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昨日はスタジオでした。もちろんコヤーマ。
2時間と短い時間でしたので「調布飛行場」「東京の空で」の2曲だけやりました。
「東京の空で」はソロのライブでも歌った事が無く、今回思い出し部屋で何度か歌ってみたが、歌ってると悲しい気分になるので、やっぱりアルバムに入れるのやめようかな、と思いかけていましたが、昨日スタジオで本気で歌ってみたら、悲しくならなかった。
みんなも、絶対に入れた方が良い、と言ってくれたし、歌っててちゃんと喜怒哀楽関係無い感じになれたので、めでたく候補曲入り。

「調布飛行場」は昔、調布近辺に住んでた時によく飛行場に隣接している大きな公園でぼーっとしてたので、その時出来た歌。
ユキコは調布やらの多摩地域に思い入れが強いらしく、この歌を聞いてると泣きそうになる、と言っていた。

アルバム録音に向けて順調です。

では、前回の「アズミ」に続きアルバム全曲解説第二弾です。

※一つ訂正。
前回の解説で最後に
「恋人は何十人~」あたりのベースが飯田裕曰く本人のベストプレイらしい。
と、書きましたが、飯田裕から訂正が入りましたので訂正。
正しくは、
「恋人は何十人~」あたりのベースが高野京介曰く飯田裕のベストプレイらしい。
とのこと。
言われてみたらそうだった。記憶違い。失礼しました。

では、全曲解説「プレスカブのスピードで」編

 

「プレスカブのスピードで」

プレスカブのスピードで 旅に出るの
プレスカブのスピードで 新しい朝へと

時速40kmの風になるの
時速40kmの歌にのせて

プレスカブのスピードで お前らの事など
プレスカブのスピードで 忘れてしまえるの

プレスカブのスピードで 旅に出たの
プレスカブのスピードで 夜風と並走

時速80kmじゃ 風を切り裂くだけ
時速40kmなら 風になるの

プレスカブのスピードで お前らの事など
プレスカブのスピードで 忘れてしまえるの

忘れてしまうの

 

2015年に発売された1st「僕を殺せるのは僕だけさ」収録。
歌が出来たのは2008年です。

前回解説で書きましたが、高校卒業後は161倉庫付近のアパートに住み、色んなバイト(コンビニ、警備員、スープカレー屋等々)を転々としながら、161倉庫を中心にソロで歌いながら暮らしていました。
そんなある日、高校時代の恋人からいきなり電話がかかってきて(携帯は嫌いだったが、無いとバイト雇ってもらえないのでプリペイド携帯を買った。彼女は俺の実家に電話して母から俺の番号を聞いたらしい。やはり全て母のせいだ。)会った。

一つ先輩だった彼女とは、彼女の卒業以来会っていなく、しかもその頃俺は前回書いたようにアルトの音に取り憑かれていて、少しイカれポンチだった。
ので、彼女の父親が自殺してしまったり、色々とあったのに、誰とも話す気分になれなかった俺は、彼女の事を避けて、そのまま彼女は卒業してしまった。

久し振りで懐かしかったし、その頃は彼女と楽しく話していた高校1年生の頃のような気さくさ(2年から気さくじゃ無くなった、と思う。)が戻ってきていたので、楽しく1週間位過ごした。
が、短大生になっていた彼女にはヤンキーの高校生の恋人がいたらしく、そのヤンキーに俺は呼び出された。(呼び出し場所は、新札幌あたりの郊外の使われていない駐車場。)
向おうとしたら、アパートの1階にあった喫茶店(北17条西3丁目ウエストウッド)の人達が「危ないから行かない方が良い。」と助言してくれたが、俺はその頃遅れてきたブランキージェットシティブーム(高校の頃友達は好きだったみたいだが、悪い意味で早熟過ぎた俺は当時バカにしてた。が、その頃、偶然見た中村達也の目つきと当時発売された「ワイルドウインター」という本が素敵で、大好きになった。)で、イケイケだったので、行くことにした。
止めても無駄だと判断した喫茶店の常連達は「それなら、永井(ヌルマユというバンドの永井君)に付いていって貰えば良い。」と言い出し、永井君も張り切ってやって来て、二人で人気のない深夜の駐車場に向った。

