あ、10月1日ですね。
4thアルバム収録の「アズミ」の冒頭の歌詞は「8年前の10月1日〜」ですが、もしあの歌が今日出来ていたならば「20年前の10月1日〜」という歌になっていたでしょう。
2000年10月1日、俺は高校3年生。
240人いた3年生の中で唯一の「進路未定」でしたが、この日進路が決まったのでした。
その進路とは「161倉庫のそばで一人暮らしをして、ライブをさせてもらう」
普通の人からしたら訳の分からない進路だったかもしれませんが、俺にとってはやっと具体的な未来が見えたので、それはとてつもない光でした。
この日「AZUMI」さんのライブを見て、161倉庫の店主KCさんにデモテープを渡して、その場で聞かれて、ライブが決まった。
他のライブハウスからは何店も出演拒否され続けていたので、本当に救われた気持ちだった。
最近は、何もかもが佳境で、なかなかここで文章書けませんが、便りのないのは絶好調の証拠です。
6thアルバム「アコースティック」のボーカル録音、ミックス、はレテパアルバムではお馴染みの馬場友美さん。
今度また、ゆっくり書きますが、感動しましたよ。
俺の好きな音、想像に近い事、が、素晴らしいミックスなのだと思い込んでいました。
間違いでした。
いや、間違いじゃないか。成長したんだ、多分。みんな。
幸せなミックス作業でしたよ。
何にせよ、待つ価値あると思うから、期待して待っててね。
PS.昔、凄腕の占い師に「あんたは商売だけは絶対に向いていない。諦めな。」と言われたから、ただただ美しい作品を、と、作ったら作りっぱなしの人生でしたが、さすがに素晴らしいアルバムが出来そうだから、少しはちゃんと段取りして宣伝するか、という考えも浮かんできたので、10/31と言っていた発売日等、ちょっとずれるかも。
でも、年内には絶対に全て終わらせます。
PVとかさ、先に流すとかさ、そういうの全然段どってなくて、少しはちゃんとしようかと。
PS.前回載せた写真とかの、傍らに置いてある缶を見て「あ、ビール飲んでんじゃん。」と早とちりのご指摘を受ける事があったので、一応書いときますが、全てノンアルです。
心配されるといけないので。一応書きました。
というわけで、今日はみんなを連れて調布飛行場へ。
アルバムのジャケット撮影です。(カメラマンはおなじみの長谷川大)
夏の終わり8割、秋のはじまり2割、といった感じの素晴らしい空でした。
実は「調布飛行場」という歌は6thアルバム「アコースティック」の収録曲なのですが、今日の撮影は5thアルバム「レテパシー」のジャケ撮影。
というのも「アコースティック」収録曲は故郷の北海道空知地方の歌が多く(5曲かな)それならジャケは俺一人の写真を空知で撮ろう、と7月に撮影しに行ってしまっていて(月形で撮ったよ。お楽しみに)その時に、オマケでこんな写真も撮れまして、、(これも長谷川大、撮影)
これを、メンバー5人で撮ったら「レテパシー」のジャケに良いんじゃない?これなら東京でも撮れるし。という事で、この感じの車内写真を撮るけど、せっかくなら思い入れのある「調布飛行場」の駐車場で撮ろう。メンバーにも歌の舞台を見せたいし。という事で本日やって来たのでした。
が、結局、先日のロケハンのおかげで、着陸態勢のセスナとの最高の一枚が撮れてしまったので、車内写真は撮らず、飛行機との写真になってしまいました。
ややこしいですね。
簡単に書くと、
「調布飛行場」という歌は6th「アコースティック」収録。
だが、5th「レテパシー」のジャケ写が「調布飛行場」での写真。
まあ、良い写真だから別にいいんだ。
お楽しみに。
明日は6thのボーカル録音。がんばりまーす。
皆さん西荻窪の方に向かって、成功を祈っていて下さいね。
PS.「いいね。」「うん。飛行機だけど、レテパシーって感じするし。これで決定で。」という会話の場面。
皆さん4thアルバム「ブルースマン」聞いてみました?どーでした?
最近は、3rd、4thのボーカル再録音や再マスタリングなどもあり、過去作をいじくり回してばかりいて、なかなか神経を使いましたが、これからは前だけ見ての新作制作なので、のびのびと思いっ切りイカれてやろうと思います。
今は6thアルバム「アコースティック」制作の真っ只中です。(ちなみに5thアルバム「レテパシー」と同時発売を目指しています。)
今作はボーカルは別録りなので、俺以外のメンバーの録音を先にやりまして、みんなのパートは終わりました。
6thの5曲目は「調布飛行場」という歌ですが、コードはAの一つだけ、というレテパでも最小コード数の歌になっています。
この歌で高野京介は凄まじいギターを弾いて、知恵熱まで出して、才能をいかんなく発揮しておりました。
「レテパには、やはりストラトだな。しかも俺と同じ年で同じ岩手出身のストラトを買ってきて改造したんだ。」と、彼の好きな紫色のストラトを用意してきたのですが、この改造が奇跡を起こしたらしく、ギターにはうるさいタカユキカトー(ベース&録音担当)も衝撃を受ける程の美音を奏でておりました。
結局、今作はこの紫のストラト1本で全曲録ってしまいました。(あ、「アコースティック」だけどアコギの曲は無いよ。全エレキだよ。)
エフェクターもギターも、好きな人が見たら興味あるんだろうから、写真の一枚でも撮れば良かったね。
俺は前作5thの録音の時から、傑作意識が強すぎるのか、メンバー録音時に集中し過ぎて激しい頭痛と吐き気に襲われるので、写真を撮る余裕はありませんで、すみません。(自分のパート以外の時だけね。歌う時は全然大丈夫。)
90年代のスキー靴みたいな見た目のギターでした。ライブで披露できたら良いですね。
あと、エフェクター関連では「やっぱりラットだね。」というタカユキ君と高野君の会話だけは覚えています。(あと俺は「トレモロ」というのが大好きな事が判明した。9曲目「猫との午前」でトレモロ大活躍するよ。)
昨日は暇だったので、歌の舞台の「調布飛行場」に行ってみました。
歌が出来たのは2008年だから、12年振りで記憶も曖昧でしたが、歌の舞台の調布飛行場に隣接した「武蔵野の森公園」に着くと、歌に出てくる「滑走路」「一番見渡せるベンチ」「貯水池」果ては「自分の足ばかり見ている30代と思われる男性」までちゃんといて、歌のまんま過ぎて、我ながら面白かった。
そして、忘れた頃に、ブーンとセスナが着陸。
アルバムが完成したら、皆さんも行ってみて下さい。
笑っちゃうくらい歌のまんまなので。
(まあ、どの歌もそうですが。いつか「レテパ歌舞台MAP」でも出すか。)
「調布飛行場」
調布市の離島行きの飛行場 やって来たプロペラはセスナ
平日の滑走路に降りて来た 今日ここに用のある家族
離着陸よく見える公園でも 一番見渡せるベンチで
30代と思われる男性 自分の足ばかり見ている
夏がやって来たのが今日の僕は 慣れない日焼け止めのニオイ
もう一機来るまで待ってるか だけども静かすぎる夏の空
貯水池の水 心通さずに見てる人達 神様みたいに
誰も何も見ていない そんな時 エンジン音 みんな見上げた
調布市の離島行きの飛行場
こんな歌詞です。
この頃は、近所に住んでいたので、暇な時よくここでボーッとしていました。
ちょうど、アルバムのジャケット撮影の場所を捜していたので、明後日またメンバーみんなで行って、撮影してみようと思っています。
色々と佳境で、ゆっくり文章を書けなくて、すみません。
でもあまり書かないと、心配してくれる人もいるので、とりあえずの乱筆で失礼。
とにかく、勝手に人生の集大成のクライマックスを迎えている気分になって燃えていますので、5th、6th、ご期待下さい。
「いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま」
病院のニオイ セーターのニオイ 急ブレーキでゴムが焼けるニオイ
思い出したのは岩見沢の事 僕の住んでた岩見沢の事
いなくなったのは僕の方じゃなく 岩見沢市の方がいなくなったのさ
僕は今でも12号線国道の放置自転車のつくる日陰で涼んでます
通る車 7割は札幌ナンバー 2割は旭川で 残りは見知らぬ土地
行ってみたのさ いつだって どこだって
いつも心だけはこの日陰で涼ませたまま
りょ~ゆ~の裏道 りょ~ゆ~は岩見沢のスーパー そこを歩いてくと放置自転車があって
サドルの錆がとってもいい感じ 僕の体も同じ部分が錆ていく
僕に触れた君は赤錆に気付くか 僕は覚えてる全ての風景を
なんだってやれるさ いつだって どこだって
いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま
今日はどこで何をしよう 何を言おうか 赤錆に吹く風を日陰で感じて
どうにでもなれるさ いつだって どこだって
いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま
4th歌詞英訳、読みましたか?
