2月11日(火) レテパシー通信です

事の顛末は前回の文章「僕のレテパシーズのSNS終了宣言」に全て書いたので、そちらをご覧下さい。
とにかく今は良い気分。
レテパシーズ結成以来、色々な困難があり過ぎて、溺れ死なないように目の前の藁ばかりを掴んでいた気がします。
でも今、断酒から6年が経ち、10枚のアルバムが完成した。
「あれ?もしかして俺はもう溺れてはいないのでは?」と思い、もがくのをやめて足を伸ばしてみたら、足が着き、ちゃんと立てて、目の前には愛おしい世界。
それは歌い出した17才の頃に見ていた世界と変わらないものでした。
歌い出して25年、レテパシーズ結成からは15年。
すごく遠回りしたかも知れないけれど、今の自分を気に入っています。
17才の頃に見ていた世界を、今の自分が進んでいく感じ。
分かるかなあ?この最高な行進状態。
あの世界を今の自分が行くんだよ。
嬉しいな。もう全て好きにやるんだ。

今までこのページは「僕のレテパシーズNEWS」という名称でしたが、カニユウヤから「これを機にホームページも少し精査しましょう。ディスコグラフィーのページも作りましょう。NEWSもNEWSって感じじゃ無いから名前変えても良いのでは?」と提案を受け「そうね。なんか知らない言葉ってしっくり来ないからブログって言うのが嫌でNEWSにしてたけど、別にNEWSじゃなくても良いもんな。じゃあレテパシー通信にしよう。」という感じです。
特に今までと変わりません。
気が向いた時や、何か特別なお知らせがある時に書きますね。
今までは書いた時にレテパシーズTwitterで案内してもらっていたので、それが無くなってしまい、読む人には不便だと思います。
でも、まあ、しょうがない。
レテパシーズは図書館の本になります。
彼らのような静けさで、手にとってもらうのをただ待つ日々も悪くない。
性に合ってる。あなたもその方が好きでしょう。
本来、本は喋らない。「読んで読んで。私を読んで。」なんて言わない。
ちゃんと出会い、ちゃんと別れよう。
そうすればいつでも僕らは会っていると思うんだ。

先日、大切な人と素晴らしい時間を過ごしました。
その友人は泣いていたんだけど、とても美しくて、その人に語りかける自分の声も優しくキレイに響いた。
夕焼けや初雪の朝の突き抜けるようなあの感じとも似ているけれど、それ以上に強くて美しい光景だった。
夕焼けも初雪の朝も好きだけどさ、突き抜けるようなあの感じを抱えて生きてきた人間と、同じ速度で同じ光景に触れ合った時、過去と未来の真ん中で、まるで待ち合わせをしたみたいに、今までとこれからの全部を抱きしめながら出会えている気がした。
自分はこんな瞬間のために生きているんだな、と思えた。

その数日後、あるバンドのライブを見に行った。
そのバンドの演奏はとても好きだったんだけど、最後のアンコールで謎の男?がステージにしゃしゃり出てきて歌い出し、なんだか汚された気分になった。
他の客はどう思ったんだろう。すごく冒瀆された気分。
こんな時、自分はライブハウスという場所が信じられなくなる。
帰り道ではいつも「こんな場所で歌ったって意味ないよな。なんでわざわざ金まで払って、信じられない場所に降りて行かなきゃいけないんだろう。外で環七の車のライトを眺めてる方が何百倍もキレイだったな。」なんて暗い気持ちになってしまう。
その日も定番のそんな気分で帰宅したのだが、電話を見ると父親からの留守番電話。
思い当たる事があったので、覚悟して聞いてみると、祖母が亡くなったとの連絡だった。
心配をかけまいと出来るだけ優しい声を出そうとしている父の留守電の声が、最近の自分の声とそっくりな気がして「ああ、俺も出来るだけ優しい声を出そうとしているんだなあ。偉いな最近の俺。」なんて思った。
ベッドに入り、暗い部屋で柿生のばあちゃんとの思い出を思い出していた。
俺と気が合う、少女のような可愛いばあさんだった。
そしていきなり、ふと思った。
「もうライブハウスに絶望するのはやめよう。ただ、俺がキレイな瞬間を知っているだけの話だ。そしてきっと本当はみんなキレイな瞬間を見たいと思っているんだ。ばあさんとの思い出も、友人とのあの時間も、なんだかレテパシーズのライブにそっくりだったじゃないか。冒瀆された気持ちになれたのは、自分がキレイな証拠だな。ありがとう謎のしゃしゃり男、おかげでキレイな自分に気付けたぜ。おやすみなさい。ばあさん、夢に出てきてもいいよ。カモン。」
そんな明るい気持ちで眠れました。

ばあさんは夢には出て来なかったが、朝目覚めるとこんな事を思い出した。
17才の頃、東京のライブハウスのオーディションを受けまくる為に(全部落ちたが)この祖母の家に泊まり込んでいた。(小田急線柿生駅)
その頃はその年(2000年)に出たポーグスのベストをよく聞いていたのだが、毎朝の自己流体操の時に音楽をかけるばあさんが「ちょっとそのCD貸してくださらない?」なんて言って、ポーグスをかけながら体操していたのを思い出し、笑ってしまった。
俺の携帯CDケースには友部正人、たま、シオン、どんと、アズミ、なんかが入っていたのだが、ポーグス以外は体操には不向きだったようで、見向きもされなかった。
彼女の喋り方は黒柳徹子のような東京の女の喋り方なので、子供の頃はよく真似をして妹と爆笑していた。

2025年2月11日
古宮大志