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2017年10月、ギターのはなえもんが突如レテパシーズを抜けました。
2ヶ月後には3rdアルバム「永遠に、たまに」のレコ発ワンマンが控えていました。
その日、はなえもんが来なかったので何も出来ず、スタジオ(中野ベースオントップ)に金だけ払い、サンプラザ前の広場の階段に座った、飯田裕、鈴木亜沙美、俺の3人は(この時期4人体制)途方に暮れていました。
でも厳密には俺はあまり途方には暮れていなかった。
心の中で「うみのてやピンクトカレフだった高野京介は対バンするといつも、ずっとレテパみたいなバンドがやってみたかったんだよね。」と言っていたからやってくれるだろう。
と思っていたので。
いーちゃんとアディーにそれを言うと「やってくれるかなー?忙しいんじゃない?」と半信半疑。
俺は「だってやってみたいって言ってたんだから。やってくれるんじゃない?いーちゃん連絡先知ってるなら今連絡してみてよ。」と自信満々。
で、その場で連絡。すぐに返信。快諾。
ワンマンは無事終わり、そのまま「6枚のアルバムを残したい」という俺の「遺書作り」に付き合ってくれました。

2018年の4thアルバム制作途中に俺の状態は最低最悪になり(アルコール依存症です)エンジニアも途中で降りてしまい、このままじゃ6thどころか4thも完成できないな、と確信し2回目の本格的な治療に入りました。
その時もあの、一見テキトーな人間と勘違いされそうな軽い態度で、何も変わらずに助けてくれました。
本当に優しい男です。(もし彼を知っていて、彼を優しいと思えていない人がいたら、感性イカれてるよ。)

その後、治療の甲斐あり体調も復調し、4th完成。
続いて5th6th制作、そして去年2月の復活ライブ。この前の5thレコ発ワンマン。
全部高野君と一緒にがんばりました。

6thは完成してるけど発売はまだだし、レコ発ライブも5thまでしかやれてないけれど、おかげさまで「遺書作り」は本当の意味で終わり、頭の中は7th以降の未来の事でいっぱいになれたので、新しく動き出すためには、このタイミングかな、と。

あの一番滅茶苦茶だった時期を支えてくれてありがとう。
歌ができる、ライブをする、アルバムを作る、そんな当たり前の事が出来なかったあの時期。
今、普通のバンドに戻れたのは高野君のおかげです。

ありがとう高野君。
高野君もがんばってね。
俺らもがんばります。

光栄なことに、一番好きな歌手から「アルバムが出るのでコメントを書いて」と頼まれた。
アルバムを聞かせて頂き、そのまま書いてみた。
普段そんなの全然頼まれないし、人が書いたやつも読まないので、コメントというものがこれで良かったのか分からないが、書き直せるタイプでもないのでそのままお渡しした。(厳密に書くとコメントの前にその人に対する歌が出来てしまったが、さすがに長すぎるしね。まあ歌は歌おう。)

で、ちょっと笑っちゃったのが、コメントかあ、と思って真っ先に思い出したのが、太宰治さんが書いた、織田作之助が死んだ時のコメント(追悼文)でした。
なんか、あれ以外に思い付かなかったのが面白かった。
約70年経ってるのに色々すっ飛ばして、これか、と。
でも、そういうもんでしょう。
なんつーか、そういうことなんだよなあ、という感じの一日でした。

PS.でも、昔のレテパチラシには素敵なコメント色々頂いてますよね。
押し入れの奥だから、今度探してみて見つけたら紹介してみますね。

ここ数日怪しかったトイレがついに詰まり、100均に行きスッポン(スポスポするやつね)を買いトライするも解消せず。
ホームセンターに行き1500円の高級スッポンを買いトライするもダメ。
しょうがないから業者を呼んだら、古い家なので色々発覚し大ごとに。
「金をかけずにだましだまし住めるまで住む」パターンのここには書けないアウトロー戦法や、正攻法のやり方など、全パターン理解するまで聞いてたら何時間もかかりまして、今日も時間が無くなってしまった。
結局、まあまあ正攻法の○○万円コースになりそうです。
しょうがない、あれとあれを売るか、、。

昔、どうしようもない金欠の時にアルトサックスを売った時は悲しかったな。
アシカラズで使ってた「テスコ、スペクトラム5、サンバーストカラー」も売ろうとしたら、コークスで一緒だった遊佐が「私に売って下さい。一番高く買います」と男気を見せてきて、高値で買ってくれた。(ギターなんて弾かないくせに。俺が知らない人に売って悲しくなるのを防いでくれた。いいヤツ。)