俺は英語はチンプンカンプンですが、
Good-bye the long night and MOON PALACE
というのが、素敵な気がしたので、今、中学生だったら教室の机に彫っていた事でしょう。
というわけで、明日8/31は4thアルバム「ブルースマン」(ボーカル新録盤)のサブスク解禁です。
(多分、今日の24時になるとここで聞けるよ。)
今回も色々解説してみようと思います。
「ブルースマン」は2019年6月3日発売でした。
発売と言っても、3rdアルバム以降は、商売をする余裕がなく、CD屋では取り扱っていないので、このページでの通販開始の日にちになります。
予約特典では、俺の手書きの歌詞(手首の腱鞘炎をおして、がんばって書きました。昔剣道部だった時の古傷がまだ治らない)を付けました。
収録曲から好きな歌詞を選んで貰いましたが、一番人気は「夜明け前」でした。
発売は2019年ですが、アレンジのスタジオ、録音は2018年でした。
ジャケットのクマは、チェコのアンティーク。
クマの持っている、鍵盤も、チェコのアンティーク。
カメラの長谷川大とうちで「ジャケどうしましょうかねえ?」と話してて、思いつきで撮ったら素敵なジャケになった。
撮影した時は、断酒治療も3ヶ月経ち、俺は邪気が抜けて神々しくボーッとしてまして、その様子を大ちゃんが面白がり撮影した写真もジャケ候補になったが、改めて見るとクマにして良かったね。ちょっと神々しすぎる。
全曲解説を始めるにあたり、まず最初に書いておきたいことは、ここまでのメンバーの推移だ。
1st「僕を殺せるのは僕だけさ」
ボーカル、古宮大志
ギター、はなえもん
ベース、寺中四
キーボード、ユキコトーキョー
ドラム、鈴木亜沙美
2nd「愛してるよ」
ボーカル、古宮大志
ギター、はなえもん
ベース、飯田裕
キーボード、ユキコトーキョー
ドラム、鈴木亜沙美
3rd「永遠に、たまに」
ボーカル、古宮大志
ギター、はなえもん
ベース、飯田裕
ドラム、鈴木亜沙美
そして、4th
ボーカル、古宮大志
ギター、高野京介
ベース、飯田裕
キーボード、ハダユキコ
ドラム、関口萌
※ユキコトーキョーとハダユキコは同一人物。
昔ユキコは「ずぶぬれシアター」というバンドでメンバーに「ユキコロンドン」と勝手に名付けられ、池袋あたりではロンドンと呼ばれていた。
レテパ加入にあたり「ロンドンじゃピンとこないから、東京出身だからトーキョーにしよう。」という事でこうなったが、飽きたみたいで、本名のハダユキコになった。
メンバーの推移を見て分かると思いますが、毎回ちょこちょこ変わっています。
が、4thは劇的に変わっています。
ので、レテパを前期後期に分けるなら、間違いなく1〜3、4〜6でしょう。
2018年の記憶はほとんど無いが、バンド自体は新メンバーとユキコの復活により活性化されまして、実はとても充実した状態だったと思う。
ベースの飯田裕は、高野京介の事をミュージシャンとして昔からライバル視していたらしく、一緒に演奏出来るのをとても喜んでいて、スタジオでも時には挑みかかるように演奏していました。
関口萌とは、彼がParadiseというバンドでドラムを叩いていた頃から面識はあったが、その頃は一緒にバンドをやる事になるなんて、思いもしなかった。
が、叩いてみてもらうと「このメンバーならアディーよりも萌ちゃんだな。」とすぐに思えた。とてもしっくり来た。
アディーは最高のドラマー(札幌時代、20才からの戦友)だったから、次のドラマーがすぐにしっくり来るなんて、滅多にある事じゃ無い。
俺の体調のせいで、この5人でのライブは2018年のハイコーフェスのみで、もったいない事になってしまったが、奇跡の5人が揃っていたと思う。
レテパは俺がもう作ってある歌を、アルバム制作ごとに10曲選びアレンジしていく。
曲を選ぶ際は、メンバーの個性に合いそうな曲を選び、そして選曲の時点でアルバムの曲順も基本的にはイメージしておく。
「7月12日、13日」「夜明け前」「MOON PALACE」「アズミ」なんかは、ソロでもよく歌っていたお得意のナンバーでした。
1st〜3rdの時にも毎回入れたいなとは思いつつ、でも何か違うな、と諦めていたので、このメンバーで音を出した瞬間に「この曲にはこの5人だ。今しかない。」と張り切って選曲した事を覚えています。
長くなりましたが、レテパにとってものすごい変化、そしてとっても重要な一枚だという事です。
まあ、聞いてみて下さいね。
では、全曲解説。
「ブルースマン」
俺にとって、ブルースマンと言えば「山下由」「大槻ヒロノリ」「アズミ」あたりです。
この歌が出来て、数年経ち、山下さんのライブを見た時の歌か、大槻さんのライブだったか、忘れてしまっていましたが、出来た当時周りに「大槻さんの事を歌った歌だ。」と言っていたらしいので、大槻さん(真黒毛ぼっくす)が正解です。
どこのライブハウスだったかは忘れたが、美しく見えた街は歌舞伎町だったから、マーブル、モーション、ジャムあたりか?
大槻さんのアパートに行った事がある人は知っていると思いますが、大槻さんちの玄関のドアには「大槻」以外に「古宮」と紙の切れ端のようなボロボロの表札が貼ってあります。
さて、なぜでしょう?
