日記風。2月編。(1月編はこちら。)
日記では無く、日記風、なのは、その月の出来事をいちいちメモしていないので。
今手帳のカレンダーを見ながら、思い出すままに書いています。
時系列もめちゃくちゃかも。まあ、そこはご愛嬌。
読んだら分かると思うけど、ちょっと大変な2月でした。
今もドタバタしていて、3/10のレテパフェスまでもう書けないと思います。(レテパフェス行くか迷ってる人はこちらをお読み下さい→ 親愛なるT.V. NOT JANUARYについて)
もちろんいつでも嬉しいんだけど、今回のレテパフェスに来てくれたら特に嬉しいなあ!という心境ではあります。
どーせいつかレテパシーズを見てみよう!と思っている人はこの機会にぜひ。
東京以外の町に住んでいる人も、レテパシーズは滅多に東京から出ませんよ。
待ってても多分無駄なので、ディズニーランドやエベレストや江ノ島なんかと同じ扱いで自ら出向いて下さいね。
そのくらいの価値のあるバンドじゃなきゃとっくにやめてます。
やめてないという事は、バンドが最高の状態であると思って下さい。
天秤の左にはいつだってレテパシーズ。
そして右には色んな物を乗せては消えた。
右が重ければバンドなんてあっさりやめます。
というよりは左がもっと軽くなれば、今までだってやめる機会はあったでしょう。
たくさんの重い右が消えていった。
でもまだまだ左が重いまま。
重くて輝いてて燃え盛っている。
自分が生まれるずっと前から流れ続けている流れ星。
そんな風に思っています。
自分達のやっている事を。
それでは、日記風2月編スタート。
2/○
法事。本駒込の瑞泰寺。
妻の祖母の3回忌。(「鬱の本」にも書いた「さよならの合図」の義祖母とは違う。今住んでいる高円寺の一軒家にずっと住んでいたおばあさん)
妻の母方のお寺なので、この祖母の1周忌、その夫(妻の祖父)の13回忌、17回忌、ともう何回も来ている。
ここの和尚は妻の親族から「昔、酔っ払ってお経をあげながら寝てしまった事がある。とんでもないアル中坊主だ。」と、まるで高田渡のような伝説を持ち合わせていて、すこぶる評判が悪い。
前回の義祖父の17回忌の時にも、説法の途中で何を話しているのか忘れてしまったり、最終的に全てが終わった後で「モゴモゴ、、では、、ええと、、これにて13回忌の法要を終わります。」と17回忌なのに13回忌と勘違いしていた事が発覚し、親族は呆れ返り、和尚は「モゴモゴ、、では書き直します。」と卒塔婆の数字を書き直したりしていた。
俺は、この和尚(恐らく80才は超えている)が好きなので、和尚がお経や説法に詰まってしまうといつも「がんばれ和尚!もう少しだ!負けるな!」と心の中で応援していたのだが、この17回忌の時には、お寺の裏の小学校がちょうど運動会だったので、グラウンドから「フレー!フレー!ドンドンドン!」と応援のマーチが大音量で聞こえてきて、和尚のお経はかき消されてしまい「応援のマーチにかき消されそうになる和尚を心の中で応援する俺」という状況がツボに入ってしまい、笑いを堪えるのに必死だった。
この時は息子も法要デビューで俺の膝の上にいたのだが、手が震える和尚は力の加減が出来ないと見え「ジャンボおりん」を「カーン!!!!!!」と大音量で鳴らしてしまい、息子は見事に泣き出した。
なので、今回の義祖母の3回忌では、親族もみんなその名場面を心待ちにしていて、和尚がジャンボおりんを叩こうとする瞬間、みんなでこちらを振り返り、息子の様子を伺っていた。
俺は心得ていて「カーン!!!!!!」の瞬間に息子の耳を両手で塞ぎ、親族の笑いをとった。大成功。
そんな、すこぶる評判の悪い和尚様だが、俺達が帰る時にはいつも袈裟からスポーティーな服装にさっさと着替え、大きな白い犬と散歩がてらお見送りしてくれる。
そのスポーティーないでたちと、白いわんわんの名前が「ユキちゃん」という可愛い名前のギャップ萌えで、最終的には親族全員微笑ましい感じで帰るのが定番だったのだが、今回ユキちゃんは現れなかった。
