今年2回目のレテパNEWS。
「今年は月に2回は書くぞ!」と目標を立ててたので、ギリギリセーフ。
前回のNEWSの最後は「ベストライブ後半戦の映像が公開されますよ」でした。
まずはそれから。
ご覧になりました?
自分ではベストライブだなあ、と思っています。集大成。
そういえば最近「ライブに良いも悪いも無い。良いライブっていう概念が分からない」という話を友人から聞きました。
俺はめんどくさいし長くなるので「良いライブ」という言葉で片付けていますが、少し丁寧に書くと「純度が高い、純粋な現象」これに尽きると思っています。
それが、上手い演奏で起きる人もいれば、下手で緊張して手が震えてチューニングもままならない状態、で起きる人もいるでしょう。
それは人それぞれ。純粋ならなんでもいい。
この世には美しい瞬間がいっぱいあるのに、わざわざそこを選び、決められた時間に行って、金まで払って見るべきものは、人間の純粋のみでしょう。
歌が上手いなんてものは、足が速い、とか、ポコチンがデカい、とかと同類の話。(まあ、歌が上手い方が純度が高くなる性格の人はもちろんそれで良いんですけどね)
アンコール映像も公開されました。
前に書いたので、長くは書きませんが、この友部正人さんの「小さな町で」の中にずっといた日々がありました。
友部さんもこれを聞いてこの歌の素晴らしさを思い出したのか?最近のライブではちょくちょく歌っているようですよ。
確かに今まで何回もライブを見に行ったが、この歌を歌っているところは見たことがありませんでした。
何だか嬉しいね。イエイ。
2000年、18才。
机の中にはSONYの銀のウォークマン。
ブレザーの袖にイヤホンを通し、バレないように手のひらを耳に。
授業中、この歌をずっと繰り返し聞いていた。
そして授業が終わり、休み時間になっても。帰り道にも。
あれから23年。
あの頃の自分に歌っていたと思います。
一日中外せなかった、あの18才のイヤホンに向かって。
きっと届いたと思うなあ。
大丈夫。大丈夫。がんばりたまえ。
ベストライブ関連はこんな感じです。
この映像を見て感動した人は2024.3.10空けておいて下さいね。
「第3回レテパシーロックフェスティバル」です。
ベストライブ更新なるか。乞うご期待。
詳細はもう少しお待ちを。
夜公演です。多分18時?19時?くらいから。
前回のNEWS以降に起こった事を日記風に書いてみようかな。
なんか、色々あった気がする。
が、日付が不明(というか調べるのが面倒)なのでそこはご愛嬌。
1/○
正月が明けて、免許更新期日最終日に都庁の免許センターへ。
すごく混んでいたせいか、いつも繰り広げられる「前髪戦争」が起きなかった。
「前髪を横にズラしてくださーい。おでこ出してくださーい。」
「はーい。」
「では撮りまーす。」
※ここで無意識に髪を戻してしまう。というか多分髪が勝手に戻ってしまう。天パだから?
「ああ、ダメです。もう一度おでこ出してくださーい。」
「はーい。」
毎回これを何度も繰り返し、最終的にはおでこを出す係の人まで出現して、2人がかりで撮影する。
そして、なんか謎の髪型になり、自分じゃない人みたいな写真になる。
証明写真の意味無いじゃんね?
それが今年はなぜか何にも言われずに、普通の状態で撮影してくれた。
出来た免許を家族に見せると「なんか、良い顔だなあ。重みが出てきたね。いいぞ。」と褒められた。
確かに前回は断酒して数ヶ月でまだ不安げな顔だったし、その前はベロンベロンでしかも「前髪戦争」がツボに入ってしまい、イカレた感じの笑顔で写っていた。(基本笑顔はNGらしいが、多分彼らも「おでこ出てるかチェック」に集中しすぎて、笑顔をスルーしてしまったのだろう)
重みが出てきたのか。いいね。
1/○
好きなバンドが解散すると知る。(発表されて無いと思うので、名前非公開)
悲しい。
1/○
次の日、街を歩いていたら家族から「SEAPOOL解散するんだって。」と知らされる。
前日とは違い、こっちは活動休止していたし、予感はしていたが、悲しい。悔しい。
エンデンジャードスピーシーズという歌はSEAPOOLの「Low pop baby」という歌を繰り返し聞いていたら出来た歌でした。
エンデンジャードスピーシーズというのは絶滅危惧種という意味です。
いきなりそんな話を聞かされて、急に街がよそよそしく見えてくる。
全部がバラバラなあの感じ。
そのせいか、街を歩きながら家族と喧嘩をする。