なぜか分かる人は、東京インディーズバンド検定3級くらいです。
「ロックンロールⅡ」
らーららーらー、で始まる短い歌。
この、らーららーらー、を聞いて、聞いた事あるぞ、と気付いた人は、東京インディーズバンド検定8段くらいです。
レテパがライブで本番前のリハが出来なかった時に、ちゃちゃっと音出して確認する際、いつもこの、らーららーらー、のメロディーで音出ししていました。
2017年11月20日にムカつく2人組(片方は女性の性感帯みたいな名前のミュージシャンだったみたい。俺は知らなかったが。ライブ中うるさいからビールの缶を投げつけたら喧嘩になった。性感帯じゃない方が「この人を誰だと思ってるんだ!」とキレてきて、今でも思い出すだけでムカつく。ちなみに自分のライブ中では無く、性感帯も俺も客席側でした)と喧嘩して、のちのちもムカついていたら、らーららーらーのメロディーにこんな歌詞が付いた。
余談だが閉園直前の20:30頃のとしまえんでは、閑散とした園内の、あちこちにあるBOSEのスピーカーから、古いロックンロールが大きな音で流れていて(音量はずっと昼間から一緒なんだろうが、閉園直前のひっそりで、あんなに大きく鳴り響くのだろう)この間、久しぶりに「ロックンロール」と再会しました。
あんなのタイムマシーンでもないと体験できないよ。ラッキー。
「7月12日、13日」
札幌時代の友人ヨシカワさんの通夜と葬式の時の歌。
その頃はもう東京に住んでいて、札幌の新琴似での葬式に行くと、久しぶりの人達が「よく来たねえ。」と懐かしがって喜んでくれたのを思い出す。
葬式は町内会館で行われ、まあ、全て歌のとおりです。
この歌と「愛は風景」は同日の事を歌っているので「朝早くからの雨」と「雨の信号」の雨は同じ日の雨です。
演奏では、2番の間奏、美しいでしょう。
ユキコの階段のようなシンセの音と、その階段に響く鐘の音のような高野君のギター、萌ちゃんのコーラス、それを柄にもなく支えるいーちゃん。素晴らしい。
ちなみに冒頭のトランペットは俺。
「夜明け前」
高校の時に悲しい別れ方をした彼女の事を思い出して歌っています。
彼女のお父さんは自殺してしまい、そんな彼女を大切にしてやりたい気持ちはあったのですが、俺はアルトサックスや歌に夢中で、今までの全てが嫌になってしまっていたので、彼女を避けてしまい、後々悪かったな、と思っていた。
卒業後、数年経って彼女とは再会したが、彼女の彼氏のヤンキー軍団に札幌ドームの近くの駐車場で囲まれたりして、最終的にはポップな喜劇で終わりました。
実はこの歌のピアノは高野京介。ユキコはピーンピーンというシンセの音担当。
そう言われて聞いてみると、非常に男性的なピアノです。
「MOON PALACE」
札幌市東区にあった「MOON PALACE」というライブバーの手伝いをしていた頃を思い出して出来た歌。
手伝っていたのは10代の最後くらいだったはず。
よくお客さんと「えー!10代!?」みたいなやり取りをしていた記憶があるので。
ムンパが閉店する、と風の噂を聞いたら出来たんだと思う。
その時、俺は東京にいた。
1番のスーパーは「エース(当時はハッピー)」という買い出しに行っていたスーパー。
2番の「北光病院」は「北光記念病院」(病院の駐車場を勝手に店の駐車場にしてた)
位置関係は写真の感じです。(多分ムンパの元町会館はセイコーマートになったんだな。)
F、Am、Dm、Dm、Am、F、の単調な繰り返しがこんなにドラマチックになるんだから、良いバンドだったと思う。
4カウントから音が流れた瞬間、真冬のムーンパレスに俺は立っています。
あの頃のムンパを知っている人達に聞いてもらいたいなあ。
生意気なクソガキだったフルミーも少しは成長しましたよ。多分。
「アズミ」
アズミさんは俺が高校生の頃から大好きな年中日本各地を歌い歩いている歌手。
17才の頃の一人旅の帰り、フェリーで降り立った苫小牧にあった「ウエスト」というレコード屋で試聴して「ブルーズのいいなり ロックのどれい」を買った。
ヴァンモリソンの「クレイジーラブ」のアズミ訳の日本語カバーは、当時の恋のテーマ曲になった。
その後2000年10月1日に札幌161倉庫でアズミさんのライブあると知り(情報源は懐かしの「さっぽろタウン情報」だ!)見に行った。
そしてその夜161倉庫の店主KCさんに俺は拾われた。
このアズミ〜161倉庫の流れが無かったら、俺の人生は全く違うものになっていたと思う。
8年前の〜とあるので、25才の頃の歌ですね。
横浜で〜の店は、サムズアップ、だった。
高野京介のギター人生の中で、初めてのアコギ録音だったらしい。
素晴らしい音を出しているギターは俺のヤマキのアコギで、先程のヨシカワさんの葬式の後にムーンパレスの女店主ホンダがくれたものだ。
ギターと共に送ってくれたメールの文章が「愛は風景」の2番の歌詞になっています。
高野君のアコギも素晴らしいが、間奏のエレキソロも凄いね。
飯田裕のトゥルルルなベースも素敵。
「丘の上の学校からどっかへ行っちゃった君へ」
歌のまんまだが、登戸の図書館をよく使っていた頃、チャリに乗って、雨降ったり風吹いたりしてたら出来た。
丘の上の学校は、岩見沢緑稜高校(偏差値49)という我が母校の事。
「アズミ」が終わり「丘の上〜」から「サマー」につながる流れがとても好きです。
「サマー」
俺の妹は昔、サマーの「夏の海を見た時に 思う事は変わったけど 夏の海を見る事は 変わらないようです」という歌詞が好きだと言っていた。
俺は小学生の頃、怖がりで、テレビでみんなのうたの「メトロポリタンミュージアム」が流れたら怖いからテレビを消してくれ、と家族に頼んでいたのに、この妹がふざけて消さずにボリュームを上げたので、包丁を持って追い回したことがあるらしい。
「わたし、お兄ちゃんに、包丁で殺されそうになった事があるよ。」と言っていた。
よく生き延びて、この歌詞の素晴らしさに気付けるまで成長したな、妹よ。
間奏前の4拍の4発にみんなの全てを込めてその後のギターソロにつなげよう、このアルバムのクライマックスをここに持ってこよう、とアレンジの時からこだわっていました。
どうかな?クライマックスになれたかな?
「ヘルメットヘアー」
実はこの歌だけボーカル再録するか悩んだ。
というのも、結局結婚はしたが、この時は、ベロンベロンの借金まみれで、酒やめる気も金返す気も無く歌っているから、この歌の良さがあるわけで、今のシラフで歌って意味があるのか、少し疑問だったからだ。
で、一応歌ってみたら、新録のほうが全然気に入ったので、新録にした。
90年代なイントロと、俺のプロポーズに呼応するかのような、ユキコの海中漂う昆布のような、ゆらゆらと達観した、ファンタジーでコメディーチックなシンセが素晴らしい。
このシンセの昆布な感じ、彼女の人生の全てを物語っています。
「僕のレテパシーズのテーマ」
実はこの歌は、昔「アシカラズ」というバンドを札幌でやっていた時に「アシカラズのテーマ」として作られた歌。
とても気に入っていたので、2010年にレテパを結成した時にレテパシーズのテーマにした。
ので、厳密には作詞作曲は2002年くらい。
この歌も1st〜いつか入れたいな、と思っていたが、どうしても浮いてしまい、なかなか入れられなかった。
が、「ヘルメットヘアー」〜の流れなら違和感無くいける、と思いついに収録。
ありがとうヘルメットヘアー。
というわけで、4th全曲解説、いかがでしたか?
2018年はもうライブをする余裕もなく、ましてやPVとか宣伝する余裕なんてあるはずもなく、このアルバムが一番聞かれていないと思います。
(そんな中、聞いていてくれたあなた、ありがとう。あの時の通販の注文の一件一件にどれほど励まされた事か。通販の名前の中には「鈴木亜沙美」の名前もあり、聞いた後メールをくれて、いいの作ったねー、と喜んでくれた。)
今回ボーカル再録で改めて深く向き合ったけど、ほんと素敵なアルバムだと思いました。
これから沢山の人に聞いてもらえたらいいね。
5th、6thも負けないように、最高傑作目指してがんばる。
(5thと6thはちゃんとPVも作っているのでお楽しみに。)
3rdアルバム「永遠に、たまに」(ボーカル新録盤)聞いてくれましたか?