よく見ると、お寺の至る所にユキちゃんの写真や絵が飾られていたので、多分死んでしまったのだろう。
和尚もどことなく淋しそうだったから。
今回の説法はいつもとは違い、ロシアとウクライナや中東の戦争について語っていた。
和尚の本来の仕事は法要での形式的なお経なんかではなく、平和、平穏、について考える事なんだな、と思った。
たどたどしく言葉に詰まるのはいつも通りだったが、真剣さが全く違う和尚だった。
2/○
雪が降る。積もる。
妻は「息子が見る初めての雪だ。」と嬉しそう。
俺はこの日、10thアルバム録音前の大切なスタジオだったので、全然嬉しくなかった。
案の定、湘南に住んでいるハジメちゃんが欠席。
でも、やれる事をやるしかないので、ハジメちゃんには藤沢のスタジオに個人練で入ってもらい、残りの4人は高円寺のスタジオへ。
電話で意見を言い合いながら、ハジメちゃんには1人でドラムを叩いてもらい、それを聞いてまた意見を言い合う。
まあ、最終盤の微調整の時期のスタジオだったので、このやり方でも大いに意味があった。
帰り道に南ちゃんが「雪が降るとやっぱり嬉しいですか?」と聞いてきた。
札幌出身のヤックンは「うん。嬉しいね。」と答えたが、俺は「スタジオだったから全然嬉しくなかった。そもそも東京の雪は全然違う感じがしてときめかない。」と答えた。
が、帰り道1人になってから「というよりは、北国の春夏秋を全て過ごしてからの初雪、じゃないと初雪という感じがしないんだろうな。だから今北海道に旅行して初雪だけを見たってきっと何も感じない。」と思った。
2/○
朝起きると、一人暮らしの妻の母(徒歩10分の距離)から鬼のように着信が来ていた。
電話してみると「大雪で家の木が倒れた。近所の人に苦情を言われ、最終的におまわりまで来た。早くなんとかして。」との事。
俺は先月強制的にチェーンソーデビュー(前回の「日記風」のラストに書いてます。まじで大きなチェーンソー)したばかり。
なので、張り切って担いで義母の元へ。
これ人に当たってたら死んでたんじゃないか?と思うくらい重い木をチェーンソーで切りまくる。
途中で妻と喧嘩になる。俺は木を切ってサッサと1人家に帰った。
この日は息子が産まれて9ヶ月のお祝いらしい。
近所の華屋与兵衛でお祝いしてるからおいで、と夜に義母からメール。
でも、行く気になれず断って、1人で「断酒5年」をお祝いした。
最近マイバスにはノンアルのバドワイザーが置いてある。
それが思い出の中の「薄くて水のように飲んでしまうバドワイザーの夏の味」と完全一致して懐かしいので、最近はバド一択。
2019年2月6日の第二次断酒スタートから今日で5年が経った。
この間に出来た歌は5thアルバムに収録した「音楽」と7thアルバム以降の54曲で計55曲。
断酒前の数年間は全く歌が出来なかったのに。
こうやって「酒をやめたら歌がたくさん出来る」「酒をやめた方が良いライブができる」「酒を飲んでた頃よりもレテパシーズを好きな人が増えてきている」というような成功体験を積み重ね、断酒の継続をより強固なものにしてきた5年間だった。
えらいぞ。いいぞ。引き続きがんばれ。
本当にみなさんのおかげ。
このNEWSを読んでくれる、というのも大きな励みになっています。
いつもありがとう。
2/○
歌が出来る。「経堂駅」という歌。
断酒後初のアルバイトは経堂にある夫婦経営の喫茶店。
去年の9月からお世話になっていて、とても楽しく働かせてもらっている。
「バイト帰り。経堂駅のホームから昔住んでいた多摩丘陵の方角に夕闇が見える。それを見ていたら強制的に昔を思い出して少し疲れるので、さっさと電車に乗りたいな、と思っていたら間違えて千代田線直通の綾瀬行きに乗ってしまった。新宿駅に止まらないじゃん。ガーン。」という内容の歌。
順調にいけば2年後?の12thアルバムに入るだろう。
夜は10th録音前の最終スタジオ。
そういえばスタジオの前には歌が出来る事が多い気がする。
スタジオの日は無意識に多少ミュージシャンモードになっているのだろうか?
