「愛は風景」
たとえば 雨の信号
たとえば 雨の少年
たとえば 笑う少年と僕ら
たとえば 思い出の海
愛は思うものじゃなくて
愛は感じるものじゃなくて
愛はただの風景だから
僕はただ眺めてる
たとえば あの頃の事が
たとえば 冗談みたいに
たとえば 思えるような静かな夜の
街を君が訪れても
愛は触れるものじゃなくて
愛は過ぎていくものじゃなくて
愛はただの風景だから
君もただ眺めてね
愛は消えるものじゃなくて
愛は消えないものじゃなくて
愛はただの風景だから
僕も君も眺めてる
1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」収録
(2009年作詞作曲)
「7月12日、13日」
色とりどりの光の下に集まる時は歌う時
蛍光灯の下に僕らが集まる時はどんな時?
君の家のそばの会館で今日は君のお葬式
はじめて来たよ 君のギターが君がいないのにあるとこへ
レスポールジュニア ジャズコーラス
ジョニサン ラモーンズ RCサクセション
君の部屋から運ばれたもの
新琴似っぽい住宅が 夕焼けの中 続いている
黒い影よりも黒い服とそれよりもっと黒い夜と
みんなの吸いすぎたタバコの煙が空に昇っていく
煙は雲になり次の日の朝早くからの雨になる
トムとジェリー ドラフトワン
君のお父さんとお母さん
君と一緒に暮らしてた人
知ってる人や知らない人が色んな事を話している
怒る人 泣く人 笑う人 みんな君を意識しながら
未来の事も過去の事も同んなじように話しましょ
雨の中 君を忘れたら 君は僕になるのだろう
猫背 泥酔 ロックンロール
悪い評判 僕に優しい
僕も君に優しかったもんね
君は僕に優しかったもんな
4thアルバム「ブルースマン」収録
(2009年作詞作曲)
前回の「MOON PALACE」の解説で、少し触れましたので、今日は1st「僕を殺せるのは僕だけさ」から「愛は風景」と4th「ブルースマン」から「7月12日、13日」のダブル解説です。(同じ日の事を歌っている歌なのでダブル。)
MOON PALACEに出入りしていたのが、2002年頃、札幌での事。
その後、2004年に川崎市稲田堤に引っ越します。
引っ越してからの活動を簡単に振り返ると、、
2004年~2007年はひたすらに古宮大志ソロ。
自主企画「自画像コンサート」をやったり、10曲位出来たら「古宮MAP」というアルバムを録音する、という日々。
「古宮MAP」作りはレテパが始まるまで続き、古宮MAP7まで作りました。
2008年には「古宮夏希&コークスが燃えている!」を結成。
これは2014年まで続いた。
そんで、2010年に「僕のレテパシーズ」結成。
ざっくり書くとこんな感じでした。
(古宮MAPやコークスや初期レテパの事は話せば長いのでまた今度書きますね。)
そんな日々の中、誰から連絡が来たのだろう?
誰かは忘れたがムンパ時代の友人から、ムンパ常連だったヨシカワさんが亡くなったという電話。
で、久し振りに札幌に帰りました。
2009年7月12日がお通夜で13日がお葬式。
歌のおかげで俺にしては珍しく日付を覚えています。
(10月1日は「アズミ」。2017年11月20日は「ロックンロールⅡ」家族の誕生日も覚えられないタイプの脳ですが、歌詞に出てくるこれらの日付と、2回目にハイロウズを見た1999年5月31日、の日付だけは覚えている。バームクーヘンのツアー。俺高2。なぜか10代の頃は5/31という日にちに重大な事が起こる事が多く、なんか特別な感じの日でした。今は何とも思わんが。空知の5月の魔法でしょうか?多分そうだ。)
葬式では色んな人と再会し、皆さんに「大人になったねー。」とずいぶん言われたのを覚えている。
あの頃のムンパで20才、葬式では27才か。まあ、幼かったのだろう。
ホンダとも再会し、2日間一緒に過ごした。
葬式は札幌の郊外、新琴似にある小さな町内会館で(まあ、歌の通りだな。)遺影と一緒にヨシカワさんの好きだったRCやラモーンズ、ジョニーサンダース関連のレコードが飾られ、愛用のギター(レスポールジュニア、まあ、全部歌詞のまんまっすね。)も運ばれて来て、参列者の中には「喪服ファック、皮ジャン参列。」みたいなのもチラホラ混じりながら、深夜テレビの前でドラフトワンを飲みながらの急死という事で、家族友人みんな受け入れる余裕は到底無く、とりあえず泣いたり笑ったり怒ったりしてる感じでした。
2日目の葬式の方は、友人の参列者も少なくなり、ムンパの主要メンバーだけがチラホラという感じで、いつもヨシカワさんがムンパにやって来てた深夜の閑散としたあの時間帯のムンパの感じに似てて、懐かしい気がした。
葬儀のあとは酔っ払ったホンダと2時間位かけて、東区まで歩いた。
強い雨は朝から降り続いていたが、傘はささず、履き慣れない葬式靴で靴ズレしたホンダは靴を投げ捨て裸足で歩いていた。