前の方が好きな人もいるかもしれません。
どっちを好きになってくれても嬉しいだけなので、遠慮なくどちらかを好きになってやって下さいね。
8/31には4thアルバム「ブルースマン」(ボーカル新録盤)もサブスクスタートです。
こちらは3rd以上に、前のと新録盤で違うと思います。
でも、僕のレテパシーズの僕は、俺やあなた一人一人なので、あなたのレテパシーズでは、あなたが全てですので、俺が新録盤をめちゃくちゃとっても気に入っているからといっても、気にせずに好きな方を好きになってね。
でも、多分、新録「ブルースマン」良いよ。
お楽しみに。
最近は3rd、4th、と過去ばかり振り返っている終わったバンド、と思われているかも知れませんが、ニューアルバムの録音も絶好調で進んでいます。
6thアルバム「アコースティック」はアコースティックと言いつつ全くアコースティックじゃないけれど、最高傑作になりそうです。
「6枚のアルバムだけは」「6枚のアルバムだけは」と、2015年あたりから、それだけの為に生きてきました。
ここで、最近大分終わりが見えてきたので、近況をまとめようと思います。
前に書いた日程と、少し変わっています。ごめんなさい。
また、変更あるかもしれませんが、、。多分こうなる。
以下今後の予定。
2020年
8/31、4thアルバム「ブルースマン」(ボーカル新録盤)サブスクスタート
10/31、5thアルバム「レテパシー」6thアルバム「アコースティック」CD発売
※3rdアルバム「永遠に、たまに」(ボーカル新録盤)4thアルバム「ブルースマン」(ボーカル新録盤)のCDも、このタイミングで用意出来るかと思います。
※5thアルバム「レテパシー」6thアルバム「アコースティック」のサブスク配信も、10/31を予定していますが、もしかしたら、10/31に5th、11月中旬に6th、とかサブスクは少しずれるかも。またお知らせする。
※コロナ無かったら11月にレコ発ワンマンだー!と思っていました。
でも中途半端な事はしたくないので、もうちょっと考えるね。
とまあ、こんな感じになるでしょう。
5th「レテパシー」は9/30に発売だ、と言ってしまっていましたが、ごめんなさい、3rd、4th、の再録等で予定が詰まってきたので、やはり6thと同時になりそうです。
5thも絶対にすげえアルバムにするから許してね。
というわけで、まずは4th「ブルースマン」まで、あと4日。
先程「歌詞」のページに「ブルースマン」10曲の英語訳(訳者は織田泰菜さん。ありがとう。)も掲載させて頂きました。
日本人も外国人も、4日間歌詞を読んで予習して待っててね。
(俺は子供の頃からCDを買うと、まず歌詞カードだけを何度も読んでから、CDを聞いていたよ。)
PS.「才能がなかったんだろ」の歌詞、歌詞ページに載ってないぞ、とご指摘頂きましたが、なんとなくあのページには全アルバム60曲の歌詞しか載せたくないので(61曲になるのが嫌なのかも。奇数が嫌い。多分誕生日が1982年12月2日だからだろう。マリア・カラスと谷内六郎と同じだよ。いいだろ。)とりあえず、ここに載せときます。
魂の叫びを読んでみて下さい。
「才能がなかったんだろ」
才能がなかったんだろ
古宮さんは口が達者だから冷静に客観的に数字だけを見てみましょうよ
スポティファイ ユーチューブ アップルミュージック
僕のレテパシーズも10年がんばってやってきたんでしょう
確かな判断材料です 最後の決断といきましょう
今週の再生回数は ロックンロール5回 札幌ナンバーは4回 君しかいない 空知2回
愛は風景 やさしい人 ロマンチック 夏のしっぽ 再会 北 SFマンボ 東区が恋しくて0回
才能がなかったんだろ
1枚のアルバムを配信するのに1年で約5000円
今2枚の配信が終わって この後合計6枚になる
今月の配信売上は0,776円
20曲で1円に足りない 自然と廃盤になるのだろう
「6枚のアルバムだけは」「6枚のアルバムだけは」
魔法のように 呪文のように 「6枚のアルバムだけは」
遺書のように 遺言のように ずっと続くバトンのように
本当の無観客だ 才能がなかったのさ
ハローグッバイファックユー けっこう多いな14回
見知らぬ青年との会話 1番多いな17回
ロックンロールじゃ踊れないと17は2回
1週間の再生回数 海へ行こうよ4回
才能がなかったんだろ
聞く方に
仕方がない これで終わり
才能がなかったのさ
聞く方に
PS.8月は2回も、今月で閉園になる、としまえんに連れて行かれました。
ミステリーゾーンと流れるプールから見える青空に浮かぶ海賊達の勇姿が大好きでした。
さようなら、としまえん。
だが、俺にはまだ岩見沢の三井グリーンランドがある。
このグリーンランドの観覧車は6th「アコースティック」収録の「夕立が降ってる」に出てくる観覧車です。
先日配信してすぐに配信停止になった3rdアルバム「永遠に、たまに」(Vo新録盤)は8/20より再配信されます。
お騒がせしてすみません。
(8/20になるとこちらで聞けます。)
もしかしたらこれからも6thアルバム完成までドタバタあるかも知れませんが、せっかくの無名の自主制作、せめて自由に1ミリの後悔も無いようとことんやろうと思っています。
お付き合い下さいね。
シングル「才能がなかったんだろ」は聞いてくれましたか?