金の事で根本的な話にもなり、つーか、人の解散に動揺する前に、自分のバンドが一番危ういんじゃないか?なんて思ったりもする。
誤解無いように書くが、家族はすごく協力的で、子供にかかる金銭は一切俺に請求して来ない。
でも、折半の約束の光熱費とかそういうのすら払えていない。
なので、悪いのは自分。
1/○
二日連続で好きなバンドの解散の話を聞いて、しかも自分の置かれている状況を改めて知り、疲れた。
と思っていたら、高熱。
昔から知恵熱が出るタイプだが、なんか変。
病院に行くと「ヨーレンキン」との事。
薬を飲めばすぐに消えるが、薬を飲まない限りずっと保菌しているらしい。
保菌した状態で強いストレスとかを感じ免疫力が落ちると発熱するらしい。
「ああ、だからここ半年くらい悲しい事があると熱が出てたんですね。ストレスで。なんか変だなあと思ってたんですよ。」と医者に伝えると面白いお医者さんなので「そうです。ストレスで免疫力は大きく落ちます。でもこの薬を飲めばもう悲しくても大丈夫。」と仰った。
1/○
ヨーレイキンも消滅したので、少し元気になる。
好きな2つのバンドの解散話で飛び火して自分のピンチも露呈したので、まずは自分の心配をしてみよう、と思い、2023年のバンドの収入と支出を調べてみる。
正月に見た「お客さんを喜ばせるのが大好きなお人好しのラーメン屋。美味しいのに何故か赤字。なので一流ビジネスマンがリサーチしてみると、ラーメン一杯売り上げるごとに50円の赤字。なんと原価を超えていた」というテレビを見て「なんて間抜けなお人好しなんだ!」と呆れていたが、自分も同じ状況な事に気付く。
自分は歌を作り歌を歌う事以外は向いていないんだ!と今更ながら気付き、他人の意見を聞いてみようと思い立つ。
1/○
PASSiON RECORDSのゲンキ君とレーベルに所属しているピーナッズのみんながうちに飲みに来てくれる。
レテパのメンバーも来れる人は集まって、いざ作戦会議。
ゲンキ君とちゃんと話すのは初めてだったが、さすが同世代。
同じ道を歩み、同じ失敗を繰り広げているので嬉しくて笑っちゃった。
ああ、俺はそんなに狂ってないじゃないか。
自分の考えを話してみたが、気狂い扱いせずに賛同してくれた。
色々助言をもらう。やる気が出てくる。
自分の長所短所がハッキリと見えてきたな。
これからは向いてることだけをやろう。
向いてないことは人に任せよう。
人を信じる、というやつだな。これが。
1/○
THEこうがんずのキダ君がうちに飲みに来る。
初めて飲んだが、繊細で痛快な男。
でも、こうがんっていうのは繊細で痛快だもんね。
バンド名を体現しているね。
カブで駅まで迎えに行って、後ろに乗せる時「あ!モヒカンの人はヘルメット被れないのでは?」と気付いて聞いてみたが「大丈夫です。」との事なので、ヘルメット被ってもらったが、家に着いたらモヒカンがへし折れていた。台風の後みたいに。
そして終電で帰るまでモヒカンはへし折れたままでした。
録音しておけばよかった!と思うくらいに詳しく5時間もかけて彼の半生を聞いた。
不器用だなあ。純粋だなあ。さすがTHEこうがんず。
1/○
歌が出来た。「春の花」という歌。
好きな花は?と問われれば「エゾエンゴサク、フクジュソウ、ヤチブキ、カタクリ、ニリンソウ」という感じで故郷の春の花の名をあげると思う。
この歌、珍しく夜に出来たな。
断酒後の歌は全部朝に出来たのに。
53曲中この歌だけ夜作曲。
なぜだろう。不思議。
1/○
次の日、昼の12時頃に飼い猫の5月(ゴガツ)が癲癇を起こす。
この猫は色々障害があって、癲癇も起こすし、ジャンプも出来ない、本能に忠実でストーブに近づき過ぎてヒゲは焼けるし、餌が無いと俺を食べに来る(甘噛みじゃなく、怒るでもなく、キャットフードを食べるテンションで俺の足や手を食べ始める)日光で熱くなったベランダに置いてみると、肉球が熱くて痛いのを攻撃されたと思いこみウーウー唸り声をあげて空気と闘いだす。
しかも運動神経壊滅なので変な動きで。
そんな5月の癲癇はいつもは5分くらいで収まるのだが、この日は収まらない。
噂には聞いていたが、来るべき時が来たか、と覚悟を決めて抱っこしながら見守る。
1時間、2時間、もうずっと。
この猫とは不思議な出会いだった。
2011年の5月。俺は京王線の稲田堤に住んでいた。
友人のライブを見に行ったが、退屈なイベントで調子を崩し、珍しく稲田堤を乗り過ごして終点若葉台で降ろされた。
