1月6日(水) 続、登戸のこと(平井さんとの思い出)

昨日はちょっと平井さんの事を書きましたが、当時の事を思い出したので、もう少し書いてみます。
その頃、高田渡さんが亡くなりました。
で、平井さんの家に遊びに行くと「今度、高田渡のトリビュートアルバムに「自転車にのって」で参加することになった」と言います。
俺は「うちの父親は月形町の北喜常というお店で高田渡のライブで酔っ払い過ぎて帰れなくなったから高田渡の車に乗せてもらって家まで送って貰ったんだ。俺は小さい頃から高田渡を聞いて育ったんだ。トンネルの唄が大好きなんだ。俺もトンネルの唄で参加したい。参加しないのはおかしいと思う。」とワガママを言うと、「じゃあ、社長に掛け合ってみよう」とレコード会社へ連れて行ってくれました。(断られましたが)
昨日は単純でいい男と書きましたが、純粋ないい男ですね。訂正致します。

歌いだした頃、友部正人、シバ、豊田勇造、高田渡、友川かずき、遠藤ミチロウ、三上寛、AZUMI、浅川マキ、どんと、板橋文夫、と弾き語りやソリストの人達に強く影響を受けていました。
ので「いずれそのあたりの人達から歓迎されて、日本中をツアーして歌い歩く人生になるのだろう」と思っていました。
が、全然違う人生になりました。

あと、平井さんの引っ越しを手伝った時に、マーガレットズロースの3rd「こんな日を待っていたんだ」のジャケの原画を見せてくれて「この絵は本当はこんな色だったんだよ。印刷したら感じが変わっちゃって」と残念そうに言っていたのを、強く覚えています。
本当に印象が180度変わるくらい、明るみが違っていたのを思い出したら、いまだに少し俺まで悲しい気持ちになります。
絵を描いたり、歌ったり、一番単純で純粋な事が、機械や作業を通した時に違ってしまうのは、本当に悔しいことです。
あの時の平井さんの絵の事を、俺はなにか入稿するたびに毎回思い出してしまいます。