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「Nobody But Me Can Kill Me」
この前の文章の最後に書きましたが、どういう意味だか分かりましたか?
正解は1stアルバムのタイトル「僕を殺せるのは僕だけさ」でした。

俺は中学生で英語は放棄しましたので、ずっと知りませんでしたが、英語は日本語と順番が逆になるんですよ。
(ほんと完璧に苦手なので「Like A Rolling Stone」を「俺はローリングストーンズが好きだ!」という意味だとずっと思い込み「なんて素直な奴だ!かっこいい!」と思っていたら「転がる石のように」という意味だと知って拍子抜けした思い出がある。)
でも英語分からなくても「Nobody But Me Can Kill Me」は何か素敵な感じがしました。嬉しい。

前回は「サブスクを始めます。」と書きました。
現代人からすると、そんな事は当たり前の事で、何でもない事かも知れませんが、俺は多分日本一保守的なので、重い腰を上げるのに随分とかかりました。
始めるにあたり、しょうがないから自分も試してみるか、と一念発起して、義理の弟がくれたスマホをアップルミュージックに繋いでもらい、色んな歌を聞いてみました。
2バンドカッコいいバンドを見つけたのですが、こういう感じで曲を聞きまくるのが初めてだったので「あれ?何かこのバンドカッコいいけれど、そうなるともしかしてレテパってそんなにカッコ良く無いのかな?」と段々心配になってきたので、レテパもスマホで聞けるようにしてもらい、サブスクで聞いているような感じで、聞いてみました。
そしたら、当然っちゃあ当然なのかな?どうなのかな?レテパが一番好きでした。良かった。
まあ、好きか嫌いかは置いといたとして、なんかレテパの立ち位置というか、特徴というか、サブスクみたいに色んなのに混じって聞いてみると、今までのレテパヘッズの人達の反応とかが「あー、なるへそね。そういう事か!確かにこうなってくると、レテパのそういう部分が美しく見えるのかもね。」と改めて色々気付かされました。
レテパってこんなところに立っていたのね。今日知った。がんばる。

PS.クイズ。
ヒゲがイスラム教の指導者みたいに大きく伸びているように見えます。
何ででしょうか?
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PS.
「Nobody But Me Can Kill Me」/My Letepathys
か、
「Nobody But Me Can Kill Me」/MY LETEPATHYS
大文字と小文字、どっちがかっこいいんだろう?
断然大文字かな?(ラモーンズが大文字だから。)と思っていたが、小文字混じりもレテパっぽくて良い気がしてきた。

PS.答えは「黒猫を抱っこしているから。」でした。
家のバラが満開です。
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PS.サブスクで今は大人気の昔の友達のバンドを聞くと、単純なもので、俺もがんばろー!と思う。
ありがとうサブスク。
が、歌詞って表示されないのかな?
サブスクマスター目指して、もうちょっとやり方勉強してみます。
レテパは歌詞英語訳を載せてアメリカンドリームを掴むんだから、歌詞載せれなきゃ嫌だよ。

こういう日々だと、俺のような元々底辺あたりをうろうろしている人間の声を聞くと、安心出来るのだろうか。
最近、久し振りの人達から連絡をもらう事が多い気がします。
数年前から、アル中の治療の度に勝手に長期自粛していたし、平時ですらバイトもクビになり無職だったし、レテパも2/21LOFTXでライブバンドとして奇跡の復活をしたが、その後レコーディングに向けてライブは入れていなかったから、コロナの影響は小さい方だったと思います。
レテパの目指すところは「15才の衝撃後も、死ぬまで、いや、死んであの世ですら、いつでもどこでもどんな時でも違和感無く聞けるバンド。」ですので、こういう有事の際も、ギャーギャー騒いだり、慌てて新曲を作ったりしなくても、今までの歌でバッチリだと思うので、多くは語らない事にします。
「僕を殺せるのは僕だけさ」「愛してるよ」「永遠に、たまに」「ブルースマン」アルバムタイトルだけでも、伝えたい事、全部言えてる気すらします。

作り出していた、5thアルバム「レテパシー」6thアルバム「アコースティック」夏頃には同時発売出来るだろう、と考えていましたが、コロナで予定が狂い出したので、新たに作戦考えました。
2020年レテパ大作戦の全貌です。
俺は2017年頃にボロボロになっていった頃から「僕」の「僕のレテパシーズ」は死にそうだったのですが「君」の「僕のレテパシーズ」が全然死にそうになかったので、なんとか続ける事ができたんだな、と思っています。
なので、ちょこちょこ小出しに予定を発表したりするのは、隠し事をしているようで気持ち悪いので、全部書いておきますから、皆さんもそのつもりで待っていて下さいね。

2020年
5月31日1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」サブスクスタート
6月30日2ndアルバム「愛してるよ」サブスクスタート
7月31日3rdアルバム「永遠に、たまに」サブスクスタート
8月31日4thアルバム「ブルースマン」サブスクスタート
9月30日5thアルバム「レテパシー」CD発売、サブスクスタート
10月31日6thアルバム「アコースティック」CD発売、サブスクスタート
11月吉日5th「レテパシー」6th「アコースティック」レコ発記念ライブ

※「僕のレテパシーズ詩集」はタイミングを見計らい発売します。
※歌詞英語訳はサブスクスタートと共に、各アルバム掲載予定です。
※夏頃でもスタジオ入れなければ「アコースティック」の発売は遅れるが、そうなっても「レテパシー」はもう録り終えているので、そこまではこれで行く。