サブスク配信のみなので、未だCD世代の人達は聞けずに困っているかも知れません。
サブスクが出来なくても、ユーチューブが見れればユーチューブでも聞けるそうです。
メカ音痴のあなたはこちらでどうぞ。
※2024年11月15日加筆↓
この「才能がなかったんだろ」は廃盤の「ひろしデモ」のやつなので、現在は聞けません。
この頃は1st、2ndとサブスク解禁したのに全然聞かれなくて、絶望していたらだんだんムカついてきてこの歌が出来たのですが、出来たてを即聞いてほしくて宅録デモテープを配信したのでした。
↑以上加筆
先日、母親に会ったら「ひろし、お金あるの?」と聞くので「無いよ。くれよ。」と言ったら「嫌だー。いい年して。」と言うので、じゃあ聞くなよ、と思いましたが、せっかくなので「今、3rdと4thもボーカル再録して、もっと良くしてる。ブルーハーツとハイロウズを合わせてその中から好きなアルバムを6枚並べたとしても、それにも負けない6枚になる予定。ちなみにその6枚はお母さんもよくご存知の「THE BLUE HEARTS」「YOUNG AND PRETTY」「TRAIN TRAIN」「ロブスター」「バームクーヘン」「DUG OUT」の6枚だ。絶対に負けない6枚になる。」と言ってやったら「ひろしに才能があるのは分かるけど、聞く方に才能がなかったら、どうするの?」と言いやがったので、それもこの歌が出来るキッカケになりました。
(この母は俺が17才の頃に「これからは歌を歌う事にする。」と伝えたら「反対。歌はやめときなよ。詩だけにしなよ。古宮家は歌が下手なんだから。」とほざいたことがある。)
3rdアルバム「永遠に、たまに」配信まで、あとちょっと。
1st、2nd配信時にはツイッターにて、過去の関連映像をお送りしましたが、先日書いたとおり3rdの2017年以降は、ライブも無く映像もありませんので、あしからず。
代わりに、以下3rd「永遠に、たまに」解説です。
では、8/20をお楽しみに。
これは、当時はなえもんが描いた「ユキコ脱退の図」。
というわけで、このアルバムのみキーボードがおらず4人編成。
ボーカル/古宮大志
ギター/はなえもん
ベース/飯田裕
ドラム/鈴木亜沙美
ジャケット写真は2017年、最悪だった静岡でのライブの帰り道、落ち込んでいた俺を励まそうとしてくれた?のか、帰り道に砂丘がある、ということで立ち寄った真夜中の「中田島砂丘」にて。
PV「永遠に、たまに」もこの時の様子を元に、飯田裕が作ったもの。
※3rdのPV「永遠に、たまに」「ホープちゃん」のボーカルは旧テイクですが、そのままにする事にします。
このアルバムのミックスは飯田裕です。
理由は「2nd購入特典のカバーシリーズCDは飯田裕が録音ミックスしたが、それがその頃の4人の気分にピッタリの音だったから。」です。
当時のアー写。描いたのは、はなえもん。
3rdのCDの盤面のデザインや、開いた最初の手描きのページなんかは、はなえもんが描いた。
ほんとは全てはなえもんがデザインする予定でしたが、制作途中で脱退したので、ジャケは急遽、俺が写真を選びました。
このアルバムから、CDの全国流通、をしなくなった。
アルバムを作る事だけでギリギリで、商売をする余裕なんて無かったからだ。
借金はふくらむ一方だが、金に無沈着過ぎる俺を見かねて、いーちゃんが「Tシャツを作り、CDと抱合せで売るので、何か描いて下さい。」と言うので、描いた「クマとビール」Tシャツ。
「アルコール依存症を絵にして下さい。」と言われたら、この絵でバッチリだと思う。
表情といい、黒ラベルから、星だけを抜き取るポップで異常な様子といい、うまく表現出来ていると思います。
では、以下全曲解説。
1.深海
アレンジ時に「俺の歌と同じ尺で後奏を入れよう。そして、歌が前奏で、メインは後奏部分、というような演奏にしよう。」と提案したのを覚えている。
そして、ちゃんとそうなりました。聞いてみてね。
三笠市立博物館は、俺が小学校時代に化石博士だった頃、よく質問しに行き、お世話になった博物館。
(2016年作詞作曲)
2.夜に名前を
2015年に1st「僕を殺せるのは僕だけだ」を流通する際に、自主レーベル名が必要で、当時この歌が世界一カッコいい、と思っていたので「では「夜に名前を」というレーベル名にしよう!」と決めました。
なので、CDの品番が「YORU-○○」となっています。
新代田に引っ越した恋人の部屋の窓から、井の頭線の電車と、大きな白い鉄塔の送電線が見えました。
(2011年作詞作曲)
3.ホープちゃん
新百合ヶ丘にある俺の叔父が院長の動物病院でバイトしてたら出来た歌。
ホープちゃんの本名はちーちゃんでした。
この歌のPVは、はまもとりさ、という絵描きの方が作ってくれました。
(2013年作詞作曲)
4.ラブソング
歌詞の通り、久しぶりに出来た歌。
(2016年作詞作曲)
5.雨の日々
増えすぎだね、なんて言っていた傘が気付けば無いように。
川崎市多摩区稲田堤のアパート時代はまさにそんな日々でした。
(2009年作詞作曲)
6.ていくいっといーじー
プレイボーイぶるつもりは無いが、誰かは覚えていないが女の子と街を歩いていたら出来た歌。
街は高円寺。
初心者バンドマンはこの歌を演奏すれば良い。
コードがEとAの繰り返しだから、簡単なはず。多分。
よく「3コードで歌は出来る。」とか、偉そうにパンクぶるやつがいるが、2コードで歌は出来る。
(2013年作詞作曲)
7.君の思い出
俺のポーグス愛が滲み出てしまった、アイリッシュな編曲。
6thアルバム収録予定の「いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま」もポーグス愛炸裂。
アイルランドと空知の感じが多分似ているんだろう。
歌の内容は、当時の恋人とデートした場所の名前を羅列しているだけ。
ヤチブキ、カタクリ、エゾエンゴサク、フクジュソウ、と北海道の雪解けの春に咲く花には詳しいが、内地の花には興味が無い。
が、アジサイが終わる頃にバラが始まる、という事だけは、この歌のおかげ(彼女のおかげか)で知っている。
(2011年作詞作曲)
8.ユーレイ
この歌も、歌うと稲田堤のアパートを思い出す。
当時の妻がよくソファーで寝落ちしてて、邪魔くせえなあと思っていたら出来た。
(2008年作詞作曲)
9.バスが来るまで
岩見沢緑陵高校からの帰り道の歌。(出身校です)
「大学の近道」の大学は「岩見沢教育大学」の事。
この大学の敷地内を通り抜けると、バス停への近道だった。
「缶詰の灰皿が揺れて〜」という歌詞があるが、ちょっと前、20年振りにこのバス停の前を通って見たら、缶詰の灰皿は無くなっていた。
が、バス停の横に潰れたタバコ屋があった。
あー、そうだった。タバコ屋だから灰皿置いてくれてたんだ。と懐かしかった。
ちなみに岩見沢市の「春日町」というバス停です。
(2007年作詞作曲)
10.永遠に、たまに
新曲だったし、当時「永遠に、たまに」という気分で生きていたので、アルバムのタイトルになった。
(あの頃を支えてくれたあなた、ありがとう。本当に助かったよ。)
珍しく歌が出来る前に「永遠に、たまに」という言葉だけが、心の中に先にあった。
高校生の頃、一人旅で宮古島に行った時に、とても仲良くなった少年(まさし)がいた。
それから17年間一度も連絡を取っていなかったのに、いきなり電話が来て「にーにー、約束したのになんで会いに来ないんだよー。」と17年前の軽い再会の口約束を、まるで1週間前の大切な約束のように怒られて、嬉しくて出来た歌。
もう一生会わないのだろう、と勝手に思っていたが、まさしとの数日間を大切に忘れずに(まあ、永遠に、たまに、思い出す程度ですが)生きてきた。
で、相手も同じ気持ちだったみたいなので、すげえ嬉しかった。
とてもつらい時期だったので、この歌が出来て救われた。
絶望的な状況だったけれど、自分は間違ってはいないんじゃないか?と、思えた。
(2017年作詞作曲)
以上「永遠に、たまに」解説でした。
それでは8/20をお楽しみに。
【お知らせ】
3rd「永遠に、たまに」の再配信まもなくです。
ごめんなさい!お楽しみに!
