News

珍しく街の方へ行ったら(これも方言みたいですね。繁華街というか街の中心に行くことを街に行く、と言うと通じないことが多い。)人気の無い路地裏に喫茶店があり、その店のA看板(A型の看板ね)で雨宿りしてる猫がいた。
触っても逃げず、だが反応は薄く、極度のガリガリ。
昔、動物病院でバイトしてた時も、こんなにガリガリなのはそろそろ死ぬ猫で、エサを食べなくなる〜無理やり口の横から食べさせる〜それでもダメになり点滴〜点滴だけになったらそろそろですね、覚悟してください、、と伝えるという流れ。
食べないような気がしたが、一応コンビニに行き「ちゅーる」を買った。
で、また猫のとこに戻る時に、すげえ悲しく懐かしい感じがした。
というのも、多分今までの人生で、この「弱った野良猫を見つける〜コンビニで餌を買い猫の元に戻る〜しかし食べてくれず開けてしまったエサを持ったままトボトボ歩く」という行為を何度もやっているのでしょう。

猫のもとに戻り、食べます?と口元に付けてみると、食べまくった。
1本、2本、3本、と、どんどん食べていくが(コンビニに売ってるちゅーるは4本入り)そこまではあまり息が合わず、出し過ぎて、鼻に付いたり、下に落ちたり。出さな過ぎて、舌が空振りしたり、と即席チームのコンビネーションの悪さが露呈した。
がラストの4本目は、呼吸が合ってきて、全ペロペロにちゅーるを満遍なく投入でき、一度も無駄なペロペロをさせずに終わらせる事が出来た。鼻にも付かなかった。
無くなった時に思わず「わお、パーフェクト。」と言ってしまった。
食べ終わって「もう無いよ。」と言うと「知ってるよ。いつもこのパターンの時、4本だもん。」といった感じで、さっさとどこかへ行ってしまった。(もう歩けないと思ったのに颯爽と消えた。)
この猫ガリガリだよ、なんかあげようよ〜最寄りのローソン〜ちゅーる、のこの流れを何度も経験してるのでしょう。
明らかに4本入りと知ってる様子でした。

PS.ちゅーる、を初対面の猫にあげた事がある人しか面白くない話かもね。あのパーフェクト感。
多分モテる男ほど上手いんじゃない?モテない人はちゅーるの出し方で練習すると良いかもね。押したり引いたり恋の駆け引き。
多分自分は中の上くらいっす。

PS.「悲しく懐かしい」と書いたが、昔の小説とか読んでると「懐かしい」だけで「悲しく懐かしい」という感じですね。
あまり、昔の方がいいなあ、とか思わないタイプだが「懐かしい」の使い方は昔の方がいいね。

PS.入院してたカブが退院した。
方南町の元レーサーでベイビーメタルオタクのバイク屋さんがいつも直してくれるが、あまりにも感度良く絶好調になり過ぎてて、店から環七に出る時に、想像以上に加速してトラックに轢かれそうになった。
こんなに音楽に全てを捧げた人生だったのに、最後に聞いたのがベイビーメタルだったら、成仏できずに環七の地縛霊になっていた事でしょう。
いつかは死ぬけど、特に今は嫌だな。
今年は6出して7なんだもん。

PS.猫チュールやら、カブの退院やらで、動画編集出来なかった。
明日はがんばります。

ワンマン動画の編集をするぞ!と昨日張り切って書きましたが、データ見てみたらちょっと足りないものがあり、今日は作業できず。
なので、サボってた訳ではありません。

隣の保育園からの子供の声の隙間を狙って「お前さん〇〇なんじゃないのかい?」とかやってました。(春だからか保育園に新キャラ登場してた。「おこおこおこおこ怒られたー!おこおこおこおこ怒られたー!おこおこ〜」とずっと繰り返すやつがいた。絶対おこ4回。)
ほんと隣接してるから、家中どこにいても子供の声が入ってしまう。面白いからいいけどさ。

↓これは昨夜の写真ですが、泣きそうになりました。なぜでしょう?

