2月23日(日) 吉祥寺WARP&WARPスタジオ

2025年2月23日(日)
吉祥寺WARP&WARPスタジオ

PASSiON RECORDS
7th Anniversary Party
『Thanks ! 』

開場13:30
開演14:00
チケット4000円(1D別)

※ご予約は https://tiget.net/events/362562

出演

easy
超右腕
HOGO地球
onett
fish
bulbs of passion
ちゃんちゃらおかしいズ
ゆ〜すほすてる
Superyou
ピーナッズ
ヒュードロズ
Milk&Cookie
どついたるねん
ひびわれつ
僕のレテパシーズ
periwinkles
MEGA X
スーパーアイラブユー
オイッス
サイキシミン
ゆっくり走れ
RUNRUNRUNS
THE DO DO DO’s
QUINCAMPOIX
LIFE IS WATER BAND
pleco
OCHA∞ME
OMOHIDE-KYO
山本狼煙
嵯峨山諒
森川あづさ
hypermiri
おれ、夕子。
DJ yamapee

【SHOP】
HALO HALO RECORD
tunelessmelody bookstore
たざきたかなり
megumi yamazaki
ニシダキノコ
まるちゃん食堂
大橋裕之
夕暮宇宙船
寺田食堂

2月11日(火) レテパシー通信です

事の顛末は前回の文章「僕のレテパシーズのSNS終了宣言」に全て書いたので、そちらをご覧下さい。
とにかく今は良い気分。
レテパシーズ結成以来、色々な困難があり過ぎて、溺れ死なないように目の前の藁ばかりを掴んでいた気がします。
でも今、断酒から6年が経ち、10枚のアルバムが完成した。
「あれ?もしかして俺はもう溺れてはいないのでは?」と思い、もがくのをやめて足を伸ばしてみたら、足が着き、ちゃんと立てて、目の前には愛おしい世界。
それは歌い出した17才の頃に見ていた世界と変わらないものでした。
歌い出して25年、レテパシーズ結成からは15年。
すごく遠回りしたかも知れないけれど、今の自分を気に入っています。
17才の頃に見ていた世界を、今の自分が進んでいく感じ。
分かるかなあ?この最高な行進状態。
あの世界を今の自分が行くんだよ。
嬉しいな。もう全て好きにやるんだ。

今までこのページは「僕のレテパシーズNEWS」という名称でしたが、カニユウヤから「これを機にホームページも少し精査しましょう。ディスコグラフィーのページも作りましょう。NEWSもNEWSって感じじゃ無いから名前変えても良いのでは?」と提案を受け「そうね。なんか知らない言葉ってしっくり来ないからブログって言うのが嫌でNEWSにしてたけど、別にNEWSじゃなくても良いもんな。じゃあレテパシー通信にしよう。」という感じです。
特に今までと変わりません。
気が向いた時や、何か特別なお知らせがある時に書きますね。
今までは書いた時にレテパシーズTwitterで案内してもらっていたので、それが無くなってしまい、読む人には不便だと思います。
でも、まあ、しょうがない。
レテパシーズは図書館の本になります。
彼らのような静けさで、手にとってもらうのをただ待つ日々も悪くない。
性に合ってる。あなたもその方が好きでしょう。
本来、本は喋らない。「読んで読んで。私を読んで。」なんて言わない。
ちゃんと出会い、ちゃんと別れよう。
そうすればいつでも僕らは会っていると思うんだ。

先日、大切な人と素晴らしい時間を過ごしました。
その友人は泣いていたんだけど、とても美しくて、その人に語りかける自分の声も優しくキレイに響いた。
夕焼けや初雪の朝の突き抜けるようなあの感じとも似ているけれど、それ以上に強くて美しい光景だった。
夕焼けも初雪の朝も好きだけどさ、突き抜けるようなあの感じを抱えて生きてきた人間と、同じ速度で同じ光景に触れ合った時、過去と未来の真ん中で、まるで待ち合わせをしたみたいに、今までとこれからの全部を抱きしめながら出会えている気がした。
自分はこんな瞬間のために生きているんだな、と思えた。