と、まあ、こんな感じに夢見ています。レッツゴー。

PS.以前ロサンゼルスから注文してくれた人から「あなたのバンドはなぜこんなアナログな販売方法しかやらないのか?普通にすればアメリカ人も聞くと思う。」と英語で問いただされた事がある。
今回サブスクをして、歌詞も英語訳を載せれば(俺の歌詞は難解な比喩とかも無いから、そのまま伝わるはず。)アメリカンドリームを掴む事が出来るのだろうか?
万が一、掴んだ場合に備えて、英語版のバンド名も考えています。
訳者の織田泰菜さんに「あなたの外人の知り合いで一番不良の人に「MY LETEPATHYS」でダサくないか、聞いてみて。ダサいならただ「LETEPATHYS」にするから。」と頼んだら、スイスのアルプスに住むイタリア人の不良に聞いてくれて「シンプルでいいじゃん。」とお墨付きを貰えたみたいなので、マイレテパでいこうと思う。
昔からこういう時は不良のセンスに任せる事にしています。

【注】この後、考えが変わり「MY LETEPATHYS」はやめて「LETEPATHYS」に決定しました。(後日追記)

PS.ホームページのURLとか全部「retepa」になってるんだよな。
「テレパシー」の造語なんだから「R」じゃなくて「L」なんだよな。
当時はアメリカンドリーム掴むつもりはなかったから、適当にやってしまった。

PS.整理してたらこんなん出てきた。CD屋さんが作って貼ってくれてたポップ。
レテパは2010年結成だから10年経ちました。
これから10年がもっともっとクレイジーでありますように。

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PS.他人の家の猫の写真なんてどーでも良いと思うんですが、二匹の関係を知っている人が見たら感動すると思うので。
5月(ゴガツ)と帆立(ホタテ)。引っ越したら、たまにくっついて寝るようになった。奇跡だ。
5月は5月に拾ったから5月。
ビニール袋に入れられて、殺されそうになっていたところを偶然通りかかったので、奪ってうちの子にした。
震災の後だから、9年前の今頃だ。

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PS.「ほたて、ステイホーム。」と覚えたての英語を一日に何度も言います。
あと「Nobody But Me Can Kill Me」というのも最近覚えました。
さて、どういう意味でしょう?答えは次回のお楽しみ。

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2020.4.15 LIVE AT 高円寺コヤーマ 古宮大志ソロ

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1.ブルースマン
2.アズミ
3.夜明け前
4.バスが来るまで
5.少年
6.愛は風景
7.17
8.見知らぬ青年との会話
9.思わずブランキー
10.天国から来た男
11.トンネルの唄
12.ハローグッバイファックユー
13.永遠に、たまに
14.海へ行こうよ
15.僕のレテパシーズのテーマ

生放送でしたが、レテパTwitterのページで、永遠に見れるみたいなので、見逃した方も是非ご覧下さいね。


メロディーが分からずに、勝手に曲つけて勝手にリフレインまでして歌ってしまいごめんなさい。
山下由「天国から来た男」はこんな歌詞です。

「天国から来た男」

ん〜んん どっかで
バラードが聞こえる
猫たちも路地裏で
聞いている
贅沢な春の雨の中を
もといた街へ帰る

ん〜んん どっかで
ブルースが聞こえる
青く錆びたギターの
弦の音
とても静かな春の夜に
もといた街へ帰る

高円寺から阿佐ヶ谷へ
阿佐ヶ谷から荻窪へ
荻窪から西荻へ
西荻から吉祥寺
眩しい春の青空へ
もといたとこへ帰る

ロックン・ロールの
旅は続く
今夜も君の
真上にいるよ
僕はいつまでも
君のクラウン

君が僕を知ってるから
君が僕を知ってるから
君が名前を呼んだから
僕は歌を歌ったのさ

あと、コークスで使っていたゴダンのエレガット、コークスの解散ライブ以来、俺の手を離れていましたが、先日いきなり帰ってきました。
解散ライブの最後の曲で、ガンガン叩いていたら途中で音が変になった記憶があったので、壊れている、という認識でした。
ギターに申し訳ない気持ちが強く、帰ってきてからもケースから出すのが怖くて、放置していました。
が、この機会に音を出してみるか、と使ってみると絶好調でしたので、全編このギターで歌いました。
弦はコークスだと激しく弾くので30分のライブでも絶対に4弦が切れてしまうので、4弦に5弦を張って、切れづらくして使っていたのですが、今回見たら4弦に5弦の俺使用のままだったので、あのライブから6年間、ずっと張りっぱなしだったんだな。
この日切って過去を終わらせてやろう、と思っていたが、なかなかしぶとく、最後の「僕のレテパシーズのテーマ」で飛び込んだらやっと切れた。
そんで今日、新しい弦を張ったら、やっとゴダンと和解できた気がしました。これからもよろしく。

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もう何年もずっと、部屋では音楽も聞かないし、ギターも弾かない歌わない、という生活でしたので、そういう人間になったんだな、と思って暮らしていましたが、新居でこういう風にちゃんと並べてみると、聞くし歌うしミュージシャン丸出しで恥ずかしいくらいです。
しょうがないから、ここいらでちょっとミュージシャンっぽく生きてみるかな、と、思い始めています。
「天国から来た男」歌ってみたら、救われた気持ちになったので、俺には歌が必要みたいだし。