終電だったので、歩いて帰る。2時間くらい。
川沿いの道には田んぼがたくさんあったみたいで、カエルの合唱が聞こえてくる。
なんだかいい道だな、明日はバイトも無いし散歩してみようかな、と思いながらフラフラと帰宅。
次の日同じ道を散歩してみると、高架下の変電所の鉄条網の周りに人だかりが。
「どうしたんですか?」と聞いてみると「この中に子猫が迷い込んでて、今この大学生の兄さんが金網を登って助けようとしてるんだよ。」との事。
見守りたい気もしたが、もしも「この猫飼える人いませんか?」という流れになると手を挙げてしまう気がしたので、そのまま通り過ぎて昨夜の田んぼ道を散歩した。(その頃のアパートはペット禁止の狭いアパートなうえ、もうすでに猫がいたので)
1時間くらい歩いて同じ道を帰ってくると、変電所の前には人間が3人。
なんか、不思議な感じの老人3人がコンビニのビニール袋を持って立っていた。
妙に変な気がしたので「何してるんですか?」と聞いてみるとビニール袋を指さして「子猫を保護したから保健所の車を待っているのよ。」と言う。
これは殺されるな、と思ったので咄嗟に「あ、これうちの猫だわ。見つけてくれてありがとう。」と言ってビニール袋を奪ってしまった。
家に帰り袋の中を見てみると、産まれてから一度も毛づくろいをしていなかったのだろう、毛が大きく何箇所かに固まってしまってドラゴンボールの悟空みたいな髪型の子猫が出てきた。
でも、顔は病的なほど(実際病気だったんだが)異常に可愛いメスの猫だった。
5月だったので5月という名前にした。
そんな出会いから13年。ついにこの日がやって来た。
もう7時間が経った。
俺は迷ったが「今日はレコーディング前の大切なスタジオだからやはり行くよ。」と痙攣を続ける5月に伝えスタジオへ。
4時間後、帰ってくると、まだ生きていて、痙攣を続けていた。
抱っこすると、爪が自分の体に刺さっていて、もう顔も限界を超えていた。
覚悟を決めるしかないな、と思い「もう首を絞めてあげるしかないよなあ。でも首絞めた後にご飯食べれないと思うから、ご飯食べてから楽にしてやるよ。」と伝え、食事をした。
食事をしている最中、5月の声が変化して、唸り声から泣いているような声になったのを聞いた。
食事が終わり、抱っこする。
彼女の性格は分かっているので、もう覚悟を決めて「あと5分抱っこしたら楽にしてやる。」と言って痙攣する5月を抱きしめる。
すると、さすがなんだよね、この猫は。
まだ首を絞めてないのに、首を絞められたような声を一声あげると、水を少し吐いて、そのまま死んでしまった。
俺に気を使ってくれたんだな。
首なんか絞めさすのは悪いと思ったのだろう。
寒い季節だし、1日くらい大丈夫だろうと思い、次の日は部屋の日向に置いてあげて、過ごした。
その次の日、庭に大きな穴を掘って埋めた。
埋めてから気付いたが、偶然ツツジの横に埋めていた。
ツツジは5月に咲くからな。
きっと今年のツツジは5月の毛の色みたいな白黒茶色の花の色でしょう。
そんな怪奇現象も普通に起こすような、不思議で素敵な猫だった。
1/○
横浜野毛のドルフィーへライブを見に行く。
友部正人、板橋文夫。
板橋さんのライブを初めて見たのは小学校2年生の時。
母親に連れられて、岩見沢の西友の中にあるホールで見た。
ライブの内容は覚えていないが「わあ、西友の中にはこんな場所があったのか!」と、いつもの西友に意外な一面があった事に驚いた事だけを覚えている。
その後、1999年には自分の意思でライブを見に行った。
そのライブにはかなり影響を受けたと思う。
友部さんを初めて見たのはその次の年なので、実は板橋さんの方を先に知っていた事になる。
そんな2人の共演を見るのは2回目。
とても素晴らしいライブでした。
最近の友部さんのライブが特に素晴らしいのは昨年から知っていたが、久し振りに見た板橋さんも素晴らしかった。
ちなみに1999年-2000年(高校2年-3年)の頃の俺の携帯用CDケース(15枚入る)には、、
友部正人/ベストセレクション
友部正人/1976
友部正人/はじめぼくはひとりだった(ライブ盤)
友部正人/読みかけの本
板橋文夫/005
板橋文夫/うちちゅーめー お月さま
AZUMI/ブルースのいいなり ロックのどれい
AZUMI/VOLUME6(1999→2000)
真島昌利/夏のぬけがら
シオン/STRANGE LIVE/1986-1988