その数日後、あるバンドのライブを見に行った。
そのバンドの演奏はとても好きだったんだけど、最後のアンコールで謎の男?がステージにしゃしゃり出てきて歌い出し、なんだか汚された気分になった。
他の客はどう思ったんだろう。すごく冒瀆された気分。
こんな時、自分はライブハウスという場所が信じられなくなる。
帰り道ではいつも「こんな場所で歌ったって意味ないよな。なんでわざわざ金まで払って、信じられない場所に降りて行かなきゃいけないんだろう。外で環七の車のライトを眺めてる方が何百倍もキレイだったな。」なんて暗い気持ちになってしまう。
その日も定番のそんな気分で帰宅したのだが、電話を見ると父親からの留守番電話。
思い当たる事があったので、覚悟して聞いてみると、祖母が亡くなったとの連絡だった。
心配をかけまいと出来るだけ優しい声を出そうとしている父の留守電の声が、最近の自分の声とそっくりな気がして「ああ、俺も出来るだけ優しい声を出そうとしているんだなあ。偉いな最近の俺。」なんて思った。
ベッドに入り、暗い部屋で柿生のばあちゃんとの思い出を思い出していた。
俺と気が合う、少女のような可愛いばあさんだった。
そしていきなり、ふと思った。
「もうライブハウスに絶望するのはやめよう。ただ、俺がキレイな瞬間を知っているだけの話だ。そしてきっと本当はみんなキレイな瞬間を見たいと思っているんだ。ばあさんとの思い出も、友人とのあの時間も、なんだかレテパシーズのライブにそっくりだったじゃないか。冒瀆された気持ちになれたのは、自分がキレイな証拠だな。ありがとう謎のしゃしゃり男、おかげでキレイな自分に気付けたぜ。おやすみなさい。ばあさん、夢に出てきてもいいよ。カモン。」
そんな明るい気持ちで眠れました。

ばあさんは夢には出て来なかったが、朝目覚めるとこんな事を思い出した。
17才の頃、東京のライブハウスのオーディションを受けまくる為に(全部落ちたが)この祖母の家に泊まり込んでいた。(小田急線柿生駅)
その頃はその年(2000年)に出たポーグスのベストをよく聞いていたのだが、毎朝の自己流体操の時に音楽をかけるばあさんが「ちょっとそのCD貸してくださらない?」なんて言って、ポーグスをかけながら体操していたのを思い出し、笑ってしまった。
俺の携帯CDケースには友部正人、たま、シオン、どんと、アズミ、なんかが入っていたのだが、ポーグス以外は体操には不向きだったようで、見向きもされなかった。
彼女の喋り方は黒柳徹子のような東京の女の喋り方なので、子供の頃はよく真似をして妹と爆笑していた。

2025年2月11日
古宮大志

2月3日(月) 僕のレテパシーズのSNS終了宣言

僕のレテパシーズは無名の自主制作インディーバンド。
だから自分達で宣伝しなくちゃいけない。
そう思い、苦手なSNSもみんなと協力して運営してきました。
でも、いつか近い未来、そんな宣伝なんかしなくても済むようになればいいな。
作品とライブ、ただそれだけのバンドになれたらいいな。
そんな風に思っていました。

それはきっと僕だけではないでしょう。
メンバーだってそうだろうし、レテパシーズを好きな人達の多くはそう思っていたと思います。
作品とライブ、それがバンドの全てですから。

昨年、長年の夢だった全曲夏の歌の10thアルバム「夏のアルバム」を発表する事が出来ました。
そして、長年の後悔だった過去の作品達(アルコール依存症の影響下にあった時期のアルバム達)をリミックス、リマスターして録音当時の世界を甦らせる事に成功しました。
明るくポップにした、とか、聞きやすい耳触りの良い音にした、とかそういう事ではありません。
あの頃の殺伐や絶望、それでも死なずに遠い空を眺めていたあの感覚、そういう大切な部分まで衰弱した自分の病的な作業で消してしまっていた。
それを本来の姿に戻したに過ぎません。

