8月12日(水) 3rdアルバム「永遠に、たまに」(再配信8/20〜です)解説

先日配信して、すぐに配信停止になりました、3rdアルバム「永遠に、たまに」(Vo新録盤)は8/20より再配信されます。
お騒がせして、すみません。
(8/20になるとこちらで聞けます。)

※Vo新録についての経緯はこちらにて。

これからも6thアルバム完成まで、もしかしたらドタバタあるかもしれませんが、せっかく無名の自主制作なんだから、せめて自由に1ミリも後悔の無いようにとことんやりますので、お付き合い下さいね。

シングル「才能がなかったんだろ」は聞いてくれましたか?
サブスク配信のみなので、未だCD世代の人達は聞けずに困っているかもしれません。
サブスクが出来なくても、ユーチューブが見れれば、ユーチューブでも聞けるようです。
メカ音痴のあなたはこちらでどうぞ。

先日、母親に会ったら「ひろし、お金あるの?」と聞くので「無いよ。くれよ。」と言ったら「嫌だー。いい年して。」と言うので、じゃあ聞くなよ、と思いましたが、せっかくなので「今、3rdと4thもボーカル再録して、もっと良くしてる。ブルーハーツとハイロウズを合わせて、その中から好きなアルバムを6枚並べて、それにも負けない6枚になる予定。ちなみにその6枚はお母さんもよくご存知の「THE BLUE HEARTS」「YOUNG AND PRETTY」「TRAIN TRAIN」「ロブスター」「バームクーヘン」「DUG OUT」の6枚だ。絶対に負けない6枚になる。」と言ってやったら「ひろしに才能があるのは分かるけど、聞く方に才能がなかったら、どうするの?」と言いやがったので、それもこの歌が出来るキッカケになりました。
(この母は俺が17才の頃に「これからは歌を歌う事にする。」と伝えたら「反対。歌はやめときなよ。詩だけにしなよ。古宮家は歌が下手なんだから。」とほざいたことがある。)

3rdアルバム「永遠に、たまに」配信まで、あとちょっと。
1st、2nd配信時にはツイッターにて、過去の関連映像をお送りしましたが、先日書いたとおり3rdの2017年以降は、ライブも無く映像もありませんので、あしからず。

代わりに、以下3rd「永遠に、たまに」解説です。
では、8/20をお楽しみに。

これは、当時はなえもんが描いた「ユキコ脱退の図」。
というわけで、このアルバムのみキーボードがおらず4人編成。

ボーカル/古宮大志
ギター/はなえもん
ベース/飯田裕
ドラム/鈴木亜沙美

ジャケット写真は2017年、最悪だった静岡でのライブの帰り道、落ち込んでた俺を励まそうとしてくれた?のか、帰り道に砂丘がある、ということで立ち寄った真夜中の「中田島砂丘」にて。
PV「永遠に、たまに」もこの時の様子を元に、飯田裕が作ったもの。
※3rdのPV「永遠に、たまに」「ホープちゃん」のボーカルは旧テイクですが、そのままにする事にします。

このアルバムのミックスは飯田裕です。
理由は「2nd購入特典のカバーシリーズCDは飯田裕が制作したが、それがその頃の4人の気分にピッタリの音だったから。」です。

当時のアー写。描いたのは、はなえもん。
3rdのCDの盤面のデザインや、開いた最初の手描きのページなんかは、はなえもんが描いた。
ほんとは全てはなえもんがデザインする予定でしたが、制作途中で脱退したので、ジャケは急遽、俺が写真を選びました。

このアルバムから、CDの全国流通、をしなくなった。
アルバムを作る事だけでギリギリで、商売をする余裕なんて無かったからだ。
借金はふくらむ一方だが、金に無沈着過ぎる俺を見かねて、いーちゃんが「Tシャツを作り、CDと抱合せで売るので、何か描いて下さい。」と言うので、描いた「クマとビール」Tシャツ。
「アルコール依存症を絵にして下さい。」と言われたら、この絵でバッチリだと思う。
表情といい、黒ラベルから、星だけを抜き取るポップで異常な様子といい、うまく表現できていると思います。

では、以下全曲解説。

1.深海
アレンジ時に「俺の歌と同じ尺で後奏を入れよう。そして、歌が前奏で、メインは後奏部分、というような演奏にしよう。」と提案したのを覚えている。
そして、ちゃんとそうなりました。聞いてみてね。
三笠市立博物館は、俺が小学校時代に化石博士だった頃、よく質問しに行き、お世話になった博物館。
(2016年作詞作曲)