スタジオでみんなに「さっき歌が出来たばかりで頭がぶっ飛んでる気がするから、変な行動をしても気にしないでね。」というセリフを今までに何度も言った気がする。
最終スタジオはバッチリ。
いつも思うが「大会前の最後の練習の後の部室の雰囲気」によく似てる。
録音前の最終スタジオは。
2/○
気付かなかったが、うちの木(木蓮)も倒れているのに気付く。
この木は毎年梅雨の時期にキクラゲが大量発生する。
いつか息子と採取して一緒に中華でも調理しようと夢見ていた。残念。
夜、クドカンのドラマを妻と見た後でまた喧嘩。
今回は完全に終わりな気がする。
2/○
アルバイトの後、ライブを見に行く。
でもライブまではかなり時間があったので、バイト先のマスターおすすめの銭湯に行ってから渋谷に向かう事にする。
経堂の隣駅、千歳船橋「世田谷温泉 四季の湯」。
さすがマスターのおすすめなだけあって「地元の人も他所の人もお互いに居心地の良い銭湯」という意外と難しい状態が見事に保たれた素晴らしい銭湯だった。
「男の子とお父さん」の客も何組かいて、見ていたら涙が出そうになる。
朝の電車の中で親子連れを見ても同じ感じになった。(この時期はドライアイなので実際には涙は出ないのだが。夏なら出てたね。2、3滴)
昨日の喧嘩を引きずっていて、もう家を出て行くしか無いと思っていたからだろう。
センチメンタルな気分のまま、銭湯を出て渋谷へ。
この店は昔よく平井さんに誘われてマーガレットズロースを見に来た。
あの頃はもっと広く感じたが、今はそんなに広く感じなかった。
お客さんは満員。ぎゅうぎゅう詰め。
気が晴れる事を期待していたが、より一層落ち込んでしまった。
久し振りだな、この感じ。
渋谷の人通りの多い坂を「今、肩にぶつかって喧嘩売られたら絶対に苛立ちを止められないから嫌だな」と思いつつ、ズンズンと気狂いのように道の真ん中を早足で帰った。
2/○
ついに10thアルバムの録音。
今作はカニ君の提案で「10thはどっしりした歌が多いので5曲ずつアレンジして録音しましょう。」という事になった。
なので、昨年10月に5曲録音、この日は残りの5曲の録音、という流れ。
今回の録音は東高円寺のロサンゼルスクラブ。(前半の5曲は西荻窪のリンキーの地下の天井の高い部屋。「チッツのひっしーさんがたまに個人練で入っている部屋っす。」という話をカニ君から聞き、チッツファンとして即決した部屋)
久し振りに訪れたロサンゼルスクラブ、こんなに良い場所だったっけ?と思った。
が、至る所にフジファブリックの人のポスターが貼ってあり(昔ここで働いていたらしい)一昨年の夏、山中湖にカブ2ケツでキャンプに行った際に、隣町の富士吉田に寄った時にもこの人(富士吉田出身との事)の関連グッズが至る所にあった事を思い出した。
なので「山中湖(妻の父方の先祖が「秦の始皇帝に不老不死を与えるために徐福と共に海を渡り山中湖に住み着いた」秦→ハタ→羽田。2000年以上前から山中湖に住んでいる、という伝説がある。今も親族がたくさんいる)にいつか息子と行きたいなあ。」と思っていたのに、もう行けないのか、と思ったら悲しい気分になってきたので、店員さん(カニ君が店員なのだが)に「フジファブリックのポスター、さすがに多過ぎるんじゃない?1枚くらいにすれば良いのにさあ。少し剥がせば良いじゃん。」と文句を言ってしまった。
店員さん、ひどく個人的な事情なので気にしないで下さいね。
録音は、俺の精神状態が良い方に転んだのだろう、みんなも呼応してすごい演奏をした。
レテパの録音は1テイクや2テイクでアッサリ終わる事が多い。
が、その状態に至るまでにはかなり時間をかけている。
歌が出来る時も同じで、出来る時はサッと出来てしまうが、その他の全ての時間がその数分につながっている。
