7月25日(土) 「愛してるよ」解説第2弾

少しご無沙汰でしたが、色々頑張っています。
何を頑張っていたのかは、また今度。

皆さん、2nd「愛してるよ」聞いてくれましたか?
早いもので、来週は3rd「永遠に、たまに」が配信されます。
あまりご無沙汰だと、心配してくれる心配性の人もいるので、今日は「愛してるよ」解説第2弾。

各曲のプチ解説です。

1.「見知らぬ青年との会話」
下北沢Queにて、見知らぬ青年に話しかけられた時の会話そのまま。
当時、ブルーハーツのファーストのような衝動的な恋をしていた。
3rd収録「夜に名前を」同様、予定調和なサビやAメロBメロ、ましてやCメロなんて気持ち悪い、という反骨精神の固まりのような曲です。
最近、高野君が「今時のサブスク全盛の聴衆はギターソロや前奏を飛ばして聞くらしい。」と教えてくれたが、不必要でつまらない編曲が多すぎたから、そうなるんだと思う。
レテパは必要がなければ、前奏もソロも作らなかったので短い曲が多い。
短くて成立するならば短い方が良い。削れるだけ削る。
時代が追いついてきた形です。遅えよ。
(2012年作詞作曲)

2.「空知」
2才〜13才まで月形町。
14才〜18才まで岩見沢市で育った。
両方、南空知にある町。
今でも思い出すと一瞬で、ひび割れたような懐かしさでいっぱいになる。
高校終了後、札幌で一人暮らしを始めたが、都会が嫌で札幌から空知を懐かしんでいる歌。
冒頭の「123223」は高校生の時に見た、あがた森魚がタンゴを歌う時に言っていたのを真似した。
真似したくせに対抗意識でもあるのか、ライブではよく上から目線で「本当のタンゴってのを教えてやるよ」と言ってから歌い出している。
「不安を懐かしくした青空だからー」のあとの、タララタララタララタララー、というギターとか2002年当時から弾き継がれている。
他の歌でも過去メンバーのメロディーが残されている歌は多い。
(2002年作詞作曲)

3.「ハローグッバイファックユー」
あるメンバーが辞めてしまった時に出来た歌。
レテパにしては長い歌なので、バンドアレンジがビシッと決まるまで何年もかかった。
2012年からレパートリーだが、決定版のアレンジになったのは2016年飯田裕が加入してからで、彼の功績が大きい。
何を隠そう、あるメンバーが辞める事件の原因を作ったのは、飯田裕(当時俺は知り合いでは無かったが)だったみたいなので、自分で全てを解決した形になる。
なかなか出来ないことだ。すごい。
(2012年作詞作曲)

4.「夕焼けより」
京王稲田堤に住んでいた頃の歌。
このアパートが一番歌が出来た。
同年の2007年作は「君しかいない」「海へ行こうよ」「夜明け前」「バスが来るまで」等。
最近ユーチューバーの手伝いをしている友人が「ユーチューバーは視聴者に映像を止める機会を与えない為にはどうすれば良いか、を第一に考えて映像を作ってるんですよ。」と言っていた。
この歌の「僕のマンガの感動のラストシーン 君は読むのをやめて電車の外の夕焼けを見る」はその真逆だ。
13年前にすでに批判してやった。ざまあみろ。
(2007年作詞作曲)

5.「北」
新宿ジャムの前の通りに不機嫌に座っていたら出来た歌。
2004年に札幌から東京に移ったが、どこのライブハウスにも馴染めず、イライラしていた。
でもそれは札幌でも同じで、高校生の頃、161倉庫のKCさんに拾われなかったら、多分グレていただろう。
札幌では161倉庫、MOON PALACE、LOG、とかは好きだった。
要するに、店主が絶賛してくれた店が好きなわけだ。ただそれだけの事だ。
北海道へのホームシックの歌。
編曲時、俺は知らなかったが、これは所謂「カノン物」らしく「カノン物を作ると、一発屋で終わるというジンクスがあるが、大丈夫か?」とメンバーの誰かに冗談半分に聞かれた。
当時は「一発屋は嫌だな。」と答えたが、一発どころか0発だ。
いい加減グレそう。
(2005年作詞作曲)

6.「東区が恋しくて」
当時北区に住んでいたが、東区の女が転がり込んで来て同棲を始めた。
出会って1週間で同棲が始まり、2ヶ月後に結婚した。8年後に離婚した。
(2003年作詞作曲)

7.「再会」
札幌のある友人への歌。
久し振りに見た彼のライブが良くなかったので出来た。
ギターを始めたばかりの人は、この歌から始めれば良い。
コードが2つで簡単だから。
GとGの人差し指と中指を一つずらしたコードのみで出来ている。
その後「一口目のビール」を夜に溶かさなくなったのは俺の方だった。
歌の彼は昨年、不吉な風の噂を聞いたらしく、俺の様子を心配して会いに来てくれた。
俺の元気な様子を見て、嬉しそうにしてた。
(2009年作詞作曲)