近所の図書館も閉館なので、家にある本を読み返していますが、井伏鱒二の「珍品堂主人」に「めくら千人、目あき千人」という言葉が出てきて、ハッとしたらなぜか「レテパのサブスクか。」と、読んだ瞬間に思ってしまった。
「めくら千人、目あき千人」がほんとにせよ、二千人に聞いてもらってからの話なんだもんなあ。
とりあえずは、サブスクとか使った事がないからちょっと勉強して考えてみます。
SNSもサブスクも使えないんだから、めくら目あき以前の問題だよな。全然ガラケーですもん。
今のメカオンチの時点でレテパを見つけて好きになってくれた君の事は一生忘れません。えらい。

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新居は風呂も壊れていて銭湯通いだし、雨漏りも笑っちゃうくらいジャンジャン漏るが、ベランダで本が読めます。
ベランダには野良猫達もやって来るので、うちの猫と共に毎日大騒ぎです。
ビーチパラソルは新居にあった物で、広げたら海の砂がついていた。もう何十年も前の砂だろう。

レコーディングもいつになるか分からないし、色々学んでみて、やれる事はもう全部やってみようかな、と思っています。

PS.故郷は?と聞かれたら迷い無く、月形町!と答えます。
ザ空知な、ド田舎の月形の中でも、さらに郊外で少年期を過ごしましたが、最寄りの駅は札沼線「知来乙」駅。

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今年の5月で廃線が決まっていたみたいですが、コロナの影響で4月末に変更、で、さらに変更して昨日いきなり廃線になったみたいですね。
騒がしい鉄道マニアも駆けつけられずに、地元住民だけに見送られて、サッと終わらせた札沼線。さすがです。
月形は南空知。レテパの「空知」という歌で「古い線路の上は今だって 何も変わらずにしゃべり続けている」という歌詞がありますが、これは1987年に廃線になった幌内線の事です。

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前にこのページで(「僕のレテパシーズ詩集」の英語訳制作の際に訳者の織田泰菜さんからの問いに答えて)

「どんなに飲んだって酔わないね いつもはあんなに酔っぱらうのに」(ブルースマン)

問い→酔わないのはひろしさんですか?

答え→あー、基本は俺なんだけど「君」の事も言ってるところはあるね。

※「ブルースマン」は誰の事か?多分、大槻ヒロノリだった気がするが、もしかしたら山下由か?とも思っていたが、同席したレテパスタッフのソノダ氏が「大槻さんだって当時言ってましたよ。」と教えてくれて解決。

という形で、山下由さんの名前が出ました。
「ブルースマン」という言葉を初めて意識したのは、高校生の頃に読んだ、忌野清志郎の「十年ゴム消し」のあとがきに「俺みたいなブルースマンのやる事と言ったら、、」という一文があって「へー、ブルースマンなんだ。なんか一番良さそうだな。」と思い込み、それ以来一番下が「ロックンローラー」でその上は「パンクス」で一番上は「ブルースマン」という認識で生きてきました。
ので、俺の中で山下由は一番上の男なんです。

2004年に何のアテも無く、ただ札幌から逃げたい一心で上京したのですが、どこのお店とも上手くいかず、まともなイベントに出演させてもらえなかったので、それなら自分で企画しよう、と始めたのが「自画像コンサート」でした。
毎回俺ともう1人のツーマンで、下北沢のLOFTでやっていました。
その最終回の12回目に出てくれたのが、山下由さんでした。
それから10年間、おそらく10回位は共演したんじゃないかな。
2017年、吉祥寺マンダラ2での山下さん企画に出させてもらったのが最後だったと思います。

シャイな分だけ酒量の多い人だったと思いますが、最初の頃はお互い好意が空回りして、酒の海の嵐の中で難破した小舟同士が「おーい!こんにちは!」「おーい!こんばんは!」と昼夜もあべこべに、ただ「敵じゃない。仲間だな。」と認識してただけのような関係でした。
呼ばれ方も確か最初は「コミヤくん!」とか「タイシくん!」とか全滅でしたが、徐々に「ふるみやくん!」と認識してくれて、最後の方は「ひろし!」と呼んでくれていました。

八王子の野外のライブで一緒になった時は、楽屋が運動会のようなテントで、そこにあった酒コーナーに虫のように群がっていたのが、俺と山下さんと、はじめましての大槻ヒロノリさんでした。(2010年だな。そこで大槻さんと俺の嫁は恋に落ち、最終的に結婚した。厳密には最終的に離婚した、が正しいが。)
その日、山下さんは俺の写真をたくさん撮ってくれて、後日現像して渡してくれたのが、親戚のおじさんみたいで面白かった。

かなり記憶が薄い時期の事で、事実と異なるかもしれないが、俺や山下さんのような関係だと、覚えている事だけが事実なので気にせずに書きますが、一度、俺の住む高円寺大竹マンションにも泊まりに来てくれた事があった。
その時の事は、ほぼ記憶に無いが、朝起きると山下さんは酒じゃなく食事をした事と(確か俺が山下さんのリクエストに応え、みそ汁やら作った気がする。)部屋の壁に貼ってあった山下さんの「天国から来た男」の歌詞を見て、恥ずかしがったか、喜んだか、多分照れていた気がするが、それを見せる事で「俺は本当にあなたのファンなんですよ。」と示せて嬉しかった思い出がある。

これももう確認出来ないから、俺の危うい記憶が事実だとするしかないが、いつか共演した時に山下さんはその「天国から来た男」という歌を歌い、この歌は忌野清志郎の事を歌っている、と教えてくれて、俺がねだったら歌詞をくれたのだったと思う。
それで前の大竹マンションでも壁に貼り、今回の新居でもすぐに貼った。
この歌は一度しか聞いた事が無く、CDにもなっていないので、どんな歌かは覚えていない。ただ、いい歌詞だ。