これで全10thアルバム、100曲の歌達、全部を好きになれました。
生まれて42年が経ちましたが、こんなに落ち着いた気持ちは42年間で初めてでした。
自分の後ろにやり残した事が無い感覚。(前にはまだまだあるけれど。11th、12th、、)

年が明け、2025年。
1人のレテパシーズ好きの人と話す機会がありました。
彼はひどく酔っ払っていましたが、彼の真剣さは伝わりました。
彼が酔い潰れて、部屋に(ヤハタトシキの部屋でした)大量の酒と氷をぶちまけながら派手に倒れるまで、喧嘩を売るような大声で言い続けていた事。
それは「ひろしさんはやりたくない事は一切やらなくて良いと思います!もう歌とライブだけで充分でしょう!俺はレテパシーズの歌とライブに救われたんです!レテパのSNSに救われたわけじゃありません!そんなもの見たくありません!」

その場では僕も反論しました。
なぜやりたくない宣伝活動をしなくてはいけないのか、大きく分けると3つの理由がありました。
金の事、大昔からずっと燃え続けていて今は自分の手元で燃えている気がするあの火を消したくない事、もう黙殺が理由で衰弱していく才能あるバンドマン達を見たくない事。

なるべく分かりやすく説明したつもりでしたが、泥酔した彼には全く伝わらず、上記の文言を何度も何度も繰り返して、最後は大量の酒と氷と共に倒れてしまいました。

家に帰り彼の言葉を思い出していました。
次の日も、その次の日も、思い出しました。
「うん、確かに。もうやめちゃダメかな。10枚のアルバムはいつでも聞ける状態になってるんだし。あの10枚とライブがレテパの全てだもん。下手な宣伝活動はあの100曲の邪魔になるよな。次のスタジオでみんなに相談してみよう。」

次のスタジオはヤックンは法事で欠席でした。
そして当日になりハジメちゃんから「関口家が風邪で全滅、、欠席したい、、」と連絡がありました。
いつもならば2人も欠席だとスタジオは無しにするのですが、その日はみんなの意見を聞きたかったので、カニと南と話し合う事にしました。

提案には2人とも大賛成。
目がキラキラしていました。
「ああ、この人達は生粋のアウトローミュージシャンだなあ。」と思いました。
まだ少し迷っていた僕の方が説得されるような形で頼もしかった。

次の日、レテパシーズのスタッフのソノダさんにも相談しました。
彼も目をキラキラさせて大賛成。
「僕がお客さんだったら、その方が絶対にしっくりきますね。」
そんな事を言って嬉しそうにしてました。

ヤックンとハジメちゃんにも電話して相談しました。
みんな賛成で満場一致でした。

というわけで、僕のレテパシーズは10枚のアルバム、そして自分達のライブを信じてSNSをやめる事にします。
レテパシーズのホームページはこれまで通りに続けます。
きっと灯台みたいな感じになるのかな。
ジタバタ動かずに、ただ光って待ってる事にします。
雨の日も風の日も。最初の日も最後の日も。
いつでもどーぞ。待ってるよ。

決して何かを諦めた訳ではありません。
こっちの道の方が気性に合っていてワクワクするから決めたのです。
そしてレテパシーズを好きな人達は同じような気性だと信じたのです。

やはり10枚全てを大好きになれたのが大きかったみたい。
この10枚が24時間全世界でいつでも聞ける状態にあるんだもん。
大丈夫な気がします。
蛇足や言い訳はもういらないよ。

「僕を殺せるのは僕だけさ」
「愛してるよ」
「永遠に、たまに」
「ブルースマン」
「レテパシー」
「アコースティック」
「クレイなジー」
「エンデンジャードスピーシーズ」
「RADIO LETEPA」
「夏のアルバム」

これが我々の全てです。
信じて聞いてみてね。

レテパシーがたくさんの人に届きますように。

2025年2月3日
僕のレテパシーズ代表
古宮大志