5月29日(日) 僕の一番好きなのは5月

もうすぐ5月も終わります。

レテパシーズの「空知」という歌の歌詞に「僕の一番好きなのは5月〜」というのがありますね。
季節としての5月が好きなのは当然なのですが(空知の人ならみんなそうでしょう)それ以外にも理由があります。
それは「5月には明るい転機が訪れる」というのが10代の頃に毎年続いたからです。
今となっては忘れてしまった転機もありますが、一番鮮明に覚えているのは高校一年生の5月31日。
札幌ファクトリーホールでハイロウズを見た時でした。
あの年齢で悪魔(ロバートジョンソンが悪魔に魂を〜とか、そういうのを全く知らない状態で見て「人間じゃないな。あ、これが悪魔なのでは!?」とちゃんと思った。ヒロトとマーシーと白井さんが悪魔に見えた)を見れたのは本当に大きな転機でした。
幼少期から人間の世界は窮屈だなあ、と大いに感じていたので。
なーんだ、人間じゃない人間もいるのか!とその後の人生の参考にしています。

東京に住んでもう18年が経ちました。
最初は花粉症じゃなかったのですが、10年位前、ホコリまみれのリサイクルショップでアルバイトをしていたら、いきなり重度の花粉症になっちゃいました。
なので、春にはずっとマスク付けてたし、やっと花粉が終わった、と思ったらすぐに梅雨が始まってしまいます。
そういう時、以前はよく「あー、なんでこんなところに住んでるんだろう。北海道に帰りたいなあ。」なんて思ったものですが、最近は全然思わなくなりました。
が、久しぶりに先日、郷愁を感じて泣きそうになったので、その話を書いてみましょう。

「アルバム制作の時期は悶々として酒飲みたくなる傾向にあるからバンドとは無関係の娯楽で気を紛らわせよう」というコンセプトの元(飲みたくなると言っても100%到達で飲んでしまうとして、普段0%なのが5%になるくらいなのでご心配なく)前作7thアルバム「クレイなジー」の時は「プロ野球を毎日観よう。ヤクルトスワローズを応援するぞ。」とシーズン終盤の9月頃から、テレビや球場で毎日応援していたら、あれよあれよと優勝してしまいました。

そして今年も球春到来で開幕した時「うーん。さすがに春から全部観てたら、もうスカウトレベルだろう。今年はやめた。」と思っていたのですが、めでたくアルバム制作も始まったので(今作は全く悶々としなかったが。今までで一番明るく作れました)去年からの習慣で何となく見始めていました。
で、先日の交流戦スワローズ対ファイターズ。

※音楽にしか興味無い人の為に一応解説↓
●ファイターズは本拠地北海道
●「交流戦」とは普段は日本シリーズ以外では戦わないセリーグパリーグが戦う試合
●3試合とも歴史に残る名ゲームだった
●俺は1試合目はテレビで、2試合目、3試合目は神宮球場で観た
●レテパベースのヤハタトシキは札幌出身

1試合目の激闘をテレビで観て、これは明日もとんでも無い事になるぞ、明日は球場に行こう。と2試合目は神宮へ。
で、あのとんでもない試合を観てヘトヘトになり、次の日はテレビでのんびり観ようと思っていたら、、、
ヤハタトシキから「俺、明日休みになったから神宮に行きたいな」との連絡が。
永遠の末っ子ヤックンからの誘いを断れるはずもなく、2日連続で球場に駆けつけたのでした。(「スーパーカブのスピード」で20分位で着くんです)

「昔セイコーマートでバイトしてた時に同僚のオジサンから貰った」というファイターズユニフォームを持参した彼の思いを無下にする事など出来ず、ビジター(ファイターズ応援席)にて観戦。
少ないがファイターズファンもちゃんと来ていて、7回の表、彼らの歌う「ファイターズ讃歌」を聞いていたら、色んな事を思い出し、ちょっと泣きそうになりました。

以下色んな事↓
●1992年(小4)祖父に連れられ神宮に行き(ヤクルト対阪神)大ファンだった阪神の新庄選手に手を振ったら笑顔で振り返してくれた事
●2004年ファイターズが札幌に本拠地を移した年に、旭川スタルヒン球場の試合を観に行った事(新庄選手も出てた。俺は試合後「電気猫」という店で歌った)
●2015年〜2018年、株主優待のタダ券をくれる友人がいたので、その頃はファンでも無かったのに、毎年神宮球場には来ていた。が、全試合全く覚えていない、、
が、今はこんなに健康になって昨日はスワローズ、今日はファイターズを元気に応援している。本当に良かったなあ!
●ここにいるファイターズファンは道民なのかなあ?みんな東京でがんばっているんだなあ

以上の事情で泣きそうになった。

試合は大終盤、アルカンタラ選手のホームランが近くに飛んできたから、絶対俺達テレビに映ったぞ!とワクワクしながら、家に帰り録画を観てみたら、、、

分かるかな?