傍から見たら多分二人ともイカれた感じだっただろう、どこかの横断歩道で何度も赤青赤青になっても話に夢中で一向に渡らずに大声で笑っていた俺達に、少年が近付いて来て「さっきから青なのに、なんで渡らないのー?」と言って来て「なんで傘ささないのー?」「なんで靴履いてないのー?」と質問攻めで、「ほんとだね。なんでだろう?」と3人で爆笑したのが素敵な思い出になっている。
どこにも行きたくなかったんだな。あの少年も今頃は17才位だろうから、そんな気持ちも今ならわかるだろう。
目指す東区には山田家(山田相栄宅。古宮夏希(レッド)の実家。)があり、俺はそこに泊っていた。
相栄さんはカッコいい人で俺はとても気が合ったが、尖った酒飲みではあるので、人によっては怖い義父と感じたかもしれない。
その後、2011年に離婚して、レッドは真黒毛ぼっくすの大槻ヒロノリ氏と再婚したが、大槻さんは挨拶時に酔って調子こいて二ールヤングの話をしていたら、相栄に怒鳴られた。という歌がありますね。
※真黒毛ぼっくす/7thアルバム「夢の旅」収録「大浜海岸へ」
(大槻さんと俺は仲が良い。昨日も電話で世間話しした。夜の長電話。なんて昭和なコミニケーション。)
傍から見ると、びしょぬれの喪服の女連れの酔っ払いだったが、相栄もケイコ(義母)も優しく、ホンダ共々泊らしてもらった。
(相栄、ケイコ、と違い、自分の部屋に二人で泊った事を後日知ったレッドはビックリするほど怒り狂い、俺はその時初めてこいつが嫌になった。ちなみに彼女はこの頃も付き合っていた男がいたし、その前にもその後にも常に誰かいた。俺は彼女に恋愛感情は無かったので、彼女に彼氏が出来るとむしろ友人として喜んでいた。ので、ホンダと素敵な時間を過ごしたのを彼女も喜んでくれるかと思ったら、大間違いだった。女心はムズカシイ。)
後日、ホンダから短いメールが来た。
「愛は風景」の2番の歌詞はそのメールの文を引用しています。
ヨシカワさんのおかげで「愛は風景」が出来たが、この歌はヨシカワさんそっちのけの葬式というよりその帰り道の歌なので、その後すぐに、葬式本体?の「7月12日、13日」も出来たので、よかったよかった、と思った記憶がある。
演奏の方は、
「愛は風景」は当時のベースの寺中さんやアディーが、この曲には特に気合いが入っていて、こだわりの録音になっていると思う。(俺はよくわからんが、色々音楽用語が飛び出していた気がする。最後の最後のハモニカ&ギターソロにつながるよう、じょじょに盛り上がるように演奏するのをみんなで意識してた気がする。)
話は変わるが、この歌のコードはDEAの繰り返し(たまにF♯mが出てくるが、F弾けなきゃ無くても良い。)で簡単なので、ギター初心者の入門編にはピッタリだと思う。
俺が初めてギターを弾いたのは中2の頃。
溜まり場だった岡君(あだ名はおっちゃん)の部屋で。
おっちゃんはギターとマンガ書くのが上手く、部屋にはデカいアンプがあって、おっちゃんはBUCK-TICKファンだったので爆音で今井寿になっていた。
エロ真っ盛りの俺達は、みんなで好きなクラスメイトの裸をおっちゃんに描いてもらったが、永井豪崇拝者のおっちゃんのタッチで描かれた劇画ヌードは使い物にならなかった甘酸っぱい思い出がある。
ギターは興味なかったが、おっちゃんに頼まれBUCK-TICKの「悪の華」という曲の「てんてんててんてんてんてーててん」というギターを練習させられたが、つまらなくてそれ以降ギターは以前書いた17才の友部ショックまで触らなかった。
「7月12日、13日」も考えてみたらA、Fm、D、Eで同じようなもんか。
歌詞を英訳するのが夢、と先日書いたが、初心者でもカバーできるようにレテパの楽譜もいつか作りたい。
これは前作4th「ブルースマン」収録で、先日書いたがボーカルは派手に泣いてしまっている。
演奏後メンバーに「ちゃんと歌えたけど、泣いてしまってるので、聞いてみて録り直した方が良いなら、もう一度やろう。」と言ったが、みんな「いや、このままいこう。」との事でそのまま次の曲にいったが、次の「夜明け前」も泣いてしまい、が、みんな「大丈夫。これもこのまま次に進もう。」という事で、ポンポン録っていったのでした。
間奏のコーラスは、ユキコとはじめちゃん。いいでしょ。
前奏のトランペットは俺。
「ホープちゃん」のPVを作ってくれた浜本理紗がトランペットを吹けるというので、演奏を頼んだが、持ち前の真面目さを発揮して、吹くとなったらとことん本気になってしまうので、やっぱ止めときます、と言うので、しかたなく初心者の俺が浜本理紗から借りて練習して吹いた。
ギターの高野京介は「この初心者の吹いてる感じは初心者じゃなきゃ出せないね。いいね。」と褒めるのでまあ良しとした。
PS.これがB-Tの「てんてんててんてんてんてーててん」だ。
随所に出てくるボーカルの「うーあ、はっは。」みたいなのも誰か友人が担当して腹抱えて笑った青春。
PS.大槻先輩そろそろ仕事定年だから、暇しないように良い嫁でも探してやらねば。例の歌詞。