12月6日(月) 帰省編(まんが第8~11話)

マンガにもありますが、12月は暇なので帰省してみました。
今、実家の薪ストーブの前で書いています。

12月2日は俺の誕生日なのですが、その頃になると毎年「今年は大雪になりますように」と祈っておりました。
理由は、友達を呼んでのお誕生日会の時、家の屋根を使っての危険なそり遊びをしたかったからです。
でも、さすがにその時期にそこまで積もったのは、本当の大雪の年の1、2回だったと思います。
命知らずの田舎の子供達は、そり遊びどころか、田舎特有の大きな納屋からポーズをつけて飛び降ります。(アチョー!とかキックしながら)
俺は命が惜しいタイプだったので、なかなか飛び降りられませんでしたが。

あれから30年あまり。
遅ればせながら、命知らずの度胸もだいぶついてきた気がします。
今年のバースデーの様子↓

ひろしマンガ
第8話「バースデー」


(最後のコマは猫にやられました)

第9話「産休なので帰省」

レテパシーズのスタッフのそのださんはPV「月形」に映り込んでいる坊主のメガネです。
あの時はメンバーの都合がつかず、俺とハダユキコとそのださんしか行けなかったので、あれだけ見た人はハードコアな3ピースバンドと思ったかも知れませんね。
激しいが安定感のあるベースを弾く坊主メガネベーシストと勘違いした事でしょう。

マンガにある通り、俺が影響を受けた人達はサブスクで聞けない人がほとんど。
聞けたとしても、レコード会社に所属していた時期のアルバムだけ、とか中途半端だったりする。
資本主義の仕組みに入っていないミュージシャンこそサブスクにあげるべき、むしろ活路はそこにしかない、と思うのですが。
でも、俺も2年前まではのせる気さらさらなかったもんなあ。
まだまだ聞いてくれてる人は少なくても、CDだけの時よりは何十倍も聞いてもらえてると思います。

第10話「161倉庫」

歌い出した17才の頃、カセットテープに自作の歌や詩の朗読を吹き込んで、ライブハウスに持って行きました。
緊張してどうしても渡せないので、あの頃から酒の力を借りるようになっていました。
生きるか死ぬかの切羽詰まった赤ら顔の高校生は、どの店からも相手にされず、こんな歌も出来ました。

「イチゴさんへ」

俺が歌い終わったあと あんたは言ったね
悪くはないけど長すぎるって キライじゃないけどあきちゃうって
何言ってる そんな事はどうでもいい
俺は別に歌手になりたいわけじゃない
ただあんたに助けてくれって 歌ったのさ

俺はギターが下手だから ギターはこんなに傷だらけ
だけど我慢しておくれ 俺だって痛えのさ
ギターがかわいそうだって 俺に言ったやつがいた
ねえおじさん 俺はかわいそうじゃないの?
俺あんたの顔見て歌ったんだよ

長いって言われりゃ短くします
くどいって言われりゃ直します
でも俺は助けてくれって
ただあんたに助けてくれって歌ったのさ

 

そんな俺をひろってくれたKCさん。(2000年10月1日にひろわれました)
ちょうど50才のバースデーイベントだったので、顔を出してみました。

第11話「たそがれてるね」

昔からよく言われます。