僕のレテパシーズのニューシングル「才能がなかったんだろ」が明日配信されます。
配信されるとこちらで聞けます。
先日「最初で最後の一人宅録多重録音」と題して文章書きました。
それにニューシングル発表の経緯が書いてありますので、読んでない方はまずこちらをどうぞ。
その文章に載せました、配信のきっかけになった、この画像↓
やけっぱちなので、この画像をジャケにしようと思って登録したが「収録曲以外のタイトルが掲載されているので不可です。」と断られた。
文字を小さくしたり、画像を手の上に載せてみたり、色々小細工して再送しまくったが、目をつけられたらしく、ことごとく見破られ、どうやってもNG。
仕方がないので、じゃあ最初で最後の宅録記念に、お世話になったキーボードの音色の名前の画像にするか、と、この写真をジャケにした。
この前も書いたが、この音色から変え方が分からず、しょうがないからこれで鳴らしたらサイコーだったので、そのままOKになった音色だ。
なんて読むんだろう?「コイオチルT?」と不思議だったが、まあ気にせずにそのまま忘れて、キーボードもまた納戸の奥深くにしまい込まれ、長い眠りについた。
が、めでたくジャケ画像になったので、持ち主のユキコに「そう言えば、古いキーボード借りたんだが、音の変え方分からんくて、この音色使ったが、何て読むんだろうね?」と聞くと、彼女は大笑いして「これ、学生時代にaikoのコピバンしてた時に、aikoの「恋堕ちる時」という曲で使った音色だよ。」と言われた。
ガーン。aiko。
女子高生のaikoコピバンライブから20年の時を経て、レテパのシングルを奏でるとは、なかなか渋いね。
というわけで、レテパシングル緊急配信。
その名も「才能がなかったんだろ」
明日だけど本日24時から多分聞けるんしゃないかなあ?
魂の叫びを聞いてみて下さい。
本日3rd「永遠に、たまに」サブスク配信スタートしたのですが、すみません、一度配信停止にする事にしました。
以下理由です。本当にごめんなさい!
ボーカルを再録した為に、マスタリング(すごく簡単に書くと音量調整)はもう一度やらなきゃいけないので、やってもらった。
で、その際に、CDとは違いサブスクに適した音量があるので、そうしましょうと提案を受け、了承した。
が、俺が説明をよく理解しておらず、今日配信された音を聞いて、絶望した。
で、先程エンジニアの方と話し合い、原因が判明した。
エンジニアの方は、Spotifyだと「オーディオノーマライズ」AppleMusicだと「音量を自動調整」の機能を「ON」にしている人が聞くと、カッコよく聞こえる音量にしてくれたのですが、俺はゴリゴリの「反オーディオノーマライズ派」なので、「OFF」でカッコよい音量にしてもらいたく、そこが食い違っていました。
マスタリングエンジニアはボーカル旧録の3rd同様、中村宗一郎さんですが、今日俺が配信された3rdを聞き即絶望して、即配信停止を配信業者にリクエストしたと聞いて、笑っておられたが、最終的に「こんなこと言われたのは初めてですが、そこがこだわりならしょうがない。急いでマスタリングし直しましょう。」と言ってくれて、今、お願いしているところです。
「反オーディオノーマライズ派」ではなく「ON」にしている人には関係の無いことなのですが、すみません一度配信停止にさせて頂きます。
配信業者の手続きの関係上、すぐには消えないんですが、遅くとも1週間以内に今の「永遠に、たまに」が消えます。
新しい「反オーディオノーマライズ派」の「永遠に、たまに」は8月中旬には配信できるかと。
ごめんなさい、またハッキリ日にちが分かったらお知らせします。
昨日さんざん長々と文章書いたのに、すみませんでした!
PS.せっかくなので、「反オーディオノーマライズ派」の仲間入りしたい人の為にやり方を書いておきます。
「AppleMusic」の場合
設定→ミュージック→音量を自動調整→オフ
「Spotify」の場合
HOME→右上ギザギザマーク→再生→オーディオノーマライズ→オフ
すげえ簡単に書くと、オフの方が作者が作った本来の音で聞けます。
が、最近はオンで聞く人に合わせて作る人も多いみたい。
もともとそうやって作った音はオンの方が本来の音に近いみたい。
もっと簡単に書くと、近代のサブスク野郎はオンで。
レテパとか好きな人はオフにしときゃ間違いないよ。
2017年に発売された3rd「永遠に、たまに」が明日配信されます。
(配信されるとここで聞けます)
ここで、お知らせしなくてはいけない事があります。
「永遠に、たまに」全10曲のボーカルを先日全て歌い直しました。
そして、4th「ブルースマン」も同様に歌い直しました。
以下はその理由、説明、です。
アル中の知識が無い方には、色々誤解されてしまうかも知れませんが、どうしても触れなくては説明が出来ないので、色々書いています。
説明無しにアルバムを聞きたい人は、ぜひそうして下さい。
一言で言えば、
「今の自分でボーカルを録り直したくなった。で、録って聞き比べたが、今の方を聞いてほしいと思った。」
以上なので。
※ボーカル以外はいじっていません。ミックスもそのままです。
※旧テイクのCDは、そのまま販売します。
まだ準備中ですが、今後買われる方には、新テイクのCDもお付けします。
好きな方を残して下さい。
もうCDを持っている方で、新テイク盤が欲しい方はご連絡下さい。
すみません、今は5th、6th制作関連でドタバタなので、新テイクCD、準備が出来たらまたお知らせしますね。
以下、読みたい方だけどうぞ。
2nd「愛してるよ」のレコ発ツアー後、キーボードのユキコが脱退し、レテパは4人になりました。
「4人もブルーハーツみたいでいいね。ハイロウズからブルーハーツになったね。」なんて、最初は明るく再スタートしましたが、2016年頃から俺は寝ている時以外の連続飲酒状態が、残念ながら耐性がついてしまい続いていて、色々と上手くいかなくなり、2017年の6月に三鷹のアルコール病院へ連れて行かれました。
病院では、依存度的にも、肝臓の数値的にも、脳のレントゲン的にも、本日このまま即入院と言われました。
が、入院だと3ヶ月間拘束で、もちろんライブは出来ません。(その時、5本のライブが入っていました。)
ライブのキャンセルだけは絶対にありえないので、通院での治療にしてもらいました。
医者は「通院じゃ絶対にうまくいかない。」と、言いました。
最初は様々な離脱症状に苦しみましたが、周りの協力と、吾妻ひでおさんの「失踪日記」「アル中病棟」を読んでいたおかげもあり「断酒」する事は出来ました。
通院、投薬、自助グループ参加、と断酒3本柱と言われている治療を行い「飲まない」事は続けられたのですが、問題がありました。
ライブが、全くうまくいかなくなりました。
ライブ会場に着いて他のバンドのリハを見ると「こんなバンドを良いと思っているのなら、主宰者、俺らの事、全く理解してないじゃん。」から始まり、ステージからお客さんの顔を見ても「お前さっき、他のくだらないバンドで拍手してたじゃん。お前なんかに分かるわけないよ。」とライブ中も、そんな事ばかり考えてしまい、歌う気が起こらず。
もちろん、17才の歌い始めた頃からそういう気持ちではいましたし、そういう気持ちを否定する気は全く無いのですが、飲酒出来てた頃は酔っ払ってごまかせた。
でも断酒後はごまかしがきかず、こういう事を思った後、続けてすぐに「もうやめよう。じゃあ、死のう。」と何を見ても思うようになり、ライブ中もずっと絶望の無感動状態になっていました。
医者にも相談しましたが「断酒の鬱だね。抗鬱剤を出しましょう。思い詰めると良くないから音楽は今は止めたほうが良い。」とそんな感じですし、自助グループに行っても、答えはありませんでした。(いや、違うか。答えはハッキリあって「バンドをやめる」の一択だった。)