というわけで5月も無事に終わります。
今回の転機は「こんなにたくさん他人に託せたアルバム制作は初めてだった」「自分の才能の種類が分かってきた」あたりかな。
書くと地味な転機かもしれないが、一生を左右する大きな転機になった気がします。

6月は「8thアルバムめちゃくちゃ良いし、その後の9thも多分すごいから、いつ大会場で演奏するバンドになっても大丈夫なように特訓あるのみ」というスローガンの元、張り切って練習に励みます。
新人の菊竹南も期待通り成長してくれています。(6月は先代ユキコの元に通いレッスン受けるそうです)

来月もがんばろう!

PS.小4の頃にプロ野球に興味を持ち始めたのだが「絶対に優勝しない一番弱いチームはどこ?」と周りに聞いたら「ダントツで阪神!」との事だったので、阪神ファンになった。
奇跡、ありえない出来事、が大好きな少年だったので。
その頃レギュラーに定着したばかりの、赤い手袋のスタイルの良いお兄さんが、攻守ともに個性的でカッコよくて、大ファンになったのでした。
あれからお互い色々ありましたね!BIGBOSS。

5月24日(火) 完成間近のクライマックス

8thアルバムミックス無事に終わりました。
馬場友美の素晴らしい録音&ミックスにより、ちゃんと最高傑作になったと思います。
(演奏、録音、は間違いなく最高傑作。もしこれで過去作の方が好きな人がいたら作詞作曲の問題です。まあこればかりはどうしようもないのでご勘弁を)

前作7thは「カセットで録った感触そのままに、ミックスでもういい感じだからマスタリングはやらなくていいんじゃない?」という斬新な意見によりそのまま出しました。
今作もその予定だったのですが、バンマスの関口萌、副キャプテンのカニユウヤから、やっぱりマスタリングやりたい!との意見が飛び出し、急遽マスタリングする事になりました。
俺はもうカッコいいからこのままでもいいんじゃない?と思ったが、ミックス時に萌&カニの才能をまざまざと見せつけられたので、黙って言うことを聞こうと思っています。

今回は本当に才能の差を見せつけられましたよ。
自分の分を知り、これからは黙って作詞作曲だけにいそしもう、と心に決めた39才の初夏なのでした。
(なんか2人には立体に見えてるんじゃないかな?俺には平面に見える、音が)

というわけで今日は「そろそろ入稿だからジャケを作らなきゃ!」と、前からずっと考えていたジャケを作ってみました。

結果を書くと、、、
バッチリイメージ通りのジャケになりました。
まだ内緒だが、ヒント↓

今作の雰囲気を100%投影した名ジャケな気がします。
お楽しみに!

PS.子供の頃から、絵の具、墨、を使う時には他のどの子供よりも圧倒的にメチャクチャになってた。
今回はもう大丈夫だろうと思ってたが、絵の具まみれになった。
しかも途中で洗濯物を干したから、洗濯物にまで油絵の具が付きまくった。
なんか、足りないのかもね。注意しててもなるんだから。
今後の人生の参考にしよう。自分には何かが欠けている、と。

5月12日(木) 最近のレテパシーズ

8thアルバムミックス順調に進んでおります。
馬場友美とのアルバム制作の中でも、今作が一番サクサク進んでるんじゃないかな?
サクサク進むのは「やりたい事が演奏の時点でやれている証拠」らしいので、これからは胸を張って生きていこうと思います。

印象に残っているのは5曲目「エンデンジャードスピーシーズ」のミックス。
簡単に書くと、モノラルにするかステレオにするか、で意見が割れました。
その時のカニユウヤのセリフ↓
「曲単品で聞くとこっちも良いっす。でも1〜4曲目の流れで聞くとアルバムとしてはあっちの方がカッコいいっす」
これを聞いた時に「ああ、カニイヤンは偉いな。俺も作詞作曲の時点で10曲の曲順も意識して、アルバム中心に生きてきたつもりだったが、一瞬その事を忘れてミックスしてたよ。危ない危ない。」こんな風に思いました。

ちなみに1〜6thアルバムは2000年〜2019年の歌の混ぜこぜベストアルバムなので「作詞作曲の時点で10曲の曲順も意識して」は当てはまりません。
当時タイムリーに作っていた「古宮MAP」シリーズでは意識していましたが。

↑昔、尾林星と「バイトなんかもうやめよう。路上ライブをして生活費を稼ぐんだ。」と意気投合して立川の駅前で歌った時に準備した看板?
(通行人は全然立ち止まらず、結局一度で終わったが)