夜はラジオ収録(お気付きの方も多いでしょうが、うちで録ってます)なのに、トイレが使えないから急遽、会場変更。
ので、書きたい事あったんだけど、また今度。
いってきまーす。

3月はレテパ休み、と決めてから3週間が経ちました。
4月になったら、休みの反動で色々爆発すると思います。
覚悟してお待ち下さいね。
今日も4月以降に向けてたくさんがんばりましたよ。

まだやることが終わらない。
短くてすみません。
物足りない人はラジオでも聞いてね。

PS.昨日のラジオレテパシーまだ聞いてない人もいると思うのですが、ちょっとお知らせ。
次回の収録が火曜日20時〜なので、日にち近くて恐縮ですが、局長コーナーへの「入学式卒業式エピソード」のお便りはそれまでにお願いします。

PS.スタッフが目次を作ってくれました。

【週間ラジオレテパシー第13回(3/21)】
目次
0:00・オープニングトーク
3:40・名物レトロCM「見知らぬ青年との会話」
6:00・ニュース深堀コーナー「春リリース、動画編集完成、在庫のCD」
22:00・曲 島崎智子「元気でいて」
26:25・島崎智子さんについて
33:25・お題でGO「ラップ」・ひろしのヒップホップ論
43:00・曲 「月形」僕のレテパシーズ
46:05・局長コーナー・お便りテーマ「春の思い出」・乱闘・音楽の授業
56:55・「局長いちゃがりがりを食べる」
来週のお便りテーマ「入学式、卒業式のエピソード」
59:35・エンディングトーク

昨日撮ったラジオ用の写真です。
10年振りの昼局長、爽やかでしょ?

写真も一新して、ますます絶好調のラジオレテパシー第13回は22時更新です。
今回もポッドキャスト用の紹介分を書いた。

緊張気味のひろしと局長。
その理由は明白で2人が敬愛する島崎智子の曲が流れたからだ。
普段はふざけていても、いざ素晴らしい音楽に触れると畏怖の念を隠せない2人。
音楽ラジオのあるべき姿がここにある。
お題コーナーではラップをこきおろす。
「ラップ流行るとさ、まわりのバンドマンもちょっと取り入れるよね。なぜだ?」
名物CMコーナーは「見知らぬ青年との会話」にのせて。
「世界なんて自分で作ったもんじゃないからさ‥」マスター渋い!もう一杯!

という感じの今回。
まあまずは聞いてみて下さいね。
おかげさまで素晴らしい回ですよ。

PS.今気づいたが、局長の服にDMって書いてますね。
もっとお便りちょーだいな、という隠されたメッセージなのかな?
(ラジオで紹介出来なかったお便りも、いつも楽しく嬉しく2人で読んでます。ありがとうございます。)

今日は江古田(局長の住む街)へ行き、ラジオの新アー写撮影。
撮影係のヤハタトシキ(レテパの現ベースね)とニケツして高円寺からカブで春の環七を10分くらい。
タカユキカトー(レテパの前ベースね)に貰ったブルートゥーススピーカーで爆音で音楽をかけられるので、ヤックンに選曲を任せたらクラッシュでゴキゲン。
が、走ってる時は爆音なんだが、信号で停車すると、爆音を恥ずかしがり小さくするので「なんだなんだ、このテレ屋さんめ。情けないなあ。」とちゃかしたら、無言で異常なまでの爆音にして、その後の信号待ちでも異常な爆音を下げなかった。
無言で上げるところがヤハタトシキだね。
青い春なキュート系ヤックンエピソードでした。

PS.俺は11月くらいに露骨にマッキーの「冬がはじまるよ」を爆音でかけたりするけど、全然恥ずかしくありません。
海辺でブランキーの「SEA SIDE JET CITY」とかね。

PS.昼間に局長に会うの、多分一緒にレテパやってた時以来だから、10年振りでした。
昼局長は意外と爽やかに見えました。

今日はあまり時間が無く、ショートバージョンで。
でも、バンドのやる事がたくさんあるのはいいことだ。

今日はメールしてる時に、自然と、
「笑われるかもしれませんが、40才までに武道館でライブをしたい」と本気で思っておりますので。
と書いていて、我ながら「ああ、武道館と思ってるのね。」と微笑してしまった。
武道館に出た時はこんなMCをしようと思います。
「俺は昔、剣道部でマネージャーに恋をしていました。剣道部にとって武道館は甲子園みたいなもんなんです。あの時マネージャーのあのこを武道館に連れては来れなかったけど、20年以上経って、自分の歌でここまで来たぜ。ライブハウス武道館へようこそ!」
がんばりまーす。

