第6回レテパシーロックフェスティバル、目撃してくれた皆さん、目撃したかったけど来れなかった皆さん、たくさんのレテパシーをありがとう。
共演してくれた「NEW NEZUMI PARADISE」も本当にありがとう。
おかげさまで俺も心置きなくニューパラダイスに行ける気がしてます。
ライブ中にボーカルの西宮灰鼠が話していたが、2005年頃に俺達は初めて対バンした。
あの頃の高円寺、無力無善寺やペンギンハウス、俺はとても苦手だった。(その後10年間高円寺に住む事になるが、それはユキコの実家が高円寺だったから)
歌っても話しても手応えのないあの感覚、最近ライブハウスで感じる「意志のある黙殺」とも違う、手応えのないあの感覚。
でも20年経って今、やっと理解出来る。
たくさんの経験をしてきたからな。
俺は今、42年間で一番優しくて厳しくて、まるで野生動物みたいな感じだよ。(しかも、元ペットが脱走したパターンで両方知ってる最強状態)
なんか、トラウマですらあったんだよね、あの頃の高円寺のライブハウスのあの感じ。
でも、今は喜怒哀楽、嘘も本当も丸見え、ねずみ君の人間がちゃんと見えてます。
ブルースはまだまだこれからよ。
お互い素敵なブルースマンを目指しましょう。
俺はがんばるぞ。
ライブ前に「素直全出し作戦」とか言ってごちゃごちゃしちゃったけど、そこに書いた通り今後は、ライブ情報、リリース情報、各メディア情報、なんかはレテパtwitterで告知してもらおうと思ってます。
でも、素直に全出ししたら、予約たくさん増えて嬉しかったよ。
ありがとう。いつも極端でごめんね。
昨日「ハイコーフェス2025」の予約も始まりましたね。
ハイコーフェスについてはまた今度書きます。
一つだけ言えるのは、ハイコーフェス主宰の進藤さんから「今年、6年振りにハイコーフェスやります。これで最後にします。」とオファーの連絡が来た時に「やったー!嬉しいな!ワクワク!」という感情では決して無かったという事。
悲壮感の上で大好きな恋人と最後だと思いながらキスする感じかな。
まあ、そんなフェスティバルです。ハイコーフェスはいつも。
楽しいって感じじゃないんだよな。
でも、今のレテパシーズなら、あの頃とは違う場所まで行けるかも知れません。
きっと行けると信じて、あの頃出来なかったような凄いライブをやりたいです。
皆さんも信じて目撃してね。
2018年で最後だと言っていたが、今年またやるという事は、あの時何かが足りなかったんだ。
絶対に今年で終わらせます。
今のレテパシーズなら、きっと終わらせられるはず。
2025年7月2日
古宮大志
PS.第6回レテパシーロックフェスティバルのセットリストはこんな感じでした。
1.the world is mine
2.愛してる
3.さよならの合図
4.SAIL AWAY
5.若いバンド
6.真鶴漁港
7.岩見沢デパート変遷史
8.ホンダ
9.おるたな
10.青春
11.クレイなジー
12.ハローグッバイファックユー
13.海へ行こうよ
14.空知
15.才能がなかったんだろ
16.まだもう
17.夏のアルバム
1曲目から9曲目は11thアルバム収録の歌達。
おかげさまでレコーディング真っ最中です。
絶対に今年中にはリリースしたい。
12月かなあ、と考えてます。
レテパフェスの最中にも話した気がするが(いや話してないかも?)札幌に住んでいた2001年〜2004年頃までの間は毎年「ライジングサンロックフェスティバル」を見に行ってました。
俺は踊るのが好きなので、何かのバンドを見ながら独創的なダンスを踊っていたら、それがスカパーで割と長時間生中継されたそうで、後日札幌で知らない女の人から「スカパーで踊ってた人ですよね?」と話しかけられた事もありました。
19才〜22才頃の事、レテパの歌で言うと「空知」「ミツバチ」「SFマンボ」「札幌ナンバーの最後」「東区が恋しくて」「雪包丁」「そしてトンキーは死んだ」「水平線」あたりです。
仲の良かったヌルマユというバンドの永井君の、今でも忘れられないとても危険な運転で、会場の石狩から札幌へ帰る時「あーあ、俺もライジングサンに出てーな。あの大きなステージで空知とか歌いたいな。」なんて思ったのを覚えています。
今は「ホンダ」という歌をライジングサンで歌いたい。
会場のすぐそばの海でホンダさんとドライブした思い出を歌った歌なのです。
あの最終コンビニ、まだあるのかなあ。
「ホンダ」
君の車に乗り
沈みだした夕日を追う
石狩 最終コンビニで
風強い日に
カップ麺にお湯入れて
のびないように急いで
3分以内に海へ
夕日と砂の混じった
カップ麺で大笑い
風が強くて世界は
夕日だけが動かずに
夕日だけが動かずに
PS.そういえば先日の「素直全出し作戦」をレテパtwitterに載せてもらった時に、スタッフのソノダ氏と「うーん、文章だけだと暗いかなあ?写真も付けちゃおうかな!」なんて言って、先日の空知小旅行写真から1枚付けてもらいました。
この写真です。
これ、故郷月形町の皆楽公園のサイクリングコースのスタート地点なんです。
ちなみに月形小学校のマラソン大会のスタート地点もここでした。
しゃがんで遠くを眺めていたら「まだまだ歌いたい事がありそうだな。いや、もしかしたら一生歌うのかもな。このブルースを。あーあ、ブルースがまだあるなあ。」なんて思いました。
今年の2月に死んだ柿生のばあちゃん(小田急線柿生駅に住んでいた母方の祖母)がちょうどマラソン大会の前日に遊びに来た事があったのですが、俺はあまりにも「おだって」しまい、発狂状態でマラソンの練習をなぜか家の中で延々と行っていて「この子は気が狂ってるのかも知れない。」と祖母が本気で思った、という古宮家では有名なエピソードがあります。
この祖母がまだギリギリ元気だった頃に「あ、ばあちゃん。昔高校生の頃、俺がここに泊まってた時にずっと聞いてた友部さんって人と今度ライブするよ。」と言ったら「まあ、落ち着いておやんなさい。」とベッドに横たわり目を瞑ったまま言っていた。
あれがまともな最後の会話だったと思う。
祖母は頭の回転の速い人だったから、俺もついつい本気のスピードで話してしまうので、大人になっても「おだってる」危なっかしい孫に見えていたのだろう。
あれ?なんで柿生のばあちゃんの話してるんだっけ?
まあいいか、読んでくれてありがと!
「レテパシー通信」これからはもう少しちょいちょい書いていこうと思っています。
何もかもよろしく。