3月13日(金) 僕のレテパシーズへ

関口萌と古宮大志が文章書きました。
まずは古宮大志から。

昨年末から椎間板ヘルニアでお休みしていた関口萌ですが、僕のレテパシーズを脱退する事になりました。
誤解されないようにハッキリと書きますが、ヘルニアは少しづつ良くなってきています。
なのでドラマーとして絶命した訳ではありません。
あんなに素晴らしいドラマーなので、いつか他のバンドでも叩いてる所を見たいです。
じゃあ、なんで脱退するのか、というと、これは病状とは関係ありません。
確かに一つのきっかけにはなりましたが。

ハジメちゃんは以前から「若くて良いドラマーが見つかったら、引退して席を譲りたい」という言葉を、事ある毎に発していました。
多くは書きませんが、彼の私生活が多忙過ぎて、弱っている時に発せられる事が多かったと思います。
俺はその度に悲しくなり、いちいち感情を揺さぶられていました。

俺とはまたタイプは違いますが、ハジメちゃんの生活も大変そうで、1年に1枚アルバムを出す、という今のレテパシーズのペースに合わせるには、どうしてもライブを削らなくてはならず、ここ数年は年に数回しかライブを出来ていませんでした。

それでも、騙し騙しここまで来ちゃいました。
なぜなら、ここ数年の少ないながらも行ったライブの全てが素晴らしかったし、最高のアルバムを作り続ける事が出来ていたから。
それが我々の全てでした。

今回ヘルニアでお休みになり、一度足を止めて、みんなと話し合いました。
タイミングよく「良いドラマー」も現れてしまったので、たくさんたくさん話し合いました。
そして、決断する事にしました。
今決断しないと、このバンド、手遅れになって、終わるぞ、と、本能が言っている気がしました。
まだ腐ってはいないけど、この状況がまだまだ続いたら、本当の手遅れになるぞ、と。

もっともっとライブをしたい。もっともっと作品を作りたい。
手加減せずに、人生の全てをレテパシーズに使いたい。
このバンドはこんなうだつの上がらない状態で、何年も放っておいてはいけないバンドだと思うのです。
ライブと作品が研ぎ澄まされまくってしまった今の状態は、逆に諸刃で折れやすい状態だとも感じるのです。
もっともっと速く走りたい。全然無理なんかしていない。
光速じゃなきゃ、楽しくないだけ。ただそれだけ。
そして光速でもちゃんと全てが見えてるよ。
だから歌はやって来るんだ。

レテパシーズを有名にして、音楽の世界を変えたい。
なので、関口萌にはここで降りてもらう事にしました。
ハジメちゃんを置いていくからには、絶対に売れようと思います。

古宮大志

※【古宮大志からの補足】

下記の関口萌の文章、素晴らしいので、一箇所だけ記憶違いがあるが、そのままにしようと思います。
「アコースティック」のベースはタカユキカトー。
が、「アコースティック」のリリース前にタカユキからヤハタにメンバーチェンジしていて、レコ発ライブもヤハタが弾いているので、勘違いしたのだと思います。
そのままで良いと思ったので、ハジメからの原文そのまま載せました。