星君の歌、今見たら俺が大好きだった音源がYouTubeに載ってますね。
勝手に紹介しちゃおう。

夏のけぶり
あめりか
卑達磨
トンネル抜けて
竜歌
4Dシアター
CAR STEREO

このアルバム大好きでした。

ミックスの様子をマンガにも書きました。
近作、レテパNEWSでは紹介してなかったので載せときますね。
(過去作はこちら)

ひろしマンガ
第25話「8thミックス」

↓豚汁中。テレビでは金曜ロードショーのポニョ。

昨日このマンガ読んだ友人が、はじめちゃんを俺と間違えてて、俺の事は人間じゃなくヒョウタンツギ的なやつと勘違いしていたので、改めて説明。
あれは俺です。一日の70%はあの状態です↓

たまには登場人物紹介でも載せた方が良いのかなあ?
今度描いてみよう。

ひろしマンガ
第24話「新アー写撮影秘話」

毎回ヤハタ君が大活躍ですね。
作者としては助かります。ありがとう。

ひろしマンガ
第23話「ハダユキコの最後」

近づく俺、迫り来る恐怖、を描くのが難しく、珍しく2、3枚紙を無駄にしました。
「ハダユキコの最後」の13:40〜と合わせてお楽しみ下さいね。

という感じの最近のレテパシーズです。
今夜はスタジオで菊竹南と2回目の猛特訓です。
初回のスタジオにはハダユキコもやって来て、南ちゃんにあれやこれや引き継ぎしていました。
辞める時はちゃんと引き継ぎ。
なんて健全なバンドなんでしょう!

PS.8thアルバム。7月初旬にはお届けできるはず。多分。おそらく。

5月3日(火) 新ピアニスト菊竹南登場

雪深い北国育ちの感覚なのでしょうが、昔から5月が一番好きです。
長い冬は白一色。雪解けの春に色が現れて、5月は新世界本番という感じです。
(白樺の若葉がサラサラと輝いているあの感じです)

もちろん東京の5月とは全然違う感覚なのですが、昔からのクセで東京にいても5月になると「新世界!がんばるぞ!」と爽やかに走り出したい気分になります。

で、僕のレテパシーズ。爽やかに走り出しましたよ。

レテパアー写定番スポットの先代ハダユキコの実家の屋上でパチリ。
なかなか爽やかな幸先の良い写真が撮れましたね。

新ピアニストの菊竹南さんは、10代からレテパを好きで、初めてライブを見たのは2013年2月22日の真夜中の新宿JAMだという優等生のエリートです。
先代のユキコとも仲が良く、子供相手にピアノを教えている、ところなんかも同じなんです。

写真見る限りはもう違和感なく馴染んでいるでしょう?
昔から裏方を手伝ったりしてくれていたので、俺の地獄期なんかもちゃんと知っていて、一度はツアー先の車内で当時のメンバー全員で一触即発の大喧嘩になりそうになった時に、菊竹南の一言でその場が収まり、収まるどころか爆笑の渦を巻き起こし、バンドはめでたく存続、みたいな珍事もありました。

この前、先代ドラマーの鈴木亜沙美に会った時に「次のピアニスト菊竹南だよ。」と伝えたら「あー、南ちゃんならあの時(上記の喧嘩止め)の度胸を見る限り大丈夫だね。」と太鼓判を押してくれていました。

先月末からスタジオでは猛特訓が始まっています。
「8th録り終わってからじゃないとごちゃごちゃするからダメ」とメンバー達に言われ、おあずけ状態だった9thの新曲達もついに解禁になりまして、バンドは正常に行進中です。

死んだ後、音楽博士がレテパシーズを解説するならば、今は「中期の初期の後期」といったところでしょう。

「RCはシングルマンからキヨシローがピアノを弾きだしたせいでメロディーが変わってしまい昔の直球メロディーじゃなくなった、という話を恐れて、古宮大志はピアノだけは弾くまい、と決めていたが、2011年の離婚のドサクサで真黒毛ぼっくすの大槻家に奪われた足踏みオルガンが最近大槻さんの断捨離モードにより無事返還されたので、古宮大志は寝ても覚めてもオルガンばかり弾いているから、ちょっとメロディーが変わった時期。でも恐れを知らないメンバーのおかげで、作詞作曲上のただの変化ではなく、音楽や文学の歴史にも一石を投じる新しい時代が始まってしまった、今思えば一番スリリングだった時期」

が所謂「中期の初期の後期」です。

なかなかイカレた良い時期に加入したね。
ここから先は特に楽しいと思うよ。
南ちゃん、よろしく。

PS.ちなみに9thの3曲目は「イカレた人」という歌です。
皆さん永遠に安心して長生きして、レテパのこれからをお楽しみに。