11月30日(土) アルバム全曲解説「見知らぬ青年との会話」編

新アルバムのスタジオで「地下室の外は」だけ、しっくりこず、他の歌に変えようかな、と思ってしまった。
と前に書きましたが、前回のスタジオで素晴らしくなったので、めでたしめでたし。
というわけで、

僕のレテパシーズ5thアルバム「タイトル未定」

1.長野県のお月様
2.音楽
3.ミツバチ
4.たこ公園
5.地下室の外は
6.雪包丁
7.佐藤君と伊藤君
8.そしてトンキーは死んだ
9.東京の空で
10.水平線

の10曲で決定。
もうちょい練習したら、録音します。

最近のレテパは高円寺スタジオコヤーマで練習ですが、この前練習後に店員さんが話しかけて来て「古宮さんですよね?僕、古宮さんと温泉に行った事があります。」と言うので、詳しく話してみたら確かに一度温泉に行った事がある人だったのですが、その人の名前が佐藤さんという名前だと言うので「お!今練習してる次のアルバムに入る歌に「佐藤君と伊藤君」というテクノ風ソングがありますよ。」と伝えたら「え!コヤーマの店員は店長のコヤーマさん以外は2人しかいなくて僕ともう一人は伊藤君って言うんです!」と言うので「わお!なんだか幸先が良いね。良いアルバムになりそうだ!」とゴキゲンなコヤーマでの一日でした。
地下室の外は、も本当に素敵になった。みんなすごいなあ。いいメンバーが揃ったなあ。

では、今日も元気に解説だ。

「見知らぬ青年との会話」

世界が終わるから 後悔ないように
生きて下さいと いきなり言われたが

この世界が終わっても 終われるものなんて
何一つもないから 僕は大丈夫です

そう答えたら その青年は
どちらかと言うと 嬉しそうでした

なあ 見知らぬ青年よ 世界が終わっても
終わることなんて できやしないんだよ

死んでしまっても 生きてしまっても
終わることなんて できやしないんだよ

で、気分のよくなった その青年は
あなたにとってジャズとはなんですか?と聞いてきた

JR南武線の久地駅から津田山駅の
進行方向の左の窓から見える

歩道の横に張ってある青い金網の鉄線が
各駅停車のスピードで僕の脳みそに刺さっていく

あの感覚が僕のラッパの音なんです、と答えたら
青年は満足そうに街へ消えてった

青年よ お前の恋がうまくいくといいな
もうちょっとオシャレにして 会話も選べよ

僕は今日あのこに会える ただそれだけで
ブルーハーツのファーストみたいさ

2ndアルバム「愛してるよ」収録
(2012年作詞作曲)

自分の歌はどれも好きですが、この歌は特にカッコいい気がしている。
音楽ジャンルの事は詳しく無いが勝手に「トーキングブルースのなれの果て」と位置付けている。
まあ、最新型のラブソングですね。

毎度毎度でキョーシュクですが、これもあった事をただただ歌ってますが、場面は下北沢の道端での事。
見知らぬ青年がいきなり話しかけて来て「もうすぐ世界が終わるそうですから、後悔無いように生きて下さいね。」との事。
俺は「OK!でも、この世界が終わっても、終われるものなんて何一つもないから僕は大丈夫ですよー。」

そのまんまですね。

後でわかったが、その時はマヤ文明の2012年終末論がブームだったみたいで、青年はそれを信じていたみたいでした。
その後、青年はレテパのライブにいつも来てくれるようになって、知ってる青年になりましたが、オシャレにはならず、恋人もいなそうです。多分。
レテパのお客は性別もファッションも年齢もみんなバラバラで、統一感が無いのがとても気に入っている。これぞレテパの真髄だ。

「JR南武線の久地駅から津田山駅の
進行方向の左の窓から見える
歩道の横に張ってある青い金網の鉄線が
各駅停車のスピードで僕の脳みそに刺さっていく
あの感覚が僕のラッパの音なんです」

の部分も本当なのでコアなレテパファンは体感すると良いでしょう。

当時稲田堤に住んでいたので、バイト(武闘派系リサイクルショップ、中高中退した横浜川崎系ヤンキーをブラックに労働させ勢力を拡大させていた。俺は居心地が良く4年位お世話になった。俺が辞める頃、警察に幹部の悪事がバレたみたいで今はもう無い。)に行くのにJR南武線を利用しており、歌の通り左の窓から金網が目に入って来る感覚が、滑らかな狂気のあのアルトサックスの音色に似てる気がして出勤時にいつも睨んでいた。

