MOON PALACE」というライブバーの手伝いをしていた頃を思い出して出来た歌。
手伝っていたのは10代の最後くらいだったはず。
よくお客さんと「えー!10代!?」みたいなやり取りをしていた記憶があるので。
ムンパが閉店する、と風の噂を聞いたら出来たんだと思う。
その時、俺は東京にいた。
1番のスーパーは「エース(当時はハッピー)」という買い出しに行っていたスーパー。
2番の「北光病院」は「北光記念病院」(病院の駐車場を勝手に店の駐車場にしてた)
位置関係は写真の感じです。(多分ムンパの元町会館はセイコーマートになったんだな。)
F、Am、Dm、Dm、Am、F、の単調な繰り返しがこんなにドラマチックになるんだから、良いバンドだったと思う。
4カウントから音が流れた瞬間、真冬のムーンパレスに俺は立っています。
あの頃のムンパを知っている人達に聞いてもらいたいなあ。
生意気なクソガキだったフルミーも少しは成長しましたよ。多分。
「アズミ」
アズミさんは俺が高校生の頃から大好きな年中日本各地を歌い歩いている歌手。
17才の頃の一人旅の帰り、フェリーで降り立った苫小牧にあった「ウエスト」というレコード屋で試聴して「ブルーズのいいなり ロックのどれい」を買った。
ヴァンモリソンの「クレイジーラブ」のアズミ訳の日本語カバーは、当時の恋のテーマ曲になった。
その後2000年10月1日に札幌161倉庫でアズミさんのライブあると知り(情報源は懐かしの「さっぽろタウン情報」だ!)見に行った。
そしてその夜161倉庫の店主KCさんに俺は拾われた。
このアズミ〜161倉庫の流れが無かったら、俺の人生は全く違うものになっていたと思う。
8年前の〜とあるので、25才の頃の歌ですね。
横浜で〜の店は、サムズアップ、だった。
高野京介のギター人生の中で、初めてのアコギ録音だったらしい。
素晴らしい音を出しているギターは俺のヤマキのアコギで、先程のヨシカワさんの葬式の後にムーンパレスの女店主ホンダがくれたものだ。
ギターと共に送ってくれたメールの文章が「愛は風景」の2番の歌詞になっています。
高野君のアコギも素晴らしいが、間奏のエレキソロも凄いね。
飯田裕のトゥルルルなベースも素敵。
「丘の上の学校からどっかへ行っちゃった君へ」
歌のまんまだが、登戸の図書館をよく使っていた頃、チャリに乗って、雨降ったり風吹いたりしてたら出来た。
丘の上の学校は、岩見沢緑稜高校(偏差値49)という我が母校の事。
「アズミ」が終わり「丘の上〜」から「サマー」につながる流れがとても好きです。
「サマー」
俺の妹は昔、サマーの「夏の海を見た時に 思う事は変わったけど 夏の海を見る事は 変わらないようです」という歌詞が好きだと言っていた。
俺は小学生の頃、怖がりで、テレビでみんなのうたの「メトロポリタンミュージアム」が流れたら怖いからテレビを消してくれ、と家族に頼んでいたのに、この妹がふざけて消さずにボリュームを上げたので、包丁を持って追い回したことがあるらしい。
「わたし、お兄ちゃんに、包丁で殺されそうになった事があるよ。」と言っていた。
よく生き延びて、この歌詞の素晴らしさに気付けるまで成長したな、妹よ。
間奏前の4拍の4発にみんなの全てを込めてその後のギターソロにつなげよう、このアルバムのクライマックスをここに持ってこよう、とアレンジの時からこだわっていました。
どうかな?クライマックスになれたかな?
「ヘルメットヘアー」
実はこの歌だけボーカル再録するか悩んだ。
というのも、結局結婚はしたが、この時は、ベロンベロンの借金まみれで、酒やめる気も金返す気も無く歌っているから、この歌の良さがあるわけで、今のシラフで歌って意味があるのか、少し疑問だったからだ。
で、一応歌ってみたら、新録のほうが全然気に入ったので、新録にした。
90年代なイントロと、俺のプロポーズに呼応するかのような、ユキコの海中漂う昆布のような、ゆらゆらと達観した、ファンタジーでコメディーチックなシンセが素晴らしい。
このシンセの昆布な感じ、彼女の人生の全てを物語っています。
「僕のレテパシーズのテーマ」
実はこの歌は、昔「アシカラズ」というバンドを札幌でやっていた時に「アシカラズのテーマ」として作られた歌。
とても気に入っていたので、2010年にレテパを結成した時にレテパシーズのテーマにした。
ので、厳密には作詞作曲は2002年くらい。
この歌も1st〜いつか入れたいな、と思っていたが、どうしても浮いてしまい、なかなか入れられなかった。
が、「ヘルメットヘアー」〜の流れなら違和感無くいける、と思いついに収録。
ありがとうヘルメットヘアー。
というわけで、4th全曲解説、いかがでしたか?
2018年はもうライブをする余裕もなく、ましてやPVとか宣伝する余裕なんてあるはずもなく、このアルバムが一番聞かれていないと思います。
(そんな中、聞いていてくれたあなた、ありがとう。あの時の通販の注文の一件一件にどれほど励まされた事か。通販の名前の中には「鈴木亜沙美」の名前もあり、聞いた後メールをくれて、いいの作ったねー、と喜んでくれた。)
今回ボーカル再録で改めて深く向き合ったけど、ほんと素敵なアルバムだと思いました。
これから沢山の人に聞いてもらえたらいいね。
5th、6thも負けないように、最高傑作目指してがんばる。
(5thと6thはちゃんとPVも作っているのでお楽しみに。)