そこからは、まあ、あんま覚えてないし割愛する。(案の定ヤンキーは仲間を10人以上集めてやがった。)

結局彼女とはそれ以降会っていない。
が、色々ショックだった俺はバイトも辞めてしまい、落ち込んで自棄になった。
貯金が10万円位あったので、近所の雑居ビルのテナントが敷金無しで家賃3万円で借りれるという噂を聞き、スナックでもやるか、と思いビルのオーナーに会いに行った。
が、俺が若過ぎて不安だったのか断られ、同行してくれた紹介者に連れられて「輪茶館」という喫茶店に入った。
マスターはバイク乗りの間では有名な人らしく、俺にバイクの事を色々話してくれた。
で、「お前、時速40キロの風って知ってるか?」という名台詞がここで飛び出す。
長くなるから簡単に書くと、
マスターは当時50歳前後か?マイク真木を不良にした感じの見た目。
若い頃から暴走行為やらなんやら数々のバイクで数々の伝説を作る。
が、40歳を超えたあたりから、暴走行為では感じられない風がある事に気付く。
その風は、北海道の大自然の中、カブに乗りウォークマンで好きな歌を聞きながら「時速40キロ」で走る、と感じられるらしい。
他のバイクじゃダメで、30キロでも50キロでもダメで40キロ。
音楽と、景色とが、40キロで脳にダイレクトに溶けていく感じ。それが時速40キロの風。

「お前、スナックやるのにいくら持って来たんだ?」と言うので「10万円です。」
店の奥からカブを出して来て「このカブ6万円で売ってやるから、残りの4万で旅に出て、風になって来いよ。」「はい。行ってきます。」

というわけで、前回「アズミ」の放浪以来の放浪。
めでたく40キロの風を感じられたのでした。

それが多分19才あたりの話で、その後23才の頃東京(正確には川崎市多摩区稲田堤だ。)に引っ越した時にカブを運んで来る金が無く、札幌に見捨てて来たが、当時から友人だった元レテパドラムのアディー(鈴木亜沙美)が見かねて札幌からカブに乗って持って来てくれた。

で、2008年、26才の頃、なんか多分悲しい気分にでもなったのか、またカブで放浪してたら「長野県のお月様」「プレスカブのスピードで」「思わずブランキー」と、走りながら3曲も出来たのでした。ラッキー。

その時の歌ですね。

PS.輪茶館、まだあるのかな?と思い今調べてみたら、当時の北区から移転してるが、石狩にあるみたいですね。

PS.上記にスープカレー屋でバイト、とありますが「ピカンティ」の事です。有名店。
カブ買って旅に出て帰って来て一文無しなのでバイトを探してたら、アパート1階ウエストウッドに来てたピカンティオーナーのオサムさんが、君暇ならうちで働きなよ、と言ってくれたのでした。
一番おいしいお店です。2種類のスープの「かいびゃく」の方が特にオススメです。

PS.この歌はちょうど1分なので、時計無い時に1分計らなきゃいけない場面では心の中で歌い、ちょうど1分計ります。
近所の銭湯の温冷浴(水風呂、熱風呂を交互に1分)とかの時に重宝します。

PS.演奏では、最後の最後の「ジャラン!」という感じが、最初なかなか出なくて、メンバーみんなに「ジャン!」じゃなくて「ジャラン!」ね。「ジャラーン!」でも無いよ。と苦心してもらったが、皆さんさすがでアルバムのテイクは見事な「ジャラン!」です。
ギターやピアノはジャラン!にしやすいかも知れないが、当時のベースの寺中さんにまで、ジャラン!を強要してたので、一本の弦でジャランを表現するのは大変そうにしてたのを記憶しています。