シオン/Strange But True
豊田勇造&THE YUZO BAND/雲遊天下
どんと/一頭象 どんとスーパーベスト
シバ/帰還
光玄/ばれたら終わりや
今、思い付くままに、在りし日のラインナップを15枚挙げてみたが、友部さん、板橋さん、は必ずケースに入れていたな。
学校には教科書なんて持って行かずに、どのCDを持っていくかだけ考えていた。
1/○
注文していたSEAPOOLのレコードが届く。
聞いてたら、初めて新宿ロフトで見た時の事を思い出した。
彼女達の自主企画のはずなのに、なんかとても居心地が悪そうに見えて、演奏も辛そうな演奏に見えた。
帰り道、新宿を歩きながら「子供の頃、海で釣った魚を水道水に入れた時の苦しんでる感じ」に似ていたなあ、と思った。呼吸困難。
飼いたいのに飼えないのかあ、と思って残念だった、あのかわいい砂がれい。
「あ!バンド名となんか繋がってるなあ!」と思い、1人で絶望的にひと笑いして歌舞伎町を歩いた思い出。
1/○
ソロライブ。
中野のPURPLE DOORというバー。
レテパシーズOB飯田裕の企画「夕暮れ音楽会」というイベント。
対バンは「おれ、夕子。」こと池ちゃん。
池ちゃんとはTV.NOT JANUARYとレテパシーズで昔何度も対バンしていた。
一番顔を合わせたのはハイコーフェスでの共演。
なので、この日は少しハイコーフェスの事を思い出しながら歌った。
青春、という歌を歌っている時に一番ハイコーの事を思い出したが、感極まって?構成がぐちゃぐちゃになってしまった。
が、それがハイコーらしくていい感じだったと思う。平気じゃない感情。
もうすぐ断酒して5年が経つが、断酒後に初めて会う人とはシラフで初めて会う、という事になる。
そうすると、ほとんどの人の顔が「あれ?こんな顔だったっけ?」という感じに見える。
が、池ちゃんの顔は誤差ゼロ。
なんでだろうね。うまく言えないけれど、そこが彼の美徳の素晴らしい何かな気がする。
うまく言えないけどさ。キチンと孤独を抱えてる優しい男なんだよ。
その日の自分のセットリスト
↓
1.ハローグッバイファックユー
2.夜に名前を
3.さよならの合図
4.まだもう
5.12月1日
6.永遠に、たまに
7.ホンダ
8.青春
9.渋滞
10.夏のアルバム
11.数学と国語
12.札幌ナンバーの最後
1/○
目が覚めると布団の中で歌が出来た。
「ひだまり」という歌。
死んだ5月の歌がさっそく出来た。
帆立(2022年11月12日に死んだ)の時は「SAIL AWAY」という歌が出来たけど、5月にも出来て良かった。
これで12thの歌は4曲になった。
10th,11th,12th,順調に行進しなくちゃなあ。
昼からは、今年4度目のスタジオ。
カニ君に「板橋さんのライブ見た方がいいよ。小さな音を小さな石をぶつけて出すんじゃなくて、太陽をぶつけても小石のような音を出すんだから。そりゃあ下へ下への最終系の進化ですよ。一度見た方がいいよ。きっと今の君のテーマと同じはずだから。」と伝えたら嬉しそうに笑っていました。
1/31(本日)
庭の木を切る、という約束を半年くらい反故にしていたら、家族から「信用がなくなった」と本気で見放された。
ので、慌ててチェーンソーを用意してもらい、木を切る事に。
今、お昼の12時。
「今日、レテパNEWSを書き終わったら切るよ。」と朝に伝えた。
今から切る気分になれないけれど、本気で見放してる感じなので、切りますよ。
天気良いしね。がんばる。
ではさようなら1月&5月。
PS.せっかくなので、、
「ひだまり」
北国の人間はみんな 石油ストーブの上に
ヤカンやナベとか置かないと もったいないような気がするよ
部屋に日だまりが出来る時 いつでも君は逃さない
時間や季節が変わるたび 違う所で昼寝をしてた
君が死んだあと 日だまりに 君がいないのに気付いたよ
もったいなくて石油ストーブのヤカンの事を思い出した
さよなら白黒の5月 毛づくろいが下手だったから
ところどころ茶色くて正確には さよなら白黒茶色の5月
日だまりに君がいないので 君が死んだ事 思い出す
もったいないな むだな日だまり 今すぐ君を置きたいよ
さよなら白黒の5月 毛づくろいが下手だったから
ところどころ茶色くて正確には さよなら白黒茶色の5月
君のいない むだな日だまりは 石油ストーブに似てて
ヤカンやナベや君を置かないと もったいないような気がするよ