↓答え

手前のゴガツは2011年から飼ってる。黒いホタテは2010年〜で、曇りガラスの向こうでエサ食べてる野良猫はたまに来る。
この野良は内地風に言うと「キジトラ」とかそんな種類なんでしょうが、北海道弁?では「ヨモギネコ」といいます。(厳密に言うともうちょいヨモギネコは薄いんだが)
2001年〜2011年まで、ヨモギネコのオスを飼ってたんだけど、ゴガツが来る直前(震災のちょっと後かな)にどっかへ消えてしまいました。
ので、ゴガツとホタテと、曇りガラス向こうの野良ヨモギを見ていたら「もしあの時いなくなってなかったら、この家でこんな3ショットが見れたんだな。」と思ってしまい泣けてきたのでした。

湿っぽくなってもあれなのでここで宣伝。
6thアルバム「アコースティック」収録の「猫との午前」という歌は、まさにそんな感じの歌です。
高野君のトレモロギターは俺の気持ちそのままです。

PS.じっと見てるホタテがまた涙を誘うんだよな。

3月はレテパ休み、と書いたけど、俺は色々がんばります。
昨日は、ワンマンの撮影をしてくれた方から、カメラ3台分のデータを貰う為に調布まで。
京王線、久し振りに乗ったけど(京王稲田堤時代があった。あとカブはちょい壊れ入院中。)やはり喜怒哀楽で言ったら、哀、ですね。
新宿のホームにいるだけで悲しい気分。
ライブ後にとぼとぼ帰った悲しい記憶が未だに消えないね。(ライブが良くない事なんてなかったけどさ。UFOで自主企画やって客1人とかね。しかも妹。)

調布に着くと、カメラマンさんから謝られた。
3台のカメラのうち、1台の映像が暗かったり、その他諸々色々後悔の残る撮影だったらしい。
(配信チケット買ってくれた皆様。カメラさん随分反省してましたが、大丈夫でしたか?ちゃんとレテパシー出てました?そう言われると怖くて俺はまだ見れてない。すみません。)

3台の映像別々に貰ったので、明日は1日かけて、自分のセンスで編集してみます。
やり方分かんないけど。調べてやってみよう。
貰ったパソコン立派なやつなので、作業的には何でも出来る最強パソコンらしい。(さしずめガンダムとアムロですね)
この文章を書くのと、先日の「水平線」PV作りにしか使ってないんだから、宝の持ち腐れにならないようにがんばります。
うまくいったら、YouTubeに載せますね。(載せ方はこの前覚えた。簡単だった。)

プロフィールご覧になりました?
俺が最近知ってずっと聞いてる、2002年〜ずっと同じメンバー(多分)でやってる某バンドと比べたら、レテパの今の感じはただただ悲しいマイナス状態に思われてるんじゃないかな?と。
悲しい事も多かったけど、全部あったからここまで来れたわけで、だからレテパの大量のメンバーチェンジの有様は、美しいんだ!むしろ誇りたいくらいだ!と、思いまして、プロフィールのページ、レテパを知って最初に読んでくれる人も多そうだから、アルコールの事も少し説明っぽく書きました。
2015年以降は間違いなくその問題が中心にあったんだから説明しないのも不自然だな、と。

最近知った某バンド、と書いてますが、ふと思ってさっき「僕のレテパシーズ 某バンド」で検索してみたら、全然対バンしてました、、。
あの数年の記憶は基本ゼロ(何となく色だけ覚えてる感じ)なので、知らなかった。損したな。バカだな。友達になりたかったな。生意気な態度とってないかな。俺いいライブしたかな。(多分ライブはバッチリな時期だと思うけど、、)

話は変わりますが、3月のレテパはスタジオも何もかもお休みにしてます。
ワンマンが終わり、休憩という意味もありますが、俺が重度の花粉症なので。
スギのみなので、2/20ならギリギリセーフだな、と思ってたら、その日からスギ大量飛散で危なかったですね。
昔、花粉〜喉のイガイガ〜咳〜気管支炎〜声帯ポリープになって数ヶ月声が全く出なくなる地獄を見たので(2011年)今後も2月中旬〜4月中旬までは、基本ライブは入れないと思います。
レテパのライブには毎回行くぞ!というタイプだが、長期の放浪の旅に出たいな、とか、長期の出稼ぎ労働に出たいな、とかいう感じの人は、スギの花粉症の季節がオススメです。
まずライブやらないので。