せっかく引っ越して自分の部屋も出来たので、壊れていたレコードプレイヤーやスピーカーを捨てて、新しい物を設置した。
スピーカーは近所に住むヤハタ君が譲ってくれる事になったので、早速試聴してみよう、とレコードを抱えてやって来てくれた。
それは、昨日の事ですが、レコードの中には「シングルマン」もあったので、聞きながら自然と壁に貼ってある「天国から来た男」の歌詞を読んでいた。
読みながら「前は大したおもてなしも出来なかったが、この家ならゆっくりくつろいでもらえるな。いつか山下さんが来ると良いな。」と思っていました。
そしたら、珍しく元嫁からメールが来て「山下さんが亡くなったよ。」との事。

いつかは忘れたが「ひろしとは魂が似てる。」と言ってくれた山下さん。
俺も同意見です。

PS.山下さんが八王子で写してくれた写真達。
俺の髪がまだ重力に勝っていた2010年。(ほんとの天パだよ。)
「軽薄な顔してんなあ。」と言うと「ルーリードのようだ。」と褒めてくれた。優しい。
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PS.これが最後だったと思う。
俺達の共演はいつも客席がガラガラだったから、思い返すと、ライブというよりは、シーンとしてるが感度の良いところ、宇宙のような時間とか関係のないところで会っていたような気がします。
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PS.「天国から来た男」
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PS.あと2回スタジオに入ったら、5月の頭にレコーディングで6thアルバムが完成。
俺の重い重い肩の荷がやっとおりる予定でしたが、コロナの影響で延期になった。
明日もスタジオでしたが、キャンセル料かかるし、もったいないから1人で歌うか、と思いましたが、昨日ヤハタ君に「どーせ歌うなら配信とかできないの?人に聞かせたい気分なんだけど。」と言うと「手伝うのでやりましょう」と言ってくれたので、明日配信します。
無知なので、説明が下手ですが、

明日4/15(水)レテパTwitterにて生配信。21時から1時間程度歌います。

と伝えると、皆さん見れるという事なので、大丈夫ですか?見れますか?
多分最初で最後でしょう。お見逃し無く。

僕のレテパシーズLIVE AT LOFTご覧になりましたか?

この日はのっぺらのレコ発で(のっぺらありがとう。のっぺらは4人共いい奴。)レテパは1年だか2年振りだかの久し振りの復活ライブでした。
俺のせいで追い込まれていたレテパでしたが、高野君、ユキコ、はじめちゃんが続けよう、と言ってくれて、その後タカユキが加入してくれて、5thアルバムのレコーディング準備が始まって、傍目には復活したように見えたかも知れませんが、自分としては2017年の断酒治療の際も結局ライブがうまくいかなくなり(4本くらい最悪のライブをした。)また元の連続飲酒の日々に戻っていたので、今回もライブがうまくいくまでは、何も始まっていないと思っていました。
そして、ライブがうまくいかなければ、またダメになり、5th6thアルバムの完成すら危うくなるので、ライブ入れるのを怖がっていました。
キッスの帰り道に、いーちゃん&もみじに偶然会ってライブに誘われた時も出るか迷ったが、メンバーもやってみよう、と言ってくれたし、これでダメならライブは一生やめて、アルバム完成させたら、消えよう。と決めて(実際の性格的にはライブダメだったら、そのまま店から家出して消えてたと思うが)出演する事にしたのでした。

で、どんなライブだったかは、映像見れば分かると思います。
ずっとこんな風になりたかったんです。
ライブ来てくれたあなた、ありがとう。感動をもう一度。
来たかったのに来れなかったあなた、映像でも伝わるくらいにレテパシー多めに出してやったから大いに感じたまえ。
そして、みんな素敵な演奏です。
(個人的には6:15あたりのはじめちゃんの笑顔がオススメ。)

1.長野県のお月様
2.音楽
3.たこ公園
4.地下室の外は
5.夜明け前
6.君しかいない
7.雪包丁
8.佐藤君と伊藤君
9.そしてトンキーは死んだ
10.東京の空で
11.水平線
12.札幌ナンバーの最後
13.海へ行こうよ
14.ハローグッバイファックユー
15.空知

の、ラスト3曲の映像です。

本当のタンゴってのを教えてやるよ、というわけで、僕のレテパシーズは、ワントゥースリートゥートゥースリーで、また始まりました。
めでたしめでたし。

PS.引っ越しも家族友人総出で戦い、無事終わりました。ありがとうございました。
新居は東京オリンピックの頃に建てられた、ザ昭和住宅です。
荷造りは1日しか猶予が無く、無心で詰め込みましたが、荷解きは色々思い出に浸りながらで、時間がかかりそうです。

PS.引っ越し荷物シリーズ、慌てて詰めたCDの一部。
うーん、まさに俺のCDという感じ。
ほとんど高校生の頃に買ったやつだ。
(このシオンのライブ盤。あまり皆さん聞いてないのでは?そんな事無いかな?素晴らしいですよ。あ、五月リョウタの同じCDが二枚あるのは、恐らくユキコと離縁していた時期に別々にもらったから、二枚あるのだろう。)
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PS.引っ越し荷物シリーズ②、高校2年の時の絵。
クラスメートの那須君を描く、という美術の授業で描いた絵。
ゴッホが先にそんな事をしてるとか知らずに、手で描いたり、チューブから直接カンバスに塗ったり、ノリノリでした。
描き終わったら夜20時位になっていた。
美術の先生は「ぼくの好きな先生」ばりの素敵な先生(下田先生)で、俺が集中してるのを途切れさせないように、授業から書き終わるまで、ずっと放置してくれていた。
描き終わると、熱が39度まで出た。
教師は、教師なんかになりたくなかったんだよな、ほんとは絵描きや天文学者になりたかったんだよ、しょうがないから子供に教えてるが、自分もその学問の中においては君達と同じ勉強中の生徒なんだよ、というスタンスの先生が好きだ。
絵は他の生徒の「那須君の絵」と一緒に並べられたから、学校中が騒然となっていた、気がする。
多分歌い出す直前くらいかなあ?2-C古宮大志。
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PS.2年前、いつ離婚しても良いように4/1エイプリールフールに結婚した僕達ですが、おかげさまでまだ離婚していません。
しかし、結婚したのは、新宿の母的な占い師に「どうせ離婚するんだから、結婚しなさい。」と言われたからなので、まだまだ油断は禁物です。