ので、たとえ3分の歌が3分で出来たとしても、やはり41年間かけて出来た歌、と言いたい。
今回の録音もサッと終わったが、ここに来るまでにたくさんの夏を過ごしてきた。
10thアルバムのタイトルは「夏のアルバム」。
全曲夏の歌。
家に帰ると、カレーが作ってあった。
バレンタインデイは毎回カレーを作ってくれていたのを思い出した。
今日は2/14か。
南ちゃんも馬場ちゃん(録音エンジニア。女)もチョコなんか一切くれないから忘れていた。
でも、とても食べる気にはなれず、買ってきたすき家の牛丼並を二つ食べた。
酒を止めてからは健康になり大食いになった。
ので、牛丼の時は大盛りとかにせず、並を二つ食べる事にしている。
2/○
喧嘩してから、妻と息子とは顔を合わせないようにしている。
テレビでやっていたが、赤ちゃんに触れていると、男もホルモンの影響が出て、母性が爆発するらしい。
今日はアルバイト先に赤ちゃん連れが何組か来たが、前みたいに胸が締め付けられるような感覚は無くなっている事に気付く。
帰りの電車で赤ちゃんを見ても、ただ普通に悲しいだけだった。
もう胸は締め付けられない。
10日以上息子に触れていないから、ホルモンの分泌が終了したのだろう。
断酒関連で脳とか神経の勉強をしたので、妙に人体実験的な冷めた考えの時がある。
2/○
どう考えても、もう終わりだと思う。
喧嘩している状況が異常なのではなく、置かれている状況にキチンと向き合うと喧嘩になるのだから、喧嘩の方が正常の状態なのだろう。
お互いに楽観主義の快楽主義者だから、現実を見ず、すぐに仲直りして同じ事を繰り返す。
それをもう何年もやって来た。
でも、お互い昔とは状況が違っている。
もう笑えなくなって来ているな、お互いの良いところが消されている。
2人とも悪くない。悪いのは狂った世の中だ。
と思いながら、経堂駅からバイト先に歩いていたら、途中の不動産屋に思いのほか安い家賃の部屋が張り出されていた。
これしか無いよな、と思い内見の予約を取った。
2/○
家にソノダさん(家まで徒歩10分)がリンゴを持ってやって来る。
青森旅行のお土産との事。
俺は用があったので、少しだけ話して出かけた。
ソノダさんは「この後、ユキちゃん(妻)と話すから残ります。」と言っていた。
この人は昔、俺とユキコが長期の大喧嘩をして仲直りした時「本当に良かった。」と言ってオイオイ泣いた事がある。
いつも本当にすみません、と思いながらソノダさんを残して出かけた。
2/○
経堂駅徒歩10分の部屋の内見をする。
全ての条件を満たしたサイコーの部屋なので「決めました。よろしく。」と伝えたが、審査で落ちた。
その後、他の物件も当たるが、俺の収入が壊滅的なので全部ダメ。
築40年越え家賃5万円のボロアパートにも断られたら、一体どうしろというのだろう。
その答え↓
●赤字のバンドなんてやめる
あるいは、
●赤字にならないように、スタジオの回数を減らし、アルバム制作も数年に一度にして、身の丈にあったアマチュア活動に方針転換する
その上で、
●収入をもっと増やすために労働しまくる
といったところなのだろう。
2/○
のっぺらのアコーディオンの高林君が不動産屋だった事を思い出す。
連絡して、事情を話す。
「なんか僕○○の別居の時や、○○が別れた時とか、死神みたいな役になってますね、、ユキコさんに怨まれないかなあ。」なんて言いながらも素晴らしい物件をすぐにたくさん出してくれた。
その中でもダントツに安い、経堂駅徒歩18分、1K、築47年、家賃39000円、という部屋に目星をつける。
こっちもヤケになっているので「もう内見しなくても良いから、入れるならばすぐに入りたい。」と伝えるが「いや、やはり一度見てみましょう。」という事で、後日内見する事に。
