吉祥寺からの帰り道だった記憶があるから「愛してるよ」「クレイなジー」「エンデンジャードスピーシーズ」のどれかの時だろう。
今は無き吉祥寺GOKでの録音の帰り道、車中で俺が次のアルバムの構想をノリノリで話し出したら、運転していたハダユキコが「やめてよ!せっかく録音終わったのに!その帰り道に次の話をするなんて。今は完成の余韻に浸ってお祝いしようよ!」と怒り出したのを覚えている。
昔から、ライブの打ち上げとかも好きでは無く、ほとんど参加した事が無い。
何かが終わった瞬間には、次の事を考えてしまうから、余韻に浸るという感覚が分からない。
そんなバンドマン人生だったのですが、今珍しく余韻に浸っていて、ああ終わったなあ、という気分です。
誤解を恐れずに書くと、自分の選ぶ行動のコマンドをドラクエ風(「戦う」「逃げる」とか、そういうやつね)で考えた時に、珍しく「終わる」というコマンドが出現しています。
それはレテパシーズが終わるという意味です。
もちろん、そのコマンドを選んだりはしないんだけど、普段はコマンドにすら無い「終わる」というやつが、今は出現しています。
でもこれは悲しい話では無いのです。
むしろ嬉しい話をしようとしています。
今、珍しく打ち上げしたい気分。
ここ数日はそんな、終わったなあ、という余韻の中で暮らしています。
先日、海辺に住む友人夫婦の家に泊まりました。
家の目の前は、大根畑やキャベツ畑で崖の向こうには海と富士山。
俺一人、随分と早起きしてしまったので、朝の空気の中を散歩してみました。
30分くらい歩いていたら、大根農家の人達も働き始めて、スポンスポンと大根(立派な三浦大根)を抜いて、木製で可愛い手押しの荷台にキレイに並べていきます。
そんな光景を眺めていたら、いきなり歌が出来始めました。
急いで、友人宅に戻りました。
ペンも紙も持たずに家を出てしまっていたので。
友人はギタリストなので、リビングの壁には様々な種類のギターがかけられています。
俺は「最後の歌は、やはりガットでしょう。」と一人呟き、古いYAMAHAのクラシックギターを手に取りました。
歌い出した頃からずっと、弾き語りはクラシックギターでやっていたので、一番愛着があるのです。
豪華な別荘用の建物を自宅にしている友人の家には、大きなテラスがあるので、そこへ出て、小さな声で歌を作り始めました。
初めましてのギターを弾く時には、まずボディーに耳を直接当てて弾いてみます。
そうすると、ちゃんと挨拶した感じになって、どんなギターでも不思議と自分の好きな音が出るようになるのです。
その日も恒例の初めましての挨拶を済ませて、朝の雲と鳥達を眺めながら、最後の歌を作りました。
1時間くらいやっていたのかな?
気が付いたら、友人も起きていたようだったので、彼に「すまないが、3分だけスマホ貸して。歌が出来てしまったから録音したいのよ。俺、ガラケーだから録音出来ないんだ。」とお願いして、録音しました。
まだ寝ている人もいたので、小さな音と声で録音しましたが、海鳥達の鳴き声が入った素敵な録音になりました。
このレテパシー通信の熱心な読者の方なら、過去に書いていたのでお気付きでしょう。
そう、12thアルバム用の10曲目、最後の歌が出来たのです。
もし、この後1曲でも出来てしまうと、13thアルバムが始まってしまいます。
でも、今は完全なる終わり。
なんという達成感。燃え尽きた気分。
打ち上げしたい気持ちが分かる。
人生初めての余韻の感覚。
こう書いてみると、自分の本質はプレイするミュージシャンというよりは、やはりソングライター、作家寄りなのでしょう。
ライブや録音終了、アルバム完成、では達成感を感じないが「12thアルバム用の10曲の作曲が終わった」という事にはこんなにも達成感、そして「終わり」を感じるのです。(まだアレンジも録音もしてないのに)
しかも、12thまでの120曲に文章を書いて「僕のレテパシーズに捧ぐ」という本にする、という夢もあるので、なおさら強く、区切りや終わりを120曲目に感じています。
またどーせ、いつものように13thアルバムが始まるのかも知れないけどさ。
こんな「終わり感」は一生に一度あるかないかだろうから、少しだけのんびり余韻に浸らせておくれ。
最後の歌は「楽しかったから」というタイトルです。
「自分はこんな歌を作れるようになったのかあ。愛おしいぜ自分。」とたまに思う事があるのですが、今回は今までで一番強く思ったかも。
君と見た、あの光景達のおかげだね。ありがとう。
最後にこんな歌が出来て幸せだ。愛してるよ。
ああ、終わったー!バンザイ。
2025年3月4日
古宮大志
PS.ちなみに、、
↓
「自分はこんな歌を作れるようになったのかあ。愛おしいぜ自分。」とたまに思う事があるのですが、、
↑
と書きましたが、今までで印象に残っているそういう歌は、、
「夕立が降ってる」(2000年作曲)
「愛は風景」(2009年作曲)
「夜に名前を」(2011年作曲)
「17」(2014年作曲)
「青春」(2020年作曲)
「僕ら」(2021年作曲)
とか、ですね。
でも今回の「楽しかったから」は特に強く思いました。
ちなみに12thアルバムのタイトルは、だいぶ前に思いついてもう決めていました。
でも、この歌が出来てしまった今は「最後のアルバム」というのが相応しい気がしていて、ここ数日は「最後のアルバム」と勝手に俺は呼んでいます。
PS.レテパシー通信ビギナーの人の為に現状を書いておくと、、
現在バンドメンバーとアレンジしてるのは11thアルバムです。
2025年中のリリースを目指しています。
ちなみに10thアルバム「夏のアルバム」のレコ発ライブはまだ開催していません。
リリースが昨年の初冬だったので、レコ発ライブは今年の夏に開催しようかな!夏のアルバムだし!と作戦立てています。
そして12thアルバム「最後のアルバム」(仮)は2026年のリリースだろうね。
100枚限定で販売している11thアルバム用古宮大志宅録デモCD (11th録音資金調達が目的)もおかげさまで少なくなってきました。
買ってくれた人も、買いたいけど金無いなあ、の人もありがとう。
12thアルバムの時にも、もし同じようにデモを販売したら「楽しかったから」に入っている海鳥の声を聞いて微笑んで下さいね。
作曲したテラスからの光景。
PS.先日はライブでした。
パッションレコードのゲンキ君、呼んでくれてありがとう。
前回のレテパシー通信にも書いたけど、俺の好きな突き抜けるような光景や思い出とレテパシーズのライブは似ているなあ、あ!そういう事か!なんて思っていた時だったので、さっさとそれを確認出来て良かった。
やはりレテパシーズがやっているのは音楽では無い。
ただあの光景を体現して光景になっているだけなのさ。
11thアルバム収録の「おるたな」は最近歌ってて一番興奮する歌です。
興奮しながらも遠くまで見える、あの愛おしい感覚です。
「おるたな」
古い音がする さびた鉄弦で
もう一度チューニングを合わし
希望にふれるんだ
おるたな おるたな
全ての方角へ
おるたな「そうだな」「ああ」
ぶっ飛ばしていく
白樺の緑 さらさらと揺れる
一番のお気に入りの季節
葉の光 走る風
おるたな おるたな
全ての方角へ
おるたな「そうだな」「ああ」
ぶっ飛ばしていく
(2023年2月12日作曲)