PS.北海道ではもちろん花粉なんて大丈夫だったし、東京でも最初の頃は平気だった。
ホコリまみれのリサイクルショップでずっとバイトしてたら、いきなりなった。

PS.雨ですね。雨と庭の満開の杏。(棕櫚(シュロ、たわしのやつ。野良猫がみんな爪研ぐから、猫の背の高さで禿げてる)の木と同化してますが、、)
前書いた、正月頃には1羽で初登場〜春になり恋人を見つけ2羽で毎日登場〜の目白のカップルは楽しそうに杏の花の蜜を飲みに来ます。
うちに来る様々な動物の中では、狸カップルと目白カップルがダントツのリア充という事になります。

昨日のこのページなんかリンク?を押さないと見れない変なふうになってましたね。
すみません。なんだったんだろ。

メカ音痴なのでよく分かりませんが、他のページは大丈夫かな?と思い、全ページ見直した。
そしたらプロフィールのページの文章を、もう少し分かりやすくした方がいいかな?と思いちょっとですが、文章いじりました。

ちょうど先日、ライブハウスからのライブオファーのメールに、他出演予定バンドの名前が何個かあって、レテパは出れないんだけど、どんなもんだろう?と思い、書いてるバンドの音源をサブスクで聞いたりしてました。
で、1バンドだけカッコよくて(一応名前は伏せますが)先日から繰り返し聞いているのですが、バンド結成が2002年みたいで「ああ、アシカラズ(先日ラジオでかけた。俺が20才の頃のやつ)と同じか、、」と思ったら、なんか色々考えちゃいました。
詳しくは分からないけど、そのバンドは多分ずっと同じメンバーみたいで、メンバーが変わりまくってるレテパはもう少し、今まで何をやって来て、どうしてこうなってるのか、どこに向かってるのか、を分かりやすくしないと、ただただ昔張り切ってたバンドが年取ってボーカルだけが往生際悪く続けていて、だからアー写もPVも一人で映ってんだろう、全盛期過ぎたクソじじい!とか思われるのかなあ、とか想像してたので、この機会にプロフィール文で少しは説明出来た気がするので良かったです。

先日の2/20のライブ前に、行けないけど頑張れー!と某元メンバーがメールをくれまして、ほんと今全盛期状態なのは、過去のメンバー(もちろん現メンバーも)のおかげなんだよな、と、もちろん毎日一秒も忘れてはいないのですが、改めて感じました。

さっき「どこに向かってるのか」なんて生意気に書きましたが、答えは昨日のラジオレテパシーの0:00〜0:22までの茶番劇の中で言ってるので聞いてみてね。

PS.というわけで、ついに3月ですし、ここからは6thアルバムモード全開で行きますね。
先行シングル「春」は3/16〜配信します。

PS.最近はラジカセから音楽を流すのが好きなのですが、レテパ1st〜6thもラジカセで聞いてみた。
やはり6thは満場一致で誰もが最高傑作と言う気がします。
2位は人それぞれだと思いますが。
で、7thで6thを超えるんだ。絶対に。

PS.まあ、1st〜5thはその時のメンバーの得意不得意を考えながら収録曲を決めていたが、6thだけはラストアルバムだと思っていたので、1stの頃からもう選曲してたしね。
6thの歌は他に入れずに大事にとって置いた、特に好きな歌達です。(60曲全部好きだけど。特に好み。)

週刊ラジオレテパシー本日22時の公開で第10回となります。

※以下内容について少し触れているから、真っさらで聞きたい人は読むの後の方が良いかも。

自分の音楽に関しては、努力という事は全くしてこなくて、朝顔のつるがその場その場で最善を尽くす(他人から見たら努力に見えたかも知れないが)といった感じの活動でしたが、この10回のラジオの中では、他人のラジオをたくさん聞いて良い所や悪い所を学んだり、音声の工夫をしたり、と、なんか珍しく努力したなあ、という感じがします。
局長は俺よりもっとそう感じているでしょう。ほんと頑張ってるので。
聞いてくれてる皆さん、局長、スタッフ、ありがとうございます。