東京でのバイト生活は前に書いた調布深大寺「鬼太郎茶屋」~「リサイクルショップ」~「たこ焼き屋」で、どれも4年ずつ位お世話になりました。
鬼太郎やリサイクルの頃は、毎日二日酔いで出勤してはいたが、出勤前に朝から飲んだり(元嫁がバイト前に朝から飲むのを見て「こいつ終わってんな。」と本気で思っていた。)ましてや勤務中に隠れて飲んだりなんてしなかったし、出来なかった。(すぐバレるだろう。強くなかったので。)
しかし、1st「僕を殺せるのは僕だけさ」の2015年あたりからだんだん耐性がついてしまい、バイト前でも朝から飲むようになり、エスカレートしてバイト中も隠れて飲むようになってしまった。(逆に言うと飲まないと「離脱」が起きて外出も出来なくなった。)
出勤前にワインを1本空け、缶ビール片手にいってきまーす!で、途中のコンビニで「博多の華」麦水割り12度の200ミリを毎回決まって8本買い(近所のスリーエフ、全部俺が買い占めるので途中からツーフェイス展開してくれるようになった。この前久し振りに見てみたら、通常展開ワンフェイスに戻っていた。)わざと太めのポケット多めのズボンを履いていき、各ポッケにまるで爆弾隠したテロリストみたいに焼酎忍ばせて、同僚の目を盗みトイレなどで隠れて飲んでいた。
もちろん帰ってからも倒れるまで飲み、その繰り返しの連続飲酒状態。
つまみなんて一切食べないし、食事はほとんど出来なくなり、今回の断酒前には体重が53キロまで減ってしまっていた。
今は、63キロになったから、9ヶ月で10キロ増えました。どすこい。

歌詞の最後に「ブルーハーツのファーストみたいさ」とあります。
みなさんは、ブルーハーツとどんな出会い方をしましたか?

俺は厳密には月形小学校5年生(1993年)の時になにかのテレビで出会っている。
が、バンド名が覚えられず「ブルーヘアーズ?みたいなの知ってる?」と都会からの転校生だった生意気な大島君(最終的には良い奴だった。)に聞いたら「なにそれ?ブルハじゃないの?ブルーハーツ。」とバカにした感じで言われたので、大島君と共にブルーハーツも嫌いになり忘れてしまい、尾崎豊とBOOWYの2本柱で小学校高学年の多感な時期を乗り切った。(前に占い師に言われたが、俺は2才から12才までが最悪の運気であとは良くなるから大丈夫。との事。)
父は少年院の教官だったので、俺が尾崎豊を聞き出した時、少し警戒してた気がする。
その頃、スマップのドラマかなんかで尾崎豊の「オーマイリトルガール」が使われて頻繁に流れていた。彼はもう死んでたが。
俺は東京の祖父母の家に遊びに行く飛行機の中で、飛行機に付いているラジオ?あのイヤホンがビニールに入ってるやつで「オーマイリトルガール」を聞いて、ビックリして感動した。
「歌というものを真剣に歌ってる人がこの世にいたのか。」
と思った。はじめて命がけの純粋な歌声を聞いた気がした。そこから尾崎ブーム。アルバム全部買ったわ。

そんな、尾崎ブームは小5~中2まで続いた。
中2の時、何があったかというと、ブルーハーツとの出会いでした。
近所のプチヤンキーの家でテレビを見ていたら「懐かしの平成バンドブーム特集」みたいなのがやっていて、白Tボロジーンズヒロトの「リンダリンダ」で完全に持ってかれた。
友達に話すと「俺のアニキがブルーハーツのアルバム全部置いたまま家出して帰って来ないから、1枚500円で全部売ってやるよ。」というので、買った。
友人は「あ、マーシーの夏のぬけがらも買った方がいいよ。Bクラブに100円で何枚かあったよ。」と教えてくれて、岩見沢キッズ御用達の中古CD屋Bクラブで買った。

ブルーハーツは解散していたが、ハイロウズというバンドがいるという事も友人に教えてもらい、その頃出てたファーストとセカンドを買ったが、ブルーハーツと比べるとそこまでじゃ無く、ブルーハーツ程には聞かなかった。
が、その後高1の時に目ざましテレビで「千年メダル」のPVが流れ、金髪のヒロトがカッコよくて千年メダルすぐに買いに行き「ロブスター」もサイコーで、初めて自分の意思と自分の小遣いでライブを見に行った。
メインロブスターツアー、札幌ファクトリーホール、客は全然満員では無くて、すげえ近くで見れた。1曲目は「千年メダル」。