PS.そのプレスカブは、稲田堤からの引っ越しの際に、次のアパートに置き場所が無くて売ってしまいました。
が、今から2年位前に、当時お世話になってた方が俺の飲酒を心配して、またカブに乗り出したら少しは飲酒が減るのでは?とスーパーカブを譲ってくれました。
が、90CCのスーパーカブなのでバイク免許取らないと乗れないし、案の定放置してましたが、最近思う所ありまして免許取りに行きました。
普通自動2輪。
無精な俺は最初乗り気ではありませんでしたが、金出してやるから行って来い、とバイクニケツに憧れる嫁に言われ、嫌々通い出したが、途中から楽しくなってきて、教官も驚くほどのスピードで卒業した。(単に生徒の中で一番暇だったのだろう。毎日通い、最速で卒業した。)

↓卒業証書と教習初日に勝手に写されたスナップ写真。
初日だからまだ嫌々で、嫌な事がある時猫背になる癖が出ています。

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2017年の冬に「永遠に、たまに」レコ発ワンマン、2018年は秋田ハイコーフェス、のみでライブを全然やっていない。
そしてまたアルバム録音の準備を進めてて、ライブ予定が無い。
ライブしてないから、勝手に活動休止したバンドだと思ってる人もいるみたいですが、そんな事は無くて、ちょっと変わったやり方かもしれないが、本当に大丈夫なので、色々もう少しお待ちを。

こんな状態ですが、通販でアルバムを買ってくれる人がちょこちょこいて嬉しい。
今までレテパのメンバーだった人達は嫌と言うほど知ってるでしょうが、このバンドはアルバム作りに重きを置いている。
いつかバンドが解散しても、俺が死んだあとも、アルバムはずっと売り続けてほしいし、自然とそうなるレベルの物を作らなきゃ、とやっています。

と、いうわけでライブもしてないバンドですが、アルバム聞いてみたいな、と思ってもらいたいので、過去の4枚の収録曲からランダムに解説していこうと思います。

※僕のレテパシーズのアルバムは、俺の歌をみんなでバンドアレンジにしてやってます。
アルバムの為に歌を作ったりしてるわけではないので、収録曲の出来た年代はバラバラです。
気になる方は「歌詞」のページに各歌の出来た年が載ってます。

※「過去の4枚」と上記にありますが「僕を殺せるのは僕だけさ」をファーストアルバム、としています。
その前に出した「ぴりぴりのファースト」は廃盤です。(回収を頼んでもまだ販売をしてくれてる所があるみたいですが。)

前置き長く、すみません。

それでは、

アルバム全曲解説「アズミ」編

「アズミ」

8年前の10月1日 161倉庫であなたをはじめて見た
あれからもうそんなに経ったのか それしか経たないのか 日によって違うけど

あなたは今夜もどこかで歌っている 僕はそれを布団で聞いている
あなたは夕方 バスに揺られている 僕はソファーで揺れを感じている

夕焼けを何百回? 朝焼けは何千回? 見逃している僕は年もとらないで
夕方 バスは夕日を見せるため あなたを揺らしている あなたは年をとる

8年後の11月 横浜へ久しぶりにあなたを見に行ってみたんだ
変わらないのは輝いている目だけ 木のような人だな 旅は風がするよ

恋人は何十人? 流れ星は何百個? 見逃している僕は年もとらないで
海風は木々を揺らしている あなたを揺らしている あなたは年をとる

さよならは何千回? 思い出すの何万回? 見逃している僕は年もとらないで
思い出は夜をぬらしている あなたをぬらしている あなたは年をとる

明日もバスは夕日を見せるため あなたを揺らしている あなたは年をとる

 