お礼に10回を記念して、ラジオ冒頭のいつものテーマ音楽の前に、素敵なショート寸劇が加わりました。
引っ越し前夜の局長が「なるべく明るい未来に急がなきゃ」←(聞けば分かる)引っ越したって意味がないんだ!と引越し準備の寝不足の中、張り切ってくれました。
今頃はもう江古田でしょう。皆さん江古田に足向けて寝れませんね。

あ、今回のラジオはもう一つお礼に「ラジオよりもわしはライブじゃ、ロックスターはただただ歌えばええんじゃ」という困った頑固なヘッズの為に、素敵な(多分)音源も用意しています。
まあ、記念すべき第10回だし今回は全レテパヘッズ必聴です。(去年はレテパ10周年だったが他人から言われて気付いたし、別に何もしなかった。が、ラジオは、ついに10回だ!がんばったなあ!という感じがした。この違いはなんだろう。)

PS.先週に続き、俺の大好きな岡沢じゅんの歌を流さしてもらいました。
今週はレテパワンマンライブ後初収録でしたので、ライブ話に花が咲き、岡沢じゅんについて語る時間がありませんでしたが、気になった方は「岡沢じゅん」「太陽が濡れている」がキーワードです。
他のアルバムも素敵なのばかりですが、久し振りに聞いたらやはり大好きなアルバムなので、2週連続で同じアルバムから流しちゃいました。
語りたいことはたくさんあるので、今度ちゃんと語りたい。

PS.「局長コーナー」いつもお便りありがとうございます。
全て紹介しきれず(しかも今週は「菊次郎の夏」について語りすぎて一通も読めなかった。すみません。)申し訳ないのですが、アナログ人間の俺らの気持ちをくんだスタッフが、皆さんのメールを全てプリントアウトして原始的に手紙っぽくして読ませてくれています。
月並みですが、楽しみにしてくれてる人がいるんだなあ、と励まされていますよ。
あるリスナーは「あんなに嫌いだった日曜日が楽しみになりました」と言ってくれました。
目指せ!2代目日曜日よりの使者!ですね。

昨日は6thアルバムの先行シングル「春」のジャケットを作って配信業者に入稿しました。
配信業者に目を付けられているのか、毎回イチャモンつけられるのですが、今回は何も言われず、審査通過と先程連絡がありました。

↓目を付けられているのは多分「才能がなかったんだろ」のジャケを最初

にしようとして、絶対に無理と言われたので「得意の狂人のふりをして乗り切ろうとした」からだと思う。
(結果、途中で今のジャケの方が良い気がしてきたから、引き下がった)

昔から狂人のふりは得意で、よくそれで困難を乗り切ってきた。
2019年断酒前のニュースは全て消してしまったが以前書いた、、、
「高速バスで楽器持ち込み不可と言われたので、狂人の芸術家のふりをして、ギターケースに洋服を着せて「これは流木の作品です。ケースを開けると湿気で全てがおじゃんになります。日本は湿気が多くて困りますね」とか言って乗り切った」時なんかもそのパターンです。
初期のボブディラン同様に、わざと焦点をずらし、相手を見ているようで見ていないようにするのもポイントです。

↓狂人のふり(流木アーティスト編)

去年の引っ越しでは、ペット禁止のアパートに猫2匹と7年住んでたから、壁も床も全面ボロボロで明らかに滅茶苦茶請求されるところを(知人の不動産屋に相談したら下手したら20万以上とられるぞ、と言われていた)やはり狂人のふりをして、逆に敷金を8万円返して貰う、という偉業を達成した。
去年の日本中の引っ越しで「敷金返還ベストプレイヤー」という賞があったら間違いなく優勝だと思う。
あの時は今までで一番本気出しました。