PS.さらば、高円寺大竹マンション。
ガランとした部屋を見たら少しセンチメンタルになったが、新居から駅行く時に前通るんで、まあ、寂しがらずにがんばります。
大竹マンションに思い出がある人も多いでしょう。
今までありがとうございました。
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先週にはもう引っ越してるはずでしたが、案の定間に合わず、明日引っ越す事になりました。
なりました、というよりは、今のアパートは3/31には出なきゃならないので、引っ越さなければなりません。

昨日の深夜、ようやく新居の片付けが終わり、毎日通った約1ヶ月にわたる戦いが終わりました。
そしてようやく今のアパートの引っ越し準備。
普段はほとんど音楽を聞きませんが、20年選手のスピーカーが、片方鳴らなくなったから、粗大ゴミに出す事にしたので、これが最後だな、という事で久しぶりに活躍させてあげました。
家電は大体そうだが、捨てる、と伝えると直るので、スピーカーも、ちゃっかり直ってやがりますが、せっかくだから、暖かい部屋、外は雪、崩れゆく部屋、と、センチメンタルにCDを聞きながら片付けしています。

昔、海へ行った時(確か星置)ラジオから流れた時も同じセリフを吐いた気がするが、今日の高田渡が今までで一番良かった。(口癖らしい。下の動画のラスト参照。)
部屋から桜が見えますが、雪と桜と高田渡では、さすがに少し飲酒欲求。(100パーセント中3パーセント位ですが。)
両親が、高田渡好きで、地元月形の北喜常というライブレストランに渡さんが来る時には、いつも聞きに行っていました。
一度は酔っ払って運転出来なくなった父を、ライブ後、札幌に向かう渡さん一向が、方向が同じだから、と乗せてくれた事もありました。
高田渡の歌は子供の頃から、あまりにも身近にありすぎて、もちろん好きだが、素朴にじんわりとした感じで好きな気がしていたが、違うね。
久しぶりに聞いて分かった。少し好戦的な気分になった。
俺の心に触れられる歌声は、こういう声だけ。

月形の頃は小学生でしたが、20才くらいの時かな?地元岩見沢に帰省した時、駅前を渡さんが歩いていたので、びっくりして「こんにちは。」と言ってしまったら、俺の事を知り合いと勘違いして、思い出そうとしてる顔をしてたので「あ、ただのファンですよ。」と言ったら、ハニカミながらおじぎしてくれた思い出がある。

面倒くさがりだから、引っ越しなんて嫌いなはずなのに、なんだかんだで、一人暮らし始めた時から6回目の引っ越しです。
高円寺大竹マンション。
まさに、レテパの時代でした。
「僕を殺せるのは僕だけさ」「愛してるよ」「永遠に、たまに」「ブルースマン」そして今制作中の「レテパシー」「アコースティック」全部大竹時代。
色々あって、思い出すとめちゃくちゃになりそうだから、思い出しませんが、まあすげえ7年でした。
あ、雪も終わりました、雨になりましたね。
これなら溶けて、明日は引っ越し、がんばります。

遅くなりましたが、先日のライブ、福田洸弥さんが撮影してくれてましたので、YouTubeに掲載します。
ラスト3曲の様子をご覧下さい。(まぎらわしいですが、飲んでるのはノンアルです。とても心配してくれる人もいるので、一応。)
元気いっぱい輝いてるでしょ?レッツゴー。

PS.本、整理してたら出てきた。若き日の高田渡。
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PS.新居のタンスから、おばあちゃんの女学生時代の宝物入れ、みたいなのが出てきた。
写真や小物に混じり、絵葉書が何枚か。その中の一枚。
無知だから知らなかった。コロナって元々はキレイな宇宙現象の事なのね。
昭和11年、北海道か。
俺の祖父母もチビの時に見上げてたかもね。
滝上の女の子と美深の男の子が。
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6thアルバム「アコースティック」のレコーディングに向けて、各曲のアレンジが進められています。

2/21のライブ(あ、撮影してもらったから、近々ユーチューブに載せてもらおう。どの歌にしようかな?)の前の1ヶ月はまさに猛特訓という感じでしたが、今はアレンジなので、閃きとセンス勝負のアーティスティックなスタジオになっています。

他のバンドがどんな風にやっているのかは知らないが、レテパはまず俺が弾き語りでみんなに聞かせて、そこから全員でアレンジしていきます。
レテパを始めた2010年以降は、歌が出来る時に頭の中でバンドサウンドが鳴るようになったので、2010年以降に出来た歌はバンドアレンジしやすいんじゃないかなあ?
逆に、それ以前の歌は、一人で歌うのを前提に出来ているので、ちょっと難航する事も多いのかな?と思い込んでいましたが、みんな難なく素敵なアレンジに仕上げてくれます。