なんでこの歌から解説するかと言うと、冒頭の歌詞が「8年前の10月1日~」なので、先程思い立ちました。今日10月1日なので。
4thアルバム「ブルースマン」に収録されています。
「ブルースマン」発売が2019年だったので、何も知らずに聞いた方は8年前を2011年と思ったかもしれません。
この8年前は2000年の事なので、歌が出来たのは2008年という事になります。
「8年後の11月横浜へ~」の横浜は確か、サムズアップだったと思います。
それまでも何回もAZUMIさんのライブには行ってましたが、このライブの時に初めてちゃんと話したのでした。(理由はブルースマン歌詞参照、この歌はアズミさんの事を歌ったわけではないけれど。)
高校生の頃からファンでした。初めて見たのは札幌の161倉庫でした。アズミさんの「VOLUME6 1999-2000」が出た頃です。その時の前座でHMJというバンドが出ててRCの「お墓」を歌ってました。初めてCDを買ったのは苫小牧のレコード屋ウエストで「ブルーズのいいなり ロックのどれい」でした。等々。

苫小牧のレコード屋ウエスト。
今あるのかは知らないが、俺の人生はここで転機を向えた。(一度しか行った事ないが。)

簡単に書くと、阿部薫、エリックドルフィー、チャーリーパーカー、とアルトサックス奏者達に夢中だった北海道岩見沢緑稜高校三年の俺は、彼らのように第一言語をサックスの音色にすべく、全てをアルトサックスの練習に捧げていた。
が、その頃母親がハマっていた友部正人の歌を聞き、サックスはほうり投げ、歌を歌い出した。(この頃の事は長くなるからまた他日。ちなみにライブスタイルはBSフォーク大全集で見た友川かずき、の影響をかなり受けた。座って、譜面台見ながら、酒飲みながら。これも母が録画してた。全て母のせいだ。)
学校は両親と担任と「退学せず卒業する代わりに、出席日数ギリギリ以外は連絡無しで欠席遅刻早退全て自由。」という密約を結んでいた。
が、学校祭は2日とも出席扱いにならないと「行事」の単位が足りなくなるから、やむなく最後まで出席。
体育館のステージでは19、ラルク、ミッシェル、椎名林檎、ハイスタ、ドラゴンアッシュ、と世紀末のJポップが盛り上がっていて、退屈な俺はウォークマン爆音で友部正人、豊田勇造、シオン、たま、ポーグス、シバ、どんと、浅川マキ、なんかを聞いていた。

その帰り道、エリックドルフィー「AT THE FIVE SPOT Vol.1」の一曲目「ファイアーワルツ」で客のザワザワからの「たららたったた、、、、たらったたーたらったたーたらったたーた、パラリパララー」でもう爆発し、大好きな星野道夫さんの影響もあり旅気分が押さえきれなくなっていて、そのままママチャリで旅に出た。(旅っつーか家出か?)

何日か北海道をあてもなくさまよい、苫小牧にフェリー乗り場があったのでそれに乗り、大洗という所に着き、地図(スマホどころか携帯も持って無かった。嫌いで。)を見ると、東京まで一日で行けそうだったから、東京の祖父母の家に向い、そこで2週間位暮らした。
上石神井に住む親戚の某有名劇団の脚本家を訪ねたら、ガットギター(初代ナカデギター)をくれたので、弾いてみたら「僕の頭が火事になったら」という歌が出来たので(初めて出来た歌だ。)遠藤ミチロウ著の「音泉map」という本に載ってた「アピア」「マーキー」「稲生座」などのライブハウスに、出させて下さい、と、緊張を隠そうと飲めない酒で勢いをつけつつ頼みに行ったが、全て門前払いで、失望感満載で東京を後にし、また大洗から苫小牧行のフェリーに乗った。
フェリーに乗りながら考えてたのは、恋の事と卒業後の進路の事だろう。
進路は担任には「アルトサックスを独学で吹いていくので、進学も就職もしない。」と伝えてあったが、気持ちは完全にアルトから歌に変わっていて「僕の頭が火事になったら」を歌ったら、ライブハウスの人達が「すごい!天才だ!」とか言ってくれて「春一番」とかに出させてくれて、フォークの先人達からちやほやされて、後はなるようになる、と考えていたので、東京のライブハウスの店主達の冷ややかな反応が信じられず、絶望した。
フェリーを降りて、さてこれからどうしよう。あ、音泉マップに苫小牧のレコード屋が載ってたな、と思い寄ってみると、全商品試聴できるという素晴らしいお店。
で、AZUMI「ブルーズのいいなり ロックのどれい」に出会う。
セイコーマートで札幌タウン情報(イベント情報誌)を立ち読みすると、2000年10月1日札幌161倉庫「AZUMI」の文字を見つけ、行く。
その時に店主の御曼KCにデモテープを渡し、KCさんはそれをいきなりAZUMIさんの出番の前のBGMにかけやがって、俺は緊張のあまり倒れないように飲酒で気分をごまかし、どうせまた冷たくあしらわれるのかな、と思ってたら、拾ってくれた。
そこから始まりました。
卒業後は161倉庫のそばのアパートに住み、色々あって、今日に至ります。