で、今日のタイトル「ヤハタ君がモヒカンにならないように」ですが、それは昨日のやり取りでの事です。

※「春」ジャケ画像を送り

↑どう思います?
春のジャケ(俺)

いいと思う!(ヤックン)

いいよね!?(俺)

うん!(ヤックン)

よし、入稿だ
売れなかったらヤックンモヒカンね(俺)

OK!(ヤックン)

というやり取りをしたので。
(証拠画像はジャケが見えちゃうから、まだ載せれませんが)

というわけで、モヒカンを見たい人は「春」をあまり聞かないように。
モヒカンよりも「春」がたくさんの人に聞かれて、6thも大評判で、夏には「僕のレテパシーズベストLP」を手に入れて、その後は最高傑作の7thだ!という芸術至上主義の人はモヒカンは諦めてね。

どちらにせよ楽しみですね。

PS.「ひろしデモ」の時は「デモテープなら楽曲表記これじゃだめですよ」「デモテープじゃないです、ひろしでも逆上がりが出来た、とかの意味の「でも」です。」といった激しい戦いが繰り広げられた。
キヨシローの孫なので、こう見えてもやはり戦う時は戦うんです。

PS.改めて見たが「才能がなかったんだろ」の数字ちゃんと歌のままですね。
なんと悲しいノンフィクション。

さすがにもうセットリスト載せても大丈夫だろう。(配信チケット購入者がまだ見てなかったら悪いな、と思い載せてなかった)

一昨日ラジオの収録をしまして(第10回!おめでとう!)ライブ後初の収録だったので、ライブ話に花が咲きました。
局長はラストの「水平線」に圧倒されたそうです。
まあ、詳しい話は次回のラジオレテパシーにて。

12曲目の「春」は次作6thアルバム「アコースティク」収録曲ですが、春だし先行シングルで出そーかなー、でもジャケットが無いなー、と先日書きました。
今日は頭が冴えていたので、素敵なジャケットを作りました。
ので、早速入稿。無事春のうちに発売できそうです。
よかったよかった。

PS.昨夜は久し振りの狸。なんか妙に大きくなってるな。
うちで子狸産んだらどうしよう。

昨日はラジオの収録でしたが、局長に「月形のPV見たけど、ひろしさんの住んでた家はどんな感じだったの?」と聞かれ「え!?めっちゃ映ってんじゃん!この酒飲みが!」と罵倒してやりましたが、言わないと分からない人もいるのかな?
昨日載せた↓

が少年時代に住んでいた家でして「知らなかった小さな僕が流した真夏日」あたりで空家になった現在の家〜30年前の家、の映像があります。

この住んでいた家は当時土地付きで(1990年頃)50万円だったそうです。
今はいくらか分かりませんが、このPVを見て移り住む人がいたら、正真正銘NO.1レテパヘッズですね。
(月形町南耕地2だよ)

この空き家での撮影後になんか腕が痒いなと思ってたら、みるみる腫れてきて、実家に帰って父に見せたら「茶毒蛾だわ。薬あるよ。俺も去年刺されたもん。」との事でした。
なので、この初日の撮影以降は、右腕がヤンキーの根性焼きのようになっていますが、もし今後見る事があっても気にしないで下さいね。
※↓よく見ると右腕が根性焼きヤンキー

出てくる無人駅は札沼線の知来乙駅。
去年4月に廃線になりました。
廃線になるとよく鉄道マニアがやって来てわいわい騒いでいるニュースを見ますね。
自分の故郷の札沼線の最後は、出来たら雰囲気壊してほしくないな、と思っていたら、さすが札沼線。
コロナの影響で、廃線の日程を急遽前倒ししまして、本当にひっそりと地元民のみに見送られラストランをやっていました。
普段は車移動で汽車は使わない生活でしたが、PVにも映っている「東京のじいちゃんばあちゃん」が遊びに来た時だけは、この汽車に乗って、知来乙〜札幌〜千歳空港、と帰っていくので、ほんとこの駅は映像の通り、何年かに一度、祖父母を見送る為だけの駅でした。