ステージにいる人達は人間じゃないと思った。
少なくとも俺が16年間見てきたのが人間なのだとしたら、彼らは人間じゃなかった。
当時はまだ「悪魔に魂を売らないとブルースマンにはなれない」なんて事は知らなかったのに「悪魔みたいだ。」と思った。

その次のバームクーヘンツアーも最高で「見送り」という歌が当時の恋のメインテーマになった。
アルバムには入っていないがシングル「罪と罰」のB面「即死」は俺の全てのメインテーマになった。(今も。)

その次の「リラクシン」の時は高3で、以前書いたがハイロウズ離れしていた。
アルバムは聞いたが、ツアーに行く気分にはならず、見に行くという友達に「もし1曲目が岡本君だったら、まだハイロウズの事少しは好きかも。友部正人の「ジュークボックスに住む詩人」に岡本君の原曲の「ジャラマドーラ」の歌詞が載ってるよ。」などと、謎の上から目線で話したら(なかなか嫌なやつだな)ライブから帰った友人は興奮しながら「古宮君すごいよ!1曲目岡本君だったよ!」と言っていた。

卒業後、札幌のタワレコで「14才」を聞いて(B面「フルコート」も俺はNBA好きだったからサイコーだった。)ハイロウズ熱が戻り、チキポトツアーに行ったが、ヒロトは真っ赤な目でヘロヘロしてて、マーシーはギター間違えてはヘラヘラしてて、それでも客は「Oi!Oi!」と掛け声?をかけ続けてて、腹立って来て2、3曲で帰ってしまった。

でも、やっぱり一番影響を受けたバンドは?と聞かれたら「ハイロウズ」と即答するし、レテパの5人編成ももちろんハイロウズを意識したからです。

その後、何年も経って、2010年前後かな?新宿JAMでハイロウズキーボードだった白井幹夫さんと対バンした。
俺はコークスで出演してて、白井さんは俺達の演奏は見てなかっただろうし、歌い終わった後もかなり酔ってたみたいですぐにフラフラと消えてしまい話したりはしなかったが、キーボードを弾きながら歌う白井さんは何も変わらずに悪魔のままだった。

はじめて悪魔を見た時からもう21年も経つが、悪魔とはまだ何人かとしか出会えていない。
ライブハウスは人間ばっか。

PS.この前、日本は令和になったそうですが、その時に「さようなら平成」みたいなテレビでまた同じ映像の「リンダリンダ」が流れてた。
令和なんてどーでもいいが、改元のおかげでブルーハーツと出会えた少年少女がいるかと思うと、令和万歳だわ。

PS.尾崎豊は色々と大人の事情とかで世間にボロボロにされたんだろうが「遠い空」という歌一曲だけは、素直な彼の歌な気がする。
一人で勝手にそう思っていたら、ハイロウズ以外の数少ない悪魔の一人のツナオジェットボーイと昔カラオケに行ったらいきなり「遠い空」を歌い出して、ビックリした。
「遠い空」という歌一曲だけは、素直な彼の歌な気がする。
そう言ったら、ツナオさんもずっと一人でそう思ってたらしい。さすが悪魔。

PS.新宿JAM閉店の頃は全ての記憶があまり無く、閉店を人から聞いたかもしれないが何もかも忘れていて、閉店から1年以上経った今年の夏頃JAMの前を歩いたらJAMのビルを壊しててすごくビックリした。
東京のバンドマンで知らない人はいないであろう新宿JAMの閉店を知らないほどに、2018年あたりは記憶も無いし閉鎖的だった。
ライブもしてない。バイトと「ブルースマン」制作のスタジオだけの日々だった。

PS.リサイクルバイトの頃の川崎横浜系ヤンキーバイト達は本当にすごくて「古宮さん昨日の休み何してたんすかー?」と聞くから「本読んでた。」と答えると「すげー!俺本とか読めないんすよねー。アニメしか見れないんだよなー」と言う。
そう。彼はマンガの事を本と言い、マンガは難しくて読めないのです。アニメなら見れる。
「いや、マンガじゃないな。本は本だよ。ほら、こういうの。」と面白いからその店の中古本売り場から本を持って来て説明すると「え!本って文字だけのヤツっすか?すげー。神っすね。」と言った。現代ヤンキー恐るべし。