この前のスタジオでは、春、夕立が降ってる、炭住の赤い屋根に、月形、の4曲をやりました。
4曲とも2001年~2007年の歌なので、ちょっと大変かな?と覚悟していましたが、難航どころか「こんな感じになるなんて!でも、これがこの歌の本当の姿のような気がするな。」という一番嬉しい瞬間のオンパレードで幸せでした。

僕のレテパシーズ/「アコースティック」
1.旅に出るなら
2.いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま
3.廃墟
4.春
5.調布飛行場
6.夕立が降ってる
7.炭住の赤い屋根に
8.月形
9.猫との午前
10.思わずブランキー

こんな曲順になると思います。
昔、あるエンジニアに「今時、アルバムを曲順で聞く人なんて、あんまりいないんだから、そこまでこだわらなくても良いと思うよ。」と言われましたが、アルバム収録曲を選ぶ時には、まず最初に曲順を決めて、並べて聞いた流れを一番大切にして、ダメなら収録曲を差し替えて、という風に、曲順ありきで収録曲を決めています。
まあ、レテパは太宰さんでいったら「晩年」(過去に書きためた沢山の作品の中から選んで掲載した第一作。)を未だにやっているような状態なので、こんな感じなのかもしれませんが。

高校生の頃に夢中だった、友部正人や星野道夫の作品は、年代順に聞いたり読んだりして「ああ、この人がこんな事を歌うようになったか。」とか、人の変化に感動する若者でしたので(友部さんなら、順番に聞いていって「なんでもない日には」に辿り着いた時の感動はすごかった。こんな歌を歌うようになれるんだな、これなら俺も生きていけるかもな、と思った。)俺も出来た歌を出来た時に発表して、自分じゃ分からないが、もし変化しているのなら、変化も感じてもらえたら一番良かったが、それは出来なかったね。

自分の一番最初の作品は何か?と聞かれたら、2001年にヌルマユというバンドの永井君が録音してくれた「僕の頭が火事になったら」というアルバムだ。
永井君は、その頃の俺のライブも勝手に録音してくれたりしていて、実は結構色々残っているので、いつか10代の音源ばかりを集めたCDも作りたい。
タイトルは「17才」か「セブンティーン」にしよう。(歌い出したのが17才だから。)

その後、古宮MAPというタイトルで、ソロアルバムを、古宮MAP7まで作っていた時期があり、これは出来た歌を出来た時期に発表していたが、当時はライブしてもお客がゼロ、とか、ざらだったので、持っている人はほとんどいない。
2010年にレテパが始まったので、2009年の古宮MAP7を最後にMAP作りは止めてしまった。
そこからずっと、レテパレパートリーは過去のMAPから持ってくるのが基本で、たまに新曲が出来たらそれもやる、というやり方が今も続いている。

当時自分としては「この無名のバンドは、いつメジャーデビューしても、今すぐアルバム5枚は名作を作れるくらいの歌があるんだぞ。商売人の皆さん、安心して売りたまえ。」という気持ちでいた。
(俺が見たインディーズバンド界隈は、どこの世界よりも、お世辞と人付き合い、が大切にされている世界で、こんなタイプの競争世界では、絶対にやっていけないな、と思っていた。ので、レテパの演奏以外の事はプロの商売人がやるべき、と考えていた。)

2012年の「LIVE AT MOTION」も、そういう意味で商売人に対する「プレゼン」「カタログ」という気持ちがあったので、35曲を短期間でアレンジし、ライブレコーディングを強行した。
2013年の「ぴりぴりのファースト」を出したら、大手レコード会社の人がやって来て、デビューに向けての付き合いが始まった。
彼らに言わせると「才能はあるが、下手だし、なにより集客力が無さすぎる。」との事で、不景気な音楽業界では、デビュー前から、客がついていて、ある程度上手(せめてヘタウマ)でないといけないとの事だった。
俺は「下手なのは気付かなかったが、そんなのはすぐに上手くなるだろうし、集客はあんた達と契約すればすぐに増えるだろう。それよりも、このたくさんの宝の山(歌達)が目に入らないのかね。1年にアルバム1枚として、少なくとも5年は計画的に売れるんですよ。たとえこの後、新曲ゼロでも5年ですよ?」と言い続けたが、彼らは「新曲は作らなきゃいけない。どんどん作ってくれ。」と言う。
俺は「それだけは出来ない。作ろうと思って作ってないから。歌は勝手に出来るのを待つしかない。」と、そこは全く相容れませんでした。

そんなこんなで、メンバーが変わったり、試行錯誤して2015年位まで、デビューに向けて準備していたが、ある日とうとう大ゲンカに。
本社の会議室で、作戦会議が開かれていたが、また「新曲新曲。」うるさいので、トイレに行くふりをして、席を外すたびに、会社の大きな冷蔵庫の中にお歳暮のビールが大量に入っているのを見つけていたので、隠れて全部飲んでしまった。
で、バレて、ケンカになり、プロジェクト解散。(その時の映像は奇跡的に、はせがわだいが撮影している。まあ、いつかレテパドキュメンタリー映画の際に使ってくれ。俺は悲しくなるから見たくないけど。)