PS.演奏面では、高野京介はこの録音でのアコースティックギターの演奏が、自身初のアコギ録音らしい。
使用のアコギは「YAMAKI 型番不明」でこれは「MOON PALACE」店主ホンダに貰ったギター。良い音。
「恋人は何十人~」あたりのベースが飯田裕曰く本人のベストプレイらしい。確かに素敵。

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昨日はタカユキ家の地下スタジオで4人レテパ。
(はじめちゃん来れない日だったので。)

今までアルバムを作り出す時は、実は心の中では早い段階で収録曲と曲順まで一人で決めてた。
アレンジはみんなで考えるんだけど、やる前に想像して「深海はあんな感じになるだろうから1曲目で、だから2曲目は夜に名前を、だな。」みたいに。
今回も曲順まで考えてたんだけど、前回のスタジオでやった7曲が想像を遥かに超えてバッチリだったので、想像を超えた分、予想してたイメージが超良い意味で壊れ、残りの3曲を何にしようか迷い出してしまった。嬉しい迷いですが。
(変な所で神経質で毎回10曲だから同じ10曲じゃないと気持ち悪い。)

なので、昨日は歌ってみんなに聞かせて「どれ入れたい?」と相談した。
みんなこれも良い、あれも良い、と言ってくれるので、とりあえず全部アレンジしてみてあとで考えよう、という事になった。
でも、このままでは10曲どころか、20曲も超えてしまうだろう。

話しは変わるが(変わらないか)ブルーハーツ「ダッグアウト」「スティックアウト」みたいに、早い歌と遅い歌(頭悪そうな言い方ですが)を別々にしたアルバムを同時に作るのが俺の夢だったなあ。
もしかしたら、ついにそのチャンスが来たのだろうか。

昨日は「ヨモギネコのチヨ君」という歌でタカユキ君がリコーダーを吹き出した横で、高野君がヤンキーのように床に座りながらかったるい感じでギターを弾いているのが、どっかの中学の教室の一コマみたいで面白かった。
「猫との午前」という歌では、後奏の高野ギターがあの頃の俺の気分そのままで嬉しかったが悲しくなった。
両方とも札幌から連れてきた猫がいなくなった時の歌だ。

「猫との午前」はまだいなくなってないが、何か別れの予感がして出来た歌。
そんで「ヨモギネコのチヨ君」は実際にいなくなった歌。
札幌から引っ越して最初に住んだ稲田堤ユアサハイムにて。2011年頃の歌です。

「猫との午前」

猫との午前 穏やかな 日射しの中 過ごしてる
二匹のうちの一匹が外に出たいって騒ぎだす

窓を開け出してやる 二階から飛び降りた
残された一匹が不安そうに見送った

心配はしてないよ 毎日の事だから
だけど サヨナラは言わないで 消えてしまうって聞くからさ

サヨナラは言わないで 消えてしまうって聞くからさ

 

「ヨモギネコのチヨ君」

春の日射しの中で死ねる猫は幸せか
春の陽気で酔っぱらい そのままいなくなった

ヨモギネコのチヨ君 ヨモギネコのチヨ君

といった感じの歌が 早く帰って来ないと
シンガーソングライターの僕は どんどん出来ちゃうから

早く帰って来いよ ヨモギネコのチヨ君

札幌で生まれて2年半 川崎は6年間
雪解けの春は忘れたか? もちろん覚えてるよな

ヨモギネコのチヨ君 ヨモギネコのチヨ君

といった感じの歌が 早く帰って来ないと
せっかちフォークシンガーの僕は どんどん出来ちゃうから

早く帰って来いよ ヨモギネコのチヨ君

 

