さあいよいよあと2日。
今日はライブとしては3/21がラストとなるハダユキコについて懐かし写真と共に振り返ってみましょう。
彼女がレテパシーズに入ったのは2014年の秋田ハイコーフェスからだったと思います。
(この時は多分サポートだったはず)
その後、はなえもんと共に正式加入。
最初のアー写。
(なんでこんな写真なんだろう。つーかこの頃はこういう時にいつもケンカになってたから、この時もケンカ後でみんな機嫌が悪かった気がする)
どこだろう?
1stアルバム「僕を殺せるのは僕だけさ」の録音時の屋上かな?
実は1st録音後すぐに2ndを録音してた。
が、寺中四の脱退、飯田裕の加入、によりバンドが一変したので、お蔵入りとなった。
写真は恐らく幻の2nd収録「地下室の外は」でのハダユキコボーカル録音時。
「愛してるよ」は飯田裕が不器用ながらもバンド活動のイロハを知っていたので、今までで1番派手に宣伝した。
購入特典もタワレコ、HMV、ヴィレヴァン、その他、によって違い、カバーCD+何かしらおまけを付けていた。
写真ははなえもん画伯による「ユキコステッカー」
ちなみにカバーCDは「即死(ハイロウズ)」「赤いタンバリン(ブランキー)」「クズんなってGO(ピーズ)」「インマイライフ(ビートルズ。歌詞は俺が変えたやつ)」があった。
「愛してるよ」ツアーの京都か。
このあたりはトラブルが多く、ハダユキコ脱退の話はちょいちょい出ていたと思う。
(この時はツアー先の対バンがくだらないバンドで、今より神経質だった俺は「こんなイベントに呼ばれるなんて誰も俺の歌の良さを分かってないじゃん!」と大騒ぎの大絶望して、最終的にはみんなの車に乗るのも嫌になり、朝一番の新幹線で一人で帰ったら途中で広場恐怖症になり、散々な目にあった記憶があります。
4人になった時のアー写。
どこかしらみんな寂しそう。(はなえもん作)
2017年、4人体制のこの時期は、俺の第一次断酒治療期とも重なり、暗くてつらい時期だった。
アルバムでいうと3rd「永遠に、たまに」の頃。
2018年10月秋田ハイコーフェスの帰りの写真。
このハイコーからユキコは復帰した。
この頃は毎年呼んでくれていたハイコーフェスだけが心の支えだった。
心の支えというより「レテパを続ける」ために「死なない」といった大切な約束をしていた感覚だった。
そしてこのメンバーで4th「ブルースマン」の録音に向かうも、録音途中で俺が限界をむかえ、エンジニアもサジを投げてしまい、2019年2月7日より再治療に入った。
そして2019年〜2020年の5th「レテパシー」6th「アコースティック」制作が始まりました。
6th「アコースティック」収録「夕立が降ってる」MV撮影時。
♫観覧車が手を振る〜の岩見沢三井グリーンランドの観覧車の前で。
6thのジャケ写や「月形」のMV撮影で月形町に行った時の写真。
当時のメンバーの高野京介、タカユキカトー、関口萌、は予定が合わなくて行けず、ひろしマンガでもお馴染みのスタッフそのださんが写っています。
MV「月形」でもこの3人が映っていて、ハードコア3ピースバンドみたいで面白かった。
そして無事6枚完成。
結局ユキコは3rd「永遠に、たまに」以外は参加している。
今度の8thが無事に出来たら、俺8枚、ユキコ7枚、関口萌5枚、が参加枚数ベスト3です。
写真は「どのアルバムのどの歌が好きですか?」と聞かれ「アコースティックの調布飛行場」と渋い回答をした時の写真。
2021年4月。現メンバー。
つーか、いつも実家屋上で撮影してますね。
7th「クレイなジー」ミックス時。
ほんとここまでよく頑張ってくれました。
というわけで「さようならハダユキコ」特集でした。
今まで本当にありがとう。
レテパシーズは君のおかげで良いことも悪いこともたくさんあったが、一緒にバンドやれてよかったな、と思っていますよ。
前の脱退はみんなにとって100%悲しい出来事だったけど、今回のは悲しくも嬉しくもないね。
今回のは季節が巡るのと同じでとっても自然な出来事に思えます。
このバンドがついに季節と同じレベルの自然になれたのは、いつでも頑張ってくれていたユキちゃんのおかげです。
お疲れ様でした。
自分のピアノ教室を持つ夢、きっと叶えてね。
で、素敵なピアニストを育成して、いつかレテパシーズに加入させてくれ。
何十年でも待ってます。よろしく。