当時を知る人からすると、いくら大手メジャー会社とはいえ、ひろしはずいぶん固執していたね、と思う人もいるみたいだが、それには上記の「商売は商売人に」以外にも理由があって、ここのレーベルに在籍していたのが、俺が一番影響を受けた2人がやっているバンドだったから、なのでした。
そうじゃなかったら、はじめの方でさっさとケンカ別れしてた事でしょう。
「会社も金が無いから、1組だけ力を入れてデビューさせるから、今そのバンドを捜している。早くそのバンドになれるようにがんばってね。」といつも言っていたが、昨年そこから大々的にデビューしたバンドがいた。
あれがそれになったか。上手いし、なんとも高学歴サウンド。最新型の適度な退廃感。
年末紅白見ながら、こりゃあ敵わない。お門違いだね、と思いました。

話がそれましたが、このページは俺が忘れないうちに色々と「資料」的な面もあって書いているところもあるので、まあ、今回も長くなりましたが、許してね。
ボケているので、たまに同じ事書くみたいだけど、多めにみてね。

では、明日もスタジオです。
早く5th「レテパシー」6th「アコースティック」同時発売出来るようにがんばります。

PS.MAP7が見当たらないが、MAP6まではこんな感じ。ジャケかわいいでしょう?
6は「プレスカブのスピードで」5は「夜明け前」の絵。4は「炭住の赤い屋根」の前でパチリ。(この頃は若さゆえか、髪の毛が重力に逆らって上に伸びていた。今は下に伸びます。)
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ps.スタジオで「トイレットペーパーが無くなったから、昨日からケツ拭いてねーよ。他人のケツの事を考えられないような大人にはなりたくないね。」と騒いでいたら、次の日、俺のケツの穴の衛生状況を心配した高野京介が、どうにか手に入れて届けてくれた。
彼は超バンドマンなので、適応力がボヘミアン級で、片付け中の新居の俺の部屋で、事務作業を始め、疲れたら昼寝してしまった。
部屋にはまだ、俺の物が何も無いので(机やライトやベッドはおじいさんの物)だんだん高野君の部屋のような錯覚に陥りました。
どこでも作業出来て、どこでも寝れる、超バンドマン。頼もしい。
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PS.今、新居の駐車場はこんなありさま。
でも、家の中はやっと空になったので、あとはひたすら掃除します。
来週には引っ越したい。
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PS.うろうろしている野良三毛とは少しずつ距離が縮んできている。まだ触らせてはくれないが。
どこにいるでしょーか?
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PS.レテパヘッズで画家の貝塚歩さんが、宮本三郎記念デッサン大賞展で審査員賞(小澤基弘賞)を貰って、展示されているというので、見に行きました。(書くのが遅くごめんなさい、昨日で展示終了。)
彼女は行動力があるので、昔、酔って機嫌が良くなっている俺が「レテパ好きなら、空知の絵も描きに行かなきゃウソだね。行くなら俺の実家に好きなだけ泊ればよい。」と記憶に無いが言ってたみたいで、その後、彼女は実家に滞在して空知の絵を描きまくり、俺の両親とも知らないうちに仲良くなっていた。

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PS.見に行った後、こんなメールを彼女に送りました。

昨日展覧会行きました。
こういう色んな人の絵に混じった歩ちゃんの絵を見る機会は貴重なので、気合い入れて見ましたが、お世辞じゃなく、一番よかったよ。
単品で見るのもよいけど、他人の絵と混ざって見ると、ああ、やっぱり歩ちゃんは特別な才能があるな、と思ったよ。
やはり、ちゃんと出来上がって来たんじゃない?貝塚歩が。
引き続きがんばって前進しよーね。

1位(古宮大志賞)「旅の途中」貝塚歩
2位(大賞)「アロハの心で」寺賀淳子
以下入選
「メランコリアⅡ」竹内みか
「待っている時間」園田源二郎
「どこかの」尾形愛
「シャトル」湯浅景子

こんな感じかな!
がんばろー!

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歩ちゃんも俺も低学歴タイプなので、苦労する事もあるけれど、勉強が大切だとは人一倍思っています。
勉強あるのみ。
まわりからはゴロゴロしてるようにしか見えないみたいだけど。俺達は真剣なんです。

ライブも無事終わり、スタジオでは6thアルバムのアレンジを考えています。

5thだの6thだのややこしいので、少しまとめると、、

昨年末からレコーディングしていたのは5th「レテパシー」。
今は録音が終わり、ミックス作業中。
で、5th完成~発売してから6thを作ろうか?それとも両方完成させて同時発売にしようか?と決めかねていましたが、この前みんなで話し合い、6thも作っちゃって同時発売、で良いんじゃない?という事になりました。

俺は昔から「バンドをやる事があったら、最後にブルーハーツみたいに、早い歌、遅い歌、で分けたアルバムを同時に作りたいな。」という夢があり、昨年の今頃は体調も悪かったので、これが最後だ、今こそ夢を叶えるぞ。と動き出したわけです。

今は元気なのでこれが最後かは分かりませんが、最後になっても後悔無いような2枚を作っていますので、もうちょっと待っててね。期待しててね。

6thのタイトルは昔から決めていて「アコースティック」です。
ライブが終わり、いよいよ6thのアレンジを始めるにあたってメンバーに言われた事は「タイトル、アコースティックだけど、楽器もアコースティックにするの?」でした。
で「いや、心意気がアコースティックなだけで、楽器は今まで通り。ただ「アズミ」とか「永遠に、たまに」みたいな、遅い歌がたくさん入るだけ。」と答えました。

先週の初スタジオでは「思わずブランキー」「廃墟」「調布飛行場」「旅に出るなら」「いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま」「猫との午前」をやりました。
今の所、名盤。
また、スタジオの様子などお届けしますね。

そして、この写真は何をやっているところでしょうか?