2018年の春頃かな?はじめちゃんに「ヨモギネコのチヨ君の歌詞よいね。ヨモギネコってどんな猫なの?」と聞かれたのを覚えてます。
(当時はアルバム収録曲以外の歌も全部「歌詞」のページに載せてた。)
ヨモギネコは北海道弁みたいですね。こちらではキジトラなのかな?多分。

スタジオの後は、近所のスシローからの温泉。
高野君もタカユキ君も素っ裸で見ると、他の人達よりもカタギじゃない感じが出てました。
タカユキ君はサウナでずいぶんイカれた目つきをしてるなあ、と思ったら、サウナの時計が12分計なので、めんどくさいから時計1周(12分)を1セットにして水風呂~サウナを何回も繰り返してたらしい。
変な目つきだったのは朦朧としてたかららしい。
12分は長いよ。変わってんなあ。

写真はタカユキスタジオにて。
ユキコはスタジオというより温泉に重きを置いていたのか、寝巻のようなラフな格好をしています。

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というわけで、一昨日は新メンバー初スタジオでした。
みんな大好き高円寺スタジオコヤーマです。

俺そういえば多分、タカユキ君の演奏を褒めるの忘れてた。
一音目から自然に始まってしまい、スタジオ8時間入ってたのに、存在が自然過ぎて全然絶賛してなかった。
忘れてました、とっても素晴らしかったです。

東京から離れてた萌ちゃんは台風で帰って来れず、遅れて駆けつけてくれたので、最初は4人で「たこ公園」「佐藤君と伊藤君」をやって、その後合流し5人揃って音出した時のあのバッチリな感じ!
2月からの断酒リハビリやらで、全然歌って無かったので俺は9ヶ月振りのスタジオ。
恥ずかしながら、久しぶりの大声で声帯がくすぐったかった。

「佐藤君と伊藤君」は2007年前後の歌かな?
当時文通してたKさんという音楽家の人がいて(歌が出来たらお互い送り、手紙で感想を言い合ってた。俺が手放しで天才だと言えるのは彼だけ。「夜に名前を」に出てくる「僕の友達〜」は彼の事。)「ふるちゃん、佐藤君と伊藤君いいね。浮遊感がたまらないね。」と言ってくれてた。
Kさんに一昨日の演奏を聞いてもらいたい。
「浮遊感ってこういう事でしょう?」
「そうそう、でかした!」
今のレテパ聞いたら絶対褒めてくれるはず。
が、Kさんどこにいるんだかわからん。

「たこ公園」は高校生の頃の歌。(2000年だから俺来年歌手生活20周年だ。)
当時恐らく、たこのすべり台の型でもあって安く大量生産してたんだろう。
メンバーみんなそれぞれ思い出の「たこ公園」があるみたいでした。(ちなみに今のメンバーは、北海道(月形、岩見沢)、盛岡、湘南、東京、東京、出身。)
もう20年も歌っている歌が、まだこんな風に良くなるなんて、びっくりした。嬉しかった。
まさかあそこに間奏を入れるなんて思いもよらなかった。

その後も「長野県のお月様」「ミツバチ」「音楽」「雪包丁」「水平線」と、どんどん演奏しました。

「水平線」では高野君がなんか異常なハイテンションで面白かった。(次の日になっても「水平線よかった、水平線よかった。」とずっと言ってた。大好物なアレンジなのだろう。皆さんも聞けば彼の性癖がわかる。アルバムの最後の曲になる予定。乞うご期待。)

「長野県のお月様」はユキコがお気に入りらしく、演奏しながらニヤニヤしてた。(後で聞き返したが、この歌の萌ちゃんのドラムが、俺の歌をバンド演奏にする時の超お手本なんだろう。歌いながら俺は俺の知らないところまで行ってた。)
ちなみにこの歌と「プレスカブのスピードで」「思わずブランキー」は昔カブで疾走(失踪?)放浪の旅の時に出来た3部作です。
ブランキーはまだ未収録か。