2.夜に名前を
2015年に1st「僕を殺せるのは僕だけだ」を流通する際に、自主レーベル名が必要で、当時この歌が世界一カッコいい、と思っていたので「では「夜に名前を」というレーベル名にしよう。」と決めました。
ので、CDの品番が「YORU-○○」となっています。
新代田に住んでいた恋人の部屋の窓から、井の頭線の電車と、大きな送電線の白い鉄塔が見えました。
(2011年作詞作曲)

3.ホープちゃん
新百合ヶ丘にある俺の叔父が院長の動物病院でバイトしてた頃に出来た歌。
ホープちゃんの本名はちーちゃんでした。
この歌のPVは、はまもとりさ、という絵描きの方が作ってくれました。
(2013年作詞作曲)

4.ラブソング
歌詞の通り、久しぶりに出来た歌。
(2016年作詞作曲)

5.雨の日々
増えすぎだね、なんて言っていた傘が気付けば無いように。
川崎市多摩区稲田堤のアパート時代はまさにそんな日々でした。
(2009年作詞作曲)

6.ていくいっといーじー
プレイボーイぶるつもりは無いが、誰かは覚えていないが女の子と街を歩いていたら出来た歌。
街は高円寺。
演奏はまだ覚束無いが、強く激しく演奏してみたい初心者バンドマンはこの歌を演奏すれば良い。
コードがEとAの繰り返しだから、簡単なはず。多分。
よく「3コードで歌は出来る。」とか、偉そうにパンクぶるやつがいるが、2コードで歌は出来る。
(2013年作詞作曲)

7.君の思い出
俺のポーグス愛が滲み出てしまった、アイリッシュな編曲。
6thアルバム収録予定の「いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま」もポーグス愛炸裂。
アイルランドと空知の感じは、多分似てるんだろう。
歌の内容は、当時の恋人とデートした場所の名前を羅列しているだけ。
ヤチブキ、カタクリ、エゾエンゴサク、フクジュソウ、と北海道の雪解けの春に咲く花には詳しいが、内地の花には興味が無い。
が、アジサイが終わる頃にバラが始まる、という事だけは、この歌のおかげ(彼女のおかげか)で知っている。
(2011年作詞作曲)

8.ユーレイ
この歌も、歌うと稲田堤のアパートを思い出す。
当時の同居人がよくソファーで寝落ちしてて、邪魔くせえなあと思っていたら出来た。
(2008年作詞作曲)

9.バスが来るまで
岩見沢緑陵高校からの帰り道の歌。(出身校です)
「大学の近道」の大学は「岩見沢教育大学」でこの大学の敷地内を通り抜けると、バス停への近道だった。
「缶詰の灰皿が揺れて〜」という歌詞があるが、ちょっと前、20年振りにこのバス停の前を通って見たら、缶詰の灰皿は無くなっていた。
が、バス停の横に潰れたタバコ屋があった。
あー、そうだった。タバコ屋だから灰皿置いておいてくれてたんだ。と懐かしかった。
ちなみに「春日町」というバス停です。
(2007年作詞作曲)

10.永遠に、たまに
新曲だったし、当時「永遠に、たまに」という気分で生きていたので、アルバムのタイトルになった。
(あの頃を支えてくれたあなた、ありがとう。本当に助かったよ。)
珍しく歌が出来る前に「永遠に、たまに」という言葉だけが、心の中に先にあった。
高校生の頃、一人旅で宮古島に行った時に、とても仲良くなった少年(まさし)がいた。
それから17年間一度も連絡を取っていなかったのに、いきなり電話が来て「にーにー、約束したのになんで会いに来ないんだよー。」と17年前の軽い再会の口約束を、まるで1週間前の大切な約束のように怒られて、嬉しくて出来た歌。
もう一生会わないのだろう、と勝手に思っていたが、まさしとの数日間を大切に忘れずに(まあ、永遠に、たまに、思い出す程度ですが)生きてきた。
で、相手も同じ気持ちだったみたいなので、すげえ嬉しかった。
とてもつらい時期だったので、この歌が出来て救われた。
絶望的な状況だったけれど、自分は間違ってはいないんじゃないか?と、思えた。
(2017年作詞作曲)

以上「永遠に、たまに」解説でした。
それでは8/20をお楽しみに。