そんな中「永遠に、たまに」のレコーディングが行われました。
いつも、大体ファーストテイクでOKなのですが、この時は初日の1テイク目がうまくいかず、次の日にもう1回歌いました。
2日目のその時は奇跡的に落ち込まずに、昔のように歌えた気がしたのですが、全てに余裕が無く、コンデンサーマイクの本来掴んではいけない部分を掴んで歌ってしまい、ボーカルがとてもこもった特殊な音になってしまいました。
が、その時は多分俺の異様な気迫にメンバーもエンジニアも押されてしまい、今のテイクでいこう、と言ってくれて、自分もOKを出しました。
ボーカルがこんなんじゃ、メンバーみんなも辛かったと思いますし、実際はなえもん、アディーはこのアルバムを最後に抜けました。
でも、3人は辛さを音に昇華して、素晴らしい録音をしてくれました。
が、本当にギリギリの素晴らしい音なだけに、ボーカルがこういうこもった音だと、みんなの演奏までが素直に聞こえてこず、ずっと気掛かりな録音になりました。
(ボーカル、今聞くと、やはり音質だけでは無く、全体的に異様な感じがします。)
が、これもバンドの本当の記録だからこれで良いんだ、と当時は判断し発売しました。
その後、10月に秋田の「ハイコーフェス」という、毎年呼ばれるイベントがあり、ライブを差別するわけではありませんが、4本最悪のライブが続いて、絶対にこのイベントだけはこんな気持では出られない、と思いました。
なので「以前の状態に戻そう」と決めて、ハイコーまでの2週間、本当に飲みたくありませんでしたが、無理やり酒を飲み続け、以前の状態に戻そうとしました。
耐性はもう抜けているので、最初の一杯で、顔は真っ赤になり、フラフラしました。
もともとは酒に弱く、ビール2本程度で酔っ払うようなものでしたが「耐性」がつくと「酔っている状態が正常」と脳が判断するので、どんなに飲んでも顔も赤くなりませんし、飲んでいないと手が震え箸も持てません。
酒が強い弱いは関係無く「耐性」がついてしまい連続飲酒が出来るようになってしまうかどうかは、基本的には運なんです。
大急ぎで「耐性」を取り戻し以前のようなライブをしよう、と2週間起きている間はずっと、飲んでは吐き、飲んでは吐き、を繰り返し、大急ぎで「以前の状態」を取り戻そうとしました。
そして何とか間に合い、おかげでハイコーフェスでは、以前のようなライブが出来ました。
で、それからまた、すぐに連続飲酒になり、2018年はさらに酷い状態になっていきました。
その頃は「6枚のアルバムだけは死んでも残す」とだけ思いながら生きていました。
4th「ブルースマン」はボロボロの状態で、もう脳ミソは一切使えておらず、心のみで生きている状態で、録音しました。
「7月12日、13日」「夜明け前」「MOON PALACE」「アズミ」と、その歌を歌うというより、ただただ感情が溢れるだけ、感情を溢れさせるためだけの道具、として歌う事しか出来ず、歌いながらひどく泣いてしまっています。
もちろん歌いながら泣くことは全く悪くありません。
が、その歌により泣いているのではなく、その時もう辛くて死にたくて限界なので、泣いていたんだと思います。(当時の自分はそれを強く否定するだろう。だから、否定する人はぜひ否定して、旧録を気に入ってもらっても、全く問題はありません。)
レコーディングしてくれた方は、そのままミックスをしてくれる予定でしたが、俺の状態に嫌気がさし途中で降りてしまいました。
飯田裕はよくここまでがんばってくれたと思います。
3rd終了後に抜けてもおかしくないようなバンド状態だったのに、ここまで続けてくれました。
彼は自分のベースのパートを弾き終わると、去っていきました。
そして、新たにミックスしてくれる人を捜さなくては、という事になりましたが、心身共に限界で何も出来ず「このままでは、6枚どころか4枚目すら完成までたどり着かない」と気付き、認め、また2019年の2月から断酒を始めました。
「ただ飲まないだけでは、俺の断酒は始まらない。ちゃんと歌えないとダメなんだ」と、もう分かっていたので、以前の知識だけではなく、新しく色々試し勉強して、違うやり方でやってみました。
ライブをやってまたうまくいかなかったら怖いので、ライブは入れませんでした。(まあ、ほとんどオファーもありませんでしたが)
が、1年後の2020年2月21日にのっぺら(飯田裕が在籍している)が企画に呼んでくれて「今なら出来るかも」と思えたので、歌いました。(この日ダメならライブはもう一生やらずにレテパは6枚完成で解散すると決めていた)
結果は今までで一番歌を歌えている気がしました。
ここからやっと始まった気がしました。
見に来てくれたアディーも、本当によかった、と言ってくれました。
この日のライブで「歌を歌う」という感じを体験した以上「歌を歌う」のではなく「その時の感情を出す道具」として扱っていた3rd、4thの事がひどく気になり出しました。
そして、4月に大好きだったブルースマンの友人が亡くなり、それをきっかけに色々思うところがあり、ずっと嫌っていたサブスクでの配信を始める事にしました。
6thまで無事完成したら、全60曲から、お客さんに10曲選んで貰い、ベストのレコードを作りたいな。というのが新しい夢になりました。
が、今作っている5th、6th、そして、1st、2ndと比べ、後悔の残る3rd、4thからは1曲も選んでもらえないのではないか?いい歌ばかりなのに、自分のせいで、歌がかわいそうだ。と思うようになりました。
なので、録音時のメンバーに了承を得て(はなえもんだけは3rd制作の途中で「後は好きにしてもらって構わない」と言って抜けたので、報告していませんが)「もう一度歌うだけ歌ってみよう。そして聞き比べて、残したい方を残そう。」と決めました。
で、再録の方を選びました。
旧録の方が好きな人もいると思います。
その時の記録が正解、という考えは、むしろ俺自身が昔から強く思っていたものでした。
が、やはり、アル中を病気(異常な状態)と認め、そして何より、自分で聞いていて、ただただ悲しく辛いアルバムを残すより、自分でも聞けるアルバムを残したい。と思いました。
旧録を聞くと、録音当時を思い出します。
再録を聞くと、その歌が歌っている頃の事を思い出します。
旧録の「深海」を聞くと、2017年のレコーディングの時の事が。
再録の「深海」を聞くと、2015年、真冬の三笠市立博物館の中から見た、雪に反射してとても明るかった夕暮れを思い出します。
本来こういう説明は嫌いなのですが、今回は必要だと思い書きました。
酒の事も今まで中途半端に書いたりしてましたが、今日書いたこれが全てなので(まあ、グロいことは書いていないが)今後は書かないようにします。
そして、あの滅茶苦茶だった時期から続けてくれている高野京介ありがとう。
3rdレコ発ワンマン直前に、はなえもんは急遽抜けてしまい、アディーもいーちゃんも途方に暮れて3人は中野サンプラザの前に座っていた。
が、俺は割と途方に暮れておらず「高野君ならやってくれるんじゃない?」と2人に言った。
2人は「いやー、難しいんじゃない?」と言った。
俺は彼とはあまり面識は無かったが、昔彼が在籍していた「うみのて」と対バンした時に、彼はレテパに負けたと思ったらしく「すごくよかった。悔しい。」と言っていたし、その言い方が妙に印象に残っていたので、勝手にやってくれると思い込んでいた。
で、連絡してみたらやってくれた。で、そのまま居ついてくれた。