4人の全じいさんばあさんが出てきますが、畑で一緒に豆をとっている祖母は去年亡くなったので(祖父達はだいぶ前に全滅)今生きているのは汽車に乗り込んでる祖母だけですが、映像的にはすげえ天国に旅立った感が出てて笑ってしまいました。
センスの良いとても気の合う祖母なので、今度会ったら見せてあげようと思います。

多分こういう会話になる。

「ほら、すげえ召されてる感じすんじゃん。一番生きてるのに。」
「そうよ、もう召されるのよ。さようなら。」
「ほら、笑うとばあちゃんに似てる気がするんだよなあ。」
「そうね。あなたはモジャモジャでも案外清潔感があるわね。」
「そこが売りなのよ。」

ここまでは妄想。

以下は昔実際にあった会話。

「今年は頑張って早く紅白に出なきゃね。」
「あら、あなたはあんなものに出たいと思ってるの?」

面白いバア様でしょ?

というわけで、3日間に渡り、故郷を思い出せて良かったです。
これにて解説終わり。

なんにせよ、長谷川大ありがとう!

PS.古いビデオの数字が「91年6才」となってますが、これは妹です。年齢詐称してませんよ。(多めに言うやつはいないか)

PS.最後に俺の偏狂ともいえる月形愛の分かる一冊を。
「月形」を作った上京したての2004年頃は、この本をずっと眺めてはホームシックに拍車をかけていました。
花の都大東京に引っ越したのに、家から出ず酒飲みながら町史読んでるんだから、そりゃ売れないわな。

前にラジオでカミングアウトしましたが、生まれたのは登戸です。
0才〜2才までは父の仕事の関係で横浜に住んでいました。
2才から「やっぱり子供は父の故郷の空知地方で育てよう」という事になり月形町へ。
2才〜13才(中1まで)を月形で過ごしました。
なので「出身地」を問われた時は月形町と答えています。

井上陽水の「少年時代」的な、ただただ少年の時代を月形で過ごしたので、ポーグスのシェインのティペラリーとかと同じ感じで空知、特に月形への望郷感は完璧な美しさになってしまっています。
その証拠に、上京時のホームシック系「北」「炭住の赤い屋根に」そして「月形」なら分かるが、高校卒業後に住んだ札幌の季節感にすら馴染めず、郷愁感の中「空知」を作ってしまっています。
車で1時間の札幌〜空知の距離ですら、ノスタルジックな気分になってしまうんだから、2才〜13才という「少年時代」の力は大したもんだと思う。
これが2才〜14、5才でも違ってたかも知れない。
14才だとガールフレンドが出来たり、悪い事をしたり、父親と本気の殴り合いをしたり、と、完璧な「少年時代」とは言えない気がします。

もう一つ証拠に、今でも風呂に入りながら聞くのは、月形の家で聞いていた、氷室京介(ボーイも)と尾崎豊。
この2つはやはり月形の完璧な少年時代のテーマソングでしたので、昨日も今日も明日も、湯船に浸かる時は聞いてしまう。
懐かしくてしょうがないんです。
(14才〜のブルーハーツとかになるとやはり違う。どこか今とつながってしまっているから。)

14才からは隣町の少都会、岩見沢に引っ越して高校卒業まで住みました。
サックスもセックスも歌い出したのも岩見沢なので、岩見沢はただただ美しいという感じにはなりません。
今、実家は岩見沢にありますが。

PS.初期レテパ60曲の中でいうと「月形」は上京して一番最初に出来た歌だ。(厳密に書くとレパートリーではないが「春の雨」というのが上京1曲目「月形」は2曲目)

PS.話しは変わりますが、一応。
先日の写真にトランクスが大量に干してあったのを見た友人から「パンツはいてるやん」と言われましたが、先日書いた靴同様、最近はパンツも履いています。
あと、ライブ中飲んでるのは、ノンアルコールです。一応、心配してくれる人がいるので。(ありがとう!)
色々詳しい人が見たら「ノンアルもダメなんじゃないの?」とお思いでしょうが、勉強や対策を講じた上での計算ずくのあえての行為なので、大丈夫です。