さっき9ヶ月振りに歌ったと言ったが、ちょっとだけ嘘で、断酒1ヶ月位経ち、所謂「離脱」も落ち着き、ボンヤリしてたら「音楽」という歌が出来た。
ので、その時ちょっと小さな声で歌った。

ここ数年は1年に1、2曲くらいのペースで歌が出来ます。
2016年「ラブソング」「深海」
2017年「永遠に、たまに」「ロックンロール2」
2018年「ヘルメットヘアー」
で、
2019年「音楽」

新曲できた、新曲できた、と、よく新曲制作至上主義みたいな人がいますが、作りゃあ良いってもんじゃないよ。
小学校の時読んだネズミのフレデリックの影響か、俺はあの作り方しかできない。
あ、上記のKさんは多作だったけどね。(20曲は入ったアルバムを3ヶ月に1枚のペースで送って来やがった。)

「音楽」が出来てから何ヶ月も隠居してたから、やっぱり少しは悶々と不安で、過去にシラフで歌が出来たのは「17」だけだったので(この時は起きてすぐ酒飲む暇も無く出来てた、確か。)「音楽」が良い歌なのかわからなくなり、実は一昨日怖かったんですよ!メンバーの皆さん!隠してたけど。

で、結果は、アルバム完成でのお楽しみ。
このペースだと、早く出来そうだ。

2000年から歌い出し「00年代は俺の時代だな。」と思ったが全然だった。
2010年からはレテパも始まったし「10年代は俺の時代だろう。」と思ったがやっぱり全然だった。
2020年代に向けて、残ってる録りたい歌はこの素敵なメンバーで全部録っちゃってしまいたい。

そんで、レテパの時代にするんだ。

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僕のレテパシーズは前作「ブルースマン」を最後にベースの飯田裕が脱退しまして、新しいベーシストを捜していましたが、決まりましたので報告します。

では、改めて他の4人もおさらいしてみましょう。

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ボーカル
古宮大志(ふるみやひろしって読みます。)

※みんなに「メンバー紹介したいから、この夏の思い出の写真を送ってね。こんな感じで。」と俺の写真をお手本に送ったら、みんな同じような写真を送ってくれた。
まとまりがあっていいね。

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ギター
高野京介

yukiko
キーボード
ハダユキコ

hajime
ドラム
関口萌(写真右です。一応。)

そして、新メンバー

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ベース
タカユキカトー

です。

タカユキ君は2014年頃の1年間くらいかな?(1st「僕を殺せるのは僕だけさ」の前の1年間)レテパのギター担当でした。
「ブルースマン」買った人はCDに書いてるから知ってると思うけど「ブルースマン」ではマスタリング(楽器じゃないよ、CD作る時の作業だよ。)を担当してくれてます。
タカユキ君ちは地下がスタジオになっていて、久し振りに会ってそこで作業したんだけど、さすがに俺やレテパの事をよくわかっていてくれて、何もかも説明不要で、嬉しく頼もしく「ああ、あの1年意味があったな。」と思いました。
そして、今回のベース捜しの時、タカユキ君はベーシストってわけでは無いので、最初は思い浮かばなかったんだけど、考えてるうちに今回のマスタリングの時の事を思い出し、説明不要でわかってくれてるのって最高だよな、と思い、タカユキ君に「ベース弾けるの?」と聞いたら「弾けるよ。」と言うので、「新しいアルバム作りたいんだ。ベースいないんだ。入ってほしい。」と伝えたら「いいよ。」と言ってくれました。

と、いうわけで次作に向けて今月から本格的に動けそうです。
やったね。
また色々報告するね。

6月3日にブルースマン発売して、もう一ヶ月が経ちました。
僕のレテパシーズは2017年の12月「永遠に、たまに」レコ発ライブ以来、ライブは1度だけ(秋田ハイコーフェス)しかやっていませんし、俺は客としてもライブハウスに顔を出したりもしてないから、多分世の中からは終わったバンド、終わった人間と思われてるんじゃないかな。
それでも「ブルースマン」待っていてくれた人達がいて、嬉しかった。