僕のレテパシーズへ

自分が関わったレテパについて、初めて長い文章を書く。
確認したら、ひろしくんから僕のレテパシーズでドラムを叩かないかと言われたのが2018年の春なので、バンドは8年ほどやったことになる。メンバーチェンジもあり、自分にもひろしくんにも子どもが生まれたりして、アルバムは8枚作ったので振り返ってみる。
私は元々自分のバンドをやっていて曲も作ったりしていたのもあり、いちドラマーとしてバンドに参加するのは個人的に向いていないと思ったけれど、ひろしくんから郵便で送られてきた手書きの歌詞をみて、「なるほど、この人は良い詩人なんだ」と思って参加を決めた記憶がある。それまで続けていたバンドが終わったタイミングだったり、当時のギター高野くんやユキコさんという同い年メンバーがいたことで安心感もあったりした。
始めは練習場所の中野のスタジオに集まる前に、ひろしくんとベースの飯田くんとコンビニでアルコールを調達してアレンジをやり(ひろしが酒を飲んでいた頃)、「ブルースマン」の録音に臨んだ。直前まで使っていたカノウプスのスネアは楽器屋に売ってしまったので手持ちの機材はなく、スティックだけ持っていくスタイルだったので移動が楽だった。ちなみにその時のメンバーは高野くんも飯田くんもユキコさんも、楽器奏者として攻守で分けると「攻める」タイプの人たちだったから、熱量を合わせるのがやりやすかった(もちろんみな攻守の要素は両方あって、あくまでも私の勝手なイメージで言っている)。
「ブルースマン」の録音は終末感があってぐしゃぐしゃだったので、歌録りの際ひろしくんは泣きながら歌っていた。記憶力がないので詳細はあまり憶えていないが。ドラムに関してはたしかスタジオにあったセットをそのまま叩いた気がする。しっかりしたスタジオでちゃんとチューニングされていた。この時のドラムの音は大袈裟な音がして好き。「ヘルメットヘアー」とか「僕のレテパシーズのテーマ」のやけくそ感は愛せる。
その年のハイコーフェスにも同行し、秋田県田沢湖まで車で行った。帰りの高速道路の車内でユキコさんと何気ない話をしたことが、自分がその先もレテパを続けていこうかな、という気持ちに繋がったような気が、今となってはしている。
その後、飯田くんが抜けてタカユキくんがベースで入り「レテパシー」の録音へ。タカユキくんも同い年メンバーで、本来は「攻める」演者だけど意図的に「守って」いたので、バンドが柔らかくなった印象がある。彼の地下室の小部屋みたいなスタジオでコーラス録りをしたことと、録音ではドラムテックの方が入ってくれたことがとても面白かった。曲によってシンバルを変えたり、タムをデッドな感じの音にしてくれたので表情が変わっていて楽しいドラムだった。あの時敷いてたマイネルのドラムマット、いつか買いたいな。曲でいうと「長野県のお月様」が好きで、個人的にシングル推しだったが、ちょっとみんなと感覚が違ったのかも。
次の「アコースティック」はタカユキくんからやっくんになってからのアルバムで、バンドとしてちょっと新鮮な空気感があった気がする。このアルバムに入っている「春」という曲は思い入れがあって、ドラムはこだわった。ひろしくんの曲でたまにすごく好きなメロディーラインのものがあって、「春」とか「そばにいる」とかがそう。それからこのアルバムは2024年にリマスターをしているのだが、そのバージョンを聞いた時にすごくいいアルバムだと感動したっけ。「調布飛行場」の高野くんのギターが特に良い。あと、やっくんとは吉祥寺で飲んだり、錦糸町のサウナに行ってちょっとずつ打ち解けていったけれど、ほんとにやさしい人間で助けられた。「特訓」と称して、ドラムとベースだけでスタジオ練習したのはバンドを強くするためにとても意味があったと思う。ありがとうやっくん。やっくんは攻守のど真ん中って感じ。