はなえがいきなり消えて、アディーもいーちゃんもさすがに絶望して意気消沈だったが、高野君とスタジオに入り、音を合わせた瞬間2人の顔が活き活きと蘇るのを見て「ああ、生粋のミュージシャンなんだな。俺は彼らにミュージシャン以外の部分で苦労をかけすぎたな。本来の姿でいさせてやれなくて悪かったな。」と思ったものでした。
関口萌は上記の3rdレコ発ワンマン後に、役目を終えてアディーが抜けたので、さてドラマーどうしようと考えて、友人の佐古勇気に相談してみたら「関口萌君がいいんじゃない?」と教えてくれて会ってみた。
そして俺が「6枚のアルバムを完成させるまでは、何がなんでも終われない。」と言った瞬間、はじめちゃんの心が動いた気がした。
作品を残したい、という事がどれだけ大切な事か、分かっている人な気がした。
そしてそれは当たっていて、4th以降のレテパのアルバムの一番大事な部分をはじめちゃんが守ってくれていると思います。
ありがとう、はじめちゃん。
タカユキカトーは、4thのマスタリングをお願いした時に久し振りの再会。(2014年の1年間彼はレテパギター担当でした)
マスタリング時、俺の感覚を言わなくても分かってくれる様子を見て「過去に一緒の時間を過ごし感覚を分かってもらえている、というのはとても貴重な事なんだな。」と感動しました。
飯田裕が抜けてベーシストを捜していた時期で、断酒を始めたばかりの不安な頃でした。
その頃は、もうライブをする事は諦めていて(ライブが上手くいかず飲みだしたら終わりなので)あと2枚のアルバムの完成だけを目的に生きていました。
「タカユキ君、ベーシストじゃないけどベース沢山持ってたし、多分弾けるんじゃないかな?そして録音エンジニアも兼任してもらったら、ラスト2枚は傑作になるのでは?」ともくろみ、オファー。
彼も「6枚のアルバムを完成させるまでは、何がなんでも終われない。」という俺の言葉で動いてくれた気がします。
そして、沢山持ってたけど弾けるのかなー?の心配をよそに、タカユキ君は素敵なベース弾きでした。
ありがとう。ほんとあとちょっと、がんばろう。
そして2nd終了後に脱退、4th制作から帰って来てくれたハダユキコ。
4thに「ヘルメットヘアー」という歌があります。
彼女の名誉の為に書きますが、酒を止めてまともになったから彼女は帰ってきた訳ではなくて、この歌も諦めのベロンベロンで作った歌ですし、2018年4月1日に俺達は結婚しましたが、もし家に隠しカメラでも付けられていたら、壮絶過ぎて110番!される位の生活の中、それでも別れ切れずに(多分、お互い負けず嫌いなんだな。極度の。)結婚してしまった、という感じですので、やはり公私共に一番大変だったのは彼女でしょう。ありがとう。
結局、俺が6枚、彼女が5枚、俺以外だと一番長くレテパシーズです。
彼女のピアノを上手いと言う人もいますが、彼女は上手いというより、下手だがパンク、なところが素敵だと思っています。
ライブになるとパンクスになります。見た事あるでしょう?あなたも。
というわけで、3rdも4thもボーカル再録して素晴らしくなったぞ。
5th、6thすげーハードル高くなったぞ。
がんばろーね。もう少し。
ps.写真は「深海」の三笠市立博物館の駐車場にて。
これでやっとこの時の光を思い出せるようになりました。
ps.昨日は6th録音前の最後の練習でした。
みんな自信満々でした。俺も自信満々です。
こうご期待。
無名だけど、いいバンド。
心の奥底では、それでもよい、とも思っているんだが、それにしてもこれでは無名過ぎる。
普段、一人でお参りなんてしないが、家族との付き合い等で、どうしても神社でお参りしなくてはいけない時は、色々な存続が危ぶまれてきた2017年以降は「完成後、即、即死しても構いませんので、6枚のアルバムだけはどうか、無事に。」と拝んでいた。
5/31に1st「僕を殺せるのは僕だけさ」を配信したあたりから、色々な不安と期待(37才になったが、まだ人生に慣れない。なんでも大騒ぎしてしまう)でおかしくなりそうでしたが「6thアルバムを発表するまでは、癇癪を起こさずに、何も破壊せず生きよう。絶対に。」と、配信した曲の再生回数の少なさを目にする度に、全て捨てて家出したい気持ちを抑え、こらえろこらえろ、と自分に言い聞かせてきましたが、一昨日、少し癇癪?を起こしてしまった。
以下、癇癪写真日記です。
6/30に2nd「愛してるよ」を配信しましたが、ひどい再生回数だった。
才能がなかったんだろう。
ここ数年ほとんど歌が出来ない(新曲至上主義者を軽蔑しているので、むしろ良い事だとすら思っている)が、今回の心の乱れ様に、さすがに心の方でもこのままではマズいと感じたのか、新しい歌が出来てしまった。
(「出来てしまった」というのは本当に実感で、レテパでアルバムを残す事の大変さが身に沁みているので、これ以上新曲が入る余裕は無いよ、という思いが根底にあるのだと思う。あまり理解されないかもしれないが。)
6th「アコースティック」の録音はもうすぐだし(来週)この歌のアレンジをする余裕はバンドには無い。
が、発表するなら、今じゃなきゃ意味のない内容だし、一人弾き語りではどうしても再現できない箇所があり、どうしようかと悩む。
で、思い切って人生初めての「一人宅録多重録音」にチャレンジしてみる事にした。
義理の弟に貰ったアイフォンで「多重録音DubDub」というアプリをダウンロードしてみる。
「アイフォンのボイスメモで録音したものをただ重ねられる」という原始的で初心者にはうってつけのシンプルさ。
それなら俺でも出来る。
(「ガレージバンド」というのも見てみたが、複雑そうだったし「ギターとアンプ」の絵が嘘つきっぽかったのでやめた。)
まず、いつも通り、ガットギターで弾き語り。
そして、ユキコのキーボードを借りてピアノの音を入れてみるか、と思ったが、ユキコのキーボードは高野君が別バンドのレコーディングで使いたいと言うので、貸してしまっていて無かった。
が、今すぐ録りたかったので、引っ越しの時に納戸にぶち込まれていた、キーボードみたいなのを探す。
開けてびっくり。
これは俺が大ファンのツナオジェットボーイが使用していたやつと同じやつだ。
奇跡だ。彼は天使が舞い降りるような爆音をこのキーボードで出していた。
良い予感がする。(ちなみに鍵盤を弾くのは小学校5年生以来だ、でもなぜかこの日は弾ける気がした)
早速音を出してみる。
が、この表示の音から音が変わらない。
持ち主のユキコはまだまだ帰らない。(俺は専業主夫だ。ああそうだよ。クズだよ。知ってるよ。)
が、今すぐ録りたい。ので、そのままの音でとりあえず録音してみる。
何も考えず、先程の弾き語り音源に合わせて弾いてみた。
天才なんじゃないか?(多分皆さん初めての宅録ではそう思うのでしょう)と思えるような演奏ができた。
一発OK!
この表示なんて読むんだろう?
「コイオチルT」?恋に落ちる、どんなTシャツだ?乳首でも透けてんのか?なんかいいね。
で、メンバーに聞かせてみたら、みんな褒めてくれたので、シングルとして配信することにした。
この歌は「僕のレテパシーズ」名義で出すのが意義があると思いましたので、俺一人の録音ですが、レテパ名義です。
高野君は「素晴らしいけど、レテパ名義だと、今のレテパの感じがこういう感じだと勘違いされないかな?」と少し心配してた。
ので、書いておきますが、5thも6thもレテパ過ぎる程レテパなのでご安心を。
こういうのは今回だけ。最初で最後の一人多重録音だ。
今だに「一人で多重録音するなんて、パンクじゃねえんだよ。地獄に堕ちるぞ。」と、理由なき反抗期ですので。
すぐに聞いてほしいけど、配信は色々と手続きがあるので、8/6に配信されます。
まずは7/31の3rd「永遠に、たまに」をお楽しみに。
そして、この「永遠に、たまに」に関して、報告しなくてはいけない事があります。
それはまた次回。