4月25日(木) ハジメちゃんとアディーについて(ハジメ編)

第4回レテパシーロックフェスティバル開催します。
共演は「のりもの」と「メシアと人人」の2組。
昨年からずっと夢見ていた3マンなので、書きたい事は山ほどあるが、両バンドへのラブレターはまた今度。
今日はレテパシーズのドラマー、関口萌と鈴木亜沙美について。
※加筆→書いてたら長くなったので、今日は「ハジメちゃん編」にします。


ご予約はこちら。
レテパフェスはライブハウスというよりも映画館に近い雰囲気だと思う。
なので、ライブハウスが苦手な人も我々の歌が好きならば楽しめると思います。(人が嫌いでも外出が嫌いでも梅雨が嫌いでも音楽が嫌いでも自分が嫌いでも)
帰り道、街がキレイに見えるかどうか。
そんなところに力を入れているフェスティバルです。
今回は梅雨のレテパフェス。
雨の青梅街道が何色に見えるかは人それぞれでしょうが、透き通ってキラキラしていたのならば、水色だろうがオレンジだろうが我々のフェスは大成功なのです。
ぜひお待ちしています。

では本題に。

レテパツイッターでは先日告知してもらいましたが、関口萌(以下ハジメちゃん)がレテパシーズをお休みする事になりました。
そしてその穴を埋めるべくレジェンドOBの鈴木亜沙美(以下アディー)が帰って来てくれます。

まずは、そうだなあ、2人との出会いでも書いてみましょうか。

関口萌との出会いは2000年代後半だと思う。
当時俺は古宮夏希&コークスが燃えている!というバンドでエレキガットギターを弾いていて、ライブもたくさんやっていた。
で、関口萌がドラムだったバンド「Paradise」と何度か対バンしているうちに話すようになったのだろう。
そのバンドと初めて対バンした時、主宰者の人から「ひろしさん、Paradiseのボーカルはマジでヤバいですからね。気を付けて下さいよ。ほんとイカレてて怖いですからね。彼はシャレにならないですよ。ライブ中に〇〇したりするんですよ。ほんとロックですよねえ!」というような事を言われたものだから、田舎者のへそ曲がり?の俺は、多分好戦的な敵意剥き出しな態度でいたはずなのだが、ハジメちゃんとだけは話すようになった。
そのバンドの演奏は全く思い出せないが、ハジメちゃんのドラムは印象に残った。
「もったいないな。あのドラマー。」
でも、別に連絡先を交換したり、対バン以外で会う事は無かったので、彼の特徴的な喋り方と特徴的なドラムだけが後年も記憶の片隅にいた。

それから10年くらいか。
人生最悪の地獄の2017年(第一次断酒治療が始まったが、鬱になりレテパがうまく出来なくなった)3rdアルバム「永遠に、たまに」のレコーディングが終わり、はなえもんが去り、アディーも去った。
で、俺はまた酒を飲み出して「6枚のアルバムだけは 6枚のアルバムだけは」と魔法のように呪文のように唱えながら(「遺書のように 遺言のように ずっと続くバトンのように」とそれのみを願いながら)残る3枚の録音だけを目指して生きていた。
で、早くドラマーを見つけなきゃ、と思った時、10年振りに彼の事を思い出したのでした。
人伝に連絡先を探し、電話した彼の喋り方は変わらなかった。
「あ、三鷹に住んでるんだ。俺は高円寺に住んでます。一度会って話しません?中間地点あたりで。」
「じゃあ、吉祥寺にしようか。」
「OK!よろしく。」

と言うわけで、公園口で待ち合わせ。
また中途半端な断酒を初めていた俺は、ノンアルコールビールのある店じゃなきゃ嫌だな、とワガママを言って、なかなか店が見つからず(当時ノンアルは今ほど市民権を得ていなかった)結局、井の頭公園へ。
ベンチに座り、彼を口説いた。

「3枚のアルバム、残り30曲をどうしても残したい。ライブはうまくいかないからもうやらない。3枚録音したらバンドはやめる。それまでどうかドラムを叩いてほしい。」
「分かった。ライブ無しという事なら自分も時間作れるよ。ぜひ3枚残すべきだと思う。叩くよ。」

それから色々あったねえ、ハジメちゃん!