8.「札幌ナンバーの最後」
歌詞に出てくる「青い看板」は161倉庫の前の旧石狩街道を海方面に少し行った所にある「石狩9Km」の青看板の事。
「あいつが死んだ時」とあるので「あいつ」が「キヨシロー」と勘違いしている人に何人か出会ったが、この頃はキヨシローはピンピンしてた。
この年?のライジングサンに行ったら(今は分からんが、当時は金払わないでもぐり込めた)キヨシローが出てたので見た。
おそらくキヨシローの悪ふざけで、本人登場前に、ローディー?が前座でダラダラと歌い、その後キヨシローは矢野顕子を連れて登場し、イチャイチャだらしないライブをした。
持ち時間もオーバーしてた。
俺の後ろでは若者が「ダセーな、じじい引っ込めよ。」とヤジを飛ばした。
それを聞いたロックなおばさんが「あんたねー、キヨシローが今まで何をやって来たか知ってるの?タイマーズ!RC!聞いた事あんの!?」と掴みかかっていた。
俺は「なんだかなー。」と酔っ払っていたが、そんな苛立つ大観衆の前に、次の出演者が登場した。
若者は「じじいが続くなー。」とまた毒づいた。
出てきた出演者のじじいは一言も喋らずにギターをジャラーン、そして「都会では〜」の第一声で会場にいた数万人の鳥肌の音を俺は確かに聞いた。
キヨシローが作った最悪の雰囲気をたった5文字で一掃したグラサンじいさん。凄かった。
(死んだ人の悪口を言うな、とよく言うが、これは悪口ではない。キヨシローも含め最高の美談だ。)
この歌もこの決定版のアレンジになるまでに14年か?かなり時間がかかった。
が最終的に素晴らしくなったので良かった。
ドラムのアディーはこの間奏の「ダララララー」というドラムが苦手だったらしく、始め珍しく手こずっていた。
が、次の週の練習では完璧になっていた。良いドラマーだった。
ちなみに2番の「ペシャンコ」の声はユキコ。
ギターのはなえもんはよく股を開いてギターを弾くが、毎回この歌の時が一番開いていた。
(2002年作詞作曲)

9.「夏のしっぽ」
得意の1番〜5番まであるパターン。
6th「アコースティック」収録の「月形」「旅に出るなら」もそう。
唱歌みたいで、こういうのが一番好き。
高校生の頃に付き合っていた、玉ねぎ農家の娘の林さんとお別れした時の歌。
高校3年生だったので、林さんの制服のスカートのおしりが年季が入ってテカテカしていて、その揺れるお尻を見ていたら、別れるのが惜しくなって来た。
そういう歌です。
(2001年作詞作曲)

10.「ロックンロール」
高円寺北口のアコムで金を借りて、隣のローソンで第三のビールではなく本物のビールを買い、アコムのビルの1Fの「くいしんぼ」の入り口から流れる有線を聞いていたら出来た。
が、実は珍しく曲だけは先にあったもの。
2015年頃、野に咲く野生の花だったレテパを、何とか花屋の花に育てようとしていたレコード会社の人が、あまりにも金の無い俺を見て「今、関わっているアイドルの曲を作ってみないか?」と言ってくれた。
もちろん即答で「ガラじゃないし、第一作ろうと思って歌が出来たことが一度も無いから無理無理。」と断ったが、次の日そのアイドルグループの名前から始まるそのグループのテーマ曲みたいなのが、勝手に頭の中で出来てしまった。(虹の〜という名前だった。)
が、その商売人とは喧嘩別れしたので、その歌も放置していたが、有線のロックンロールを聞いていたら、その歌のメロディーに新しい歌詞がついて、こんな歌になった。
そんな事は忘れていたが、この前そのアイドルグループがテレビに出てて、思い出した。
このアルバムでは「ロックンロール」だけが新曲で、旧レテパでも演奏した事の無い歌だったので、過去のアレンジのイメージに流されず、みんな伸び伸びとアレンジしていた気がする。
過去のアレンジの手垢の付いた曲を、またアレンジするのは、やはり真っさらの状態の新曲をアレンジするよりも難航する場合が多い。
レテパの歌は8割は再アレンジだったから、みんなに苦労をかけた。
が、最後にはいつも素晴らしいアレンジになった。
今も昔も、誰か一人が中心になってアレンジするというよりは、5人全員でアレンジする、というバンドだった。
(2015年作詞作曲)

以上。気まぐれ曲解説簡易版でした。
では7/31「永遠に、たまに」お楽しみに。

PS.また写真が出てきたので2016年「愛してるよ」関連の写真をどーぞ。(多分レコ発ツアーの写真です。)