人から褒められもけなされもしないから、レテパが良いのか悪いのかだんだんわからなくなり、ファーストから今回の4枚目までぶっ続けで聞き返しては「大丈夫、大丈夫。」と自分を励まし、でも何日かするとまた自信が無くなり、ファーストから4枚目まで聞き返して、安心する。
というのを何度繰り返したかわかりません。(多分20セットはやったな。)

完成~発売前後は特に神経質に過ごしてましたが、買ってくれた方からのこんなメールで励まされたりしました。(勝手に掲載、許してね。)

ご無沙汰です。アディー です。
ブルースマン、郵送有り難う。
いいの作ったね〜。
客観的感想として、一人でも多くの人に今聴かれて欲しい作品だと思ったし、
主観的には、(ヘンな言い回しだが)自分の主観が一切入らずにレテパの作品を聴けることがなんだか嬉しいです。少し懐かしく、でも最新を確かめるような心地。
元気で頑張ってね。
あ…実は借りパク状態の物品がちょっとあるので、近々送りますね。
アディー

誰からの感想も聞いてなかったので、めちゃくちゃ嬉しく、踊り出したわ。
踊りながら自然とゴリラの胸叩くやつをしてたわ、ゴリラは全員B型だとテレビでやってたのを思い出し、俺もB型だからゴリラだね、とユキコと笑いました。
アディーからの褒め言葉は何よりも嬉しく、自信が出た!
これでまだまだがんばれそう!期待してて!
ひろし

ゴリラ笑
ゴリラってとても知能が高いが故に世界に対して繊細にならざるを得ず、いつも下痢気味らしいよ。
まさに誰かと似ているような…。
返信、どうもね。
陰ながら諸々応援しておりやす〜!
アディー

というわけで、買ってくれた皆さんありがとう。
良かったら次回作も待っててあげて下さいね。
(「ブルースマン」制作資金が足りなくなり、急遽販売したDVD「ハイコーフェスの最後」御役目が終わり無事廃盤になりました。こちらも買ってくれた方々、本当に助かりました。ありがとうございました。)

頭の中は未来の事でいっぱいだ。
高野君、萌ちゃん、ユキコ、と色々作戦立ててます。
いーちゃんが抜けたから、とりあえずベース捜さなきゃな。
俺も捜してみるが、もしこれ読んでる人で「あ!いい人知ってるよ。」とか「あ!俺(私)やりたいっす。」とかあれば教えて下さいね。

「ブルースマン」届きました。
その模様をどうぞ。

予約特典の歌詞は、今月中5/31で締め切りですのでお早めに。

今のところ
1位「夜明け前」
2位「ブルースマン」
3位「僕のレテパシーズのテーマ」
同率3位「ヘルメットヘアー」
です。ありがとう。嬉しい。

無題

僕のレテパシーズ4thアルバム

「ブルースマン」

01.ブルースマン
02.ロックンロールⅡ
03.7月12日、13日
04.夜明け前
05.MOON PALACE
06.アズミ
07.丘の上の学校からどっかへ行っちゃった君へ
08.サマー
09.ヘルメットヘアー
10.僕のレテパシーズのテーマ

【録音メンバー】
Vo.古宮大志
G.高野京介
B.飯田裕
Key.ハダユキコ
Dr.関口萌

【購入方法】
http://yoruninamaeo.theshop.jpにて通信販売致します。
(他CDショップ等での販売はございませんのでお気をつけ下さい。)

※5月31日までに御注文頂くと6月3日にお届けします。

※【予約特典】5月31日までの御注文でアルバムの中から1曲、古宮大志直筆の歌詞をプレゼント。
御注文の際にお好きな歌を教えて下さい。
↓で歌詞がご覧頂けます。(どうしてもな方は違うアルバムからでも良いですよ。)
http://retepa.com/kashi/