次作6th「アコースティック」からシングル「春」とPV「月形」を聞いてもらいまして、もう皆さんお気付きでしょうが「アコースティック」と言っても使ってる楽器はいつものレテパです。
でも、心持ちとしては「アコースティック」という感じです。
そして俺は、エレクトリックより、アコースティックが好きみたいです。
ので、次のアルバムは特に大好きなんです。
お楽しみに。

昨日は次回第13回分のラジオ収録で、局長と「ラップ」について話しました。
その時に「俺がかなりお喋りなのは、小学生時代に同級生と口喧嘩を繰り返していたら鍛えられてしまい言葉数が多くなってしまったから。それはラップバトルと同じようなものだった。」みたいな話をしましたが、ちょっと訂正。
それも大いにあるとは思うが、今日母親と久し振りに電話したら、気付いた。
父母がすげえ喋る人だったからこうなっただけでした。

ラジオでは俺が喋りすぎて局長が相槌多めですが、母との電話では俺が相槌ばかりしてました。

母曰く、、

「この前、ひろしんちで貰った、その家に昔からあった古い手ぬぐい、、、」
「一本だけ気になるのがあって、使わずにとっておいた、、、」
「よく見たら、東高円寺、成吉思荘と書いてあり、それは明治創業の肉屋が政府の羊食普及の活動に協力して、昭和初期に始めた成吉思汗屋、、、」
「まだ北海道でも網で成吉思汗を食べていた時代に、ジンギスカン鍋を最初に使った店で、、、」
「北村(空知にある村)の人達にも教えなきゃ」
「北村はジンギスカン発祥と言っていて、、、、」
「緬羊の毛は軍隊が、、、」
「その肉が臭くて食べれないからジンギスカンが、、、」
という感じで、この「、、、」にはこの何十倍ものマシンガントークが入ります。

俺はひたすらの相槌の後に、
「じゃあ、今度町内会長に会ったら色々聞いてみるわ。この前古い地図くれたし、このあたりのプロだから。」
と言って電話を切りました。

まあ、母も「成吉思荘」の事はネットで調べたんでしょうが、さすがに頭もよく、自分の感覚を元にした知識の地盤が素晴らしいから、ネットを見たら書いてあるような事を話してる時も、全然貫禄が違いますね。
たまーに、ネット豆知識まとめサイト系の人と話すと、一瞬で分かるもん。ニセモノだって。
本物は違うなあ、と母で再認識した一日でした。

PS.若き日の我々↓

いつもだったら、リリース前後は得意の体調不良になりますが、今回は平気。
別に諦めたわけじゃないよ。色々分かってきただけです。

今、文章書こうとしてたら、歌が出来始めたので、今日はここまで。

PS.朝起きたら、庭の木蓮の木が根本から折れて倒れてた。(昨夜の強風か?蕾もついてたのに)
ので、ノコギリで細かく切ったが、部屋から見える木の中で唯一冬は葉っぱが無く、鳥が止まるのがよく見えたので、残念。
ギコギコと悲しかったが、去年義祖母に貰った水仙の花が咲いてたので、嬉しかった。

「春」聞いてみましたか?
2007年作ですので、歌のとおり、いつか僕らはそうやって消えてしまいましたが、まあそういうもんでしょう。

ジャケの手前の猫は、PV「月形」撮影時に知来乙駅に落ちてたので持って帰った猫。
奥の人形は4thブルースマンのCDを持ってる人なら分かるかな?再登場です。

6thアルバム「アコースティック」収録曲です。
5thと6thは同時発売にしようとしてたくらいなので、録音メンバーやエンジニアさん達も同じ面々です。

「春」

作詞作曲/古宮大志
編曲/僕のレテパシーズ

ボーカル.ハーモニカ/古宮大志
ボーカル.ピアノ/ハダユキコ
ギター/高野京介
ベース/タカユキカトー
ドラム/関口萌

録音/タカユキカトー
Vo録音のみ/馬場友美
ミックス/馬場友美
マスタリング/中村宗一郎
ドラムテック/北村優一

5th録音は2019年終わり頃〜で、6th録音は2020年夏〜なので、単純に同じメンバーで演奏や経験を重ねている分、5thよりもどっしり風格が漂ってる気がしますよ、6thは。

6th「アコースティック」発売、初夏初夏言ってますが、ここはノースカントリーボーイの感覚の初夏なので、4月末〜5月始め、が初夏になりますよ。
初夏までは春なので「春」聞いて待ってて下さいね。