飛び込みで入った不動産屋から冷たくあしらわれ(あ!ブルーハーツじゃん!って今書いてて思ったが、この時はそんな心の余裕は無くただただ悲しかった。「ロクデナシに貸す部屋はねえ🎵」)た直後だったので(収入を伝えた瞬間に露骨に。まあ当然か。月給12万円。売れないバンドマン41才)高林君の親切さが心に沁みた。
帰り道、阿佐ヶ谷の杉並区役所へ。
「離婚届下さーい!」と伝えると窓口の女があからさまに嫌な顔をして冷たい態度をとってきた。
それで思い出したが、前回の時も多摩区役所で変に冷たい態度をとられた。
人の気も知らないでよくそんなに振り切った態度に出れるもんだな。
なんだか笑えてきたので、正義感?倫理観?丸出しの女を煽るために、わざとひどい男の感じで話してやった。
「子供?ああ、いますよ。妻が引き取るんじゃないっすか?よく知らないけど。」
女はどんどん煽られていき、最終的には裁判官みたいに俺を裁くような態度になった。
堪えきれずに俺は声を出して笑っちゃった。
彼女には俺が気狂いに見えただろう。
区役所って色んな思い出があるけれど、なんか変な場所だよね。
2/○
ソノダさんとヤックンと和光のお風呂の王様へ。
ヤックンは俺のカブの後ろ、ソノダさんは自分のカブで。
結構な雨だったが、今の気分にピッタリなので「もっと降れ!ザマアミロ!」といった気分で走った。
「趣味はなんですか?」と聞かれたら「近所の温泉に朝から行って閉店までずっと12時間くらいダラダラする事です。」と答えるだろう。
家にいると、どうしても何かしらしてしまうので、何も出来ない場所でゆっくりするのが好きだ。
休憩スペースでハンターハンターを久し振りに1巻から読む。(昔持っていたが、レテパ4代目ベースのタカユキカトーに進呈してしまったので今は家には無い)
まさかハンターハンターをそんな目線で読む事になるとは夢にも思わなかったが「ゴン母子家庭じゃん!しかもゴンとジン今の俺と同じ状況じゃん、、。つーか俺、滅茶苦茶ジンじゃん、、。」と思ったらなんかこの日も気狂いみたいに1人で笑ってしまった。
何度も読んだ漫画だが、まさか「つーか俺、滅茶苦茶ジンじゃん、、。」と思う日が来るとは。
18時前までハンターハンターを読んでいたが、18時には外の休憩スペースに集合。
小雨が降り、俺達3人以外は誰もいない。
18時になる。「THE SECOND」の結果発表映像が始まる。
ソノダさんは「ガロイン」というお笑いコンビをやっている。
もう長年やっているので、彼らはM-1では無くセカンド。
予選を直接は見ていないが、反響を見せてもらった限り、かなりブチかました様子なので、期待しながら結果を待つ。
俺は「通ったんじゃないですか?」とドキドキしていたが、ソノダさんは「でも相方が、死ねとか言ったり、唾とか吐いちゃってるしなあ、、ウケたはウケてたけど。」と自信無さげ。
俺は「え!?唾?漫才中にそんなもん吐くなよ!」と心の中で思いながらも「いや。お笑い界がこんな時だからこそ、ガロインみたいなコンビをみんなが待ってるんじゃないですか?」なんて言いながらドキドキと映像が始まるのを待っていた。
結果は残念ながら通過ならず、だったが、雨の中、俺はウオー!とか叫んじゃって、良い思い出になった。
高校というよりは、小学校や中学校くらいの友人と遊んでいる感覚。
2/○
THEこうがんずのキダ君から連絡が来て「やはりしんちゃんはドラムを辞めて青森でリンゴ農家になります。」との事。
先月、事の顛末を聞いていただけに、残念だが仕方ないね、という感じ。
セカンドアルバムの最後、しんちゃんが歌う「あばずれジェシー」がとても良く、息子と踊りながら何度も聞いていた。(サブスク配信も始まったようですよ。ぜひぜひ)
昔からこんなリズムの歌を俺は好きなので、レテパのメンバーに「このリズムってなんていう名前なの?」と聞いたら「これはシャッフルっす。」と教えられた。