2018年9月
もうライブはやらないと言ったくせに、オファーが来たからには「秋田ハイコーフェス」だけは出なくてはいけない!と言い、断酒状態でライブが上手くいかないのは2017年で何度も実証済みだったので、無理やり嫌々泣きながら飲んで飲んで連続飲酒の耐性を取り戻し、ハイコーフェスに臨み、バッチリ歌い、トリのレテパの最後の歌はなぜか「リンダリンダ」。
多分「今年で最後かも」と言いながら毎年やめないハイコーフェスにとどめを刺して成仏させるために、リンダリンダを歌ったのでは?と今振り返ると思う。
宿泊先の水沢温泉郷でハジメちゃんは何度も何度も「この人意外と貧乏性なのかな?」と思わせるくらい執拗に風呂に入っていたのを覚えている。
昨夜からもう10回くらい入ったのでは?と思って呆れていたら、出発直前にダメ押しで「あ、やっぱりもう一回入って来よう。」と急いで部屋を出ていった彼の背中を忘れない。

2019年2月
俺の体調が限界を迎え4thアルバムレコーディングが止まってしまった。
エンジニアも怒って途中で降りてしまった。
殺気立った狂気の帰りの小田急線、ハジメちゃんは自分の昔のバンドの失敗談?みたいなのをずっと話して俺を慰めてくれた。
この日を境に「底付き」を強く再確認。
一念発起して治療法を変えての第二次断酒治療が始まった。

2019年秋?
5thアルバムの録音の時、現場の雰囲気に濁ったものを感じてしまい、俺が少し感情的になった時、ハジメちゃんは素直に謝ってくれた。
その謝り方がいい感じだった。
俺もこんなふうに謝れるようになれたらなあ、と思った。
かなりの不思議ちゃんだが、とっても素直な男。

2020年2月
今なら出来るかも、と思い、第二次断酒後初めてライブをやってみた。
忘れもしない新高円寺LOFTX、のっぺら企画。
この日に向けて本当にたくさん勉強して、準備した。
そして最高のライブが出来た。
この日ダメならやはり6枚完成で解散するつもりだったので、この日が人生のターニングポイント。
極度に気が張っていたのだろう。
帰り道、頭がいきなりもげそうなくらい痛くなり、ゲロまで吐いた。
でも人生で1番と言ってもいいくらいに幸せな気分の帰り道だった。
目が開けられないくらいの頭痛と吐き気の中、幸せを噛み締めている人間は滅多にいないでしょう。
今思い出しても微笑んでしまう。本当に幸せだったな。

このライブのあたりから世間はコロナになり、俺はユキコの祖母の高円寺の空き家に引っ越して、ゴロゴロのんびりと断酒治療のみに集中して暮らし始めた。
そしたら歌がどんどん出来るようになり、みんなに「やっぱり6枚録っても解散しない事にする。これからはライブもやりまくる。」と伝え、もともと6枚を残すためだけのメンバーだったので、タカユキ君と高野君が去ったが、ハジメちゃんは残った。(ここの説明は本当はもっと丁寧に書きたいが、今日はやめときます。いつか愛情たっぷりに書こうと思う。この書き方だと少し事実と違うかも。だが、今日は許して)

2021年4月
カニユウヤとの初スタジオ。
なんの曲だか忘れたが、カニがギターソロを弾き終わった時のハジメちゃんの顔が忘れられない。
何年も一緒にいて、あんな顔初めて見た。
心底ミュージシャンなんだな、と思った。
カニの音に触れて、喜びに満ちていた。
今までこんな顔をさせれなくてごめん、これからはこの顔を何度でもさせてあげますよ、と心の中で誓った。
「無事に残して終わる為だけのバンド」が終わった瞬間だったと思う。

多分この前後だったと思う。
ハジメちゃんに子供が産まれた。
そして職場も変わり、三鷹も離れ、空き家になっていた湘南の実家に嫁と子供と移り住んだ。
ちゃんと父親するタイプの男なので、カニ加入による「ハジメちゃんのミュージシャンとしての喜び」の部分への発火が無ければ、もしかしたらレテパを続けるのは難しかったかも知れない。
そのくらい、このあたりから彼のミュージシャンとしての天才肌の部分に火が付いたと思う。
その証拠にそれまで「スネアは昔売ってしまってからずっと持っていなかった」彼が、自前のスネアを買い、ちゃんとスタジオに持参するようになった。

2021年7月
熱海の伊豆山で土砂崩れのニュース。
レテパの通販の常連さんの中に「熱海市伊豆山」の女性がいた事を思い出し、心配になる。
迷惑とは思ったが、大丈夫ですか?とメールしてみる。
会った事もない常連さんの女性。
すぐに返信が来た。
「心配して頂きありがとうございます。土砂崩れは山の反対側だったので私は大丈夫です。そしてこの際だからお伝えしますが、私は関口萌の母なんです。でも母だからレテパを好きなわけでは無いです。レテパシーズは本当にすごいと思います。私は「即死」を聞いてからマーシーのファンで、ハイロウズのライブには必ず行っていました。」
彼女が無事だった事と、まさかの母だった事で、びっくり嬉しくて泣きそうになってしまった。(そして俺も「即死」が1番好きだ。あと「見送り」も好き。)
この感動を後日ハジメちゃんに伝えると、露骨に恥ずかしそうな嫌な顔をして思春期丸出しの中学生のような反応だった。

