9月21日(水) MV「実家のハイロウズのリストバンド」公開に寄せて

MV「実家のハイロウズのリストバンド」

これでも数テイク撮影しましたが、なんせ曲が短いので「曲が短いってこういう時も助かるねえ!」なんて言いながら楽しく撮影出来ました。(録音やミックスも楽だよ)
諸先輩方からのありがたい影響のせいか「PV?そんなもんでごまかして大して良くもない歌を良い風に見せるなんて外道だね。歌の力と全く同等の効果しか無いPVか、なんなら下に見えるPVしか認めないね。」という方針の下、今まで真面目に音楽活動してきました。
で、今回は「歌と全く同等」のPVな気がします。
雲の上の諸先輩方もお怒りになることは無いでしょう。よかったよかった。

この歌は前にレテパツイッターに載せてもらったこの文章が全てです。


 
この葬式の時、羽田空港に行くのに品川駅で乗り換えたのですが、ふと左を見ると品川プリンスホテルが見えました。
それは高校の修学旅行で泊まったホテルでした。(その頃は担任と契約を結び「単位ギリギリの回数だけ出席すれば遅刻早退欠席は自由。その代わり絶対に退学はしない」という状態だったので(自己評価に関わるのか自分のクラスから絶対に退学者を出したくない様子だった)出来ることなら修学旅行なんて行きたくなかったが、単位的に欠席できなかった)
高層階の部屋の窓から船が見えて、爆音(本当に今では耐えられないレベルの爆音だった気がする)でウォークマンからエリックドルフィーの「AT THE FIVE SPOT VOL.1」の1曲目「Fire Waltz」の演奏が始まる瞬間、本当にいつでも救われた気分になれた。(ガヤガヤガヤ、、、タララタッタタ、、、パララパララー!)
でもそんな気分は長くは続かず、進路未定の17才はかなり不安な状態で、港の船を見ていたと思います。
「俺はこれからどうなるんだろう?つーか何をすればいいんだろう?」
(しかしこの次の日、渋谷のタワレコで買ったあるCDにより進路は「フォークシンガー」に決まったから不安は一気に吹き飛ぶのですが。その話はまたいつか)

20年前の思い出の品川プリンスホテルを見上げながら「おーい!ついに岩見沢のばあちゃんが亡くなったぞー!あと、俺のやる事はやはり歌だったぞー!がんばってるぞー!」とあの頃の自分のウォークマンのイヤホンを外し、エリックドルフィー以上の爆音で叫んで安心させてやりたい気分になりました。

というわけで、MV「実家のハイロウズのリストバンド」を見て気に入った人はレコ発ライブを目撃してね。
東京、大阪、チケット販売中!

PS.家の近所に「目ん玉変な方向にされたあげく吊るし上げられているピーポくん人形」を飾ってある警察ファックな雰囲気のカッコいいバイク屋さんがありました。
が、気付いたらバイク屋は無くなっていて、後にTKA4というお店が出来ていたみたいで、そこで「ほたるたち」のライブがある、と穂高亜希子から聞いたので(最近仲良し)見に行きました。
「ほたるたち」だけでも楽しみなのに「真黒毛ぼっくす」ではヤハタトシキがギターを弾くと言うし、「ヤスエでんじゃらすおじさん(バンド)」では元レテパの飯田裕、ハダユキコが参加すると言うし、張り切って向かったのでした。(自宅から徒歩5分)

「ほたるたち」
→穂高亜希子とは同世代だし2000年代にも2010年代にも何回も対バン(俺も彼女もソロ)していた。
が、今年に入って偶然ほたるたちを知り、そのライブを見て衝撃を受けました。
それから大ファンになり、行けるライブは全部行くようになりました。
7月に行われたワンマンを見ていた時は隣の客がちょっと目障りだったので目をつむりながら聞いていたら「近未来。レテパ主宰の野外フェス。23:30。客が疲れを通り越して神聖な気分になってきた頃。ほたるたち登場。山の中。明滅しながら。ほたるたちが強いほたるのような演奏をしている。」という妄想が始まり、ずっと目を閉じてレテパフェスの中で勝手に感動しちゃいました。
(いつかレテパ野外オールナイトフェスを開催するのが夢です。今はMVを公開して1日経っても再生数が100回もいかない真の無名バンドですが、ここからめちゃくちゃがんばります)