「あ!だから中3の時にガールフレンドがかけていたマイラバのシングルのタイトルがシャッフルだったんだ!確かにあの歌こんなリズムだった!」なんて思ったりした。
キダ君に「しんちゃんが抜けるのは大きいけれど、あばずれジェシーからの流れで、ジェシー(あばずれ)って名前の女ドラマーが入れば全てが丸く収まるね!がんばって探したまえ。」と伝えた。
最近は音楽をちゃんとファン目線でも聞くようになったので、解散、脱退、って悲しいものだなあ、と思う。
レテパシーズは今までに何回も何回もこれをやっていたんだ。
2/○
先日の物件を高林君と見に行く。
現場に着くと、その一角だけなぜか「人類が荒廃した数千年後の世界からこの一角だけ時空を超えて突如現れた」といった感じの異空間な荒れっぷり。
なので、なんかSFな気分になりながら物件の前に立つ。
高林君が先に玄関に入ったのだが、続けて俺が入ろうとすると、ドアの隙間からお行儀の悪い高林君の靴が脱ぎ捨てられて飛んできた。
擬音にすると、ギャギャギャギャー!という衝撃。
一瞬、頭がどうにかなってしまったのか?2秒くらい時空がよじれたのか?という感覚になるくらい頭がくらくらしたが、なんと高林君の靴が俺と全く同じ靴で、その靴が玄関の中から飛んできたものだから、まさに入ろうとしていた俺はビックリしてしまったのだった。
こんなの履いてる人見た事無いよ、という感じの長靴風の作業用の靴。だから、すごい偶然。
よくよく話してみると、レテパのレコーディングをしてくれている馬場ちゃんと高林君は幼稚園からずっと一緒の幼馴染らしい。
今月は、馬場ちゃんと録音、高林君と部屋探し、という事でなんだかすごい偶然だ。
そして部屋の中は、全て俺の好みの感じの昭和木造1Kアパート。
風呂とトイレもレトロなタイル張りで素敵。
昔の家だから押入れもデカい。(売れないバンドマンあるあるで在庫がすごいから押入れは必須)
しかも大きなベランダまである。そして角部屋。
「ぜひここの審査受けたいです!部屋探しの神様に、住みたい部屋の間取りと家賃を好きに書いてみなさい。と言われてダメ元で好き勝手に書いたくらい俺の理想の部屋だわ。」と伝えた。
帰り道、経堂駅までの徒歩18分はバンドマン同士の会話。
のっぺらの活動方法なんかを聞いてみる。
高林君の考え方は、素直で前向きで合理的。
変にカッコつけたり、頑固なスタイル重視の人達よりも元来俺もこっち側。
なのですごく勉強になった18分だった。
一応最新の宣伝方法の話しをしているのだが、アメリカのゴールドラッシュの時とかに地図を広げながらバーボン片手に具体的な作戦を立てているアウトロー野郎な雰囲気で、楽しかった。
しかもちゃんと「最終的には歌が全て。ただそれを聞いてもらいたいだけ。」という姿勢を高林君は1ミリも崩していない。
かっこいいー!俺もがんばろうと思う。
帰りの電車では先月死んだ5月(ゴガツ。猫)の事を思い出した。
今回引っ越しを決めれたのは5月がいないからだよな。
今までも大喧嘩のたびに家を出て行こうとは思うものの、癲癇(テンカン)持ちの5月の事を考えると住める部屋も限られてきて、自然と腰が重くなり、気が付いたら仲直りをしていた。
なんか、5月が色々考えてこのタイミングで死んだような気がしてくる。
気狂いだと思われても、早めに一番良い手を打って、全員ノリノリで生きろよな。
と、5月が言っている気がした。
あの死ぬ間際の壮絶な顔で。
2/○
カニ、俺、馬場ちゃん、の3人でミックス作業。
この日も東高円寺ロサンゼルスクラブ。
最近はずっとこの作戦で、カニババがミックス、完成したやつを俺がその場で聞いて微調整。
で、それを他メンバーも家で聞いてみて、意見を持ち寄り、もう一日全員で立ち会いミックス。そういう流れ。