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答えは「5thアルバム収録曲「東京の空で」のPVを撮影している」でした。
レテパへッズにはお馴染みの長谷川大君がこの曲でPVを撮ってみたい、と言ってくれたので、撮影が始まりました。
場所は以前書いた、引っ越し先のユキコの祖母の住んでいた空き家です。

※ちょっと前に「義祖母の介護」とも書いてややこしいから少し説明。
この空き家のユキコ祖母は痴呆で数年前から近所の高円寺の施設へ。
(その空き家に4/1までに引っ越す事になりました。)
この前、事情があり俺が介護したユキコ祖母は、もう一人の祖母でこれは東高円寺の祖母。(10日間2人で過ごしたが思い出したら笑っちゃうくらい俺はこの祖母と仲良くなった。)
父方も母方も高円寺付近から出た事のない一族なんです。

俺が持っているギターは、空き家にあった、多分フォークブームの70年代から弦が貼りっぱなしのギターで、4弦が切れてたが、監督がそのまま弾いて下さいと言うので、弾きました。
どんなPVになるのか楽しみですね。

50年分の大量の荷物の整理は大変で、業者に見積もってもらったら、どこの業者も50万以上はかかると言うので(俺も昔、不用品系でバイトしてたが、2トントラック5発分はあるので、50万は妥当。ちなみに金出すのは親族。)じゃあ、俺暇だから30万くれたら全部コツコツやるわって言ってみたら、親族会議を通ったので、毎日コツコツ整理しています。

名字に「古」がつくせいか、古い物が好きなので、いちいち手に取ってしまい全然進みません。
野良猫が懐いてきて、もう少しで家の中に入りそうです。
3月中には今のアパート(新居まで徒歩5分)を出なきゃなので、がんばります。

PS.それでは、整理して出てきたものを少し紹介。

おじいさん(13年前他界)はカメラに全てを捧げていたようで、カメラや写真の量がとんでもないんです。
暗室もあって、そこが俺の部屋になります。
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右上の写真のタイトルは「刺青(深川にて)」色んな大会で賞を取ってたみたいです。
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高円寺阿波踊りの素敵な写真もたくさん。ポスターの写真にもなってたみたいです。
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おばあちゃんは日本舞踊の先生だったみたいで、着物がたくさん。にしても、桐箪笥はほんとにすごいね。入ってた着物だけは全て綺麗なままだった。
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就職の面接でじいちゃんが訪れた会社の事務員だったばあちゃんが、普通、穴あけパンチで二つずつ穴をあける所を、なぜか一つずつ穴をあけてるのを見て、可愛らしく思い一目惚れして、猛アタックしたとの事。
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時は流れ、ばあちゃんが愛用?していたカツラを発見。
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かぶせてみました。
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今は、鼠の糞とカビだらけですが、こういう在りし日の写真を見ると、がんばろー!とやる気が出てきます。
がんばる。まだまだまだまだ終わんないけど。
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こんなこともちろん誰にも言いませんでしたが、一昨日のライブがうまく出来なかったら、そのまま蒸発して、暖かい南の方で路上アウトドア生活に入ろう。見た目はかなりベテランに見えるだろうから、知らない町でもうまくやっていけるさ、と密かに決めていましたが(本気で)そんな心配は無用で、無事会場中がレテパシーに包まれました。

素敵な時間でしたね。
俺がやりたかった事はこれだったんだよな。
夢がかなってよかった。信じていてよかったです。

復活、というより、新しかったな。
弾き語りも、バンドも含め、20年間で1番「歌を歌った」という感じがライブ後に残った。
こういう風に歌いたかったし、歌もこういう風に歌われるのを待っていたんだな。

お待たせしました。
僕のレテパシーズの登場です。

呼んでくれた、のっぺら。来てくれたあなた。来れなかったがレテパシー好きなあなた。
メンバーのみんな。そして自分にも、ありがとう。愛してるよ。と伝えたい。

ありがとう。愛してるよ。
レッツゴーです。

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帰りの街も美しく見えました。よかったよかった。
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というわけで、明日はライブです。
今、明日はライブです、という文字を書いたら懐かしい気持ちになったくらい、ライブするのは久し振りです。
色々とあり、2017年12月の東京と、2018年の9月に秋田でライブをしただけで、それ以外はオファーも断り、ずっとやってませんでした。

明日以降のライブ予定も、現在白紙の状態です。
よかったら目撃してみてね。

PS.ギターの高野京介は可愛い男で、ベースのタカユキカトーと髪型がかぶってるから、服はかぶらないようにしよう。とか、せっかく新体制でのライブなんだから今までのSE(大正期?の「蛍の光」)はやめて、何か新しいのにしよう。とか提案してきます。
新SEねぇ、と、考えてたら、以前もこのページで書いたが、俺の中学時代の思い出の歌(深夜音楽番組「北海道ローカル、まる音デラックス」で、この歌のPVが流れ、録画したビデオを擦り切れるまで何度も見てた。)が、SE向きなんじゃない?とみんなに伝えたら、みんな大賛成だったので、明日は思い出に浸りながら登場するとします。

PS.写真は明日の限定CDを作ってるの図。
「僕のネオヤンキーズセッション」
1.音楽
2.メリミー(古宮大志による小棚木もみじカバー)
これに、僕のレテパシーズ「永遠に、たまに」発売記念の「クマとビール」Tシャツを付けて、なんと1000円。
買うしかないね。

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では、明日会場で会おう。

2020年2月21日(金)

新高円寺 LOFT X

出演
のっぺら
僕のレテパシーズ

開場19:00/開演19:30
前売¥2400/当日¥2900(各+1d ¥600)

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