2023年5月
俺とユキコに息子が産まれると、ハジメちゃんはとても喜んだ。
めちゃくちゃたくさんお下がりをくれて、ビンボーな古宮家を助けてくれた。
が、この頃からハジメちゃんの家では大変な事が続いた。
俺だったら1つでも根を上げてしまいそうな事柄がいくつもいくつも関口家を襲った。
スタジオをドタキャンで欠席する事も増えてきた。
無事にスタジオに着けても、かなり憔悴した様子。
ドラムを叩いてる時は意地でもサイコーの演奏をするのだが、それがかえって心配だった。

新宿ロフトでのライブの後、少し彼と話し合った。

「ハジメちゃんは限界までがんばるタイプだと思う。が、どんなにがんばったとしても、限界を迎えてはダメだと思う。だからもし辛いのならば限界になる前にレテパを休むべきだと思う。休んでる間はアディーに声をかけてみようと思う。アディーならきっと叩いてくれると思う。どうかな?」

「うん。ありがとう。でも今はまだ大丈夫。もし辛くなったら遠慮なく言うよ。」

2024年2月
10thアルバム制作。
ハジメちゃんは「そばにいる」という歌が大のお気に入り。
不謹慎かも知れないが、こういう本当に追い詰められた状況の人がこの歌を好きと言ってくれるのは、作曲者としては嬉しい。
必ず最高傑作にしなくちゃね。

2024年4月
10thアルバムレコーディングと第3回レテパシーロックフェスティバルが終わった。
そしてついにハジメちゃんから「ここで一度休ませて。必ず戻るので。」と伝えられた。

すぐにアディーに電話した。
アディーは「声かけてくれてありがとう。叩くよ。光栄です。」と言った。

PS.写真は「ハイコーフェスにリンダリンダでとどめを刺した帰り道」のレテパシーズ。
2018年だから6年前だね。
あれから俺達がんばったよなあ。
そしてまだまだがんばっちゃうのです。
なぜなら、お楽しみはこれからだからね。

ちなみにこの時のセットリストはこれ。

01.ブルースマン
02.空知
03.見知らぬ青年との会話
04.17
05.札幌ナンバーの最後
06.ハイコーフェスが終わったら
07.海へ行こうよ
08.ロックンロール
09.ハローグッバイファックユー
10.愛は風景
アンコール
11.リンダリンダ

PS.さっき書いた2021年4月のカニ初スタジオ。
もう一つ面白い話があるので書きますね。
カニが入ると聞いたヤハタトシキは「へー、カニ君ねえ。どんなもんでしょうねえ?俺は高野さんのギター好きでしたけどねえ。」みたいな生意気な態度をとっていた。
が、カニの初ギターソロ後、ハジメちゃんが喜びに満ちた表情をしている瞬間、隣のヤハタは「負けました!完敗です!シビれました!まいった!」という感じで、これまたサイコーの表情をしていた。
さっきまであんなに生意気な態度だったのに。
なんて素直な少年なんだろう!とハジメちゃんの表情同様に、俺はヤックンにも感動したのでした。
みんなほんとミュージシャンなんだよね。
多分、俺は少し違うんだよな。
1st,2ndの頃はこの違いが結構マイナスだったと思う。
でも、今はちゃんとプラスに出来ていると思う。
なんつーか、昔より自由なバンドになった気がします。

PS.ごめん、もう一つだけ補足。
同じく2021年4月の部分。
この書き方だと、カニのギターでは着火したが、先代の高野京介のギターでは着火しなかったかのような印象を与えるかも知れません。
確かに、ハジメちゃんのミュージシャンの部分に着火させたのはカニユウヤだと思う。
が、その前の5th,6thアルバムの時期のレテパシーズは、1st,2ndの頃や、7th以降のレテパには無い、俺の歌そのままの空気が特に残せている気がします。
これはなかなか難しい事なんです。(永遠の中学生、高野京介の美徳だと思う)

その証拠に、俺は2日前から久し振りに頭痛や耳鳴りや吐き気に襲われています。
これはストレスやプレッシャーを感じた時に出る症状です。
レテパは現在、10thアルバムと6thアルバムのマスタリングを行なっています。
6thアルバムは先日リミックスもして、リマスターをした状態。
それが正直素晴らしすぎて、10thへかなりのプレッシャーをかけてきています。

自分で自分を苦しめる人生。
ああ、なんて素晴らしいんだろう。
昔からよくドMと言われます。
が、俺は「自分というものを自分で苦しめて最終的には喜びを感じるんだから、自分に対してのドSなんじゃない?」と反論します。

それでは、今回も読んでくれてありがとう!
次回は「アディー編」です。
多分来週あたりかな?お楽しみに!