このミックス作業の日は俺は待ち時間が長いので、それを見越して前日にバイト先(喫茶店なので本や漫画がたくさんある)から「まんが道」を借りてきた。
子供の頃からずっと、人生は漫画や映画のように壮絶に生きるものだと思っていた。
漫画や映画のように壮絶に生きたい!ではなく、普通に自然と嫌でもそうなるものだと思っていた。
で、今「まんが道」を読んでいても、自分の今の感じとそっくりで勇気づけられる。
やはり、子供の頃に思っていた通りになったな、全部。なんて考えていたら、別室のカニババに呼ばれ、2人が作った名ミックスを聞く。
で、微調整したら、またまんが道。を一日中繰り返す、という素敵な時間。
途中「そばにいる」という歌のミックスを聞いていたら、泣けてきた。
「いつもそうだ。もうとっくに全部歌ってやがる。」そう思った。
ミックスが終わって馬場ちゃんは別件で藤沢へ。(いつも本当にありがとう。レテパより1日でも長生きしてね。じゃないと困るので)
残ったカニ君と色々話す。
カニ君が「もしこの大名盤が評価されなかったら、さすがに俺は、、」と言うので「グレる?」と聞いたら頷いた。
カニがグレたらどうなってしまうのだろう?
やはりオリックスバッファローズ(野球チーム。大ファン)のマークの入れ墨でも彫るのだろうか?
この後、俺は家に帰りまんが道の続きを読むだけだが、カニ君は「ライブで神戸っす。今夜の夜行バスで池袋から出発っす。」と言っていた。
話している顔が少し疲れた様子に見えた。
俺も泥酔時期だったからハッキリとは覚えていないが、2015年頃?20才くらいのカニ君から深夜電話がかかってきて「今、ツアーで〇〇にいます。なんか電話したくなっちゃって。」と真夜中に長々と話した事を思い出した。
あの時は辛そうだったな。
みんなマイペースを確立するまでは大変だ。
俺はいつからかハッキリと確立したと思う。
他人からは急いでいるように見える時もあるかも知れないが、自分としてはのんびりとマイペースにやっているつもり。
なので、決して無理をしてはいない。
無理をしてまでやらなきゃいけない事はこの世に一つもないと思う。
家に帰り、ベッドの中でもまんが道。
劇河大介の「それにしてもわいらはしあわせもんやなあ!わいらはまんがという男が一生賭けられる夢を持っているからのう!わいらがこの夢を持ってるかぎり、たとえ金が一銭もなくても百万長者とおんなじじゃわい!ワハハハハ!」というセリフに思わず「そーだ!そーだ!」と返事してしまった。
おそらく月形小学校での学級会以来だ。
そーだ!そーだ!なんて言ったのは。
そして明日は学級会では無く、家族会議。
そーだ!そーだ!さんせーい!はんたーい!
荒れなきゃ良いけれど。
どちらにせよ、もう声を荒げたりはしたくない。
喧嘩なんか一生したくない。疲れるだけだ。
2/○
2人ではまともに話せないので、ソノダさん、南ちゃん、と俺とユキコの4人で会議。
もう家を借りた、離婚するしかないと思う、そういう事を伝えた。
途中でユキコが変な事を言ったので、ソノダさんは悔しくて泣き出した。
俺はもうだいぶ感覚が狂ってきているのだろう。近年修羅場が多すぎたので。
ソノダさんは泣いているのに、見ていたら笑い出しそうになってしまった。
さすがに堪えたけど。
俺は勝手な思い込みが激しいらしいが、今回も「家を出ていって離婚したら、もう息子には一生会わせてもらえない」と思い込んでいた。
当然、息子を育てるのもユキコだと。
が、話の流れで「俺が息子を育てる」という可能性もゼロじゃないという事が分かってきた。
その時俺は自分でもビックリするような事をスラスラと喋った。