高野くんは先に卒業していった。そして、カニくんと初めてスタジオに入ったら新しい音がして興奮した。とりあえずスネアをまた買わなきゃと思って、ハードオフで3000円くらいのゼンオンのスネアを買った。ここからまたスタートしなきゃという気持ちになった。「クレイなジー」はそういう意味で、新しいバンドのアルバムだと思っている。アレンジは苦労したけど楽しかった。改めて聞くと再現の難しい絶妙な演奏で、緊張と味があって「あの時」しか出来ない感じがする。そして、カニくんのギターはめちゃくちゃ攻めるかと思いきや、しっかり死守している感じというか、とにかく面白いギタリストで触発されまくった。
そういえばドラムに関しては、スネアは買ったものの結局吉祥寺GOKにあったラディックのスネアが凄く好きな音で、それを使わせていただいた。レテパの作品の中で、このアルバムはいわゆる名盤と思っている。
さて、やっと「エンデンジャードスピーシーズ」だが、初めて同じメンバーで2枚続けて録音したことになる。そのためか、割とすぐアレンジは出来上がっていったっけ。何となく自分がアレンジについて積極的になった時期のような気がする。「島崎智子へ」という曲はかなり突っ込んだアレンジで、ドラムもよくこんなの思い付いたな、と思えてすごく気に入っている。そしてこのアルバムでユキコさんは卒業したが、ストイックな鍵盤で感服する。どちらかと言うと、タイム感は自分のドラムよりユキコさんに委ねてしまっていたのかもしれない。
鍵盤が変わるということは、かなり大きな変化だと思うが、ちゃんとした後継者として次に南さんが入ってくれた。これほど曲数があるバンドに途中参加するにはなかなか勇気がいる。なので南さんは最初から攻めている。
「RADIO LETEPA」の頃は、自分自身の生活も変わってきてなかなか専念できず、またバンドとしても次の産みの苦しみみたいなものがあったような気がする。でも、結果的にはあっけらかんとしたアルバムで、単純な楽しさがある。「激めん」とか、これが正気で出来たのが不思議に感じるアレンジだったりする。また個人的なことになるが、このアルバムのレコ発には友部正人さんが出演してくださったが、友部さん大ファンの我が母に、死ぬ前にライブハウスで見せられたことに関しては、本当にひろしくんさまさまである。大感謝。
そして「夏のアルバム」である。レテパとしては、初めてのコンセプトアルバム?という作品。とにかく、ひろしデモを聞いた時点で私の中では「そばにいる」という曲が大事だったので、アレンジは納得するまでやりたかった。うまくいかない苛立ちも出てしまったけれど、何度も組み立て直して完成した時の嬉しさはひとしおだったし、自分がレテパのメンバーだという実感が今更ながらあった。このアルバムが出来たとき、ユキコさんが「最高傑作を作ったね」と言ってくれたのですごく報われた気がした。きっと、ひろしくんのどんぶりに、カニくんとやっくんと南さんと私がちゃんと乗っかったのだと思えた。
ということで、「おるたな」だが、これはもう頑張った。みんな頑張った。たぶんみんなそれぞれ大変だったと思うが、特に自分は表面的に大変さを出してしまったようで申し訳ない。いや、しかし良いアルバムを作って終われた。「ホンダ」のドラムなんて、無意識の境地で、導いたのか導かれたのか分からない感じがある。「若いバンド」も、自分らしくないアプローチで叩けたのがよかった。そこまで出せたんだと。やっと私もいちドラマーだな、と確かに思えた。あと、このアルバムではグレッチの薄めのスネアを使ったのが、個人的にオルタナ感。
最後に、過去(自分が入る前)の曲をやるにあたってアディーさんのドラムは録音物でしか聞いたことがなくて、いつも比較対象として頭にありはしたが全然同じようには叩けず、まあそれでいいかとも思っていた。アディーさんは点が均等できれいで、もちろんグルーブがある理想のドラム。自分は感情的でムラのあるドラムなので同じようには出来ないと諦めていた部分もあるし、求められてはいないとも思った。でも、去年くらいにやっと「見知らぬ青年との会話」は原曲に近づけたニュアンスで叩けた気がしたのは嬉しかった。

というわけで、長々と書いてしまったが、これで私は僕のレテパシーズを卒業します。ひろしくん、やっと次のアルバムを聞けるのが、わくわくしてきたよ。
新しいドラマーにバトンを渡します。

関口萌

PS.結成15周年ワンマンの映像を公開します。
我々の最後のレテパシーをご覧下さい。