「真黒毛ぼっくす」
→ヤハタトシキのギターカッコ良かったですね。
ホーンのいない真黒毛であんなミスターバンドマンなギター弾いたら、さすがの大槻さんも90年代バンドマンあんちゃんモードになっていて「ホーン無し編成もシャキッとしていいじゃないですか!」と伝えたら「そうですねえ。」なんて言いながら、終わった後はわいわい俺のうちで大勢で飲んでいたが、そのまま1人大槻さんだけ泊まり、起きて、また朝早くから2人で飲み始め(俺はもちノンアル)結局ヤクルト対阪神のナイターまでがっつり一試合見てしまい、23時頃にようやくおひらき。
久し振りにこんな長時間(24時間以上)大槻さんと話したが、まあお互いに「こんな人生じゃ全く満足出来ないねえ。まだまだイカレた瞬間が待っているはず!」という感じは会った頃から全く変わらないので(単に無名でくすぶっている欲求不満状態、という事なんですが、、)相変わらずの仲良しで、クラッシュの「サンディニスタ!」なんかを聞きながら、明るい未来への作戦会議というわけでした。

アルコールだけの影響か?と心配になるほど病的に足元がおぼつかない大槻さんを駅まで送ったが、台風が近づく街は閑散としていて「あれ?なんかの一コマに似てるな。なんだろう?」と思ったのですが、今書いてて思い出しました。

つげ義春の「無能の人」の、、

このシーンに似てたんだな。
大槻さん、俺がんばるんでレテパフェスまで生きててね。(急がねば。生きててもライブがクソになったら意味無いんだし)

「ヤスエでんじゃらすおじさん(バンド)」
→ヤスエさんとも何度も共演したはずだが、シラフでヤスエさんを見るのは初めてでした。
シラフで見たせいか、ヤスエさんが変わったせいかは分からないが、めちゃくちゃカッコよかったのでヤスエさんに「今までの非礼をお許し下さい。こんなにカッコ良かったなんて、、。失礼しました!」と丁重にお詫びしました。(ギターの人も素晴らしくて狭い会場なのを良いことに超目の前に三角座りして目撃させて貰っちゃいました)
ほんといいバンド。でもメンバー毎回違うのかな?どうなんだろう?
(レテパフェスの際はぜひこのメンバーで出て欲しいな)

以上、MVについて書くつもりがレテパ野外フェスの話に飛んでしまいましたね。
無名の完全自主制作のインディーバンドが世に広まるのは想像以上に難しいんだな、と再確認の日々です。
が、もし今神様が現れて「君、日頃の行ないサイコーだから、好きな時代に生まれ変わらせてあげよう。好きな時代でのびのびと音楽やりたまえ。」と言ってくれても俺は「今の2020年代が一番向いてそうっす。なぜならレコードもCDも無い未知の乱世状態だから。山賊気質の自分にはピッタリっす。でも気にかけてくれてサンキューベリマッチ!」と答えることでしょう。

大槻さんにも「ひろしが元気で救われるよ。これでレテパが売れたらねえ、、」と24時間で10回は言われました。
みんないつまでカッコいいか分からないからな。
レテパが壊れない程度には急がなきゃね。

PS.今回はちょっと暗い文章に感じるかもしれないが、何年後かに「え!レテパシーズってちょっと前までYouTubeにMV公開しても100回未満しか再生されないバンドだったの?!なーんだ、俺らも絶望せずにがんばろう!」と誰かを励ますかもな、と思い記念碑的文章として書きました。
ので、明るい文章なのですよ。
がんばろー!