「じゃあ、俺が育てるよ。落ち着くまでレテパは活動休止するよ。その間は働くよ。どーせアルバムを出そうが出すまいが、それはバンドが世に広まるという意味では大して意味が無い狂った音楽業界だから。過去の作品を放っておいて配信だけしていても、ニューアルバムを出すのと大して変わらないもの。ライブだって、今みたいに全然お客が来ないんだったら、もう何年かやめた方がかえってレア度が増して良いんじゃないの?ただ、今バンドを離れたら俺の中で何かが終わるような気はするけれど、それはいつもの悲観的な勝手な思い込みかも知れないしね。なんにせよ、息子を育てて良いのなら俺が育てます。」
自分でもこんな事を言うとは驚きだった。
結局、息子はユキコが育てる事になった。
そして、俺は好きな時に息子に会って良いらしい。
カブで30分だもん。めちゃくちゃ会いに行けばいい。
最後にユキコから「あ、でも新しい父親が現れた時に混乱させると悪いから、あんたはもう父ちゃんじゃなくて、ただのひろしね。よろしく。」
と言われ、父ちゃんの称号は剥奪されて、ただのひろしになった。
なんだか面白くて笑っていたらユキコが「そういえば、あんた分娩室でも産まれた瞬間に、ようこそ地球へ!俺がひろしだ!なんて言ってお医者さんに、あなた息子さんにひろしって呼ばせる気?ってツッコまれてたもんね。なんかあれ、予言的な暗示の場面だったのかもね。」と言って苦笑していた。
2/○
次の日、3週間ぶりに息子に会う。
思っていた顔と全然違う顔になっていて、なんか一丁前にやさぐれていた。
やさぐれて硬くなった顔を30分くらいもみほぐしていたら、元の顔に戻った。
よく笑う男だ。我が息子は。
アルバイトに行く。途中の電車で赤ちゃんを見る。
胸が締め付けられてキューっとなり苦しい。
今朝、息子とたくさん触れ合ったからホルモンの活動が爆発状態に戻ったのだろう。
人体は不思議だなあ、と思いながら元気に出勤。
金を稼いでバンドを続けるんだ。
素敵なライブ、素敵なアルバム、ただもうそれだけ。
2/○
レテパフェスのセットリストを考える。
1曲目は「永遠に、たまに」にしようと思う。
なんか、この歌を歌いたい気分なので。
そして2曲目は「まだもう」。
この歌には幼少期の月形での思い出が出てくる。
「かぜひくなよ ちゃんとふけよ」という歌詞のところではいつも息子を思い出す。
3曲目は「そばにいる」にしよう。
今回の騒動ではこの歌に救われた。
セルフ自己救済。
あ、でもレテパシーズのみんなの演奏があっての救済だもの。
全然セルフじゃないね。
ほんと良いバンド。
このままでは絶対に終わらせない。
3/3
妻の実家へ報告へ。
ひな祭りなのでちらし寿司を食べながら、義母に話す。
義母は優しく「別に人間としての縁が切れるわけじゃないし。」と言ってくれた。
義母は最終的には酔っ払い、ユキコも知らなかった過去の自分の不倫話までしてくれて、大サービス。
びっくり仰天の切なくも楽しいひな祭りになった。
息子は2階の部屋で爆睡。
ひな祭りなんて女の祭りさ、といったところか。
端午の節句は盛大にお祝いしてあげよう。
もう、鯉のぼりもメルカリで買ったからね。
3/4
レテパのスタジオ。
最近はずっとレコーディングのアレンジスタジオだった。
でも今日は久しぶりのライブ練習。
なのでみんな野蛮で粗暴でかっこいい。
俺もどーんと歌えた。
先日考えたセットリストもバッチリ。
全20曲。新旧おり混ぜ約1時間。
前回の9thレコ発のライブから、もう一段階すごいバンドになった気がする。
なかなかの荒療治でしたが。(他のメンバーも俺に負けず色々と大変なんです)
でも、私事が音に反映するのは良いバンドの証拠だと思う。
なんでも来い、人生。
全部歌にしてやるから。
PS.前にも期間限定で載せたけど、せっかく今回紹介したので、また載せておきます。
3/10の2曲目と3曲目の歌詞です。
「そばにいる」2022年5月18日作曲
PS.おまけ画像
「ぎゃー!時空が2秒くらい歪んだ!というくらいの衝撃を与えたお揃いの靴」